人口減少問題と地方

今更な感じも否めませんが、改めて人口減少問題について触れておきたいと思います。

そもそも誰もが意識しながらほとんど誰も危機感を持ってこなかった問題ですが、私が初当選して直後のアベノミクスが持てはやされはじめてから、20年後30年後の未来予想を論じる書籍が目立つようになり、その流れで私も主査を務める自民党国家戦略本部でもたびたびこの問題を取り上げ、最終的に元総務大臣の増田先生が昨年末に論文を発表してから国民全員の共通した中長期的課題となりました。

現状認識

・出生率は最悪の1.26から1.41に回復したが、出生数は最悪を更新。出産適齢期の女性の数が減少しているため。ただちに出生率を2以上にできたとしても人口が安定するまでには1〜2世代以上かかる。

・高齢化と言えども高齢者人口は2040年にピークとなる。地方のピークはもっと早く、自治体によってはすでに高齢者人口もピークになっている。現役世代は団塊世代のリタイヤにより劇的に減少。

・若者が雇用などを求めて地方から都会に移動する。都会はそもそも出生率や結婚率が低いため、事態を悪化させている。

・地方は人口減少が著しく、そのため産業生存確率が低下する。例えば高齢者のための医療や介護現場が少なくなるが、そうした施設は若者の雇用環境を悪化させ、若者はますます都会に移動する。

・価値観の変化と将来不安によって子供をもうけることに躊躇する場合が多い。

・人口減少した地方は、住民1人あたりの行政コストが低下し、財政状況が悪化する。なんら対策を打たなければ2040年には半分の自治体で行政運営に支障をきたすという報告もある。同報告では、出産適齢期の女性人口も半分の自治体で半分になる。

・地方が存続できなくなるほど疲弊すると、都会への人材供給源が断たれ、都会も将来的には活力が失われる。

・同時に都会は急速に高齢化が進み、行政コストが増大する。

考えられる対策を大きく2つに分けると、人口を減少させないことと、人口減少という現実を直視して対策を立てること。

第一に、人口減少を食い止める努力については、今般、政府の骨太方針でも示される予定の出生率改善策を目標に掲げあらゆる政策を講じることです。目標は、2030年までに徐々に出生率を2にできたとして2060年頃に人口を1億人程度で安定させることができるというもの。

具体的には、

・結婚・妊娠・出産・育児のすべてのサイクルで必要な支援をこれまで以上に行うことです。特に私は以前から申し上げていますが、第三子以降の出産に対して重点的に支援することが奏功すると考えています(例えば第三子には年間100万円支給など)。

・年金制度は確実にマンデートを実行すると同時に、医療介護制度についても安定した制度に改革し、若い世代の将来不安を払しょくすることも大切です。マイナンバー制度により効率的な社会保障制度の運用も可能になるので新しい視点で設計することが必要です。カフェテリア方式の社会保障制度も推進していく必要があります(自分で選ぶ保障・使わなければ使わないほど得する保険)。

・そもそも自信を取り戻すための教育改革を継続して断行することも忘れてはなりません。

・家族制度を見つめなおし、根源的問題である核家族化を回避するため、例えばN分N乗税制なども真剣に検討することも必要だと考えます。ポイントは、トータルで減税措置ではないこと。小家族ほど負担が増え大家族ほど負担は減る。一緒に住んでいなくても近くに住んでいればいいなど運用を考えられないか。

第二に、人口減少が現実のものであると直視することです。

具体的には、

・地方はコミュニティーデザインから始めなければなりません。効率のいい行政運営と産業活性化のためにコンパクトシティー構想の進化バージョンの構造を全国で展開すべきです。一次産業から三次産業までトータルに考えた土地利用を考えなければなりません。

・地方の産業政策を戦略的に再構築すべきです。地方のお金をしっかり地方で回し、地方が自ら世界と戦える構造を構築し、地方独自の明確な産業戦略に基づくものならインフラも今のうちに整備すべきです。その際、新しい資金調達方法も大胆に導入すべきです。

・外国人材の活用も慎重に丁寧に議論すべきです。戦略なき移住には反対ですし、なんでもかんでも外国人材を導入することには私は慎重ですが、一定の基準と範囲でならば議論をすべきだと考えます。

・都会に必ずしもなくてもよい産業は積極的に地方に移転することを検討すべきです。例えば大学など、産業とは言えませんが、必ずしも大都市になければならないわけではありません。また、大学自体については、例えば海外の著名な大学の分校か講座を地方に誘致することも考えるべきです。若者が地方で就職する際のステータスを与えることも大切だと思います。

・世界の人口は増加すると予測されています。富を海外から稼ぐ、いわゆる国際収支構造が悪化していますが、死活問題であるため、あらゆる施策を講じて改善する努力を行わなければなりません。私はいくつかある施策のうち、現在は法人税の議論と航空政策の議論に積極的に参加しています。

少し散文的に書いてしまいましたが、そのほかまだまだアイディアは無尽蔵にあると思います。これから年末にかけてしっかりと議論してまとめていきたいと思います。

【善然庵閑話】やがて哀しき外国語

もう10年以上も前、ちょうど同時多発テロが起きた2001年、私は飛行機に乗りサンフランシスコを目指していました。本来、2001年の9月に渡米する予定でしたが、911の直後であったので渡米自粛勧告。その直後の、まだ日本では連日のように同時多発テロの分析をする番組が特番で組まれていたときでしたが、勝手に判断して12月に渡米。現地についてみると、何事もない日常でした。

