クリントン氏側近の来日について

先日、2003年設立ですので比較的新しいと言えるアメリカ民主党系のシンクタンクCAP(Center for American Progress)の所長であるニーラ・タンデン女史が初来日。谷垣幹事長に表敬訪問にお越しになられました。

タンデン所長は長らくヒラリー・クリントン氏の政策参謀などを務められた方。次期大統領選挙では重要なポジションに付かれるとの噂もあり、CNNやCBSなどには頻繁に登場して鋭い発言をするのを何回か見かけたことがありますが、第一印象はとても明るい性格で大がつくほど好印象を受けました。

先般の安倍総理による訪米と議会演説と日米関係の強化、アメリカの経済情勢とTPP、日本のアベノミクスや地方創生や人口減少対策など、幅広い意見交換が行われました。

こうした人脈を政党として戦略的に更に深めていく必要があると感じています。

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憲法と安保と国会とベテラン元大物政治家

今国会も中盤を迎えましたが、先週末は厚生労働委員会において労働派遣法改正の議
題で大乱闘が起きました。民主・共産が結託し、法案の審議(出席)を拒否するのみ
ならず、審議妨害。そもそも当日は採決(法律を通す)はしないとしていたのに、委
員長のマイクを取り上げ、総理の入場も力で妨害というのは、全く意味不明のパ
フォーマンスであるし、まるで30年前の国会に戻ったかのような印象を受けまし
た。

これでは、他国の膨張政策に対して法の支配と力による現状変更の抗議などできたも
のではありません。また、その余波で厚労委員会のみならず、平和安全特別委員会や
法務委員会も民主・共産は欠席。同党の質問時間をただただ座って待っているという
異常事態でした。

維新のとある議員が、同党の、こうした55年体制にもどったかのような行動、国家
国民ではなく政党のための政治、に対する痛切な批判をされていましたが、やはり議
論は議論としてすることが国会に求められているのだと思います。

安保の話をしたいと思います。いわゆる、大ベテランの大物元政治家が最近よくテレ
ビに出てきて、慎重論や違憲論を展開しています。大所高所から大いに論じていただ
ければと思いますし勉強になる部分あるますが、一方で、最近の若い政治家に対する
苦言として、戦争をしらない世代であるし、総理の小間使いであるかのごとく論じて
おられることには、かなりの憤りを感じます。

私のことはさておき、周りを見回しても、そう人が大宗を占めるとは全く思えませ
ん。一部を除き、真剣にかつ現実的に国家の課題に対して議論をして責任を持って結
論をだしていこうとする姿勢の議員が多いと感じています。それを意見も聞かずして
斯様な表現で断罪するべきではありません。

ついでに安保法制の中身にもふれますが、議論が極めてドメスティック(国内)に限
定されています。国際政治の現実をもっと論じるべきなのに、論じるものは唯一、南
シナ海に触れるだけ。大局を論じているのは、いわゆる国際政治に携わる関係者によ
るものだけです。彼らの主張をなぜマスコミはもっと取り上げないのか。もっと現実
に発生している国際政治の大局的動向を論じるべきです。残念ながら憲法学者だけが
引っ張り出されている。

違憲か違憲ではないかなどのごときは、10年以上前に行われていた神学論争の類で
あって、もうその終止符を打ちましょうとしていたものを再度引っ張り出してきた感
があります。

そもそも政府が合憲だと言っているのは極めてロジカルな話です。

1.憲法解釈の番人は最高裁。
2.最高裁は自衛権についてたった一回しか判断を下していない(砂川判決)。
3.その砂川事件では、自分の国の存立を全うする自衛権を憲法は許容していると
言っている。
4.その後昭和47年に政府は集団的自衛権は行使できないとの解釈を正式に決め
た。
5.理由は、自衛権はあるけど必要最小限であるべきである(規範)、というもの
で、その当時の国際政治環境では集団的自衛権はその範囲を超える(結論)、とな
る。
6.ならば、現在の国際政治環境に当てはめれば、どうなるのかと考えれば、その結
論の部分は変わると考えるのが当然で、自国の存立を全うする必要最小限の範囲に、
集団的自衛権の一部が入る(逆にいえば、自国の存立を全うするための集団的自衛権
のみが許される)となる。

