また辞任・・・残念な辞任と呆れる辞任

先日の前原大臣の辞任に続いて、また看過できない辞任が相次いでいます。

お一人は土肥さんという民主党衆議院議員。私は全然知りませんでしたが、報道によれば、日韓キリスト教議員連盟の日本側会長だとか・・・。竹島が韓国固有の領土だとかの文章を会長名で共同発表したとのこと。

これだけでも呆れるが、もっともっと呆れることがある。ご本人の主張が、「当日渡されたペーパには既に私の名前が入っていて・・・修正する時間もなく・・・発表して・・・」とのこと。

もし先方のだまし討ちなら、これこそ普段から馬鹿にされているということではないですか。しかも、おかしいと思うなら、外交であれば、主張しないといけません。何のための議員連盟なのか・・・。第一なぜスタッフが事前調整していないのか。

さらに気になるのが後の記者会見で、「私が"韓国"のためにやってきた11年を・・・」。言うならば日本と韓国の両国のために、ではないか。

それを考えると、この人は、韓国のために、知っていて共同発表したのではないか、とさえ思えてくる。私は民主党に毛嫌いやアレルギーは全くないと普段から言っていますが、この事件は、ちょっと考えさせられました。こ〜ゆ〜議員が居たもんだぁ〜と歌を唄いたくなります。

もう一つ。

米国務省の日本部長を務められていたメア氏が辞任・・・というか更迭されたとの報道がありました。何度かお会いしたことがありますが、何年も日本で勤務された日本びいきの方でした。先日の前原大臣の辞任と同様、こちらは微妙です。

発言自体、軽率で辞任は当然、言語道断ではあります。沖縄の感情を無視している。しかし、現在、ただでさえ日本びいきの米官僚が少なくなっているのに、更に重要な方が居なくなりました。

鳩山総理のお蔭で日米関係がぎくしゃくしたのはご存知の通りです。

これによってアメリカの官僚組織になにが起きているか。実は、親日派の官僚がかなり干されるようになっています。考えてみれば当然です。親日派に任せていた対日交渉は、さっぱり進まなくなって、組織では無能扱い。ですから、メア氏も相当苛立ちがあったことは容易に想像できます。

いずれにせよ、アメリカが迅速な対応をしたことは、せめてもの救いです。

政治とは情熱を具体的政策に変換する作業だ

そして、ある条件がそろっていれば、その変換作業によって、必ず社会は良い方向に向うはずだと信じています。その条件とは、国民全員の自尊心が満たされていることです。

日本から夢と希望がなくなったと言われます。就職は、やりたい夢を実現する手段ではもはやなくなり、職場の雰囲気で就職を決めるなど、対人関係を満たす手段になっているそうです。

意欲とは、自尊心の充足です。そして夢や希望は意欲の延長線上にあるものです。従って、認められること、評価されること、つまり、自尊心の充足なくして、社会は活性化しません。

今、経済政策が、雇用第一主義になっています。もちろん大切です。しかし、本質的に自尊心の充足なくして、雇用がデフレ対策にはなりません。デフレ対策でなければ経済政策にはなりません。

企業は仕事があるときに初めて雇用し、仕事があるから自尊心が充足されます。かわいそうだから雇ってあげるのは、社会保障政策ではり経済政策ではありません。とすれば、このままでは経済は上向きません。これは論理です。

古代ローマでは、兵役はローマ市民権を有するものに課されていましたが、それは、我こそが祖国を守っているのだという愛国心と自尊心を双方充足させるものであり、そしてこれが究極の雇用対策になっていたのだ、と塩野七生さんが感嘆を込めて何かに書いておりました。雇用対策であり活性化であり愛国心の醸成でありと、ほぼ完璧な論理です。

現代の今、政府がやるべきは、将来自分の子供達に誇りをもって語れるような仕事を創ることです。

外相辞任とメディアの権力

前原外相が辞任しました。外相が外国人から献金というのは言語道断ではあります。違法状態であったことは間違いありません。ただ、責め立てる気にはあまりなりません。メディアもそろそろ政治の粗探しをおやめになってはとただただ思う次第です(悪質性が高いと思うものはどんどんやっていただいたらいいと思いますが)。