そして未だに覚えているのが、到着初日に近所にあったSafewayというスーパーに買い物に行ったときのこと。レジのお姉さん、”That’s it”と聞かれたこと。直訳すると、「あれはそれ?」。当方も、「あれはそれってなにがどれ?」(What are that and it?)。レジのお姉さんは、「なに?」(What is that?)。私「私が聞きたい」「I am asking what is that?)。結局なんだかわからないまま、その後、”Paper or plastic?”(紙かプラスチックか?)と聞かれ、混乱が混乱を呼び、とりあえず、”paper”(紙)と答え、無事買い物終了。

That’s it?とは、「以上ですか」、という意味だと分かったのは暫くたってから。Paper or plasticは買い物袋の種類だったのは、直後にすぐわかりました。しかし、なぜ中学校の英語の授業でスーパーでの会話を教えないのかと中学校の先生を恨んだところでしょうがありません。

まだまだ続きます。1週間後、アパートも決まり、入居した直後に同居人に遭遇。その方がアメリカ文学の第一人者で、奥さんが暫くしたら入居してくることは、大家さんから聞かされていた。

簡単な挨拶をと思い、”your wife has arrived?”(奥さんもう着きました?)と私。すると、その御仁、少し妙な表情を浮かべつつ軽く笑顔で”She’s fined.”(捕まりました)。え?捕まった?そう思い、私は、”When?”(いつですか?)。するとその御仁、外国人特有の呆れたときにする、両掌を天に向け、去って行ってしまった。そこで既に混乱。なんで怒ったのかわからない。

部屋に帰って考えた挙句に暫くたって気づいたのは、要は発音が悪かった。つまり、恐らく、私は、「奥さん着きました?」と言ったつもりが、御仁にとっては、「奥さんは生きていますか?」(Your wife is alive?)に聞こえ、「元気ですよ」と御仁は半ば冗談返しで言ったつもりが、私には「捕まりました」(She is fined.)に聞こえ、私から「え?いつですか?」と言ったとしたら、恐らくそれはいつ亡くなるのかと聞こえたかもしれないわけで、ほとんど赤面の漫才。

それから発音の練習を一生懸命やったのは当然ですが、いずれにせよ、後段の部分は私の勉強不足だとしても、前段のthat’s itなどは、なぜ日本の中学校でこうした簡単な日常を生き延びれる実践英語を教えないのでしょうかね。

いずれにせよ、半年もたてば、何とか喋れるようになるわけですが、英語を多少操れるようになっても、分かり合えたと思える場面って結構すくないことは、やがて気づく。そんな時に、ものすごく哀しい思いをすることになる。

でも面白いことに、そのうち哀しみの反動なのか、分からなくてもいいやという自暴自棄さが発現し、英語で冗談をいう自分がいた。私が当時から使っていた、スピーチでの冒頭の受け狙いは、”My name is Ohno. It sounds like Oh! No!, but I would say Oh! Yes! to you, today.”(私の名前はオーノと言いますが、オーノーと聞こえると思う。だけど、皆さんにはオーイエスと言いたい)。結構受ける。怒られるかもしれないですが、そういうことを言ったほうが意外と分かり合えるような気がする。

しかし、驚愕の事実を知るのはその2年後に親父の秘書として政治に飛び込んだとき。親父も全く同じ冗談を言っていた。恐ろしいものです。

実は私は2歳から6歳まで、親父の仕事の都合で、スイスに住んでました。全く記憶はありません。当時は私もフランス語をしゃべっていたそうで、姉貴ともフランス語で喧嘩していたそうな。今ではさっぱり忘れてしまいましたが、そんな理由で大学での第二外国語はフランス語を選択。落第ぎりぎりで単位をとりました。ただ、発音は多少はまともに聞こえるそうで、今でもフランス人がやってくると片言のフランス語をしゃべってみる。すると何が起こるかと言えば、フランス語がしゃべれる日本人に会って嬉しいのか、めちゃくちゃ早口のフランス語でしゃべりかけられる。遮るのも申し訳ないので、暫く黙ってOuiなどと言ってごまかしたあとに、最後にごめんなさい、フランス語は分かりません、というと、大多数のフランス人は大笑いする。理由は定かじゃない。でもなんだか通じ合えたような気になる。

結局語学なんてものは滅茶苦茶重要なことではないような気がしています。一番重要なのは、お互いに分かろうとしていることなのかと思います。最近、何人かの在京大使館の方々と接していて、ふと思ったことです。

NSCと情報発信力と慰安婦

以前も触れましたが、外交上の情報の取り扱いについては、発信・収集・管理の3つの要素は基本であり、その一つである発信力の強化は、国際社会に生きる国家として、特に日本のようにこれまでわかってくれるまで黙ってたほうがいいという戦略(?)をとっていた国としては、間違いなく次に力を注ぐべき不可欠な要素であり、現在自民党としても、外交上の情報発信力の強化が盛んに議論されています。

ここまでは間違いなくいい方向です。しかし、問題は、発信すればいいということになってはいないか、独りよがりの情報発信になっていないかということです。情報発信が必要なのは、国際世論形成のためであり、独りよがりではだめなのです。

例えば慰安婦問題。海外に行って議論したことがある人ならだれしもわかっていると思いますが、慰安婦問題は出したが負けの世界です。もちろん、調査によると、軍が強制連行による直接関与をした事実は確認できないわけで、そうした事実はなかったか、あるいは、あったとしてもごくわずかであろうと思われます。これについては、秦郁彦の慰安婦と戦場の性に詳しい。

しかし問題は、そうした歴史を、現代的普遍的価値に基づいて客観的に測った時に、議論の初っ端として切り出す内容として、いやあれは強制性はありませんよ、ということが正しいのかどうか、なのだと思っています。

