地方創生特別委員会質疑ー地方分権一括法案

地方創生特別委員会の質疑に立ちました。議題は地方分権一括法案です。2年前から提案募集方式になりましたので、各地方が独自の観点で法律改正の要望を提出し、必要と認められた法律改正案を一括して修正するものです。

例えばハローワークは国の機関ですが、今まで地方自治体は使うことができなかった。これに対して全国知事会が提案し地方にも使えるようにする修正案などです。

私からは、これらの法律案の中身の質疑とともに、地方創生に関する一般質疑を3件行いました。前者は、先に触れたハローワークに関するものの他、障害者福祉に関して今まで地方の障害者福祉審議会で精神障害に関する案件のみ扱えなかったのを扱えるようにするというもの。後者に関しては、1つはリーサスという地方経済分析システムの進捗と民間利活用に関するもの。2つめは地域おこし協力隊に関するもの。3つめは土地の制度に関するものです。

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和の住まい議員連盟初会合

予てより準備を進めておりました掲題の議員連盟が立ち上がりました。会長にご就任された遠藤利明大臣の強力なリーダシップによるものです。私は、田野瀬太道代議士、三宅しんご先生とともに頑張っていきたいと思います。

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和の住まい議員連盟(仮称)設立趣意書

2020年東京オリンピック・パラリンピック大会の開催は、スポーツの祭典のみならず文化の祭典でもあり、日本文化の魅力を世界に発信する好機である。大会を通じ、我が国の伝統的な住まいをはじめとした日本らしい建築を世界に宣伝することは、地方創生、地域活性化につながるものと考えられる。

また、我が国は現在、少子高齢化などの構造的問題に直面している。そうした構造的問題は、日本人の意識に徐々に変化をもたらし、伝統文化の意識の希薄化やそれによる帰属意識の低下などを通じて、逆に構造的問題に悪影響を与えるという悪循環に陥っている。今一度、自らの良さを再認識するため、我が国の伝統・文化・風土を見つめなおし、日本らしさを好循環に繋げていく具体的政策を立案することは焦眉の急を告ぐ課題である。

我が国の伝統的な住まいには、瓦、土壁、真壁、濡れ縁、縁側、続き間、畳、襖など、地域の気候・風土・文化に根ざした空間・意匠、構法・材料など、生活環境構築のための知恵が息づいている。しかしながら、意識変化により忘れ去られつつあり、地方創生・住宅政策・文化政策・農業政策・林業政策・産業政策・観光政策・教育政策などを含めた好循環を生めなくなっているのが現状である。

そこで、2020年東京オリンピック・パラリンピック大会の開催に向けた取組みを契機として、今一度、和の住まいや住文化、伝統技能の良さを見つめなおし、国民意識の普及を含めた具体的政策を通じて、我が国の好循環をこの観点から創造していくべきである。かかる観点から、今般、有志により議員連盟を設立する運びとなった。大勢のご賛同を賜りたいと切に願う次第である。

以上

※推進体制(和の住まい推進関係省庁連絡会議)
文化庁、農林水産省、林野庁、経済産業省、国土交通省、観光庁により構成

Forum-K 東京勉強会 – Society5.0

第7回目となるForum-K東京勉強会を開催いたしましたところ、大勢の皆様にご参会賜りましたこと、厚く御礼申し上げます。

今回は、Society5.0と題して、AIやBigData、IoTなどのテクノロジが生み出す世界がどのようなものかと、日本の産業構造の問題点と日本がとるべき戦略を、オープン&クローズ戦略やオープンイノベーションと言った観点からお話をさせていただきました。ForumK7-2 ForumK7-1

 

国家戦略特区と地方創生について

地方創生の本質的なポイントは、地方のやる気です。しかしこう言うと、上から目線だ、と地方から言われると全く話がかみ合わなくなります。
これまでの日本は、法律体系が大陸系であることもあり(※)、護送船団方式です。国が国家戦略を定めて地方も一丸になって日本全体の方針を決めれば日本は安泰という報式です。しかし、これだけ多様化し、護送船団方式で方策尽きている時代、国がそれぞれの地方の実情を勘案し全てにプラスになるような1つの政策方針を打ち出すのは実質的に大変困難な問題です。さらに言えば地域限定の政策を国が法律を作って応援することは憲法上の問題を提起することにもなりかねません。だから、地方が提案し国が応援するという構造が必要になりますし、地方が潤わなければ日本は地盤沈下する。先般話題になりました、保育の問題も、地方がもっと活気づけば解消する問題です。

