国際金融の世界で起きていることーBRICS銀行とAIIB

先日9日、BRICS(ブラジル・ロシア・インド・中国・南アフリカ)の首脳会談がロシアのウファで行われました。取り上げられた議題の1つに、新開発銀行設立(BRICS銀行)がありました。

新開発銀行は、新興国や途上国のインフラ整備のためのものとされ、AIIBと連携するものであること、出資比率は参加国それぞれ100億づつの合計500億でスタートすること、などを軸とするものですが、本質は、AIIB同様、欧米国際金融体制に対抗するものであるという見方もあります。

そもそもAIIBがあるのになぜBRICS銀行という話になったのかと言えば、おそらく中露のギリシャやインドを含めた国際政治的な思惑が背景にあるものと思われます。例えば、ロシアとギリシャの急接近は有名ですが、AIIBではロシアはそれほど幅を利かせられないのでBRICS銀行でギリシャを誘っているという見方ができます。それ以外でも、中露はSCO(上海協力機構)でも欧米対抗基軸を打ち出しているようにも見えます。インド・パキスタンの正式加盟を認めるなど、ロシアは旧来からの友好国であるインド取り込みも積極的です。ロシアとしては、インドを取り込めば中国の影響力のカウンターバランスになるとの思惑も見えてきます。中国にしてみれば、BRICS銀行強化がAIIB体制強化にもつながるとの思惑が見えてきます。結果的にロシアもハッピーということです。

しかしその延長線上の遥か先には、例えば米ドルが基軸通貨じゃなくなる日というのも想像が全くできないわけではない。そうなることは日本にとって国際金融秩序のみならず国際政治秩序としても良いことではないはずです。そういう文脈で捉えれば、BRICS銀行は置いといても、設立と運用のポリシーが根底から異なるAIIBに日本が参加してAIIBの信用力を決定的に高めてしまうよりも、お互いに相補関係になるべきではないかと思っています。

日本と関係ない戦争に巻き込まれない理由

アメリカの戦争に巻き込まれるのではないか、アメリカがやってくれと言えばNoとは言えないのではないか、仮に今の法案ではできなくても、そのうちまた憲法解釈を変更して、巻き込まれるようになるのではないか、そうした不安をお持ちの方がいらっしゃると思います。そんなことは絶対にない論理的理由を書いておきたいと思います。

簡単に言えば、限定的集団的自衛権は、日本に相当の侵害が起きる明白な危険がない限り発動されませんが、それは憲法の限界だからです。自分とは関係のない、あるいは関係の薄い、つまり明白な危険が高くない紛争に関与することは憲法上も法案上も許されていません。だからNoと答えるしかない。

一言で言えば日本を助けてくれる人は助けようよということであって、それが憲法の限界なのです。逆に言えば、日本防衛のためのことだったら、その用途に合致した部分の集団的自衛権だけは認められるということです。

ではなぜそこが憲法の限界なのか。重要なことなので書いておきたいと思います。

まず、砂川事件は避けて通れません。在日米軍の合憲性が争われた事件で、最高裁判所が示した自衛権に関する唯一無二の判決です。まず誤解が多いのが、砂川判決が集団的自衛権について触れていないのだから合憲だ、という単純な論を政府がとっているように言われますが、違います。確かに根拠を構成する1つの重要な要素ではあります。

簡単に言えば、砂川判決は何を言っているかというと、いわゆる傍論ではあるものの、自国防衛の自衛権は否定されませんよ、としか言っていません。それを受けて、有権解釈権をもつ政府は昭和47年に公式見解を発表しています。それは、その自衛権は否定されないと最高裁は言ったけど、それはそれとしっても憲法の趣旨に鑑みれば、その自衛権は必要最小限の範囲に限る、というものです。これが規範と呼ばれる部分で、自衛権の解釈の土台。つまり砂川判決をさらに政府は狭めたわけです。ここは新しい安保法制も全く変わっていません。

この規範の次に、では必要最小限はなんぞやということになるわけですが、それはその当時の国際情勢や武器技術に鑑みれば、当然集団的自衛権などは100%認められないよね、となった。いわゆる時代の当てはめの結果と言われる部分です。つまり、規範を更に狭めた結果です。念のため整理しますと、規範があって、時代背景があって、当てはめの結果がある。

昨年7月1日の閣議決定による集団的自衛権の限定的行使容認は、この公式見解を根拠にしていて、時代背景の当てはめの部分が変化すれば、その結果は変わるのではないか、というところです。規範の部分は自国防衛の意味での自衛権ですから、結果としては、最大限度認めうる必要最小限とは、自国防衛の為という限定された集団的自衛権が認めうることになります。

つまり逆に言えば、今後解釈で変更できる部分というのは、時代背景やら武器技術というあてはめの結果の部分ですが、その結果は当然、規範の範疇に入っているわけで、では現在の新解釈以上の解釈拡大の余地があるかというと全くない。なぜならば、自国防衛のための集団的自衛権というものより広い概念がないからです。これ以上広げるなら、規範を変えなければなりません。しかし、この規範は先ほど書いたように、憲法の趣旨に直結した論理なので変えようがないのです。

結論として法案には「我が国と密接な関係にある他国に武力攻撃が発生し、それにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険」が起こった場合が自衛権発動のそもそもの条件の1つになっています。だから、アメリカに何を言われようが、全部従うことは憲法上許されない。

憲法解釈の変更がけしからぬという意見を私は横暴にも全否定しようとは思いません。しかし是非ご理解を頂きたいのは、論理としては通っているものなのです。この部分の論理は単純ではないので、法案内容とは異なる不安が先行しているのだと思います。

ちなみに憲法学者の多くは、砂川判決は政治的配慮があった判決であって司法の独立性が疑わしい最悪の判決だという認識に立っています。憲法学者の大家である芦部信喜先生(私も20代に読み漁りました)も、憲法9条の解釈について有力説、通説を解説し、その他の説を紹介していて、前2者は共に戦力である自衛隊も自衛権も認められないと説き、最後のは、自衛権は放棄していないという説もあるという紹介をしているに留めています。だから、そもそも違憲になるわけです。

参考までですが、共産党は、政府の公式解釈は、規範から結果まで一体のものだから違憲だと主張していますが、根本的な論理としては憲法学者の伝統的解釈に近いものと思います。民主党も同様だと思われますが、より現実的解釈であると理解しています。正確には不明。維新の党は憲法学者や国民が違憲だと言っているから現時点は好ましくないと主張していると理解しています。

もう一言だけ言わせてくださいー平和安全法制ー

現在審議されている安保法制は、紛争未然回避法案です。本来、紛争を未然に回避するには何をどうすればいいのか、を決断して苦労してやっているものです。それが戦争法案と喧伝されています。

