すごいぞ香川の農産品

先月の話ですが、青果や花卉では日本最大の取引量を誇る東京大田市場にご意見を伺うために、超強行軍で上京してまいりました。

もともと一次産業については、6次産業化や海外輸出や官民連携ファンドなども含め、需要喚起・需要サイドにも視点を置かないとダメだ、と思っています。政府が単純に生産サイド・供給サイドに農業補償や所得補償をするのは良いのですが(自民党も民主党もこれは同じ)、例えばもともとコメを1合しか食べない人が突然2合は食べない。むしろコメ離れが進んでいるから減っている。で、需要が減れば価格が下落するのは当然で、下落すれば農家は安定生産ができない。そこに減反やら所得補償をして生産者を応援するのは良いのですが、根本原因ではない。

そんな思いを胸に、需要の一つのルートである大田市場関係者との意見交換に向うわけですが、直接的にこれらに答えを得たわけではありませんが、他の話が実に面白い。

先方がおっしゃるには:「いくらでもさばいてあげるからもっと供給せよ。価格も最近はいい値で取引されているから生産者も頑張って欲しい。特に香川の農産物は土壌と天候が良いから市場関係者の間では良いものができるという認識はある。問題は量だ。面積だ。生産者にとって収入は面積の掛け算だ。香川はいいものができるのだから、もっと供給せよ。」

凄いぞ香川の農産品。ただ、総需要量が幾らでも市場で増やせるかというと当然そうではありません。恐らく香川から来たということで、応援のメッセージだと理解しています。というのは、実際、市場には香川会やら讃岐会という応援団体があるそうなので、品質としては良いという理解を得ている。しかし、量の問題・安定供給の問題がネックになっている。そこが、需要と供給の間の意識のギャップになっている。

であればこそ、なおさらそのギャップを埋めないといけません。

そのギャップは、生産者も農協も市場も需要側も国も埋める努力をしないといけない。

成功例はあります。例えば生産者がギャップを埋める努力をしたケース。果物をつくってらっしゃる若手農家さん。ジャムやらジュースやらに加工して販売し更にレストランにも手をだし売上げが何倍にもなっているとのこと。

ぜひともこういう形態を応援したい。しかし、これは全員ができる話ではない。だから国も民間も立ち上がらないといけないと思っています。

つづく

日本もインフレ目標を!

お、いよいよか、と感慨を持って当日の新聞一面を見ました。2012年1月25日。アメリカが金融政策としてインフレターゲティングをとうとう導入しました。インフレターゲティングとは、物価上昇率の目標値を定めて金融政策を決定することで、外国でも導入さている手法です。

私はもともとインフレターゲティングや国債の日銀引き受けには慎重でしたが、これ以上周辺国が金融緩和策を続け日本が何もしなければ円高は固定化します。こんなところで為替の単独介入などやっても全く無意味です。デフレも固定化してしまっています。根幹的な問題を考えなければなりません。それには日本も導入検討が必要だと考えるに至っています。

少し説明しておきます。景気をコントロールしようと思えば政府ができることは大きく分けて2つ。政府がおカネを出して何かをすること(財政政策)と、皆さんがおカネを貸し借りする金融市場の金利等を中央銀行が上げたり下げたりすること(金融政策)です。前者は定番の公共事業で、後者は公定歩合や買いオペ売りオペなどと言われる操作です。

で、少しくどいですが、金融政策。何を目標に運用するのか、といえば、一番オーソドックスなのは、金利を目標にします。ところが歴史的には、80年代前後にアメリカやイギリスで貨幣供給量を目標にする金融政策(マネタリズム)がもてはやされました。が、成功したような失敗したような結果となり、その後、貨幣供給量ではだめだ、ということで、目標値としてインフレ率が取り沙汰されるようになりました。

マネタリズムは、景気対策が財政政策では限界があり金融政策を重視する必要があることを訴えたものと理解しておりますが、今では当然、財政政策と金融政策をうまくミックスして運営しなければならないと理解されています。

