日銀の新金融政策:イールドカーブコントロール

先週、日銀が新しい政策を発表しました。題して長短金利操作付量的質的金融緩和。年初にマイナス金利というサプライズ政策を導入し、7月にはETF購入倍増を発表し、また新しい政策の発表です。日本の経済に何が起きているのか、を見てみたいと思います。

結論から言えば、経済成長は+1%程度の回復基調に戻るとの予想を私は支持しています。

3年9か月前からざっくり見てみたいと思います。第二次安倍政権発足後のいわゆるアベノミクスで導入した大規模な金融緩和と財政政策によって、金利低下、円安、企業収益の改善、設備投資や雇用環境は改善、名目賃金は上昇、一方、金融緩和要因+円安要因ー原油価格下落要因+消費税導入要因で緩やかな物価上昇、実質賃金を押し下げ(名目賃金上昇が弱い)、消費は後退。

今年に入ってマイナス金利の導入で一段の金融緩和が実施されるも、主に政治要因によって円高。新興国経済低迷も相まって企業業績の多少の弱含み。設備投資も弱含み。総需要の後退と円高要因によって(原油価格上昇要因を吹き飛ばして)物価上昇率低下。結果、日銀が目指す物価2%上昇は未だ達成されていない状況です。

つまりデフレからの回復基調は続いていて、物価が継続的に下落するような状況からは脱出できているものの、力強いわけではない。そして、重要なのは、これは上で述べたようなスタティックなデフレギャップや輸入物価だけが原因ではなく、未だにデフレマインドは根深いということです。昨年、地元のとある製造業の社長さんが、昔はちょっと景気が悪くなっても直ぐに上向くという感覚が体に染みついていたけど、今はアベノミクスとっても、ちょっと景気がよくなったからって直ぐに悪くなるような気がする、と嘆いていたことを思い出します。

従って、処方箋としては積極財政による需要創出と期待インフレ率改善のための更なる金融緩和というポリシーミックスが必要だということになります。

そこで前者に関しては、先月、未来への投資と題して積極財政に転じたので(以前は減税ベース)、総需要がGDPギャップ以上に創出されるはず。残りは期待インフレ率向上のための金融のもう一段の緩和が求められていました。

ただし、金利が下がればいいわけではない。金利を短期から長期まで結んだ曲線をイールドカーブと言いますが(長期の方が金利は高いのが普通なので右肩上がりのグラフ)、今年のマイナス金利導入で短期の下落以上に長期の下落が進み、イールドカーブがかなりフラットになっていました。こうなると銀行運営(貸出減少や収益低下)や年金資産運用で問題がでる。

そこで今回日銀が発表したのが、長期である10年債の金利は0%になるように操作する、短期は更に深堀もあり得る、これによってイールドカーブをスティープ化する、というもの。これを受けて市場も直ぐに反応し、10年金利は0%近くになっています。これにともなって20年債や40年債も上昇しました。さらに、オーバーシュート型コミットメント(というややこしい名前を日銀が付けましたが)、物価上昇率が2%を超えても安定するまでは緩和は続ける意思を明確に示しました。

これによって実体経済としては、先の記事で書いたように、金融機関が貸し出しに積極的になり、中小企業にとってもよい状態になればと思います。

ただ、手放しで喜べるかどうかは見守る必要があります。もうかなり大胆であることは間違いない。黒田総裁の危機感と気迫さえ感じます。

例えば、イールドカーブをスティープ化するということは、ある種のインプリシットなテーパリングではないかという見方もできるし、もっと言えば引き締めになって円高バイアスがかからないのかとか、政府が0金利で資金調達できるヘリコプタマネーに類似するという見方もあるし、0%にするために無制限に国債買い入れを強いられることはないのか、そもそも適切な金利水準はどうなのか、基本的に様々な要因で決まる特に長期金利をうまくコントロールできるのか、はたまた少し将来の話をすれば、既に450兆円も積みあがっている膨大な国債や投信の将来価値が円通貨の信用性にどうかかわるか、オーバーシュート型コミットメントで達成はどう判断するのか、判断して急に国債買い入れを止めたら金利が急上昇しないか、そもそも年限を切るのをあきらめたことになるのではないか、あるいは逆に、これまで日銀はいくらでも国債を買う方針でしたが適切と考えるレンジで買う方針に転換したので場合によっては国債売却インセンティブが低下して買い入れペースが鈍化しないか、などなど。気にし始めたらきりがないですが・・・。

いずれにせよ、この機に経済を立て直さなければならないわけで、放置してもいいわけでもなく、是として注視していかなければなりません。

町の金融と地方創生とお役所

・地方創生は誰がやるのか

結局、地方創生というものは、創生ですから、新しい事をやらなければ成し遂げられないわけで、そのためには、アイディアなりシステムなりの投資をしていかなければいけません。第一の問題は誰がやるのか、ということであって、もちろん国が責任をもってできる環境を整えるということは言うまでもありませんが、国が細部に至るまで地域の実情を把握して、それを纏めて全国一律な施策を打って、全国金太郎飴のように地方が創生発展するなどというのは夢のまた夢です。

では、地方公共団体ががんばらなければならないわけですが、今までのように税金を原資とする公共投資(ハードであろうがソフトであろうが)だけに頼っていたのでは、よいアイディアはそうそう出ないであろう、だったら民間も一緒になって地域の事を考えなければなりません。

国がやってくれるくれない、では全然ダメなのは当然ですが、知事がやってくれるくれない、でも全然だめで、市長がやってくれるくれないでもダメなのです。民間も国も県も市も町も自治会も町民も、全員がやる気にならなければなりません。

・民間の中心は誰かー地域金融

民間側が進んで地域の創生のために立ち上がっている例も少なからずあります。例えば北海道の稚内。もともと漁業が盛んなところですが200カイリ漁業規制で遠洋漁業が大打撃。もう同じ路線は無理だと立ち上がったのが地域の信用金庫の理事長。空港整備から旅館整備まで、できる事は何でもやった。さもありなん、地域経済がなりたたないと、信用金庫もなりたたない。危機感が強い。

(念のたですが、空港や旅館を作ったから創生したということではありません。信金はこのとき、町全体の産業戦略を描いた上で、それに沿ったかたちで、それぞれの事業者が払う事業再生への努力が報われる環境づくりを、”お金だけではない支援”を通じてし続け、それによって町のありとあらゆる産業が息を吹き返し好循環が生まれた、というところが肝です。空港や旅館を支援すれば地方が創生するという、いわゆる旧来の補助金的な発想ではなく、町全体の好循環を生む環境づくりをしたということです。念のため。)

