総裁選は小林鷹之

いよいよ明日、総裁選の告示日となります。

私は、小林鷹之候補を支援することと致します。

小林代議士とは当選同期ですが、特に2期目に入るあたりから、様々な政策で共に汗をかいてきた仲です。

■政策発表

■Twitter(X)
https://x.com/kobahawk
■小林鷹之チャンネル
https://www.youtube.com/@kobahawkchannel/streams

●どんな人か

兎にも角にも「国家の政策」ということになると、「自らの頭で考え自ら行動を起こす」人です。例え自分が不利になっても、一人であっても、怯むことなく、前に進む人です。著名な外国要人にたいしても、それが同志国の米国の人であろうが、そのスタイルは変わりません。また、自分が有利になるために、主義主張を変えることもない人です。そして、失敗しても、決して不平不満を言わず、誰かのせいにすることもなく、責任を背負う人です。性格明るく、弱音を一切吐かず、仁義と礼節を大事にし、立てるべき先輩は立てる。例えば、政策で対立する先輩がいたとしても、堂々と自らの主張をし、その政策を通すことができても、あるいはできなくても、かならず挨拶に行くような人です。嫌な気分になる人はあまり聞いたことがない。

鮮明に記憶があるのが、5000億の投資案件を、責任を持って主導したこと。まだ3期のころですが、普通なら多少怯む額です。(因みに、その他、先端技術・エネルギー・デジタル・大学資金などへの投資も積極推進してましたから、財務省出身ながら、投資の概念をしっかり持っている人であることは間違いありません。)

●政策立案スタイル

政策立案においては、まずは人の意見にじっと耳を傾ける。その間、あまりしゃべらず考えている。それをご本人は「もやもや」と表現することが多い。しばらくして、突然、課題の全体構造を説明する紙を1~2枚作ってくる。そして、解決すべき方向を示す。解決手段に対して、他者が的確な反対の指摘をすれば、自らの頭で考え、意固地になることもなく、適切に修正する。ただ、全体の方向がぶれることは決してない。このスタイルは、ほぼすべてに当てはまります。

●具体的な例

私は小林代議士の全ての活動を把握しているわけではありませんが、少なくとも、総裁選で小林代議士が訴えている「世界をリードする日本」というフレーズは、誠に腹に落ちるものがあります。それは、小林代議士が、これまで既に一部の分野で、実際に世界をリードしてきたからです。

例えば、経済安全保障。2019年頃に、当時は1人を除き政府の誰からも相手にされなかったセキュリティークリアランス制度の必要性を、知的財産戦略調査会の役員会において互いに確認し合い、実際に方向性を1年以上かけて定め、2021年に具体的制度設計を始めました。2022年末には経済安全保障推進本部の役員会で制度の概要を確認するところまでたどり着き、2023年春には党の正式な提言としました。小林代議士とは、意識が共有できている分野では、議論を始めるのがとても簡単なのです。私から「やらない?」という問いかけに対し「やろう」で始まるのですから。

圧巻は、2020年の小林代議士が執筆した提言でした。殆ど一人で書き上げた壮大な戦略に、チーム一同、一言も反論コメントが無かったことを未だに記憶しています。この提言は、後に経済安保担当大臣になった小林代議士によって実現されます。当時は世界でも概念すら確立していなかったため、各国の安全保障担当高官から注目され、いまだに大勢の高官が日本政府を訪ねてきています。

また、宇宙では、今後の宇宙市場の拡大と、軌道上サービスの市場化を見据え、国際ルールの整備を手掛けています。どの世界でも標準化を主導的に整備したところが強いのですが、まさに日本が世界をリードした分野の一つです。その他、凡そ不可能と言われた、宇宙安保構想。これも、一人で成し遂げたことの一つです。加えて、未だ世界でも例が少ない宇宙資源法は、言い出しっぺでもある小林代議士がいなければ、実現は絶対にしていません。

加えて、コロナ禍の危機対応。なぜワクチンが日本でできなかったのか。この問題に一つの答えを出したのも小林代議士です。臨床と研究を紐づけ、米国CDCのような司令塔機能を作った。

他にも枚挙に暇がありませんが、小林代議士は、それを自慢するようなところが微塵もない。こうした取り組みを、あらゆる分野でやらせてあげれば、それこそ日本の為ではないか。私でなくても思うはずです。もちろん、生活に根差した、農業や中小企業の分野でも、です。

79回目となる終戦記念日

79回目となる終戦記念日の夜を今年は静かに自宅で迎えました。改めて、戦果に斃れた300万柱を超える英霊に、心から謹んで深甚なる哀悼の誠を捧げ、恒久平和への弛まぬ努力をお誓い申し上げる次第です。

子どものときに聞かされた日本の歴史は、大人になって学ぶと違う風景に見えることがあります。終戦記念日も、様々な事を主張される方がいます。否定するつもりは全くありませんが、ただ、8月15日に天皇陛下が玉音放送で国民に直接語り掛けられ、ポツダム宣言を受諾されたのだから、わざわざ声高に8月15日は終戦記念日ではないと言わなくてもいいのにと思うのです。とにかく静かに迎えたい日だと思っています。

ただ、歴史を学んで少なくとも強烈に感じるのは、日本は、当時の連合国側に結局は翻弄されていた側面が多々あるという事実を後で知ることの悔しさです。自ら情報を集め、自ら考え、自ら決断する、がないと必ず翻弄される。カイロ宣言も、表面的には単にチャーチルとルーズベルトと蒋介石が対日方針を協議するために集まって発表したものですが、その裏側で狡猾な国際政治が行われています。チャーチルは当初、蒋介石の参加には反対、一方でルーズベルトは日本に戦争継続を強いるために、日本との単独講和を模索していた蒋介石を無理やり巻き込んだ、というのです。