この安保法制について大多数の憲法学者がこぞって違憲だ、と主張されています。確かに真摯に受け止めなければなりませんが、憲法学者って6割が自衛隊の存在自体が違憲だという現実社会では化石みたいな存在。災害発生時に助けに来てくれたのは憲法違反だと訴訟を起こしそうな勢いです。

さらに言えば、自衛隊の存在が違憲だという憲法学者の大多数95%弱が憲法改正して自衛隊の存在を認める必要すら無いのだとか。存在位は誰が聞いても認めるべきではないのか。

彼らの意見は論理で言えば理解します。が、現実社会では理解に苦しみます。

かつて、論語と算盤を著した渋沢栄一を思い出します。算盤が論理、論語が現実。論理だけで突っ走っても神学論争にしかなりません。いわゆるドツボ。

なぜならば、論理で言えば、現在の安保法制は明確に合憲の論理があるからです。

もし論理で押し通すなら、最終的に合憲か違憲かを判断するのは最高裁判所なはずです。立法府は立法府で立案する法律が合憲だという論理を元に立法するわけですが、それで具体的な権利侵害が生じたら違憲審査を最高裁に求めればよいはずです。仮に無茶苦茶な総理が将来現れて、合憲の論理さえない、とんでも法を創ろうとしても論理がないので間違いなく立案さえできず、仮に立案できたとしても成立するこはなく、まして仮に成立したとしても、違憲訴訟が直ぐに起きるはずですし、選挙の洗礼も受ける。だから、民主主義国家として成り立っているわけです。ここが論理の終着点。証明終わりでQEDです。

一言で言えば、1×1=1と、(−1)×(−1)=1を争うようなもので、合憲違憲の言い争いは意味がない。最高裁しか、1か(−1)を最終的に判断できない。

本当の最大の政治の課題は現在の安保法制の先にあるものです。ここをバランス感覚を持ち続けてハンドリングする必要があります。そういう意味では批判は常にあってしかるべきで、批判のある国は真っ当だと思います。しかし、何をやるかよりも、遥かに、何をどうやり続けるのか、どうバランスを取り続けて進んでいくのか、の方が重要です。この法案は紛争を避ける意味でも外交の最大のツールとしても絶対に通す必要があると思っています。これは親分がそういうからではなく、私自身、そう思っています。

なぜそう思うのかというと、例えば現実の社会で、この法案を審議しているだけで、近隣諸国となんとなく上手くいきそうな兆しが見えてきていると感じるのは私だけでしょうか。アメリカとの距離が2012年あたりに比べて急激に良好になってきていると思うのは私だけでしょうか。国際政治は国内の論理だけで生きていけない世界だと感じているのは私だけでしょうか。

吉田満と安保法制

かつて史実作家にしてバッハを愛する吉田満は、作品「戦艦大和ノ最期」の中で、とある実在する大和乗組員の白淵海軍大尉の言葉を紹介している。吉田の創作なのか本当の言葉なのかは定かではないが、なんとも哲学的な表現であって、随分昔に読んだものだが、未だに鮮明に心に残っています。

白淵が大和に乗艦し沖縄戦特攻に向かう途中、下士官と予備士官が激しく言い争う場面です。戦死は軍人の誇りだという下士官と、無駄死であり意義が解らぬという予備士官。そこに白淵大尉が間をとって諌める話です。

「進歩(※1)のない者は決して勝たない 負けて目覚める事が最上の道だ 日本は進歩という事を軽んじ過ぎた 私的な潔癖や徳義に拘って、本当の進歩を忘れてきた 敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか 今目覚めずしていつ救われるか 俺達はその先導になるのだ。 日本の新生に先駆けて散る。まさに本望じゃあないか」

私的な潔癖や道徳に拘って・・・。私にはこの言葉と今の安保法制の相関性を表現する言葉の力は残念ながらありませんが、敢えて努めると、負けて目覚めるようなことがあってはならないのであって、負けるか勝つかをする前に、気づかなければいけないことが確かにあると思っています。

決して「私的な潔癖や道徳に拘って」空想をしてはいけないと強く思うのです。吉田をして白淵にこの言葉を言わせしめたのは、時代が生身の人間を精神論で突撃させるようなことがあったからであって、そこには決定的にリアリズムが欠けていたからだと思うのです。

だから、リアリズムを追求すると、戦わないために何をするのかになるのであって、何をするかと言えばパワーバランスを保っておかないといけないと強く思うのです。そう考えれば必然的に現在の安保法制は必須になってくるのであって、これを違憲の戦争法案と断罪しようと試みるのは、特攻行ってこいと言うのに等しいと、哲学的に、そして論理的に、全く同じだと思ってしまいます。

吉田満に言わしめたこの言葉を、私は決して左寄りの人が利用するような「だから武力は持つべきでない」と言う意味で捉えるものでは全くなく、また右寄りの人が使う「ここまでして先人は日本を守ってくれたのだから現代人も守らなければならないのだ」という文脈でも捉えない、むしろ単純なリアリズムの教訓としてとらえる必要性として感じています。

かつて現代の史実作家の塩野七海さんは、著書ローマ人の物語のなかで、カエサルが言ったとされる言葉を現代に伝えています。「人間とは見たいものしか見ない」。

リアリズムとアイディアリズム。この狭間で見たくないものをしっかり見る努力をしつづけること。憲法精神的に言えば、左巻き進歩的文化人(※2)の精神的支柱であった丸山真男ではないですが(※3)、生きる権利の上に胡坐をかいていては駄目で権利は不断の努力をしなければ勝ち取れないのだと思います。

(※1)この進歩と(※2)の進歩は全く別義で使っています。
(※3)念のためですが丸山の結論には私はまったく賛同しませんが思考の清さは尊敬に値すると思っています。以下、参考記事。

https://keitaro-ohno.com/?p=2398 自民党機関誌寄稿論文
https://keitaro-ohno.com/?p=1165 説を変ずるはよし、節を変ずるなかれ(陸羯南・徳富蘇峰・田岡嶺雲・正岡子規・司馬遼太郎との関係)
https://keitaro-ohno.com/?p=57 主張は清くありたい
https://keitaro-ohno.com/?p=1532 主権回復の日について
https://keitaro-ohno.com/?p=2408 祝ノーベル賞
https://keitaro-ohno.com/?p=1188 幼子は誰が責任を持って育てるのか
https://keitaro-ohno.com/?p=1818 確かな安全保障制度を構築し心豊かな国家の創造を

地元で賜る安保法制に関するご意見

安保法制の審議が続いています。私自身も、平和安全特別委員会の委員として審議に参加しております。報道もようやく諸説報じて頂いているためか、皆様のご理解も進んできているのではないかと思います。問題はどのようにご理解いただいているのかということだと思います。
 
