日経BPより「日本未来図2030」が刊行

先般、日経BP社から刊行された、「日本未来図2030」(自由民主党国家戦略本部編)に寄稿した文を掲載いたします。この本は、党本部国家戦略本部の中で長きにわたって議論した結果をまとめた本です(実はこの会議には大きな想いを持って結構時間をかけて議論に参加したんです)。ご笑読ください。

ここから・・・

演繹と帰納の狭間で

夢なき者に理想なし。理想なき者に計画なし。計画なき者に実行なし。実行なき者に成功なし。故に夢なき者に成功なし。明治黎明期に活躍した政治家の精神的支柱となった吉田松陰の言葉です。この言葉には、私が申し上げたいことが凝縮されており、国家戦略本部の意義を表しています。

政策を議論する上で最も大切なことは、3つの基本軸、つまり、基本的・長期的・国際的な視点を常に意識することであり、更にこれらの軸について、演繹的・戦略的・マクロ的視点と同時に、帰納的・実務的・ミクロ的視点の両面から見つめることだと思っています。

つまり、何のための政策なのか、どうして必要なのかという原点を明確に意識しつつ、過去から現在を見つめ、逆に未来から現在を見つめ、その時間軸の中で連続性は必要なのか、長期的に持続可能なのか、などを見つめ、一方で、世界の中の日本を、また日本から世界を見つめ、その空間軸の中で政策の立ち位置を吟味する視点です。

社会は多様化しています。つまり生じる問題も多様化しているということです。人口減少、地方創生、社会保障、経済財政、外交安保などと一口に言われますが、これらでさえ相互に密接に複雑に関係しています。生じた問題を逐一議論するという帰納的視点は絶対に必要ですが、俯瞰的総合的に見て問題点を単純化し、見通しを良くして演繹的視点から議論し、演繹と帰納の狭間を生める作業が最も大切です。

自民党には、多くの会議体が設置されていますが、第二次安倍内閣で再始動となった国家戦略本部は、まさにこうした演繹と帰納の狭間を生める初めての会議体であり、私自身、参加メンバーとして、本当の意味での戦略的国家形成の始まりにしなければならないとの強い思いをもっています。今後とも、自民党国家戦略本部の壮大な取り組みに期待をお寄せ頂ければ幸甚です。

 

堀口大学と閔妃事件と戦争の世紀と

先に発生した風刺画週刊誌出版社襲撃テロでフランスに触れたついでに、ふと思い出したのですが、小学生の頃、何かのきっかけで見たフランスの画家、マリー・ローランサンについて、母親がその名前を何度も呟いていたことがあり、その作品が良いとも悪いとも何の感想も持たず、ただ漠然と、しかしハッキリと覚えているのを、40歳を過ぎて自分で不思議に思ったりしています。

司馬遼太郎風に少し脱線すると、このマリー・ローランサンは、第一次世界大戦の直前にドイツ人伯爵と結婚したことによって亡命生活を余儀なくされるという戦争の歴史に翻弄される人生を歩んだ有名なフランス人画家。同い年にココ・シャネルもいます。2人は有名人同士ということもあってか交流があったようで、シャネルはローランサンに肖像画を描いてもらっています。しかし、気に入らず返品。その作品が今でもどこかの美術館にあるそうですが、それはどうでもいい話で、シャネルも戦争の歴史に翻弄されている。というのは、二次大戦の頃に進駐してきたドイツ人将校と親密な関係になって、情報を一生懸命ドイツに流す。だから、戦後はシャネルはフランス国内では売国奴扱いされながら惨めな生活を送ったそうですが、結局はデザインの才能を見いだされ国内でも認められるようになる。如何に戦争とは生身の人間の人生を翻弄するのかと思い知らされます。

脱線しましたが、なぜ、この自分では特段の関心の無いマリー・ローランサンについて書き始めたのかと言えば、先日、NHKのドキュメンタリー、彼女と恋仲にあった日本人がいた、ということをやっていた。誰だろうと思ったら、詩人の堀口大學。私自身は堀口大學に大きな関心があるわけではないのですが、そのお父さんには大いに関心あったので、ついつい引き込まれてしまいました。

堀内大學の父、堀口九万一。日本で初めての外交官試験合格組です。後にサムライ外交官と呼ばれる人です。最初の任地は仁川。ところが初っ端から大きな事件を扱うことになる。いわゆる、閔妃(ビンヒ)事件です。日清戦争が終わった直後くらいの朝鮮半島で発生した、国母と言われた王后、閔妃、の暗殺事件のことです。日本ではほとんど知られていませんが、韓国に行けば、それこそ日本で言う忠臣蔵と同じように語られる事件です。