一部に、砂川事件を引っ張り出すとはけしからんという論調がありますが、これは
ひっぱりだしているのではなく、それしかないのであって、確認しているだけです。
賛成派がここに集団的自衛権は謳ってないと騒ぐので話がややこしくなるのであっ
て、謳ってないから認められるとなど、政府は一度もいってません。

反対論の最大のものは、上記の5の結論も憲法そのものだとするもの。だから違憲だ
となる。であれば、当然その前提となる4も違憲となり、3もおかしいとなる。これ
はロジックです。だから、憲法学者は、自衛隊の存在も違憲と言います。全然論理的
ではないのが、自衛隊は当然合憲で、頑張ってほしいし、期待もしているけど、上記
のロジックは認めないというもの。私は破たんしていると思います。

そもそも政府案では憲法の示すところの規範は変わっていないのです。だから、集団
的自衛権も著しく制限されています。自分を守ってくれる人は守ろうということを認
めないと、国の存立は全うできませんというのが現在の社会なのであれば、憲法がそ
れを認めていないとは全然思えません。

少し長くなりました。思いつくまま、一気にキーボードを叩いてしまいました。一旦
ここで終了しますが、まだまだ想いは沢山ありますので、後日書きたいと思います。

あるべき国家像を求めて(地方創生)

昔から、日本は歴史の曲がり角を迎えているという論が盛んですが、いよいよ本当にそれを実現していかなければならない年を迎えているのが今だと思っています。より具体的に言えば第二次安倍政権からの時代です。

確かに、あるべき論は昔からありました。これを演繹的視点と称します。つまり、何十年後の日本はこうあるべきであり、そこに向かって今対処すべきことはこうである、という論です。

一方で、今こんなことが問題なのでそれに対処するためにこんなことをやらなければならないんだという論があります。これは今までの政治も行政もそうだと思っています。これを帰納的視点と称します。

どちらもこれまであった。でも、今必要なのは、演繹と帰納の狭間を埋める具体的な政策を立案して実行していくことです。議論だけしていても、ゆでガエルになるだけの時代です。だから、批判があっても、議論を通じて理解を浸透する努力を徹底して行うべきは論を俟ちませんが、断行していかなければならない。

次の問題が、国家が見えている、放置するとゆでガエルになって存続すらままならない国家の状態に対して、国民の人権などの権利をどうバランスさせていくのかということだと思っています。

例えば、このままだとまずいので、地方の人は拠点都市を作ってそこに移住せよなる命令を出せるはずがない。国民は必ず結婚して子供は2人以上生まなければならないなどと言えるはずがない。でも、言えないと存続すら危ぶまれる。その狭間を埋めていかなければ、ならない時代に差し掛かっているのです。

そして更に政治としてはこの先も考えていかなければならない。以上の議論をすると必ず極論がでてくるわけですが、将来的に考えれば必ずオーバーシュートしてしまう。だからこそ、30年50年というスケール感で、オーバーシュートしないように、あるべき国家というのがどのようなものなのかを明確にしていかなければならない。そういうことを思っています。

そういう議論を通じて初めて、大胆な政策が可能になり、登りきる事すら困難に見えるような山も登りきることができるようになると思っています。そしてより大切なのは、こうした、何をやるのか、という問題や、それをどうやるのか、という問題よりも、それをどうやり続けるのか、という問題を政治としてしっかりと担保していかなければなりません。

あるべき国家像を求めて(安保法制)

本日の本会議にて一連の安保法制の趣旨説明と代表質問があり、続いて初めての平和安全特別委員会が開催され、趣旨説明が中谷担当大臣からあり、国会内での議論が始まりました。歴史的には、私が議員になるはるか前から行われていた議論であって、骨格が示されてからも継続して党内で議論をしてきたものです。