2年ほど前に、アジア・イスラミック・ジャーナリスト会議なるものがあり、お誘いを受け参加したことがあります。

日本の外国人プレスクラブの主催・外務省後援で、世界中で活躍する主にイスラム系のプレス関係者の会議で、知り合いのフランス人記者さんにお誘いを頂き参加したものです。

私は単にオブザーバーで参加していただけですが、議論を聞いていると、本当に感動するものでした。曰く、

メディアが中東の国家関係を悪化させ、実際に戦争になったケースが何回もあるので、我々ジャーナリストは、持てる力を正確に把握し、自制をしなければならない。

という趣旨のものでした。日本のメディアにもぜひ聞いて欲しいと思いました。

某国際交流協会にて無駄話をしてきました

某市の国際交流協会にて、「国際交流と私」というタイトルで1時間弱、お話をさせていただきました。お集まりいただきました皆様、大変感謝でございます。

わざわざ聞きに来ていただくので、(1)絶対に楽しんで帰っていただけるよう、また、(2)何かためになることを1つはもって帰っていただけるよう、一生懸命がんばりました。(1)については最低10回は笑って頂けるようにネタをしこんでおきました。(2)については、地方分権と地方の外交という骨格のお話にしました。

地域が発展するには、地域外交が必要だと思っています。

ただただ、地域が発展し、日本が発展すればと願うばかりです。

ツネッタロウ・ケッタロウ

どうでも良い話ですが、私の名前は、敬太郎と申します。

祖母とお袋が折半して付けてくれた名前だそうです。

祖母は姓名判断に凝っていたらしく、大野太郎がお勧め。が、お袋は、太郎ではあまりに可哀想だ、と、1文字つけて、敬太郎になったのだそうです。

今では名前は大のお気に入りです。

が小さいときには軽く苦労しました。

第一、当時は大体のアニメの主人公は、名前が一文字でした(明とか悟とか翼とか・・・)。憧れました。

ただ、憧れだけではありません。私の祖父は常太郎と申しますが、

常太郎と敬太郎、ツネタロウとケイタロウ、ツネッタロウとケッタロウ、抓ったろ~蹴ったろう~

よく悪友に抓られたり蹴られたりしました。まぁ悪質なイジメではないです。

恐らく名前が違えば間違いなく蹴られたりはしなかったでしょう。

という訳で、多少の暗い過去はもっていますが、只今がんばっております。

新国際通貨制度と日本

国際社会の中で通貨制度の改革が取りざたされています。

日本も昨年、急激な円高に見舞われ、経済的にショックを受けましたが、この国際金融の世界で日本がいまどのような立場に立たされているのか、そして、どのような方向に向うのか、について今回は書いてみたいと思います。

○新しい基準通貨の誕生か?

昨年末、世界銀行のゼーリック総裁が金(gold)の価格を参照値とする新通貨制度を提案しました(このニュースは金本位制への復古を促すものと誤解されて世界を駆け巡りましたが、これは、あっと驚かせて議論を促すという作戦ではなかったのかと思っています)。

リーマンショック以降にできた新しい国際的な枠組みである金融サミット(G20)では、昨年末にも新しい通貨制度が話し合われました。次回の金融サミット(11月)では議長国フランスがどのようなことを提案するかを既に発表しております。

つまり、一言で言えば、リーマンショック以降、各国の財政問題や為替問題、投機的な資金の移動などで大きな被害を各国が受け、不安定な通貨体制のままでいいのか、ドル基軸のままでいいのか、金融取引は野放しでいいのか、もう一度お金というものを真剣に考え直そうよ、という本格的なムーブメントが起きているということです。ブレトンウッズ体制に匹敵する世界的潮流になるかもしれません。

フランスは、初回の金融サミットから、サルコジ大統領が、「ドル基軸の時代は終わった」と宣言し、ここにきて早速、1.通貨体制の改革、2.金融市場の改革、3.商品市場の安定化、などを提唱。今年の11月に行われる予定の金融サミットに向けて、主要国と調整を始めています。主導権争いも見え隠れしますが実に戦略的です。

以前、福田政権のときの洞爺湖サミットで、日本は議長国として環境問題を主題にしましたが、それはそれで結構だとしても、当時の国際情勢としては(原油等乱高下)、金融の規制を挙げるべきだ、と、このメールニュースでも書きました。金融大国でありながらなぜ日本はこうした主体的動きを出せないのでしょうか。自民か民主か、小沢か非小沢かという、ある意味ではかなりどうでもいいことで日本の国益は大きく損なわれているような気がします。

○ドル機軸

そもそもドル機軸のままでいいのかという問題提起ですが、ドル機軸が崩壊すれば間違いなくアメリカ経済は崩壊すると考えられます。世界も混乱する。ドル機軸だからアメリカは双子の赤字でもやっていける。だから新通貨制度としてやるならばIMFのSDRのように、ドルやユール、円や元も入った通貨バスケット方式の新通貨が具体的に考えられます。アメリカは当然これを拒んでいるはずです(アメリカの意向が強く反映されるはずのIMFが先の例のように少し軟化しているのは少し気になるところですが)。