そこで国家戦略特区という制度を国は設けています。仮に企業が農地を所有したいとなると現在の国家の法規制にひっかかる。でも、それが地方にとって存亡の危機に触れる問題ならば、その特殊事情に鑑み、その地域限定で規制を緩和しますよ、という制度です。

今年で2年目になる制度。26年度は残念ながら我が県から1件も申請がありませんでしたが、27年度は香川県から1件の申請がありました。

実は申請は、誰でもできます。個人でも、会社でも、自治体でもできます。制度としては、それが本質的に地方の好循環につながるかどうかを審査し、仮に是となれば、特区法として国会に付託されるという制度です。

特にこうした制度に取り組んでいる地域は、兵庫県、大阪府、新潟県、福岡県、沖縄県、京都府、秋田県、岡山県、広島県、愛知県などです。香川県は、もっとどんどん申請するべきです。特に、若い経営者は法規制に拘らず、発展に繋がると感じれば、チャレンジすべきだと思います。

今回の国家戦略特区法案で承認された案件は、課税特例を除けば、7軒。離島などを中心とした医療イノベーション(テレビ電話で服薬指導ができるようにする:兵庫、秋田)、医療機器の製造販売の承認手続きの円滑化のためにPMDAが臨床研究病院に助言相談するプログラム推進(大阪府・阪大・東北大)、企業の障害者雇用義務規定の比率(2%)の運用面での緩和を中小企業にも拡大(徳島)、過疎地での自家用自動車の活用拡大(シェアリングエコノミーの一歩手前の事業:兵庫、秋田、京都)、クールジャパン外国人材の在留資格の緩和に関する検討規定(新潟経済同友会)、インバウンド人数増大に対処するための民間と連携した出入国手続き迅速化に関するプログラム規定(福岡、沖縄)、そして先ほども触れました法人による農地所有規制の緩和(大阪府、新潟県、兵庫)です。

アイディアさえあれば、規制があってもチャンスにつなげられる様な制度ですので、香川県からも多くの提案があることを期待したいと思いますし、自分でもアイディアを出し続けていきたいと思います。

日本の法律は大陸系の体系を採っていると言われています。英米は英米系と言われています。何のことかというと、前者は、基本的に出来ることを規定している。後者はできないことを規定している。何が起こるかというと、日本では、できることが書いてある国家の規制の範囲で動いている分には困難にぶち当たりにくいという護送船団方式になります。メリットは問題が起きたときに訴訟コストを抑えられる。デメリットは、やりたいことを自由にできないということ。つまりイノベーションが起きにくい。一方で、英米では、できないと書いてある以外のことは何でもできるので、新しいアイディアを想いついたら、とりあえずやってみることができる。イノベーションが起きやすい。デメリットは、訴訟コストが増えるということです。

外務委員会質疑ーHNS

外務委員会の質問に立ちました。本年1月に日米政府間で署名された在日米軍駐留経費負担に関する特別協定に関する国会審議です。米軍の駐留によって日本や周辺の安全保障がどれほど確保されるのか、米軍のコミットメントをどの程度確認しているのか、などについて議論いたしました。

保育の問題について考える

保育に関する匿名のブログ書き込みが国会でも話題になっています。そこで改めて保育について考えてみたいと思います。

・待機児童問題。都内の切ない現状に接し

少し余談から入らせていただきますが、3年前、とある大使から意見交換したいとのことで大使館にお招きいただいたときのこと。夕方4時ころ、東京都内の初めて行くその住宅街にある大使館を探していたときのこと、「保育園建設反対」という一帯に掲げられている垂れ幕を見て、意味がよく呑み込めなかったことを今でも鮮明に覚えています。実に残念で切ない。

田舎育ちの私の感覚からすれば、子供たちの黄色い歓声が聞こえてきたら賑やかに活気づくのに、と。しかも子育て世代の親御さんも集まる。もう少し付け足しで言えば、まさに3世代交流というコミュニティにとってもっとも重要な循環ができるのに、と後で考えたものです。