例えば、アメリカには奴隷制という忌まわしい過去がある。それをアメリカ人に問いただすと、大多数は、あれは極めて遺憾な過去である、と答えるでしょう。もし、あれは商売で奴隷を売買する商人がいたからであってアメリカは関係ない、という人がいたとすれば、極めて違和感を覚えるひとが大多数なのではないでしょうか。

だから、遺憾な問題なのです、と答えるべきなのです。もちろん、では補償の話になれば、いわゆる論理としてのこうした事実を述べればいいのだと思います。

より大きな視点での問題は、中国は、アメリカとの新しい大国関係を築こうと懸命ですが、これはうまくいっていない。逆に普遍的価値で囲い込まれてしまっている。残る戦略は、おかしいのは中国ではなく、日本なのだ、日本を孤立化しよう、という戦略なのであって、日本は普遍的価値と言いながら歴史事実を捻じ曲げようとしている、というキャンペーンをやるわけです。これは日本が本質的に悪いと宣伝したいわけではなく、国内事情+外交世論形成という戦略なのです。

だから慰安婦問題という中国にとっては格好の材料があれば、日本こそが普遍的価値に対抗しようとしている国だというキャンペーンが張れる。だから韓国への接近が戦略上ツールになるわけで、安重根記念館をわざわざ韓国の大統領の要請を受けて作った。

韓国に、何の得があるかと言えば、アメリカと中国と両方仲良くできる。岡本行夫さんによれば、それは慰安婦カードを切って日本を切り捨てたからできた。慰安婦の宣伝をすることだけで中国を満足させられる。

いずれにせよ、何が言いたいかと言えば、韓国も中国もそれなりに戦略はあるわけで、その戦略を受けて、日本の戦略を考えなければならない。話したいことを話すのは戦略ではない、ということです。そして、こうした文脈での日本の戦略は、力を背景とした現状変更を試みる勢力に対抗するための安保戦略と、日本人の自信と誇りを取り戻すための教育改革は、全く違う文脈ですよ、ということを説明することなのだと思っています。

 

産業構造の革新と中小企業政策

先に産業構造の革新と法人税減税について書きましたが、そこでは経済政策の主力商品である成長戦略について、ありとあらゆる政策を総動員して日本の活力とお金の循環をよくしていくことが必要なこと、そして法人税改革の意味を書いたつもりです。

ここでは、地域活性化の必要性、中小企業政策の重要性について、書いてみたいと思います。過去に、中小企業が輝けば日本が光り輝くという趣旨のことを書かせていただきましたが、それを戦略的に実施するにあたっての具体的な話です。

ここで、戦略的と申しあげましたが、過去の中小企業政策は戦略がなかったとまでは言いませんが、必ずしも描いた戦略の実効性が高いものではありませんでした。

理由は単純です。それは中小企業群の商構造がミクロレベルで把握できていなかったからに他なりません。ここでご紹介したいのは、昨年より中小企業庁と取り組んでいる、ビッグデータを活用した中小企業産業構造の見える化の話です。

個人的には、このプロジェクトによって、初めて中小企業産業構造が把握できるため、初めて戦略的に中小企業政策が打てるということになります。

詳しくは今年度白書に記載されていますので、ご参照ください。

http://www.chusho.meti.go.jp/pamflet/hakusyo/H26/PDF/13Hakusyo_part4_chap3_web.pdf

単純に言えば、サプライチェーンを可視化するというもの。例えば個社にとって、営業回り先の企業の経営状況が分かっても、その会社の取引先の企業までは分かりにくい。さらに言えば、その先の企業はもっと分からない。実は、そうした先の先にある企業が元気になれば、芋づる式に自社が元気になるというのは想像できると思います。

そうした商取引ルート、サプラーチェーンには、中核的な役割を担っている企業があります。そうした企業の経営状況や取引状況を仮に俯瞰的に把握することができれば、どこに支援策を講じれば、その会社に関係する会社群が元気になるかは一目瞭然です。

そうしたサプライチェーンの見える化、可視化を通じて、中核企業(コネクターハブ企業と呼んでいます)や関連サプライチェーンに直接施策を講じれば、関連産業全般の活性化が可能になります。さらに、産業ごとのレイヤーや地域ごとのレイヤーに分けて施策を打つことも可能になります。

こうした、これまでにない、全く新しい、本当の意味での戦略的中小企業政策によって、地域をいかに活性化できるか、現在真剣に考えているところです。中小企業と申しあげましたが、一次産業やサービス産業などを含め、全産業に関係する話です。いろいろ課題もありますが、地方が輝けば、そして中小企業が輝けば、日本は光輝く、という信念をもってこれからもがんばって行きたいと思っています。

 

産業構造の革新と法人税減税

消費税が8%になり、約2か月となります。一般生活者としてのインパクトは私自身も実感するところですが、経済に対するインパクトは予想を上回るものではなく、景気は比較的順調に推移しています。そして何度か触れていますが、この景気回復を本物にしていくためには、確実に成長戦略を実行していかなければなりません。ではその成長戦略とは何か。

規制改革と産業競争力、という話は以前にもしたのでここでするつもりはありません。これをやれば絶対だというものはないと思っています。ありとあらゆる政策を総動員して日本の活力とお金の循環を良くしていくことが必要だと思っています。

その上で私なりに注力している大物課題はいくつかありますが、その中の一つに法人税減税があります。

とにかく法人税減税をやるんだ、ということで間違いないのですが、正確に言えば物事それほど単純ではありません。政治的ムーブメントを起こすためには単純化は必要で、表面的にはそう行動することが求められましょうが、中身もちゃんと考えておかなければなりません。