で、アメリカ。バーナンキFRB議長は元からのインフレターゲット論者で(というか権威)、もう少し早く導入するのかと思っていましたが、流石に慎重だったのでしょう。就任後から6年経った時点での採用となりました。先日、バーナンキは、財政出動の必要性を訴えていましたので、あれ?ぶれたか?と思いましたが、ぶれてはいなかったようです。

で、日本。昔、ノーベル賞を貰ったポール・クルーグマンなども日本の金融政策を批判していますし、多くの国会議員も積極的に導入の議論をしています。検討が必要だと感じています。

ただ、経済を支えているのは有効需要です。金利が極めて低いために財政政策が思うように機能しないということはあるかもしれませんが、だからと言って仕事がなく、資金需要もないのに、金融政策だけいじったって何にもなりません。財政政策が一番。それに追従するように、金融政策を行い、その目標値としてインフレ率を検討する、これが必要だと思っています。

自民党は野党としての本旨を果すべき

通常国会が始まるが、そのメインテーマである増税議論について、自民党は民主党による協議にはいまだ応じる構えを見せていない。なぜか。理屈は単純である。やると言っておきながら簡単にやめてしまい、やらないと言っておきながら簡単にやってしまうグループに与すれば、自らも変節扱いされ、筋が通らなくなり、自らの組織がおかしくなり、運営が困難となり、しいては政治全体の信頼が損なわれ、マニフェストの存在も更に軽んじることにもなる。

しかし、果たして本当にそうなのだろうか。

確かに玄人である政治家同志の間では既述の理屈はありうる。しかしこれでは、自民党が脱しなければならない政治家のための政治というイメージを脱することはできないのではないか。このままだと、一般から見れば、解散に追い込みたい、というだけの、非常に中身の無い闘争になるだけである。

なぜ09選挙は政権交代が起きたのか。本質は、まさにこうした「政治家の政治家による政治家のための政治」に国民が嫌気をさしたということに他ならない。自民党としては、国民に分かり難い政治であっても国のためになしてきではないかという自負もあるのかもしれない。しかし、国家のためという目標には一応向っていると当の自民党が思いながらも、平行した隣の線路にいつのまにか移ってしまい、あれそれでいいのか、それではいかんだろう、という国民の不安を掻き立ててしまったことは重要な問題である。

つまり、政権交代というのは何だったのか、と今問われれば、もっと分かりやすい政治をやらなければならない、という国民の痛烈な自民党批判であったという一言に尽きる。だから当時の民主党の言う「国民目線」「国民生活が第一」という当たり前すぎて話にもならないキャッチフレーズがキャッチフレーズとして機能したのだ。

冒頭提起した現在の自民党のやり方は、玄人的ではあるが、一般からみれば非建設的な、駄々っ子にしか映らない。そういう下らん論争はやめ、増税率はどういう根拠に基づいているのか、つまり年金をこういう制度にして、そのためにこのくらいおカネがかかるから何%の増税になっているんだ、という説明を求め、さらに、景気が悪いのに今でなければいけないのか、本当に増税は復興とは関係ないのか、などなど、中身の論争をしっかりして、(私は将来的な増税は必要だが今ではないと思っている)、相容れれるところはより良いものにする努力をし、全く相容れないものは理性的建設的批判する、こういう姿勢に自民党はならなければならない。

海賊対策は日本が責任をもって

先のホルムズ海峡で思い出しましたが、3年前にメールニュースにて海賊活動の状況をお知らせしました。その際、マラッカ海峡(東南アジア)の海賊は日本自らの努力もあってかなり減ってきたけれど(RECAAP)、ソマリア沖は激増していると申し上げました。

日本の原油の中東依存度は8割以上です。日本自らが責任をもって対処しないといけない問題です。誰かがやってくれるだろうでは解決しません。3年前に指摘した事案が現実のものとなっています。

海賊の発生件数などの情報は国際商業会議(ICC)に犯罪情報サービス(CCS)というところがリアルタイムに報告しています。最近ではツイッターで情報を発信しているようです。

http://www.icc-ccs.org/piracy-reporting-centre/piracynewsafigures

ソマリア沖を航行する船舶は年間2万隻。内、日本に関係する船は2千。そして被害件数は237件で、3年前の110件の2倍以上。つまり3日に2回は海賊被害が発生していることになります。