また、ポツダム会談は、主に東欧の政治体制やドイツの取り扱いを巡った会議ですが、会談中に原爆開発成功の知らせを聞いたトルーマンが、対日戦早期終了という理由と共に、既に決まっていたソ連の参戦の前に終戦を迎えれば、ソ連に権益を渡さなくて済むという理由で、対日原爆使用を許可したとされます。また、ソ連は、原爆の戦略的意味合いを知り、原爆投下の翌々日の8月8日に急遽対日戦を開始、結果として北方領土はソ連に占拠されてしまいます。スターリンはその後、8月20日には原爆の開発に着手し、これがために未だにウクライナ問題を困難にしています。

一方で国の方向を変えるのは政治家や状況だけではありません。終戦後の話になりますが、ソ連と協調関係にあった米英の方針を転換させたのは、ジョージ・ケナンという外交官・戦略家でした。(正確に言えば、英の衰退による力の空白を米が埋めざるを得なかったためという見立てもできますが)。やはり情報を集め、自ら考え、自ら判断したということは変わらないのだと思います。

静かに迎えるべき終戦記念日に少し心がざわつく話を書いてしまいましたが、繰り返しますと、政治家として、寸分の決断が国を危うくすることは今も昔も変わりません。情報を集め、自ら考え、自ら判断する。改めて恒久平和への弛まぬ努力をお誓い致します。

私の中の稲妻ー改めてご冥福をお祈りします

安倍晋三先生が非業の死を遂げてから今日で丁度2年となりました。日本にとって、あるいはもしかすると世界にとって、巨大な損失でした。全く身勝手な理由で犯行に及んだ件の男は、自分が犯した犯罪の為す意味を微塵も分かっていなかったのだろうと考えると、言葉に言い尽くせぬほどの悔しさや虚しさや加えて未だに怒りやを感じます。そして感じることが、かえって安倍晋三の人間としての偉大さと存在意義を際立たせ、余計に複雑な感情になっているように思います。

未だに当時の多くの関係者が安倍晋三先生を偲んで文章をお書きになっていますが、恐らく偲ぶというよりも、複雑すぎて表現しようもない感情を、文章で吐き出して自分を説得し自分で納得したい、あるいはせざるを得ないのではないか、とさえ思うことがありますが、この課題は私の場合は到底困難に思います。

特段近い存在でもなかった私を何度も気さくに迎え入れてくれたときの、あの雑談は、未来永劫私の記憶に残るものですし、その巨大な刺激は稲妻となって未だに私の心に流れております。必ずその稲妻を日本の為の原動力として使わせていただきたいと思っています。改めて安倍晋三先生のご冥福を心中よりお祈りいたします。

改めて政治改革

一般論として、組織に不祥事が起きたとき、組織の全員が悪いわけではないのだとしても、俺は悪くない、などと毛頭でも思うような人がいたら、恐らくその組織に未来はないのであって、申し訳ない、二度と起こさない、と心から思うことから始まらないと、再生はできないのだと思います。

政治改革の嵐が吹く政界に身を置きつつ、今国会終盤の最大の焦点となった政治資金規正法改正が、大難産かつ異例のプロセスで何とか成立しました。審議を担った政治改革特別委員会で与野党協議の責任を預かるものとして、成立に至ったことについては安堵しておりますが、極めて後味の悪いものになりました。

今回は、その雑感を書き記しておきたいと思います。

■政治資金規正法はザル法なのか

注目の的となったのは、政治資金規正法と呼ばれる、我々政治家の政治資金の収支の公開を定めている法律で、この法律は、以前からザル法と呼ばれます。なぜか。

政治資金規正法は、規制法とは書きません。規制は制限するものですが、規正は正すものです。即ち、この法律の目的・理念は、政治資金の収支の公開を通じて、政治活動が国民の不断の監視と批判に晒されることで、政治活動が国民監視の下で正されることを期待したものです。従って、収支報告書が正しく書かれなければ意味がないので、記載については厳しい罰則がかけられている、というのが基本的な構造です。(資金が贈収賄や選挙買収に使われたら、それはこの法律で罰されるわけではなく、公職選挙法とか刑法によって裁かれます。)

しかし、この政治資金規正法は、過去に度重なる不正によって、問題が起きるたびに、規正ではなく規制となる改正条項が追加されてきました。今回の事件は、政治資金の不記載・虚偽記入ですから、法改正をするまでもなく政治資金規正法違反ですが、その発生原因を防ぐために再度改正されたものです。発生原因は、不正の温床となる現金管理を許容していたこと、代表者の会計責任者に対する監督責任が不明瞭であったこと、収入に対する第三者による監査が不要であったこと、であったので、現金管理禁止と監査対象拡大による監査実効性強化、及び代表者の監督責任強化を、実質的な再発防止策として規定しました。

ただ、それ以外の、未だ問題が生じたことがない部分は、規制されているわけではなく、単に規正を理念とした公開が担保されているだけです。すなわち、構造的には、規正を理念としている法律の上に、問題が起きたところだけ規制を理念とする条項を積み重ねているため、規制の概念でこの法律を見れば、ザル法に見えるということなのだと思います。

例えば、政治資金の事業収入で言えば、規制されているのは政治資金パーティーですが、それ以外にも機関紙発行による収益もあります。1部月3000円くらいだとすると、2部で年間5万円を超えます。しかしこれには全く規制はかかっていません。穴と言えば穴です。そうした個別対処ではもはや問題を解決できないのかもしれません。むしろ政策への不正な影響を排除することが政治資金の収入の大きな課題ですから、政党助成金や献金も併せて、収入全体構造を適切にバランスよく制限していく方が理にかなっているように思います。