第一に、何のためにやるのかという目的の問題、第二に、やるにしてもどんなリスクがあるのかという問題。そして最後の第三に、代替財源の設計という手段の問題。

第一の目的は、成長であり、立地競争力の強化です、と言いたいところですが、もう少しブレークダウンしないと見えてきません。単に対内投資を促進するとか空洞化を阻止するということだけでは見えてこないものがあると思っています。ポイントは、産業構造の革新と言ったほうがいいのかもしれません。抜本的に企業活動の重点ポイントを見直すことが、新しい企業活動のきっかけに繋がるものだと思っています。

第二に、リスクの話ですが、やるにしても当然に代替財源は必要です。なぜならば、税や財政は、財政規律に対する信用リスクが常に付きまとうからです。金利上昇リスクをコントロールできるだけの、説得力のある具体的な財政戦略と計画が必要です。

第三に、では代替財源をどうやるか、という手段の問題です。

基本原則は、第一に、目的にも書きましたが、成長です。代替財源が金額的に確保できればいいというものではなく、業種や地域の実情という水平軸にしっかりと光を当て、その水平軸の面内でバランスを取る必要がある。第二に、単年度の静的なつじつま合わせは排除し、時間軸、つまり垂直軸の中で、動的経済推定に基づく工程設計と管理が必要です。

この水平軸と垂直軸の中でバランスをしっかりと確保することを考慮して、よく言われる外形標準課税や欠損金繰越控除制度、租税特別措置の見直しなどを行う。その際、なるべく簡素な税制にするべきです。これによって、本業で頑張る企業と、国際市場で富を稼いでこれる企業の後押しをすることです。

外形標準課税などの課税ベースの拡大を行っても、法人税減税分との差が景気回復による売り上げ増でカバーして余りあるような、つまり、中小企業がエビで鯛を釣れるだけの具体的な税制設計にしなければ、実行は困難です。あるいはエビがなくても鯛が釣れる税制設計になるよう努力しなければなりません。租税特別措置の中には歴史的な役割を終えたもの、あるいは終えようとしているものもあります。しっかりと議論しなければなりません。繰越欠損金制度についても、必要な制度ですが、あまりに欠損会社が多い。産業の新陳代謝の問題もありますから、しっかりと実情を把握し、内容を精査して、見直すべきは見直さなければならないと思います。

複雑な税制になっているため、営業活動や製品開発に心血を注ぐより節税対策に心血を注いだほうが収益が上がるということではいけない。本業でがんばる企業が報われるという社会を実現すべきです。

いずれにせよ、繰り返しになりますが水平軸と垂直軸の中で、具体的な戦略と工程表と推計を作るべきです。

なお、企業の内部留保について、よくある勘違いが法人税減税によって大企業の内部留保がさらに増えるだけに終わるというもの。現在の景気回復の最大の関心ごとは企業の設備投資を喚起することであって、法人税減税で浮いたお金のうち、内部留保に回るものの一部は設備投資に向かいます。というか、向かわせるような政策を打っていかなければなりません。いずれにせよ内部留保とは決して全てが企業が懐に持っている現金預金ではありません。

資産効果もありますから最低でも30%以下の法人税実効税率を目指すべきだと考えます。

法人税減税については有志の議員で勉強を重ね、麻生大臣や菅官房長官などに申し入れております。

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集団的自衛権

最近外交安保系の書き込みが多くなってしまって申し訳ありませんが、集団的自衛権を巡って議論が加速化していますので、これまで何度か集団的自衛権については書いてきましたが、今一度書き残しておきたいと思います。

なお、最初に書いておかなければならないのは、現在の議論の範疇で、自衛隊が海外の紛争に正面から介入することはありません。海外に出て行って集団的自衛権を行使せざるを得ない状況で想定されるのは、邦人救出やPKO活動です。PKO活動は停戦合意できた場所ですから、紛争になれば撤収するという理屈になっています。撤収するまでの危機に備えての話です。それ以外はあり得ませんので、報道で報じているような、海外に出て行って戦争するということは全くありません。

まず、集団的自衛権の行使については、私個人として憲法を改正し集団的自衛権の行使を明記したのちに(自然権である自衛権を明記するのには少し違和感もあるのですが)、政策判断によって可能な範囲を限定するのが望ましいと思っています。しかし、現行憲法の解釈を変更し限定された領域の集団的自衛権の行使を可能にすることも許容する立場です。

もう少し詳しく書けば、憲法9条には自衛権のことは書かれていませんが、戦後直後の解釈は自衛権すら許容していない。竹槍をもって自分を守る程度のことは認めるし、その方法はかなり有効だ、と法制局長官が答弁するという笑い話のような史実が残っています。その後、自衛隊創設に伴って政策判断によって必要最小限の自衛権が認められるようになった。当時の国際情勢から、自衛権のうち集団的自衛権の行使までは必要最小限の範囲外となった。ここから泥沼の神学論争が始まるわけですが、とにかく論理的に言えば憲法改正によってでしか集団的自衛権が認められないということでは全くないわけです。あくまで政策判断で憲法解釈は変わっている。

当然と言えば当然で、憲法はそもそも自然権としての自衛権は否定していない。繰り返しますが、政策判断によって集団的自衛権行使は必要最小限を超えると判断してきたわけで、それが現在の憲法解釈になっている。だから論理としていえば必要最小限の範囲ならば解釈を変更することは全然可能です。問題は安定性だけです。安定性について議論があるのは十分理解できます。なので、憲法改正によってしっかりと明記し(もう一度言えば明記するのは違和感がありますが)、範囲を政策で限定するのが政治的に、そして国民感情的に望ましい。でも論理で言えば解釈変更は可能だということです。