ご年配の方々によく賜るのが、戦争を知らない世代の政治家が作る法律は危ない、というもの。真摯に受け止めなければなりません。現在の安保環境は間違いなく法改正を必要としています。問題は、極端に安保前のめりにならないことです。そしてこの法律案は、私自身、真剣に精査をし、まったくもってその範疇に入るものではないことは明言しておきたいと思います。
 
そして本法律案は違憲ではないかというご指摘も賜ります。私は、この角度からも法律案を精査し、間違いなく明々白々に合憲だと言える論理があることを確認しています。そのために国会では神学論争になっていますが、合憲だ違憲だという両論があったとしても、最終的な違憲審査を行うのは最高裁判所ですので、合憲の筋道が通った論理がある以上、世界の現実と向き合うのが政治であろうかと思います。
 
また、憲法解釈の変更というのは姑息であって正々堂々と憲法改正すべきではないかというご指摘も賜ります。私は姑息だとは思いませんが、当初は憲法改正すべきだとは思っていました。しかし、現在はこのプロセスの方が真っ当に感じています。なぜならば、憲法改正を仮に実現したとしたら、恐らくそれはフルセットの集団的自衛権、一般的な集団的自衛権を意味するのだと思います。そうなると、法律上の審議は困難を極めるのではないかと思います。現在の憲法では、行使可能になる集団的自衛権はかなりの制限がかかっていますので、まずはこの限定された範囲で実施するのが現実的な政治ではないかと理解するようになっています。
 
恐らく他にも漠然とした不安をお持ちの方もいらっしゃると思いますが、これからも真摯に丁寧に説明をしていきたいと思います。

平和安全特別委員会

昨日、平和安全特別委員会の質問に立ちました。岸田大臣に基本的認識を、そして米艦の他国による攻撃に際する武力攻撃事態と存立危機事態の棲み分けの在り方について外務防衛両大臣に意見を求めました。本来、それに引き続き、後方支援活動と宇宙空間についての質問をする予定でしたが時間切れ。また機会があれば望みたいと思います。

http://www.jiji.com/jc/zc?k=201507/2015070100623&g=pol

【時事通信社】1日の衆院平和安全法制特別委員会で、(中略)、外相は、日本防衛のため活動している米艦船が公海上で攻撃を受けたケースに関し「個別的自衛権で対応できるのは極めて例外的な場合だ」と述べ、基本的に集団的自衛権で対処すべきだとの考えを示した。自民党の大野敬太郎氏への答弁。

 

【善然庵閑話】阿南惟幾

昨年末、次世代リーダーフォーラムという会議に参加させて頂いた際に、阿南惟茂さんという駐中国日本大使を務められた元外交官にお目にかかりました。阿南さんと言えば、ご尊父はあの阿南惟幾。終戦時、鈴木貫太郎内閣で陸軍大臣を務め、最後まで戦争継続を訴えた後、終戦の8月15日に自害して果てた人物で、一般には、戦後教育を受けた世代が持つイメージは、けしからん陸軍の代表というようなものだろうと思います。

しかし、当時、内閣書記官長であり終戦詔書の起草の任にあたった迫水久常が、後に当時の昭和天皇陛下や官邸周辺の政治家・軍人の動向と感想を書き綴った文章が残っており、考えさせられる内容であったのをはっきりと覚えています。

陛下の終戦のご英断を拝した8月14日の深夜、迫水が鈴木総理と二人で総理大臣室にいたところ、阿南大臣が入室し「終戦の議が起りまして以来、私はいろいろ申しあげましたが、この事は、総理にご迷惑をおかけしたことと思い、ここに謹んでお詫び申し上げます。私の真意は一つにただ、国体を護持せんとするにあったのでありまして、あえて他意あるものではございません。その点は何卒ご了解くださいますように」と総理に詫びを入れたところ、総理は「そのことはよくわかっております。しかし、阿南さん、日本の皇室は必ずご安泰ですよ」と返答した。阿南が最敬礼をして退出したのち、総理は迫水に「阿南君は、暇乞いに来たのだね」と言ったのだとか。そのことを、迫水は、「この時の光景は終生忘れられないところでして、殊に総理のお言葉は、誠に深遠な意味があると思います。この学問の教えである伝統の原理を体得した方でないと出ない言葉であり、また意味も判らない言葉ではないでしょうか」と書き残しています。

更に、阿南大臣は侍従武官として陛下に直接お仕えし、陛下の御心はよく知っておられたのにもかかわらず、なぜ戦争継続を訴え続けたのか、その理由を推察しています。曰く、「ほんとうに苦しい腹芸をされたのだと思います」「私は心から阿南さんを尊敬します」と。

本当は終戦の外やむなしと思っていたはずだが、自分が終戦を言えば部下に追い落とされていたはずで、そうなると内閣としては陸軍大臣を補充する必要がでてくる。しかし、軍が補充を承諾しなければ、内閣は総辞職しなければならなくなる。そうなれば終戦はできなくなるはずだ。だから、腹芸を続け、その思いを墓場にもっていったのであろうと。

真実は分かりません。しかし十分にあり得る話なのではないかと思っています。ちなみに阿南が唯一の目的とした国体護持。戦後、イギリス・中国・ソ連によって天皇制廃止が叫ばれていたにも関わらず、アメリカの駐日大使を務めたグルー氏などの尽力で、皮一枚つながったとの史実が残っています。

人は見た目では分からない内面がある。おそらく、この学問の教えである伝統の原理を体得するとは、そういうことなのだと思います。

今日、なんとはなく、この方のことを思い出しました。国会終了後、地元飛行機に乗るまでのひと時を過ごしながら。

【善然庵閑話】島流しーEXILE

久しぶりに善然庵閑話シリーズです。

EXILEという伝説のグループ。恥ずかしながら芸能関係に極めて疎い私ですが、なんとはなしにATSUSHIに強い職人気質を感じて注目していたグループですが、最初に聞いたときに何故、EXILEという名前を付けたのか不思議でした。

EXILE。追放とか放浪とかの意味ですが、香川に住む私としては、何となく島流しを想像させられる単語です。島流し。Be exiled to an island。

ご存じのように、歴史的に四国は島流しの刑で配流されることが多かった地で、例えば法然。南無阿弥陀仏さえ唱えれば極楽浄土に行けるという思想を流布し爆発的にヒットした浄土宗ですが、当時のこの新興宗教は旧宗派に迫害され、結局は後鳥羽上皇により法然は讃岐(香川)に配流される。