規正法で守られるのは民主主義です。規正法の考え方は、法律にも書かれている通り、政治資金が健全な民主主義の発展を希求して拠出される国民の浄財であるので、この法律は国民の自発的意思を抑制しないよう適切に運用しなければならないのであって、だからこそ政治団体はその責任を自覚して疑念を招かないよう努めなければならないわけです。しかし今後、政治資金に関する不正が続き、政治不信が絶えないのであれば、むしろ健全な民主主義であるはずの政治に拠出する浄財さえなくなるはずなので、いっそのこと原則と根本理念を規制法にしてしまうことも考えうるのだと思います。

■いわゆる連座制はザルなのか

今回、政界で最も問題視されたのが、秘書がやった、知らなかった、という政治家の言い逃れです。会計責任者である秘書だけが処罰されて政治家が何の処罰もされないのは理不尽ではないかということです。そして我々政治家側も、もう二度とこうした言い逃れを許さない、許してしまうと二度と信頼をお寄せいただけなくなる、そういう強い思いの下で改正に取り組みました。

そのなかで、連座制という言葉がもてはやされましたが、実は連座は近代刑法では明確に否定されます。封建時代の村社会で成り立っていた概念で、現代では責任主義のもと、責任がなければ処罰はありません。比較されるのが公職選挙法ですが、この法律では選挙違反があった場合には、選挙のプロセスに瑕疵があったために、当選が無効になるという考え方をとっています。従って、連座禁止の例外ではありません。政治資金については、法律違反があったとしても当選とはおおよそ直接関係するとは言えないので、公職選挙法の考え方も直接は援用できまぜん。従って、連座制は法律論として導入できないということになります。

この点、容易に連座という言葉を伝える当初のマスコミの報道ぶりは、野党が使い始めたものだとしても、極めて奇異に感じましたし、あまりにも法律論に無頓着であったと指摘せざるを得ません。私には「〇〇党、市中引回し及び打ち首獄門の刑検討へ」みたいな江戸時代的なイメージに聞こえてしまいます。「いわゆる」連座と我々が言い始めたのは、本来であれば法律上の連座制では当然ないものの、既に連座制を導入しなければ無責任だとばかりに宣伝されてしまっていたため、本来は恥ずかしいことではありますが、分かりやすさを優先したものです。

このあたり、例えば実務WGの鈴木けいすけ座長が、「厳密な連座ではないが、いわゆる連座を導入する」と法律論としては極めて正しく記者会見で表明したら、某メディアは、「自民、連座制断念へ」というようなタイトルの報道でした。叩こうとするのは分からなくもないですが、「自民、打ち首獄門の刑断念へ」と同じですから、恥ずかしさ倍増です。

では具体的な監督責任強化はどのようにしたかと言いますと、会計責任者には代表者である政治家への報告義務を課し、それに対して政治家には会計責任者への確認書の提出義務を課しました。これによって、会計責任者と政治家の間に、必ずやり取りが生じることになり、知らなかった、秘書に任せていた、などは完全になくなります。

ただ、これに対して、確認書を提出するという形式的な行為だけでは、言い逃れは無くならないとの指摘が為されました。残念ながら、著名大学の著名な政治学者までもが、刑法の専門家ではないと留保しつつも、堂々と曖昧だと指摘するに至っており、少し考えれば分かるのにと思うと残念でした。まずそもそも形式的行為には刑罰はかけられません。従って、確認書というのは、実質的な確認行為を伴う義務が課せられます。一定のというのがミソで、立証責任は捜査機関ですが結構厳しい内容になっています。

現行法では、政治家の責任は、実質的に会計責任者との共犯のみに発生していたものを、監督責任そのものを刑事責任の対象にしたもので、捜査機関の対象になったということを政治家側が理解しなければなりません。この点、ザル法だと宣伝されたため、政治家が軽く考えはしまいかと懸念しております。繰り返しますが、今まで捜査機関の対象となっていなかった監督責任が捜査対象になり、疑惑が生じたらゴリゴリ絞られるということです。

一方で、秘書の嘘の説明を見破れなかった、などと言った言い逃れができるとの指摘もありました。誤解を恐れずに言えば、言い逃れが絶対できない刑罰条文はこの世に存在しません。義務が規定され、処罰が規定されると、あとは捜査機関の出番となります。例えが適切か分かりませんが、刑法には窃盗をした者は処罰すると書いてありますが、盗んでない借りたんだ、と言い逃れできる条文だからザル法だとはなりません。捜査機関の対象になっているところがミソなのです。

■改正の全体構造は「再発防止」と「透明性向上」

今回の改正は、事件を受けた再発防止の部分と、それとは直接関係ないものの透明性向上を目指した部分の2つによって成り立っています。前者の再発防止は、既に触れたように、現金管理原則禁止、監査対象拡大による監査強化、代表者(政治家)監督責任強化、パーティー事業における現金授受原則禁止、オンライン提出等義務化などであって、後者の透明性向上が、話題となったパーティー公開基準引き下げや政策活動費などになります。

再発防止については、自らの組織内で発生したことですので、責任をもって起案しましたが、透明性向上については、野党の皆様との協議によって決めることとなりました。この部分が、様々な議論を呼んでしまったように思います。

■政治資金パーティー公開基準引き下げ

まずこの公開基準について、民間では1円から領収書だ、という指摘がありましたが、そもそもこれは領収書の話ではなく、1つ1つの取引内容を全世界に公開する基準のことです。さすがに民間でも一つ一つの取引を全世界に公開することはないはずです。その上で、現行法では20万円とされている公開基準を、今回は他党の指摘があり5万円に引き下げることとなりました。実は実務者としては10万円を堅持していましたが、最終段になって総理の英断があったものです。

公明党を含めた他党が5万円を主張するなかで、なぜ我々実務者が10万円を主張していたのかについてふれますと、国会での公式答弁では、政治参加を委縮させる、寄附基準5万円は上回るはず、などの理由を提示しましたが、実体的には、参加者は公開を忌避するため、参加者も減りますが、裏を返せば政治団体としての収益は確実に落ちます。

