5期目の議席

先の衆議院総選挙で5期目の議席を皆様から賜りました。初心を胸に刻み、我が祖国・我が故郷のために邁進して参りたいと存じます。どうぞこれからもよろしくお願いします。

初心とは何か。初当選以来ポスターに掲げさせて頂いていますが、謙虚さと真摯さ、そして大胆さについてです。

謙虚さ。もちろん人間として謙虚であり続けようというのは当然ですが、我々政治家としては権力に対して謙虚であり続ける方がはるかに重要です。例えば民主主義と多数決の違い。民主主義は多数決で決まるものですが、勝てば何をやってもいいということではなく、負けた方の気持ちをどれだけ慮れるかが重要で、民主主義の健全性につながるものです。多数決で勝つという権力に対して謙虚さがなければ、健全な民主主義は発達しません。ましてや、権力を握った時に権力を振りかざすような振る舞いは、決して国民の皆様から信頼が得られるはずがありません。あくまで権力に対する謙虚さが重要だと考えています。

真摯さ。これも人間として真摯であり続けようというのは当然ですが、我々政治家としては、時代を超えて日本を築き上げて頂いた全ての方々の声にも真摯に向き合うことが重要です。かつて吉田満さんが、戦後直後に書いた「戦艦大和の最期」で、沖縄戦の意味を水兵から問い詰められた下士官が、水兵を諫めるために言った言葉を紹介しています。史実かどうかは別にして、激しく胸を打つものがあります。曰く、日本は負けて勝つのだ、負けて初めて日本は気づく、気づくことで日本は新しい日本を築き上げられる、その時に日本は本当に勝つのだ、というものです。決して美化するつもりはありませんが、歴史上の様々な人々によって築き上げられてきた日本を思った時に、時代を超えた日本人の想いに真摯に向き合うべきは当然だと思うのです。こうした全ての皆様に顔向けできるよう生きて行こうと思います。

大胆さ。最後ですが謙虚に真摯に生きるとしてもそれだけでは政治家としての価値は全くありません。時には何と思われても、大胆に事を起こしていく覚悟をもって邁進してまいりたいと思います。

5期目の挑戦。まずは国民の豊かさの追求です。選挙や人気のためではなくて、物価上昇局面が始まった2年前から、日本にとって必要な最大の課題と信じて、政策作りに粛々と取り組んでいる、賃金アップ。これを目指し、そのための構造を作って参ります。今後ともどうぞよろしくお願いします。

大野敬太郎

正々堂々と政策を

6日前に衆議院が解散され、本日から衆院選が始まります。

お祭りと稲刈りシーズンの真っ最中で誠に恐縮ですが、正々堂々と政策を訴えて戦って参りたいと思います。

第一に、物価高対策と景気対策。激変対策としての給付は継続するとしても、物価高を吸収できる経済産業構造を作ります。産業の強力な価格転嫁対策と産業政策が必要です。

第二に、持続可能な社会保障。医療と介護の制度改革が喫緊の課題です。給付減か負担増かという二元論に頼らず、予防医療とイノベーションによる持続可能な社会保障制度の構築が必要です。

第三に、地域の生活基盤の構築。農業、物流、医療、介護、保育、郵便、消防など、地域の公的役割を担う民間が岐路に立たされています。公定価格の物価スライド導入とともに、官民共創の新しいビジネスモデル構築を進めます。

第四に、昨日も台湾周辺で中国軍による軍事演習が行われましたが、外交力とともに、防衛力、技術力、情報力、運用力の抜本的強化により、国際秩序を維持し安定化する必要があります。

第五に、東南海トラフ地震の可能性が指摘されている中、既存の防災・減災・国土強靭化を強力に進めるとともに、電気や通信など重要インフラ事業を強化します。

第六に、、今回の解散の切っ掛けとなった政治資金問題に正面から向き合い、不正の厳罰化は当然として、党改革、政治改革に真正面から取り組みます。

12日間の戦いです。ご迷惑をお掛けしますが、どうぞ最後までよろしくお願いします。

大野敬太郎

衆議院解散

昨日、石破新総理は衆議院を解散しました。15日公示、27日投票日で、総選挙となります。

これまで4期12年努めて参りましたが、直近の4期目では、地方創生事業として、社会課題解決事業の実証事業、中小企業の金融支援強化、瀬戸内地方の活性化のための官民連携プラットフォームである瀬戸内フォーラムの設置、ため池整備促進、インフラの計画的整備、鳥インフル対策、漁港漁場の新しい活性化として海業の事業化、まんのう綾小踊の世界無形文化遺産登録などの実現を果たして参りました。

また国全体の政策としては、安全保障環境の劣化を受けて、経済安全保障推進法の実現、セキュリティ・クリアランス制度、能動的サイバー防御、経済インテリジェンス、経済的威圧対処、技術流出対策、ミサイル阻止力などの党公式提言や、防衛装備品移転運用指針改定などを実現したほか、激甚化する災害への対応、科学技術イノベーション活性化法や宇宙資源法の成立、量子技術戦略の策定、日本学術会議改革、などを提言しまた実現してきました。

これもすべてお支え頂いている地元の皆様の温かいご愛情と、共に汗をかいてきた同僚や役所など関係者の皆様の熱意の賜物です。

一方で、何よりも政治には国民の信頼があってこそです。信なくば立たずと言いますが、権力への謙虚さを失った政治は信頼されず、結果的に政治は機能しません。私が、キャッチフレーズとして、謙虚に真摯に大胆に、と言い続けているのは、人間に対するものでもありますが、究極的には権力に対して謙虚さを保たなければ、どんな立派な政策も意味をなさなくなるからです。

昨年末に顕在化した政治資金問題は、脱法行為ですから言語道断です。春頃から政治資金規正法改正に直接携わりましたが、未だ道半ばです。ただ、制度を改正したからいいという話でもなく、本質的にそうしたことに手を染めようと思わない政治にしなければなりません。誠に残念ながら、政治資金問題は誰も責任を取らず、最終的には岸田総理が責任をとり任期を持って退陣する選択を果たしてくれましたが、国民の皆様から見て、総理の責任までいかずとも、もっと手前で責任をとるべき人がいたはずです。

