メイ首相の訪日と「いずも」、そして日英関係

先日、イギリスのメイ首相が来日。安倍総理との会談を経て、小野寺大臣と海上自衛隊の護衛艦「いずも」を視察に行かれました。その当日、私自身は大臣のバックアップ要員。そして後日イギリス大使館にてメイ首相に直接お会いし「いずも」乗艦のお礼を申し上げる機会もあった。そんなことで、この際、「いずも」と日英関係を強化すべきことについて少し触れておきたいと思います。

海上自衛隊の艦船の命名は、大体において、旧軍時代から使われていた艦船の名前を継承することが多々あるのですが、現在、一応の基準があって、輸送なら半島など(例おおすみ)、掃海なら島や海峡など(例ぶんご)、潜水艦は潮流に関する天候気象か動物(例おやしお)、護衛艦は雷や霧や風雨などの天候気象など(例むらさめ)、特にミサイル護衛艦は山岳名(例こんごう)などとなっています。だから、「むらさめ」と聞いたら何となく護衛艦かな、「ちょうかい」だったらイージスかな、「おやしお」だったら潜水艦かな、などとなんとなく想像がつく。

「いずも」はヘリコプター搭載型の護衛艦(DDH)。一見、空母に似た形なので一度は
ご覧になったことがあるかもしれません。出雲ですから雲が立ち上ることです。そして日本では一番大きな護衛艦で、アメリカの最新の空母に比べるともちろん小さいですが、それでも旧軍の空母「加賀」などよりも大きい(大きいから何だという話ではないですが)。確かに諸外国との共同訓練で他国艦船と並走する「いずも」を見ると、その大きさが際立っています。そして、「いずも」も昔からある(今の「いずも」は2代目)。

初代は装甲巡洋艦の出雲。小野寺大臣もメイ首相との会談冒頭で言及された通り、19世紀末にイギリスに発注され1900年に就役、日露戦争を戦っています。そこから2次大戦末期の1945年7月に米艦載機の攻撃で沈没するまで45年間も現役でした。出雲の名前が有名なのは、日露戦争のころの逸話によるもので、出雲は、日本船団を沈めに沈めて大打撃を与えたロシアの装甲巡洋艦リューリクの撃沈に成功する。恨み骨髄だった筈です。しかし、逆に生存者救出を行ったのが出雲。国内外からの称賛を浴びたという史実が残っています。

実はこうした美談は意外と結構ある。第二次大戦中、駆逐艦の雷(現在同名の護衛艦「いかづち」がある)の工藤艦長は、当時、撃沈した英の巡洋艦の乗組員422人を救助し、雷に乗艦した英兵士を前に英語で「貴官らは日本帝国海軍の名誉あるゲストである」とスピーチを行った。ただ、それだけではなく、本当の美談はここから。この時の一人で後に外交官になったサムエル・フォール卿が退官したのちに日本を救うことになる話です。

1998年のこと。天皇陛下が訪英を予定した際に英国内で日本軍捕虜となった軍人らによる反対運動が激化。しかしフォール卿が間髪入れずに当時の体験を「ロンドンタイムズ」に寄稿し「友軍以上の厚遇を受けた」と回想、反対運動は下火になった。フォール卿は更に2003年に訪日し、工藤艦長の墓前に手を合わせたとのことです。

英国は、いろいろな意味で、これから日本にとって、これまで以上に大変重要な国になる事は間違いありません。安全保障協力も積極的に進めていくべき国です。

【善然庵閑話】岡倉天心と日本人の相対性

日本人とは、と問われたときに、日本人ならば殆どの人が、これこれしかじかと答えるように思います。確かに日本人による日本人論は巷に溢れていますし、これほど自国やその国民性の分析を好む人種というのも珍しいものなのかもしれません。

それは、私が度々引用する内田樹も指摘している様に、日本人は相対的であって、絶対軸を持たないか持っていると実感できないので、常に周囲の事、例えば他所の何々人はどうしたこうした、何々国はああしたこうした、と比較分析しながら自分の立ち位置を確認しないと不安になるのかもしれません。

これは、古来の日本の宗教観に基づくものであるように思いますし、仮にラーとかオシリスとかキリストとかモハメッドとかの絶対神を信仰する国であったら全く違う文化が生まれていたものだろうと思います。

日本人が相対的であることは、もちろん、内田樹自ら明かしている様に、何も内田氏が独自に編み出した思想でもなく、古来からなんとはなく日本人が漠然と自覚していた心を再掲していることでもあります。その直近でいえば丸山眞男などです。丸山にも私自身、内田樹と同様に、その行きつく主張の結果にはさっぱり共感はできませんが、その言論のプロセスには大いに痺れたものです。