私の基本ポリシーを申し上げれば、以前にも触れましたが、自分の家があったら、その表玄関は常に開けておき、明るくご近所様にもご遠方からのお客人にも、おはようございます、ご機嫌いかがですか、と言い続ける国であるべきで、ましてや日本がたどってきた歴史を考えるまでもなく、戦争の無い国であるべきですし、平和が第一なわけですが、これは安倍総理もいたるところでおっしゃっている通りです。そして、更には、ご近所様に明るくご挨拶する一方で、裏には始め、きちんと塀は丈夫なものにして、どろぼうに入ろうにも入る気さえ失わせるような環境を創っていかなければならないですし、更には、なんで塀なんか突然直し始めたのか、ご近所様はもちろんの事、家族全員にもちゃんと理解して頂けるように、説明を繰り返ししていかなければならないと思います。これが私の3原則です。

野党さんは当初から徹底抗戦の構えのようですが、本質的に中身で論じようとしているならば、理解は示します。なぜならば、目的は恐らく同じで、見ているものが、こっちからと、あっちから、の差なのだと思っているからです。

だからこそ重要なのは、この一連の法律案の向こうにあるもの、本質的なもの、法案の条文にはあらわれない、国家の目指すべき方向というのがどこにあるのか、という議論をしていかなければ、絶対に見ているものの差は埋まる筈がないのだと思っています。

法律の条文、法律議論に終始してしまうと、見えるものも見えなくなります。本委員会のメンバーとして、こうしたそもそも論をしっかりと見据えて議論に参加していきたいと思っています。

なお、参考までに過去の記述を再掲します。

https://keitaro-ohno.com/?p=2398

地方創生特別委員会

昨日、5月20日、初当選以来取り組んでおります人口減少対策と地方創生に関して、特別委員会にて質問に立つ機会をいただきました。自分の思いを十分に伝えることができませんでしたが、また機会があれば、100%出し切りたいと思っています。詳細は、また後日報告したいと思います。

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財政健全化とデフレ脱却

本日、自民党本部の財政再建特命委員会の平場(議員全員対象)の会議が開かれました。これまで、役員のみで議論してきたもので、私は役員ではないので初めての参加となりますが、漏れ伝わってきている情報と同じ方向の中間報告案が提示され、自民党による政治の財政再建に対する強い意志を表明する内容となっています。

というのも、現在、国際公約にもなっている財政健全化の具体的目標は、2020年までにプライマリーバランスを黒字化することですが、どうやってこれを達成していくかを早急に公にする必要があります。夏までにはと言われています。で、政府の経済財政諮問会議は、おおむね9.4兆円の圧縮をしなければ達成できないと発表していますが、具体的には、まぁ、出費を抑える必要もあるけど、景気が良くなったら実入りも増えるんで、どうしますかねぇ、という、ある種含みをかなり残した発表になっていました。

今回の自民党中間報告は、それよりも一歩踏み込んで、歳出削減をやっていくんだ、出費を抑える必要があるんだ、と明確に謳いました。リーズナブルな経済成長を見込んでも歳出削減に踏み切らなければ赤字は増える一方だからです。国債は、まだ国内消化できていますが、そろそろ限界ですから、これ以上増えると、デフレ脱却はとんでもなく遠ざかる危険性があります。

もちろん、この方向性に対する反論もかなりでました。反論は、ご想像の通り、デフレ脱却できないと健全化なんて無理じゃない、というもので、ごもっともな意見です。ただし、問題はこの後で詳述しますが、明確なシミュレーションも行わないでこの両者の議論を戦わせてもあまり意味を感じません。

いずれにせよ、政治的には極めて正しい中間報告になっていると思っています。つまり、何をやるかという意思は明確になりました。しかしながら、それ以上に重要なのが、どうやるのか、であるし、もっと重要なのが、どうやり続けるのか、という問題です。