日本は内政ばかり注視していないで、こうしたペルシャ湾やソマリア沖海賊対策について、マラッカ海峡で行ったようなRECAAPなどの国際枠組みを、主体的につくれないか真剣に考えるべきです。

RECAAP : http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kaiyo/kaizoku_gai.html

ホルムズ海峡を巡る財務相発言は日本を貶める

ホルムズ海峡(ペルシャ湾)の緊張を巡る一連の我が国政府の対応について、まず事実経緯について簡単に触れておきます。

・イランの核開発疑惑についてアメリカが経済制裁(原油取引)を表明
・イランがホルムズ海峡封鎖を示唆(UAEやクウェート・サウジなどからの原油航路)

・アメリカが日本にイランからの輸入制限を依頼
・財務大臣、ただちに1割の削減を明言
・外務大臣は、対イラン戦略との関係で削減を牽制
・経産大臣も、1割削減が経済界に与える影響を考慮し削減を牽制
・最終的に官邸は調整できず、3大臣「削減の方向で努力」との曖昧な表現に終始

以上が正しいとすればの前提ですが、怒りをもって問題点を指摘しておきます。

先ずはじめに、なぜ安住大臣が官邸や関係閣僚との調整全くせずに、これだけ大きな外交戦略に直結する案件を簡単に安請け合いをしたのか、についてです。

第一に、外交戦略そのものについてです。これが主張の最大のものです。

日本はイランと歴史的に良好な関係を維持してきました。つまり、アメリカとイランの仲をとれる立場にあった。麻生総理の際には、携帯電話で先方外相などと気軽に話せる関係を築いていたはずです。であれば、今その関係を使うべきです。

そもそもこうした制裁行動は国連の決議に基づくべきが本旨です。アメリカの禁輸制裁に同調などせず、我が国は、「イラン核開発には大きな疑念を持っている」「イランは国連決議に基づく行動を期待する」「アメリカの石油輸入削減は国連決議に基づくべきである」とするべきであった。もともと民主党は国連中心主義とおっしゃっていたのではないでしょうか(私は反対ですが)。

アメリカは、もともと国連決議に応じてこなかったイランに業を煮やして種々の制裁を行っています。それに反発してイランが仮にホルムズ海峡の封鎖を強行したら、アメリカは軍事行動も辞さないとしています(空母を1隻追加派遣)。イランからみれば封鎖してしまえば原油の輸出もできなくなり、実際には封鎖はしないのではないか、という見方もありますが、緊張によって原油価格を吊り上げられるという目論みがある。

まさにチキンレース。仲をとるシステムが何か必要な問題です。そして、核開発疑惑に関する国連決議に基づく行動の一つでも譲歩を日本がイランから引き出せれば、緊張はすっと緩和するはずです。原発事故を起こした日本としてはなおさらそうした行動が必要なはずですし、理解されるはず。

第二に、アメリカとの関係が築けていないことをもっと考えるべきです。

イラン制裁は国連決議で議論されていますが、アメリカの独自禁輸制裁はアメリカ国内で暫く議論され議論されてきたもの。アメリカと日本に本質的に強固な関係が樹立されていれば、アメリカは事前にこうした協力をお願いするかもしれないよ〜と日本に持ちかけてくるはずです。ところが、突然財務長官が財務大臣のところにやってきて、やって頂戴よ、の一言。少なくとも1週間前に言って来いと追い返すくらいの胆力がほしかったです。

第三に、産業戦略の問題。

イランからは全原油輸入量の1割弱だそうです。多くはありませんが少なくは無い。今の日本はエネルギー問題に敏感な時期です。少なくとも経産大臣と協議するべきですし、そもそももっと議論が必要もののはずです。