一方で、岡倉天心は、茶の本(村岡博訳)で明快に書き残している様に、不完全であることを崇拝している人種と言っています。曰く、真の美というのは、不完全を心の中で完成させる人によってのみ見出される、と。確かに茶道は複雑なぜいたくよりもむしろ単純の中の慰安を教えるし、宇宙に対する相対観を定義するわけで、それをすんなり受け入れるのが日本人です。であれば、対象物に完全を求めても、それはそれ自体として褒め称えるべきことではあっても、結局は相対的なものです。

一定とか不変は単に成長を停止する言葉であって、定義は常に制限であると岡倉天心は喝破します。国は社会の慣習を守るために個人を絶えず犠牲にするし、我々は恐ろしく自意識が強いから不道徳を行うし、他人に真実を語ることを恐れているから良心を育むし、自分に真実を語ることを恐れるから自惚れを避難所にする、と反語的に続けます。

しかし、老子的に終わらないのが日本人なのだと私は解釈しています。結局、世の中が相対に支配されていることを認識し、だからこそ常に前進することを意識するからこそ、日本は発展してきたのだということもできます。

トヨタのカイゼン方式は世界の経営者ならば誰でも知っている言葉ですが、それに胡坐をかくようなことはない。安倍政権も5年前の金融政策に胡坐をかいていることはまずありえない。常に変化をし続けなければ、皆さんが心の中で美を完成することはないのだから。

ところが為政者は国民が心の中で美を完成させるために政治を行うわけではなく、対象物が完全な美たらんことを求め不断の努力を行うのが普通です。であるならば、このギャップを常に埋める不断の努力も必要です。

ということで、本日より暫くの間、東京を離れられない生活に入ります。ここ1〜2年で急激に悪化している安保環境に万全を期すためですが、今まで仕事が終われば”終わった”と思える空間が家にあったのに、”終わった”と思えない空間に蟄居を命じられた気分です。そうなると、人間取り留めもないことを考えるもので、少し出てきた腹を摩りつつ、ヘルシア緑茶を飲みながら、お目汚しとは知りつつ書き残した次第です。

このたび防衛省を担当することになりました

このたび、防衛大臣政務官を拝命し、過日着任いたしました。謹んでご報告申し上げます。まずは、同時期に台風による豪雨の被害にあわれた皆様に心からお見舞いを申し上げ、復興復旧に全力を挙げて参りたいと思います。

国の守りという崇高な使命を担うことになりました。小野寺大臣・山本副大臣を支え、国民の皆様の信頼回復と国の防衛に、真摯に謙虚に全力を尽くして参りたいと存じます。緊張感をもって任にあたる所存ですので、今後ともご指導ご鞭撻を賜りますようよろしくお願いいたします。

大志会主催で田﨑史郎氏にご講演をいただきます

掲題の通り、下記の要領で、政治評論家の田﨑史郎氏にご講演をいただく運びとなりました。

日時 7/29㈯ 15:00~
場所 オークラホテル丸亀 2F鳳凰東

入場無料です!皆様お誘いあわせの上、是非奮ってご参加ください。

詳しくは、添付のご案内をご覧ください。
https://keitaro-ohno.com/wp-content/uploads/2017/07/0729Mr.tasaki.pdf

田﨑史郎(たざき・しろう)氏 プロフィール 
時事通信社特別解説委員
◆昭和25年(1950年)6月22日、福井県坂井郡  三国町(現坂井市)生まれ。67歳。
◆福井県立藤島高校を経て昭和44年(69年)4月、中央大学法学部法律学科入学、同48年(1973年)3月卒業。

◆昭和48年(73年)4月、時事通信社入社。経済部、浦和支局を経て54年(79年)4月から政治部。昭和57年(82年)4月から平河(自民党担当)記者クラブで2年9カ月間、田中角栄元総理が率いる田中派を担当。

◆平成5年(93年)9月から政治部次長。編集委員、整理部長、編集局次長を経て同18年(2006年)6月から解説委員長。同27年(2015年)7月から特別解説委員

◆自民党はじめ民主党、公明党、維新の会などを幅広く取材。政治取材は38年余。社会資本整備審議会公共用地分科会委員

◆TBS系「ひるおび!」「ニュースキャスター」、フジテレビ系「グッディ」「とくダネ!」、日本(読売)テレビ系「ウェークアップぷらす」、テレビ朝日「羽鳥慎一のモーニングショー」、BSフジ「プライムニュース」などに出演。フジテレビ・ドラマ「CHANGE」監修。「文藝春秋」「週刊現代」「週刊新潮」などに執筆