○円高~単独介入と発言力の低下

一方、その日本は世界のなかで、最近はどうみられているのか。実は残念ながら、かなり冷ややかな見方をされています。昨年の急激な円高に対抗すべく、日本は6年ぶりの単独為替介入を行いました。世界は通貨という意味で中国を包囲しようとしている時代です(元レート切上問題)。つまり、みんな、勝手に為替に介入しないようにしようね、という流れになっています。そこで介入を行ったので、日本はかなり批判を浴びました。「国際協定破り」(ウォールストリートジャーナル)、「非常に政治的なパフォーマンス」(フィナンシャルタイムズ)などです。

批判が直ちに妥当だとは思いません。野田財務大臣の「断固として円高には対抗する」という発言は私は好きです。日本を守るという強いメッセージを感じます。国内の政治事情を優先する総理から「やれ」と言われ、野田大臣が世界各国に必死で理解を求めていた形跡が残されています。だから米議会筋は不快感を示しましたが、政府筋はコメントを控えた。

しかし、介入の2ヵ月後のソウルで行われた金融サミットでの主題が「いかに各国が勝手に単独介入をしないか」であったことを考えれば、如何にこの介入が世界から見て「ありえないタイミング」だったかが分かります。また、当時の官房長官が為替相場の防衛ラインを記者会見で「発表」してしまうという、これもありえないことをしてしまったこと(あぁ、そうか日本はそこまでいけるのね、と投機家は見るでしょう)が拍車をかけ、世界から非常に冷ややかな目線を浴びるにいたっています。

以上、長くなりましたが、日本は国際金融の世界ではかなり浮いています。浮いたために発言力がかなり低下しているのも事実のようです。国際社会の中で浮いてもいい場合というのは、浮いても生きていける場合しかないはずです。正直、単独介入がそれほど大きな効果をもたらさないと分かっている時代、今回の介入は対費用効果という意味では大きく考えさせられます(市場は単独介入はないと踏んでいたので、この2兆円の大規模介入で3円近くもどしましたが、結局3週間程度で介入前の水準に戻りました)。

○円高~それではどうすべきだったのか

本来、国内事情と世界の状況を併せて考えれば、総理自らが国際協調介入の方向で積極的に各国に働きかけをするべきでした。猛烈な攻勢を世界にしかけるべきでした。協調介入が功を奏するかどうかは、通貨安競争の時代でしたので微妙ですが、こういう動きが外交です。単に会って握手して笑顔を交わすだけが外交ではありません。海外要人とのパイプがなければ、パイプをもっているベテラン勢を使えばよかった。

外交交渉の条件として、新通貨制度も持ち出せばよかったと思います。同制度に対するアメリカのスタンスをきちんと把握できていれば、協調介入への協力の条件として、次回の金融サミットで明確な賛成はしませんよ、くらいは言えたかもしれません。

さらに、協調介入だけではなく、中国への働きかけも必要だったと思います。もともと中国がユーロから日本の国債へ資金をシフトしたために円高に拍車がかかった。と考えれば協力を要請するべきでした。やはり尖閣が尾を引いているのでしょうか。

国際交渉において、場合によっては(生きていけるなら)最終的に自国優先になっても私はい構わないと思います。が、そのプロセスとして十分に国際社会に訴える努力をしなければならないと思います。今回の場合は協調介入の打診と日本の窮状(日本だけが馬鹿を見ている)をしっかり訴えることです。

防衛計画の大綱

 

防衛大綱は、10年毎を目処に策定される日本の基本的中長期的防衛政策で、アメリカのNDR(National Defense Strategy)という文章に相当する非常に重要なものです。17年の改定から5年しか経っていないものの、国際情勢の変化に伴って昨年策定を予定していましたが、政権交代やら普天間事件で、先延ばしになっていました。

大きく変った点があります。それは「基盤的防衛力」から「動的防衛力」へのシフトを果たしたことです。大きく評価できます。基盤的防衛力というのは、まさに冷戦対応型で、全国各地に均等に防衛力を整備しておこうというもので、10年前くらいから議論がありました。冷戦が終わったのですからあたりまえです。そのかわりに、動的、つまり不測の事態に機動的に弾力的に対応できる即時展開能力のある防衛力となっています。この背景には、尖閣問題や北朝鮮による威嚇問題があります。