私は、そもそも金のかからない政治を志向するのは当然と思っていますし、これだけの問題を起こしているのであるから、直接事件とは関係ない公開基準であっても、引き下げるべきは当然との思いはありましたが、個々の議員が政治資金を自己努力で集めにくくなれば、構造問題が生じるとも考えていました。

すなわち、第一には当然ですが活動が縮小する方向になること。政治活動が縮小すると一般的には国民から離れた政治になりますから中長期政策を志向する議員が増えるはずです。逆の場合は生活密着型の政策志向になるはずです。私は両者のバランスが大切だと思います。

第二に、必要経費を自らの努力で獲得できなくなる議員は、所属政党を頼るようになります。党への依存が高まるということは、党の方針に忠実な議員が増える傾向になると同時に、党役員への権力集中を生み出します。ただでさえ派閥が解消されたなかで、党役員に権力が集中しているのに、それ以上、構造的に権限を役員に集中させることが、健全な政党、健全な民主主義に繋がるのか、という問題意識です。

自民党は国民政党です。何よりも有権者の言うことを聞くという立場です。立憲や国民も見るところ恐らく同じような傾向にあります。その他は見るところ上意下達の傾向が強いように思います。従って、現時点でボトムアップ型の政党ばかりではないのも事実ですが、だからと言ってトップダウン型の政党ばかりにしてよいということにはならないはずです。

議論を拝聴するに、他党でこうした民主主義上の作用を熟慮した形跡は見当たりませんでした。政局として、政治的に自らに有利な環境を言葉で作っていくことが政治なのであれば、否定されるべきものではありませんが、政治的に他国よりも有利で健全な民主主義を言葉で作っていくことこそ、私は重要だと思います。

■第三者機関は重要だ

透明性向上については、批判が最も高かった政策活動費も含めて、第三者機関で担保するというのは非常に有効な方法であろうと思います。この第三者機関については、党内実務者間でも多少は議論されておりましたが、条文化は与野党協議を通じて、検討項目として附則に入れることになりました。

問題は、第三者機関に何を期待するのか、であって、その機能や権限については様々な方向があるはずです。そしてどのような機能や権限を付与すべきかは、まさにどのような民主主義を日本が作りたいのかに左右される問題です。

すなわち政党というものが存在悪で、厳しく規制したいのであれば、調査・通知・勧告は当然として、捜査機関への通報や公表も場合によっては考えなければなりません。加えて、情報保全の仕組みも整備すべきです。この場合、強力な権限が付与できる独立行政委員会の位置づけが望ましいわけですが、3権分立を考えた際に、政党が国家権力によって監視される国家というのは、民衆が国家権力によって縛られることに繋がりますので、どちらかというと権威主義国家型の味付けにならざるを得ません。

では、3権分立の中で同じ立法府である議会に、特別委員会を設置することも考えられます。ドイツは議長の下に監督機関を設置しているようで、常時監視というよりは状況に応じて調査する機能のようです。ただ、行政機関のような強力な権限を付与できるかは疑問です。また、特別の第三者監査機関を国家が指定するという方向もあります。即ち、国会議員関係政治団体に課された法定登録監査人制度の延長線上の話として、政党も監査を行うという方向です。

いずれにせよ、繰り返しになりますが、我々議会人が、一体どのような民主主義を作りたいかで大きく味付けが変わる制度になりますし、行政に置くとしたら相当な検討期間が必要になると想像できます。政局的な議論ではなく、静謐な環境で落ち着いた議論が醸成されることを切に願っています。

続、防衛装備品の海外移転

昨年末に同じタイトルの記事を認めましたので、その続編となりますが、今回は特に積み残っていた課題の次期戦闘機の国際共同開発について、そしてその後の移転の在り方についてです。

■移転のルール

前回も触れましたが、移転の仕組みをざっくりと簡単に説明すると、いわゆる三原則は僅か3ページの文章で、

①「国際ルール違反の国」「安保理措置国」は禁止
②「平和貢献・国際協力」「国際共同開発」「自衛隊活動」は許可
③ただし「適正管理」すなわち「目的外使用」「第三国移転」は「事前同意」を義務付け

が基本です。ただ余計なことにこの三原則には運用指針が定められることが前提になっています(本来、三原則自体が外為法の運用指針みたいなものなので、運用指針の運用指針になっています)。

令和4年度運用指針

その運用指針は5ページの文書で、移転が認められる場合として、

(1)「平和貢献・国際協力」(相手が「政府」か「国連等の国際機関」か「その決議で活動する機関」)
(2)「我が国の安全保障に資する海外移転」(「同志国との共同開発・生産」か「同志国との安保協力強化に資する場合」か「自衛隊の活動」)
(3)その他

が挙げられ、加えて「厳格審査」(相手の適切性や我が国の安保上及ぼす懸念の程度)や「適正管理」(目的外使用や第三国移転)、そして「手続き」(国家安保会議や幹事会審議)が細かく定められています。

お気付きかもしれませんが、移転が認められるコアの部分を見れば、三原則本体の②と運用指針の(1)(2)を比べると、運用指針では「同志国との安保協力強化に資する場合」というのが加えられています。その中身は、

(ア)「ACSA」、(イ)「米国への技術」、(ウ)「米国への米ライセンス品の部品・役務」、(エ)「救難・輸送・警戒・監視・掃海」、(オ)「ウクライナ特例」(非武器用途廃止品)

すなわち、(ア)(イ)(エ)は、ACSAなど個別法がある場合や、米国への技術・部品・役務、ウクライナの場合ですから極めて限定的な特殊例ですので、一般的には(エ)、すなわち5類型が認められる場合となります。