◆主な作品=『竹下派死闘の七十日』(文藝春秋「文春文庫」)、『梶山静六 死に顔に笑みをたたえて』(講談社)、『政治家失格 なぜ日本の政治はダメなのか』(文春新書)、近著に『安倍官邸の正体 国家権力の中枢を解明する』(2014年12月、講談社現代新書)など。

アラブの平和と欧米の平和の違いなど(イスラエル訪問報告)

7月10日より移動のぞいて3日間、イスラエルを訪問して参りました。内閣府大臣、外務省国連担当事務次官、元情報機関のアラブ専門官、メレツ党、クラヌ党、リクード党のそれぞれの国会議員と面談。また、元国会議員でシオニズムの専門家やイスラエル国防軍サイバーセキュリティー担当官、日本企業の現地研究所、外務省アジア局との意見交換、そしてエルサレム旧市街、ホロコースト記念館に訪問して参りました。

内閣府大臣との会談では、大臣からはイスラエルがなぜイノベーションに長けているのかについて、砂漠が多く水が無いから嘆くのではなく、イノベーションで答えをだすしかないという現実と、それを解決しようとする楽観主義の話を頂きました。実は香川県も水がないのだけど・・・などと思いながら、日系ハリウッド映画スターの話を思い出しました。いわく、「日本は負けるのを恐れる、我々は勝てないのを恐れる」と。チャレンジングスピリットは楽観主義に基づくものだし、事態打開のキーワードなのだと思います。

もう一つ、大臣の話で印象に残ったのは、ドイツとの関係。今は大変良好な関係を築いているとのこと。イスラエルへの訪問は今回を含めて2回目ですが、いずれもドイツのフランクフルトやミュンヘン経由で入っています。機中思うのが、おそらく70年前には想像もできなかったことなのだと思います。あとで触れますが、イスラエルも非常に多様な考え方があり、それを政治がまとめて、難局を打開するという、あたりまえだけども困難を成し遂げた国の姿にあらためて賞賛を送りたくなります。

国連担当事務次官との会談では、強烈なインパクトがあったのは、イスラエルが国連総会で年間2〜30の決議を出されていることに関する議論でした。イスラエルが国際機関の中でいかに困難を強いられているかということが十二分に理解できましたが、逆に言えばそれだけ国際会議で違和感をもって迎えられているかということなのでしょう。日本は中韓から、最近特にUNESCOなどで、全く事実無根のいちゃもんを付けられますが、それと比べたら子供のようなものです。次官は「差別されている」という言葉を何度も使っていらっしゃいましたが、すり合わせの困難な課題も多くあるのでしょう。

元情報機関のアラブ専門官の話は、イスラエルがアラブ諸国をどうみているのかを知るのに大変役に立ちました。と言ってももちろん政府を代表する意見でも何でもなく、淡々と事実を語ってくれただけですが、話の仕方やら、どこに多くの時間を割いているかが面白いと感じました。

アラブはご存知のように部族単位の活動の方が国家という単位よりも重要で、それなのにもかかわらず20世紀初頭に英国などによってアラブを無視した西欧のためだけの人口国家が多く生まれた訳ですが、現在、不安定なのはイラクやシリアなど国家が多くの部族を抱えていて多種族国家である場合が多く、安定しているのはクェートやカタールなど1つの部族の国家(首長国)か、UAEのように首長国の連邦(EはEmiratesで、部族長のアミールはEmiratesの語源)の場合。つまり人工的境界線引きがいかに中東を不安定にしてきたのかが認識の出発点になります。

そこで今回改めて気付きを頂いた話に触れますが、それはこの専門家が「砂漠では戦わなければ生きていけない」「アラブの平和(サラーム)は欧米の平和(ピース)とは違うのだ(サラームは文書による停戦という程度の意味)」という趣旨のことをおっしゃっていたことが妙に心から離れないことによります。血族的結束が部族ならばその部族単位を無視することは不可能で、そうした部族間の切磋琢磨が部族を豊かにするならば、そしてサラームを成し遂げているのだとすれば、それはステートではなくエミレーツを目指すべきという、当たり前と言えば当たり前の結論になるわけで、今後の中東安定の一つの大きな見方になるのだと思います。

その他、シオニズムについて語ってくれた元国会議員。今回の出張では一番インパクトがあった会談でした。ユダヤ人の定義やらイスラエル人の定義など考えてみれば不思議で、実は私自身、シオニズムというものを離散したユダヤ人の熱狂的信者達がパレスチナの地に帰ろうとする運動としか思っていなかったものですから、大衝撃を受けました。