残念な点は、武器輸出三原則の問題です。ご存知の方もいらっしゃると思いますが、この課題が大綱に盛り込まれる寸前まで行っておりましたが、最後になって社民協調のために断念したことです。
国際的な共同開発体制が組まれようとしているなかで、武器輸出三原則のためにこの一翼を担えないとすれば、第一に、体制不参加による安全保障上の不利益(共同開発国同志の関係強化)、第二に、海外からの調達コストの問題(参加していなければ高くつく)、などの問題が生じます。

なによりも残念なのが、現政権でも自民政権でも、国際情勢に鑑みて、現実路線としては三原則の一部を緩和すべきだという声が増してきているなかで、政策ではなく政局を優先(社民党を抱きかかえて来年の国会を乗り切るために)させたことです。

諫早問題と道州制

閉じられた水門が開かれようとしています。開いても閉じても関係者の利益は背反するわけで、開閉についての是非をここで言うつもりは全くありません。開くも一つの判断だとは思います。問題は、判断の仕方です。開門による被害認定を司法が下したからといって、単純にそれじゃ閉門ということには反対です。総理の発言は、「司法の判断を重く受け止めて、これから検討を始める」であるべきです。なぜなら、地元や関係者との改めての折衝が必要だからです(知事や関係市長、議会人や自治会、農業・漁業との意見交換も全くない)。

なぜ拙速な判断が必要だったのか、深い背景があるのかもしれません。が、地方分権の時代に中央トップが地元の調整もなく決めてしまうのは、少し乱暴な気がします。知事も怒るわけです。諫早湾は管轄的には国の問題ですが、基本的には地域の問題です。こうした問題は、地方の意見が重視されてしかるべきです。

道州制目指して、税財源を含む権限を早急に地方に委譲し、地域の元気を取り戻すことで、日本を元気にしていかなければなりません。

皆様はどのようにお感じになったでしょうか。

税制改正大綱と政治理念

政府が税制改正大綱を発表しました。民主党政権にとって初めての本格的な税制大綱ですが、結局財源のための税制になっており、平たく言えばとりやすい所からとったなという印象です。税制は、税金をどのくらい取るかという問題ももちろん大きいのですが、政策的にどのような日本にするかもかなり大きい問題です。税制の触り方によって、個人主義にも社会主義にも、競争社会にも平等社会にもなりますから、将来の日本のかたち作りの根幹部分の政策です。ですから、個別の税制について、どのように変えるのか(政策)、もさることながら、どうして変えるのか(理念)も大切になってきます。

例えば給与所得者の控除縮減。高額所得者は従来、所得に比例した額の控除が認められていましたが、今回、上限を定め、また削減しようというものです。国際的に言えば所得税の累進カーブは相当フラット化が進んでいるのですが、その流れに逆行するということは、何かのメッセージがあってしかるべきです。しかし、これが一体、「がんばれば報われる社会」自体の軌道修正なのか、「平等公平に安心して暮らせる社会」を追及しようというものなのか、果ては、消費税が政治的に困難なので、財源として「富めるものに負担をしてもらう」ものなのか、全然分かりません。メッセージが全く掲載されていないからです。

政治はメッセージです。メッセージとは理念です。そして理念を掲げないと、他の政策課題との整合性がつかなくなります。だから全体としてチグハグになってきます。(富めるものに相応の負担をしてもらうのであれば子供手当てには所得制限を加えるべきです)。

森田一先生が、「民主党は右から左までかなり幅広い思想の集団だから、政党として政策綱領をつくろうとしても、まとめられないから綱領がつくれない(だから理念がない)」という趣旨のことをおっしゃっていましたが、まさにその通りだと思います。

ついでに、法人税です。法人税減税自体については、本質的には5%では国際競争力の回復には足りないのですが、財源の問題もあるので、異論はありません。これは”政治主導”で思い切られたのだと思います。これはいい例だと個人的には思っています。ただ、租税特別措置(業種毎の特別減税ルール)がかなり見直されていることを考えると、「民間企業に頑張ってもらって景気を牽引してもらおう」というものなのか、「企業優遇を見直して国民の生活第一」を目指すのか、理念的には分かりにくい。

環境税も導入されましたが、政策的には全く反対です。景気対策のために法人税減税をやっているのですから今じゃなくていいという理由と、一部に負担を強いることになるからです。第一、環境というと税制として創設しやすくとりやすい。タバコも同じです。基本的に環境問題は、遍く広く負担すべきものだと考えます。そして日本だけでなく、国際的に考えていくべき問題だと思っています。お隣の国でボカボカCO2を出しているのに、なぜ日本の、しかも一部の者だけが負担するのか。まずは気候変動枠組み条約締約国会議(COP)などで十分に議論をした上での導入でなければ論理的におかしくなります(鳩山総理の25%は問題外です)。