予算四方山話

11月21日にも第三次補正予算が成立の見通しとなり、むちゃくちゃ時間がかかりましたが、ようやく約10兆円の震災復興事業が実施されることになりました。ざっくり言えば、被災地自治体への交付金3兆円、被災地公共事業に1.5兆円、企業立地助成などに2.5兆円などなどです。ちなみに、全国防災対策費0.5兆円も実施されます。

ちなみに何度もこの場で申し上げておりますが、私は、震災発生1ヶ月以内に、無利子無税の国債を財源とした大規模補正予算を早急に組んで、それこそ政治主導で、ドンとおカネを被災地に突っ込むことが必要だと主張してきましたので、「むちゃくちゃ時間がかかりました」という表現をしました。大規模災害発生時には、こうしたプロセスを事前に議論しておいて、手順化しておかなければならないのではないかと考えております。

いずれにせよ、今後、年末にかけて、24年度予算に向けて霞ヶ関と永田町がうごめきます。残念な動きもあれば、素晴らしい動きもあります。厳しい財政運営を強いられていますので、それだけ慎重なさばきが求められるはずです。

約7000億円の成長のための「日本再生重点措置」として総理特別枠を設けたのは素晴らしいことではないかと思っています。運営方法は、"各省庁に案を作らせて"、"各省庁からのヒアリングをして(仕分け)"、"しかもそれをネット上に公開し"、"議員の意見を聞きながら"、12月に配分を決めるのだそうですが、結局各省庁が通常予算分をそこに持ち寄っているだけのような気もします。野田総理が自らの考える重点分野を自ら主導してやられたらいいのにと思う次第。

主張は清くありたい

  
戦後思想界に丸山真男という方がいました。丸山真男の思想的方向性にはあまり共感できませんが、それでも名著「日本人の思想」などに深くうなった事があります。そして、それよりも、思想の中身よりも、丸山の政治的立場を常に明確にする清さに、誰しもが評価するものだと私は思っています。丸山自身も、思想的には余り同路線ではない戦前の思想家である陸羯南の主張の清さに大いに共感すると何かに書いていました。難しくはありますが、主張は清くありたい、常にそう考えています。(実際本当に難しいんです。夏目漱石ではないですが、智に働けば角が立つし、情に棹差せば流されるし、意地を通せば窮屈なんです・・・)。

この先に喜ぶ姿を創造出来るから・・・

どさけんさんを応援しようということで先日数十人の集まりに少し顔をだして参りました。どのような経緯で香川に来られたのか分かりませんが、来られたのは嬉しい事です。どさけんさんが地域活性化のシンボルになるよう、全員でがんばらなければなりません。

ところでそこに、ご活躍中の京都の書道詩人(香川出身)、てらきちさんがいらっしゃいました。
http://www.terakichi.net/top.html
多度津のFさんと丸亀のYさんのお引きで丁度香川県に滞在されていたので参加したとのこと。ありがたいことにFさんのお蔭で、一筆一句頂きました。どさけんさんもそうですが、心で勝負しているてらきちさんのような方はやはり輝いていました。

「この先に喜ぶ姿を創造出来るから、敬太郎は走る事が出来るんだ。全ては花咲かせる為に」。

「創造」と頂きましたので、さらに頑張らなければなりません。そしてときに走る事がしんどくなったときにはまた眺めたいと思います。

小さな古時計

毎日いろいろなことがあります。

少し前の話ですが、とある方にお招き頂き、とあるお店にて一杯やっておりましたところ、どうやらそのお店は、かつて我が爺の加藤常太郎が大変お世話になった方がオーナで、現在は奥様とお嬢さんがお店を切り盛りしているとのこと。そして、加藤に関係する時計の話になり、わざわざカウンターまで持ってこられました。しかも2つ。