参考までに触れておけば、この方のシオニズム観は、ユダヤ人というのはユダヤ教を信じることではなく、ユダの部族に属することであって、信じることは重要だけど宗教が中心ではないというもの。まぁ確かに、ユダヤという名前自体は、古代ローマが入ってくるまでは使われていたであろうし、古代ローマがユダヤを一掃しようとしてペリシテ人を入植させ、名前もそれにちなんでパレスチナにしたという歴史をたどれば、必ずしも宗教ではない、という考え方は、頭では納得できるのですが、なにせ極めて多様な考えが内在した国家であるということは理解できました。

それもそのはず、わずか120の議席をもつ国会でも、10くらいの政党があるわけで、一番右翼の、ザ・宗教みたいな政党があるから、それだけが目立ってそういう国として見てしまうのかもしれません。確かにテルアビブの若者などは、ユダヤ教などどこ吹く風の様子で極めて西欧的にカフェで仲間と深夜まで酒を飲むのですから。

その他、エルサレム旧市街散策、ホロコースト記念館などに訪問。多くの刺激を頂きました。こういうスピリチュアルな意味での肌感覚というのは、現場に行かないと決してわからないものがあります。

イスラエル外務省ロビーにおいて
イスラエル外務省シテュエーションルーム(24時間事態監視と対処指示を行う)
内閣府大臣との会談を終えて
ホロコースト記念館にて献花(書ききれないほどのメッセージが詰まった場所)

ラビンセンターの担当と地中海に面したレストランで食事をしながら意見交換
イスラエル外務省において専門家から情勢認識のレクチャーを受ける
会議中の様子

驕りと安岡正篤

都議選が終わりました。結果は惨敗。予想通りと言えば予想通り。驕りは禁物。言葉で言うのは簡単で、私も初当選から、謙虚であり続けること、真摯であり続けること、を自分へのメッセージとして、ポスターに掲げていますが、地元で学園シリーズの指摘を受ければついつい大真面目に政策論争をしかけてしまいます。間違っていないと。なぜなら例えば国家戦略特区は間違っていないと思っているからです。これが謙虚さの欠如であったのかと今頃気づき、自ら大いに反省をしているところです。

思えば簡単な事だったのかもしれません。正しきを為さんとする我を信じ給え、的な発想では、誰も信じない、ということ。そもそも自分は正しいという前提なのだから。実は政治をやるにあっては結局は私という人間を信じてもらわなければ政策を遂行できないというジレンマにぶち当たります。万人(少なくとも過半数)に説明し質問を受けて返事をし、それでもなお反論があれば説得するというのは半ば不可能に見えるからです。

であれば、若泉敬ではありませんが、正しいかどうかより、他策無かりしを信ぜむと欲す、的な恒常的な自己反省の態度こそが重要で(信じる、ではなくて、信じたいのだけどどうなのだろう)、正しいかどうかは二の次であったのかもしれません。

こういうときには、安岡正篤が存命であれば何を言うか聞いてみたいと思ったに違いありません。

権力が一旦確立すれば、特に危機の時には、自らの行いを正しいと信じて政策を断行するわけで、これを自信と言いますが、他から見ればリーダシップにも見えるし、傍若無人にも見える。お釈迦様が唯我独尊という言葉を現代に残していますが、この言葉自体も傍若無人と同じような意味に誤解されることが多いのと同じように、物事まっすぐ正面から見るのと、斜めから見るのでは、随分風景が違ってしまいます。

現代的民主国家において、このリーダシップと傍若無人の間を埋めないと、政策は断行できない。正しいのだから黙っとけ、では選挙は負ける。であれば、この、俺についてこい的、荻生徂徠的、つまり朱子学的な思想は、民主国家では役に立たない。では、思想的に安岡正篤や吉田松陰のような陽明学のほうが役に立ちそうですが、実際どうなのか。

司馬遼太郎が三島由紀夫の死に際して指摘している様に、思想なるものは本来虚構であることをよく知った上でその思想を吸収すべきです。思想はどっちの方向に行ってもラディカルに先鋭化する力を内在しているからです。因みに余談ですが、私が司馬遼太郎をこよなく愛するのは、残している司馬文学が史実として正しいかどうかというより(司馬史観は間違いだと声高に叫ぶ知識人がいる)、その態度にあります。

その上で言えば、美学に溺れることなく、心の中の葛藤(正しいのに何で信じてくれないのだろう)をなくすこと、そのためには国民を信じるという実践を通じて、もって国民の信頼を勝ち取ることなのだと思います。