地域金融にはそういう性質があります。ただ、それだけではありません。地域内に取引先がたくさんありますので、地域の経済状況を俯瞰的に見れる。どこにどのように投資すれば、どういうサプライチェーンを通じてどのようにおカネが回るのかを俯瞰的に見れる。しかも地域外との連携ができる組織力と人脈力がある。だから地方創生の主体としては、地方自治体と並んで町の金融は最も有力であったりします。

少し脱線しますが、兼ねてからこの場でご紹介してきました地域経済分析システムであるRESASは、地銀や信金と同様に行政が俯瞰的に地域の経済状況を見れるようにしようという、国が開発し地方公共団体に提供しているシステムですが、なぜ私がその名前すらついていない開発初期段階から応援してきたかというと、そういうシステムがなければ地方自治体は地域経済を俯瞰的に分析することができないからで、もし地方行政が俯瞰的分析をできれば、見えなかったものも見えるようになり、新しい政策(中小企業支援)が立案できるに違いないと思ったからです。

・過去の評価だけでは未来はない

話をもどすと、稚内の信金になぜそんなことが可能だったのかということですが、信用金庫も慈善事業者ではないのでビジネスにならないと融資なんかできない。よくよく考えてみれば、リスクをとったからです。

と、ここまでは普通ですが、どのようにリスクを取ったかが一番重要です。つまり将来価値の評価をどのように行うか、が勝負だと思っています。旅館があって、その旅館の経営状態が悪く財務諸表がボロボロだから銀行は貸さない、では話になりません。過去しか評価していないからこうなる。過去の評価だけで投資をしていても未来はありません。未来の評価、ある種未来の期待感に投資しないければ、未来はありません。未来の期待感は金融が寄り添って初めて光るものだと思います。

銀行マンが、いろんなツールと人脈をもって、中小企業や小規模事業者に寄り添って、その会社のため、ひいては地域全体の将来価値の為に頑張るようにはどうすればよいのか、ということになります。

この部分、すでに国は2年前から大きく舵をきっています。金融業界の所管官庁は金融庁ですが、金融庁と言うと、規制省庁。これだめあれだめという官庁ですが、そういっていては、上に述べたことが成し遂げられないので、規制官庁から育成官庁に大きく舵を切りました。私自身、この変貌ぶりを実感したのが2〜3年前にマイクロファンドの議論をしたときです。以前であれば、どうやって悪さしないように、あるいは市場に悪影響がでないように”規制”するかが視点であったはずの金融庁が、どのように民間活力が生まれるのかという”育成”に力点が移っていたことをはっきり覚えています。

・なにが問題だったのか

結局、過去の金融行政の問題は、20年前の金融危機下で不良債権処理が最大の課題であった時代の哲学をそのまま続けていたことです。もちろん、この間に同趣旨の問題は指摘されておりましたし、改善するために試行錯誤がありました。しかし、地方創生が国家の戦略になった時点で抜本的にその哲学が変わったと言えます。

例えば金融検査マニュアルというのがあります。金融庁が地域金融に課す検査です。もともとの哲学が不良債権処理なので、保守的検査内容になっていたのは当然です。金融業界はこれに通りさえすれば、あとは国債と大手に大規模におカネを投じれば、ビジネスとしてはやっていけてました。ここに、リスクをとる必要もなにもなく、なるべく過去の評価が高い優良企業に融資すればよかったわけです。銀行に目利き能力が失われたと言われるのは、こうした制度的問題があったわけです。これはおかしいということになりました。

地銀や信金の一部には、行員の人事考課につき、ノルマを課すことを廃止したところもあるようです。ノルマというのは、企業側からしてみれば借りたくもないのに借りて欲しいという銀行に付き合うわけで、そういう企業は過去の評価が良いところであるので、再生にはつながらないし新しい企業も生まれにくい。ノルマ評価を廃して、経営困難な会社でも寄り添う姿勢を大切にする方が、当然目利き能力も向上するでしょうし、活力につながる筈です。

結局、そうした本当に頑張る地銀・信金を高く評価する金融行政にすべきであって、実際に今では事業性評価という未来の評価を行うシステムになっていますが、引き続き改善していく努力が必要です。

また、評価だけではありません。信用保証制度というのがありますが、地銀は信用保証協会から保証枠をもらって融資すれば、ほとんどリスクを負う必要がないわけで、不良債権処理時代には資金繰りに困る企業救済のための制度でしたので必須でしたが、現状にマッチしている制度であるとは言えません。今後議論すべき課題の一つとして挙げられています。

今年の年初に日本銀行がマイナス金利を導入しました。国債に頼るところが大きかった地銀信金も、このままではやっていけない。そこで合併し更にボリュームの拡大に乗り出す地銀も現れましたが、本来は、地域の経済を担う中小企業や小規模事業者が、チャレンジをしようと思ったときに寄り添ってくれて、そこで健全にビジネスができる町の金融であるべきです。

先ほどの稚内の例は先端事例&特殊事例であって、同じことを全ての地銀・信金ができるわけではありません。しかしスピリットはこうあるべきであって、なぜそうなってこなかったのかと言えば、金融行政が、現状の変化を直視せず、過去のシステムを20年もひきずったままだったからと言えます。

・金融機関の視点

これまで行政の視点を書きましたが、一方で金融機関サイドからみた直近のビジネス視点も書いておきたいと思います。(この部分は初稿から後日追記したものです。)

地域金融目線で、なぜ昔はリスクを取れていたのか。行政視点ではない単純な理由があります。それは、今の低金利(マイナス)金利時代とは違って、昔は小口融資でも利ざやがあったので、リスクを取ってでも全体のリターンが計算できた、しかし、これだけ利ざやがなければ小口だと土台儲けが計算できない、小口をやる管理費さえ賄えない。つまり、低金利時代、しかもマイナス金利の時代になると、儲けの算段ができないからリスクを取らなくなっただけ、という視点です。つまり、地銀信金にすれば、需要もないのに低金利にすれば小口融資なんてもっとできなくなるじゃないかとなります。

ではなぜマイナス金利になったのかと言えば好景気ではないからです。資金需要がなく、銀行も貸そうにも借りてくれない。なぜ需要がないかと言えば、事業者がチャレンジしなくなったからです。なぜそうなったかと言えばリスクをとれなくなったからです。で、ここまでは行政視点でも金融業界視点でも同じです。問題は、直近のビジネス視点だけで行けば、既述の通り融資リスクはとらない。すると、事業者はチャレンジできなくなる。悪循環です。