そもそもこの5類型は、後で詳細について触れますが、過去の改訂で「シーレーン防衛」を念頭に設定されたもので、当初の議論では単に「シーレン防衛」に資するとなっていたものを、それだと漠然としすぎるというよくわからない理論で定まったものだと聞いています。良く分からないと申し上げたのは、例えばなぜ「通信」や「給油」が入らないのかとか、理屈ではない政治合意の産物になっています(こういう適当さが私は嫌いです)。

■昨年末の改訂

昨年末の改訂は、23回にも及ぶ実務者協議会によるもので、運用指針(2)の「同志国との共同開発・生産」については、第三国への完成品を除く部品や役務の提供が、(2)「米国への米ライセンス品の部品・役務」については、米国以外からのライセンス生産品も含め、第三国への完成品を含む提供が、(2)5類型については、部品は類型に関わらず全面解禁、完成品は引き続き5類型縛り、となりました。ただ、繰り返しですが、完成品の5類型が解除されない限り、我が国の望ましい安全保障環境創出には繋がりません。

令和5年度運用指針

■次期戦闘機

ご存じの通り、日本はイギリス、イタリアと次期戦闘機(現F-2の後継)の共同開発を行うことが決まっているのですが、日本が作った戦闘機を第三国に移転することについては、自公の実務者協議の結論で、「移転できるようにする方向で議論すべきであるという意見が太宗を占めた」との結論を得ていましたが、これに公明党幹部が難色を示し、政調会長預かりとされた上で協議が続いていました。先日、ようやく与党合意に至りました。

そもそも防衛装備品の海外移転の本質は誤解を恐れず言えば同盟化です。特に戦闘機の場合は非常に長い期間の運用が想定されます。例えば現在のF-2戦闘機は2000年に運用が始まりましたが、退役が始まるのは2035年頃と言われています。従って、次期戦闘機も、開発期間も併せれば、凡そ4~50年の期間にわたって英伊と固い絆を作るということになります。

そして英伊とともに慎重に厳選された第三国に戦略的に移転することで同志国のネットワークを広げ、同志国とともに抑止力を高めることができます。そこで初めて、日本にとっての望ましい安全保障環境の創出が可能になります。もちろん、国際共同開発と移転促進は、コスト低減にも繋がりますが、それは副次的産物であって、本来の目的はあくまで抑止です。装備品を必要とする国に厳格な審査を通じて移転することで、仲間を増やそうということです。

慎重派は、移転によって紛争を助長したり秩序が乱れたりする、と言います。紛争を助長したりするような移転は、そもそもする訳もありません。こうした論は戦後直後の古い安保論であって合理的な答えにはなりえません。現実的な戦略眼の基づかず、イメージで政策を決めるのは止めるべきです。平和を希求するのは積極派だろうが消極派だろうが同じです。平和というのは、決して国際協力もせず座して待つだけで訪れるものでは絶対にない、ということは自明です。平和は努力して勝ち取るものです。

一方で、戦闘機などと言う高度な装備品を解禁したら済し崩し的に移転が認められるようになる、という意見がありますが、そもそもなし崩し的に移転できる制度にもなっていませんし、事実、既に何十年も前に日米共同開発した超高度な戦略的装備品である迎撃ミサイルの開発を見れば明らかであって、全くあたらない指摘であると言いきれます。こうした論は、移転に否定的な結論ありきの論で、国際情勢に目をつぶり、日本政府の動向しか見ずにその批判をしていれば平和は訪れると思っている向きかもしれません。

■今後の移転の在り方(5類型※)

悪名高い5類型(※)については撤廃すべきです。というのも、そもそも前段の戦闘機という高価かつ戦略的な装備品を移転できる対象国は極めて限られているからで、同盟のネットワークはそれほど広がりません。

5類型というのは、具体的には救難、輸送、警戒、監視、掃海のことですが、そもそも論理的に立て付けがおかしいと感じるのが、三原則は外為法の運用規則であるので、物品の形状や属性など、具体的な技術リストで決まるべきものなのが、使用目的で規制しようとしているところです。

外為法本体で言えば、ワッセナーアレンジメントという通常兵器や関連汎用品の国際貿易規制ルールがありますが、これには規制すべき具体的な技術リストが示されています。しかし、三原則では、運用指針という運用の具体化をすべき文書では抽象的な運用目的で規制するものとなっており、そもそも無理があると感じています。

100歩譲って運用目的で縛るとしても、なぜ5類型なのかという疑問があります。歴史的には、先にも触れたようにシーレーン防衛に資する装備品の具体化であると言われていますが、シーレーン防衛だけでは秩序の劣化は避けられない現在において、5類型であるべき理由が説明できません。

ただ完全撤廃と言っても政治的に合意が得られる可能性は少ない。一方で現状維持であれば、明らかに望ましい安全保障環境を創出できない。そうした思いから、昨年末の実務者協議会での議論では、私案を提出させていただきました。

すなわち、5類型に代り、この5類型のそれぞれを包含する形で、殺傷類型、破壊類型、非破壊類型という3つの概念を提示し、殺傷類型のみ移転を禁じるものです。非破壊類型というのは、破壊も殺傷も目的としない活動の過程で必要な武器であると整理。破壊類型というは、破壊のみを目的とした活動に必要な武器、殺傷類型というのは、殺傷を目的とした活動に必要な武器という整理です。掃海は破壊類型ですし、非破壊類型(非破壊は同時に非殺傷でもある)は警戒・監視・救難・輸送が含まれます。掃海が破壊類型である以上、破壊類型は既に認められたものであると考えるべきですし、こうすることで極端な概念の拡張をすることなく、現実問題として生じる、なぜ給油がダメで掃海はいいのか、などのニーズ国の疑問を晴らせることになります。