政権の運営というのは極めて困難を極めるものなのでしょう(私は端くれで政権運営してもないですから断定できませんが)。例えば加計学園問題では、野党による前川何某前文科次官の証人喚問を与党側が拒否したのは、おそらく斜めからの見方ばかりがメディアによって国民に垂れ流されるのは得策ではないとの判断なのだと勝手に想像していますが、そもそも国民を信じる態度、そして他策無かりしを信じむと欲する態度の方がはるかに重要なことなのだと思います。

あくまで自分の反省として。安倍政権を全力で支えていくことに変わりありません。

社会的事業特命委員会など政務調査会の提言について

1.社会的事業(ソーシャルベンチャー)特命委員会

日本は少子化・過疎化・社会保障負担など、社会的課題が山積する課題先進国ですが、そうした課題にビジネスシーズを見出して積極果敢に挑戦しようとする動きがあります。何をどう支援すべきか、そしてどう続けるべきか、の議論を重ね、伊藤達也委員長のもと事務局長として今般下記のとおり提言をまとめました。

https://jimin.ncss.nifty.com/pdf/news/policy/135019_1.pdf (要点)
https://jimin.ncss.nifty.com/pdf/news/policy/135019_2.pdf (提言)

 

2.知的財産戦略調査会・産業活性化小委員会

産業構造が劇的に変わろうとしています。数年前から、このままだと日本のあらゆる産業はビッグデータ社会のなかで総下請け化されるという指摘があります。例えばGAFAと言う造語、Google, Apple, Facebook, Amazonの頭文字をとった言葉ですが、こうした会社が世の中の産業構造を支配する可能性もあります。ビッグデータ時代、知財戦略の重要性は過去にないほど高まっています。私自身は、同調査会(保岡会長)傘下の産業活性化小委員会(山際委員長)の事務局長として下記の調査会提言に参画し、親会の提言とさせていただきました。

https://jimin.ncss.nifty.com/pdf/news/policy/134890_1.pdf

 

3.宇宙総合戦略小委員会

日本の安全保障政策の中で外交交渉の中で頻繁に話題に上るようになった宇宙戦略ですが、安保の切り口だけではなく、先進国ではビッグデータ社会実現に向けた宇宙ビジネスへの莫大な投資が行われるようになっています。しっかりとした産業基盤を作っていくためには何をすればいいのかを議論し、今津寛委員長、寺田稔座長のもと、事務局長としてとりまとめに参画し、提言させていただきました。

https://keitaro-ohno.com/wp-content/uploads/2017/05/7f9d9b213cfc24fce90c6619bb2bed0b.pdf

 

4.科学技術イノベーション戦略調査会

同調査会(渡海紀三朗会長)の下に設置された科学技術イノベーション活性化小委員会(林芳正委員長)ならびに第五期科学技術イノベーション実行小委員会(後藤茂之委員長)が設置され、双方の事務局長として各種提言や決議を取りまとめました。第一は、デュアルユースと科学技術に関する決議。そして予算に関する提言です。

https://keitaro-ohno.com/wp-content/uploads/2017/05/f893389a4e3db2e4bc8cdae9f280c346.pdf (決議)
https://keitaro-ohno.com/wp-content/uploads/2017/05/3f00500d5dd81e6152b13e8522e18a7d.pdf (提言)

 

5.新経済指標検討プロジェクトチーム

こちらは事務局次長として事務局長の補佐役として提言に関与した新経済指標検討PT(林芳正座長)の提言です。日本という社会が過去の延長線上のままであることをもって理想とすべきなのか、あるいは別の尺度で日本の理想像を描くべきなのか。豊かさとは何なのか。フローだけを求めるべきなのか。そういう目線から始まったプロジェクト。少なくとも、しっかりと経済指標というエビデンスを統計として構築していき、政策判断に使っていかなければなりません。最近はやりのEBPM(エビデンスベーストポリシーメイク)です。

https://www.jimin.jp/news/policy/134911.html

 

6.オリ・パラ契機の地域活性化

2020年のオリンピック・パラリンピックが目前に迫っていますが、それを契機と知って地方創生を加速化できるのではないかという取り組みです。どのようなレガシーが創れるかと言えば、スポーツを基軸としたもの、地域をグローバル化するもの、そして地域の価値の再発掘などです。そのためにやれることはまだまだあると考えられます。特命委員会(伊藤達也委員長)でこうした議論を行い下記の提言となりました。

https://www.jimin.jp/news/policy/135018.html

 