閔妃は夫である王が政治的に無欲かつ非主体的であったこともあり、卓越した政治能力を駆使して、国内を独裁的に思うがままに操っていた一方で、大院君(閔妃の義理の父親)と実権を巡り異常な対立関係にあった(実権は2人の間でコロコロ変わっていたのか)。

壬午事変(じんごじへん)はこの対立の中ででてくる話で、近代化を進める改革開放路線の閔妃と守旧派で鎖国攘夷政策の大院君という構図の中で、大院君側の閔妃側に対するクーデターであり、近代化に加担した日本公使館の多くの館員も犠牲になっています(事後処理に朝鮮は関与しておらず清国によって裁判が行われ関係者が処刑されている)。

その後、東学党の乱(甲午農民戦争)が起きる。東学とは、道教などの中心とした思想で攘夷・減税が基本姿勢。閔妃と大院君の間で繰り広げられる政府内の権力闘争で一般庶民は疲弊の極致にあり、政府を頼れない東学に影響を受けた農民が蜂起。主要都市を占拠する事件です。

この東学党の乱の際に執政を握っていた閔妃は、混乱収拾のため清国(袁世凱)を頼る。日本は朝鮮半島での清国の影響が強まるのを嫌い、国内ですったもんだの議論の末、軍隊を派遣する。清国の軍隊派遣理由は清国は朝鮮の宗主国であり朝鮮の派遣要請に基づくものとされた。日本の派遣理由は、日本は清国の朝鮮への支配を認めていないというもの。いずれにせよ、清国も日本も急激に朝鮮への関与を強めていった結果、対立が避けられない状況になり、日清戦争が発生する。そして下関講和条約で朝鮮は清国から独立することになり、清国に代わって日本が朝鮮半島に対する影響力を強めることになる。

その際、日本側の影響力拡大と大院君の権力奪還の思惑が合体し、閔妃の暗殺という誠に19世紀的で現代的文脈では到底想像もつかぬ悲劇を生む。堀口九万一は領事官補で着任したばかりでしたが、大院君との交渉に当たっている。漢詩による筆談を行ったという記録が残っています。そして日本では関与した日本人全員を裁判にかけています。

と簡単に書きましたが、見方もいろいろで、もうぐちゃぐちゃで何が何だか分かりにくい。しかし、重要なことは、我々は外国から見た日本もしっかり学ぶべきだということです。韓国の朴槿恵大統領の日本に対する言動は時には辟易とするものもありますが、海外の歴史を海外の目で見てその目から見た日本を我々は勉強すべきだと思います。

第二に、一体韓国では、この閔妃事件はどのように子供たちに教えられているのかということ。けしからん日本人という文脈で教えられているのか。全く違う話をすれば、例えば、殆どのアメリカ人は日本に2発の原爆を落としたことを、戦争を終わらせるためと考えている。日本人としては、そんな単純なものではないだろうという複雑な思いが残りますが、教科書的には、原爆が落とされて、その後に日本は降伏したと単純な記述になっている。ここに、憎(にっく)きアメリカ人とはなっていない。もし、憎(にっく)きという表現になっていたら、今の日本はあるのだろうかと思ってしまいます。

閔妃事件の遥か後、今の朴槿恵大統領の父親である親日家の朴正煕大統領暗殺未遂事件が起きています。この時、奥様の陸英修が流れ弾で犠牲になっています。当時、犯人は日本人だと報道された(後日明らかになりますが、実際は、日本で活動していた北朝鮮工作員で在日朝鮮人)。その時、韓国では反日感情が高まった。日本側の謝罪がないからと本当に国交断絶寸前までいった記録が残っている。その時に語られたとされる言葉が、”またも”国母が日本人に殺された、というものだったとか。恐らく日本側としては、ハトが豆鉄砲を食らったような状況だったのではないかと思います。もちろん、即座に犯人への非難声明と、事件解決協力の表明くらいは、直ぐにすべきだったと思いますが、恐らくしたところで謝罪がないということになるのだと思います。

相互理解というのは、互いに理解しようとそれぞれが努力することであって、理解を強制させる方向で相互理解なんてものは存在しえないと思うのです。

我々は過去の戦争については、現代的な文脈でとらえると、我々は大いに反省し近隣諸国に大いにご迷惑をおかけしたこと、大変に申し訳なく思い続けています。これからもそうでしょう。そして自分の先祖の行為を痛ましく情けなく思わせられる教育も受けてきました。