従って責任をとる政治が必要です。この事件は、昔からの流れをそのまま踏襲していたということですから、積極的に悪に手を染めたというより、悪の惰性を止められなかったということが本質的な問題ですが、だからといって許されるものではありません。

こうしたことを念頭に、物価高への対応、持続可能な社会保障制度の確立、地域生活基盤の構築に加えて、国際秩序の安定化と減災防災国土強靭化をしっかり推進して参りたいと思います。

引き続きご指導ご鞭撻を賜りますよう、よろしくお願いします。

令和6年10月10日
大野敬太郎

メディアからの質問に対する回答

選挙が近づくと、山のようにメディアから質問状が送られてきます。メディアは政治を監視し国民が適正に候補を選択できるようにする役割がありますので、可能な範囲で丁寧な回答を心掛けているのですが、残念ながら大抵は、〇×式の二択です。単純化したほうが分かりやすいのは理解しますが、二択では間違いなく等身大に伝わらないと思います。

そもそも民主主義というのは二値化できないものです。民主主義は確かに最終的には多数決で決せられますが、多数決とは本質的に違うものです。民主主義とは多数派が多数派になったとしても少数派の意見を受け止めて配慮し慮るべきものだからです。かいつまんでご紹介したいと思います。

「外国人労働者の受け入れについて、あなたの考えに近いのはどれですか。1.より積極的に受け入れるべきだ。2.より抑制的に行うべきだ。」について。私は、まずは産業政策と転嫁対策で安定成長を目指した上で、一定の管理下で限定業種への受け入れを拡大することには賛成ですが、無尽蔵に受け入れることには慎重です。これは賛成とすべきなのか反対すべきなのか。1の「より積極的」というと無尽蔵に受け入れを推進しているように感じます。2の「より抑制的」というと、受け入れに消極的で事業継続の円滑化を無視しているように感じます。合理的な答えを出すべきです。

「国立大学の学費を値上げすることに賛成ですか、反対ですか。」という設問について。当たり前ですが、まずは物価高による政府税収増の一部を利活用し政府から大学への運営費交付金を物価高に見合うだけ増額すべきで、それでも不足する部分が生じるのであれば物価上昇に見合う値上げは容認せざるを得ません。ちなみに当然ですが、ゆるやかな物価上昇局面で給与も含めて全てが安定して上昇することを、一般的には経済成長と言います。即ち国立大学の学費上昇が問題なのではなく、実質賃金が上がらないことが問題で、その答えは価格転嫁構造の実現にあるはずです。出口の価格上昇を叩く風潮は転嫁促進に逆行しデフレマインド助長となります。溢れる水があるならば、容器のかさ上げではなく、元栓を締めないと水漏れは直りません。

「6月に成立した改正政治資金規正法は、議員への罰則強化や政治資金の透明化策などを盛り込んだ一方、政策活動費について10年後に領収書を公開する方法や、支出をチェックする第三者機関の設置などの制度設計が「検討事項」となっています。この改正法が、政治とカネの問題の再発防止にどの程度効果があると考えますか。」について。改正法は3割が再発防止、7割が透明化ですが、その透明化の部分は、再発防止とは何の関係もありません。政策活動費の領収書公開は再発防止とは関係なく、政治全体の透明性向上の話です。なので透明化しても再発防止には理屈的に繋がりません。車に新型ヘッドライトを付けましたが、早く走ると思いますか、と尋ねられている感じがします。

「大企業や所得が多い人への課税を強化し、国の財源にあてることに賛成ですか。反対ですか。」について。質問が、大企業や高所得者のみを対象とした課税強化の質問ですが、今は物価上昇局面で税収は拡大していますし、どの層を対象としようが、課税強化は確実に経済を悪化させ、税収を減じる可能性さえあります。税を財政面でしか見ていない単視眼的質問に見えます。金融所得課税のことを指しているのかもしれませんが、そうだとしたら余計に的外れに感じます。

「少子高齢化が進む中での社会保険料の負担のあり方について、あなたの考えに最も近いものはどれですか。」について、選択肢が、高齢者負担増、現役世代負担増、高所得者負担増、給付抑制、その他、回答しない、の6択。そもそも給付減か負担増かという二択しか考えていないのが残念です。既に広報していますが、私は予防医療へのシフトやデジタル化、あるいは終末期医療の在り方検討によって、社会全体の社会保障の在り方は変えられると考えており、そうした第三の道を模索する考えです。

「女性が天皇になるのを認めることに賛成ですか。反対ですか。」について。初当選以来毎回聞かれる質問ですが、女性天皇に積極賛成する人がどの程度いらっしゃるのか分かりませんが、皇室の伝統を考えれば、そもそも積極賛成には決してなれない問題でもあって、それを「賛成」とか「反対」いう回答しか設けない言葉的センスの問題を感じました。その上で、女系天皇はあくまで反対ですが、女性天皇については、状況によっては消極的に容認せざるを得ない判断もあり得るとの立場です。もちろん旧皇族の扱いを含めてそうならないための方策はあると考えています。

「夫婦が希望すれば結婚前の姓を名乗れる「選択的夫婦別姓」の導入に賛成ですか。反対ですか。」について。これも毎回聞かれる質問ですが、同姓制度によって具体的にお困りの方がいらっしゃることは事実であって、この問題の本質は、当事者の問題を解消することです。最も避けるべきは世論の決定的分断を拡大させることです。賛成者は本質的な氏制度改正を求めますが、反対者は親の選択権を子供に押し付けるほか別姓を推奨するかのごとき社会になりかねないとの懸念をお持ちです。まだ世論の分断は埋まっていませんので、まずは法改正も含めて通称使用の更なる拡大を積極的に進め、その上で世論の支持を得て本質的な制度改正の検討となるべきです。

