フェルメールに思う努力というものの原動力

フェルメールの代表的作品に真珠の耳飾の少女というのがあります。皆様一度はご覧になったであろう絵画だと思います。漆黒の背景にブルーのターバン、黄土色の衣装をまとった少女が、どこか物憂げにこちらを振り向きざまに見ている構図の絵画です。その少女が、あり得ない程輝いている真珠の耳飾をしている。その絵に魅了される方は絶対に多いのではないでしょうか。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E7%8F%A0%E3%81%AE%E8%80%B3%E9%A3%BE%E3%82%8A%E3%81%AE%E5%B0%91%E5%A5%B3

この物憂げな表情は、過去にこの場で書いた、ベルギーを背景にした童話フランダースの犬に通じるものがあるような気がしています。

https://keitaro-ohno.com/?p=64

今、日本は閉塞感に覆われています。戦後直後の日本に、貧しいながら活気があったのは、結局自分を信じて頑張る先達・先輩方がいたからに他なりません。その時代より遥かに豊かになったはずなのに、なぜ人は事がうまくいかない事を人のせいにしてしまうのでしょうか。それは、人が自分を信じていないからではないでしょうか。自分を信じていなければ、字義通り、自信は生まれません。自信がなければ、がんばろうとは思わないはずです。

がんばろうと思わない人ばかりになった日本が、発展するわけもなければ、世界から見て輝かしい日本になれるはずもありません。であるならば、人が自分を信じれるようにするには、政治が、がんばったら報われるんだ、努力はいつかお天道様が見てくれていつかは報われる、そう思える社会にしていかなければなりません。そのためにも政治は襟を正さなければならないと思っています。

フランダースの犬の主人公、ネロ少年は、貧しく逆境に耐えながら、それでも人のせいには一切しなかった人物像です。そして、フェルメールの少女の眼差しにも、物憂げさが何に由来するのかは諸説あるとしても、それを人のせいにしようとするような眼差しではありません。

悪いことが起きたら人のせい、閉塞感だから政治やマスコミや官僚のせい、と思うよりは、それをばねにしてがんばろうという社会を築いていきたい。だからこそ、政治は逆に襟を正していかなければならない。政治が正常に機能していないのに、人のせいにするなとは絶対に言えません。みんながお互いにがんばろうや、という社会を築いていきたいと思っています。

本日、石破幹事長はじめ党の幹部の皆様にご挨拶のため、日帰りで上京しました。その機中でであった方の会話や、機中で読んだ機内冊子を読んでいて、思ったことをとりとめもなく書き綴りました。

自民党衆院香川3区候補者公募応募論文

はじめに

1991年の冬。暖房の効いたいつもの部屋のテレビ画面から、どこか異国の夜空に、くすんだ緑色の閃光が走る映像が流れてきたことを、私は未だに忘れることができない。湾岸戦争のその衝撃から、国家とは何であるのか、国家とは国民に何をしてくれるものなのか、真剣に考えるようになっていた。吐露すれば私の政治の原点は国家感そのものであった。

先憂後楽。11世紀前後の宋の時代に生きた范仲淹(はんちゅうえん)が政争に明け暮れる北宋にあって、為政者の心得として残した言葉である。曰く「天下を以て己が任となし、天下の憂いに先んじて憂え、天下の楽しみにおくれて楽しむべし(皆に先んじて天下を憂い、楽しみは皆の安楽を見届けるまで慎むべし)」と。私はこの言葉と共に生きて行きたいと心から願っている。

主張は清くありたい

永田町では種々の政策が審議されているが、その調整過程であまりに無益な政争を続けてきた結果、政治不信だけが残っている。非常に深刻な問題であるが、その問題の本質は、政治が本当のことを語らない、あるいは語っていないように見えることである。選挙があるからと必要な政策を曲げる、敵がやることは全否定する、するといってしない、しないといってする、パフォーマンスを優先する、など。