既存の金融で資金供給できないということになれば、それ以外で可能性があるのはマイクロファイナンスであって、小口はそちらにシフトしていかざるを得ないのかもしれません。もし仮に、それだけで地域経済が回るようになれば、金利の正常化を通じて、リスクテイクも増えていく。

マイクロファイナンスの分野はそれはそれで力を入れてでも推進すべき手法であって、事実私も応援してきているつもりです。マイクロの利点は、1つのファイナンスの規模が小口なので参加者が気軽に行える。結果的に、財務諸表などの過去の評価だけではなく、期待値という未来の評価によってもファイナンスが行われるからです。

しかし、当たり前ですが知財のアレンジや人物紹介などの周辺支援を金融支援と同時に行う総合支援は難しい。そうした総合支援が事業の創出には必要だと思います。結局、金融界も地域全体の経済を底上げする音頭をこれまで以上にとっていかないといけないのだと思います。

最後に目利き力衰退論について、念のため触れておきたいと思います。昔はリスクテイクできた環境にあったから必然的にリスクをとっていたことは述べました。リスクの取り合戦を同業他社とやっていたということです。これの裏をかえせば、取ったリスクを管理するために、総合支援をしっかり行っていたと言えます。つまり融資した取引先が焦げ付いてほしくないから懸命に寄り添っていた。それが取引先を強くしていた側面もあるし、目利き力を磨いていた側面もあります。今はリスクをとっていないので、総合支援の必要性もなくなってきたので、結局目利き力が弱くなったと言われるのだと思います。

つまり因果の分析をしっかりしないと政策を誤ることになります。

暫くこの分野でいろいろとやってみたいと思っています。

 

 

東京ForumK勉強会―松尾豊先生をお招きし

少し前の去る9月5日の話になりますが、連日のようにメディアに登場される人工知能研究でご活躍の松尾豊先生(丸高・東大)をお招きし、ForumK勉強会を開催しましたところ、ご参会賜りました皆様には心から厚く御礼申し上げます。お礼が遅くなり恐縮です。しかし高校の同窓生の活躍は嬉しいものです。

オーストラリアと資源と産業と歴史

先日、自民党総研メンバー11人(総研は党のシンクタンクで主任研究員は民間出身の精鋭)、同僚議員2人とともに、オーストラリア(以下豪州)を訪問して参りました。日本にとって豪州は、インド、韓国、ニュージーランドとともに戦略的に非常に重要な国であって、その重要性は極めて高くなっているのが現状です。東アジアの安全保障上の観点からだけでなく、EPA、TPP、農業、資源開発、安全保障、歴史、中国問題などに関して、共通の関心を有しています。今回の訪問は、今後の日豪関係を模索するために自民党総研として企画し、訪問したものです。報告書・提言書をまとめて党に具申する予定です。

私の問題意識は以下の2つでした。

・対中国外交を日豪友好関係という切り口で見つめなおすこと。戦争の歴史の乗り越えてきた日豪友好関係の歴史を再確認し、歴史問題を外交戦に使う中国との関係を考えること。そして戦時中に尊い命を捧げられた日豪双方の英霊の御霊に哀悼の誠を捧げること。
・日豪の新しい経済協力関係を模索すること。初めてとなる日本主体の資源開発現場や、豪州の農業漁業最先端現場を視察し、新しい日豪関係を模索すること。

ちなみに今回の訪問で一番印象に残ったことは、豪州最初の捕虜が香川県三豊市高瀬町勝間の出身者であって、現在では日豪友好のシンボル的な扱いになっていること。後述します。

まず、ざっと日程から触れます。

1日目は、シドニー到着後直ちにキャンベラへ。Minerals Council of Australia(ブレンダン・ピアソン理事長)、National Farmer’s Federation(トニー・マーハー理事長)、そして草賀大使との意見交換。

2日目は、グレッグ・ハント産業イノベーション科学大臣、ゲイ・フロッドマン影の内閣サイバー国防副大臣、ゼット・セセルジャ社会サービス多文化問題副大臣との意見交換の後に、戦争記念館を訪問し、その後、夕刻ダーウィンへ。

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グレッグ・ハント産業イノベーション科学大臣との会談
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ゲイ・フロッドマン影の内閣サイバー国防副大臣との会談
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ゼット・セセルジャ社会サービス多文化問題副大臣との会談

3日目は、ダーウィンにて、最近中国企業と港湾の長期リース契約を結び米国から注文がついたことで世界的に話題になった北部準州政府との意見交換。そして農業や漁業者の現場視察と意見交換。北部準州政府主催の夕食会。

4日目は、日本の資源開発企業であるINPEXが主体となって開発を進める日本初の天然ガス田イクシスの視察と意見交換。午後にはシドニーへ。

5日目は、クッタバル海軍基地で英霊に献花。日本からの進出企業2社の現場視察と意見交換を経て、総領事館との意見交換。夜に日本に向けて帰国。

1.オーストラリアってどんな国(おさらい)

ご存じのとおり、豪州は先進国の中でも高い成長率を維持している国であって、その理由の一つとされるのが資源が豊富であること。輸出の6割が資源関係。ただ、よくよくみると、輸出のGDPに占める割合は高々10数%なので、もちろん資源があるのはプラスですが、他の成長要因も大きいはずです。例えば資源で言えば、資源そのものよりも他国の資源開発に伴う投資で儲けているとも言えますし、またサービス産業もGDP内訳では旺盛です。

逆に言えば、よく指摘されるのが、中国の経済成長鈍化による資源需要減少によって豪州の成長は鈍化するのではないかという指摘がありますが、前述の観点で言えば騒ぐほど甚大ではないのかもしれません。

人口規模は2300万人程度で、世界第6位の国土に比して少なく、マーケットとしては魅力に欠けると言われます。ただその数は年々増加。積極的移民受入政策で毎年12万人を超える人々を受け入れています。この積極的移民政策は、国家のアイデンティティと歴史認識という観点で少し別の議論ができます(後述します)。