讃岐に来てからが面白くて、めげずに流布を続け、たった1年弱で浄土宗は讃岐No1の宗派となってしまう。多分そののち親鸞の浄土真宗にとってかわられるわけですが、いずれにせよ、結果、香川には法然が滞在した痕跡がいくつか残っています。その一つが地元では知らぬ者はいないはずの、滝宮神社。神社なのに念仏踊りというのが行われているわけですが、単なる神仏習合の結果ではなく、法然滞在の頃、地元の人が雨乞い踊りをしていたところ、法然が南無阿弥陀仏を振付けた結果、「ナムアミドーヤ」という掛け声のもと、不思議な神仏習合の形になったのだとか。

島流しと言えば、もっとも有名なのは、日本最強の怨霊と言われる崇徳上皇かもしれません。保元の乱で追放された上皇は、京都の仁和寺から愛媛を回って今では香川県坂出市にある白峰神社に入る。ここで崇徳上皇は京に戻りたいと言う思いを強め、写経したものを京に送れば許しを請えると思い、3年かけて実行するも、後白河上皇への呪いの写経だとの理由で突き返される。それを見た崇徳上皇は怒り狂い、自らの舌を噛み切り、その血で呪いの経典を書き、海に沈めて、天皇家末代までの呪いとしたとか。後代の天皇家は何度も祟りを鎮めることを試みているのだそうな。そして、白峰神社付近には様々な恐怖伝説が今でも残っています。

また、島流しではありませんが、源平合戦の主要合戦上の一つである屋島の戦いで、源氏の行った平家の残党狩りは厳しかったらしく、西方に敗走したのですが、そのため平家の落人伝説はいたるところにあります。特に有名なのが、今の香川県観音寺市大野原町から徳島県の祖谷への平家の落人。恐らくここらへんの出身の人は平家の末裔なのでしょう。平がついた平田とか平岡などの姓が8割を占める町もあったりします。

まったくもっておどろおどろしい話ですが、その手の話は尽きません。私が居を構える丸亀市には名城百選にも選ばれた丸亀城があります。大きなお城ではありませんが石垣のカーブが美しい。昔、さだまさしが、「城のある町」という丸亀城をモチーフにした曲も発表したことがあります。で、ここには、豆腐売りの人柱伝説というのがあります。築城当時、石垣工事が難航したために人柱をたてることになったのだが、誰もいないのでたまたま通りかかった豆腐屋を埋めたのだとか。工事は順調に進んだが、今では雨が降る夜には「とーふー、とーふー」と聞こえてくるとの伝説です。

おどろおどろしいストーリですが、こうしたものを観光につなげることは難しいのですかね。特に外国人観光客はストーリを重視すると言いますから、京都あたりの観光客を呼び込むのに使うのは、少し罰当たりでしょうか。

参考文献:北山健一郎著、香川「地理・地名・地図」の謎

戦後最長の国会延長と安保法制と石破大臣

本日、20時10分に開催された本会議にて、戦後最長となる95日間の国会の延長が採決され、国会が9月27日まで延長されました。国会の一義的存在意義は、現実問題に直面し、その現実を石破大臣がよくおっしゃるように勇気と真心をもって真実を国民に伝え、国家の存続と国民の自由と幸福追求の権利のために、十分に慎重審議を行い、決断していくことです。

本日の本会議には民主党は欠席。それは自民党でも過去にあった話なのだと思うのですが、真に政治的に先進国になるためにも、こうした前時代的な判断は今後とも与野党とも絶対に行うべきではないのだと思います。反対なら反対の討論を行うべきです。

民主党欠席(維新・共産反対)の理由は、与党が何が何でも安保法制を今国会中に通したいがための延長だからというものですが、なりふり構わず通すのであれば、強行採決すればいい話で、そんなことはしません、と与党は言っています。野党があくまで反対なら論理だった反対論陣を張ればいいはずです。そして正々堂々と議論をすればよいわけで、そのために十分に時間をとったということです。そもそも野党は審議が十分でないと主張されていたのですから、審議に応じたらいいのだと思いますし、仮にでも結論が決まっているからつまらないというなら、与党側も野党の結論は反対と決まっているのだから採決するとなってしまいます。これは、J.S.ミルの自由論の議論をひっぱり出さなくても、議論の衰退と結果の悪化につながります。

そして、安保法制反対の理由の第一は、そもそも与党案が憲法違反だと言うものです。今見ているテレビ朝日のコメンテータも、「そもそも違憲だということを前提で議論をすすめるべきで、違憲だけど必要だからやる、というのはおかしい。それだったら憲法改正を議論すべきだ」とのことをおっしゃっている最中です(そういう放送はどんどんしていただいて結構ですが、なぜこの放送局は、両論を報道しないのでしょうかね)。

先にも触れましたが、違憲の論理も、論理としては間違ってはいません。つまり、集団的自衛権は違憲だというのは昭和47年からずっと政府が貫いてきた解釈だから今でも違憲だ。そのどこを切り出そうが違憲だというもの。しかし、重要なのは、現時点でも、政府案は集団的自衛権は違憲だと言っているということ。そして最も肝心な部分は、切り出し方によっては合憲で整理できるものがあり、政府提案の限定集団的自衛権は、論理としては明白に合憲なのです。

民主党の寺田学先生が、腐った(違憲)味噌汁(集団的自衛権)の一部(限定集団的自衛権)を取り出しても腐っている(違憲)、と国会で追及したのに対して、法制局長官が、フグ(集団的自衛権)も毒(限定以外)の部分をとれば食べられる(合憲)、と答えたのは、こうした論理の衝突です。

しかしこれでは国民はどっちが本当なのか分からない。だから政治というものが必要なのだと思っています。政治の役割は何か。そして司法の役割は何か。今日の平和安全特別委員会で違憲の参考人意見表明をした小林先生も、いみじくもおっしゃっていたように、憲法の有権解釈権は、行政・立法・司法のそれぞれが有するのであって、政治がかかわる立法と行政は、論理とともに現実の問題が存在するときに、それを解決するために努力するものであって、一方でそれにより仮に憲法違反が疑われる個別具体的事件が生じたときには司法が判断を下すという構造になっています。さらに言えば、政治は選挙による洗礼を受けることになる。

逆に言えば、私もそうですが、有権者に反対意見があるのを知ったうえで、丁寧に説明を試みた上で、それでも現実問題を解決するために、この問題が合憲か違憲かを真剣に考え抜いて判断しているわけで、十分に納得し合憲であり、推進していくべきだと考えているのです。

もう一度書きますが、政府は、そして私も、この安保法案は明白に合憲であるという確信をもっていて、その理屈も明白にあるのです。もちろん、理屈もなければ法制局長官が首を縦に振る筈もないですが。

アメリカは変わりました。世界の警察官を辞めた、と一言で切り捨てる程は簡単ではありませんが、簡単に言えばそういうことになります。レッドラインを引いておいて、それを超えて出てくる相手にこれまでは実力を行使していましたが、そうしなくなった。現実に向き合い行動を起こすアメリカから、理想に走り対話を求めるアメリカへの転換です。だから、おそるおそる様子見でちょっかいを出してくる国が出現してきた。サミュエル・ハンチントンが予想した世界にはなっていませんが、違う形で混沌とした時代になろうとしています。