なぜ2つなのかと聞いてみますと、1つは壊れたけど捨てずに持っていたら、その後に何かのバザーで同じものを見つけたので調達したのだそうです。

時空を超えてこんな所でWEBになっているとは当時誰も想像しなかったでしょう。

太鼓台は地域結束だ

今年も祭りシーズンです。

豊浜ちょうさまつりをはじめ、香川の中西讃地域の祭りに参加して思うのは、やっぱり太鼓台や獅子は地域結束のシンボル。自分も丸亀の某所で子供太鼓を持っていますが、やるとなると結構しんどい。でも地域の子供が結束するならばと頑張っています。

香川県外の方、是非一度見てみてください。

海上日出

横山大観の海上日出という絵があります。絵画には全くの門外漢ですが、ありえないほどの力強い太陽が荒波から立ち上がるその絵に、しばし眺め入ったことがあります。

その横山大観の目を海外に広げたのは東京芸大の創設者である岡倉天心でした。急激に西洋化する時代に生れた岡倉天心は、西洋化が進んでも日本古来の伝統美術は素晴らしいんだ、と、海外に訴えるために諸外国を飛び回ります。そして、意識は日本に収まらずアジア全域の精神構造の素晴らしさを説き、東洋は無意識的に西洋にひざまずく必要はないとして、アジアの覚醒を呼びかけました。

もちろん、現代的に言えばそれほど事を荒立てて洋の東西を敵対関係視することは全く必要ありませんし、近現代の軍国主義化していく際において”asia is one”という言葉が大東亜共栄圏構想にうまく政治利用されたりしていますので、岡倉天心の思想は曲解される可能性は多々ありますが、それでも伝統文化を大切にし誇りを持って事に当たる姿勢は絶対に忘れてはなりません。

そして現在、岡倉天心の一時の居住地であった茨城県五浦海岸にあった六角堂、テレビで見たことしかありませんが、災害で消失してしまっているとのこと。日本の文化芸術に誇りを感じ、日本やアジアの興隆を夢見、横山大観に力強い太陽を画かせた岡倉天心の精神は少なくとも消失しないように努力していかなければなりません。

いよいよ劇薬の投入か

 
おカネがないなら、刷ってしまえばいいじゃないか。

震災以降、この手の主張が国会でも本気で議論されています。いわゆる、政府が発行する国債を日銀に強制的に引き受けさせるもので、結果的にじゃんじゃんおカネを刷ってばら撒くのと同じです。経済の常識的に言えば、こんな馬鹿な話がまかり通っては世も末だということになるのですが、今一度この話を考えてみたいと思います。

おカネを刷ればいい派のことをリフレ派と呼ぶことにします。リフレーションの略だそうです。メリット。今、経済界から見れば、円高、デフレ(=買い控え)、電力の三重苦に政府が真剣に取り組んでくれないと産業空洞化どころの騒ぎではなくなる、ということだと思いますが、リフレ派のメリットは、おカネを刷るわけですから、まず信用力が落ちて円が売られ円安に誘導できる。そして、物に対して通貨が増えるわけですから、物価が上昇しデフレが解消される。調達した資金を電力をはじめ災害復興に十分当てられる。めでたしめでたし。

このリフレ派に対しての反論は、おカネをするわけですから、物価がどんどん上がるだけで実情が伴わず、また信用力が低下するので将来的に国債の引き受け手がなくなる可能性があるから、金利は上昇し、また延々日銀に国債を引き受けていただかなければならなくなる。なぜかと言えば、現在国債の9割以上は国民に買っていただいているが、国民側も持っている財産以上に国債を引き受けることはできず、将来的に、外国人に引き受けてもらわざるを得なくなる。しかし信用の低下したリスク債には相当のリスクプレミアムを上乗せせざるを得ず、そうなると調達コストは馬鹿高くなり、結局日銀さんにお願いせざるを得なくなる。つまり、一度手を付けると止められなくなる劇薬麻薬の類に似ているのでしょうか。

リフレ派がよく引用するのが、高橋是清が打ち出した政策。反対を押し切り、高橋蔵相が日銀に国債を引き受けさせ、結果経済成長率が上昇し、懸念されたインフレも発生しなかった。ただ、高橋蔵相は日銀に引き受けさせた直後に市場に売りさばいているので、日銀保証の形はとったものの、結果的に日銀引き受けではありませんでした。ですから激しいインフレは避けられたものと考えられます。