戦術は戦術としてあってしかるべきだが、込み入った戦術が衆目の前にさらされたときに、嘘をつくよりも、掲げる理念を正々堂々と語っていくべきではないか。政治が国民を信用できずして、どうして国民からの信頼が得られるのか。私は桜という日本の国花が大好きであるが、やるべきことを訴え、常に謙虚に真摯に大胆に、それで散るならばさっぱりと散りたいと思っている。

政治は具体性である

他人批判ばかりの政治とは決別しなければならない。我々国民が望むのは、あの坂本竜馬の時代に生きた若き志士達の口角泡を飛ばす熱き議論ではないのか。そのためには、何よりも政治には具体性が必要である。政治とは情熱を理性によって具体的政策に変換するプロセスであり、その情熱は皆様から頂く愛情だけが原資であると信じている。愛情なき政治は荒廃し、情熱なき政治は継続せず、そして理性なき政治は破綻する。政治が自ら襟を正し範となり、私欲を捨て公欲に没頭し、政治を必要としている人に具体的政策をお届けすることが本旨であると信じている。

あるべき国家像を示そう

精神論だけで日本が置かれた危機的状況を打破できるとは思わない。日本は現在、少子高齢化という構造的根本問題を抱えており、財政構造ばかりか労働人口の減少を通じて経済力も悪化、それと相俟って外交力も低下し、現実の力の国際政治から取り残されている。国家とは何か、あるべき保障制度と財源の議論を尽くし、新しい時代にあった憲法に改正し、毅然とした国家にならねばならない。人を育てる教育改革、食を守る農政改革、健全な財政、東日本大震災復興も残されている。焦眉の急を告ぐ課題は実に多岐に亘っている。

平和と繁栄を享受しつつ、国際社会から信頼されるに足る、輝かしい国家となるためには、これらの多岐に亘る政策課題を手段と目的に峻別し、優先順位を定め、主軸を定めて国家目標とし、政治がメッセージとしてその国家目標と断行する意思を示さねばならない。

まずは安定的経済成長

その主軸とは何か。まずは景気対策ではないか。安定的経済成長は全ての政策に正相関をもつ。最も根本原因の少子化対策を講じ、社会保障を含めた既述の諸制度改革を同時並行して進めるべきは論を俟たないが、経済の安定成長が当面の国家の主是であることを今一度再確認すべきである。

新しい成長モデルを創造するために大胆に地方分権を推進し、さらに明確な産業戦略に基づいた将来価値を生む領域への投資を積極的に行い、同時に荻生徂徠や高橋是清も驚くほどのリフレ政策を断行すべきだ。外需喚起も必要だ。目指すべきは貿易立国である。カネでカネを儲ける金融立国は日本の目指す方向ではない。個別的経済連携を積極的に推進しなければならない。

人間こそ国家の宝

作家の塩野七生は、古代ローマ衰亡の遠因の1つとしてカラカラ帝が行ったアントニウス勅令による帰属意識の崩壊と人材流出を挙げている。日本を見渡すと、核家族化や終身雇用制の崩壊などによる労働意識の変化により帰属意識が失われ、自分さえ良ければという義務や責任の伴わない不健全な自由主義が横行しており、日本の美徳とされてきた伝統文化や道徳的アイデンティティが大きく問われている。政治が具体的政策を語る上で常に腹に持つべき事がある。それは、人間愛であり、ふるさと愛であり、愛国心である。この哲学があれば如何様な政策も間違うことはないはずである。

以上が私の所信であり、目指す政治像である。

ごあいさつ(自民党衆議院香川3区候補者公募に応じて)

ごあいさつ

いつも大変お世話になりありがとうございます。さて、先月の1日から23日に亘り、自民党香川県連主催で香川県第三区次期衆議院自民党候補の公募が行われ、29日に選考会が開催されました。私を含む3人の応募者がおりましたが、無記名投票の結果、何とかご推挙いただけました。改めてご期待に沿うべく全身全霊で頑張って参りますので、ご指導ご鞭撻を賜りたく、今後とも宜しくお願い申し上げます。

