千鳥ヶ淵墓苑戦没者遺骨引渡式

(東部ニューギニア・ビスマルク・ソロモン方面作戦図:出典米陸軍

(東部ニューギニア千鳥ヶ淵墓苑戦没者遺骨収集引渡式:写真出典は墓苑HP)

ずいぶん酷い作戦を各地で強行したものです。戦時中の混乱期とはいえ、そして情勢の切迫感があったとはいえ、軍部首脳は、合理的解決方法を見出すこともなく、現場に責任を押し付けることを続けてきた結果、310万人という途方もない数の戦死者を出すことになりました。もちろん個は国を憂い家族を思い散華された。その想いは世代を超えて戦後世代に届き、我々の大きな勇気と力になっていることは間違いありません。そして二度と戦争なぞするまいという確固たる信念に繋がっています。しかしなぜこんなことが起きえたのか。戦後多くの方が解明に取り組んでこられたので私はここでは論じようとは思いませんが、ただ、一言だけ言えば、組織という集団心理の暗黒が、人間がもっている本質的な闇の部分であるとするならば、この310万人という事実を、そして戦地でどのような作戦命令があって何が起こっていたのかという事実も、日本人は未来永劫に亘って心に刻み続けることによってのみ、未来の議論ができるのだと思います。

というのは、なぜこのような事態が生じたのか、二度と繰り返さないためには何が必要なのか、を考えれば、必然的に、憲法上の統帥権や国家構造、もしくは軍部構造の問題などが注目されがちになりますが、こうしたシステム構造も極めて重要である一方で現場の目線も大切なのだと思っているからに他なりません。なぜならば、システムを作るのも動かすのも結局は人だからです。

先日、東部ニューギニアから遺骨収集団が帰ってこられ、ご遺骨の引き渡し式典(千鳥ヶ淵戦没者墓苑遺骨引渡式:依頼元の厚生労働省に依頼先の遺骨収集団が引き渡す)が執り行われ、私も出席をいたしました。今回は83柱のご帰還が叶いました。そのお一人お一人には、確実に生活があって人生があったはず。派遣される前にはご家族やご友人と、おそらく我々が普段しているような会話がなされていたはずです。

310万の内、海外の戦没者は240万。その内、中国本土は47万、ノモンハンを含む中国東北で25万、モンゴルを含む旧ソ連で5万。台湾と朝鮮半島は10万、ベトナム・カンボジア・ラオスで1万、ミャンマー14万、インド3万、タイ・マレーシア・シンガポールで2万。つまり、大陸で、約100万以上の将兵の犠牲がでています。

一方、レイテを含むフィリピンが最も犠牲が多く52万。沖縄19万、硫黄島2万、パラオ・グアムからミッドウェイを含む中部太平洋で25万、インドネシアは4万、西イリアン5万。そして、東部ニューギニア13万、ガダルカナルやラバウルを含むビスマーク・ソロモン諸島で12万。つまり、島嶼部で130万以上の犠牲者です。

パプアニューギニアからソロモン諸島は、かの有名なラバウルがあった。9万の大軍を送り込んでいたので連合軍も直接それに対処しようとはせず、レイテのあるフィリピンを主戦場としたため、東部戦線は完全に補給路を断たれ、言わば見放された格好になった。今回、参加した遺骨引渡式でご帰還された方々も、ガダルカナルに近いニューギニアの現場で精神的には極めて過酷な状態であったものと想像できます。

数年前、NHKが、南部戦線に関するドキュメンタリーを組んでいましたが(シリーズ物で他戦線のもあったようです)、そこに登場する生還者の言葉は未だに忘れられず、とても筆舌に尽くせるものではありません。もしこの世に地獄があるならば、恐らくはここがそうだと思うに違いなく、しかし地獄に入らばそこが地獄だとさえ思わなくなるのかもしれないということも感じさせられたものだったと記憶しています。政治を預かるということを生き方として選んだからではありませんが、しかし選んだから余計に、ひたすら刻み続けて行こうと思っています。

現在、遺骨収集を終えて帰還された将兵は、240万の内、半分強の127万柱。未帰還は113万柱とされていますが、現地国の事情や海没によって困難とされているものもあるので、収集可能なのは最大で60万柱と言われています。