因みに警戒や監視などは部隊に与えられたミッション(役割)であると考えれば、例えば衛生や給油は非破壊類型、地雷処理やドローン処理は破壊類型、機雷や地雷の敷設は殺傷類型に入ります。後述のように、本来的には運用指針で部隊のミッションなどを書くべきではないのですが、歴史的に政治合意された文書であるために、ドラスティックな変更を加えない範囲で、我ながら合理的な考えであると思っています。

セキュリティ・クリアランス

セキュリティ・クリアランス制度について、過日、有識者会議の最終提言がまとまり公表されました。法案提出も目前となりました。

今から凡そ5年前になりますが、それ以前から必要性を感じていたセキュリティ・クリアランス(SC)制度について、党の知的財産戦略調査会において同志の小林鷹之代議士らと内々で議論を始めた際、政府は相当に否定的であったのを思い出し、隔世の感を禁じえません。

SCというのは、安全保障上重要な情報を保全するためにアクセスを制限し、アクセスできる資格を個人や施設に付与する制度のことです。従って本質的には情報保全の制度ということになります。既に特定秘密保護法では伝統的な安全保障に係る「外交」「防衛」「テロ」「スパイ」の4分野の情報を特別に厳しく保全しており、アクセスするにはSCを取得する必要があり、その為には適格性評価を受ける必要があります。

既に制度が整備されているのになぜ新たに議論をしているのかというと、テクノロジーの進化と経済構造の高度化も相俟って、経済力や技術力などの経済領域を武器化する勢力が台頭し、そうした非伝統的な経済安全保障を確保する必要が生じているためです。すなわち伝統的な「外交」「防衛」「テロ」「スパイ」の領域では対処が困難になりつつあるためです。

制度や運用上の理想論で言えば特定秘密保護法の4領域を経済安全保障分野に拡大することが望ましいはずです。なぜならば経済分野の情報保全制度も伝統的安全保障の制度も、仕組みはほぼ同じになるはずだからです。ただ有識者会議でも示されている通り、別法として制度設計することは不可能ではないはずです。

ただ、ご記憶にある方もいらっしゃると思いますが、特定秘密保護法を議論した際、厳しい世論に晒され、運用にはかなりの制限が課されました。要するに一言で言えば、自国政府を怖がるのか、外国政府を怖がるのか、の目線の違いであって、当時のメディアや野党は一斉に前者の立場にたっていました。もちろんバランスというのは当然ですが、当時は制度上あり得もしない罵詈雑言に近い亀毛兎角が横行していました。

潜脱の助長とはしたくありませんので、何が運用の制限なのかは触れませんが、いずれにせよ別法にするにせよ特定秘密保護法を改正にするにせよ、今国会で審議を見込んでいる経済安全保障分野におけるSC制度が確立した後、将来のどこかの時点で、国外への技術流出防止及び有志国連携強化のために、更に情報保全制度をアップグレードしなければならないと感じています。

経済安全保障分野におけるセキュリティ・クリアランス制度等に関する有識者会議ー最終とりまとめ案参考資料

お知らせー経団連との意見交換

アルプス処理水に対して科学的根拠も無く水産物の輸入停止措置を行ったり、スパイ防止法を恣意的に運用して民間人を拘束するなど、経済力で相手を威圧し自らに有利な環境を作ろうとする一方的な試み、いわゆる経済的威圧はG7でも大きな話題になりました。

その対応策について、昨年、党経済安全保障推進本部において参加議員諸氏の精力的な議論のお陰で党としての提言を取りまとめることができ、政府に申し入れました。加えてその内容に関し、一昨年同様、昨年も経団連で講演の機会を頂き、その時の内容が先日ようやく同機関紙に掲載されました。恐らく加盟企業にはご理解を頂るものと期待しております。

2024.01.11 経団連:経済的威圧への対応の具体化を

2023.11.08 自民党:経済的威圧に対する取り組みを申し入れ

新年のご挨拶

甲(きのえ)の辰年の新しい年を迎えました。皆様方には一方ならぬご厚情を賜っておりますことに、改めて心から厚く御礼申し上げます。

甲辰は、十干の最初の年であって大木のように圧倒的優勢の意である甲と、十二支のうち唯一架空の動物であって縁起が良く力強い躍動の意である龍が含まれ、大きな動きとともに勢いよく活気にあふれる時代の最初の切っ掛けとなる年であるといわれています。

昨年末は政界が大揺れに揺れました。派閥の政治資金パーティを巡り、裏金やキックバックが明らかになり、2つの派閥事務所に強制捜査が入るという前代未聞の事態となりました。私は無派閥であって事態の情報を正確に知り得ませんが、派閥資金の運営責任を負っていた者には猛省を促したいと思うと同時に、自民党の体質ではないかとの疑いがかけられ、厳しい目が向けられている今、私自身、党の一端を担う者として大変恥ずかしく、特に党を信じてくださっていた皆様には本当に申し訳なく、心からお詫び申し上げる以外に言葉が見つかりません。

ただ、詫びて済む問題ではありません。襟を正すなどという精神論では何も解決しません。政治自らが浄化する仕組みを作らなければなりません。政治資金パーティを巡るかかる事態が発生する理由は簡単で、その本質は現金やり取りにあります。巷では全部公開すべきとの論が溢れていますが、現金やり取りがある限り、公開する前に裏金を作れてしまえば意味はありません。現金授受を禁じ、法的監査人の監査実効性を確実なものにすれば、裏金を作ることは実質不可能なはずです。監査人と結託していれば重罰に処す。いずれにせよポイントは法定監査人の監査実効性を確実なものにすることが重要です。

もう一つ残念なのが運営です。国家を運営しようとする者が政治家なのであれば、あらゆる事態に適切に対応するのが当然で、それが失敗しようが成功しようが、関係者に見通しを示すべきです。スキャンダルであろうが大規模災害であろうが、現状報告と当面の対処方針発表は初動で行うべきで、スケジュール感を伴って原因究明や背景説明、責任表明や再発防止策発表を行うべきなのが通常です。ガバナンス自体を強化しなければなりません。