ここに、いくら総理でも勝手に憲法解釈を変えるのなんてけしからんという議論がでてくる。もし、一般論としての集団的自衛権の行使をどんな場合も可能にしようとするものであれば、感情論としては、その議論は是でしょう。しかし、ポイントは必要最小限とはなにかということで、それは自国の防衛であるかどうかということです。過去は自国の防衛は個別的自衛権だけで対処できた。自国の防衛に集団的自衛権の行使の必要性が全くなかった。しかし、国際情勢の変化によって自国の防衛の概念の中に集団的自衛権が入らざるを得ない状況になった。つまり、自国の防衛の概念が変わったのでもなく、集団的自衛権の概念が変わったのでもなく、まして個別的自衛権の概念が変わったのでもなく、変わったのは国際情勢なのであって、国際情勢の変化が、対処すべき自国の防衛の範囲を広げたということです。だから解釈の変更は、自国の防衛に必要最小限の範囲で可能になるということだと理解しています。

さらに言えば、仮に解釈変更ということになったとしても、それを具体化するためには法律が必要になります。法律がなければ何も変わりません。何も動きません。もし、解釈変更が憲法違反だということになれば、違憲訴訟を通じて正されます。

しかしそもそも、この集団的自衛権の議論に虚しさを感じるのは、本来自衛権は自分の国を守るための権利なのにもかかわらず、自ら進んで戦争しに行く国になるかもしれないと、自分自身に疑いを持ち続ける是非から議論しなければならないことです。

朝日新聞の意見に代表されるように、私とは全く反対の意見があることもわかっています。ただ、申し上げたいのは、どの立場の人でも、平和を願っているのに変わりはない。決定的に違うのは、現実を、どのくらいの時間スケールで、どのように直視しているのかなのです。

今も平和で、将来も何も起きないで平和であろうし、もし何かあってもアメリカが助けてくれるからやっぱり平和が続くので、このままが一番いいと考える人。アメリカの助けもいらないと思う人。今は平和だけど、中国が本気だから何かしないといけないけど、それほど急がなくても、じっくりと憲法改正も視野に入れて議論するべきだと思う人。今そこにある危機だから、のんびり議論できないから徹底的にできることをやろうとする人。そこまでいかなくても、今そこにある危機に対応すべき必要最小限のことは直ぐにやっておこうとする人。

見ている現実が全然違う。例えば湾岸戦争の直前、少ない報道情報から実際に紛争になると確信した人がどれほどいるのかという問題なのです。

外交は、想像力を豊かにして次の一手、その次の一手を確実に打っていかなければなりません。それが戦略です。

ついでに申し上げれば、集団的自衛権の行使を一部でも可能にしたとしたら、自衛権の発動3要件のうち、1番目は少なくとも変える必要がでてきます。これについては、別に書いてみたいと思います。

マンスフィールド財団フォーリー議員交流プログラム初代メンバーとして参加

まず、是非皆様に知っておいて頂きたいのは、本当の意味で日本を友人と思い日本に関心を持っているアメリカの議員は実に少ないということです。もちろん、それが自分の選挙区に日系企業があるとかで関心をもっているという人は少しは増えるかもしれません。多少の改善の兆しは、一昨年の訪日米国議員数は20人強。昨年は50人くらい。今年はその倍のペースで伸びているということ。アベノミクス効果です。本当の親日派を作らなければなりません。これは、シンクタンクでも、国務省でも、一般国民でも、同じこと。

さて、出張にあたっての雑感をエッセー調で書き残しておきたいとおもいます。

いわゆる重鎮と言われる人たちはどの世界でもいますが、重鎮とは、現実的人間世界の基本単位であるグループにあって、比較的長く皆に知られ、発言すれば説得力があり、かと言って理詰めだけではなく情緒にあふれ、そうした総合的人間力によって慕われるといったタイプ。ただそうした重鎮でも長く在籍すると陰口が聞こえて来たりするものです。

しかし、ごく稀に、例えば10年に一度くらいは、誰もが尊敬を持って長く長として迎え入れ、だれも文句を言わない類の人たちがいます。国会でもそうです。そしてアメリカにもそうした重鎮の国会議員がいます、否、いました。マンスフィールド、フォーリー、モンデールといった人たちがそうです。

そして面白いことに、彼らは駐日大使として日本に滞在し、世界にとって、そして日本にとっても、長い目でみれば多大な貢献をしました。

マンスフィールドの功績を称え、その名前を冠するマンスフィールド財団が、モンデールを財団会長に迎え入れ、さらにフォーリーの功績を称えた日米議員交流プログラムを今年創設し、その初代交流事業に参加させて頂く機会を得たことは、私にとって誠に光栄なことです。

外交にしろ安全保障にしろ、というかそれ以上に根本的に人間社会にとって何が一番大切かと言えば、ごくごく当たり前な話ですが、人的交流です。山本五十六がアメリカに留学し世界をその目でみて来たからこそ現実を知っていた。その現実を教えてくれたのは山本が作った人脈に他なりません。

さらに言えば、アメリカと人脈を作っただけではまだまだ池の蛙。しかし当プログラムは計り知れないほどの世界的人脈形成ツールとして機能することを、参加してみて改めて感じ入りました。

2014年4月30日。初当選後1年半しか経っていない自分としては、党命とは言え、当然のごとく地元の行事を優先すべきとの想いの裏側で、世界と日本に貢献できる肥を貯められるチャンスでもあり、複雑な気持ちで飛行機に乗り込みました。

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機中、寝ればいいものを、いろいろ覚えなければならないこともあって資料に目を通すこと6時間、寝れずにもがくこと3時間、映画を一本見て、結局睡眠を全くとらないまま、昼に出発して12時間後にまた昼からスタート。ちなみに機中で手に取ったTIMEに世界に影響を与える100人の1人として安倍総理が他の誰よりもデカデカとのってました・・・。