「選挙で政党の女性候補者の割合を一定以上にするよう法律で定めることについて、あなたは賛成ですか、反対ですか」について。最初から法律で義務化すべきかどうかは極めて疑問です。まずは目標の設定と結果の公表を行うとともに、比例名簿登載時に党の意思として女性割合を高める努力を行うことが重要と考えます。自民党は既に10年後までに3割に増やすよう目標を定めており、具体的な行動計画に移す段階です。何でもいきなり法律で縛ればいいという話ではないと考えています。

「同性婚を法律で明記することについて、あなたは賛成ですか、反対ですか」について。多様性が重んじられるのは当然として、同姓婚の制度がないがゆえにお困りの方々もいらっしゃるのも事実だと思います。可能かどうかは検討していませんが、私は救済制度の一環として司法において個別に判断頂くような制度ができないものかと考えています。いずれにせよ、何人も同性婚ができる、とするような世論を決定的に分断するような法律は、最初のステップとしては決定的に間違っていると思っています。

「少子化対策について、あなたの考え方はどっちらに近いですか」(A:税金や社会保険料の負担が増えても、進めるべきだ、B:負担が増えるなら進める必要はない)について。現状の財源でリバランスが必要と考えています。即ち、そもそも基本的に負担増は将来不安を増加させる方向にありますので全く逆行するので反対。また現状の子ども子育て新制度は少子化のためにできることは何でもするコンセプトですが、少子化との相関が高い分野に絞って重点的に給付をすべきではないかと思っています。一方で負担については全世代で支えるコンセプトは賛成ですが、子育て世代や現役世代の負担を減らすようリバランスが必要との認識です。

「あなたは、労働者の解雇に関する規制を緩和することに、賛成ですか、反対ですか」について。私は労働市場の流動性を抜本的に高める必要があると考えています。一方で、労働規制は基本的には緩和していくべきものと考えています。しかし、規制緩和は労働市場の状況に合わせて徐々に変えていくべきものと考えています。従って、性急な解雇規制緩和は現時点では必要ないとの考えです。労働市場の流動性向上については、マッチングやリスキリングなど様々な取組がなされています。

「アメリカ軍の核兵器を国内に配備して、共同運用する仕組みである核シェアリングについて、あなたは賛成ですか、反対ですか」について。核の保有や使用は被爆国であって国際秩序の劣化に繋がりますから論理的にも感情的にも反対ですが、現状の厳しさが劇的に増す安全保障環境を考えた時に、艦船の寄港はありうるのではないかと考えるようになっています。ただ、共同運用には反対です。

●追記

選挙後に、防衛力強化について、NHKには消極的なコメントなのに、その他のメディアには積極的なコメントは何故なのか、との指摘を頂きました。私の考え方は、防衛力の抜本強化は必要、財源は、法人税増税等の既に決定済みの政府方針の方向で早急に措置すべき、それ以上の財源が必要な場合は、基本的には恒久財源である税で措置すべきだが現時点の経済情勢で直ちに措置するべきではない、なのですが、振り返って調べてみましたところ、

NHKの「政府は、5年間で43兆円程度の防衛費を確保する方針で防衛力の抜本的強化を進めています。これについてどう考えますか。」に対して、回答は選択肢にあった「今のままで良い」と回答しています。このことだと思いますが、これは既存の抜本強化の方針で良い、という意味で回答したもので、決して抜本強化に反対するものでは全くありません。続く質問でもそのための増税に反対としたのはその趣旨です。私の日本語理解能力の問題もあったと思いますが、質問するならもう少し分かりやすくして頂きたいということと、選択肢を限定するなら主要な意見も選択できるようにしてほしい、というのが正直な意見です。

その他、日テレや朝日の「日本の防衛力はもっと強化すべきだ」には「賛成」と回答していますし、読売新聞の「政府は防衛費を大幅に増やし、対国内総生産(GDP)比の規模を、現状の1%程度(約5.5兆円)から、2027年度には2%(約11兆円)にするとしています。防衛費の適切な規模についてどう考えますか。」には「政府方針の通りGDP2%程度とすべきだ」と回答。また毎日の「防衛費増額の財源確保に向け増税する政府の方針について、あなたの考えに近いのはどれですか」には「防衛費増の方針に賛成するが、そのための増税はすべきではない」としていますが、防衛だったらなんでも増税に賛成というわけではないので、そういう選択にしています。

斯様に単純な選択肢回答は回答者の思いをなかなか十分に反映してくれないシステムになっていることはご承知おき頂ければと思います。

そういう意味では、実はこうした分かりやすさとキャッチ―さを追求しようとするメディアの態度こそが、考えることをやめ極論に走りがちになる現代の風潮を生み出しているのではないかとさえ思います。実は今回の選挙では、朝日新聞だけが、文章での回答を許してくれました。

総裁選は小林鷹之

いよいよ明日、総裁選の告示日となります。

私は、小林鷹之候補を支援することと致します。

小林代議士とは当選同期ですが、特に2期目に入るあたりから、様々な政策で共に汗をかいてきた仲です。

■政策発表

■Twitter(X)
https://x.com/kobahawk
■小林鷹之チャンネル
https://www.youtube.com/@kobahawkchannel/streams

●どんな人か

兎にも角にも「国家の政策」ということになると、「自らの頭で考え自ら行動を起こす」人です。例え自分が不利になっても、一人であっても、怯むことなく、前に進む人です。著名な外国要人にたいしても、それが同志国の米国の人であろうが、そのスタイルは変わりません。また、自分が有利になるために、主義主張を変えることもない人です。そして、失敗しても、決して不平不満を言わず、誰かのせいにすることもなく、責任を背負う人です。性格明るく、弱音を一切吐かず、仁義と礼節を大事にし、立てるべき先輩は立てる。例えば、政策で対立する先輩がいたとしても、堂々と自らの主張をし、その政策を通すことができても、あるいはできなくても、かならず挨拶に行くような人です。嫌な気分になる人はあまり聞いたことがない。

鮮明に記憶があるのが、5000億の投資案件を、責任を持って主導したこと。まだ3期のころですが、普通なら多少怯む額です。(因みに、その他、先端技術・エネルギー・デジタル・大学資金などへの投資も積極推進してましたから、財務省出身ながら、投資の概念をしっかり持っている人であることは間違いありません。)

