来週から通常国会が始まります。国会は開会式から始まりますが、その際は天皇陛下にご臨席賜ります。そして陛下は退位されることが決まっていますので、平成最後の国会開会式となります。
平成を振り返ると、様々なテクノロジーが出現し、社会に大きな変化がありました。その功罪はよく分析しなければなりませんが、光の部分によって人々の生活様式が変わり利便性が向上し、新しい価値による繁栄がありました。我々は、平成の次の時代を睨んだSociety5.0の実現を目指さなければなりません。
そこで今日は、平成のその次の時代のテクノロジーと社会について改めて考えるためのベースとして、昭和時代に遡り、その時代の天皇とテクノロジーとについて触れたいと思います(テクノロジー=メディアと読み替えて頂いても結構です)。
ところで政治に身を置いていると、ときどき儒家経典などの古典を学ぶ機会に恵まれます。つい先日も1時間以上にわたって有識者に堯舜の原文を解説いただきました。余談ですが、その時代の尭や舜が先に生じた統計問題を見たらなんて思うか、などと思ってしまいます。もちろん、四書五経を読んだからと言って直ちに善政が可能だとは全く思いませんが、それでも多くの気づきを頂きます。
例えば性善説で有名な孟子。江戸時代にはまぁまぁ日本にも普及していたのだと思いますが、孟子の唱えた易姓革命論(王朝は腐敗し徳がなくなると、天によって王朝が変えられる)は全く日本では受け入れられなかった。
なぜならば、皇室は天照大神をルーツにもつ皇統とされていましたから、単純に考えれば、天命が改められたら困るわけで、仮に血統の分断じゃなくて徳の分断だと言われたところで、分断思想は日本では受け入れられなかったのだ、と思います。
ただ、天皇を歴史上の日本人がどのように感じていたのか、というと、いろいろ読み漁りますと、昭和初期の一時期のみが異質なものに見えます(敗戦後はもちろん別として)。明治政府が帝国憲法で、大日本帝国は天皇が統治するとし、また天皇は神聖にして冒すべからず、として神格化することで統治上の安定化を図ったのがその始まりだと思います。ヨーロッパのコンスタンティヌスがキリスト教国教化で安定化を図ったのと非常に対照的です。
明治政府は統治のツールとして天皇の神聖性を利用した。徳川幕府が朱子学を利用したのと対照的です。このことは、おそらく悪意というものではなく、それまでの漠然とした天皇のもつ神聖性というか敬意から考えると自然だったのかもしれません。ただ問題は、昭和の時代に入るとラジオの普及というテクノロジーの進化があった。民衆運動とメディアのうねりが大きな力を持つに至ります。このことは、ヨーロッパで言えばグーテンベルク的要素となったことと対照的です。
本来、明治政府が考えた天皇の神聖性は統治上のものであったはずですが、未熟ながらも議会制の下でテクノロジーと天皇の神聖性が合わさった結果、政府には統治できない程の力になっていきました。つまり、統治側が統治の目的で天皇の神聖性を利用し始めれば、瞬く間に国民の中の天皇の神聖性が高められ、統治側が統治できない程に民衆からの天皇崇拝圧力が加わるというような例です。例えば、統帥権干犯問題や天皇機関説事件などは典型です。日本は強くあってほしいという願望と現実のギャップをそうした歪んだことで埋めていった時代です。そもそも論理的に、統治者の神格化を根拠とする統治の在り方は、民主主義とは馴染まないどころか、齟齬をきたすのは当然です。コンスタンティヌスの試みがルター×グーテンベルクによって粉砕されるのと同じです。
古来からの日本人の天皇観というのは、おそらく極めて漠然とした神聖性であったのだと思います。神聖性というよりは、尊重すべき伝統と言った方がいいのかもしれません。それは、キリストとかモハメッドとかの肉体的現実的物理的可視的概念でなく、八百万神的な抽象的不可視的概念であったはずで、何となく神的に尊重すべき概念であったのが日本古来の天皇陛下像であったのだと思います。古典を紐解くと天皇が極めて世俗的に描かれているものもあります。明治政府が想定した天皇像では決してあり得ないし、それこそその古典は不敬罪になる(例えば源氏物語)。それを神聖なるものと明文化した明治政府は、その破壊力を理解していたとは思えません。ましてや、テクノロジーと民主主義が組み合わさった時の、統治方法を想像しえていたとは思えません。
倫理観・道徳観・宗教観・文化・伝統。そしてテクノロジーの進化。そして社会があって、政治がある。自由・民主主義であるならば、この4つは政治を行う上では常に意識しておかなければならないのだと思います。
なお、余談になりますが、韓国と種々の問題が沸騰しています(朝鮮労働者問題、日章旗問題、火器管制レーダー照射問題など)。党内では、沈静化不可能なレベルにまで達しています。本質的な原因というか淵源は、韓国にとって日本が悪者でないと成り立たないことにあると思います。韓国憲法には建国精神の淵源として有名な3・1独立運動(抗日独立運動)が記載されています。この独立運動によって韓国臨時政府が樹立され、大韓民国はこの精神を受け継いで樹立されたものだ(日本と戦って独立した)ということになっています。そもそもこの臨時政府に正統性はないのでそういうことにはならないのですが、いずれにせよ日韓がこの時代に戦ったことはないわけで、懲役3年以上の刑を受けた者はいなかったとか、石橋湛山は理解を示したとか、朝鮮総督府がこの事件を反省に武力による統治から文化による統治へと手法を緩和し、以降同種の事件はなくなった、とかいう記録もあるので、独立運動は鎮圧されたというのが実態なはずです。つまり現実には、単純に日本が太平洋戦争に負けて朝鮮から出ていったということ。この解釈には広大なギャップがある。
ある種、この建国精神の淵源が神格化していて、現在の韓国政権は、国民×メディアの呪縛から解放されることはないのではないか。これは、戦前の大日本帝国憲法の天皇神聖化と同じ効果をもたらしているのではないか、そう思えてなりません。