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まずは出資者であるマンスフィールド財団の新しい代表である、バイデン副大統領やケリー元外相の補佐官も務めた経歴の持ち主であるJannuzi所長、アーカンソー州で国会議員に立候補した経歴を持つBoling副所長と合流し、昼食を兼ねたブリーフィング。彼らはこれまでも政権の中心にいた人たちですが、同世代ということもあり、すぐに打ち解けました。その後、NewseumというワシントンDCの新しい名所に案内されました。報道のあり方をきちんと考えさせられる作りになっており、メディア関係の皆様にも是非見ていただきたい場所です。何れにせよ、おそらく財団としては自由・民主主義・法の支配・人権と言った普遍的価値について言いたかったのであろうと勝手に想像しながらNewseumを後に。

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夜はJCIEが主催する日米関係者を招待した立食レセプション。昔に知己を得たWashigtonDC近郊在住の皆様に久しぶりにお目にかかれた喜びとともに、彼らがどのように繋がっていて、それが故に物事がどのように動いていたのかを知るにつけ、人脈の大切さを改めて痛感。ちなみに、当プログラムに名前が冠されているフォーリー大使のご夫人も参加されておりました。実は10年ほど前にとある会合でたまたま隣に座らせていただいたのがご夫人。当時、だれだか分からないまま、どっかのおばはん、と話をして終わり、直後にこのおばはんが誰かを第三者に教えられ、赤面した記憶が蘇り、このことをお詫び申し上げてみましたが、そんなことはご記憶にないとのこと。まぁそれもそうか。先方にしてみれば、馬の骨ですから。

さて、その後、たまたまお誘いいただき、石破幹事長らと合流。シンクタンクや元大統領外交アドバイザーやら戦術論の大家やらと言った、所謂政権中心にはいないけど陰に陽に影響力のある方々との夕食会。やはり幹事長の表現力はすごいなと勝手に思いながら、偉ものの会なので黙っていたところ、最後に何か若者もしゃべれという話になったので、若者でもないけれど、恐縮ながら持論を結構しゃべってしまいました(通じたかしら)。

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5月1日。本格的な会議が始まる。朝食ブリーフィングは、財団理事会のCharles Lake理事長(アフラック社長)とJannuzi所長、Boling副所長。Lakeさんは親父の時代からの知り合い。奥様が日本人で日本に住んでいらっしゃるので日本人以上に日本語が上手で閉口しますが、改めて今回のプログラムの意義を再確認。

その後は国務省から。アジア担当のZumwalt国務次官補や昨年もお目にかかったKnapper日本部長と米国のリバランス政策を中心に議論。アメリカのリバランス政策については、その背景も含めてよく理解しているつもりですが、時々混乱するような言動が政権幹部から出てきます。そのことについて触れたら、いや意外。リバランスは複雑なんだよね、という答えが帰ってきました。後はTPPについて。TPPは実はこの日の夜から合意案が出ているとの噂があちこちから耳に入ってきました。2日後の新聞紙面を飾ることになる報だとは全く思いませんでしたが…。

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充実した国務省での1時間の会議の後、そのTPPの交渉窓口である通商代表部、通称USTRでの会議。日本にとってはいつもハードな交渉相手ですが、そのナンバー2でタフネゴシエータとして知られたCutler女史。この道25年以上だそうな。TPPの中身なんて問いただしてみても喋ってくれるはずがないので、25年の歴史を振り返って、現在のアジアを通商交渉責任者として見た時にどのように感じているかを中心に議論(写真はUSTR応接にてJannuzi所長と)。

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昼食はWashingtonDC駐在の日本企業の方々と。流石にWashingtonDCだけあってそれぞれ多様な人脈をお持ちで、そこから紡ぎ出された世界観も重厚。たまたま隣り合せになった方からは本当にいろいろとお教え頂きました。

午後。実は当初は、Menedez上院外交委員長やあのMcCain上院議員といった大物との会談予定だったのですが、急遽キャンセル。楽しみにしていたのですが、まぁこれはしょうがない。自分らも国会都合あるしなぁ。ちなみに日本では無茶な国会日程を改善するなどの国会改革が叫ばれています。我々新人仲間でも声を出し始めていますが、国会の日程については、アメリカの方がひどいとのこと。一度勉強しなくてはと思っています。

で、この間、急遽、Brooking研究所の中国や朝鮮半島の大家で著書も多数お書きになっているLiberthal氏との意見交換。面白い提案を頂きました。詳しくは書きませんがとりあえずちょっと否定的な回答をして帰ってしまいました。Liberthal先生ごめんなさい。

続いて、本部マンスフィールド財団事務所にて、Michael Green副所長(CSIS)、Nick Szechenyi日本副部長と議論。ここでは集団的自衛権、リバランス、TPP、アベノミクスなど、結構幅広い議論になりましたが、安全保障面については流石に十分にご理解いただいている感があり安心して議論できました(少し日本人同士で議論になってしまった感があり申し訳なくおもっていますが)。

夜は財団主催のパーティ。広大な敷地で開催されましたが、現在の所有者は日本人夫婦。財団の理事でもありますが、Kuno先生。生命科学系の研究をされていた研究者で、若くしてアメリカに渡り一財を築いた方です。アメリカンドリームですね。でもこういう精神は今日本が一番必要としているのかもしれません。さて、このパーティでは、かのMondale元副大統領やScieffer元大使も出席。その他、実に多彩な人間が集う会で、結局思い返して見たら、人脈形成という意味では一番有意義であったかもしれません。(写真左はScieffer元大使、右はMondale元副大統領)。