しかし一方で、物価と労働コストが異常に高いのは少し気になるところです。一人当たりのGDPが10番には入るようになった豪州。日本の1.5倍から2倍です。しかし最低賃金が17ドル(1豪ドル80円位としても高い)。このことは、豪州の製造業の可能性に影響します。私が豪州訪問したときに新聞の記事に、高級官僚の給料が8000万円以上と首相より高くなるのはおかしくないか、という記事が載ってました。現地の人に聞くと、バスの運転手も給料が年収1500万円というのはいるそうで、少し異常にうつります。

2.産業構造転換は成功するか

どのような分析にせよ、資源を有することが豪州の強みですが、こうまで物価が高く労働コストが高くなったのはここ10年以内の話。資源開発競争が進み、労働者を確保することが困難になった結果、賃金と福利厚生がどんどんと向上。これが豪州全体の賃金上昇に繋がり、経済を回している反面、海外の製造業は豪州に工場を建ててもメリットが少なく、トヨタなども撤退を表明したところです。

つまりイノベーションという付加価値の創造がなければいつかは成長が鈍化する、そんな危惧を恐らく政府は抱いているのでしょう、農業でも漁業でも、資源開発でも、イノベーションという言葉が常に出てきます。資源と言っても、オーストラリアは資源開発を自ら行ってそれを他国に売って儲けているというよりは、もちろんそれもありますが、他国に資源開発投資をしてもらって労働者も雇ってもらって儲けの一部は税金で儲けようという感じです。

一方で、豪州は海外の研究開発イノベーション拠点事務所を、シンガポールやイスラエルなど5~6カ所においているのですが、日本にはおいていない。日本が作ろうとするイノベーションハブに参加頂ければと思うのですが、豪州の思うイノベーションというグローバルサークルにさえも日本が入っていないというのが現状です。今一度、豪州のイノベーションマーケティングをおこなった上で、何が協力できるのかをもう一度模索すべきなのかもしれません。

いずれにせよ、今回視察した、資源プラントのイクシスと、現地政府お奨めであった漁業の具体的報告をしておきたいと思います。いずれも北部準州ダーウィンを訪問した時の事なので、次節で北部準州政府幹部との会談からふれたいと思います。

3.北部準州政府幹部との意見交換・新しい漁業・日の丸資源プラント

基本的に南西部に大都市が集中する豪州国内よりも地理的に近い東南アジアをマーケットの中心として考えているとのことで、日本の地方の視点とはスケールが違い、もっともっと日本の地方は海外に目を向ける必要があると感じています。
一方で、米海兵隊も駐留する重要港湾であるダーウィン港の中国私企業への長期貸与問題も、こうした地方政府の視点を物語っているような気がします。国際政治と経済は両輪であるので、バランスが必要だという事は、訴えて参りましたが、彼らも十分に認識しているようでした。

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北部準州政府幹部の皆様と

また、彼らは農業漁業、資源開発、などの可能性を深掘りしようとしていて、とある養殖業者を紹介していただき、視察をしました。これがめちゃすごい。養殖業は昔からダーウィンでは盛んであったそうですが、最近は経営難でほとんどが撤退。その中で元気なところ。成功の秘訣は、やはりイノベーションもあるとか。25セントで買ってきた稚魚を育てて売る。しかも陸地。川から良質の海水が得られるとか。で、魚はIT管理されてて、魚の状態をセンシングしながら自動的に餌付けするとのこと。今もその他の研究をしているのだとか。しかもここは昔は小さな家族経営漁業者だったのだとか。日本の一次産業も可能性は無限大。最初から諦めてる人が多いような気がしてます。すべてはイノベーションとチャレンジングスピリッツです。

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先進的な養殖業経営者の皆様と

4日目に視察に行ったイクシスに触れておきたいと思います。イクシスは、日本のINPEXが天然ガス開発を進める建設中プラントですが、日本が主体となって開発する初めての天然ガスプラント。建設総額は兆のオーダ。日揮や千代田と言った日の丸プラント建設ジャイアントがど真ん中で活躍してました。全部で数千名が建設に従事。日本からは数百名が滞在。来年の操業に向けて多くの人が汗をながしています。

とにかく何でもスケールがでかく、例えばプラントの電力は、取ったLNGを使った施設内発電で賄うとのことで、その発電量が50万kW 。北部準州の都市部電力需要が70万kWなので、いかに巨大発電かがわかります。

そして物もでかければ、心まででかい。豪州は労働者の権利が強いのか、賃金が高く待遇が良い。経営者から見れば労働コストが高い。なんでこうなるのかと思うくらいのことが多い。これは、一般論で言えば先ほど触れた資源開発競争による労働市場の窮迫によるものだと理解されることが多いのですが、私個人的に違う分析を敢えてすれば、究極的に言えば人が良いからではないかと思ってしまいます。

何がすごいかというと、数千人の労働者の宿泊施設を近くに作っているのですが、これが豪華。ヤシの木なんぞ生えていて、どこかのリゾートホテルのような様相です。聞くと質の高い労働者を確保するためとのこと。その施設の充実ぷりは形容しがたい。

システムもリゾートホテルなみです。労働者は3~4週間働き、1週間休むと言うパターンなのだそうですが、最初のチェックインのときに、その宿泊施設の管理棟(ホテルのロビーのようなところ)に行き、チェックインしたらカードを渡され、それで部屋の出入りから買い物まですべてできる。かと言っておろらくお金は使う必要もなさそうです。食事は無料。映画館、音楽演奏スタジオ、ジム、ビリヤード、バスケコートからプールまで、なんでもござれで無料。おそらく夜のバーは有料だとは思いますが、本当に住みたくなるくらいです。

ただこのままではよろしくない。資源開発路線を続けるとしても、もっと生産性を上げなければいつまでも続くわけではないと考えるのが正しいと思います。1日目に面談したMinerals Council of Australiaのピアソン理事長も仰ってましたが、資源は無いけど技術力の高い日本ともっと協力して、新しい可能性を模索することが必要だと感じています。

4.歴史問題

御存知の通り、日本は戦時中に豪州を攻撃しおり、少なからずの犠牲者がでています。豪州国家の為に尊い命を捧げられた方々に哀悼の誠を捧げるために、今回訪問した各都市のキャンベラ・シドニー・ダーウィンで豪州戦争記念館や追悼施設を訪問し、黙とう・献花をして参りました。現地の人たちに怨嗟・憎悪の類の感情は殆ど無いらしく、感覚的にはこれは過去の話であって、互いにとって悲しい過去だったから二度とあのようなことにならないようにしましょうね、的な雰囲気を感じます。確かにアボット前首相も記者会見で中国首脳の発言に対して「日本は過去のみで評価されるべきではない」という趣旨の発言をされています。

