フリードマンとサステナブルファイナンス

■はじめにーミルトン・フリードマンとROE経営

今では本当だったのかどうかも確かめようもないのですが、2001年ごろ米カリフォルニア大学バークレー校の研究機関に在籍していた折、たまたま通りがかったキャンパス内の建物の入り口に「ミルトン・フリードマン講演」の看板があり、入り口に立っていたオジサンに「フリードマンってあの有名なフリードマンか」と尋ねたら、なんと「彼がそうだ」と隣の老人を指さし、大興奮したことを未だによく覚えています。

今考えると、2001年頃だと90歳近くであったはずで、果たして大学なんかで講演などしてたのか甚だ疑問に思うのですが、マクロ経済に興味を持ち始めた工学系研究者であった当時の私にとって、フリードマンというのは偉大な名前であり、ケイジアンから経済学パラダイムを変えた男として記憶していました。今思えば単に「ジョージワシントン記念講座」的な看板だったのでしょう。単なる笑い話にしてますが(否、未だに半分くらいは信じている)、おかげでIS-LM分析などを懸命に勉強しました。

さてこのフリードマン。ご存じの通りマネタリズムの巨匠で、それまで支配的であったケイジアンによる有効需要の原理を徹底的に批判し、経済政策は通貨供給量だけ管理すればよいとしました。つまり新自由主義で、20世紀終盤に一世を風靡します。私が門外漢のマクロ経済学に興味を持ったのもこうしたダイナミックな歴史事情があったからに他なりません。もちろん世界的構造不況を経験した現代の我々としては、両方、つまり有効需要の原理とフリードマン的な要素の一部を引き継いでいるのだと思います。

■ROE経営からSDGs経営へ

ただ、そうした従来の経済学の流れとは異なる変化が社会にもたらされています。いわゆるサステナビリティ経営、社会の持続可能性を中心的に考える経営のことです。SDGsやESG投資がもてはやされていますが、日本では近江商人の三方良しの精神に通じるものがあります。このサステナビリティの考えは、コロナ禍によって爆発的に加速しています。

私としてはこの流れは隔世の感があります。というのも5年ほど前から、地方創生の一環として、ソーシャルベンチャーなどの民間による社会課題解決の取り組みこそが地方を救うとの思いで政策立案に励んできたからです。すなわち、地方創生という看板政策はあるものの、財政制約のなかで山積する社会課題を行政のみが解決に乗り出しても土台限界はあるわけで、むしろ民間が社会課題解決を事業として率先して目指していける社会を作るべきだと思い始めていました。そしてそのためには、ソーシャルベンチャーが資金を獲得して運営できなければならず、そのためにこそ行政は理解されうる環境を作るべきですし、そうしたソーシャルベンチャーは他の企業よりもガバナンスやビジネスモデルの透明性をより明確に示すべきだと考え始めていました。まさに、今の言葉で言えばサステナブルファイナンスによるSDGs経営です。

つまり、コロナ禍が炙り出したのは、行き過ぎた新自由主義やROE経営の修正であって、歴史的転換時期なのだと思います。例えば前出フリードマンは、企業にとっての公益とは利潤を最大化することだと喝破していますが、現在世界最大の資産運用会社であるブロックロックのCEOは、会社の目的は利益より社会貢献だと喝破しています。ROE経営からSDGs経営への転換であって、いわば資本主義の変容です。特にコロナ禍にあって人類の前に立ちふさがる巨大な社会課題を前に、もはや税のみに頼るよりも社会全体として立ち向かうべきときが来ているのだと実感します。

■サステナブル経営の基本軸-情報開示

20世紀後半と異なり現代の投資は、企業にとっての価値創造のための資金調達ではなく、株主にとっての企業利益を回収する手段だ、との趣旨の話を聞いたことがあります。成熟社会における企業の在り方を問う話で、イノベーションを信望している私としては簡単に許容できる考えではありませんが、少なくとも行き過ぎた株主還元を修正していくには、サステナビリティ経営は好循環を生む可能性のある手段だと思います。株主と労働組合から挟み撃ちにされるような経営から脱却すべきです。

ではどうするのか。例えば危機管理会社法制という考え方があるのだそうです。コロナなどあらゆる危機に対処し従業員などステークホルダーを守るために企業は内部留保を一定程度持つべきだとの考え方の下、法的義務化も含めて検討した時代があったのだとか。金融セクターの自己資本比率規制のようなものでしょうか。確かにコロナ禍以前は、大企業に積みあがった内部留保が特に共産党から大批判に晒されましたが、結果的には積みあがっていたために耐性が高かったと言われています。しかし、さすがに内部留保の法的義務化はやりすぎなのだと思います。