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5月2日。パネルディスカッションのためキャピトルヒルに(国会議事堂)。一番のメインイベントは、訪米中の石破幹事長の講演会。マスコミのカメラマンが図々しくも私の目の前に陣取り、奥することもなく立ったままだったので、幹事長の言葉より、この御仁の尻が気になってしかたありませんでしたが、それはさておき、ここでも幹事長の言葉の選び方は大変勉強になりました。内容は報道の通りです。

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このほか、Jannuzi所長やMondale元副大統領、Schieffer元大使、Posen教授やSolis先生など、それぞれ元老練政治家や専門家のパネルディスカッション。少し奇妙さを感じたのが、アメリカ人がアメリカ人の視点から見た日本の政策を語るのを日本の国会議員がただ見ているということ。そしてそのアメリカ人の視点は昔からあまり変わっていないということ。一貫してぶれない、と言えばぶれないのですが、もう少し中に入って、日本の土埃の匂いを感じて頂くと、少しは気分も変わるのではないかと思うのですが、難しいところです。

シンポジウムを終え、一転、国防省に。ヘーゲル国防長官補佐官のLippertとの会談。実はこの日丁度、韓国大使への転任が発表され、一同お祝いを申し上げました。41歳とのこと。日本では考えられない人事です。閑話休題、Lippertからは国務長官の先のアジア歴訪についてのブリーフィングを受け、主に、大国間関係という新しいモデルを模索している中国の見方、MDAという海上監視システムについての日米協力のあり方をはじめ、宇宙・サイバーなどの観点での意見交換を行いました。

最後は、ドイツ駐在大使も務められた元財務副長官のKimmit。ここは非常に有意義な議論ができました。というのは、先方から唐突に日米関係強化のための具体策の提言があったためです。米国に投資している日本の企業は、関連する地域の上下院議員を日本に招待したらどうかとのこと。仕事とかロビー活動とか献金とかは一切なし。日本の要人にあって話をして飯食って帰ってもらうだけ。いいこというなぁ。少しは働きかけをしてみようと思います。

以上、すこしだらだらと書きましたが、とにかく充実した出張でした。しかし本当に充実したするかどうかはこれからこの人脈を確かなものにできるかどうかだと思っています。

パックスアメリカーナ3

安全保障環境は厳しさをましております。2008年に初めて中国の公船が日本の領海に侵入し、2010年には漁船衝突事件、その後の世論によって日本は尖閣の国有化を2012年に発表しますが、ここから急激に日中関係は悪化。2013年には中 国は一方的にADIZの設定を発表。昨年はのべ188隻の中国籍船舶が日本領海に侵入 しています。

しかし、日本にとってもっとも重要なことは、中国との関係をどのように改善していくのか、であって、如何に対峙していくかではないということです。もちろん国際社会への挑戦であるとか、普遍的価値への挑戦であるとか、国際ルールへの挑戦に対しては、毅然とした態度を示すことが国家としては大切です。

昨年末、日本は国家安全保障会議、通称NSCを発足させました。私も国家安全保障委員会の委員として議論に加わらせていただきましたが、これで日本の外交安保を含む総合的な国家安全保障の戦略的議論ができる環境が整いました。

さらにそのNSCの下で国家安全保障戦略を策定し、今後の大方針となる、積極的平和主義が発表されました。今までの日本の外交は基本的には消極的、というか反応的というか、受動的というか、とにかく何かが起こって初めて何かをする式のものでした。

日本の外交は戦略なきが戦略という冗談も飛び交っていた時代がありましたが、いずれにせよ戦略的に国際的な法の秩序・安定と平和・自由と民主主義という普遍的価値を維持し強化していくことに日本はこれまでそれほど貢献できていなかったのが事実で、アメリカの安保の傘の元、我が国経済だけに注力してきたし、それが国際的にもそれが是でありました。

つまり、積極的というのは普通以上に積極的なのではなく、消極的であったものを普通にするぞという文脈でとらえたほうが正しいと思いますし、想像力を豊かにして次の一手、次の一手をしっかりと打てる体制を構築するというという理解が正しいのだと思います。

そしてその戦略のもと、防衛大綱が改定され、新しい統合機動防衛力構想が発表され、中期防衛力整備計画では必要な防衛装備品の調達計画が発表されています。

繰り返しますが、中国との対峙という文脈ではなく、普遍的価値に基づいた国際貢献をしていくんだ、しかし、それでも挑戦をしてくるものがいるときには備えていくんだ、というのが我々の想いです。

そして現在では、長年議論のあった集団的自衛権について一部限定されたケースでの行使を可能とするよう議論が行われています。

現時点では、パックスアメリカーナは維持しなければなりません。未来永劫ではありません。歴史を振り返れば明らかであり、例えば古代ローマなど、私は塩野七生史観しか知りませんが、典型例です。しかし、日本が現在舵を切っている集団的自衛権に関する方向は、決して同盟強化のためにアメリカを助けるためにはどこでも出ていく文脈ではありません。あくまでも、せめて自分を助けてくれるときくらいは相手を助けようという文脈でしかありません。

過去にも書きましたが、ただでさえ内向き志向になりつつあるアメリカが、日本の安全と平和を、自国米国の若者を犠牲にしてまで守ってくれるわけがありません。そして、中国はアメリカにとって、経済面、ひいては安保面でも、非常に大切なパートナーであることを、日本は絶対に見失ってはいけません。

日米関係を考える際には、米中関係を考えなければなりません。

【善然庵閑話】ヴァリャーグが結ぶ中国とウクライナの稀有な関係

今日、英国王立防衛安全保障研究所というシンクタンクが主催する講演会に参加をさせていただきました。19世紀の宰相パーマストン卿の「大英帝国には永遠の友も永遠の敵もない。あるのは永遠の大英帝国の国益だけである」という言葉の引用から始められた石破幹事長のご高話は、地政学の祖であるマッキンダーを髣髴とさせる地政学観点から見た日英同盟のあり方を浮き彫りにする内容で、改めてなるほどと頷かされました。