政治は具体性であります。そして想像力であります。今、政治に決定的に欠けているのは、この二つではないでしょうか。これら無ければ全て口だけになってしまいます。

たとえば、尖閣問題。毅然とした態度。当たり前であります。しかし、毅然とした態度をとれる環境を、具体的に創っていかなければなりません。不法操業した中国の船長を釈放したらどうなるのか、尖閣を国有化したらどうなるのか、創造力を豊かにし、次の一手を具体的に考えなければ外交じゃありません。次の一手もないのに、中途半端にやるなら、最初からやらないほうがましであります。具体性と想像力の欠如であります。

そして、なによりも、日本は非常に危機的状況にあります。対処すべき課題が山積しており、しかも複雑に絡み合った糸のように、問題の見通しを悪くしています。何とか解決の糸口を見つけて、ほぐさなければなりません。その糸口とは何か。まずは経済の建て直しではないでしょうか。

思えば、もともと私は、思いがあって政治とは縁遠い研究職の道を進んでおりましたが、なぜ政治を志したか。それは、1991年。湾岸戦争の年ですが、私の心を大きく揺さぶる事件でありました。世界初のリアルタイム放送だったそうですが、テレビを何気なく見ていましたら、暗視カメラのくすんだ緑色に閃光が飛び交う映像、怪我をして血を流しながら子供を抱えて逃げ惑う母親の姿、うずくまって震える子供の姿、こんな映像を見せられたときに、同じ地球上のどこかでそんなことが起きている。そのときから、いったい国家とは何であるのか、国家とは国民に何をしてくれるものなのか、いつのまにか真剣に考えるようになっていました。

誰かがこの国を守らなければなりません。防衛や安全保障だけの話じゃありません。老後の安心を守り、子供達を、地元の街を、経済を、みどり豊かな農地を、守らなければなりません。それを担うのが政治ではないでしょうか。

無益な政争や内輪もめを一刻も早くやめ、国内だけに閉じこもるのではなく、世界の中の日本、日本の将来の姿、を、政治は論議しなければなりません。私は桜という花が大好きですが、常に謙虚に真摯に大胆に、やるべきことを訴え、散るならばさっぱりと散る覚悟で、地に足をつけた政治をやっていきたいと思っています。

そのためには具体性と想像力です。今、少子高齢化と長引くデフレや円高により活力が失われ、国家財政が火の車になっています。日本の競争力は低下、外交力も低下してしまっています。

このまま目先のトラブルばかりに気を取られ、明日の日本が何でメシを食っていけばいいのか、の議論を怠れば、日本という車はいつかは止まってしまいます。今、国内のお金が全然回っていません。ポンプ役のエンジンが止まろうとしています。ならば、誰かが回さなければなりません。民間にその力がないのであれば、政府が財政金融政策を総動員して、日銀におカネを刷ってもらってでも、エンジンをかけるしかありません。

ただし、今までと同じやりかたでは通用しません。今のエンジンは、穴があいてオイルが漏れ、土台もさび付いて古びています。まずは土台の憲法を改正し、教育制度を改善し、元気で頑張る世界に通用する子供を育てなければなりません。

その上で、日本のおカネの流れ、活力の流れを大胆に変えるために、地方分権を断行しなければなりません。地方が、独自に独自のアイディアで地方にマッチした地域のエンジンを作る。それを全国に作れば、一つ一つは小さいかもしれませんが、全体としては、古びた1つのエンジンよりは、遥かに力強く回ります。

閉塞感に覆われた日本。マスコミ、政治、官僚、民間が批判合戦です。まことにばかばかしい悪循環ではないでしょうか。まずは政治が襟を正すことは当然ですが、日本人全員が、一つの方向に向いて、全員でがんばろう、そうお互いに思える日本。がんばったら報われるんだ、頑張った人は失敗しても政治がしっかりサポートしてくれるんだ、そう思える日本、そして生まれ変わってもやっぱり日本人でよかった、そう思える日本を創っていきたいと思っています。

謙虚に真摯に大胆に、全力でがんばって参りたいと思います。

自民党総裁選候補者による街頭演説会 in 丸亀

来る9月18日午後5時より、丸亀市民広場(丸亀城北側)にて、自民党総裁選候補者全員による街頭演説会を開催いたします。 ご多忙とは存じますが是非お立ち寄りくださいますようお願い致します。