私は今のところリフレ派には反対です。制御できない不安定な手法にならざるを得ません。そもそも日銀に引き受けていただくのであれば、市場にも出せるはず。今ならまだ税控除付き無利子国債で調達できるはずです。

先日、安住財務大臣が、日銀引き受けは考えていない旨、国会で答弁されていました。それはよしとして、次に無利子国債も、無利子による償還分よりも税の控除による税収が減って国の収入は経るかもしれないので慎重だ、とする答弁をされていました。何たる役所的な答弁であろうと思います。政治主導をここで発揮できないのなら、役所に政治を任せてもいいのではないか、何かをしないと何もできない、という時期にさしかかっているのに、と考えると残念でなりません。

ただ、ここでの主張は何かといえば、いよいよ本当に困り果てて出すものも出せなくなって、それでもじりじりと日本が沈没している状況が続くのであれば、座して死を待つよりも、ではありませんが、この劇薬、使うことになるのかもしれません。そうならないために、役所に任せるのではなく、積極的に種々の政策を前に向けて推し進めるべきだと考えます。

パレスチナの夜空に舞う桜の花

国会の事務所に勤務していた際、いろいろな国の大使館員に誘い誘われ、いろいろな考え方や意見などを拝聴することができ、私にとって世界観が少し広がった時期でした。どの場面も刺激的な会話を楽しんだのを記憶しております。

親父がイスラエル友好議連をしている都合、イスラエル大使や大使館スタッフと仕事のやり取りを重ねていた時期のこと。それが大使館の誰かの記憶に残っていたのでしょう。ある日、イスラエル本国から将来有望な若手国会議員(リクード党のNo3くらいの要職との外務省の説明)が来日し、英語で直接会話のできる日本の議会スタッフ何人かとフランクな話がしたい、とのことで、外務省から私に電話がかかってきました。5人くらい揃えたいがちょっと足りないから来て頂戴、とおっしゃるので、英語・韓国語のできるS氏という秘書仲間を誘って、参加することにしました。

リクード党といえばかなり強硬派が多いという印象があったので、どんな人かと思ったら、同世代の気さくな兄ちゃん。やわらかい話をしたあと、私からずばり聞いてみたいことを聞いてみました。「日本の靖国神社の問題をどう思いますか?」。すると、「アジアの平和と安定を築くためには日中韓の連携は必要だから注意深く見守っているが、その神社のことはよく知りません」と。大使館公使公邸での気さくな、しかもたかが秘書相手の”会話”なので、逃げたとは考えづらく、本当に知らなかったのかと、大変残念に思いました。つまり、それだけ中東から見た日本の近隣諸国の政治問題というのは、遠い国のよく分からない話なのだという肌感覚。

さらに続けて、小泉首相が提唱し、麻生外相が本格始動した、日本が直接関与を試みた中東の4者会議(日本・ヨルダン・パレスチナ・イスラエル)について訪ねても、良いことだと最大の賛意を示しながら、あまり関心もなさそうでした。この4者会談の枠組みは当時は画期的で日本のプレゼンスも高められる意義深いものと思っていましたが、現地の議員からはその程度の認識かと少しがっかりしました。

少し脱線しますが、そのヨルダンもお付き合いがあり、レセプションには必ず参加をしておりましたが、親父が参加すると必ずスピーチはジョークから切り込むらしく、私が初めて大使館のレセプションに伺ったとき、息子だから、と、いかにも何かジョークを言えとばかりに、中東他国の大使に紹介いただいて閉口した記憶があります。余談ついでに、昔から私は英語でスピーチする際に、よく「私の名前はOh!No!ですが、今から喋ることは良いことです」などとジョークを言っていましたが、親父と一緒に仕事をするようになって、親父が私と全く同じことを言っているのを聞いて、やはりDNAは恐ろしいと本当に気持ち悪くなった記憶があります。