幾つかの論点を書き出しておきたいと思います。

・目標数値について、プライマリーバランス(PB)の健全化というフローの議論とは別に、累積債務のGDP比というストックの議論も重要だという指摘が以前から出ていましたが、その通りではあります。ただ、ストックが重要だと言ってフローの議論をしないようなことは健全ではありません。両方大切です。デフレ脱却優先の政治ムーブメントのために、累積債務対GDP比指標を使うのは間違いです。

つまり、たまには真面目に書くと、名目金利が低いままだと、PB赤字でも名目成長率が上昇すれば累積債務対GDP比は低下します。もちろん景気回復に伴って名目金利が上昇すれば事態は変わります。いずれにせよ、累積債務対GDP比はこれまでのデフレ下とは今後明らかに違う動きになると考えられます。一方で、PBを無理に健全化すれば名目成長率の低下を通じて累積債務対GDP比は上昇します。

・こう考えれば、より詳細な経済推計が必要なはずです。ダイナミクスを考慮した多角的シミュレーションによる見える化を進めなければ絶対にダメだと思っています。見えないのに、どうするこうする、という議論もないだろうと思います。このことを私は何度か指摘をしてきましたが、残念ながら、政府は出してくれません。というか、どうしてもそこに政治的な意味合いが含まれてしまうので、出しにくいのかもしれません。でも、多角的シミュレーションであれば出せると思うのですがね。

・ダイナミクスを考慮した推計ができれば、次に、単年度予算ではなくて、より時間軸を考慮した財政計画をシミュレートすべきです。

・財政再建とデフレ脱却の道筋が見えるいくつかの解をもとに政治が徹底的に議論し結論を出し、その上で、やり続けるために財政健全化に向けた法整備を行うべきです。財政を硬直化させるものではなく、財政再建とデフレ脱却に向けた制御アルゴリズムとしての立法化です。

今のままだと、人型ロボットを制御するのに、種々のセンサーも付けないで、各関節モータをOnかOffだけで歩かせようとするように見えてしょうがありません。

安倍総理の米議会演説について想う

3日間という非常にタイトなスケジュールではありましたが、4月29日から訪米して参りました。安倍総理による米国上下両議院合同会議での歴史的演説について、思ったことを書き残しておきたいと思います。その直後に行われた日米国会議員交流会議での議論で思ったことは、次号に譲ります。

◆動画 http://www.c-span.org/video/?325576-2/japanese-prime-minister-shinzo-abe-addresses-joint-meeting-congress

◆原稿(和) http://www.mofa.go.jp/mofaj/na/na1/us/page4_001149.html

◆原稿(英) http://www.mofa.go.jp/na/na1/us/page4e_000241.html

キャピトルヒル(議会)周辺に近づくと、日本の国旗が町の交差点ごとには掲げられているのを見たのは当然初めてで、その時点で少し感動を覚えながら、議会に入って参りました。安倍総理の演説は、周到に練られた絶妙なものでした。会場で一緒に聞いていた米国会議員からも大変良かったとの好評価を頂きました。演説直後のレセプションでお会いしたケネディ大使や、甥のジョセフケネディ議員も同様の好評価でした。その理由としてどのようなものがあるかと言えば、

(写真:米下院議会での上下両院合同会議)

・そもそも英語であったこと。
・通常の他国首脳の演説はその国の国民向けである場合が多いが、安倍総理のものは、我々米国民向け以外の何物でもなかったこと。
・歴史認識に注目が集まっていたが、必要十分な言及があったこと。
・世界の平和と安定に米国と共に積極的にコミットしていく姿勢が感じられ、さらに、最後は希望の同盟と結んでおり、将来にわたる関係を感じさせるものであったこと。
・その他、細かいことを言えば、安倍総理自身の米国留学体験や、戦禍に倒れたアメリカの将兵を称えたこと、特に、議会演説に同席していた第二次大戦中の硫黄島で上陸した元海兵隊司令官と日本側の栗林司令官の孫(新藤元総務大臣)に触れ、し烈に戦いあった敵同士が時間を経て友情を育んだ話、さらにはその中で、日本の歴史についてrepentance(悔悟)という教会での懺悔のときに使われる言葉を選んでいたこと。