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シドニー戦争記念館にある追悼施設にて黙とうを捧げる
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ダーウィンの戦争記念公園にある追悼施設にて黙とうを捧げる
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シドニーのクッタバル海軍基地にある追悼施設にて黙とう後献花。岸田外相も先般訪問されたとか。

この豪州からみると中国韓国の言動は過剰にウェットに映るらしく、逆になぜ日本の要人が靖国神社参拝に固執するのかは奇異に映るらしく、日豪友好の進展の歴史からみれば、日韓日中の関係がいかに情に支配されてしまっているかが対比としてよくわかります。

ダーウィンの戦争記念公園に立ち寄った時、2つの感慨深い事実に接しました。

1つめ。ダーウィン港を攻撃中のゼロ戦が被弾し不時着。豪州で最初に捕虜になった人がいました。後に収容先のカウラの脱走劇の首謀者となり、結果的に日豪友好のシンボルとなった人ですが、その人こそ、わが地元香川、お茶で有名な高瀬という町の勝間という地域の出身者でした。オーストラリアでは知る人ぞ知る豊島一です(ネット検索しても英語で検索した方が資料は多く発見できました)。

豊島は捕虜として拘束されてからカウラと言う町の収容施設にいたとのこと。戦争が続くにつれて捕虜の数も増え、最終的には、豊島は約1000人の捕虜とともにカウラにいたとのことでした。豪州は当時、捕虜や死者を丁寧に扱っていたという史実が沢山残っていて、例えば潜水艦侵攻で亡くなった日本人兵士の遺体を、赤十字を通じて丁寧に日本に送り返したりしています。

丁寧に扱われた豊島その他の日本人捕虜。恐らくは非常に複雑な思いに駆られたのでしょう、この1000人の日本捕虜の一部が1944年に脱走を試み、結果的に失敗。その時の首謀者というかリーダが豊島です。豪州側4人とともに、日本人側も231人がなくなっています。豊島もそうですが名誉のための自決が多かったのだとか。その時の死者も豪州側は非常に丁寧に扱っています。

その時の生き残りが戦後に交流を始め、豪州側が日本人死者を丁寧に扱ったことを意気に感じた日本人が感謝の行事をし始め、豪州側も呼応。結果的に同カウラ市では公園や桜通りができるほどになり、今では、豪州人捕虜の収容施設があった新潟県の直江津と平和友好都市となっています。ダーウィンの戦争記念館のプレートに豊島一の記述が写真と共にあり、そこに”hero”という文字があったことを私は一生忘れることがないでしょう。

日豪はお互いに命を賭して戦った関係ですが、こうした心の交流がある事は、戦後世代としては余計に熱いものを感じます。あらためて、恒久平和の誓いとともに、豪州というかけがえのないパートナーとともに、平和を祈るだけではなく具体的に実現するための、戦略的かつ具体的な政策を継続して実行していかなければなりません。

2つめ。ダーウィン沖に日本の潜水艦が沈んでいるのだとか。それを引き上げて日豪交流の輪を広げようと現地人が動いているのにもかかわらず、そして潜水艦を作った会社がいまダーウィンで資源開発をその真横で行っているにもかかわらず、日本にそんなムーブメントが起きていないとか。考えさせられます。

もちろん最近ダーウィンでは観光ブームで、豊島一についても空爆ツアーなるものが旅行会社のパンフレットになっていたりするので、引き揚げられたからといってどのようになるのかは分かりません。そして、船乗りは船が沈んだらそこが墓場だと思っていると聞きます。確かに戦艦大和の引き上げ論議を国会でしたときも同趣旨の論議になりました。慎重に考えるべきですが、ただ、豪州人のその思いは嬉しい限りです。

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空爆ツアーのパンフレット。最近登場したとのこと。表の意匠はそれとなく旭日旗になってますが日本の文字は裏面にたった一回しかでてきません。

一方で、ダーウィンでちらほら聞くのが、韓国人による慰安婦像の設置運動。実はシドニーでは既に少女像が設置されたのですが、経緯を聞くと、シドニーの教会に韓国人信者が多く、教会での運動を通じた設置に繋がっているそうです。そしてその同系列の教会がダーウィンにもあり、ダーウィンでもそのような運動がなされているとのこと。少し安心したのが、住民はその手の運動に辟易としているとのことです。我々日本人も辟易としています。

こういう運動、誰も得しないんのですけどね。

もっと未来志向でいきたいものです。

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駐豪州日本大使館駐在武官の皆様と戦争記念館の前で。同記念館は連邦議会から川を挟んで3~4km程度に位置し、双方から双方の正門が十分見える設計にしているとか。議会は軍隊を動かすなど国家運営の際には常に戦争記念館のことを意識すべしという意味と、戦争記念館側からは国家が常に哀悼の意を表しているという意味の双方があるのだと教えてくれました。
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シドニーのクッタバル海軍基地司令官(女性)と。日本の潜水艦(勝機なしとして湾内で自沈)の一部胴体が同基地歴史遺産センターのど真ん中に展示されており(その他はキャンベラ戦争記念館)、亡くなった日本人搭乗員を健闘を称え哀悼する文面が掲載されています。戦時中、当時のシドニー港司令官であるグルード少将は国内の反対を押し切って海軍葬を日本人乗員4人に対して行っています。その演説がしびれます「このような鋼鉄の棺桶で出撃するためには、最高度の勇気が必要であるに違いない。これらの人たちは最高の愛国者であった。我々のうちの幾人が、これらの人たちが払った犠牲の千分の一のそれを払う覚悟をしているだろうか。戦死した日本軍の勇士の葬儀を我が海軍葬で行うという私に、非難が集中していることは承知している。けれど私は、あえてこの葬儀を実行する。なぜなら、もし我が国の兵士が彼らのように勇敢な死を遂げた場合、彼らにもまた、同様の名誉ある処遇を受けさせたいためである。」(Wikipediaより転載)。

陛下の生前退位について

天皇陛下がお気持ちを表明されてから半月が経とうとしています。

第一に、そもそも皇室典範は、天皇が身体的精神的に天皇としての責務を果たせなくなった場合には摂政を置くことを想定しているわけで、そうすることで事足りるのではないか、という意見があります。天皇の事務的な行為は確かにそれで事足りますが、その他の象徴的行為、例えば震災の際に被災者に声をかけるとか、戦没者慰霊祭に参列されるとか、は、摂政では全くその意味合いが異なってきてしまいます。であるので、私はこの際、改正を議論すべきだと考えます。