第四に、政治と官僚の関係、民主党的政治主導の問題です。

発表は米財務長官が来日したときに共同記者会見で行われています。であれば日米間の事前の調整は必ずあったはずです。であれば、確実に大臣官房は通っています。普通であれば、秘書官なり大臣官房なりが調整を図るはず。なぜ大臣が勝手にそんな国家戦略に関わる重要なことを勝手にできるのか。役所が全く機能していないのではないか。

相変わらず大臣は権限ばかり振るい役人は責任逃ればかりをし、結果的に大臣が本当に裸の王様になっている状況が相変わらず続いているのではないか?政治(大臣)とは、結局責任は採るから君(官僚)たち仕事をして頂戴、と言うのが理想だと感じていますが、今は、私(大臣)が仕事をするから責任は君(官僚)たちとってね、が多い。それでは、役所は動かないと思っています。

第五に、上記の問題を指摘されたのか、安住氏はどこかの講演で、その理由を語っていますが、その理由に、アメリカの国防授権法(NDAA)を引っ張り出してきています。これは絶対にあとづけの言い訳であって、役所の入れ知恵だと確信しています。

NDAAというのはアメリカの法律です。国防に関して事前に行政に権限を与える法律で毎年何らかのことをやっています。今回は、イランへの経済政策が盛り込まれています。その中で、アメリカ政府は、イランとの取引がある国内外の金融機関との取引停止をアメリカ金融機関に命ずることができる条項がある。

つまり、おっしゃりたかったのは、早めにイラン制裁に協力しておかないと、いつNDAAが発効されて金融危機に巻き込まれるかもしれないということだと思います。

しかし、普通の国というか、普通の人であれば、こういう場合、日本がもしこれこれこういう協力をしたらNDAAの規定から除外してくれますよね、と確認してから、制裁を発表しませんか?というか絶対にアメリカと調整するはずです。その痕跡が全然ない。もう少し真摯に対応して欲しいと思います。

自尊心を擽る生活保護

私が就職した90年代初頭はバブル崩壊直後。生活保護受給者人口は60万人と最低水準でした。ところがそれから単調増加して今年は200万人を越しています。国防予算とコンパラの政策経費がかかっています。長引く不況で職にありつけないことが主原因です。誰しも本当に困ることはあります。私の知人で生活保護受給者でメルマガを読んでいただいている方もいらっしゃいますが、悪循環から出てこれない状況は誰にも起こりえます。だから最低限の補償は絶対に必要です。

しかし、現在の政策では、種々の給付事業によって実質の対象者への公的支出が、日本人の平均年収より多くなっている場合があるとのこと。母子家庭生活保護世帯では、真面目に働く世帯より、恵まれる場合がでているとか。生活保護のほうが、普通の年金より多かったり、そして、無理やり離婚してまで受給しようとすることもあるとか。ちゃんと調べなければいけませんが、改善の余地がありそうです。

もちろん、大震災の被災者が義援金を受け取ったばかりに生活保護を打ち切られたり、不正受給根絶のために窓口による水際作戦を行ったり、数値目標が一人歩きをしてはなりません。また、受給世帯の健康状態も勘案しなければなりません。社会的な世相を反映してか、うつ病やうつ状態、あるいは適応傷害が関係することもあります。そもそも受給世帯が高齢者や母子家庭であるなど自立困難な世帯が多いのも考えなければなりません。

一方で、作家の塩野七生さんは失業対策について、義務の伴わない労働政策は自尊心をくすぶらないから失敗すると何かに書いていました。つまり、失業というのは、生活の手段を奪われるだけでなくて、自尊心を育む手段も奪われることだから、失業保険などの給付だけでは本質的になにも解決しないということです。例えば非正規労働者にも、それなりの社会的地位やら義務やらを与えて、さらに正規・非正規の労働市場の流動性を確保できれば経済的にも良い方向に向うはずだとおっしゃられていました。

その観点からすると、自尊心をくすぐる労働政策による生活保護というのが考えられないでしょうか。つまり健康で活動できるならば、社会的に意味のある仕事をしてもらい給与として給付する。もちろんワーキングプアの固定化に繋がることには注意をしなければなりませんし、当然上記で取り上げた問題点にも十分に配慮すべきです。しかし、生活保護→非正規労働者(公的)→非正規労働者→正規労働者とステップアップできる流動性あるならば、考えてみるべきです。オランダ病を克服したオランダモデルもあることですし。