 【参考】自民党本部ホームページ総裁選情報

http://www.jimin.jp/activity/news/118391.html

http://www.jimin.jp/activity/news/118324.html

http://www.jimin.jp/

経済なくして安保なし

以前にも触れた話題ですが、日本が必要としている焦眉の急を告ぐ政策課題は実に多岐に亘っていますが、それを全て同時並行的に進めるのは財政や国際政治上の制約などで困難です。ならば、それらを目的と手段に分けて、優先順位を定め、政治的な判断で、主軸を決めなければならないと思っています。

で、私はその主軸は絶対に経済だと主張きました。それは経済が全ての政策課題に正相関をもつからです(経済がよくなって悪くなることはない)。例えば、安保も経済と大きな相関をもっていると考えるからです。本日、日経の伊那さんが同趣旨のことを紙面上でお書きになっていらっしゃいましたので、大きくうなずきながら拝読させていただきました。

バブル後から現在までの間、日本の経済はほとんど成長していない一方で、世界は名目GDPで平均2倍程度成長しています。中国は8倍、ロシアは5倍、アメリカや韓国は2倍。2倍は成長しなければならないのに日本は1倍です。

アメリカと併せて世界の総生産の半分を占める勢いだった日本の現在のシェアは半分の9%。購買力平価換算でいえば5〜6%という低迷ぶりです。手足を出せない(軍隊)と思われていても、口は出せた(経済)のがこれまでの日本。

今や、手足も口もだせなくなれば、尖閣・竹島・北方領土、周辺諸国がこぞって取りに来てもおかしくはありません。もちろん鳩山元首相の言動に大きな要因があり、少なくともきっかけになったことは間違いありませんが、経済なくして安保なし、と伊那さんがおっしゃっている通り、経済を主軸に真剣に考えなければなりません。

一己の労を軽んずるにあらざるよりは

一己の労を軽んずるにあらざるよりは
 いずくんぞ兆民の安きを致すを得ん

とある小学校の二年生で毎日朗唱する言葉だそうです。

場所は山口県萩市の明倫小学校。ご想像の通り、吉田松陰の出生地であり、上記の言葉も松陰が27歳のときに読み松下村塾に掲げられたものだとか。

ちょっとした世話もできないようであれば一国を語るな、とでも訳しておきます。

素晴らしい学問態度ではありませんか。

幼子は誰が責任を持って育てるのか

少し旧聞に属しますが、中国の地方都市でのとんでもない映像が世界中を駆け巡りました。車に轢かれ、もがき苦しんでいる子供の横を、何人もの通行人が見てみぬふりをして通り過ぎる映像です。

今、保育制度の行く末を考えたとき、どうしてもこの映像が私の頭に浮かんできてしまいます。

権利は不断の努力によって得られる、とは、丸山真男を引用するまでも無く、憲法に規定されたものですが、幼児はそうした権利の主張が出来ません。だからこそ、国家が責任をもって幼児を守っていかなければならないはずです。だからこそ、子どもの権利条約という国際法がある。保育制度の原点はここにあるはずです。

幼児は誰が責任をもって育てるのか。親です。当たり前です。それが困難であれば地域が育てる。近所のおばちゃんがちょっと預かってあげるわと言ってあげられる。昔あったような美しい話です。できればそんな昔の社会に戻したい。昔はお寺で子どもを預かっていたそうです。だから、現在の保育施設がお寺関係者によって運営されているのが多いのもそうした理由かもしれません。

しかし、社会情勢が必ずしもそれを許していない。例えばシングルマザーのお母さん。働かなければ食わしてやれない。あるいは既婚者でも給与がなかなか上がらない。共働きでなければ生活が維持できない。将来真っ当な教育を子どもたちに提供できない。だとすれば保育所にお世話をお願いせざるを得ない。