第二に、陛下の意思に基づいて皇室のあり方が決まるのは、天皇の政治行為に関わるから憲法の趣旨に反するのではないかとの指摘があります。まず、あり方を変えられるのは国民の意思のみですから、前提が間違っています。

一方で、もし仮に、陛下のお言葉は影響力があまりに大きいので、国民の意思が歪められ、もって政治行為に繋がるという主張なら、少し慎重に考えなければなりません。ただ、憲法に示された天皇の国事行為の権能を援用すれば、今回の表明は内閣の助言と承認という内閣の責任において行っているわけで、勝手になんでも表明できるわけではないので、この点についても問題はないと考えます。

第三に、では生前退位を可能にする方法ですが、皇室典範を改正する方法と、その特別立法を制定する方法と、憲法改正をする方法が報じられています。私は何よりも重要なのが安定性と考えます。

過去の政権がずっと生前退位については否定的であったように、恣意的な退位は政治的安定性にも影響するため、生前退位の一般化を単純に認めることは困難です。

ならば今回の件は国民の圧倒的支持があるから特別法という議論もあるようですが、今後、同様な件があるたびに特別法にするのも安定性に欠ける。何故ならば、国会の過半数、つまり政権与党の意思で決まるからです。

であれば、皇室典範そのものを改正し、要件を国会の2/3として与野党の広い信任を得ることとして一般化した方がはるかに良いと考えます。

最後に憲法改正ですが、私はこれは違和感を感じます。まず生前退位の必要条件でない。さらに、憲法に書き込みとすれば、現在の皇室典範に書かれている同ルベルの皇室のあり方も憲法に書かないとバランスが悪い。憲法改正論議には馴染まないと考えます。

なお、少し余談ですが、そもそも皇室典範の即位の規定は明治憲法時代からの踏襲です。明治憲法では、天皇が政治を直接司っていたので、法体系上、皇室典範の改正は憲法の改正と同レベルの重要性をもつ案件でした。つまり、退位と即位が政治に直結していたので、その要件が極めて厳しく制定されていたとも考えることができます。そもそもこうした観点では、明治憲法と同レベルの規定でいいのかという議論もできなくはないように思います。

第四に、では具体的に生前退位を可能にしたとして、退位後の立場をどうするのか、など、より細かい議論が必要になります。

いずれにせよ、今後、国民的議論を経ながら、かつ、皇室の発展と安定、国家の安泰と繁栄を深く深く考えながら、議論していきたいと思います。

原爆死没者慰霊碑と恒久平和の誓い

忘れてはならない夏があります。

先日、同期で広島選出の中川俊直代議士の会合にお招きいただいた際に、平和記念公園に立ち寄り、原爆戦没者慰霊碑に向かい、献花をして参りました。過去に何度か伺っていますが、靖国神社と同様、できれば毎年伺いたいと思っている場所でもあります。

核兵器開発の議論くらいはすべきだ、と考える人も僅かながらいらっしゃいますが、これは理性で考えても(国際政治上の安保戦略)、情として考えても(核被爆国)、間違っているわけで、今日はそのことについて触れておきたいと思います。

まず私の立ち位置ですが、私は現在、党の国防副部会長であり、能力は別にしても安全保障政策には高い関心を持っています。限定的集団的自衛権の行使を可能にした昨年の一連の法律についても、党内議論の時から自ら参加し、衆議院の平和安全特別委員会の委員として質疑も致しましたし、自らの意思で賛成票を投じました。現在は、デュアルユースの可能性も追求したいと考えていますし、防衛装備品の海外移転についても、経済上ではなくて安全保障上国益に叶うものであれば戦略的に促進をしていくべきだと考えています。全ては平和のための必要最小限の自衛のためです。歴史上、紛争はパワーバランスが狂ったときに生じます。環境に応じた自衛力を持つべきなのが現実です。あくまで目的は恒久平和です。

まず理性の話ですが、国防費を3倍にし、日米同盟を見直し、個別自衛権のみを基本とするような、世界の流れに完全に逆行するような方針をとったとすれば、核兵器の議論をすることも視野に入ります。しかし、その前提はまったくもって現実的ではありません。逆に言えば、核を議論すると言った時点で、米国の世界安保戦略は方針転換を余儀なくされ日米同盟は破棄、日本の安保戦略は根底から変更せざるを得なくなります。さらに言えば、核兵器開発の疑惑をもたれている国への核拡散抑止力が低下し、また周辺国に侵略の意図ありなどと全く誤ったメッセージを送ることになり、日本は間違いなく国際社会の信用を失います。松岡洋右を再度生んではなりません。

次に情の話ですが、核兵器開発議論賛成論者のほとんどは、なんでアイツが持ってて偉そうな顔をして、オレは持っちゃいけないんだ、そんな弱腰でどうして国防ができるのだ、どうして自分の国を自分で守っちゃいけないんだ、というものだと思います。日本は言わずと知れた唯一の核兵器被爆国です。まずもって犠牲になられた方々の御霊の前に立ち、またそのご遺族の方々、そして被爆者関係者を前にして、どうして核兵器開発などと言えるのでしょうか。

広島平和記念資料館も訪問しました。毎回展示が新しくなり、未だに現在進行形であることに胸が熱くなります。

黒い雨の跡が残った壁、2歳で被爆し12歳で白血病で亡くなった佐々木禎子ちゃんの折った折り鶴、人型に熱線の影響が残った建築物の一部、皮膚がただれポーチのようになっている被害者の姿を映した当日の写真、薬局の長男坊である伸ちゃんの三輪車、18歳の乙女の抜け落ちた髪の毛、体内から取り出されたガラスの破片、焼けただれた皮膚を描いた被爆者の描いた絵、焼け焦げた乳飲み子を背に背負い歩く母親の絵、どれもどれも、とても言葉では伝えられないほどの悲惨さが脳裏に焼き付きます。館長さん曰く、まだまだ未発見の資料は存在するらしく、現在でも収集活動を行っているとのことでした。

昔、初めて訪れたとき、確かピカドンというアニメが上映されていたように記憶しています。最近では、あまりの強烈な映像に子供がショックを受けすぎるという理由で放映していないようですが、悲惨さを伝えるという意味においては、少しデフォルメするとしても、再開しても良いのではないかと思います(恐らく上映中止に当たっては多くの議論があったのだと想像できます)。