ところでヨーロッパの歴史を学ぶとその複雑さが故にヨーロッパを感覚として理解するのはなかなか難しいのではないかと思わされます。そしてそれを書く勇気は私には到底ありませんが、一つの切り口だけを辿るのもたまには面白いなと思い、司馬遼太郎風に散文的に書き綴っておきたいと思います。エッセーなので久しぶりの【善然庵閑話】シリーズです。

ところで最初から脱線して恐縮ですが、この研究所の略称はRUSI(ルーシ)というそうな。ルーシと言えば、このRUSIとはまったく関係ありませんが、現在のロシア、ウクライナ、ベラルーシの共通の祖国である8世紀ごろに誕生した古代ルーシ。そのルーシ国家の建設は北方のバイキング達が携わったようで、バイキングのことをロシア語風に言うとヴァリャーグになります。

そしてヴァリャーグといえば、中国がウクライナから購入した空母もこの名前で、ソ連時代に設計されたもの。そして、この名前がついたロシア製軍用艦は実は3代目。そしてその第1代のヴァリャーグが辿った歴史が実に面白い。ロシアがアメリカに発注して作った戦艦なのですが、日露戦役で日本艦隊に包囲されるも艦長は降伏せず、勇気を持って突撃した上で自沈を選ぶ。その後日本軍に引き取られて宗谷という名前で日本軍によって運用され、第一次大戦後にロシアに返却されるという非常に稀有な経歴をもつ船です。こうした背景もあって、ヴァリャーグという名前はロシアでは相当英雄視されています。

初代ヴァリャーグが日本に接収されたことがあるという史実を中国が知った上で同名の空母を調達したのだとしたら中国恐るべしであり大したものですが、それはさておき、このヴァリャーグの運命はロシア革命に伴ってイギリスに抑留されたところで解体されて終わる。

イギリスと言えば、現在の最大の構成国はイングランドですが、その住人のルーツは、その名前が示すとおりアングル人。このアングル人というのはもとを正せば欧州本土にいたヴァリャーグ人のルーツでもある北部ゲルマン人。結局、戦艦ヴァリャーグは稀有な歴史を辿って、名前の由来の土地に着底したことになる。

そして更に言えば、アングル人がイングランドに渡った結果何がおきたかと言えば、もともと住んでいたブリタニカのブリトン人が追い出されて、逆に欧州本土に移住した。移住した先は現在のフランスであるガリアであり、そのため地名もブリトン人の土地という意味のブルターニュ地方になった。で、アングル人がイングランド(ブリタニカ)に侵攻せざるを得なくなったのは、西ローマ帝国滅亡の一因となったアッティラ王率いるフン族が4世紀から5世紀にかけて東方から流入してきたためで、そのフン族のルーツは中国北縁のモンゴルだったりします。

ウクライナ情勢が相変わらず不安定です。フン族アッティラ王が現在の国際情勢を見たら何と思うかと想像してみても何の答えにもなりませんが、ルーシ人の末裔かもしれないウクライナが持っていた空母ヴァリャーグの艦上で、フン族の末裔であるかもしれない人民解放軍将校がブリトン人の末裔かもしれない人が作ったブルターニュ産のミュスカデでも飲みながら、アングル人の末裔かもしれないイギリス人を横目に見ながらバルト海やら黒海でも航行しようものなら、クリミアの先祖はさぞかし複雑な思いをするだろうと想像したりしています。

STAP細胞と科学技術政策

初当選以来、いくつかのテーマに注力してきましたが、科学技術政策もその一つです。STAP細胞の発表は、私が注力していた政策の遂行上非常に好都合でありましたが、不正の疑義が奉じられてから非常に難航するようになりました。そんな意味で非常に残念でしたし、また注目している案件です。本日、小保方さんが記者会見を行いました。そこでこの問題について想うところを記しておきたいと思います。

第一に、最大の問題は、STAP細胞があるのかどうか。これだけ注目を集めているわけですので、あると主張するのであれば、客観的管理のもとで再度実験を行って説得力のある客観的データを示すべきです。

第二に、不正であったのかどうか。所属元の理化学研究所が既に一部に不正があったと発表したわけですが、研究者とのやり取りがまったく感じられません。本来であれば、研究者自身が理化学研究所に再審査の請求を行い、慎重なやりとりのプロセスのなかで反論の論証を行い公表するべきです。

第三に、本来、論文の本質的なチェックは投稿先のNATUREという世界的権威の雑誌が担います。世界的権威の雑誌ですので当然査読(チェック)も最高レベルです。投稿のチェックは世界中の同業研究者によって行われます。つまり、彼らがどのような反応をこれからするのか、あるいはしないのか、注目すべきです。

第四に、これは本稿の最大の主張ですが、不正撲滅の取り組みのあり方についてです。不正が起きないように一生懸命管理のあり方や論文の書き方や研究記録の残し方を厳格化する努力はわからなくもないですし、最低限は研究者や所属が行うべきですが、本来あるべきは不正を行ったらそれだけ大きな制裁を受ける、という出口の部分の厳格化、厳罰化だと考えます。

例えは悪いかもしれませんが、飲酒運転という不正に対するに、警察官を増やして検問を増やして講習を何度もやるよりも、捕まって飲酒であれば100万円の罰金と免許取り消しとしたほうが、抑止力にはなるはずです。前者は、不正とは無関係の研究者の雑用を増やすばかりです。

なので、不正の疑義が生じた際の不正認定プロセスと基準の明確化、そして不正と認定された際の罰則の明確化と周知徹底が最大の課題であると認識しています。