であるならば、自助・共助を基本に考えるべきであるけれど、保育の制度は国家がきちんと責任を持つべきは当然だと思います。具体的には所管する市町村に保育を提供する義務を課すことです。財政的に困難だからという理由で義務を放棄する政策は保育には馴染みません。財政を語るのであれば全体のバランスを今一度見直す必要があると考えます。

例えば、十分な資産も所得もあるのに年金を受給している人の隣の家で、外にあっては朝から晩まで働き、内にあっては家事に翻弄される人がいる国家は、まさに先ほどの中国の話と同じです。これでは将来心の豊かな子どもが育つはずも無く、また少子化に歯止めがかかるはずもありません。

自民政権下で実施された認定子ども園制度も然りですが、民主政権になってそれを遥かに加速する総合子ども園制度は、まさにおカネの切り口だけで議論しているとしか思えません。もちろん総合子ども園の趣旨は、働かなければならないのに子どもを預ける場所がない人に受け皿を作るという看板はあると思います。しかし、その手段はというと公費の効率的運用と称して、国や市町村の保育提供義務の放棄(直接契約)、安易な企業参入、誤った地方分権概念、幼稚園と保育園の混同、要件緩和による保育受益権の低下など、非常に不安になる規制緩和が盛り込まれています。

一度しっかりと勉強したいと思っていますが、直接契約になれば市町村は義務を果たす必要がなくなり保育園が入所拒否すれば子どもが路頭に迷う。保育料を滞納したら、市町村に保育提供義務がないので追い出される。競争原理を導入すればただでさえ低い給与体系がますます低下し、専門性が必要な保育士の質が低下し、運営をカバーするために保育料が上がる。すると見かけの待機児童は減るけど本当に保育を必要としている子どもは増える、など、まだまだ書きたいですが無限にありそうなので控えておきますが、問題は多岐にわたります。

待機児童を解消するのであれば、単純に保育所を都市部に増やしてはどうなのか。総合子ども園制度のように全体システムを変えてしまえば、待機児童の少ない香川などは単に予算が減らされるだけで何のメリットもない。都市部におカネが集中するだけの結果に終わってしまいます。

先月の国会の与野党協議の中で、民主党は、この総合子ども園創設を撤回・大幅修正することにしました。とはいえ、問題は残っているとのこと。

いずれにせよ妙な制度改正は阻止すべきであると思いますし、それ以前の根本問題を解決していかなければなりません。そもそも少子化少子化と言って子どもが減っているのに、しかも20万人弱の保育所定員増強をやっても、なぜ待機児童が減らないのか。ワークスタイルやライフスタイルの変化の問題もあるかもしれませんが、生活が苦しいからです。実質賃金を上げるべく、景気対策をしっかりとやらなければなりません。

政権公約は絶対的なものか

本日、山が動く予定らしいので、その日の朝にあたって一筆啓上申し上げたいと思います。

政権公約は絶対的なものか。

政権公約が修正されたことは民主党に限らず過去に何度かあります。ただ、過去の自民政権の場合は、なぜ修正することになったのかについて、程度の差はあれ説明の努力はありました。説明してボコボコにされることが通常であったと記憶しています。しかし、あえて説明するのは、経験からくる「これではもたん」という直感による政治家としての素直な行動だと理解しています。

野田首相の政治を愚直に前に進めるという手法は嫌いではありません。ただ、ストイック過ぎはしませんか。私はこういった手法を見ると幕末の新撰組をいつも思い出します。一途でカッコイイ。だけど、客観的にみれば、やっていることが時代に必ずしもマッチしていない。

第一、さきほど申し上げた「これでは政治がもたん」と思う感覚が欠如しているのか、逆に言えば「政治がもたなくてもこれさえやれればいい」と思うのか、なぜ先んじてやるべきことが多くあるのに消費増税なのかを、国民に十分に説明しているとは到底思えません。大多数の国民が納得いかないのでは、それを代表する国会議員に納得いかない人がいても不思議ではありません。逆も真なり。国会議員に説明し説得できていないのに国民が納得するはずがありません。