●政策立案スタイル

政策立案においては、まずは人の意見にじっと耳を傾ける。その間、あまりしゃべらず考えている。それをご本人は「もやもや」と表現することが多い。しばらくして、突然、課題の全体構造を説明する紙を1~2枚作ってくる。そして、解決すべき方向を示す。解決手段に対して、他者が的確な反対の指摘をすれば、自らの頭で考え、意固地になることもなく、適切に修正する。ただ、全体の方向がぶれることは決してない。このスタイルは、ほぼすべてに当てはまります。

●具体的な例

私は小林代議士の全ての活動を把握しているわけではありませんが、少なくとも、総裁選で小林代議士が訴えている「世界をリードする日本」というフレーズは、誠に腹に落ちるものがあります。それは、小林代議士が、これまで既に一部の分野で、実際に世界をリードしてきたからです。

例えば、経済安全保障。2019年頃に、当時は1人を除き政府の誰からも相手にされなかったセキュリティークリアランス制度の必要性を、知的財産戦略調査会の役員会において互いに確認し合い、実際に方向性を1年以上かけて定め、2021年に具体的制度設計を始めました。2022年末には経済安全保障推進本部の役員会で制度の概要を確認するところまでたどり着き、2023年春には党の正式な提言としました。小林代議士とは、意識が共有できている分野では、議論を始めるのがとても簡単なのです。私から「やらない?」という問いかけに対し「やろう」で始まるのですから。

圧巻は、2020年の小林代議士が執筆した提言でした。殆ど一人で書き上げた壮大な戦略に、チーム一同、一言も反論コメントが無かったことを未だに記憶しています。この提言は、後に経済安保担当大臣になった小林代議士によって実現されます。当時は世界でも概念すら確立していなかったため、各国の安全保障担当高官から注目され、いまだに大勢の高官が日本政府を訪ねてきています。

また、宇宙では、今後の宇宙市場の拡大と、軌道上サービスの市場化を見据え、国際ルールの整備を手掛けています。どの世界でも標準化を主導的に整備したところが強いのですが、まさに日本が世界をリードした分野の一つです。その他、凡そ不可能と言われた、宇宙安保構想。これも、一人で成し遂げたことの一つです。加えて、未だ世界でも例が少ない宇宙資源法は、言い出しっぺでもある小林代議士がいなければ、実現は絶対にしていません。

加えて、コロナ禍の危機対応。なぜワクチンが日本でできなかったのか。この問題に一つの答えを出したのも小林代議士です。臨床と研究を紐づけ、米国CDCのような司令塔機能を作った。

他にも枚挙に暇がありませんが、小林代議士は、それを自慢するようなところが微塵もない。こうした取り組みを、あらゆる分野でやらせてあげれば、それこそ日本の為ではないか。私でなくても思うはずです。もちろん、生活に根差した、農業や中小企業の分野でも、です。

79回目となる終戦記念日

79回目となる終戦記念日の夜を今年は静かに自宅で迎えました。改めて、戦果に斃れた300万柱を超える英霊に、心から謹んで深甚なる哀悼の誠を捧げ、恒久平和への弛まぬ努力をお誓い申し上げる次第です。

子どものときに聞かされた日本の歴史は、大人になって学ぶと違う風景に見えることがあります。終戦記念日も、様々な事を主張される方がいます。否定するつもりは全くありませんが、ただ、8月15日に天皇陛下が玉音放送で国民に直接語り掛けられ、ポツダム宣言を受諾されたのだから、わざわざ声高に8月15日は終戦記念日ではないと言わなくてもいいのにと思うのです。とにかく静かに迎えたい日だと思っています。

ただ、歴史を学んで少なくとも強烈に感じるのは、日本は、当時の連合国側に結局は翻弄されていた側面が多々あるという事実を後で知ることの悔しさです。自ら情報を集め、自ら考え、自ら決断する、がないと必ず翻弄される。カイロ宣言も、表面的には単にチャーチルとルーズベルトと蒋介石が対日方針を協議するために集まって発表したものですが、その裏側で狡猾な国際政治が行われています。チャーチルは当初、蒋介石の参加には反対、一方でルーズベルトは日本に戦争継続を強いるために、日本との単独講和を模索していた蒋介石を無理やり巻き込んだ、というのです。

また、ポツダム会談は、主に東欧の政治体制やドイツの取り扱いを巡った会議ですが、会談中に原爆開発成功の知らせを聞いたトルーマンが、対日戦早期終了という理由と共に、既に決まっていたソ連の参戦の前に終戦を迎えれば、ソ連に権益を渡さなくて済むという理由で、対日原爆使用を許可したとされます。また、ソ連は、原爆の戦略的意味合いを知り、原爆投下の翌々日の8月8日に急遽対日戦を開始、結果として北方領土はソ連に占拠されてしまいます。スターリンはその後、8月20日には原爆の開発に着手し、これがために未だにウクライナ問題を困難にしています。

一方で国の方向を変えるのは政治家や状況だけではありません。終戦後の話になりますが、ソ連と協調関係にあった米英の方針を転換させたのは、ジョージ・ケナンという外交官・戦略家でした。(正確に言えば、英の衰退による力の空白を米が埋めざるを得なかったためという見立てもできますが)。やはり情報を集め、自ら考え、自ら判断したということは変わらないのだと思います。

静かに迎えるべき終戦記念日に少し心がざわつく話を書いてしまいましたが、繰り返しますと、政治家として、寸分の決断が国を危うくすることは今も昔も変わりません。情報を集め、自ら考え、自ら判断する。改めて恒久平和への弛まぬ努力をお誓い致します。

私の中の稲妻ー改めてご冥福をお祈りします

安倍晋三先生が非業の死を遂げてから今日で丁度2年となりました。日本にとって、あるいはもしかすると世界にとって、巨大な損失でした。全く身勝手な理由で犯行に及んだ件の男は、自分が犯した犯罪の為す意味を微塵も分かっていなかったのだろうと考えると、言葉に言い尽くせぬほどの悔しさや虚しさや加えて未だに怒りやを感じます。そして感じることが、かえって安倍晋三の人間としての偉大さと存在意義を際立たせ、余計に複雑な感情になっているように思います。