などが主要なものでした。

(写真:演説直後のレセプションでお目にかかった総理)

私自身も心にジンとくる表現が多分にあり、だからこそ満場の拍手は20回はあったであろうし、そのうち10回以上はスタンディングオベーションになったのだと思います。

反対に、批判的な言動は事前から予想されていましたが、現場にいる限り、まったく感じるものはありませんでした。日本の新聞記者さんも会場にお揃いになっていらしたので、同じような雰囲気を感じ取っていらしたはずです。

残念なのは、そうした新聞の一部では、あたかも批判言動が好評価と同程度あったのかと思うほど批判コメントを載せている社があること。後から聞くと批判はマイク・ホンダ議員からあったそうですが(慰安婦への謝罪がないという理由)、それ以外に批判を積極的に行った議員はいないと理解しています。(そもそも、この方はもう1990年代からその手の活動を行っている方で、選挙事情を考えれば致し方のないことなのかもしれません。)

韓国からも、当然、公式に、慰安婦への謝罪がないとの非難が、大統領自らによって、寄せられています。マイク・ホンダ議員の件も同じですが、これについて、知人の米国識者は、そもそもここは米国議会であって米国向けの演説であり韓国向けの演説ではないこと、そして、女性の人権を守る強い意志を安倍総理は表明したこと、さらに言えば、村山談話や河野談話を全体的には引き継ぐことを明確に示したことで、必要十分であった、とおっしゃっていましたが、私も全く同意見です。

少なくとも、米議会は、日本が考えていること、つまり日本に都合の良いように歴史を修正しようなどということは毛頭考えていないこと、は理解いただけたのではないかと思っています。ただし、日本は韓国に直接お詫びをした方がよいと思っている議員は大多数であろうかと思います。この理由は、議員交流会議での議論にも関係するので次号で詳述したいと思います。

いずれにせよ、歴史が動いたと感じた議会演説でした。これから我々政治家がやるべきことは、歴史が動くのはいいけれど、どのように動いていくのか、あるいは動かすのか、しっかりと議論し見極め決断していかなければならないことです。

(写真:加藤官房副長官ー岡山選出)

(写真:ケネディー大使とその甥(ロバートケネディーの孫)のジョセフケネディー議員と)

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(写真:タフネゴシエータとして知られるカトラーUSTR主席代理と)

(写真:ローレス元国防次官補と)

 

Forum-K第5回勉強会

本日、東京都内にて、第5回目となるForum-k勉強会を開催いたしましたところ、ご多忙中にもかかわらず、ご来場賜りました皆様方に心から感謝申し上げます。

今回の勉強会では、どうなる日本経済、どうする日本経済~演繹と帰納の狭間で~というタイトルでお話をさせていただきました。

昨年末の解散は消費税増税延期を国民に問うものだと解説されましたが、裏を返せば2年後の増税とそれまでの景気回復をお約束し、それに向けた財政と経済政策の方向性の信を問うものでした。

まさに待ったなしの政策実現を求められていることになります。大胆な金融財政政策により期待インフレ率の改善には成功し、実体経済も全体基調として悪くはありませんが、昨年の消費税の増税により日本経済は中休みの状態。地方経済は円安に伴う輸入物価の高騰により大都市圏よりも遅れをとっています。

大切なことは、経済財政・人口減少・地方経済という課題に対して、マクロとミクロ、演繹と帰納の両方から見つめなおし、その交錯点にある地方創生・イノベーション・規制改革を正しい方向で断行していくことです。

これからも努力して参りたいと存じますので、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げ、御礼の言葉とさせて頂きます。ありがとうございました。