仮にこの法案が通過しなかったとして、国民の生命・自由・幸福追求の権利を保持できなくなる事態が生じた場合に誰が責任をとるのか。我々は戦争をしたいから立法化に向けた努力をしているわけではなく、戦争を回避したいからがんばっているのです。なんだか、反対意見の一部の人は、自分の国の総理よりも、平和を愛する他国元首の公正と信義に信頼しているようで、切ない気がいたします。

徴兵制の議論があります。最初は突拍子もない、妙なことを言い出す人がいると思っていましたが、真剣に心配される方がいらっしゃることが分かってきました。徴兵制は、例えば憲法18条の身体的自由権(奴隷的拘束・苦役からの自由)に反するから憲法違反だと説明できます。これに対して、民主党は、解釈で変わるのではないか、徴兵は苦役ではないと解釈すれば、憲法解釈の変更で将来徴兵制はできるではないか、と主張しています。

論理がありません。もし苦役ではないとして徴兵制法案を立案し可決成立させても、苦役と感じる人が1人でもいれば、具体的憲法訴訟が可能で、一発で違憲判決がでるはずです。もし苦役と感じる人が一人もいなければ、もはやそれは徴兵制など必要のないほど国民が国家防衛のために立ち上がろうとしている状態であるはずです。そんなことはある筈もなく、したがって明白に違憲です。私は法律家ではありませんが、これは論理です。数学的証明に似ています。

石破大臣が徴兵制の違憲理由が苦役からの自由に反するだとは残念だという趣旨のことを述べていますが、曲解されているので念のため説明しておきますが、石破大臣は、徴兵制は違憲だと明確に述べています。加えて徴兵制は軍事専門的にも採るべきではないとも述べています。ただ、思想哲学として、国家を守るということの意味を考えての発言です。つまり、古代ローマの史実にもあるように、国を守るという意識は崇高なものであるべきだということに尽きるのだと思います。

また、今日の参考人意見で、限定された集団的自衛権の行使であっても、自国に対する武力攻撃がない状態での武力の行使だから、先制攻撃にあたる、ので憲法違反だ、とおっしゃる方がいらっしゃいました。国際法上は非攻撃国の要請や同意に基づくものであれば集団的自衛権と認められれば先制攻撃ではないわけで、それを集団的自衛権を否定してきた日本は個別的自衛権の概念の延長線上で解決しようとするから先制攻撃という人がでてくる。全くもってガラパゴスな国なのであって、さらに言えば、昔から、誘導弾で日本を攻撃しようとする他国にある発射台を場合によっては攻撃することは法理上は可能であって合憲であるという解釈があるとおり、かなり抑制的ではありますが先制的自衛権はこれまでも可能な場合があるのであって、あくまで専守防衛の解釈は全くもって変わっていないのです。

いろいろ論理の衝突があるのですが、真剣に国家の存続や戦争抑止を追求した形の一つであると思っています。丁寧に慎重に議論を進めていかなければなりません。

人口減少対策議員連盟

長い時間をかけてきた人口減少対策議員連盟での議論を取りまとめ、政府への要望活動を行いました。

人口減少対策議員連盟一同

「人口減少対策申し入れ」

~日本再興戦略改定に向けて~

はじめに

1. 先般、民間の有識者らでつくる政策発信団体「日本創成会議」の人口減少問題検討分科会が消滅可能性都市リストを公表、2040年までに約半数の自治体が消滅の可能性があり、約3分の1が消滅の可能性が高いとする内容は、社会に大きな反響を呼んだ。人口減少問題は、いまや我が国の存亡に関わる最重要の政策課題となっており、人口減少の背景にある少子化に対する対策は、最優先で取り組むべき重要施策となっている。

2. そこで、我々自由民主党所属国会議員有志は、政権政党として責任ある議論を重ね、より有効な手立てを発案・発信するため、約160名の入会を得て昨年10月に議員連盟を設立し、平均して隔週、合計11回に亘り有識者のヒアリングをするなどして活発な勉強会を重ねてきたものである。

現状認識と問題意識

演繹的視点

1. 人口減少問題に対峙するにあたり、我々は国家として何をなすべきかを議論してきたが、そもそも国家と個々の国民の関係に関する根源的議論が未だ不十分であるという認識に至っている。つまり、個々の国民は「社会持続のための資源」ではなく、当然、「自由及び幸福を追求する主体」であるが、人口減少の打開という「社会的課題」を誰がどのようにバランスをとるのかというコンセンサスを得られるに至っていない。

2. 即ち、国、地域、人の3つの主体の視点から、今一度、歴史的、社会的、文化・伝統的、経済的、統治体制的な切り口で、「人権と国の存続をどうバランスさせるか」の国民的コンセンサスを得る事が非常に重要である。現状では、それが無い故に、例えば「結婚が出来ない/子供が出来ない事がネガティブに捉えられるような議論は人権侵害だ」等と言った、人権の視点では当然であるが、少子化という課題の解決に向けた幅広い議論を委縮させる指摘によって、本質的な議論が進んでいないように見える。

3. 具体的に言えば、結婚・妊娠・出産・育児は国民個人の自由であり決して押し付けてはならないが、一方で、国民の希望を叶えられる環境を整えることは政治や行政の責任である。昨年、経済財政諮問会議に設置された選択する未来委員会は、人口1億人程度を目指すという道筋を発表し骨太方針の中で示したが、前述の根本的議論が欠けているため、その国民の出生に関する希望を数値化した希望出生率ですら国民への押しつけに繋がる可能性があると言う議論から、明確な目標として示すことができておらず、大いに議論の余地がある。

4. このコンセンサス構築のプロセスで、初めて、我々が何を大切にするのかが浮き彫りになると共に、「覚悟」ができることになり、その範囲内で最大限可能な大胆な施策も検討できるようになる。逆に言えば、現状の社会に「新しい仕組みを加える」だけの「付け足し」的な対策では、この危機は乗り越えられない。

5. 一方で、財政構造に目を向けると、国家として地方として何をなすべきかという公助制度自体も根本的に議論し直す必要があると考える。厳しい財政制約の下で、無駄を徹底的に排除することは当然だとしても、マイナンバー制度を徹底的に有効活用し、年金・医療・介護などの公助を本当に必要とする人に手厚い保障の手を差し伸べる一方で、根本原因である少子化に十分な財源を投入し、国民の結婚・妊娠・出産・育児という希望が叶えられる環境を整えなければ、結婚率・出生率は改善せず、人口減少を通じて、将来財政は圧迫する一方である。例えば、次世代への投資である家族関係社会支出の対GDP比率に目を向けると、我が国の場合約1%であるが、出生率が回復している欧州諸国は3%となっており、社会保障財源の配分について大いに議論の余地がある。