未だに当時の多くの関係者が安倍晋三先生を偲んで文章をお書きになっていますが、恐らく偲ぶというよりも、複雑すぎて表現しようもない感情を、文章で吐き出して自分を説得し自分で納得したい、あるいはせざるを得ないのではないか、とさえ思うことがありますが、この課題は私の場合は到底困難に思います。

特段近い存在でもなかった私を何度も気さくに迎え入れてくれたときの、あの雑談は、未来永劫私の記憶に残るものですし、その巨大な刺激は稲妻となって未だに私の心に流れております。必ずその稲妻を日本の為の原動力として使わせていただきたいと思っています。改めて安倍晋三先生のご冥福を心中よりお祈りいたします。

改めて政治改革

一般論として、組織に不祥事が起きたとき、組織の全員が悪いわけではないのだとしても、俺は悪くない、などと毛頭でも思うような人がいたら、恐らくその組織に未来はないのであって、申し訳ない、二度と起こさない、と心から思うことから始まらないと、再生はできないのだと思います。

政治改革の嵐が吹く政界に身を置きつつ、今国会終盤の最大の焦点となった政治資金規正法改正が、大難産かつ異例のプロセスで何とか成立しました。審議を担った政治改革特別委員会で与野党協議の責任を預かるものとして、成立に至ったことについては安堵しておりますが、極めて後味の悪いものになりました。

今回は、その雑感を書き記しておきたいと思います。

■政治資金規正法はザル法なのか

注目の的となったのは、政治資金規正法と呼ばれる、我々政治家の政治資金の収支の公開を定めている法律で、この法律は、以前からザル法と呼ばれます。なぜか。

政治資金規正法は、規制法とは書きません。規制は制限するものですが、規正は正すものです。即ち、この法律の目的・理念は、政治資金の収支の公開を通じて、政治活動が国民の不断の監視と批判に晒されることで、政治活動が国民監視の下で正されることを期待したものです。従って、収支報告書が正しく書かれなければ意味がないので、記載については厳しい罰則がかけられている、というのが基本的な構造です。(資金が贈収賄や選挙買収に使われたら、それはこの法律で罰されるわけではなく、公職選挙法とか刑法によって裁かれます。)

しかし、この政治資金規正法は、過去に度重なる不正によって、問題が起きるたびに、規正ではなく規制となる改正条項が追加されてきました。今回の事件は、政治資金の不記載・虚偽記入ですから、法改正をするまでもなく政治資金規正法違反ですが、その発生原因を防ぐために再度改正されたものです。発生原因は、不正の温床となる現金管理を許容していたこと、代表者の会計責任者に対する監督責任が不明瞭であったこと、収入に対する第三者による監査が不要であったこと、であったので、現金管理禁止と監査対象拡大による監査実効性強化、及び代表者の監督責任強化を、実質的な再発防止策として規定しました。

ただ、それ以外の、未だ問題が生じたことがない部分は、規制されているわけではなく、単に規正を理念とした公開が担保されているだけです。すなわち、構造的には、規正を理念としている法律の上に、問題が起きたところだけ規制を理念とする条項を積み重ねているため、規制の概念でこの法律を見れば、ザル法に見えるということなのだと思います。

例えば、政治資金の事業収入で言えば、規制されているのは政治資金パーティーですが、それ以外にも機関紙発行による収益もあります。1部月3000円くらいだとすると、2部で年間5万円を超えます。しかしこれには全く規制はかかっていません。穴と言えば穴です。そうした個別対処ではもはや問題を解決できないのかもしれません。むしろ政策への不正な影響を排除することが政治資金の収入の大きな課題ですから、政党助成金や献金も併せて、収入全体構造を適切にバランスよく制限していく方が理にかなっているように思います。

規正法で守られるのは民主主義です。規正法の考え方は、法律にも書かれている通り、政治資金が健全な民主主義の発展を希求して拠出される国民の浄財であるので、この法律は国民の自発的意思を抑制しないよう適切に運用しなければならないのであって、だからこそ政治団体はその責任を自覚して疑念を招かないよう努めなければならないわけです。しかし今後、政治資金に関する不正が続き、政治不信が絶えないのであれば、むしろ健全な民主主義であるはずの政治に拠出する浄財さえなくなるはずなので、いっそのこと原則と根本理念を規制法にしてしまうことも考えうるのだと思います。

■いわゆる連座制はザルなのか

今回、政界で最も問題視されたのが、秘書がやった、知らなかった、という政治家の言い逃れです。会計責任者である秘書だけが処罰されて政治家が何の処罰もされないのは理不尽ではないかということです。そして我々政治家側も、もう二度とこうした言い逃れを許さない、許してしまうと二度と信頼をお寄せいただけなくなる、そういう強い思いの下で改正に取り組みました。

そのなかで、連座制という言葉がもてはやされましたが、実は連座は近代刑法では明確に否定されます。封建時代の村社会で成り立っていた概念で、現代では責任主義のもと、責任がなければ処罰はありません。比較されるのが公職選挙法ですが、この法律では選挙違反があった場合には、選挙のプロセスに瑕疵があったために、当選が無効になるという考え方をとっています。従って、連座禁止の例外ではありません。政治資金については、法律違反があったとしても当選とはおおよそ直接関係するとは言えないので、公職選挙法の考え方も直接は援用できまぜん。従って、連座制は法律論として導入できないということになります。

この点、容易に連座という言葉を伝える当初のマスコミの報道ぶりは、野党が使い始めたものだとしても、極めて奇異に感じましたし、あまりにも法律論に無頓着であったと指摘せざるを得ません。私には「〇〇党、市中引回し及び打ち首獄門の刑検討へ」みたいな江戸時代的なイメージに聞こえてしまいます。「いわゆる」連座と我々が言い始めたのは、本来であれば法律上の連座制では当然ないものの、既に連座制を導入しなければ無責任だとばかりに宣伝されてしまっていたため、本来は恥ずかしいことではありますが、分かりやすさを優先したものです。