一方で、都内に住むご年配世代にとってみれば、折角一生かけてローンを組んで静かな住宅街に庵を構えたのに、それが送迎の親御さんの車でごったがえしたり、子供たちの声を騒音と思ったりと、面倒だと思うこともわからなくもない。

仮にここで、ご年配世代には是非30年前とは全く異なる現在の子育て世代の苦しみを分かってほしい、なぜなら年金などの社会保障はこうした世代の負担の上に成り立っているのだから、と訴えたところで、そうしたご年配層にとってみれば、いやいや自分で長年積み立てた年金じゃ、とか、若い世代は日中仕事に行ってて保育所が近所に建ったら面倒だとも思わないだろうけどわしらは常に接しないといけないんじゃ、と言った主張になり、感情論になってしまいます。実は縁のある地域でも同様の問題が起きています。個別問題を解決できない力の無さを感じもしています。

人口減少対策議員連盟でまさにそのことが話題に上がり、我が意を得たりと政府に対する提言を事務局長としてまとめて提出したりしました。その部分の文言をそのまま再掲すると「子供は宝物だという社会意識が低下しており、例えば保育園騒音による住民の反対運動等の悲しい事実が顕在化しており、間接的に出産意欲の低下につながっている」。そうしたことが起こらない社会環境を整備するということに尽きます。

兎にも角にも、東京という街は、若年層にとっても(保育施設)、ご年配層にとっても(介護施設)、誠に生活し辛い場所になりつつあるのは事実です。だからこそ、地方創生と東京一極集中解消によって、そうしたアセットの利用の最適化をしなければなりませんし、そもそも家族とコミュニティが子育てをするのだという原点に戻らないといけないと強く思います。

ただ、現実がこうした理想に近づくのは少し時間がかかる。こうした演繹的視点だけでは社会問題は解決しない。だとしたら、もっと帰納的視点で解決を試みなければならないのは事実です。

・保育士の待遇は絶対に改善すべきだ。しかし・・・

まずは予算を増やすことです。OECD諸国の殆どが、仮にご年配層に10予算をとっていたら、3は子育てに予算を確保する。日本は1強です(少しデータが古いかもしれません)。未来への投資をしていかなければならない。高齢化が高齢者向け社会保障予算を増やし、それで若年層予算を減らし、子供が減り、高齢化が進む、という悪循環を断ち切ることです。少なくとも待機児童が多い地域については保育士の待遇は絶対に改善すべきです。

しかし、アセット(箱もの)をばんばん増やすことが正しい方策かと言われれば絶対に違うということを明言しておきたいと思います。

例えば政府も、こども子育て新制度を制定し積極的に予算も拡充しており、アセットも増えましたが、結局待機児童は増えている。利用したいと思う人にとって見れば、一億層活躍とか女性活躍っていうから就職活動して保育に預けようと思っているのになんだよ、となる。つまり、予算増やしたら余計利用希望者が増え、さらに予算を増やしたら、更に増える、という発散システムです。予算が増えるということは消費税も増えるということですから、折角働き始めたのにその稼ぎは公的負担として消えていく。何の為に働きに出たかがわからなくなります。

しかも、繰り返しになりますが東京など特に待機児童が問題になっているところに集中的にアセットが増えていくことになりますが、確実に需要はピークを迎える。地方はアセットが余る時代が確実にやってきます。であればやはり適正配置を考えるべきだと思います。待遇についても政府による過重な規制が悪影響を与えていると長年議論されていますが未だに答えはでていません。

要するに時間軸と地理的水平軸で最適なアセットにしないと現役世代の負担になるばかりです。

・政策の方向を見つめなおすべき

ではどうするべきなのか。現状の保育制度の補完機能として、特に需要が多い都会では、小規模保育やベビーシッター活用やシェアリングなど新しい流れを検討すべき時期に差し掛かっているのだと思います。でないと日本はもたない。シェアリングとは何のことかと言えば、子供を預かってもいいですよ、と思う人と、預かってほしい、と思う個人を繋げるビジネス。昔で言えば、地域に家政婦紹介所というのがありましたが、地域の面倒見の良い人がやっていたことをITで繋ぐということです。もちろん、質の面、安全安心の面で、ちゃんとした制度を作るべきは論を俟ちません。保育の規制はこの安心安全を担保するためにある。保育の質を国家が確保するということは当然です。