6. 人口減少の基本的メカニズムは、既に多くの場所で指摘されているが、①地方の経済雇用環境が大都市部に比べ著しく低下している等の理由により若年層が大都市(特に東京)へ移住・定住化し、それが社会的意識の変化等も相まって核家族化の進展につながり、家族や地域の助け合いという自助・共助の機能が減退し、結婚・妊娠・出産・育児の環境悪化を通じて、未婚化・晩婚化・晩産化が進展することと、②核家族化によって保育や介護などの公助財政需要が増大し、財政圧迫を通じて少子化財源の不足となり、さらなる少子化の進展につながっていることと、③東京などの都市部の結婚率・出生率は著しく低いため、そうした地域への人口流入により人口減少に拍車がかかっていることと、④地方では人口が流出するから経済雇用環境などの活力が減退し、減退するから更に人口が流出する、というプロセスが主だったものである。だからこそ、東京の一極集中の解消、地方創生、少子化対策を連携して進めていかなければならない。

7. 都市部と地方では、そうした環境悪化の理由が著しく異なり、高齢化が進む都市部と人口減少が進む地方とでは対処すべき課題が異なる上、地方はより複雑で多様である。従って、地域ごとの多様な現実にしっかりとスポットを当てた上で、マクロとミクロの両面から、時間軸をしっかり見据え、あらゆる施策を通じて自助・共助を促すと共に、必要十分な公助を地域ごとに確立することが必要不可欠である。

8. 然るに地方創生と少子化対策は表裏一体であるべきだが、現在、政策上の明確な連携の形が見えるよう一層の連携強化を進めて行くことが重要である。このためには、地方創生と連携すべき指標を充実するなど、少子化対策の見える化を進める必要がある。

9. 一方で、各自治体独自の課題抽出と解決法の模索が必要となることは論を俟たないが、国というマクロ視点も必須である。すなわち、一定期間は減少が避けられない人口と、現存の1700の自治体との関係を真剣に考えれば、現在策定中の国土形成計画において「どの地域にどれくらいの人口が棲まうべきか」という大きな方向性が示されるべきである。その際、「人口が最も回復し易い」という視点と、「日本の国際的な相対的国力を維持(成長力の維持)する」という視点の、時間軸も考慮した資源の最適配置を十分に議論することも重要と考える。

帰納的視点

1. 経済的な理由や社会的な意識の変化等により晩婚化・未婚化が進んでおり、初産年齢が上がって生涯出産数が低下している。逆に言えば、適齢期に結婚し、適齢期に出産するインセンティブが極めて薄弱であることを意味する。従って、公的制度による直接的なインセンティブを創出する議論が必要である。

2. 一方で、晩婚化・未婚化の抑止と改善のための環境整備が必要であることは論を俟たない。晩婚化・晩産化の主だった理由は、経済的なものと雇用環境、更には女性の育児に対する負担感の増大である。

3. 就業しながら出産・育児できる環境が不十分なため、出産を機に女性が離職しなければならない。女性の離職は男性の長時間労働を生み、夫婦の家事分担を妨げるため、結果的に女性の育児負担を増大させ、出産意欲も低下するという悪循環を生んでいる。更に言えば、長時間労働により、定時以降の子供の保育と教育の需要が増し、介護に携われないから公的介護の需要が増し、女性が働けないから年金需要が増し、企業は新規雇用を控えるため若者の就業機会が失われ、結果的に公的就業支援の需要が増え、結果的にすべて公的福祉の需要となって政府の財政を圧迫している。

4. 現在の税と社会保障は、片働き世帯を一つの理想モデルとして構築された制度であり、女性活躍といった社会構造の変化に対応しておらず、共働き子育て世帯が不利になるため、結婚・出産への動機を妨げている。また、制度的断層により、ライフステージに合わせた多様な働き方がしにくい環境にあり、特に女性の社会復帰を妨げている。

5. 核家族化によって家族や地域の共助を求められない世帯が最も必要としている妊娠・出産・育児期の相談所(例えば北欧に見られるようなネウボラ)や、働く女性などが育児期に最も必要としている病児育児施設が皆無に近く、また、産科小児科医師や産科情報自体の不足など分娩環境も不十分であり、安心して出産・育児できる環境が整っていない。

6. 高齢出産に対するリスクなどの教育制度が皆無に近いため、国民の生殖に関する正しい知識が乏しく、このことが結婚や妊娠・出産の時期に意識的に影響を与え、結果的に晩婚晩産化を助長している。また、人工中絶件数が高く、多くの嬰児の命が失われている。

7. 子供は宝物だという社会意識が低下しており、例えば保育園騒音による住民の反対運動等の悲しい事実が顕在化しており、間接的に出産意欲の低下につながっている。

日本再興戦略改定にあたっての申し入れ事項

総論

1. 現状認識と問題意識の演繹的視点の項で述べたように、人口減少問題に対峙するにあたり、国家として何をなすべきかにおいて、そもそも個々の国民と国家の関係に関する根源的議論とコンセンサス形成に向けた議論を加速させるべきである。それを通じて、少なくとも希望出生率を時間軸で明示するべきである。また、各基礎的自治体により地域ごとの希望出生率も示されることが望ましい。

2. 都市・中枢市と地方の抱える課題が異なる事や、地方の多様性・可能性や、個の尊重と社会構築とのバランスに鑑みると、地方については基礎自治体が主体性を持って戦略を検討・遂行すべきであることは論を俟たないが、国や県は、この検討に資するような、大きな国の方向性の提示や、基礎自治体が創り上げた戦略の実現に向けた後押しにしっかりと注力すべきである。

3. 次世代への投資である家族関係社会支出の対GDP比率に目を向けると、我が国の場合約1%であるが、出生率が回復している欧州諸国は3%となっており、社会保障財源の配分についてバランスを改善すべきである。

4. 適齢期に結婚し、適齢期に出産するインセンティブが極めて薄弱であることに鑑み、税制や給付金などのインセンティブ制度を創設すべきである。

5. 根本的理由の一つである核家族化による社会負担の軽減のために、同居世帯数を多くするインセンティブ政策の導入を進めるべきである。例えばフランスで導入されている同居家族が多ければ所得税が軽減されるN分N乗税制を日本に馴染むように修正して導入するなどが考えられる。

6. 高齢化に伴い妊娠する可能性が低下するとともに高齢出産にはリスクが伴うが、そうした正しい知識を持ち合わせないまま、婚期を遅らせたり子供をもうける時期を遅らせたりする場合が多いことに鑑み、中学生程度から生殖に関する教育内容を充実する。