むしろ情報開示による投資家インセンティブの醸成が正しい方向なのだと思います。行政がムーブメントを起こすという意味で言えば、企業がとるべき行動指針、あるべき情報開示の方向性だけを示す、という方向です。先の例で言えば、内部留保が不透明で無目的に積みあがっていることも健全ではありませんが、積みあがっていることだけをもって不健全だと見做すのはもっと不健全です。であれば何をしようとしているのか社会や株主が理解できるように開示が進められるべきなのだと思います。投資の流れを直接規制する方向は、資本主義のもつエネルギーを削ぐ議論になってしまいます。

重要なことは、利潤を最大化し超過利益を全てを株主に還元するという流れを、社会の持続可能性に徐々に転換していくことです。そのサステナビリティのために、企業がどのような体制で、何を目的に、どのようなやり方で、どういう時間軸の戦略で行動しているのかを透明化し、投資が健全な形で集まることです。開示分類は、ソーシャルベンチャーの議論の経験から言えば、間違いなくガバナンス、ビジネスモデル、リスク、経営戦略の4点の開示です(GBRS)。

■何をもってサステナブルなのか-非財務情報

ただ問題は開示内容で、何がサステナブルなのか、何が持続可能性なのか、何が社会課題解決型なのか、の定義付けであって投資判断にあたって最も困難な非財務情報です。同じことを地方創生の社会的事業・ソーシャルベンチャー支援策でも議論をしていました。持続可能性を高める活動は千差万別で統一基準を作りにくい。しかし諸外国は先行しています。EUでは、EUタクソノミーというサステナブル活動の分類基準をまとめましたし、G20も金融安定理事会(FSB)に同趣旨の企業向け情報開示ルールの策定を要請し、TCFDというタクソノミーが公表されています。いずれも当初のターゲットは脱炭素です。中身は、基本的には前出のとおりガバナンス、ビジネスモデル、リスク、経営戦略などについて、短期から中長期までの評価指標や進捗の開示を企業に求めています。

■開示ルールの絶対評価と相対評価

タクソノミーは企業にとっても投資家にとっても大変大きなインパクトになります。日本でも早晩導入すべきものです。ただ、これらは一部の関係者が集まって決めたものであって、こうした絶対評価基準というのは、不断の努力による修正作業が必要になってくるはずです。なぜならば社会課題は複雑多様であって、絶対評価基準が未来永劫不変なはずはありません。

であれば絶対評価基準とともに市場で決まる相対評価基準も併せて必要になってくるはずです。また、現在様々な団体が様々なタクソノミーを公表しており、人によっては統一を求めています。統一するのは一見合理的に見えますが、硬直化の恐れもあるのだと思います。私自身は、様々なタクソノミーや企業独自の情報開示があって、それらを含めてマーケットが判断し、その結果を様々なタクソノミーが吸収し、全体評価も市場で決まっていくような、ある種有機的で動的な柔軟な、絶対評価と相対評価のコンビネーションの仕組みが望ましいのだと思います。

■今後やるべきこと

いずれにせよ、まずは整えるべきは、カーボンプライシングを始めとしたサステナブル規制、サステナブル企業や金融機関の行動指針やタクソノミー、そしてサステナブルファイナンスの環境整備であることは間違いありません。特に非財務情報の開示をどのように行うのか、絶対基準であるタクソノミーを制定すべきなのか、金融政策ツールとしての可能性はどのようなものか、またサステナブルファイナンスのリスク把握やモニタリングや規制はどのように行うべきか、検討すべき課題は盛沢山です。少なくとも今までのように環境問題は大切だと声高に叫ぶだけでは、世の中は1mmも動きません。

現在、党内の財務金融部会でサステナブルファイナンスの議論が始まり、本日3回目の会議に出席しました。第一回は、1月28日「サステナブルファイナンスに関する国際的動向」として日本総合研究所理事の足立英一郎様から、第二回は2月5日「サステナブルファイナンスの諸課題」として国際金融情報センター理事長の玉木林太郎様より(約20年ぶりにお目にかかりました)、第三回目は、2月15日「サステナビリティ課題に関する投資家の期待、企業の非財務情報開示について」としてニッセイアセットマネジメントの井口譲二様とブロックロックの江良明嗣様よりご講和を頂きました。

私自身、特にこのファイナンス部門で議論に参加して参りたいと思っております。