いずれにせよ政治の停滞は日本の停滞に繋がり、日本の停滞は国際社会の秩序劣化に繋がります。昨年までの数年を振り返ると、コロナが収束したかと思えば、ロシアによるウクライナ侵略やイスラエルに対するハマスのテロ攻撃、加えて中国による経済的威圧や軍事活動の活発化など、国際秩序の劣化が深刻化しました。

国際秩序の劣化と言っても昔とは様相が相当変わり、伝統的な武力という力による一方的な現状変更の試みもあれば、レアアースなど戦略物資の輸出制限や水産物の輸入制限など、昔であれば安定化に寄与すると言われた経済的な相互依存を武器化する時代となりました。国際秩序のモデルは相互依存から勢力均衡に戻り、世界は安定化のための新たな力を求めるようになりました。本来それは、国連という国際世論による民主主義の力であるべきが、完全に機能不全に陥っています。安保理というシステムと覇権主義国家の存在が主な理由ですが、国ごとの考え方の違いもあります。

例えば辰(龍)のイメージ一つとっても、東洋と西洋では大きく異なります。西洋で信仰される新約聖書のヨハネ黙示録には、天使ミカエルに退治される赤いドラゴンが登場しますが、大気を乱して嵐を引き起こす悪魔の象徴サタンとされ、映画「ロード・オブ・ザ・リング」や「ハリーポッター」でも秩序を乱す存在として扱われています。一方で東洋では、雨や水を司り強力な運気上昇をもたらす崇め奉るべき存在とされ、映画「千と千尋の物語」や「ゴジラ」でも少なくともサタンでは決してなく、人間の心を理解し誤りを正すか諭す存在として扱われています。地元仁尾町でも、雨ごい伝統行事の竜祭りが長らく地域に親しまれています。

しかし属する国や地域が異なっていても、人類は自らの力で物事を俯瞰的に考えるべきであり、普遍的な価値を求めて更なる高みを目指すべきです。その意味で、甲辰の今年こそ、国連は抜本改組が必要ですし、できなければそれに代る新しい国際機関を作ってでも、圧倒的な力によって紛争を抑止できる国際システムができる切っ掛けの年にしていかなければなりません。

最後になりましたが、皆様方にはご厚情を賜っておりますことを心から感謝を申し上げ、今後とも引き続きご指導ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げつつ、皆様の益々のご隆盛とご活躍を心からご祈念申し上げます。

情報公開と民主主義

連日のように派閥のパーティを巡る裏金とキックバック問題が報道されており、政治の一端を担う者として極めて恥ずかしい限りです。ただ恥ずかしいでは済まされないので、年末の投稿にそぐわない内容かもしれませんが、政治とカネについて触れておきたいと思います。

●政治にカネはかかるのか?

かかる人はかかる、かからない人はかからない。

政治にカネがかかるとすれば事務所運営です。小さく運営しようと思えばカネはかからず、大きく運営しようとすればカネはかかります。様々な運営をする様々な政治家が集まって政治をするべきです。全員が、地域でベタベタの活動をすれば、基本的・長期的・国際的な政治にはなりにくい。一方で全員が、全国比例区で知名度のある方のような活動をすれば、生活に直結する地に足が付いた政治にはなりにくい。カネがかからない政治にはすべきですが、問題はカネがかかるからではなく、カネが流れの透明性とガバナンスにあります。

●裏金は収入公開で規制できるのか

できません。

話題の派閥パーティで裏金が作れたのは基本的には現金授受が可能だからです。収入の記載義務が20万円超というのが抜け道になっていると主張する人がいますが、全く間違っています。1円からだろうが裏金を作った後に公開しても何の意味もありません。

●裏金はどのように規制すべきなのか

現金授受の禁止と入金記録一元化による監査実効性の担保です。

現金授受はどのような場合においても記録が残らないため不正の温床になります。また、現在は現金収入を結果的に事務所が法定監査人に報告していますが、法定監査人の務めは基本的に支出の監査にありますから、収入の監査も行って頂くよう改正が必要です。更に、法定監査人の収入に関する監査項目も同時に検討すべきです。いずれにせよ、監査人による監査実効性を担保することが重要です。

●それでも公開はすべきではないか

公開する方向性が重要です。

善意の資金協力自体を制限する方向になれば、お金持ちしか政治家になれません。NGOの透明性を評価する団体がありますが、基本的には、どのような人からどのくらい協力があり、それを何にどのように使い、透明性の努力をどのように行っていて、その努力をどのように続けているのか、が評価ポイントになっています。資金協力を全部公開したところで、個々の協力に対する評価がなされるわけではなく、膨大なコストをかけて公開しても政治の透明性には繋がりません。実体的には監査人の監査実効性の制度的担保をもって為し、政治の透明性にはこうした公開の努力を政治家に課すことが必要です。

●党の政治資金の透明性について

今回の問題は派閥の政治資金の運用を巡る問題ですが、政党における運用を巡っては度々メディアで厳しい指摘がなされてきました。私自身は党でどのような運用が行われているのかを完全に理解しているわけではないので軽々に言うべきではないのかもしれませんが、今後、疑念を持たれないようにするためには、やはり法的監査制度を整備した方がよいと考えています。その為には政党法なるものも必要であろうかと思います。

以下、余談ながら、そもそも情報公開について日頃思っていることを書き留めておきたいと思います。政治とカネと言うより、情報公開の意味合いについての一般論です。

●情報公開と民主主義コスト

民主主義を支えるために必要な情報を適切に公開するためには、そのためのコスト管理が必要です。いわゆる民主主義のコスト論です。一般論ですが、情報公開は民主主義にとって極めて重要な要素ですから、公開が原則になります。そして全部公開した方がいいに決まっている。ただし、その為にはコストがかかるという理解が余り浸透していないように思います。