先日、Asmamaという会社の経営者と話す機会を得ました。その経営者の理念は、ビジネスチャンスということでは全くなかった。むしろ、社会の課題を解決する手段を提供しているというスタンス。誠に安心しました。その経営者曰く、利用者に安心を提供するために、つまり見ず知らずの人に我が子を預けるのはちょっとねという意見に対して、足を使ってコミュニティ単位で交流会を地道に行っているという。ITを使っているというだけで、結局家政婦紹介所とシステムは同じです。

こうしたプラットフォームを築くことを限定的にでも検討すべきです。その際は、責任所在や個人認証も含め、安心安全をどのように担保するかが中心課題になると思います。

国連女性差別撤廃委員会?女性天皇?選択的夫婦別姓?

昨日、国連女性差別撤廃委員会が日本に関してまとめた見解で、皇室継承が男系男子に限定しているのは女性差別にあたるなどとしようとしたことが報道で明らかになりました。結果的には、外務省の抗議によって削除されましたが、日本の伝統や文化を無視したとんでもない内政干渉であり、二度とこのようなことがないことを強く求めたいと思います。

 ただ、今日はその話で思い出した別の話をしたいと思います。

 今、国会内では、選挙があるのではないかという話題がしばしば聞かれるようになりました。先日もとある会合で話がでたのですが、転じて、選挙時のマスコミによるアンケートの話題になりました。

 当たり前ですがこれは新聞各社が全候補者に対して政策の考え方のアンケートを求め、その結果を新聞紙上で紹介し、有権者に対して投票の参考にしてもらおうという趣旨です。大変すばらしい。

 賛成か反対かという0か1かのアンケートがほとんど。政治という超アナログな世界に超デジタルで答えを求められる。有権者にとっては分かりやすくていい。ただ問題は、前提条件によって結果が変わる政策はままあって、それを主張できないで単純に半か長かを求められると結構なやむ。

 例えば皇室典範の在り方について、私は女系天皇はどうですかと聞かれればどこまで行っても反対ですが、女性天皇はどうですかと聞かれれば、原則反対ですが、仮に皇室が途絶えることが明らかな場合は現実論として選択肢の一つになりうると思っています。女性天皇が女系天皇まで崩壊させる第一歩だという主張もありますが、私はあくまで緊急避難的に(という言葉は望ましくない言葉ですが)一時的に緩く運用するべきという以上のものではありません。そのあたりが境目です。結局、改正については反対ですが未来永劫ではなく前提による。こうした考えは、単純に○か×かと聞かれれば悩む。○と書くと完全容認で女系天皇まで容認しているように見える。×とかくと徹底的に反対に見える。しょうがないから選択肢にない△なんてしてみるわけですが、そうすると、どちらとも言えない、と書かれてしまう。そうじゃないんだけど。

 もちろん、くそ真面目にそんなことをぐだぐだ言わずに×と書けばいいという話はあると思いますが、真意が全然伝わらないですよね。なぜそう思うのかという主張を政治家って生き物はしたいんです。そんなことは選挙アンケートでは許されない。

 またもう1例挙げれば、私は選択的夫婦別姓は原則反対。しかし、前提条件として国民の過半が望むのであれば、検討する余地はあり(何故ならば、事実、社会的精神的物理的に不利益を被る人が僅かながらいるため)。ただしその場合でも、前提条件としては、そうした方の救済措置として極めて厳格に運用することを前提に(例えば家庭裁判所でやむにやまれぬ事情ありと認められる十分な理由があると判断される場合)認めるというところあたりが境目だと思っています。ってなことを、○か×かと言われると、んーとなってしまう。×とかくと、徹底的反対に見えるし、○とかくと全然容認で選択したい人は申請すると認められるみたいに見える。そうじゃないんだけどな。これも単純に×って書けばいいという意見もあると思いますが。

 主張は清くありたい。常にそう思っています。問題は、清さは○と×というデジタルで表現できない場合があることです。その結果、有権者が表面的にしか判断できないということになってしまう。

 であれば、新聞紙上で、それぞれの候補者が具体的にどのように考えているかはそれぞれのホームページを参照してください、と紹介することくらいはできるのではないかと思うのですが、皆さんはどう思いますか。

 

