(とある機関紙に寄せた原稿を一部加筆訂正して掲載します)
私が政治の道に飛び込んだのは、米国で同時多発テロが発生した数年後、丁度世界の安全保障環境が大きく変わろうとしていた時代でした。それまでは、いわゆる理科系ド真ん中の人生を歩んでおり、それはそれで充実した時間を過ごしていましたが、私の心の中に何か消し去ることができない靄のようなものを感じていました。大学生のころ湾岸戦争が起き、国家そのものの意味、つまり国とは国民にとってどういう存在であるべきなのか、ということを明確に意識してからのことでした。そんな折に、機会があり防衛庁長官の秘書官となりました。まさに私にとっては天命であったのではないかという錯覚さえ覚えました。
そして昨年の八月は、私にとって重要な意味を持つものとなりました。政治家としての志を表に出した瞬間です。自民党による香川3区衆議院候補者公募があり、選考会では、所信表明に続き、教育問題や領土問題、国会改革などに関する質疑応答を行い、二〇〇名以上の委員による投票の結果、自民党公認を得て衆議院選挙に臨みました。今、政治家として第一歩を踏み出しましたが、それも多くの方々のご指導ご鞭撻ならびにご厚情の賜物であり、心から感謝しております。
現在、わが国を取り巻く国際情勢や経済・外交、社会状況は混沌とし、確かな将来が見えない状況にあります。その閉塞感を取り除くことが先決です。そのために必要なのは、まずは政策の芯を確立することであり、その芯とは経済の安定成長が当面の国家の主是であることを再確認することです。新しい成長モデルを創造するために大胆に地方分権を推進し、さらに明確な産業戦略に基づいた将来価値を生む領域への投資を積極的に行い、同時におぎゅう荻生そらい徂徠や高橋是清も驚くほどのリフレ政策(インフレの発生を避けながら金利の引き下げや財政支出の拡大などで景気を刺激し景気回復を図る)を断行することです。これは公募が行われた時点でお訴え申し上げたことでもあります。
しかし、それ以上に重要なのは、日本人の心の芯を確立すること、つまり日本人とは何かを再確認することではないでしょうか。今、日本を見渡すと、核家族化や終身雇用制の崩壊などによる労働意識の変化により帰属意識が失われ、自分さえ良ければという義務や責任の伴わない不健全な自由主義が横行しており、日本の美徳とされてきた伝統文化や道徳的アイデンティティが大きく問われています。日本は目指すべき方向を見失った漂流船のように私には見えます。
戦後、日本人とは何かということについて、多くの論が著されていますが、『日本辺境論』を著した内田樹氏も言うように、日本というのは、有史以前から何となくそこにあったものですから、そこで生まれ育った日本人の意識の中には日本というものが築かれた原点というものがありません。人間、困ったら原点に戻ることを試みますが、日本人はその原点すら持ち合わせていません。ですから困難が生じたときには、相対的な同時代の空間軸の中で、世界各国との比較や他社の動向などでしか物事を考えられません。しかし政治の果たす役割は、その空間軸の中だけでなく、過去から未来へ進む歴史という時間軸の中で原点を探すことであり、それによって先人たちの思いを知り、次代を担う子どもたちへの未来図を描くことが重要です。
例えば議員になった今年四月二三日、私は多くの同僚議員と共に靖国神社に昇殿参拝し、戦没者へ深甚なる哀悼の誠を捧げると同時に恒久平和への努力をお誓い申し上げました。それに対して一部の海外メディアは右傾化と評しています。しかし真実は異なります。我々は閉塞感を払拭すべく、歴史という時間軸の中で日本人とは何かという原点を探し求めているのです。
■日本を取り巻く国際情勢に対応できる法整備を