地方の環境改善に関する課題

1. 大学や企業の都心部への過度な一極集中の解消と、地方移転の促進

東京を中心とした都心部に大学や企業が一極集中していることが、地方から都心部に移住しそのまま都心部に就職定住する若者の地方離れといった地方の人口流出を誘因となっている。大学を地方に分散配置し、研究機関や地方企業と連携して卒業後の職場を創造することで若者の地方定着を図る。企業においても、特に東京のビジネスの優位性は非常に高く、都心部から地方へ本社機能を移転するデメリットを補い余りあるインセンティブが無ければ、企業の本社移転を促進出来ない。移転時の優遇だけでなく長期的な優遇措置として、地方移転促進税制といった多様な長期的メリットを生み出すインセンティブを設置する必要がある。

2. 政府の諮問機関等委員の東京在職者一辺倒の是正

政府の諮問機関等の委員が誰であるかは、その提言や建議や報告に大きな影響を与える。その委員の殆どが東京所在の大学・研究機関・事業所から選ばれていては、地方の事情や意見が反映されにくく、自然と東京に有利な議論となっていると思われる。また、政府の意思決定に関与するチャンスが東京に居なければ得られないことは、優れた有識者を東京に集中させることとなり、優れた人材を地方から吸い上げる結果となっている。政府の諮問機関等委員の人選の地方枠を設け、日本各地の事情をバランス良く取り入れられる構成にすべきである。

3. 地方の人材供給に資する短期大学・専門学校の振興

短期大学や専門学校の卒業者は、地元に残って就職定住する確率が非常に高い。また、短期大学や専門学校は、就職促進のために柔軟なカリキュラムを創造し続けており、地域の労働ニーズに応える運営が行われている。若者の地方定着を促進するために短期大学・専門学校の支援振興を手厚く行なうべきである。

4. 地方移転に伴う行政コスト増加に対する地方自治体への財政支援
 
勤務地を変えず、居住地を都会から地方に移転した場合、社会保障費を含めた地方の行政コストのみが増加し、地方負担が重くなる問題が発生している。居住地の地方移転の際にこのような地方行政コストの増加に配慮した措置が取られるべきである。

働き方環境の改善に関する課題

1. 男性の家事、子育て参加と、女性の就労継続を妨げる長時間労働の解消

長時間労働は、男性の家事・子育て参加を疎外し、女性の妊娠・出産・育児の妨げとなって、就労継続を妨げており、また働き盛りの特に男性の地域コミュニティ参加をも疎外し、子供や高齢者の見守りや防災・防犯、その基礎となる地域の絆作りを困難にしている。また長時間労働は、健康保持を疎外し、肉体的種々の疾患や、鬱病などの精神疾患を引き起こす等、過労死の大きな原因ともみられている。長時間労働が実態として是正されていないのは、労働基準法違反の取り締まりと罰則の不十分さである。また労働基準法は、理論的に極端な長時間労働を可能にしている。総労働時間規制やインターバル規制を導入し、健康的働き続けられる環境とワークライフバランスの充実を図るべきである。

労働基準法違反による長時間労働を放置すれば、時間単位の労働コストに対して鈍感な経営を放置し、日本の産業の労働生産性を伸び悩ませることになる。有給休暇や、男性の育児休暇を取得させることを事業者に対して義務化することで、組織の中で休暇を取りにくい文化や慣習の中での休暇取得を強力に推進する必要がある。日本は祝日で休暇を作ろうとしてきたため、外国比較で祝日が非常に多いが、実質的な休暇拡大への効果は限定的である。日祝日には恒常的に休暇が取れない業種・職種も多く、むしろそういう業種・職種の従事者の休暇が取りにくくなっている面もあることにも注目すべき。段階的に長期休暇取得を義務化すべきである。

2. 非正規レッテルを排し、働き方の多様化・柔軟化の推進

多様な働き方が非正規雇用という否定的なレッテルを貼られていることで、ライフスタイルやライフステージに合わせて働き方を積極的に選択している労働者を無用に傷つける等、組織内における不合理な処遇格差の原因ともなっている。

いわゆる103万円、130万円の壁と言われる、税制や社会保障制度が生み出している制度的断層が、働き方の柔軟性を損ない、多くの労働者を低賃金に押し留めている。

大きな事業体(企業・役所等)を中心に、新卒採用年功序列のメンバーシップ型雇用慣行が、中途採用による途中参加や、一時休職者を疎外していることによって、不況時に採用されなかった新卒者や、出産・育児休暇取得者の不遇を回復させられず、また事業体間の転職を疎外している為に、社会全体の人材配置の最適化を損なっており、均等待遇や同一価値労働同一賃金、不本意非正規雇用などの観点からの問題の原点となっている。

3. 働き方に中立な税制・社会保障制度への改正

税制に於いて、配偶者控除と特別控除の制度に不合理があり、配偶者収入が103万円をピークに控除が最大化するので、就労調整が発生している。事業体の配偶者手当が配偶者収入103万円で打ち切りになる制度を持っているところが多く、配偶者が就労調整している。年収130万円付近で3号被保険者から、2号や1号被保険者に切り替わるので、就労調整が行われる。特に2号被保険者に切り替わる場合は事業所側の負担が急に発生するので、事業所側も就労調整する。

税制も社会保障も、労働者にも事業者にも負担が断層無く、無段階に一定の率で賃金に応じて負担が増加する制度にすべきである。こうすることで、不要な就労調整が発生せず、労使共に合理的な働き方のバランスが取れる。片働き、共働き間の差別無く、夫婦世帯に有利で、子育てが支援出来る、税制、社会保障制度、給与手当にしていくべきである。

4. テレワーク

より出産に適した条件に恵まれている地方において、その基盤としての「稼ぎ」の場を創る仕組みとしての、テレワークを一層推進する。テレワークは、①都市部の仕事を地方に持ってくるのみならず、②今後増加が見込まれる「介護退職」に備えて、退職せずに故郷に帰っても仕事が続けられる、③産休・育休中の女性が仕事を継続する事で、休み明けの社会復帰をスムースにする、④「自営型テレワーク」を経験させることによって、経営者のタマゴを地方に作る、などの効果を持ち、少子化のみならず地方活性にも大きな効果がある。

結婚・出産・育児環境の改善に関する課題

1. 地域少子化対策強化交付金の当初予算化

 地域目線・当事者目線できめ細かな少子化対策が継続的にできるよう、地域の実情とニーズに対応した、結婚・妊娠・出産・育児の「切れ目ない支援」を推進するため、既設の地域少子化対策強化交付金を当初予算としてしっかりと確保する。