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クールジャパンについて

クールジャパンというと、マンガやコスプレを想像するかもしれませんが、ATカーニー日本代表の梅澤氏によると、日本の食文化の評価は結構高く、ミシュランでは3つ星レストランの数で東京が1位、関西が2位で3位のパリを凌駕しているとのこと。確かに、ロシアでも件の丸亀製麺が大流行りだそうで常に行列待ちだそうな。もちろん3つ星と比較すべきかどうかは分かりませんが、海外市場に浸透していることは確かです。また、婦人向け雑誌は中国でも大流行りだそうで、中国ファッション誌トップ5誌のうち、3誌が日系らしい。

クリエイティブ産業で日本が強みを持っているのは、文化と階級がリンクしておらず、A級でもB級でもフラットに楽しもうとする気質、海外コンテンツでも抵抗なく受け入れ加工編集して楽しもうとする受容性、そしてこうしたダイナミックな文化形成の結果として多種多様な文化が形成されるという多様性にあると梅澤氏は分析した上で、多様ということは規模の小さい経営主体が多いというロングテール産業は、 海外市場に進出するのに、人脈や流通や資金という面で大きなハードルがあるので、そこを解決しなければならないと指摘しています。

そしてその対策の具体的視点は、国内の関係者の目を海外に向けさせること、国内にクリエーターの聖地をつくること、など人材的な開発とともに、サプライチェーンで関連する企業が連携して進出すること、さらには業種横断で戦略的に進出することが重要だとしています。最後の点はなるほどと思わされます。例えば韓国は、韓流ドラマやKPOPのアイドルを先兵として海外に送り込んで韓国ブランドを構築した上で、全然関係ない家電や自動車の進出を加速していると言います。

あらゆる角度でクールジャパンを推進していきたいと思っています。

大平正芳先生について

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大平正芳。歴史上の総理経験者で最高の評価を受けている大政治家の一人です。同郷というだけで、私ごときが大平先生について書くことは遠慮すべきことなのかもしれませんが、今月末で地元観音寺にある大平正芳記念館が閉鎖されることになり、記念館への訪問を機に、恐れながら少しだけ触れてみたいと思います。

と思っていた矢先に、先日、近所の水利総代会にて、大平先生の当時の若手後援者であった方から、貴重なお話を賜りました。曰く、昔、大平正芳先生の選挙の応援に、吉田茂が上高野小学校(我が観音寺事務所の近く)までお越しになったそうな。そのとき、吉田茂が冒頭、「私は、”おおたいら”先生の応援に来た。天下を平らにしてくれる人だ」と。その言葉が未だに忘れられないとおっしゃっていました。

既に60年くらい前の話の筈。吉田茂という私にとって遥か彼方の歴史上の人物を急に身近に感じさせてくれた話ですが、それよりも、その時の話を克明に覚えている方がまだまだ地域にご健在だという事実、つまり大平正芳がまだまだ香川では生身の感覚としてあちらこちらに人々の心に残っているということに多少の驚きをもって誇らしく思うのです。そして実はこうしたエピソードはそれこそ地元にいれば毎日のように聞かされる話であったりします。

同郷人としてのではなく、大政治家としてのエピソードのうち、もっとも肌に伝わってきたものは、大平先生の後継として出馬され運輸大臣をされた森田一先生から伺ったものです。森田先生が大平先生の総理秘書官をされていたときのエピソードで、これについては過去にブログで触れましたので再掲は致しませんが、本当の政治とはどうあるべきなのかを深く深く考えさせるエピソードでした。 https://keitaro-ohno.com/?p=129

親父も大蔵省ということで多少の関係もあったようですが、私には泥臭いエピソードしか教えてくれていません。が、大平先生の温かく鋭い人間性をよく伝えてくれています。例えば、大平先生が蔵相時代、外遊にかばん持ちとして同行すると、両親のことばかり気にかけてくれるといった話であるとか、外遊中に通訳をすると、通訳者にも気を遣ってくれる話であるとか、または、親父に地元から知事選出馬の話が持ち上がると、それを実にうまくさばいた話であるとか、同郷政敵が入閣した際には幹事長として秀逸なコメントを発表した話などです。

改めて、大平記念館が閉鎖されます。残念なことではありますが、余計に大平先生の魂を語り継いでいかなければならないのだと思っています。