北方領土の日はかなり過ぎてしまいましたが・・・

 先日、とあるところでロシア関係が話題になったので、先月2月7日の北方領土の日に書こうと思っていたところでもあったので、改めてここに書き残しておきたいと思います。今年1月、ロシアのラブロフ外相は、平和条約と領土問題は同義ではないということを記者会見で表明しました。過去のロシアの立場と全く異なる認識であって、明らかに軌道修正であって我々としては容認できるものではありません。

 ロシアは日本にとって重要な隣国なので慎重に改めてここに考えを記しておきたいと思います。

 ロシア側の主張は以下のようなものです。まず北方領土はサンフランシスコ平和条約という戦後処理で日本が放棄したもの。現在はロシアが実効支配してロシアの領土。この条約にロシアが署名していないとしても日本の義務には影響は全くない。1956年の日ソ共同宣言はそれを前提に歯舞色丹の2島の引き渡し(返還ではない)を合意し、これが領土関係の唯一の文章である。この共同宣言のポイントは、諸島についての合意が最終的にどのようになりどのように達成されるかに関わらず平和条約署名問題を第一優先に掲げるというもの。領土に関する2島以外の要求は存在しない。4島が交渉の対象となる(つまりロシア領のまま日露共同開発)。日本の経済界が4島の活動に算入することを支持すると提案してきた。そのための何らかの特別の追加的制度、自由経済圏を創設することも提案してきた。これには平和条約は必要ない。平和条約は領土問題解決が前提ではない。平和条約のためには、貿易・経済・人的・文化・国際問題など相互協力を大幅に発展させることが不可欠である。

 こうした主張には大きな問題がいくつもあります。まず日本側としては、サンフランシスコ平和条約でいう千島列島には北方領土は含まれていない事(後述)。1956年の日ソ共同宣言が平和条約交渉の原点であることは同じだが、それに続く1993年の東京宣言では4島の帰属に関する問題を解決することで平和条約を締結することで合意しています。つまり領土問題と平和条約は一体。さらに、2001年のイルクーツク声明と2003年の日露行動計画では、平和条約交渉を1993年の東京宣言を含む諸文書に基いて行うとされていますし、国境画定委員会が設立されています。つまり、最近の領土問題なんてないよ的な発言は、過去と大きく矛盾します。

 最大の問題は、プーチン大統領自らがこうした一連の合意を確認しているということです。東京宣言で4島返還とは言っていないのですから、4島の帰属の交渉に入ることが今後のポイントになるはずなのです。で、日本側はさらに、この4島の帰属をめぐる交渉については柔軟に対応しますよ、と言っているわけです。

 なんとしてでも交渉に入らなければなりません。ということは何としても首脳会談を実現しなければなりません。しかし重要なことは、前述した主張を正しく国際世論に訴えておくと同時にロシア自身にも正確に打ち返した上で交渉しないと、不利な状況で交渉にはいることになる。もちろん、交渉に入れないのであれば、もう知らない、ということでもあります。

 以下、少し歴史的な確認をしておきたいと思います。

 1951年のサンフランシスコ平和条約の2条(c)で、日本は千島列島並びに日本国が1905年9月5日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄することとなりました。これは明文化されたものです。

 なんでこの千島列島に北方領土が含まれないと日本が主張しているかというと、この部分の趣旨は戦争で日本が無理やり奪った領土は放棄せよ、ということであって、北方領土は歴史的事実からしてそれ以前から日本の領土だったので(当然1905年時点もその前も)、この条約締結の時にも吉田茂が、歯舞色丹は北海道の一部であるから千島列島には含まれないとし、さらにまた国後択捉については明確にしなかったものの、ソビエトによる一方的な収容を非難していて反論はないのであるから、立場は受け入れられたものとされています。

 では歴史上なんで日本の領土かということを整理しておきたいと思います。もともと樺太の主に南部と北方領土4島には日本人が住んでいて、それ以外の樺太と千島列島にはロシア人が住んでいました。ただ、境目は明確ではなかった。

 そこで、幕末の安政元年、1855年にロシア提督のプチャーチンと幕府の筒井政憲や川路聖謨の間で日露和親条約が締結され、ここで択捉島とウルップ島の間が国境であることが確認され、樺太については交渉決裂で従来通りあいまいのまま両国民混在ということになった。ちなみに、この時の川路という武士は、有能かつユーモアのある男であったらしく、ロシアの間でも話題の人であったと言う史実が残っています。