賛成論の方々には、誠にお忙しいとは存じますが、是非、毎年訪れて慰霊碑の前で献花して頂き、平和記念資料館に2時間でもお立ち寄り頂ければと思います。

恒久平和。そしてその為の現実的な安保政策。是非実現したいと強く思うものです。これは決して私の愛娘の誕生日が8月6日だからという訳ではありません。

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日韓慰安婦合意と韓国出張

自民党国際局の命で韓国ソウルに出張に行って参りました。

日韓関係はご存じのとおり近年悪化の一途を辿っておりました。安全保障上重要な隣国であるにも関わらず、日本人の心が届いてないことに、私自身忸怩たる思いを持っていました。少し過去を振り返れば、例えば、これまで韓国の国会議員と議論をすることが何度かありましたが、普段は全く気さくで人情味溢れる彼らも、公式会議では、全く別の課題が議論されているときでさえも、唐突に靖国神社・慰安婦などの歴史問題に関する独自の主張を繰り返し、全く聞く耳を持たないところに辟易とする場面が何度もありました。立場というものもあるのかもしれませんが、政治家であれば、特にクローズドな場面であればなおさら、大局的な観点での議論ができないものかと案じていたところでした。

状況が一転したのは昨年末、日韓国交正常化50周年・戦後70年を迎えた年の年末でした。日韓外相会談による慰安婦問題の合意です(この合意については既にブログに書き留めているのでご興味の向きはご参照ください)。これ以降、韓国側が公然と不満を口にすることは極めて少なくなったと感じています。

https://keitaro-ohno.com/?p=3005

この合意のポイントは、日本政府による改めての元慰安婦への謝罪、韓国政府による慰安婦財団の設立と日本による財政支援10億、日韓双方が国際社会で非難合戦をしないこと、韓国政府は在韓国日本大使館前の少女像の撤去の努力、韓国政府は第三国での慰安婦像設置支援をしない、ということです。

そうした状況下での今回の韓国訪問の私自身の目的は、この合意の誠実かつ確実な履行の重要性を訴えることにあり、同国政府要人並びに国会議員にお訴えを申し上げました。基本的な事項は確認できましたし、非常に友好的な雰囲気に終始した出張でした。

一方で、出張期間中に、この合意にある慰安婦財団が設置され、式典が行われました。我々はこの式典には当然参加はしておりませんが、設置に反対する学生運動家が式典ステージを占拠したり、同財団理事長が反対派に防犯スプレー用液体をかけられたり、またかけた容疑者が逮捕されたり、などといった騒動があったようです。また、日本の政界を始め各方面には、韓国側による少女像撤去の努力が見られない状態で日本が10億円の拠出をすることに不満もあります。

お互いに言いたいことは山ほどある、というのが現状ではなかろうかと思います。しかし、我が国家の安泰を考えれば、冒頭申し上げたように安全保障上重要な隣国であることは間違いありません。

であれば、我が国としてはこの合意を確実に誠実に履行することで、国際社会にアピールすることが最も肝要であるはずです。どこまで行っても、日本は約束を守ってますよ、と言えることが、長い目で見れば国益に叶うというものです。

【善然庵閑話】参議院選挙と例えば憲法改正と朱子学と陽明学

参議院選挙が終わりました。お世話になりました皆さまには心から感謝申し上げます。

○参議院選挙やら都知事選などに想う

ところで、参議院選挙前後に東京都知事問題が噴出しましたが、どうも一部の立候補予定者の発言が気になってしかたありません。安倍総理は暴走しているから都知事選に出るとか、安保法案に反対だから出る、という発言の論理も日本語としても理解できません。

参議院選挙でも、政策を競争するのではなく、相手の議席を取らさないことが目的だという政党が現れるわ、自民党が勝ったら戦争になるよと高校生や大学生に触れ込んで回る政党も現れるわ、理解に苦しみます。かつて自民党も相当劣化していましたが、さすがに選挙の看板政策が日本語を成さないものはなかったような気がします(といっても今回の選挙で我が自民党の広報の在り方は大いに反省する必要があると思いますが)。

○参議院選挙や都知事選と朱子学と陽明学

だからといって、儒学衰退によって政党が劣化したなどと言うつもりは毛頭ありません。ただ単に、前段の理解に苦しむ多くの有名人による発言を聞いていて、いろいろな先人先達たちの儒教に関する言葉、特に、朱子学と陽明学の違いを思い出したにすぎません。と言ってもそれらを自分は理解しているかどうかは甚だ疑問なので、ここは善然庵閑話シリーズにしておきたいと思います。

儒教は、広義の宗教であって人間を律する教えであり原理原則と捉えられますが、国家の在り方に大きく影響を与えた考え方であったことも多くの歴史家が指摘しているところです。

○朱子学

儒教と言っても朱子学が国家権力によるコントロールに使われることが多かったはずです。朱子学とは、孔子の教えを再解釈し理論統合した朱子という思想家の教えで、それまで論語の解釈が複雑怪奇になりすぎて訳が分からなくなっていた11世紀ごろの南宋にでてきたものです。これ自体はルターの宗教改革ほどの大事業だったと思いますし大天才だったと思います。

私にその意を解説する知識はありませんが、誤解を恐れず本稿趣旨に沿った部分だけをざっくり言えば、修身・誠意を行って徳目を積み、学び己を修めた人が、人を治めるというものであって、つまり学問を積んで物事を分析できるに足る人が政治を行うべきだということになり、逆に言えばそうした権威には絶対従えということにつながり、東大出てれば権力もてる、知識さえあればえらい、そういう人は絶対だ、式の考えにつながり、支配者にとっては極めて都合のよい教えになります。

日本でも江戸時代に、幕府の命で林羅山が朱子学を導入したことは、徳川幕府が長く続く理由の一つだと考えられます。

○陽明学

一方で、明治に入って陽明学に影響を受けた幕末の志士が、明治維新を起こします。陽明学は15世紀頃の王陽明が、当時、国家公認の教えとされ硬直化していた権威主義的朱子学体系に異を唱えて、いわば、従うのは権威ではなく、自らの信じるところだという説を唱えたもの。朱子学が知識や学問を重視するかわりに実践や物事を正すことを重視する考えです。

朱子学は先知後行と言って、考えることと行動することは別であって、思ってもやらないのが秩序だとしたのに対し、陽明学は知行一致と言って、考えることと行動することは常に同じであって、思ってもやらないのは思わないのと同じだと考えるものです。