本題にもどります。国連が少しHOTになりつつあります。パレスチナがなかなか進まない和平プロセスに業を煮やして、少しでも交渉を有利に進めるべく、国連に国家としての加盟申請をするしないで、国連が大騒ぎになっています。アメリカが拒否権を行使してでも加盟に反対の立場を鮮明にしましたが、アラブの春問題を抱えている英仏は困り果てて国連で緊張が走っています。日本は原子力政策をメインに持っていかざるを得ないのですが、国際世論を引っ張るだけの材料は全く持ち合わせていません。

日本は安保理常任理事国ではないものの、こういうタイミングでは、中東問題にも多少関与していくべきだと私は思っています。もう15年以上も、少数ではあるけれどゴラン高原に自衛隊をPKO派遣している国でもあるのだから、無関係でもないはずです。中東の平和は日本の安定に直結しています。アラブの春の支持、対米関係、そしてエネルギとしての原油の安定供給。前向きな国際的関与、貢献が、国際的評価につながり、国益につながってくるのだと思っています。

写真は駐日イスラエル大使と(当時)

背番号制度のゆくえ

 
アメリカの大学に移籍したときのこと。上陸直後に大学や役場で事務手続きをしているとソーシャルセキュリティーカード(SSN・社会保険カード)なる、青い単なる紙切れを渡されたのですが、作りが貧弱なことこの上なく、子どものおもちゃのカードだってもっと最近はまともだと思い、しからば大して重要ではなかろうと財布にしまったのですが、後から後から何とこのカード(番号)が重要かを思い知らされることに相成りました。これがいわゆるアメリカ版の背番号制度で、銀行口座から免許から何から何までSSNプリーズと訪ねられ、税金の申告などもこの番号に基づいて行われます。社会保障制度の恩恵もこの番号で受けられるとのことでした。

そして日本でも共通番号制が本格的に検討されています。いわゆる税と社会保障の一体改革の大綱のなかで本格的に盛り込まれたものですが、大賛成です。プライバシーの問題を解決できれば導入は是非行うべきです。

遡れば最初に国会で議論されたのは佐藤内閣のときというからかなり古い。結局、国家権力による国民個人の個人情報の一元管理やプライバシーが問題とされて頓挫。爾来、何十年もどうようの議論をしている間に、年金が中に浮いたりというとんでもないことが起きています。

民主党はもともと国民総背番号制にはかなり慎重で、自民政権下では特に民主中の旧社会党勢力が反対をされていましたが、国民総背番号制度までいかずとも、納税者番号制度には前向き、というのが結党以来のスタンスのようです。

いまだ具体的な方向性は全くでていませんが、やるなら国民総背番号制に近いハード&ソフトの整備を行って欲しいと思っています。納税者番号制度だけだと何が起こるのか。例えば役所の発行する番号は所管省庁で独自のものを導入しています。当たり前ですが、運転免許証、旅券番号、基礎年金番号などなどです。共通管理したほうが効率化はもとより、運用上可能性が広がります。きめ細かな行政サービスも可能になります。納税者番号だけにするのはもったいないと思います。

一方でプライバシーの問題。まず法整備を進めるべきです。今、個人情報が云々とうるさい、世知
辛い世の中になりましたが、役所の人が仮に悪さをしたら、今のところの罰則規定は2年以下の懲役か100万円以下の罰金です(行政機関個人情報保護法53条)。こんなんですよ。罰則が低すぎる。こういうところから整備していかなければならないと思います。

その上で、共通番号制の導入はハード面はいいとしても、どのように運用するのか、何ができるようになるのか、プラス思考でしっかりと議論しなければなりません。情報把握を十分していれば、災害時に義援金で生活保護が打ち切られたりといったことがないよう、きめ細かなサービスが可能になるはずです。あるいは、将来的に必然となる消費税増税の際に負担が増える低所得者層の捕捉と給付による補償というサービスをきめ細かにするなどといった話です。