2. 子ども・子育て支援新制度における質・量の充実を図るための必要な財源の確保

 子ども・子育て支援新制度において、幼児期の学校教育・保育・地域の子育て支援の質と量の充実を図るための財源の確保に努める。消費税率10%への引き上げにより得られる税収のうち、0.7兆円程度が充てられることとされているが、残り0.3兆円超についても確保する。また制度の円滑な実施を図るため、自治体や国民に対し、引き続き広報・啓発活動を実施する。

3. 子育て家庭特に働く母親の負担軽減

ベビーシッター費用、家事費用支援をすべきである。消費税増税により、家計の切りもりをする主婦がまず自分にかかる費用から削っていくであろうことは容易に想像しうる。働く女性、働く母親がベビーシッターやハウスキーパーの費用を削り、育児、家事、介護と仕事の両立の負担をいっそう重くすることは、女性の活躍と相反する。

4. 日本版ネウボラ(妊娠・出産・育児期の家庭相談所)の導入

居住不明児童、児童虐待死などを防ぎ、若い家庭の育児や生活設計を支援し、少子化をV字回復したフィンランドのネウボラを参考にしたワンストップの子育て支援拠点が注目されている。ネウボラは、妊婦の登録を促すため、登録すると支援金もしくは育児セットを支給している。乳幼児の健診や予防接種等を無料提供管理し、経済的支援のみならず、両親向け子育て教育や夫婦関係や生活設計の相談やメンタルヘルスケアまで、総合的に若い子育て世帯を支援する。経験と高度な教育を受けた永久担当者が、地域密着で子育て世帯を見守る。

既存の施設(公民館)を活用した三重県の名張市の取り組みは、子育ての孤立化を防止し、地域の助けあい機能も取り戻す効果もあげている。自治体による日本版ネウボラ導入を支援すべきである。

5. 多子世帯支援

 多子世帯の経済的負担の軽減は重要である。例えば、両親と子供3人以上の多子世帯は、4人家族をモデルとした商品が並ぶ中で、食品や自動車なども家族が1人増えた以上の出費を強いられる。第3子以降の幼稚園や保育園等の保育料無償化の対象拡大、保育所や公営住宅の優先利用等、多子家庭に対する子育て負担軽減対策を講じるべきである。

6. 高齢者や育児経験者による子育て支援

 若い世代が希望を叶え、安心して結婚し子育てできる環境整備に向け、高齢者世代や育児経験者が若い世代を支える場合への支援(例:育じい育ばあ支援・親業支援等)を行うとともに、高齢者や若い世代の希望に応じた家族関係や地域とのつながり、子育て世代の態様について各人の希望を実現するため、3世代同居・近居に係る支援をする。

7. 仕事と家庭の両立支援に積極的に取り組む企業支援

 仕事と家庭の両立支援に積極的に取り組む子育てサポート企業にインセンティブを与え、一方で「マタハラ」「マミーズトラック」等の根絶、企業風土の改革をめざすべきである。(例「パパ育休バウチャーダブル」など)

8. 産科・小児科医師を守り育てるための総合対策の検討

 産科診療は非常に手間がかかり、妊婦のメンタルケアの期待もされる中、他の診療科と比べ効率が悪く、また産科と小児科は、医療事故の訴訟例が多発し非常に敗訴も多い中、訴訟リスクが大きい診療科であるため、深刻な医師不足が続いている。特に人口あたりの産科医小児科医の少ない地域において過酷な労働環境の中で少子化対策に貢献している産科医小児科医の負担軽減支援をすべきである。

9. 病児・病後児・障害児保育の支援

病児対応型・病後児対応型保育所を増やすため新規参入しやすい環境整備を図るとともに保育所が経済的に自立できるよう補助金を増額すること。
 併せて、有給のこども看護休暇を認めること、会社へ看護休暇についての情報開示を徹底させることが必要である。障害児保育については、医療費や療育費など子育てにかかる費用負担も大きいことから施設利用者の費用負担の軽減を図るべきである。

10. 家事支援税制の導入

家事・子育て・介護に対する負担から働くことを諦めざるを得ない女性が多くみられることから、ベビーシッターやハウスキーパー、高齢者ケア支援者などへの家事支援支出に係る税制控除の導入を図る必要がある。フランスの家族政策のように、我が国も家庭生活と職業生活の両方を支援する政策に大きく転換すべき時である。

11. 小規模保育等への財政支援

小規模保育等については、多様な事業者が参入しやすいよう支援体制を強化することと併せ、財政基盤の弱い施設等については、施設の老朽化や小規模による経済的課題などの解消の為、安定的かつ継続的な財政支援が求められる。
 
12. 保育士確保

待機児童解消を目指す上で保育所の増設が図られるなか、慢性的な保育士不足を解消するため、保育職の就業促進及び離職した有資格者の復職支援、そのためにも保育士のさらなる処遇向上と雇用形態の改善・安定化は不可欠である。  

13. 保育料無償化の対象拡大

生活保護世帯、ひとり親世帯、多子世帯の保育料はもとより、保護者の経済的負担の緩和の為、更に対象を広げて思い切った軽減措置を行う必要がある。

14. 認定こども園制度の改善

希望する幼稚園が認定こども園に円滑に移行できるよう、認可・認定に関する特例措置の徹底を図るため、具体的でわかりやすいガイドラインを作成し、実施を徹底すること。

15. 結婚・妊娠・子供・子育てに温かい社会の実現

マタニティマーク、ベビーカーマークの普及、子育て支援パスポート事業の全国展開を積極的に行うべきである。また、男女の働き方改革(ワークライフバランス)として、男性配偶者の出産直後の休暇取得率80%や、結婚・妊娠・出産・育児の切れ目ない少子化対策を実施する地方自治体70%以上を達成させる。

16. マイナンバー制度利用による子育て世代負担の軽減

 マイナンバー制度の民間利活用の一環で、子育て世代が、マイナンバーカード提示等による子育て世代認証を通じて、民間サービスの優遇(価格や優先など)が受けれ、取り組んだ事業者には国がマイナンバー利用情報を通じて支援するような、ICTを活用した子育て支援を実現する。

以上

◆議員連盟役員名簿

会長町村信孝
会長代行川崎二郎
顧問河村建夫細田博之小坂憲次野田聖子上川陽子
猪口邦子
副会長橋本聖子塩谷立金子原二郎棚橋泰文岩屋毅
今津寛土屋品子松野博一山本順三
幹事長森まさこ
幹事長代理丸川珠代
幹事長補佐岡田広福岡資麿
事務局長大野敬太郎
事務局次長福田達夫穴見陽一牧島かれん金子恵美
幹事青山周平上野通子太田房江大沼みずほ
小林史明小松裕白須賀貴樹関芳弘
高橋ひなこ滝沢求田中英之豊田真由子
中川郁子平口洋三原じゅん子宮川典子
山田美樹吉川ゆうみ