3年前の平成28年5月、国会で戦没者遺骨収集推進法が可決成立し、遺骨収集が国の責務と明記されました。厚生労働省が所管する事業で、同法に基づいて定められた基本計画によって平成28年から平成36年が集中実施期間と定められ、同計画で指定されている日本戦没者遺骨収集推進協会が中心となって、遺族会やJYMAなどの協力を得ながら、毎年、各地に10〜20名くらいの収集団を組んで活動しています。

今回の東部ニューギニアの場合、派遣団は19名(協会本部4名、遺族会5名、東部ニューギニア戦友・遺族会6名、JYMA4名)で、2月14日~3月1日までの16日間の活動で、収容されたご遺骨は83柱であったそうです。団長からの帰還報告によると、日陰でも40℃を超える日々であったとのこと。恐らくは、熱帯ジャングルの土に眠る将兵の経験したであろう状況を正に実体験しながらの活動であったものと思います。

千鳥ヶ淵墓苑
http://www.boen.or.jp/boen034.htm

一般社団法人日本戦没者遺骨収集推進協会
jarrwc.jp/

予算委員会分科会

(予算委員会分科会にて)

思えば初当選直後、初めて質問に立ったのがこの予算委員会分科会で、当時は外務省所管の予算に関連した質問をしたのを昨日のことのように覚えています(分科会は所掌毎に複数行われる)。場所は確か第五委員室。当時、岸田文雄外務大臣、そして佐藤正久防衛政務官にお出まし頂き、何やら大変恐縮をしながらも、あっと言う間の30分でした(考えてみたら当時も小野寺防衛大臣でした)。

爾来、ほぼ毎年、この分科会ではどこかに立たせていただいています。この親会である予算委員会は、国会の花形で国民から注目されることが多く、過去に何度も憲政の歴史を作ってきた独特の緊迫感が漂う場所ですが、分科会はそれとは全く違うこれも独特の雰囲気で、また他の常設委員会や特別委員会(外務委員会とか厚生労働委員会など)とも異なった雰囲気を持っています。私自身は粛々感が気に入っています。

1年目は外務省、2年目は内閣官房(菅官房長官)、3年目は内閣府(石破地方創生大臣)、4年目は当たらず、5年目に入って予算委員会本会(安倍総理)で立たせて頂いた上で、分科会は経済産業省(世耕大臣)の議論でした。

そして6年目の本日、答弁側としては初めての分科会。これから何度か種々の委員会に答弁側として立つ機会がありそうですが、誠実に対応して参りたいと思います。

所有者不明土地

(写真は本文とは直接関係はありません)

初当選したころ、地元のとある方が、先祖代々ため池を維持管理しているけど高齢のため行政に移管しようとしたら登記上の所有者が4代前なので移転登記にハンコが100個くらいいる、ということになり、なんとかならんのか、というご相談を頂いたことがありました。所有者は不明ではないのですが、土地の有効利用が阻害されている現状の好例です。しかし移転登記が義務化されていない日本では、放置され、最悪、所有者不明となっている土地はかなりあるといわれています。

土地とは、所有する個人の安心の担保であるとともに、需給バランスに伴う価値の変動で、関心の変化がおきるものです。つまり、人口増加のとき(もしくは地価上昇)は、争って権利確定したいと思うし、人口減少の時は、放置しとこうと思うものです。しかし権利確定したい人が増えれば争いも増えるのは当然です。そこに国家が権限行使すれば憲法違反だという反論がでる。しかし無理して大反論にあいながら国家が交通整理をしなくても、そもそも有効利用したい人が多いはずなので、社会構造としては問題は少ない。

一方で、人口減少時代の土地の放置は、所有者もしくは管理者の土地への無関心を助長し、前述のように特にそれが所有者不明の土地にでもなれば、虫食い的散発的に利用できない土地が増え、新しい価値を生もうともがいている人たちの参入を阻む大きな阻害になることは必定です。従って、人口減少時代には移転登記を義務化することが望ましいと考えます。しかも土地の価格が上昇しつつある現在、それほど悠長にことを構えていたのでは、実現困難になることが簡単に想像でいます。

そもそも憲法は何と言っているかというと、第12条で、「この憲法が国民の保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」とあります。不断の努力は当然としても、それが何を意味するのかを国民全員が考えていかなければならないのだと思います。(そもそも義務化などしなくても、この趣旨に沿えば、全員が適切な移転登記を済ませているはずだからです)。