しかし自分の先祖の存在に自信が持てないで自分に自信がもてる筈がない。このことに、1990年代後半に我々は徐々に気付いてきたのです。我々の世代が特に当てはまります。自信を失った世代の自信回復。1990年代以降の日本の経済力の停滞と個人個人の頑張る意識の低下が、必ずしも関係ないとは言えないのです。決して過去の行動を正当化するものではありません。むしろ過去を正面から見据えて内なる方向に改めて誓いを立て、しっかりと立っていく。それは、経済の文脈であって、軍事の文脈ではないのです。
 
だからこそ、過去の戦争については大いに反省し二度とあのようなことは繰り返さないと改めて誓うことは全く同じですが、そこに全てが引きずられたままでは立ち直ることができないということを安倍政権はやろうとしているのだと私は理解しているのです。右傾化などという文脈とは全く異なる路線であって、極めてドメスティックな教育改革とも言えるかもしれません。

韓国と中国は勢い誤解をしている場合もありますし、あるいはわざと誤解をしているのかもしれません。わざと、とは、歴史問題と現状の安保情勢への対応策を混ぜて論じることです。この2つは全く異なる文脈です。後者は、戦争を起こさないことが目的であって、安保法制を守ることが目的であってはなりません。50年後の教科書に、2015年の国会が国際情勢の変化に目をつぶって紛争になった、と記述されるようなことになってはいけません。

以上のことは、日本の国会議員として外国の方にお目にかかる機会と時間があれば必ず申し上げることです。目的は、過去の反省に基づいて、二度と戦争を起こさないことであって、あくまで平和なのだということを申し上げるためです。

昨年、朴大統領の報道に関して名誉棄損があったとして産経新聞の局長が在宅起訴されたのが昨年10月8日。奇しくも閔妃事件と同じ日です。そして一部で閔妃事件謝罪要求運動が持ち上がった。今年は120周年。閔妃事件で謝罪要求と言うなら壬午事変で謝罪要求返し、ってなことを言い始めるときりがないのです。そんな繰り返しでお互いが損をする互損関係になるより、こうしたことを二度と繰り返さないためにがんばろうと誓い合う方が健全だと思います。そのためには政治は勇気を持たなければならないのだと思います。

いずれにせよ、戦争は生身の人間の人生を翻弄します。絶対に避けなければなりません。

日中韓次世代リーダーズフォーラム

もう2か月も経過してしまいましたが、APECが行われた11月の初旬、それに平行して日中韓次世代リーダーズフォーラムという会議が開かれており、それに参加して参りました。今更ですが、簡単に報告申し上げたいと思います。

まずは先日もご紹介申し上げましたが、会議の様子が現地メディアに取り上げられていますので紹介させていただきます。私の喋る英語が中国語に翻訳されるという会議を初めて経験しました。

この会議は、日本の外務省の外郭団体である国際交流基金と、その韓国のカウンターパートである韓国交流基金、そして中国の共産党青年連合会の3団体が主催し、それぞれの国から政治家、外交官、メディア、文化芸術関係者、大学等教育機関を1名づつ、合計で5×3=15名で10日間に亘って毎日朝から晩までそれこそ寝食を共にして会議を行うというもの。

毎年行っていたとのことですが、ここ数年は活動が休止になっていたとのことで、久しぶりの開催だそうです。国会開会中の参加ということで、党命であるとはいえ、国対的には非常に困難な出張となりましたが、逆に非常に有意義な時間を過ごすことができました。

本来この会議の本旨は人脈形成にあり、各国のホスト機関もそれに合わせて会議のアレンジをするのですが、一部なかなかクリティカルな話題を提供する会議もあり、白熱する場面も何度もありました。逆に不思議なもので、参加者側の結束が強まり、話題提供者に対峙する格好になったケースも何度かありました。

日中韓関係は現状では非常にぎすぎすした関係になっていますが、戦後ずっとこうであったわけではありません。非常に良好であった時代もあることを忘れず、放置すべきは放置し、努力すべきは努力し、骨は折れますが良好な外交関係を構築していくべきです。