 少し脱線しますが、実はこの時期はまさにクリミア戦争真っ只中。アメリカのペリーによる黒船砲艦外交ができたのはイギリスやフランス、そしてロシアがクリミア戦争で忙しく日本への関心を寄せる余力がなかったからに他なりません。そしてクリミア戦争と言ってもカムチャッカ半島あたりまで影響は出ていて、英仏が同地で盛んにロシアに対して砲撃を行った史実が残っています。プチャーチンは日本に着いてからクリミア戦争の事実を知り、さらに安政東海地震で自分の艦船であるディアナ号を失いながら、交渉を行っていたことになります。丁度祖国の安泰を案じながらプチャーチンは交渉していたことになります。

 脱線しましたが、その後に、1875年の日露間で樺太千島交換条約によって、平和裏に、樺太は全面放棄でロシア領、千島は全島日本帰属ということが決まった。ここも日本国内では意見の対立があって、副島種臣という外務卿の樺太両国民住み分け論と、黒田清隆開拓次官による樺太放棄論の2論がぶつかっていましたが、征韓論で副島が下野して黒田の放棄論が明治政府内部で優勢となって結論がでた。条約交渉は、かの榎本武揚。ちなみに政府の立場ではありませんが、日本共産党はこの条約を根拠に現在でも千島全島の返還をロシア側に要求していると言われています(未確認)。

 そして1905年に日露戦争の勝利によって南樺太も日本領になりました。その後にサンフランシスコ平和条約です。つまり、北方領土はこうした歴史上の事実からして戦争で勝ち取った土地では全くなくて平和裏に日本の領土であることが確定されたものであって、樺太とは全く違う。ちなみに樺太は放棄はしたけど帰属は関知していないというのが正式な立場です。実質的には領事館を置いているので追認したものと理解はできますが。

 

【善然庵閑話】人は成熟するにつれて若くなる

久しぶりの善然庵閑話シリーズ(政治とは直接関係ない取り留めも無い事を書き綴った散文で、遠藤周作の狐里庵閑話を捩って名付けたもの)です。

今日、とある御仁との会話のなかで故竹下昇先生の話題になり、それでもってヘルマン・ヘッセをふと思い出してしまいました。ヘルマン・ヘッセなどと40代の中年の私が言えば、恥ずかしげもないのかと罵倒されそうですが、誰しも通った青春の時代(私もあったんです)、ご多分に漏れず、ヘルマン・ヘッセをいくつか読み、そうだこれでいいのだ、などと、自分の悩みを消化していたことを思い出します。今となっては単なる恥ずかしい苦く酸っぱい思い出です。

でも、25歳くらいのときに読んだ、とても印象に残ったヘッセのマイナーなエッセーがあり(駄洒落じゃありません)、それは「人は成熟するにつれて若くなる」というエッセー集に納められた、「日本の森の渓谷で風化してゆく古い仏像」というものです。

と言ってもなんでこんなエッセー集を25歳ごろに読み始めたのかも全く覚えていませんし、タイトルさえ正確に思い出せずネットで調べてようやくわかったくらいのものですが、どんな内容なのか、正確に現代に再生する力は私にはありません。

ただ、雰囲気だけ伝えれば、

雨や霜に晒されて静かに目標に向かっていく柔らかな顔をした仏陀像。その目標とは、自らすすんで森の中で朽ち果てて形のない無になることであって、客観的に見るとその行為自体が究極の高潔であって、その無の中に万象全てが含まれている、みたいな感じです。

まるで日本人のように人間の内面を追求する人がヨーロッパにいたのだという驚きと共に(ヘッセらしい)、こうした内面追及が人類普遍的なものなのかもしれないという勘違いをしながら読み耽った詩です。

般若心経にも色即是空というのがあります。万物すべて因果でつながっていて因は果になり果は次の因になる。形あるものは全てこの因果のサイクルの中の一現象でしかない。だからこそ、私のような世俗の人間自身が形のない空なるものであって、そんな空が自分の基準で判断する欲望やら怒りやら嫉妬なるものは当然のごとくすべてが煩悩でしかないというもの。

ヘッセの内面世界は実はこうした般若心経の教えをも超越した、無に向かうというダイナミズムの美学を感じます。

翻って政治における無とはなにか。それは公僕に徹することであろうか。ある種こんなどうでもいいことをぼやっと考えてしまった一日でした。