現在、所有者不明土地は、410万ヘクタール。北海道本島の6割に相当し、2040年には720万ヘクタール、おおよそ北海道本島の面積に相当します。その経済損失は、2040年までの累積推定で6兆円という試算があります。

今日、自民党政調の所有者不明土地等に関する特命委員会が開催され、方向性が見えてきました。ただ義務化については、決定されているわけでも方向性が示されている訳でもありません。しかし、今年度末までには、土地所有に関する基本制度の見直し(国交)・登記制度と土地所有権の在り方に関する検討(法務)・土地所有者情報把握の仕組み検討(各省)など、本質的な土地制度に関する検討が行われる方向ですので、引き続き注視して参りたいと思います。

今通常国会には、具体的な課題への対処としての法律改正が行われる予定です。国交からは所有者不明土地の収用の合理化など、法務からは法定相続人リスト整備や登記を促す仕組み、他人に害悪を及ぼすような土地の管理など、長期間相続登記していない土地を解消する仕組みを徐々に乗り出す方向ですし、農水や林野からは、既存制度の拡充・要件緩和などを進めることなります。

大学等研究機関と運営資金

(写真は本文と一切関係ありません。出典はここ)

昨年のことになりますが、いわゆるSNSで見た若手研究者のとても印象的なコメントが未だに頭から離れません。曰く、日本では年金が数百円下がっただけで日本中が大騒ぎしているのに、日本最高の研究機関で研究する若手研究者が、数年で終わる任期切れに怯えながら15万円の月給が下がっても文句も言わず漠然とした不安を抱えながら研究に没頭している、と。

念のためですが、私自身は年金は若者の将来の安心の担保になるものですので重要だと思っていますが、このコメントは深く心に突き刺さるものを感じました。年金は政治叩きにもってこいの課題です。年寄りを虐めるな、というのは極めて主張しやすい。昨年も年金制度改革の最終詰めを行う微修正でしたが(賃金物価の増減に合わせて年金支給額を増減させる仕組みの詰め)、この際も野党マスコミ大騒ぎでした。理性で考えれば当然の改革でした。しかし、若手研究者の窮状をマスコミは騒ぐことをしません。

日本の科学技術研究開発力が相当に危機的な状況にあります。

なぜこうなったのか。

第一に、研究機関の運営費を削ってきたからです。運営費交付金と呼ばれるものです。なぜ削ったかというと、例えば大学は無駄ばかりするから、競争させて成功しそうなものにお金を使うべきだとなったからです。いわゆる競争的資金というやつです。その側面は正しいのですが、バランスが全くとれていません。そもそも、理想となるバランスがどこにあるのかを示さないまま、基盤的な運営費交付金を減らし続け、競争的資金を増やしてきた。どこまでという哲学が全くないままにです。

第二に、入学するであろう18歳の人口が、例えば私が学生であったときは200万人いたのに、今は140万人くらいしかいない。でも定員は5%くらいしか減っていない。つまりとても広き門になってきたことが挙げられます。つまり、大学進学率が高くなってきたとも言えます。

以降、この2点について議論したいと思います。

基盤的経費と競争的経費のバランスの哲学を示せ

研究者がボールペンを買うのも躊躇する、という話をよく聞きます。ボールペンとは少し比喩的表現だと思いますが、実態としては雰囲気は伝わります。競争的資金が多くなると資金調達に努力をしなければなりません。もちろんそれは当然だとしても、仕事の時間のうち、研究資金調達に削ぐエネルギーが8割で2割が研究だとしたら、これは本末転倒の話なはずです。しかも、研究ですから成果があるわけではない。営業であれば、自慢できる商品が目の前にあって、どのように売るかが勝負です。しかし、研究はほとんど政治と同じで未来を語るものです。そして、実現する可能性は分からない。

運営費交付金は人間に投資すると考えなければなりません。であれば、どの程度の投資を人間に対して行うのかを決めなければなりません。競争的資金の拡充は分かりやすい。私も賛成ですが、競争的資金を増やせば増やすほど、具体的に信ぴょう性の高い分野、成果や結果が出やすい研究が増えてくるのも必然です。そして、当たり前ですがそうした分野は民間企業が担うべき領域に近づきます。結果を設定して、その結果が出るように研究を行う領域です。必然的に、研究のすそ野が狭まり、基礎研究がおろそかになってきます。

基盤的経費と競争的経費のバランスの哲学をしっかりと議論して示し、一刻も早く今の流れを食い止めるべきです。

例えば大学の定数は過大なのか?