このあたり、例えば実務WGの鈴木けいすけ座長が、「厳密な連座ではないが、いわゆる連座を導入する」と法律論としては極めて正しく記者会見で表明したら、某メディアは、「自民、連座制断念へ」というようなタイトルの報道でした。叩こうとするのは分からなくもないですが、「自民、打ち首獄門の刑断念へ」と同じですから、恥ずかしさ倍増です。

では具体的な監督責任強化はどのようにしたかと言いますと、会計責任者には代表者である政治家への報告義務を課し、それに対して政治家には会計責任者への確認書の提出義務を課しました。これによって、会計責任者と政治家の間に、必ずやり取りが生じることになり、知らなかった、秘書に任せていた、などは完全になくなります。

ただ、これに対して、確認書を提出するという形式的な行為だけでは、言い逃れは無くならないとの指摘が為されました。残念ながら、著名大学の著名な政治学者までもが、刑法の専門家ではないと留保しつつも、堂々と曖昧だと指摘するに至っており、少し考えれば分かるのにと思うと残念でした。まずそもそも形式的行為には刑罰はかけられません。従って、確認書というのは、実質的な確認行為を伴う義務が課せられます。一定のというのがミソで、立証責任は捜査機関ですが結構厳しい内容になっています。

現行法では、政治家の責任は、実質的に会計責任者との共犯のみに発生していたものを、監督責任そのものを刑事責任の対象にしたもので、捜査機関の対象になったということを政治家側が理解しなければなりません。この点、ザル法だと宣伝されたため、政治家が軽く考えはしまいかと懸念しております。繰り返しますが、今まで捜査機関の対象となっていなかった監督責任が捜査対象になり、疑惑が生じたらゴリゴリ絞られるということです。

一方で、秘書の嘘の説明を見破れなかった、などと言った言い逃れができるとの指摘もありました。誤解を恐れずに言えば、言い逃れが絶対できない刑罰条文はこの世に存在しません。義務が規定され、処罰が規定されると、あとは捜査機関の出番となります。例えが適切か分かりませんが、刑法には窃盗をした者は処罰すると書いてありますが、盗んでない借りたんだ、と言い逃れできる条文だからザル法だとはなりません。捜査機関の対象になっているところがミソなのです。

■改正の全体構造は「再発防止」と「透明性向上」

今回の改正は、事件を受けた再発防止の部分と、それとは直接関係ないものの透明性向上を目指した部分の2つによって成り立っています。前者の再発防止は、既に触れたように、現金管理原則禁止、監査対象拡大による監査強化、代表者(政治家)監督責任強化、パーティー事業における現金授受原則禁止、オンライン提出等義務化などであって、後者の透明性向上が、話題となったパーティー公開基準引き下げや政策活動費などになります。

再発防止については、自らの組織内で発生したことですので、責任をもって起案しましたが、透明性向上については、野党の皆様との協議によって決めることとなりました。この部分が、様々な議論を呼んでしまったように思います。

■政治資金パーティー公開基準引き下げ

まずこの公開基準について、民間では1円から領収書だ、という指摘がありましたが、そもそもこれは領収書の話ではなく、1つ1つの取引内容を全世界に公開する基準のことです。さすがに民間でも一つ一つの取引を全世界に公開することはないはずです。その上で、現行法では20万円とされている公開基準を、今回は他党の指摘があり5万円に引き下げることとなりました。実は実務者としては10万円を堅持していましたが、最終段になって総理の英断があったものです。

公明党を含めた他党が5万円を主張するなかで、なぜ我々実務者が10万円を主張していたのかについてふれますと、国会での公式答弁では、政治参加を委縮させる、寄附基準5万円は上回るはず、などの理由を提示しましたが、実体的には、参加者は公開を忌避するため、参加者も減りますが、裏を返せば政治団体としての収益は確実に落ちます。

私は、そもそも金のかからない政治を志向するのは当然と思っていますし、これだけの問題を起こしているのであるから、直接事件とは関係ない公開基準であっても、引き下げるべきは当然との思いはありましたが、個々の議員が政治資金を自己努力で集めにくくなれば、構造問題が生じるとも考えていました。

すなわち、第一には当然ですが活動が縮小する方向になること。政治活動が縮小すると一般的には国民から離れた政治になりますから中長期政策を志向する議員が増えるはずです。逆の場合は生活密着型の政策志向になるはずです。私は両者のバランスが大切だと思います。

第二に、必要経費を自らの努力で獲得できなくなる議員は、所属政党を頼るようになります。党への依存が高まるということは、党の方針に忠実な議員が増える傾向になると同時に、党役員への権力集中を生み出します。ただでさえ派閥が解消されたなかで、党役員に権力が集中しているのに、それ以上、構造的に権限を役員に集中させることが、健全な政党、健全な民主主義に繋がるのか、という問題意識です。

自民党は国民政党です。何よりも有権者の言うことを聞くという立場です。立憲や国民も見るところ恐らく同じような傾向にあります。その他は見るところ上意下達の傾向が強いように思います。従って、現時点でボトムアップ型の政党ばかりではないのも事実ですが、だからと言ってトップダウン型の政党ばかりにしてよいということにはならないはずです。

議論を拝聴するに、他党でこうした民主主義上の作用を熟慮した形跡は見当たりませんでした。政局として、政治的に自らに有利な環境を言葉で作っていくことが政治なのであれば、否定されるべきものではありませんが、政治的に他国よりも有利で健全な民主主義を言葉で作っていくことこそ、私は重要だと思います。

■第三者機関は重要だ

透明性向上については、批判が最も高かった政策活動費も含めて、第三者機関で担保するというのは非常に有効な方法であろうと思います。この第三者機関については、党内実務者間でも多少は議論されておりましたが、条文化は与野党協議を通じて、検討項目として附則に入れることになりました。

問題は、第三者機関に何を期待するのか、であって、その機能や権限については様々な方向があるはずです。そしてどのような機能や権限を付与すべきかは、まさにどのような民主主義を日本が作りたいのかに左右される問題です。