【善然庵閑話】石巻と支倉常長

遠藤周作の狐狸庵閑話(こりゃあかんわ)をもじって時々駄文を書き記している善然庵閑話(ぜんぜんあかんわ)ですが、いつも遠藤周作とまったく関係ない内容ばかりになっているので、作品「侍」で扱われた支倉常長(はせくらつねなが)について今日は書いてみたいと思います。

そんな気になったのは、つい先日、自民党総研の外交研究会でキューバをテーマとした議論をし、そこで話題になったからに他なりません。ほう、キューバにも立ち寄ったんだと。

支倉は江戸初期に伊達政宗の命で欧州貿易開拓のために慶長遣欧使節団を率いてヨーロッパから中米を7年かけて渡り歩いた武士です。その前は文禄慶長の役にも加わっていたらしい。渡航中に洗礼を受けて、ドン・フィリッポ・フランシスコという洗礼名までもらっていますが、結論から言えば派遣目的は達成できなかった。しかし、この時代の航海というのは、果てしなくロマンを感じるものであって、例えばアメリカのジョン万次郎、ロシアの大黒屋光太夫など、波乱万丈というか人間万事塞翁が馬というか、数奇な運命をたどる人が多く、支倉常長も御多分に漏れません。

支倉について現代人の心に深く突き刺さるのは、歴史の因果の折り重なりの中で生まれた史実であることです。結果、外国人の手による多くの肖像画や書物が残されていること。なんでそんなことになるのか、強くドラマ性を感じます。

伊達政宗の目的は貿易とも倒幕とも言われていますが、よくわからない。ただ、言えることは当時の日本はキリシタン弾圧国。キリスト教国の欧州によく思われるわけもなく、さらに言えば、貿易をさせてよと言ってきた未開の地であって、主目的であったスペインなど当時は無敵艦隊時代のイメージがまだまだ残っていたであろう世界最強国であったことを想像すると、とても相手にされそうな気がしない。

どうやらソテロなる人物が暗躍したらしい。支倉が同行させたソテロという宣教師は徳川家康によって投獄・死刑宣告をされていたものを、伊達政宗が嘆願して救い出し、遣欧使節団として支倉に同行することになった。自国に帰れることになったソテロは、都合のいいように支倉の言葉をフェリペ3世国王に伝えたのかもしれません。しかしいずれにせよバレル。そこで支倉はローマに行き、教皇の口添えを頼むことにするわけですが、なぜかそこで大歓待を受けることになり、アジア人唯一のローマ市民権を得た人物にもなり、そこで肖像画など多くのことが歴史に刻まれることになります。

例えばローマには現在でも多くの足跡が残されています。イタリア大統領官邸であるクイリナーレ宮殿の王の間には、支倉やソテロ含めた使節団のローマでの様子がフレスコ画で描かれていますし、ボルゲーゼ美術館(支倉のローマ滞在時の世話役になった貴族)にも、等身大の肖像画が残っています。またローマ生まれのアマティという歴史家が1615年にかなり詳しい使節記を残しています。

実は幕府とスペインの交流は、この派遣の前に、スペインのフィリピン提督が帰国途中に座礁し、今の千葉県御宿で地元住民に救助されたのち、徳川家明日の命で三浦按針が建造した船でスペインに送り届けられたことがきっかけとなり、始まったそうなのですが、これを知って興味をもったのが伊達政宗だったのだとか。やはり普通の大名とはセンスが相当違ったのでしょう。

この船、出航したのが伊達藩の管轄した今の宮城県石巻市月浦。現在、そこには慶長使節船ミュージアムがあり、復元船が展示されています。ご存知の通り、石巻は先の東日本大震災で被災しました。そしてその影響で復元船の痛みが激しいとのことで、見学中止、解体を余儀なくされているとのこと。

あくまで復元船なのではありますが、何か心に突き刺さるものがあります。それは被災者の誇りのシンボルがなくなりつつあることに対してなのだと思います。だからこそ、被災者にとって最善の政策を実行し続けなければなりませんし、もっとも大切なのはココロなのだと思います。そういった意味では、先の大臣発言は遺憾でした。

歴史のロマンが奏でる誇りという支柱は、被災地の皆さまにとっても、地元の方々にとっても、あるいは史実をご存知の日本人にとっても、普段は全く気に留めることがなくても、大きな拠り所になっているのではなかろうかと思います。であればこそ、我々の世代も未来の日本人に残さなければならないのは、誇りであろうかと思います。

今の日本は歴史的転換期を迎えています。変えるべきものは変えなければなりません。人口増加の社会と人口減少の社会で同じシステムを続けることは困難です。だから改革が必要になります。そして改革とは、誰かが賛成し、誰かが反対するものです。改革を断行するためには、何かを捨てて何かを守らなければなりません。何を捨てるかで誇りが問われ、何を守るかで愛情が問われます。その問われるものを判断するのは人間だからこそ、人間は常に歴史に学ぶべきものだと思っています。