陽明学はよっぽど朱子学よりイノベーティブであって、薄っぺらい解釈をすれば、時代に対処しやすい考え方です。日本には大塩平八郎やら吉田松陰・西郷隆盛などに伝播していきます。

○例えば憲法改正と朱子学と陽明学

ここまで来たら、何を言いたいのか分かっていただいたかと思いますが、例えば憲法改正に関する薄っぺらい議論を聞いてて思うことは、朱子学ど真ん中で行けば憲法は改正してはいけないものですし、陽明学の表面的な部分だけで言えば、憲法は改正しなければなりません。

でも憲法変えないのであれば、変えないなりに日本が安定成長を維持でき平和を享受できる方策を示さなければなりませんし、憲法を変えるのであれば、それにそって何が必要でどうやるのかを(憲法以外で)示さなければなりません。

憲法を変えなかっただけでバラ色の日本が待っているわけでもありませんし、憲法を変えるだけでバラ色の日本が待っているわけでもないのです。そういう意味においての陽明学を我々は勉強しなければならないのだと思います。

なお当然ですが私は憲法改正した上で日本を築いていく必要があると思っています。そう主張すると、9条や安保の事をおっしゃる人ばかりですが、そういう薄っぺらいことでは全くありません。

オバマ大統領の広島訪問に想う

先月末の5月27日、伊勢志摩サミットを終えた米国オバマ大統領は安倍総理と共に広島を訪れ、原爆慰霊碑の前にそろって立ち、在天の英霊に献花し、追悼の誠を捧げました。米国大統領の広島訪問はもちろん初めてでした。オバマ大統領の演説も安倍総理の演説も、別々に、そして総合して、とても感動的なスピーチでした。2012年に安倍総理が政権について、大きな歴史の一幕を政治家として、立て続けに迎えられることに、恐れ入っております。

98%以上の日本人が大統領の広島訪問を好意的に評価をしているという報道がありました。驚くべき数字であると同時に安堵しました。来訪に先立ち、大統領は謝罪しませんよ、とわざわざ米国報道官が表明していたので、余計なことをするなと思ったものですが、こういう事があっても98%の高評価というのは、日本人は確かに今でも日本人らしい心を持ち合わせているものだと思ったものです。

原爆投下の判断を下した国の大統領が、原爆投下された地を訪問する意味を、98%の人間が十二分に理解している。来るだけで分かる。謝罪をわざわざ求めるという気質も日本人には馴染まない。謝れと言って謝られても謝られた気は余りしない。さらに言えば、謝罪を求めようという意識などよりも、訪問による鎮魂に感謝する意識の方が遥かに強いように思います。

いずれにせよ、オバマ大統領の訪問の決断には大いなる敬意を表したいと思います。

なぜなら、先般5月初旬のGWに訪米した際に議会スタッフと議論になったのは、世論調査では、原爆投下は正当化されると考えるアメリカ人は56%であること(同様に考える日本人は14%)。アメリカは日本に謝罪する必要はないと考えるアメリカ人は73%であること。また、訪問が日本の右翼層を刺激する可能性があるか否か。中国や北朝鮮問題に対応するためには日米韓の関係が重要であるにもかかわらず歴史問題で日韓関係が望ましい状態になく、そうした状況下で韓国や中国を刺激する可能性があるか否か。アメリカの退役軍人を刺激する可能性があるか否か。一方で、トランプ候補が日本や韓国の核武装に触れているが、そうしたことを打ち消して核不拡散推進に実質的に寄与するか否か。日米同盟深化に寄与するか否か、など。果たして政権側がそんなことを考えたのかは分かりませんが、諸々総合的に判断した結果なのだと思います。

余談ですが、後日、5月中旬にケネディー大使とお目にかかる機会がありました。私からは、日本人は謝罪を求めるような精神構造にはなく大統領訪問が実現したら大多数の日本人は歓迎すると思うから是非大統領にはお越し頂きたい旨、お伝えしておきました。実は日程上訪問の可能性のある5月末には、5月29日というケネディー大使のお父さんであるケネディー大統領の誕生日があります。そんな日に訪問になれば、より歴史的に意味があるなと思っていたのですが、これは本当に余計なことなので申し上げることはしませんでした。

いずれにせよ、新たな歴史の一幕が明けました。日米同盟は間違いなく深化しました。地域の安定と平和はより確固となりました。よりよき世界を築く努力をして参りたいと決意した瞬間になりました。

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学校の先生が忙しすぎる件

地元で学校の先生にお目にかかる機会が少なからずありますが、それは自治会の行事であったり、コミュニティーの行事であったり、もちろん運動会などの学校行事やスポーツ団体の行事などで、です。
 
忙しいですね、と聞く方も聞く方ですが、先生方は、帰宅は夜の10時を超えることがほとんどで、朝はこれまた早い。聞くと、部活動やペーパワークに忙殺される毎日だそうな。
 
教育に求められる課題は社会の多様化やグローバル化によって多角化しており、教員は、通常の科目以外に、部活動から、英語・知財・プログラミングなどの基礎的教育から、いじめ対策、給食費徴収、住民対応、主権者教育など、カバーすべき質と量が格段に増えており、更に言えば、責任を行政という上流から現場という下流に転嫁するバイアスがかかるため、ペーパワークがどんどん増えてくる。ありとあらゆることが求められています。そうした多忙を極める教員の労働時間の問題が長年議論されてきましたが、もはや教員の能力の問題だなどと、逃げ込める問題ではなくなりつつあります。
 
更に財政上の問題から、生徒の数が減っているのだから教員数も減らすべきだとの問いかけがなされており、到底教育現場が機能するような俯瞰的戦略的行政がなされているとは思えません。
 
本質的には、教育現場の裁量や権限を増やし、教育現場に責任をしっかり持ってもらう方向に回帰するか、もしくは予算を費やし改善していくか、の2つの方向しかありません。
 
教員が忙しすぎて、本来業務、つまり子供の教育に専念できないという、ゆゆしき問題を一刻も早く改善するため、先般、自民党に議員連盟が立ち上がりましたが(塩谷立会長)、今般、その中間報告を馳浩文部科学大臣に提出しました。
 
今回の中間報告では、抜本的対策を継続的に議論していくこと、まずは18時までに退校できる環境整備を目指す事(かなりハードで高い目標ですが)、土日の部活負担を大胆に減らす事、付随業務のための事務職員配置や外部化の促進、などを骨子としています。
 
 
未来の為に!

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