すなわち政党というものが存在悪で、厳しく規制したいのであれば、調査・通知・勧告は当然として、捜査機関への通報や公表も場合によっては考えなければなりません。加えて、情報保全の仕組みも整備すべきです。この場合、強力な権限が付与できる独立行政委員会の位置づけが望ましいわけですが、3権分立を考えた際に、政党が国家権力によって監視される国家というのは、民衆が国家権力によって縛られることに繋がりますので、どちらかというと権威主義国家型の味付けにならざるを得ません。

では、3権分立の中で同じ立法府である議会に、特別委員会を設置することも考えられます。ドイツは議長の下に監督機関を設置しているようで、常時監視というよりは状況に応じて調査する機能のようです。ただ、行政機関のような強力な権限を付与できるかは疑問です。また、特別の第三者監査機関を国家が指定するという方向もあります。即ち、国会議員関係政治団体に課された法定登録監査人制度の延長線上の話として、政党も監査を行うという方向です。

いずれにせよ、繰り返しになりますが、我々議会人が、一体どのような民主主義を作りたいかで大きく味付けが変わる制度になりますし、行政に置くとしたら相当な検討期間が必要になると想像できます。政局的な議論ではなく、静謐な環境で落ち着いた議論が醸成されることを切に願っています。

続、防衛装備品の海外移転

昨年末に同じタイトルの記事を認めましたので、その続編となりますが、今回は特に積み残っていた課題の次期戦闘機の国際共同開発について、そしてその後の移転の在り方についてです。

■移転のルール

前回も触れましたが、移転の仕組みをざっくりと簡単に説明すると、いわゆる三原則は僅か3ページの文章で、

①「国際ルール違反の国」「安保理措置国」は禁止
②「平和貢献・国際協力」「国際共同開発」「自衛隊活動」は許可
③ただし「適正管理」すなわち「目的外使用」「第三国移転」は「事前同意」を義務付け

が基本です。ただ余計なことにこの三原則には運用指針が定められることが前提になっています(本来、三原則自体が外為法の運用指針みたいなものなので、運用指針の運用指針になっています)。

令和4年度運用指針

その運用指針は5ページの文書で、移転が認められる場合として、

(1)「平和貢献・国際協力」(相手が「政府」か「国連等の国際機関」か「その決議で活動する機関」)
(2)「我が国の安全保障に資する海外移転」(「同志国との共同開発・生産」か「同志国との安保協力強化に資する場合」か「自衛隊の活動」)
(3)その他

が挙げられ、加えて「厳格審査」(相手の適切性や我が国の安保上及ぼす懸念の程度)や「適正管理」(目的外使用や第三国移転)、そして「手続き」(国家安保会議や幹事会審議)が細かく定められています。

お気付きかもしれませんが、移転が認められるコアの部分を見れば、三原則本体の②と運用指針の(1)(2)を比べると、運用指針では「同志国との安保協力強化に資する場合」というのが加えられています。その中身は、

(ア)「ACSA」、(イ)「米国への技術」、(ウ)「米国への米ライセンス品の部品・役務」、(エ)「救難・輸送・警戒・監視・掃海」、(オ)「ウクライナ特例」(非武器用途廃止品)

すなわち、(ア)(イ)(エ)は、ACSAなど個別法がある場合や、米国への技術・部品・役務、ウクライナの場合ですから極めて限定的な特殊例ですので、一般的には(エ)、すなわち5類型が認められる場合となります。

そもそもこの5類型は、後で詳細について触れますが、過去の改訂で「シーレーン防衛」を念頭に設定されたもので、当初の議論では単に「シーレン防衛」に資するとなっていたものを、それだと漠然としすぎるというよくわからない理論で定まったものだと聞いています。良く分からないと申し上げたのは、例えばなぜ「通信」や「給油」が入らないのかとか、理屈ではない政治合意の産物になっています(こういう適当さが私は嫌いです)。

■昨年末の改訂

昨年末の改訂は、23回にも及ぶ実務者協議会によるもので、運用指針(2)の「同志国との共同開発・生産」については、第三国への完成品を除く部品や役務の提供が、(2)「米国への米ライセンス品の部品・役務」については、米国以外からのライセンス生産品も含め、第三国への完成品を含む提供が、(2)5類型については、部品は類型に関わらず全面解禁、完成品は引き続き5類型縛り、となりました。ただ、繰り返しですが、完成品の5類型が解除されない限り、我が国の望ましい安全保障環境創出には繋がりません。

令和5年度運用指針

■次期戦闘機

ご存じの通り、日本はイギリス、イタリアと次期戦闘機(現F-2の後継)の共同開発を行うことが決まっているのですが、日本が作った戦闘機を第三国に移転することについては、自公の実務者協議の結論で、「移転できるようにする方向で議論すべきであるという意見が太宗を占めた」との結論を得ていましたが、これに公明党幹部が難色を示し、政調会長預かりとされた上で協議が続いていました。先日、ようやく与党合意に至りました。

そもそも防衛装備品の海外移転の本質は誤解を恐れず言えば同盟化です。特に戦闘機の場合は非常に長い期間の運用が想定されます。例えば現在のF-2戦闘機は2000年に運用が始まりましたが、退役が始まるのは2035年頃と言われています。従って、次期戦闘機も、開発期間も併せれば、凡そ4~50年の期間にわたって英伊と固い絆を作るということになります。

そして英伊とともに慎重に厳選された第三国に戦略的に移転することで同志国のネットワークを広げ、同志国とともに抑止力を高めることができます。そこで初めて、日本にとっての望ましい安全保障環境の創出が可能になります。もちろん、国際共同開発と移転促進は、コスト低減にも繋がりますが、それは副次的産物であって、本来の目的はあくまで抑止です。装備品を必要とする国に厳格な審査を通じて移転することで、仲間を増やそうということです。

慎重派は、移転によって紛争を助長したり秩序が乱れたりする、と言います。紛争を助長したりするような移転は、そもそもする訳もありません。こうした論は戦後直後の古い安保論であって合理的な答えにはなりえません。現実的な戦略眼の基づかず、イメージで政策を決めるのは止めるべきです。平和を希求するのは積極派だろうが消極派だろうが同じです。平和というのは、決して国際協力もせず座して待つだけで訪れるものでは絶対にない、ということは自明です。平和は努力して勝ち取るものです。

