プロフィール
大野 敬太郎(おおの けいたろう)
衆議院議員
自民党政務調査会副会長
昭和43年11月1日生まれ さる年さそり座0型
丸亀在住(本籍豊浜)
趣味・特技
- 読書(塩野七生などは特にファン)
- 楽器(自己満足)手先は器用
- 映画はかなり見ています
- その他小さな趣味・特技は多い方です。
好きな言葉
- 「先憂後楽」という言葉は特に好きです
略歴
- 坂出中央小・附属坂出中・丸亀高校S63卒
- 東京工業大学卒、同大修士修了
- 東京大学博士号取得
- 富士通研究所
- カリフォルニア大学バークレー校客員フェロー
- 国務大臣秘書官・国会議員政策担当秘書
- 東京大学産学官連携研究員
- 第46回総選挙において初当選
- 防衛大臣政務官、内閣府副大臣、党副幹事長、党総務会副会長、党国会対策副委員長、党政務調査会副会長等を歴任
写真で見る大野敬太郎の半生
誕生
1968年11月1日、誕生
申年蠍座O型。姓名判断に凝っていた祖母の影響で敬太郎という名前を授かる。もともと祖母の付けたかった名前は太郎だったそうな。お袋が、それに一文字を足したい、ということになり、敬太郎となったと聞いています。東京で生まれ2才で親父の仕事の関係でスイスに渡り6歳まで過ごしたそうです。ほとんど何も覚えていませんが、何となく外国人に会っても気負うことがないのはその為かもしれません。その後、これも親父の仕事の関係で小学生から地元に。小学校卒業
1981年3月坂出市立中央小学校卒業
最初は高松の四番丁小学校に入り、ほどなく坂出に移りました。引っ越しが多く折角できた友達との別れを何度も経験し寂しい思いをしたことは記憶に残っています。坂出市立中央小学校在学中は工作クラブに所属。機械いじりや楽器いじりが好きで、家にある物を分解しては元通りに戻せず、お袋に文句を言われ続けた記憶があります。ボーイスカウト所属。基本的にアウトドア派。讃岐の山海を駆け回り元気に育つ。残念ながら、この母校は時代の流れで統廃合となり、現在では残っていません。学校の正門に、津島寿一の銅像が建っていたのをおぼろげながら覚えています。中学校卒業
1984年3月、香川大学付属坂出中学校卒業
在学中はテニス部とブラスバンド部に所属。不思議なもので、当時は数学が好きなどと全く思いませんでしたが、後に数学好きになっていきます。ブラスバンドでは、本当はフルートをやってみたかったのですが、先生から、男はトランペットだ、と言われ、致し方なくトランペットを手に取ることになりましたが、結局のところ、全く物になりませんでした。高校卒業
1987年3月、香川県立丸亀高校卒業
在学中はテニスと器械体操に熱中。自転車で近県遠征もよくやった。申年なのでスポーツは適度に何でもこなします。文化祭で、クラスの出し物として、紫禁城の模型を作ることになり、妙に燃えた記憶があります。器械体操は、当時は男子の部がなく、体育担当の先生に顧問になってもらい友人と立ち上げたのですが、後に知ったのが、この男子体操部は大変歴史のある部であって、過去に何度も全国大会に出場していたということです。ちなみに当然ですがインターネットは無い時代。初めて買ったパソコンに夢中になり、電話回線で遠隔対戦できるオセロゲームを作った記憶があります。大学卒業
1991年3月、東京工業大学工学部卒業
1993年3月同大学院修士課程修了。ひたすら研究や読書に没頭。同時に自動車部で機械いじりの毎日。テニスもこのころまでは続けました。在学中、研究室のテレビで見た湾岸戦争の当時世界初のリアルタイム放送に衝撃を受けたのを鮮明に覚えています。就職
1994年4月、富士通株式会社入社
宇宙開発関係の仕事にエンジニアとして従事。月周回衛星「かぐや」や、地球観測衛星「みどり」、技術試験衛星VII、「はやぶさ」の兄弟衛星「すざく」などに従事。ひょんなことで宇宙研から感謝状をもらいました。筑波宇宙センターで運用に携わったりNASA職員と共同作業したり、多くの経験をしました。一方で、本好きが高じて国際法やマクロ経済など文系専門書も読み漁っていました。1999年11月に富士通研究所へ転属。客員フェロー
2001年12月、カリフォルニア大学バークレー校
客員フェロー
海外から日本を客観的に見ることができた時代です。写真は様々な国際学術会議に参加したときのもの。研究に没頭できた時代でした。様々な研究機関の著名研究者と自由勝手にアポを取り、いろいろな意見交換をした時代でした。一方で、強烈な記憶として残っているのが、大学の公開講座でダニエル・エルスバーグの講演を聞いた時のもの。何か強烈な違和感を感じたことです。秘書官に
2004年9月、防衛庁長官秘書官
政治の道への第一歩を踏み出す。当時の小泉総理の署名の入った秘書官任命状は、高々紙切れ一枚ですが、何か国家の為に尽くせる喜びを感じさせるものでした。日米防衛首脳会談では、話し合いがどのように進んでいくのか大いに勉強になった。また、それまでは殆ど理解していなかった普天間・辺野古の問題も、このころ懸命に勉強した記憶があります。秘書官任期以降の2005年11月からは衆議院議員秘書として活動しました。博士号取得