 

メタンハイドレート:日本近海に眠る代替資源

先日、注目していたメタンハイドレートの第2回産出試験が行われました。メタンハイドレートとは、海底に眠る資源で、一言で言えば天然ガスの氷。日本近海には現在の日本のガスの消費量の10年分が眠っていると言われています。問題は産出技術。そんなに簡単ではない。現在の目標は、平成30年代後半までに商用ベースに乗せることです。

第1回目を行ってから4年。当時は6日間、2万㎥/日、合計12万㎥の天然ガスの産出に成功しました。ただ途中で中止しています。理由は予想外の技術的トラブルが生じたからです。ここは少し細かい話になりますので後述しますが、簡単に言えば採掘用に海底に埋め込む部品の問題で、坑井(こうせい)に砂が予想以上に流れ込んだとのことです。

4年にわたり、関係者の並々ならぬ努力で、原因の解析、再設計、製造を経て、生産試験を実施したところ、ほぼ同様の問題が発生し、中断となりました。12日間、合計3.5万㎥の生産でした。第一回が6日で12万だったのに少ない印象があるかもしれませんが、徐々に生産量を上げていく作戦にでたためだとのこと(詳細後述)。

困難な技術的課題ですが、その課題は見えているので、実験と解析の繰り返しで解決されるものと期待しています。皆様も是非期待をお寄せいただければと思います。

ところで現在のやり方のままでいいのかという点について一石を投じておきたいと思います。それはお金の流れ。現在の形がいけないわけではありません。しかし、より民間の投資を呼び込んだ方がいいのではないかと思っています。例えば、XPRIZEのように、冠スポンサー公募、研究者公募、出資公募の形にすれば、オープンイノベーションの促進、研究者の人材ハブ化、民間出資の呼び込み、政府支出の効率化、さらに言えば、民間企業のCSV(Creating Shared Value)意識の醸成、にも繋がります。もしかすると、政府主導にありがちな硬直しがちなオペレーションが柔軟になる可能性もあります(現行の運営が硬直化しているという指摘ではありません)。こうした手法で重要な要素は、実施主体のガバナンスと透明性ですので困難がないわけではありませんが、従来の手法に拘泥されることなく、新しい手法の導入も視野に入れて、より積極的なメタンハイドレート実用化研究が進むことを心から望むものです。

●どこにどのように埋まっているのか
今回の生産試験の実施場所は第一回目とほぼ同様の渥美志摩半島の沖合数十キロ。メタンハイドレートは、日本海側には表層型として、また太平洋側には砂層型(地底面より数百mに数十mにわたって砂と混じった層として存在)として存在しています。表層型は、海底面直下に塊として部分的に存在するのですが、塊なので採取場所を塊ごとに変えていかねばならず、また海底面に近いので環境を破壊してしまう可能性があることから、砂層型の方が生産には向いていると考えられています。

●どのように生産するか
氷ですから減圧すれば気体になって取り出せます。問題は砂とどのように分離するのかというところです。構造を説明しますと、海底面にドリルで穴を掘り(直径30cm・深さ300m)、メタンハイドレートの砂層面に到達したら少し細い穴を掘る(直径20cm・深さ60m)。前段の部分にはパイプを埋め込み、上(海底面)にも下(砂層との境界)にも蓋をする。さらに下部層のメタンハイドレート部分には、側面にチーズのように多くの小さな穴(5~10mm)の開いたパイプを埋め込む。(この小さい穴にはさらに0.5mm程度の金属ビーズが多孔質状になるよう埋め込まれていて、強度の高いフィルターとして機能している)。

結果的に高さ300mの上の部屋と高さ60mの下の部屋ができますが、その間を細いパイプで繋げ、さらに上の部屋には海上の船(地球深部探査船ちきゅう)からパイプを差し込んでおく。上の部屋の海水を船からポンプで抜くと減圧され、すると下の部屋の圧力も下がって(ΔP=40気圧程度)、メタンハイドレートがガス状になって上の部屋に上がり、さらに船まで上がるという仕組み。

●具体的な技術的課題とは何か
技術的課題は下の部屋のパイプ。資源地盤の面と隙間があくと、減圧したときに砂粒がパイプに向かって勢いよく衝突してしまいます。従って、資源地盤面との隙間をいかになくすかが勝負になります。今回の試験から、形状記憶ポリマーをパイプ外壁に巻き付けていて、埋め込んだのちに隙間が無くなるようにするという工夫がなされていました。結果的に、艦上にまで砂が上がってきたとのことなので、再度慎重な解析分析と対策が必要になるものと思われます。