国民総背番号制度の導入に際して、うがった見方として、税の捕捉率の話をされる方がいらっしゃいます。つまり、お金持ちの節税や脱税が同制度の導入によってやりにくくなるから、そういう方々と政治の癒着が導入を遅らせていた、という説のようです。事実とすれば全く憤懣やるかたなしと言えますが、昔はトーゴーサン(10・5・3)やクロヨン(9・6・4)といわれていたサラリーマン・自営業者・1次産業従事者の所得捕捉率の格差は、今では相当改善されているとのこと。あまり考え難い話ですが、導入を促進する話ではあります。

いずれにせよ、国民の情報を知らずして、より良いサービスなどできるわけなく、国民を守ろうという政治もできません。特に危機の時には本領を発揮するはずです。プライバシーを必要以上に声高に叫ぶのは異常に思えます。既に省庁別には種々の個人情報が収集されています。携帯などは個人情報の塊のような装置ですが、ダン・ブラウンでなくても、キャリア会社に情報が吸い取られているのは業界人であれば誰でも知っている話です。

サービスの向上のためです。

秋の夜話〜フランダースの犬と地方分権

 
フランダースの犬という漫画は日本では浦島太郎と同じ程度の社会的地位を築いていますが、物語が画かれたフランドル地方のベルギー、アントワープでは殆ど知られていないのが不思議だ、と、司馬遼太郎のオランダ紀行というエッセー集に収められていたのを、地方分権を考えていて思い出しました。

そのエッセーの主題は、大正時代に日本に渡ってきた物語が日本では語り継がれ、作家本国のイギリスやベルギーでは全く忘れ去られた理由を司馬遼太郎らしく、深く深く掘り下げて述べていらっしゃいました。

物語は、ネロ少年と祖父、そして飼い犬のパトラッシュが、貧しく不幸な境遇のなか、慰めつつ懸命に生き、しかし結局は疎外にうちひしがれ、息を引き取るというものです。

何故ヨーロッパで忘れられたのか。司馬遼太郎曰く、16世紀から起こった個人の自立と独立を説き続けた英国のプロテスタンティズムが、ネロの世界の19世紀にはヨーロッパに広まっており、15才にもなってなぜ雄々しく自由の世界に飛び込んで自らの道を切り開かなかったのかという点で、ヨーロッパでは不満に思われたことが、想像できる最大の理由だとのこと。

では何故日本でしか語り継がれないのか。司馬は忠誠心について触れていますが、個人的には、不幸な境遇にも関わらず諦めないで頑張る姿に共感するのだと思います。頑張ったけど結果ダメだった。それが「フランダース」。一方で、最後まで頑張った結果這い上がれたのが「おしん」。フランダースに「おしん」的要素を感じ取れるかどうかが境目になるだけであろうと思います(日本人にはできる)。だから、仮にネロの息を引き取るシーンがなければ「おしん」に通ずる世界中の大ヒットになったかもしれません。

地方分権が頓挫しています。野田首相は所信表明演説で地方分権については一瞬しか触れませんでした。地方の自主性独立性により、地方を活性化させることが日本を活性化させることだ、という方向性と目的は、自民も民主も変わらないはずです。プロセスはかなり違いますが、推進していかなければなりません。

ちなみに〜この物語を簡単に振り返ると、主役は、ネロ少年・祖父・パトラッシュという犬。ネロは、小さな小屋で祖父と牛乳運びをして生計を辛うじて立てている貧しい少年で、画家になることが唯一の夢と希望。祖父が提供する仕事を手伝って祖父を懸命に助けようとする。一方パトラッシュは、金儲け主義の権化に飼われ酷使され捨てられたところをネロと祖父に拾われ、祖父・ネロを牛乳運びの手伝いをすることで助けるという設定。この3者が、助け助けられのもたれあい関係で、訪れるいろいろな不幸を潜りぬけていくという物語ですが、祖父がなくなり、牛乳運びの仕事を失い、小屋を追い出され、最後の夢と希望であった絵画展への応募も落選となり、打ち破れて最後に教会に掲げられたルーベンスのキリストの絵の前で精根尽き果てて、パトラッシュに見守られながら息を引き取るという話です。