2006年2月、東京大学産学官連携研究員
中途半端に終わらせたくなかったというのが理由です。会社員時代にご指導を仰いでいた大学の先生の下で残余の研究を継続すると決意し、非常勤ですが大学院生の面倒を見ながら研究活動を再開することに。査読付き論文も何本か執筆。そしてその成果をまとめて同大学に提出し、翌2007年10月に博士号取得。学位取得でいよいよ研究の道に一応の区切りがつき、政治活動に専念することにしました。そして・・・
爾来・・・
地元香川に戻り修業的活動中。結構、きついときもありました。罵声を浴びせられることもありました。でも、たった一人でも、たった一言でも、がんばれ、そうおっしゃって頂く方がいたときには、無常の喜びがあって、エネルギーが漲ってくることを、地元の活動で学んだ時代です。2012年初当選。この時の思いは決して忘れることなくまい進して行きたいと思います。
政治の道を目指して
1991年という年
湾岸戦争が起きた年。大学で実験に追われる毎日を送っていたころ、研究室のテレビ越しに私の目に飛び込んできたのは、当時世界初であったリアルタイムの紛争地域の映像でした。飛び交う閃光弾、赤ん坊を小脇に抱えて逃げ惑うクェートの母親。私の中の何かを強烈に揺さぶりました。爾来、国とは国民にとって何なのか、どうあるべきなのか、真剣に考えるようになっていました。当時はまだ政治家になろうとは思ってもいませんでしたが、後の2004年に政治の世界に飛び込んだのは、何か貢献したいとの思いがあったからでした。
ふるさとの素敵な隣人
政治の世界に飛び込んで間もなく、地元に戻ることにしました。2006年ごろです。そして改めて思ったのが、やっぱりふるさとが一番だ、ということ。理屈はありません。そしてすぐに気づいたことがありました。罵倒され馬鹿にされたとしても、地元から頂く知恵や勇気や気付きは、おそらくやってみたことのない人には一生分からないものだと思います。一票欲しさに行う活動のレベルとは遥かに違うものが見えてくる。肌感覚が分からなくなった政治に良い政治ができるとは思えません。だからこそ、地元は大切なものなのであって、尚一層、大切にしていきたいと思っています。
謙虚に真摯に大胆に
初当選の時から、変わらずポスターに掲げているキャッチフレーズ。私なりに思いを込めたもので、自らの戒めにもしています。「謙虚さ」というのは、人間としての謙虚さもありますが、権力を振りかざさないという、権力に対する謙虚さの方が政治家にははるかに重要だと思います。例えば民主主義と多数決の違いが分からなければならない。「真摯さ」というのは、人間としてというより、真摯さの対象が重要だと思います。今だけでなく、未来・過去の全ての日本人に真摯に向き合い、顔向けできないことはしない、という姿勢です。どんな政策でも、どんな決断でも、大戦で散華されたご英霊に、あるいは生まれてくる子供たちに、常に説明できなければならないのだろうと思っています。 ただ謙虚に真摯に生きるとしてもそれだけでは政治家としての価値は全くありません。時には「大胆に」事を起こす覚悟が必要なのだということを胸に刻み続けています。
基本的・長期的・国際的
政策を紡ぎあげるには普遍的なビジョンなり思想哲学が必要なのだと思います。普遍的とは、基本軸があって、その上で時間が経とうが変わらず、国際社会の中でもどうどうと胸を張れるもの、場合によっては世界にも貢献できること、が望ましい。従って、目に見える課題があれば、それをそのまま解消しようとするのではなく、目的を明確化した上で、課題を極力構造化し、一般化し、ビジョンに照らし合わせて政策を紡いでいく、ということを大切にしています。そのためには、常に世の中の流れを見ていなければならないはずです。日本国内だけに閉じこもっていては見えてこないものがあります。
言いたい事・言うべき事
代議士と言われるように、我々政治家は国民に代わって議する役割ですから、しゃべることが仕事です。言いたいことはどんどん言えば良いのですが、ただ、課題を解決していくことが必要ですから、何でもかんでも言いたいことを言っていたのでは、纏まるものも纏まらない場合もあります。できもしないのに言いたいことばかり言うようになるよりも、常に政策として具体化できるよう、言うべきことを心掛けています。
民主主義と多数決の違い
多数決という手段は民主主義の考え方を具体化する手段の一つに過ぎませんが、常に意識することは重要と考えています。最初から優勢が分かっていても、議論を重ねるべきは重ね、決めるべきときには決める。優勢だから何をやってもいいということではなく、劣勢側の気持ちをどれだけ慮れるかが重要です。多数決という権力、これに対する謙虚さがなければ、健全な民主主義とは言えないように思います。
自分の国は自分で守る
我が国の安全保障を取り巻く環境は著しく劣化しています。従って我が国の安全保障を担保することが最低限の至上命題です。領土・領海・領空に加え、宇宙やサイバーなどの領域でも、外交・安保・経済・技術・情報の面で守り抜きます。人生も同じ。強大な人や極端な物に過度に依存するのではく、関係は大切にしながら、自分の道は自分で守りたい、と思っています。