少しだけ中身に触れておきます。さすがに10日間ですから非常に多岐にわたる話題について議論しましたが、印象に強く残っている話題を2つだけ取り上げたいと思います。

1つは、中国の環境汚染と中国政府の取り組みや国際協力についての話題になった際、中国側から、もともと環境汚染は中国が先進諸外国の工場地帯として投資が行われた結果なので、国際協力を大いに期待する旨の発言がありました。私からは、今、中国は経済大国になり海外投資を行っているので汚染を輸出していることになる。恐らく投資した先の国もしばらく経つと経済発展するため、汚染の輸出ごっこになってしまう。決して中国がいけないということではなくて、国際社会の考え方として、汚染が投資を追いかけることを防止するような仕組みを考えなければならない。例えば、ODAの何%かは環境対策に使うことを国際社会の条件にしたらどうかという提案をしておきました。

もう1つは、中国側から海洋開発と海洋権益の話題提供があった際、所謂9段線の考え方や他の領有権に触れた部分があり、日本側と韓国側から種々の疑問の声があがったこと。私自身もその主張の矛盾を指摘しておきましたが、やはり主張されると、きちんと主張返しを行わなければなりません。言われっぱなしにはできないということですが、さらに大切なのは、言いっぱなしにもしないことです。

実は、再来週、日米韓国会議員会議という国際会議があり、ソウルに出張に行く予定ですのでまた報告したいと思います。

仏誌襲撃テロ事件と民主主義と中東と集団的自衛権

とんでもない事件が世界を駆け巡ってから9日となりました。フランスの風刺週刊誌を発行しているシャルリー・エプド社が、武装したテロリストに襲撃され、12名が犠牲になったほか、犯人逃走中に5名の市民が犠牲になりました。心から哀悼の誠を捧げる次第です。そして、このテロリスト集団、いかなる理由があるにせよ、今に生きる者にしてみれば、極悪非道な犯行で、許されざるもの。最大の非難に値する蛮行です。加えて、言論界へのテロでした。民主主義に対する挑戦という意味では、テロに屈しないという態度が大切。私も賛同し共同歩調をとるものです。

そして念のため、同社の風刺画は賞賛されるべきものではないということも付け加えておきます。テロの非道さと風刺内容は厳密に分けなければならない。他宗教や他国の困難な状況を鼻で笑うかのような風刺を是とすることはできません。善悪は別にして浅野内匠頭と吉良上野介の殿中抜刀の件と似ているかもしれません。

表現の自由は民主主義の根幹部分ですから、風刺だろうが何だろうが、国家存続に極めて密接に関係するような高度なもの以外は、国家権力や暴力などによって制限されるべきではありません。しかし一方で、何でもありなのかということも合わせて考えるべきです。ヘイトスピーチやら人権擁護の話も密接に関係してくる問題でもあります。こうした問題は、社会の中でコントロールされる仕組みを考えなければなりません。

そのことを申し上げた上で改めて申し上げますと、集団的自衛権の「一部を限定して」行使できるようにすることが、イスラムの”面倒”に巻き込まれるのであるというような主張が散見されます。おいおい、では、集団的自衛権の”全て”を行使可能な権利を有する全世界の大多数の国は日本よりも標的になるのか、という問題提起を第一にしておきたいと思います。そもそも、あの400万人のデモ行進には、イスラエルのネタニヤフ首相と、パレスチナのアッバス議長が同時に行進していたのですよ。

自衛権の目的は平和であって戦争をしないことなのです。目的を達成するための手段として権利を行使すべきかすべきでないかを判断していくのが重要な話であって、行使を絶対にしないという状況が平和という目的を達成するために最善の選択とは限らないのです。

第二に、もっと世界に関心を持つべきではないかという問題。関心というのは、こうすれば、ああなるから、こうすべきだ、とか、すべきでない、とかを考えるということ。アクションとリアクションを考えるということです。自分さえよければよい的な思想源流の人や触らぬ神に祟りなし的な思想源流の人には理解しにくいかも知れません。

関心をもつということは、必ずしもアクションを起こすことではありません。アクションを起こさないことも関心の一つです。今回のデモでオバマ米大統領が出席していなかったことを、好意的に見る人がいます。もしいたら、火に油を注ぐ結果になるから、不在が正解というのが趣旨。私も理解します。では果たして日本の安倍総理がいたら、どういう評価になるのか、ということを考えることが関心をもつことなのではないかと思うのです。