景気対策が先決ですが、考えなければならない問題です。

国家目標を定めるべし

人口構成が変わって、これほど稼ぐ人が減り、年金をもらう世代が増えれば、国家財政が赤字になるのは当然です。さらに不況で会社の儲けも少なくなれば、賄えなくなるのは当然です。だから政策の方向転換をしないといけないのは誰でも分かる理屈です。でないと国は滅びます。

だから10年前から行財政改革やら増税やらの議論を国会ではしています。で、今、増税の議論が行われています。しかし税はあくまで政策目的を実現する手段です。

民間会社で、商品が売れずに赤字になり経営が行き詰ったとして、単純に商品の価格を上げるでしょうか。不採算部門を統廃合するなどして社内の効率化を図り、無駄を徹底的に削減するのは論を俟ちませんが、少なくとも将来の儲けが出るように、営業努力を行い、提携を模索し、研究開発を行い、将来の芽をいろいろなところに植えておく努力はするはずです。

もちろん民間会社と国家は全く違います。何が違うかというと、会社は儲けることが目的です(社会責任も果たすこともありますが・・・)が、国家は歳出をすることで政策目的を達成することが目的です。しかし国家の財政健全化は、その目的を達成する重要な手段ですから、やることは同じになります。

まずやらなければいけないのは以下の3拍子です。

1.政治自らの政治姿勢の明示(血を流すこと)による信頼回復と行財政無駄削減の徹底。

2.日本の将来像と国家目標をを明確に示し、それに沿った政策に絞り込む。

3.その上で必要な税を見積り、景気動向を十分勘案して増税を決定する。

つまり、政策決定をする人が信頼されてなければならないのが前提で(自民・民主の話じゃありません、政治全般の話です)、その上で、どんなことをどんなコストでやるのか、ということが理解されなければならないということです。

で、前置きが長くなりましたが、今回は特に2を議論したいと思います。

今、社会保障関連しか議論が聞こえてきませんが、社会保障給付は将来への投資ではありません。どれだけ給付しても将来成長しません。民間企業で言えば研究開発投資の部分の国民的議論が決定的に欠けています。公共事業もこれほど削減していては、将来そこらへんでひび割れビルが立ち並び、水道から赤いさび水がでてもおかしくありません。そんなところに会社が主力工場を建てるとは思えません・・・。などと発想が暗くなります。科学技術関連や必要な将来への投資のための公共事業、そして一番大切なのが人材育成のための教育。防衛も年々削減されていますが、外交に直結する部分です。これ以上の削減は避けなければなりません。

一方で伸び続けている社会保障分野も、どこまで面倒を見ますか、ということを設定しなければなりません。ここも今ないのです。現状の給付を維持するというのであればそれでもよい。しかし、それではコストがかかりすぎる((結果消費税は10%以上ということになる)。だから、もう少し給付を下げていかなければならないと思います。国滅びて給付あり、やら、国滅びて増税あり、は絶対に避けなければならないと思うからです。身の丈にあった補助や給付の出し方をしなければなりません。

小さな政府と財政出動はバランスだ

「もし小泉進次郎がフリードマンの資本主義と自由を読んだら」、というタイトルの本を見かけました。読んではいませんが気になったのでWEBで内容を調べると、小説仕立ての本。近未来。消費税10%を果した政府が、増税による景気悪化によって税収が改善しない状態に直面し、国債発行→国債入札割れと日銀引受、国債暴落と金利上昇→インフレ急加熱→為替急騰とインフレ深刻化、というプロセスを通じて、再度消費税増税が議論→選挙で小泉総理誕生→自由主義政策(種々の補助事業の廃止と給付のカット)を断行し、国家を救う、というストーリ。