●どのくらいの生産が可能なのか
通常の天然ガスは一つのガス田で数十万~百万㎥/日を数年稼働させています。従って、これまでのは試験生産であったということもありますが、より多量の生産ができるようにしなければなりません。第一回目の生産が2万㎥/日なので、10倍から50倍くらい。仮に5倍の生産ができたとして、坑井を10本くらい埋めてやれば、50倍くらいにはなる。不可能ではありませんが、数年の連続稼働というと、まだまだ試験を継続しないと不明な部分がある。ちなみに、実は日本は他国よりも高く天然ガスを買っていて100万BTUで大体10ドル弱。天然ガスの場合100万BTUは約25㎥とのことなので、100万㎥/日生産できるとしたら、4千万円強/日の生産になります。5年生産できれば、700億円以上ということになります。経済産業省は埋蔵資源として3.3兆円と試算しました。過去に政府が投じた研究開発投資額の30倍になるそうです。そして最近特に商用の可能性が高まってきたので、政府は300億円程度の予算を計上するまでになりました(通常の資源調査等も含む)。

●どこのどういう組織が生産試験しているのか
経済産業省・資源エネルギー庁がその外郭団体であるJOGMEC(独立行政法人石油天然ガス金属鉱物資源機構)に委託し、JOGMECはJAPEX(石油資源開発株式会社)の出資する日本メタンハイドレート調査株式会社にオペレーションを依頼しています。

http://www.meti.go.jp/press/2017/04/20170410003/20170410003-1.pdf

米国出張報告

5月1日から5月3日に亘り、マンスフィールド財団日米議員交流プログラムに参加して参りました。議員交流プログラムではありますが、国務省、国防省、USTR、シンクタンク、議会スタッフなどの意見交換の場もあり、現場ならではのアメリカ政府及び議会の雰囲気を十分に吸い込んでまいりました。

議論は、北朝鮮情勢が6割、TPPはじめ貿易関係が3割、残りがその他、と言ったところで、これだけ限られたトピックスに絞られた3日間を過ごしたのは私にとっては初めてといっても過言ではありませんでした。それだけ米側の肌感覚が北朝鮮に大きくシフトしているということです。さらには米国は日米韓同盟の重要性を強く意識していると感じました。

政府・議会・シンクタンク研究者などの意見を総合すると、意見はだいたい以下のようなものです。北朝鮮は望んで非核化を行うことはまずありえず、過去に米国が行ってきた対北朝鮮政策は結果的に失敗に終わっているので、方針転換をすべきである。北朝鮮とは兵器管理や軍縮についての対話が必要という意見もあるが、圧力を強める前に交渉などに入るべきではない。圧力は特に中国にもっと役割を担ってもらわねばない。北朝鮮の人権問題を中心に多国間の枠組みで北朝鮮に圧力を加えることも重要な視点だ。ただし先制攻撃は現実的ではない。いずれにせよミサイル・衛星・核実験などは止めさせなければならない。そのためには米日韓関係は非常に重要である。

実は私が一番気になっていたのが、カール・ビンソンを始めとする空母打撃群を朝鮮半島周辺に派遣したことや、B1爆撃機を韓国上空に飛ばしたり、という米国の行動が明確な戦略に基づいているのか思いつきなのかという点でしたが、どうやら12の明確なオプションを検討して戦略的に実行しているらしいということが分かり、多少の安堵をしています。もちろん戦略は戦略で結果は結果なので、緊迫した状況であることには変わりません。

また、経済の分野についてですが、国務省で要職を経験された某氏は毎回日本に対し好意的建設的アドバイスを頂きますが、今回も心に残ったものがありました。曰く、自由で公平な貿易、自由な為替取引、自由な資本移動は非常に重要だが、日本は少子化という大きな課題を抱えているのであれば、外国人労働者や移民という政治的に困難な課題に挑戦するのも良いけれど、直接投資を増やすという視点も対策の一つとして持つべきだというもの。もちろん直接投資を増やすという視点は持っていますが、そうした文脈の視点は持ち合わせていませんでした。

全ては記し残すことはできませんが、米政府内で未だにポリティカルアポインティー(政治任用職)が決まっていない状況で、いろいろな状況を肌で感じ、耳で学ぶことができました。ただ、それ以上の価値は、旧知の人々との意見交換を通じて、交友を温めることができた点です。これは何にも代えがたい価値だと断言できます。