ForumK in 丸亀-新年会を兼ねて

来る1月23日、下記の通り、ForumK(大野敬太郎君を囲む会)を開催させていただく運びとなりました。当日直接ご来場賜っても結構です。受付にその旨お申し付けください。何かとご多用中かと存じますが、ご来場賜りますようよろしくお願い申し上げます。

日時: 1月23日(金曜日) 午後6時より

場所: オークラホテル丸亀

会費: 2万円

この催し物は政治資金規正法第8条の2に規定する政治資金パーティです。

米価下落と農業と地方創生と

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昨年から米価の極端な下落が農家を直撃しております。なんと言っても地方創生に農業という産業は絶対に欠かせない。ところが、もともと主食の米は、どんどんと需要が減っています。年間に生産量の1%にあたる8万トンもの需要が減っているというデータもあります。そうした中、だから生産調整だけをするのだという昔ながらの方法ではない方法がここ1年で導入されました。私は方向は正しいと思っていますが、制度の遷移過程では理想論だけではうまくいかない部分もあります。突如の米価下落に対峙するに理想論は余りに弱い(ただ理想論なき現状対策はバラマキになります。バラマキの定義は好循環を生まない使い方のこと)。

私の理想論を書く前に、まずは現状の米価政策をご紹介させていただきます(もっと大まかな話は以前書きましたのでご参考ください)。

1つは、関係者の皆様ならご存知だと思いますが、少し前から行っています飼料用米への転換促進のための補助について、27年度からは主食用米の生産調整に協力いただければ、1反あたり5千円の産地交付金が追加支給されます。さらに、農家さんから買取・保管・運送まで全農が直接担うことになり(全部で60万トンめど)、現場の負担が減ることになります。また、飼料用米転換のための機械のリース導入などへの支援措置もあります。

1つは、直接支払交付金の1反7500円はご存知だと思いますが、3月までに米価下落緊急対策として、一定の条件のもと、1町3万で1町増えるごとに2万の助成制度(今月が申込み期限)があります。

1つは、ご存じのとおり収入減少の影響緩和対策として従来よりナラシという制度がありますが、是非農家の皆様はご加入ください。平成27年より加入要件が緩和されます。規模の要件もなくなるうえ、集落営農の要件も緩和されますので、認定農家でなくても集落営農に参加いただければ加入いただけます。

1つは、直接支払について、多面的機能支払(井出さらいや草刈り、施設保全など)は最大1反9200円、中山間(急傾斜地など条件が悪い農地など)の場合は21000円、環境保全型(化学肥料を少なくするなど)に対する手当もあります。

ご利用いただける部分がありましたら幸いです。さて、私自身は以前から農政に対する基本スタンスは変わっていなくて、1つは供給サイドから需要サイドの農政への一部転換を確実にやっていくべきだというもの。もう1つは、地方地方の独自性と言えば平べったい言い方になりますが、全国一律に集団処理合理化システムとでも言うべきものを全ての地方が目指すのではなく、一部はキメ細かなサービスを提供できる農業を目指すべきなのかと。問題はバランスなのかと。

前者の理想を言えば、例えばの話、農協の理想に燃えた現場職員が、がんばって例えば海外に出張に出ていき、あるいは全国足を使って回り、地元に戻って組合員の農家さんの集会で、「みなさん、来年から何キロの商談纏めてきたよ、価格はこのレンジで交渉してるから、来年から頑張ってね、条件は安定供給だけですからね」と声をかける。もうやっているところは当然あるのですが、国が制度としてどれだけ後押しをできるのかと、現状ネックとなっているルールを改善する必要があるのではないかというところです。

後者の理想を言えば、例えばの話、農協の理想に燃えた現場職員が、カントリーに入るいろいろな地域の米を全部一緒にするのではなくて、キチンと管理できる構造にカントリーを設計しなおし、地域の中の地域ブランドの整備をしておくこと。もちろん現状カントリーの良さはあります。言いたいのはそれだけでいいのかということです。つまり需要に力を注いでいない(着目してない)ので、供給合理化でカントリーというシステムが生まれた。でも、需要の事を考えれば、本当にカントリーというシステムが全体合理なのかという視点が生じます。

今日は少し細かい話をしてしまいましたが、商談やカントリーの文句を言いたいのではなくて、理想に燃えた職員がいるにもかかわらず、できない壁がある、その壁を取り除かなければならないのだろうと思っているということです。そして理想論だけではなく、今年は何か具体的なものを作ってみようと思っています。いずれにせよ、地方創生は2年の間に成果を生まなければならない問題なのです。