無理はありますし納得はできなくても考えさせられる内容です。

フリードマンと言えば、80年代のサッチャーやレーガンなどの新自由主義・新保守主義の経済政策の理論的バックボーンとなった超有名な経済学者です。

私事。30歳前後のとき出張でスタンフォード大学に行った時、大学構内でたまたまフリードマンの講演会をやっていて、入り口の人に「フリードマンってあのフリードマンですか?誰でも入れるんですか?」と突撃聴講したことがあります。ちなみに講演内容はさっぱり覚えていません。入り口の御仁が「フリードマンだから入場はフリーだよ」と冗談を言っていたことしか覚えてません。

しかし、当時からフリードマンやハイエクが唱えていた思想、つまり自由こそが繁栄の礎、というか、小さな政府というか、政府の関与が経済をダメにする、といった問題意識は理解しております。

ただ、私は、不況のときの景気刺激についてはケイジアンです。

謹賀新年

新年、あけましておめでとうございます。

旧年中は何かとお世話になりありがとうございました。

私事で恐縮ながら年末は毎年違うところにお邪魔しています。今年は豊中の本山と、多度津の白方にお邪魔しました。例年に比べて少し暖かくは感じましたがそれでも寒さは厳しいものがありました。

元日は、朝4時に眠い眼をこすりながら朝起き会なるものにお邪魔し、そこから初日の出を見る会や各地の元旦祭など、結局、丸亀→丸亀→多度津→丸亀→観音寺→丸亀→観音寺→三豊→丸亀と動き、年始から少しグロッキーな元日を過ごしました。

皆様はどのような年末と元日をお過ごしになられましたか?

今、日本がやるべきは政治の信頼回復です。自民や民主ではなく、政治自らが血を流し範を垂れ、心を示すことです。国民に対して、嘘をつかない、大風呂敷を広げない、間違いは素直に詫びて正す。さらに自らの周囲を叩いて自分が偉くなった気にならないことも必要です。

もちろん政治家同士は別の話です。口八丁手八丁でも政策をまとめていかなければなりません。どれほど正しいと思われる政策でも纏められなければ政治ではありません。政治とはそんなものです。山本五十六の名言、「やってみせ、言って聞かせて、やらせてみて、ほめてや・・・」るだけで動くのは組織上の話だけであって、それでは政治家は動かず、騙しすかして説得し、集めて演説し、持ち上げたり脅かしたりしなければ動かない場合も結構あるのです。

しかしそれはあくまで政治家のための政治です。とにかくみんなのための政治は真摯に謙虚に当たり前のことを大胆に実行する必要があります。

そういう姿勢で今後も頑張って参りたいと存じますので、今後ともご指導ご鞭撻を賜りたく何卒宜しくお願い致します。

蝶々撃退、あるいは知の欠乏

 
年末まであと10日を切りました。人間は言い訳する動物なのかもしれません。だから動物から人間になるために言い訳をなるべくしないようにしております。が、全てというわけにはいかないので、少なくとも「忙しい」という言葉は使わないようにしております。

そして、1つ自らに課している課題があります。本をなるべく読むこと。そして、自分で選ぶ本だけでは偏るので、人にお勧めいただいた本は必ず読むこと。

しかし大して読めてはいません。

さらに、1つの本を読んでいる途中で、人に奨められてたりして違う本を読み始めたりで、途中まで読んだ本が、私の寝室にぱらぱら転がっていたりします。そういう状態の本を私は蝶々と読んでいます。読んだところで開いてひっくり返して机に置くから蝶々のように見える。

ですから、蝶々を撃退するのが日課になっています。

西洋絵画の本、純文学、1日で分かる○○シリーズ、エッセー系、時事論評物、軍事戦略本、本当に雑多な蝶々が寝室の脇にころころと転がっています。

どれも全く役に立ってはいません。実は読んでも結構忘れてしまいます。が、総じて言えばいろんなジャンルが横断的に繋がることがあります。例えば森鴎外と戦後政治、横山大観と国際政治、古代ローマ人と税制などなど。

ただ、これらも役に立ちはしませんが、頭の体操のようなものです。

だから、蝶々撃退。できなければ知の欠乏です。