吉田満と安保法制

かつて史実作家にしてバッハを愛する吉田満は、作品「戦艦大和ノ最期」の中で、とある実在する大和乗組員の白淵海軍大尉の言葉を紹介している。吉田の創作なのか本当の言葉なのかは定かではないが、なんとも哲学的な表現であって、随分昔に読んだものだが、未だに鮮明に心に残っています。

白淵が大和に乗艦し沖縄戦特攻に向かう途中、下士官と予備士官が激しく言い争う場面です。戦死は軍人の誇りだという下士官と、無駄死であり意義が解らぬという予備士官。そこに白淵大尉が間をとって諌める話です。

「進歩(※1)のない者は決して勝たない 負けて目覚める事が最上の道だ 日本は進歩という事を軽んじ過ぎた 私的な潔癖や徳義に拘って、本当の進歩を忘れてきた 敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか 今目覚めずしていつ救われるか 俺達はその先導になるのだ。 日本の新生に先駆けて散る。まさに本望じゃあないか」

私的な潔癖や道徳に拘って・・・。私にはこの言葉と今の安保法制の相関性を表現する言葉の力は残念ながらありませんが、敢えて努めると、負けて目覚めるようなことがあってはならないのであって、負けるか勝つかをする前に、気づかなければいけないことが確かにあると思っています。

決して「私的な潔癖や道徳に拘って」空想をしてはいけないと強く思うのです。吉田をして白淵にこの言葉を言わせしめたのは、時代が生身の人間を精神論で突撃させるようなことがあったからであって、そこには決定的にリアリズムが欠けていたからだと思うのです。

だから、リアリズムを追求すると、戦わないために何をするのかになるのであって、何をするかと言えばパワーバランスを保っておかないといけないと強く思うのです。そう考えれば必然的に現在の安保法制は必須になってくるのであって、これを違憲の戦争法案と断罪しようと試みるのは、特攻行ってこいと言うのに等しいと、哲学的に、そして論理的に、全く同じだと思ってしまいます。

吉田満に言わしめたこの言葉を、私は決して左寄りの人が利用するような「だから武力は持つべきでない」と言う意味で捉えるものでは全くなく、また右寄りの人が使う「ここまでして先人は日本を守ってくれたのだから現代人も守らなければならないのだ」という文脈でも捉えない、むしろ単純なリアリズムの教訓としてとらえる必要性として感じています。

かつて現代の史実作家の塩野七海さんは、著書ローマ人の物語のなかで、カエサルが言ったとされる言葉を現代に伝えています。「人間とは見たいものしか見ない」。

リアリズムとアイディアリズム。この狭間で見たくないものをしっかり見る努力をしつづけること。憲法精神的に言えば、左巻き進歩的文化人(※2)の精神的支柱であった丸山真男ではないですが(※3)、生きる権利の上に胡坐をかいていては駄目で権利は不断の努力をしなければ勝ち取れないのだと思います。

(※1)この進歩と(※2)の進歩は全く別義で使っています。
(※3)念のためですが丸山の結論には私はまったく賛同しませんが思考の清さは尊敬に値すると思っています。以下、参考記事。

https://keitaro-ohno.com/?p=2398 自民党機関誌寄稿論文
https://keitaro-ohno.com/?p=1165 説を変ずるはよし、節を変ずるなかれ(陸羯南・徳富蘇峰・田岡嶺雲・正岡子規・司馬遼太郎との関係)
https://keitaro-ohno.com/?p=57 主張は清くありたい
https://keitaro-ohno.com/?p=1532 主権回復の日について
https://keitaro-ohno.com/?p=2408 祝ノーベル賞
https://keitaro-ohno.com/?p=1188 幼子は誰が責任を持って育てるのか
https://keitaro-ohno.com/?p=1818 確かな安全保障制度を構築し心豊かな国家の創造を