基盤的経費である運営費交付金が増やせればよいわけですが、現在の財政事情から簡単ではないので、人口バランスにマッチした大学改革を行うべきだという論があります。つまり、18歳〜22歳の人口が4割ほど減っているのだから、その分、大学も狭き門にしてダウンサイジングするべきだという論です。

私自身は、大手を振って賛成ということではありません。大学入学を狭き門にしてトップエリートだけを養成すれば質は下がらないということだと思いますが、高等教育をなるべく多くの人に提供することも、すそ野が広がると思うからです。問題は、やはり大学卒というラベルのために入学を希望する傾向が強い日本の文化を変えることにあると思います。

つまり、入学という入り口を狭くするのではなく、所定の学問を真面目に受けない場合には卒業という証書を出さないという方向です。この方向で議論が進まなければ、全く意味はありません。必然的に大学はダウンサイジングが行われ、質が保てる。問題はあります。全ての大学が、一斉に同じ改革を行わなければ、この改革に取り組んだ大学だけが損をする。あの大学は入学後が厳しいから卒業できないと就職に影響すると学生が思うからです。であるならば、行政が目標となる像を明確に示す必要があるし、そのインセンティブ制度も創設する必要があるし、大学自身も、自分の大学が卒業生に求める能力の哲学を明確に打ち出せないといけません。

もちろんこの方向にも問題がないわけではないと思います。多くの議論が必要になってくると思います。ただ、入学定数を絞る方向よりは百万倍正しいと思っているということをまずは申し上げたいと思います。

まだまだ改善の余地はあります。世の中全てが研究開発であるわけでは全くありませんが、少なくとも日本が生む価値の何割というレベルで影響がある問題であるとは思っています。

中小企業・小規模事業者の事業承継や投資促進について(税制)

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雑事に追われてご報告が遅れて恐縮ですが、今日は久しぶりに中小企業・小規模事業者政策に関する平成30年度の税制に関するご報告です。

年初の日経平均株価は予想以上の上昇となりました。地方の環境は、と言えば、地方のマクロデータを見ても悪いわけではありません。しかし、当然ですが、あらゆる業種が良いわけではありません。生産性向上、賃金の改善、設備投資促進を行っていかなければならないのは論を俟ちません。

人不足が徐々に深刻化していますし、廃業件数は増える一方です。衝撃的なデータがあります。今後10年間に、平均引退年齢である70才を超える中小企業・小規模事業者(以下中小)の経営者は245万人になりますが、その半数の127万が後継者を決めておらず、その数は全企業数の3分の1に相当するというものです。

企業に社会的意義がなくなりつつあって魅力がなく後継者が見つからないというのであれば、異なる分野への人材シフトによって新しい価値が創造されていくと考えられなくもありませんが、数を見れば、そういうことでは決してなく、制度的問題もあると考えるのが普通です。

今回、かなり大胆な事業承継支援対策が行われることになりました。新しい減免制度の創設、猶予対象株式数の上限撤廃、雇用要件の抜本的見直し、対象者の拡大などです。また、所得拡大促進税制、少額減価償却資産の特例などの中小企業関連税制も整備されました。

ポイントを添付させていただきます。是非ご高覧いただければと思います。

ガレット・デ・ロワとサトゥルヌスと日仏関係

今年、2018年は、日仏関係160周年の重要な節目を迎えます。日本がフランスと記録上初めて接触したのは、先にも触れた伊達政宗命による支倉常長の慶長遣欧使節団訪欧の時ですが、幕末の1858年、日仏修好通商条約が調印されたのが正式な外交関係の始まりです。

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そして今日、フランス大使館でガレット・デ・ロワ ( galette des rois ) がローラン・ピック新任駐日フランス大使からふるまわれました。フランスのお菓子です。この歴史は、古代ローマのサトゥルヌスの祭典の時代にまでさかのぼるそうですが、そんな長い歴史をもつお菓子を大使自らがシェフの恰好をして振舞っていらっしゃる姿がとても印象的な新年会でした。