1.政権公約の修正を公表し、謝罪し、説明すべきです。
2.政策理念を丁寧に説明すべきです。

これが政治の地盤沈下を防ぐ唯一の方法です(もう遅いか・・・)。このままだと、政治というものは、選挙のためには、有る事、無い事何でも言う集団だと思われてもしかたありません。これは民主党だけの問題ではなく、政治全般の地盤沈下に繋がる問題です。

あくまで政党は理念と政策を語るべきです。

もちろん、それを実現するために裏ですったもんだの駆け引きがあってしかるべきだとは思います。なければ絶対にうそですし、簡単にできるのであれば官僚でもできます。表に立っては理念と政策を語り、裏に入っては実現に汗をかき、醜い部分が衆目に晒されたときは、潰れようが何しようが正々堂々と理念と政策を語るべきだと思っています。

ちなみに、政権公約を守らなかったからけしからん、と言って党を出て行くグループは如何なものか。第一の問題は、そもそもその政権公約が達成困難なものであることが明るみになっているではないか。第二に、政権公約維持に秘策があるとしても党内で主張が通るようにがんばるべきなのではないか。一度選んだことを、コロコロと変えるのは少なくとも私は是としません。自分の立場が悪くなろうが一度選択した道は貫き通したいものです。それが政治の信頼に繋がってくるものだと確信しています。

北極海航路とロシアの戦略

北方領土もシーレーンも北極海航路を視野にいれるべし

先日、海事関係の知人から頂いた資料に目を通していたところ、少し旧聞に属しますが、2009年9月11日、米国ニューヨークタイムズ紙の科学面に北極海航路の記事が掲載されていたのを思い出しました。同紙曰く、欧州からスエズ運河を通って話題のソマリア沖やマラッカ海峡を通ってアジアを結ぶ旧来のシーレーンが約12894マイル。それに比べて北極海を通れば8452マイルで済むと。同様に上海まで12107マイルに比べて8297マイル。ついでに言えば、欧州からパナマ運河を通ってカナダ・バンクーバまでが10262マイルに対して8038マイル。いずれにせよ、アジア圏の場合、4割もの航路短縮が可能という記事です。

スエズ=マラッカ航路の場合、何度も触れているように海賊リスクがある。一方で、北海近辺には、世界の未確認資源量の25%(サウジの埋蔵量の4割)というエネルギー資源がある。それに、今後のアジア市場の成長を考えれば、ええやんか、となるのが世の常です。

ロシアは冷戦期間中までは北極海航路を積極的に開発していました。昨年「ウラジ・ボストーク(東方征服)」と題した記事でも触れましたが、軍事的に見ればロシアとしては他国の干渉を受けずに太平洋にでるルートを確保しておいたほうが有利だからです。例えば日露戦争の際に秋山真之が戦った世界最強のバルチック艦隊は、スエズ=マラッカよりも遠い喜望峰回帰ルートを使っていますが、ほとんど移動だけで兵士の士気は落ちていたとされています。

ところが冷戦後はすっかり開発を止めていました。必要なくなったからですが、ところが、私がこの記事を書いた半年後の2011年9月に、プーチン首相(当事)は、北極海航路をスエズルートに比肩する世界の大動脈に発展させる方針を示し、開発を指示しています。

背景には地球温暖化の影響で北極の解氷が薄く小さくなっていることで、航行可能期間が増えたことで、ローコストで実現できる見込みが徐々に高まってきたからです。

問題は、砕氷商用船の技術が少ない、利用できる港湾が少ない上、整備がされていないこと、行政実務上ロシア政府とちゃんとした交渉がまとまっていないこと、などです。

しかしここ最近になって北極海航路関係のガイドラインが発表されるなど議論が活発になっているようです。

そう考えると、北方領土4島はロシアにとって、少しは意味のある島に思えます。先の「ウラジ・ボストーク」では、ロシアにとっても実質的な商用的な利用価値は少ないのではないかと指摘しましたが、少し考え直さざるをえないのかもしれません。

そして、エネルギーや商用貿易なども、旧来のシーレーンのみならずこうした北極海航路も視野に入れて考えるべきです。