ポストINF条約と日本の役割

(写真提供:3104さんによる写真AC

政治の世界で政策論議をする際によく出くわすのが戦略という言葉です。演繹的発想で物事を考えようということなのですが、戦略と言えばすべてが正しい訳ではなく、当たり前ですが、あくまでもそれは戦略目標が明確に描かれていることを前提に、そのスコープの中で目標を達成する最善と思われる手段が書かれているに過ぎません。

昨年、トランプ政権は中距離核戦力全廃条約から撤退を表明しました。国際的なパワーバランスの変化から、ある種の必然と受け取る向きも多かったのですが、非常に残念であり時代の変化を感じたことを鮮明に覚えています。来年早々に期限を迎える新戦略兵器削減条約の行く末にも影を落とすことになります。

トランプ政権が撤退したのは、ロシアが条約対象のミサイルの開発・配備を進めていることを理由にしたものでしたが、同時に条約に拘束されない中国が主力装備として条約対象ミサイルの開発配備を進めていて、米国にとっては戦略環境上、望ましくない状況になりつつあったためだと理解できます。

ロシアが開発配備を進めるのは、米国が欧州に配備を進めるミサイル防衛システムの対抗措置としてで、具体的にはイスカンデルという中距離ミサイルをカリーニングラードに配備しています。いわば見解の不一致とも言えますが、それでもNATO諸国に対して睨みを利かすためには条約対象であろうがなかろうが中距離戦略ミサイルの配備を停止する可能性は限りなく少ないと見るべきです。

一方、中国にとっては、いわゆるグアムキラーと呼ばれるDF-26(東風26号、射程4000km、対地対艦)や空母キラーと呼ばれるDF-21D(東風21D号、射程1500km、対艦)、ついでに言えば極超音速滑空体であるDF-17(東風17、マッハ5〜10)などは、米国に対するA2AD能力の中核的な戦略兵器ですし、同時に対印戦略や対ロ戦略でもありますから、そもそも中国にINF条約への加盟を求めても、乗ってくる可能性は極めて少ないと見るべきです(そもそも中国は2000発以上の弾道ミサイル・巡行ミサイルを保有していて、そのうち95%はINF条約対象装備だと言われています)。

従って、米国にとっての戦略方程式では、INFは自らの戦略環境を悪化させるだけのフレームワークにしかならないので、INF撤退しか残されていなかったというのが去年前半での大方の専門家の見方です。一方で、INFを拡大した拡大INFを周辺国とともに再度議論すべきではないのか、というご意見もあります。確かに中国にとっての脅威が米印ロ等ならば、それも含めての議論というのはあり得るように見えますが、例えばインドにとっての対パキスタン、ロにとってのNATOなどと、リスクマトリクスは明らかに複雑巨大になりますので、実現可能性は、現時点では極めて小さいと言えます。

そこで戦略論だけから判断すれば、米国にとっては紛争エスカレーションを回避するために中距離ミサイルの配備を進め、新しい勢力均衡を構築するという答えがでてくるのですが、中国は広大な国土に戦略アセットが多数分散配備されているため、そもそも対処可能性が必ずしも高いわけではなく抑止がきかない。そうした戦略ギャップを埋めるために、米国が欧州にしているのと同じように、アジアにも配備を進めるという結論がでてきます。丁度1年前、当時米国エスパー国防長官が表明した内容もこれに合致しています。

戦略論としては正しい。ただし、第一に、現実問題として、米国の中距離ミサイルのアジア配備というポストINF構想は、アジア諸国の脅威認識や政治状況など複雑かつ困難な条件があるので、困難な道であると言えます。欧州諸国がもつロシアに対する脅威認識ほどの共通認識がアジア諸国にあるとは思えません。実質的には、対抗メッセージと受け取るべきなのかもしれません。第二に、理念論としてですが、歴史を振り返ってみると、ウィーン条約で確立された勢力均衡の概念は、ベルサイユ条約を経て20世紀初頭に入るころには、技術革新を背景とした軍事力重視に結び付き、軍拡こそ戦争を防ぐというロマン主義的軍拡志向と平和ムードの組み合わせによって、最も最悪の結果が生まれたことを大いに反省しなければなりません。

であるとするならば、この2つの道を同時並行的に進める努力を惜しむべきではないのだと思います。先に我々が政府に提言したミサイル阻止力については、実はこうしたポストINF秩序の議論のなかで論じるべきところもあります。ミサイル阻止力はもっぱらミサイル迎撃の延長線上の限定的必要最小限の能力ですので、直接的にポストINF戦略に組み込むことが目的のものではありませんが、周辺国による日米同盟の能力評価においては自動的に計算に含まれるものであることを考えれば、ミサイル阻止力の議論を進めつつ、同時に拡大INFの機運醸成も検討すべきなのだと思います。