というのも、サトゥルヌスというのは英語ではサターンのことで、私自身はこの神には良いイメージはないのですが(以下参照)、もともとは農耕の神であって、昔のサトゥルヌスの祭典というのは豊穣を祈ったのでしょう。年末年始に人々が集まって御馳走を食べるような楽しい祭典であって、くじ引きで当たった人が祭典の王になって、主従逆転して楽しむようなこともあったのだとか。

keitaro-ohno.com/90

フランスは、日本にとって文化・経済・科学技術などあらゆる側面において重要な国の一つですが、自由で開かれたインド太平洋戦略を推進しようとする日本としては、外交・安全保障上においても重要な国です。外務防衛両閣僚同士の閣僚会議である2+2を長年行ってきたのはアメリカとですが、その後、オーストラリア、ロシアに続いて4か国目となったのは、フランスで、第二次安倍政権発足後に初めて開催されました。

爾来、フランスとは防衛装備品協力協定の締結を始め、昨年はフランス海軍のミストラルが佐世保に入港、合わせて史上初の日仏英米共同訓練を実施しました。自由・民主主義・基本的人権・法の支配といった価値観を共有するこの主要国の合同演習は、航行の自由や自由で開かれた海洋秩序についての4か国の支持を世界に示す重要なものとなったのだと思います。

そして今年、いよいよ日仏2+2が開催される予定です。国際海洋秩序の維持にとって大変に重要な欧州との協力をこれからも推進していく必要があります。

謹賀新年ー戌年の新しい年を迎えて

戌年の新しい年を迎えました。謹んで新春のお慶びを申し上げます。昨年も多くの出会いと気づきの機会を賜りました。これまでご縁を賜っております全ての方と、新しくご縁を頂いた皆様に、心から感謝申し上げる次第です。

戌(イヌ)と言えば、ご存知の通り昔から人間との関わりが強く、古事記には人を導くために登場、花咲爺でも飼い主の善良なお爺さんに豊かな富をもたらし、桃太郎では飼い主とともに鬼を退治して活躍しました。皆様にとって、今年一年が、そうした年の巡り合わせに導かれるように、よい年であることをお祈り申し上げます。

一方で、イヌを念頭に政治の現場から世の中を見れば、一犬虚に吠ゆれば万犬実を云う、という言葉がどうしても頭に浮かびます。虚を云うも易し、実を云うも易し。しかし、その情報の受け手が健全な関心を持ち自ら調べる事が肝心で、世の中が良くなるための必須条件と言っても過言ではありません。そうあるためにも、政治が謙虚に真摯に事にあたり、諸事説明する努力を怠らず、中身の政策にまい進するべきは、論を待ちません。

昨年は総選挙がありました。その節には大変お世話になりました。心から御礼申し上げます。その時の争点の一つが消費税と社会保障です。日本はアメリカと違い社会保障は手厚いですが、北欧ほど負担が高いわけではなく、いわゆる中福祉中負担の国家です。私自身はこの路線は維持していくべきであると考えています。ただし、大きく分けて2つの視点で見直しが必要です。

1つは、高齢化に受動的に対処するための制度であるものを、加えて人口減少に歯止めをかけるための能動的なツールに変えていくことです。現代の若者は、何よりも将来不安に喘いでいます。例えば、年金制度は累次の改正が行われていて、財政的に破綻する可能性などないと断言できる状態であるにもかかわらず、ほぼ全員が破綻する可能性が高いと考えています。健全な関心と正しい認識を持って頂くことを切に望みますが、それでも若者の保障制度を構築していくべきは論を俟ちません。

もう1つが、国民の自尊心を擽る政策に組み替えていくこと、つまり、国民の皆さまから見て社会保障は使わなかったら損だと思うようなものから、使わなかったら得だと思うような制度に改善すべきは改善していくということです。例えば特定の薬用湿布薬の美容効果が極めて高いらしく、美容のために医師に処方してもらって安価に入手される方が多いとの報に接しました。これで何百億円の財政支出だそうです。極めて不健全なものだと感じています。