例えば情報公開制度によって、行政は毎日のように情報公開請求を受け、資料を作成し、精査し、公開していますが、その中で、果たして本当に意味があるのか考えてしまう請求もあります。各行政には情報公開担当の部局があり、彼らが請求内容に従って実際の公開作業を担当部局に割り振るのですが、当たった部局の担当者は1週間、それに専念せざるを得なくなります。これは、国会議員が行う質問主意書も同じです。乱発されると通常業務が1週間止まらざるを得ない。

米国の国務省ではかつて情報公開制度に従って公開した資料に、かかったコストを但し書きで添えることをしていました。例えば、「なお、この資料の作成には、〇〇ドルかかりました。」などです。こうすることで、作業も増えますが、請求者側にもコスト意識が醸成されると考えたのだろうと思います。

真面目にやっている公開者側にすれば、公開が国家の透明性、政治の透明性、民主主義の根幹に明確に役に立っていると実感できることが必要で、逆に言えば、公開請求側にとっては、どのくらいのコストがかかっているのかを理解してそれでも公開すべきだと実感して頂くことが、公開制度全体の実効性に極めて重要なポイントになるのだと思っています。

https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=323AC1000000194

価格転嫁と日銀

(中小企業庁HPより)

いわゆる派閥パーティ問題で、国政は当面混乱が続くものと思われます。折に触れて申し上げておりますが、このような政治不信を巻き起こす問題は2度と起こしてはならないのであり、襟を正すなどの精神論ではなくて、2度と起こせない制度を整備していかなければなりません。全部公開で解決する問題では全くなく、むしろ監査人の監査実効性を担保する方向に制度を改正すべきであると考えています。

このことはまた触れたいと思いますが、国政混乱が予想されるなかで大変気になるのが経済の行方です。何度も触れていますが、来年は日本にとって本当に正念場、30年間続いたデフレを脱却できるかどうかの最大のチャンスです。ただ中小企業・小規模事業者の経営者の方々とお話しすると、チャンスであるというのがあまり伝わっていないように感じます。

この国の存亡は価格転嫁にかかっている

一言で言えば、これまでの30年間、日本人は価格や値段というものは上げてはいけない、という神話にとりつかれていたように思います。ただ販売価格を上げなければ絶対にGDPは伸びません。販売価格を上げなければ絶対に賃金は上がりません。

「資材費が上がって、燃油代も上がった。その上、賃上げなんて政府はどうかしている。」と憤る方も未だに多いと思います。転嫁はそもそも無理と思っている場合と、転嫁の発想がそもそもない場合で大半を占めるように思います。

堂々と「我が社は物価高でも価格据え置き」という会社も時々お見受けします。それは、従業員賃金を安く押さえつけているか、もしくは下請けに皺寄せを押し付けているか、のどちらかです。

理由は簡単で、「競合他社に負ける」「取引してくれなくなる」、と考えるからです。しかし、その競合他社も苦しいはずです。

少し考えれば分かることですが、元請けが下請けからの転嫁要望に積極的に応じること、各企業は原材料や人件費を適正に販売価格に転嫁すること、この2つが各業界・各企業で適切に実施されれば、最終消費財の上昇を上回る賃金上昇が達成でき、生産者も消費者も両者満足する社会になるはずです。

なぜ最大のチャンスなのかは単純です。現下のコストプッシュインフレで価格を上げざるを得なくなっている局面にあるからです。価格を上げてはいけないという考えが神話だと実感してもらえるからです。30年間も転嫁したことがなければ、転嫁することすら思いつかないのかもしれません。元請けは転嫁の要望を受け入れる機会もなかったのかもしれません。しかし、確かに転嫁ができる環境にあるし、すべき環境であって、しなければならない環境でもあります。

価格転嫁促進に関する取組

前置きが長くなりました。長らく党中小企業政策調査会にて転嫁促進を中小企業庁や公正取引委員会、内閣官房などと議論してきました。基本的には、賃上げ促進税制とともに、独禁法や下請け法に基づく調査、公表、指導を実施していますが、今般、労務費に関する価格交渉の環境整備を行うため、その行動指針が示されました。適切な転嫁に応じない元請けがあれば、独禁法に違反する可能性があるということを周知徹底することも狙いです。

現在の転嫁率は、原材料価格8割、燃油等5割、労務費3割。10割転嫁を目指しています。

価格転嫁と日銀

価格転嫁が社会をよくする話を書きましたが、前提はあります。供給に対して需要が十分にあること、労働需要が十分にあることです。現在、デフレギャップが改善されてきたといいますが、需要が多いわけではなく供給が不足しているからであるように思います。従って、需要喚起も重要ですが、供給側の政策を打ち出すべき時期です。実際、補正予算では、供給サイドの政策が多くなりました。一方で、労働市場はそもそも人口減少によって人手不足なので、有効求人倍数も十分に高い。

ここで少し気になっているのが金融政策です。そもそも物価が上昇しているのは欧米との金利差による為替変動が主要因ですが、日銀は為替も睨みながら市場への悪影響を考慮してイールドカーブコントロール政策を徐々に縮減しつつあるように見えます。一方で、アメリカはインフレ鈍化が続いていることから来年早々にも利下げするとの観測が広がっています。そのことから、為替も徐々に正常化しているものと思います。

先ほどの転嫁を促進する上で、最も重要なのが労働市場をタイトにしておくこと。人口減少局面とは言え、金融緩和は当面続けなければ賃上げ環境にとってマイナスになるはずです。難しいかじ取りが求め続けられている日銀ですが、何とか踏ん張っていただければと思っています。