(写真は多度津で脱サラして大規模ミニトマトを営む同級生と)

 

新年のご挨拶

未(ヒツジ)年の新しい年を迎えました。謹んでお喜び申し上げますとともに、皆様のご祈願されたことが成就されますよう、心からご祈念申し上げます。また併せて、旧年中、皆様には何かとお世話になりましたこと、心から厚く御礼申し上げます。

羊と言えば、私には2つのものが頭に浮かびます。

1つは村上春樹。村上作品群は世の中の悪を論じようとしているともとれそうですが、その悪の比喩として羊がよく使われます。羊以外にも、リトルピープルとか、みみずとか、やみくろとか。そして、システムという言葉も最近使われました。

村上春樹自身は、恐らく世界的統一秩序を形成しようとする何か父権的力は根源的な悪であり、そこから離脱を試みなければならないもの、あるいは戦うべきもの、という意識があるようですが、内田樹はこのことに触れて興味深い事を仰っています。

曰く、父権的な統一秩序形成、正義を全社会的に実現しようとする運動、は必ず失敗する、と述べた上で、人間の手の届く範囲のローカルな秩序は成立可能だけど、ローカルな秩序を拡大するにあたっては、手の触れる範囲を算術的に加算する以上のことをしてはならないし、父権制イデオロギーに対する対抗軸として、ローカルな共生組織以上のものを望むべきではないと、という趣旨のことをブログ上で仰っています。

私自身、以前からも繰り返していますが、父権的ものも母性的なものも、マクロもミクロも、時間軸の中でどれも必要であるという結論なので、内田先生の結論には必ずしも賛同できませんが、それはともかく、この内田樹先生の論評は非常に興味深いものがある。日本の中長期戦略として何を目指すのかという問題を考えるにあたって、非常に大きな問題提起をして頂いていると思っています。

それは、地方創生や人口減少問題などとも絡めて、資本と社会の在り方やら、国家と地方の在り方、地方行政と住民との在り方など、今一度議論しなおさなければならない日本国家的な問題です。しっかりと議論して参りたいと思っています。

話を羊に戻しますと、もう1つは、古代ローマの話です。

一時は無敵を誇った古代ローマの軍隊ですが、城塞を責めるときには、攻城兵器を使いました。この設計には、あのピタゴラスも一枚噛んでいるのですが、ピタゴラスが絡む以前の時代の原始的典型的攻城兵器は、攻城槌(丸太棒を皆で担いで扉に当てる)。この攻城槌の先端には、青銅製の雄羊の頭の像がしばし取り付けられています。なぜかと言えば、雄羊の突破力がものすごいから(牛とか馬とか鷹じゃないところが印象深くありませんか?)。

今年はいよいよ突破力を発揮するとき。私自身も頭の先端に雄羊のマークを取り付けた気分で、再増税まで2年間余りという限られた時間でできるだけのことを実行して参ります。

今後ともご指導ご鞭撻を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

 

Forum-K(東京後援会)忘年懇親会

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解散が囁かれる遥か前から12月15日に予定しておりましたForum-Kのささやかな忘年懇親会を実施しましたところ、ご多忙の折、多くの方にご 参会賜りましたこと、心から厚く御礼申し上げます。

開催日時が日時だけに、実施するかどうか、かなり悩みましたが、そのまま実施してはどうかというお声が多くあり、そのまま実施することにいた しました。

今の自民党に必要なことは、奢らないこと、の一点に尽きるのだと思います。今回の選挙、実際に300近い議席を再度頂きましたが、決して自民党 が100%の信任を頂いたなどとは、当たり前ですが思っていません。選挙を通じて、いろいろな層のいろいろな方からいろいろなご意見を賜りまし たが、改めて政治の難しさを感じています。そうしたことを胸に刻み込んで、前進していきたいと思っています。

 

総選挙終盤戦。決起大会に是非お越しください。

皆様にお願いです。私の夢をお伝えしたいと思っています。是非、お誘い合わせの上、ご来場賜れば幸いです!

■決起大会のご案内

12月13日(土) 18:30 豊浜  中央公民館
         19:00 大野原 JA豊南
         19:30 旧観音寺 JA常盤

増田寛也先生をお招きしてのシンポジウム

本日、増田寛也先生をお招きしての人口減少対策・地方創生シンポジウムを、保守系議員会(県議・市議・町議)主催・自民党香川3区支部共催で開催いたしましたところ、大勢の皆様にお集まりいただきました。心から感謝申し上げます。

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