一方で、経済に目を向ければ、マクロ指標は概ね良好で、ゆるやかな景気回復が続いています。問題は、中小企業や小規模事業者です。景気の指標であるところの倒産件数は劇的に少なくなっている者の、後継者不足によって廃業件数が増加しています。おそらく向こう10年で本質的な対策を打たなければなりません。今年度の税制改正で、例えば承継時の相続税・贈与税の猶予対象が全株となりました。猶予比率も全額となります。こうした取り組みで、円滑な承継が行われることを期待しますが、環境だけで主体となる経営者の皆様の心が動くわけでもありません。わくわくするような、そういうエネルギーを創っていかなければならないものだと思っています。

北朝鮮による暴挙や劣化していく周辺安全保障環境にも、しっかりと対応する安全保障環境を整えていかなければなりません。まずは日本の防衛について抑止力と対処力を質と量の両面で財政制約の中でしっかりと改善していく努力を行わなければなりません。そして、同時に同盟の維持強化。かつて、とある政治家が同盟とは芝刈りだ、放置すると雑草が生える、と言いましたが、否、放っておいたとしても、青々しく綺麗に整った芝になる環境を整えていく努力の方が重要だと感じています。

最後になりましたが、皆様の益々のご隆盛とご活躍を心からご祈念申し上げます。

Final and irreversible deal?

(photo by MOFA)

I would never have come up with the idea of writing an article in English if this did not happen. Back in 2015, I clearly remember the day when I watched the news program, reporting that, the Foreign Minister of Japan Mr. Kishida announced Japan and South Korea reached a landmark agreement to resolve this decades-long dispute as a “final and irreversible deal”. That is the agreement regarding so-called comfort women issue.

I do not think I could represent all the Japanese sentiment about this issue, but we did then have some feelings of irritation in a way that what we have in mind is not well conveyed to the people of some neighboring countries. We know this is not just about the history issue but also, and should be, the human right one. We might have been able to see this only from the latter point of view if we shared the same recognition. But reality is harsh and it would be so difficult to establish a forward-looking relation.

Prime Minister Abe, in his speech in 2015, stated “feelings of deep remorse over the war. Our actions brought suffering to the peoples in Asian countries. We must not avert our eyes from that.” Yes, we have some deep feelings, not in an apologetical or hypocritical manner, about what we did during the world war II. Even the generation like me, born in 1968, far later than the end of war, has a deep feeling of apology about what we did to the neighboring countries.

Prime Minister Abe is not only the exception. Many Prime Ministers of Japan have expressed the feelings of deep remorse and apology for many times in the past. We are always facing the reality that our apology would always be put aside and this issue have been always kept on the diplomatic negotiation table every time, and will seemingly be forever. We have been experiencing the reality that those diplomatic goal are always moving and changing.

Let me back again about the 2015 agreement. At that time, among Japanese, there were some slight concerns that the diplomatic goal would again change as we have experienced in the past.

Reaching the end of this year, the President Moon Jae-in has established the government task force to review this 2015 agreement. And the conclusion of the task force, which has already been offered to the President, was that the former government had failed to represent the comfort women in the negotiation process of the agreement. (Some part of the negotiation process was unilaterally open to public by this task force report and was criticized by the major South Korea media, because negotiation processes are normally supposed to be treated as classified documents for certain years considering trust on diplomacy.)

Moon administration would then have the opportunity to revise or even scrap the agreement. Yesterday President Moon stated “this agreement is flawed and cannot resolve the issue”. He did not touch upon revise or scrap, but if he does, this is nothing but the revision of history and we can not manage the bilateral relation. If he does, we can not even go into further discussion nor no one could even start negotiating.

The Foreign Minister Kono has touched upon this agreement the other day, saying any attempt to revise it would be unacceptable and make the relations unmanageable. There would be no more reasonable statement at this moment.

We have a strong will to stop disputing in this way for the next generation on both sides. Besides, the ties between both countries is far more important in the history to provide the security and prosperity in the region.

History is harsh and we are living on such a history. And we have a strong will to carry our history on our back. We will never easily abandon any history we have traced, even though it has been done by the past administration, because what we have done is what we have done. We believe we can carry our future on our back only if we can carry our history on our back.

International agreements are not the exception. We know that it would be a big burden for us but we know that we could only establish mutual trust and forward looking relation though this way.

On this ground, I hope reasonable and forward looking action will be taken not only to provide the security and prosperity of the region but also for the next generation on both sides.

This is totally my personal opinion as a member of the House of Representatives.