一方で、戦闘機などと言う高度な装備品を解禁したら済し崩し的に移転が認められるようになる、という意見がありますが、そもそもなし崩し的に移転できる制度にもなっていませんし、事実、既に何十年も前に日米共同開発した超高度な戦略的装備品である迎撃ミサイルの開発を見れば明らかであって、全くあたらない指摘であると言いきれます。こうした論は、移転に否定的な結論ありきの論で、国際情勢に目をつぶり、日本政府の動向しか見ずにその批判をしていれば平和は訪れると思っている向きかもしれません。

■今後の移転の在り方(5類型※)

悪名高い5類型(※)については撤廃すべきです。というのも、そもそも前段の戦闘機という高価かつ戦略的な装備品を移転できる対象国は極めて限られているからで、同盟のネットワークはそれほど広がりません。

5類型というのは、具体的には救難、輸送、警戒、監視、掃海のことですが、そもそも論理的に立て付けがおかしいと感じるのが、三原則は外為法の運用規則であるので、物品の形状や属性など、具体的な技術リストで決まるべきものなのが、使用目的で規制しようとしているところです。

外為法本体で言えば、ワッセナーアレンジメントという通常兵器や関連汎用品の国際貿易規制ルールがありますが、これには規制すべき具体的な技術リストが示されています。しかし、三原則では、運用指針という運用の具体化をすべき文書では抽象的な運用目的で規制するものとなっており、そもそも無理があると感じています。

100歩譲って運用目的で縛るとしても、なぜ5類型なのかという疑問があります。歴史的には、先にも触れたようにシーレーン防衛に資する装備品の具体化であると言われていますが、シーレーン防衛だけでは秩序の劣化は避けられない現在において、5類型であるべき理由が説明できません。

ただ完全撤廃と言っても政治的に合意が得られる可能性は少ない。一方で現状維持であれば、明らかに望ましい安全保障環境を創出できない。そうした思いから、昨年末の実務者協議会での議論では、私案を提出させていただきました。

すなわち、5類型に代り、この5類型のそれぞれを包含する形で、殺傷類型、破壊類型、非破壊類型という3つの概念を提示し、殺傷類型のみ移転を禁じるものです。非破壊類型というのは、破壊も殺傷も目的としない活動の過程で必要な武器であると整理。破壊類型というは、破壊のみを目的とした活動に必要な武器、殺傷類型というのは、殺傷を目的とした活動に必要な武器という整理です。掃海は破壊類型ですし、非破壊類型(非破壊は同時に非殺傷でもある)は警戒・監視・救難・輸送が含まれます。掃海が破壊類型である以上、破壊類型は既に認められたものであると考えるべきですし、こうすることで極端な概念の拡張をすることなく、現実問題として生じる、なぜ給油がダメで掃海はいいのか、などのニーズ国の疑問を晴らせることになります。

因みに警戒や監視などは部隊に与えられたミッション(役割)であると考えれば、例えば衛生や給油は非破壊類型、地雷処理やドローン処理は破壊類型、機雷や地雷の敷設は殺傷類型に入ります。後述のように、本来的には運用指針で部隊のミッションなどを書くべきではないのですが、歴史的に政治合意された文書であるために、ドラスティックな変更を加えない範囲で、我ながら合理的な考えであると思っています。

セキュリティ・クリアランス

セキュリティ・クリアランス制度について、過日、有識者会議の最終提言がまとまり公表されました。法案提出も目前となりました。

今から凡そ5年前になりますが、それ以前から必要性を感じていたセキュリティ・クリアランス(SC)制度について、党の知的財産戦略調査会において同志の小林鷹之代議士らと内々で議論を始めた際、政府は相当に否定的であったのを思い出し、隔世の感を禁じえません。

SCというのは、安全保障上重要な情報を保全するためにアクセスを制限し、アクセスできる資格を個人や施設に付与する制度のことです。従って本質的には情報保全の制度ということになります。既に特定秘密保護法では伝統的な安全保障に係る「外交」「防衛」「テロ」「スパイ」の4分野の情報を特別に厳しく保全しており、アクセスするにはSCを取得する必要があり、その為には適格性評価を受ける必要があります。

既に制度が整備されているのになぜ新たに議論をしているのかというと、テクノロジーの進化と経済構造の高度化も相俟って、経済力や技術力などの経済領域を武器化する勢力が台頭し、そうした非伝統的な経済安全保障を確保する必要が生じているためです。すなわち伝統的な「外交」「防衛」「テロ」「スパイ」の領域では対処が困難になりつつあるためです。

制度や運用上の理想論で言えば特定秘密保護法の4領域を経済安全保障分野に拡大することが望ましいはずです。なぜならば経済分野の情報保全制度も伝統的安全保障の制度も、仕組みはほぼ同じになるはずだからです。ただ有識者会議でも示されている通り、別法として制度設計することは不可能ではないはずです。

ただ、ご記憶にある方もいらっしゃると思いますが、特定秘密保護法を議論した際、厳しい世論に晒され、運用にはかなりの制限が課されました。要するに一言で言えば、自国政府を怖がるのか、外国政府を怖がるのか、の目線の違いであって、当時のメディアや野党は一斉に前者の立場にたっていました。もちろんバランスというのは当然ですが、当時は制度上あり得もしない罵詈雑言に近い亀毛兎角が横行していました。

潜脱の助長とはしたくありませんので、何が運用の制限なのかは触れませんが、いずれにせよ別法にするにせよ特定秘密保護法を改正にするにせよ、今国会で審議を見込んでいる経済安全保障分野におけるSC制度が確立した後、将来のどこかの時点で、国外への技術流出防止及び有志国連携強化のために、更に情報保全制度をアップグレードしなければならないと感じています。

経済安全保障分野におけるセキュリティ・クリアランス制度等に関する有識者会議ー最終とりまとめ案参考資料