日本の安全保障法制はここ十年で劇的に進化しましたが、依然不足はあります。平成二二年九月に生じた中国漁船衝突事件以降、東シナ海海域には数多くの中国船が押し寄せ、最近では連日のように中国公船が領海侵犯を繰り返しています。もっとも重要なことは冷静に判断することであり、挑発に軽々に乗らず、世界に現状を訴え国際世論を形成することです。しかし、侵犯が繰り返され既成事実化されれば、日本は極めて不利な立場に置かれることになります。ではなぜ平然と繰り返すのかと言えば、日本が当該行為に有効な対処を持ち合わせていないことを中国は知っているからに他なりません。
現在、水際では海上保安庁の巡視艇が対処していますが、これは市中の警官と同じ警察権を根拠とした行動です。つまり出て行って頂けませんか、と口で言うことですが、簡単に聞いてくれることはありません。海上警備行動という自衛隊出動も可能ですがこれも警察権の範疇を超えません。唯一の実力対処は防衛出動と呼ばれる自衛権発動ですが、自衛権を発動できる要件は定められており、当該行為には適用できません。つまり、警察権と自衛権のギャップが大き過ぎるのです。
家の玄関を開けっ放しにしておいて、泥棒に入られたと嘆くのではなく、鍵を三個も四個も付けて、事前に泥棒に諦めてもらうことが必要なのです。そのために、この自衛権と警察権の溝を生める新たな法整備が必要なのです。
また、鍵を急に多くつけると、ご近所様に訝しげに見られがちになります。なぜ多くの鍵を付けたのかという理由を丁寧に説明して回らなければなりません。つまり、なぜ日本が安全保障関連法制の整備に注力するのかを、詳細に国際社会に発信していく必要があるのです。
さらに、泥棒が鍵を見た時に「これでは太刀打ちできない」と感じさせなければなりません。安全保障に資する科学技術政策を進めていくべき時代なのです。
日本の安全保障法制の不足はそれ以外にも存在します。例えば今年一月に発生したアルジェリア人質拘束事件のように、多くの在外邦人がテロの犠牲になっています。現在の法体系では、邦人救出はできません。自衛隊は国際協力活動ができるようになりましたが、現場では際どい判断を余儀なくされる法律になっています。仮に法整備を進めたとしても限界はあります。なぜならば憲法上の制約があるためです。
日本国憲法は昭和二二年に施行され、その四年後、わが国はサンフランシスコ講和条約締結により独立を果たしました。それから六〇年以上が経った現在、世界情勢は大きく変わりました。新しい時代の新しい憲法に改める必要があります。
■国家の最重要課題・人材育成に向け、知の集積と継承に努める
古代ローマの時代、カイロに次ぐエジプト第二の都市・アレキサンドリアは、何世紀もの間、文明世界の知的都市であり続けました。それは数多くの著名人が輩出されたからですが、理由は世界最大の図書館があったからに他なりません。当事、優秀な人材はアレキサンドリアを目指しました。驚くべき史実が残っています。それは戦禍により何十万冊の蔵書が消失したとき、クレオパトラがわざわざ巨費を投じてまでベルガモン(現トルコ)から図書館を移築させたというものです。当事の為政者が、図書館という知の集積と継承の意味を十分に理解していたことを示すものです。
国の発展には知の集積と継承と、それによる人材育成が最重要課題です。決して図書館をつくろうと言っているのではありません。例えば科学技術の分野では、二番ではだめなのか、ということではなく、一番を目指す人材が必要なのです。すぐに成果を求めて無駄か無駄じゃないかという議論も大切ですが、知の集積と継承が可能な施策を講じ、人材を育成することの方が本質的に遥かに重要なのです。
「先憂後楽」―。中国の北宋時代の政治家・范仲淹が政争に明け暮れる国家にあって、為政者の心得として『岳陽楼記』に残した言葉です。この意味は、「天下の憂えに先んじて憂え、天下の楽しみに後れて楽しむ」ということから、「国家の安危については人より先に心配し、楽しむのは人より遅れて楽しむこと」と、国政への心構えを述べた言葉です。
私も常に「先憂後楽」の心を持ち、心豊かな国家の創造に努めてまいりますので、変わらぬご支援をお願い申し上げます。