堀口大学と閔妃事件と戦争の世紀と

先に発生した風刺画週刊誌出版社襲撃テロでフランスに触れたついでに、ふと思い出したのですが、小学生の頃、何かのきっかけで見たフランスの画家、マリー・ローランサンについて、母親がその名前を何度も呟いていたことがあり、その作品が良いとも悪いとも何の感想も持たず、ただ漠然と、しかしハッキリと覚えているのを、40歳を過ぎて自分で不思議に思ったりしています。

司馬遼太郎風に少し脱線すると、このマリー・ローランサンは、第一次世界大戦の直前にドイツ人伯爵と結婚したことによって亡命生活を余儀なくされるという戦争の歴史に翻弄される人生を歩んだ有名なフランス人画家。同い年にココ・シャネルもいます。2人は有名人同士ということもあってか交流があったようで、シャネルはローランサンに肖像画を描いてもらっています。しかし、気に入らず返品。その作品が今でもどこかの美術館にあるそうですが、それはどうでもいい話で、シャネルも戦争の歴史に翻弄されている。というのは、二次大戦の頃に進駐してきたドイツ人将校と親密な関係になって、情報を一生懸命ドイツに流す。だから、戦後はシャネルはフランス国内では売国奴扱いされながら惨めな生活を送ったそうですが、結局はデザインの才能を見いだされ国内でも認められるようになる。如何に戦争とは生身の人間の人生を翻弄するのかと思い知らされます。

脱線しましたが、なぜ、この自分では特段の関心の無いマリー・ローランサンについて書き始めたのかと言えば、先日、NHKのドキュメンタリー、彼女と恋仲にあった日本人がいた、ということをやっていた。誰だろうと思ったら、詩人の堀口大學。私自身は堀口大學に大きな関心があるわけではないのですが、そのお父さんには大いに関心あったので、ついつい引き込まれてしまいました。

堀内大學の父、堀口九万一。日本で初めての外交官試験合格組です。後にサムライ外交官と呼ばれる人です。最初の任地は仁川。ところが初っ端から大きな事件を扱うことになる。いわゆる、閔妃(ビンヒ)事件です。日清戦争が終わった直後くらいの朝鮮半島で発生した、国母と言われた王后、閔妃、の暗殺事件のことです。日本ではほとんど知られていませんが、韓国に行けば、それこそ日本で言う忠臣蔵と同じように語られる事件です。

閔妃は夫である王が政治的に無欲かつ非主体的であったこともあり、卓越した政治能力を駆使して、国内を独裁的に思うがままに操っていた一方で、大院君(閔妃の義理の父親)と実権を巡り異常な対立関係にあった(実権は2人の間でコロコロ変わっていたのか)。

壬午事変(じんごじへん)はこの対立の中ででてくる話で、近代化を進める改革開放路線の閔妃と守旧派で鎖国攘夷政策の大院君という構図の中で、大院君側の閔妃側に対するクーデターであり、近代化に加担した日本公使館の多くの館員も犠牲になっています(事後処理に朝鮮は関与しておらず清国によって裁判が行われ関係者が処刑されている)。

その後、東学党の乱(甲午農民戦争)が起きる。東学とは、道教などの中心とした思想で攘夷・減税が基本姿勢。閔妃と大院君の間で繰り広げられる政府内の権力闘争で一般庶民は疲弊の極致にあり、政府を頼れない東学に影響を受けた農民が蜂起。主要都市を占拠する事件です。

この東学党の乱の際に執政を握っていた閔妃は、混乱収拾のため清国(袁世凱)を頼る。日本は朝鮮半島での清国の影響が強まるのを嫌い、国内ですったもんだの議論の末、軍隊を派遣する。清国の軍隊派遣理由は清国は朝鮮の宗主国であり朝鮮の派遣要請に基づくものとされた。日本の派遣理由は、日本は清国の朝鮮への支配を認めていないというもの。いずれにせよ、清国も日本も急激に朝鮮への関与を強めていった結果、対立が避けられない状況になり、日清戦争が発生する。そして下関講和条約で朝鮮は清国から独立することになり、清国に代わって日本が朝鮮半島に対する影響力を強めることになる。

その際、日本側の影響力拡大と大院君の権力奪還の思惑が合体し、閔妃の暗殺という誠に19世紀的で現代的文脈では到底想像もつかぬ悲劇を生む。堀口九万一は領事官補で着任したばかりでしたが、大院君との交渉に当たっている。漢詩による筆談を行ったという記録が残っています。そして日本では関与した日本人全員を裁判にかけています。

と簡単に書きましたが、見方もいろいろで、もうぐちゃぐちゃで何が何だか分かりにくい。しかし、重要なことは、我々は外国から見た日本もしっかり学ぶべきだということです。韓国の朴槿恵大統領の日本に対する言動は時には辟易とするものもありますが、海外の歴史を海外の目で見てその目から見た日本を我々は勉強すべきだと思います。

第二に、一体韓国では、この閔妃事件はどのように子供たちに教えられているのかということ。けしからん日本人という文脈で教えられているのか。全く違う話をすれば、例えば、殆どのアメリカ人は日本に2発の原爆を落としたことを、戦争を終わらせるためと考えている。日本人としては、そんな単純なものではないだろうという複雑な思いが残りますが、教科書的には、原爆が落とされて、その後に日本は降伏したと単純な記述になっている。ここに、憎(にっく)きアメリカ人とはなっていない。もし、憎(にっく)きという表現になっていたら、今の日本はあるのだろうかと思ってしまいます。

閔妃事件の遥か後、今の朴槿恵大統領の父親である親日家の朴正煕大統領暗殺未遂事件が起きています。この時、奥様の陸英修が流れ弾で犠牲になっています。当時、犯人は日本人だと報道された(後日明らかになりますが、実際は、日本で活動していた北朝鮮工作員で在日朝鮮人)。その時、韓国では反日感情が高まった。日本側の謝罪がないからと本当に国交断絶寸前までいった記録が残っている。その時に語られたとされる言葉が、”またも”国母が日本人に殺された、というものだったとか。恐らく日本側としては、ハトが豆鉄砲を食らったような状況だったのではないかと思います。もちろん、即座に犯人への非難声明と、事件解決協力の表明くらいは、直ぐにすべきだったと思いますが、恐らくしたところで謝罪がないということになるのだと思います。

相互理解というのは、互いに理解しようとそれぞれが努力することであって、理解を強制させる方向で相互理解なんてものは存在しえないと思うのです。

我々は過去の戦争については、現代的な文脈でとらえると、我々は大いに反省し近隣諸国に大いにご迷惑をおかけしたこと、大変に申し訳なく思い続けています。これからもそうでしょう。そして自分の先祖の行為を痛ましく情けなく思わせられる教育も受けてきました。

しかし自分の先祖の存在に自信が持てないで自分に自信がもてる筈がない。このことに、1990年代後半に我々は徐々に気付いてきたのです。我々の世代が特に当てはまります。自信を失った世代の自信回復。1990年代以降の日本の経済力の停滞と個人個人の頑張る意識の低下が、必ずしも関係ないとは言えないのです。決して過去の行動を正当化するものではありません。むしろ過去を正面から見据えて内なる方向に改めて誓いを立て、しっかりと立っていく。それは、経済の文脈であって、軍事の文脈ではないのです。
 
だからこそ、過去の戦争については大いに反省し二度とあのようなことは繰り返さないと改めて誓うことは全く同じですが、そこに全てが引きずられたままでは立ち直ることができないということを安倍政権はやろうとしているのだと私は理解しているのです。右傾化などという文脈とは全く異なる路線であって、極めてドメスティックな教育改革とも言えるかもしれません。

韓国と中国は勢い誤解をしている場合もありますし、あるいはわざと誤解をしているのかもしれません。わざと、とは、歴史問題と現状の安保情勢への対応策を混ぜて論じることです。この2つは全く異なる文脈です。後者は、戦争を起こさないことが目的であって、安保法制を守ることが目的であってはなりません。50年後の教科書に、2015年の国会が国際情勢の変化に目をつぶって紛争になった、と記述されるようなことになってはいけません。

以上のことは、日本の国会議員として外国の方にお目にかかる機会と時間があれば必ず申し上げることです。目的は、過去の反省に基づいて、二度と戦争を起こさないことであって、あくまで平和なのだということを申し上げるためです。

昨年、朴大統領の報道に関して名誉棄損があったとして産経新聞の局長が在宅起訴されたのが昨年10月8日。奇しくも閔妃事件と同じ日です。そして一部で閔妃事件謝罪要求運動が持ち上がった。今年は120周年。閔妃事件で謝罪要求と言うなら壬午事変で謝罪要求返し、ってなことを言い始めるときりがないのです。そんな繰り返しでお互いが損をする互損関係になるより、こうしたことを二度と繰り返さないためにがんばろうと誓い合う方が健全だと思います。そのためには政治は勇気を持たなければならないのだと思います。

いずれにせよ、戦争は生身の人間の人生を翻弄します。絶対に避けなければなりません。