岸田外務大臣をお招きしての勉強会

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先日9日にフォーラムK第二回勉強会を都内で岸田外務大臣をお招きして開催させて
いただきました。日本を取り巻く国際環境は厳しさを増しておりますが、大臣には日
本の外交政策の現状と進むべき方向性についてご高話いただきました。当日、ご多忙
の折ご来場賜りました皆様方には感謝申し上げます。

【善然庵閑話】永遠のゼロ

百田直樹さんの永遠のゼロを今頃になってですが読みました。最近は多忙のせいにして本を殆ど読めていないのですが、親しい知人に奨められてのことです。多くの場面で涙しました。

随分前にも書きましたが、私は、いつのころからか特攻隊員の話を聞いたりドキュメンタリー番組を見ると自然と感極まり涙がでるようになっていました。東北大震災の直後に友人が私に語ってくれた、国家の危機に際して懸命に公に身を奉じる人たちの姿に涙が止まらなくなるという言葉を未だに忘れられません。このことと同じだと今では思っています。

https://keitaro-ohno.com/?p=105

決して戦争賛美したり美化したり正当化したりするものではありません。恋人や家族や知人のために、ある種強制的に行かされたにせよ凛として身を奉じる姿は、どこの国でも涙を誘うものではないでしょうか。アメリカのハリウッド映画にも、例えばインディペンデンスデイでも、アルマゲドンでも、同様の描かれ方をされています。決して日本人は洗脳された悪魔ではなかったのです。まだ10代の普通のあどけない少年達だったのです。

何年か前、クリントイーストウッド監督の硫黄島からの手紙がヒットしました。なぜアメリカでもその映画がヒットしたのか、その感想を聞かれたアーミテージ元国務長官が、それは日本人もアメリカ人同様に、尊敬できる上官がいて家族がいて恋人がいて、その人たちを思って死んでいったんだと分かったからじゃないか、と明言した現場に私は居合わせ、感慨無量になったことを忘れられません。

そして、この永遠のゼロを読んで思ったこと。それは如何に日本帝国軍の官僚組織が機能していなかったかということ。上官が、現場の隊員の生死より自らの立場や出世を優先させたこと。組織と言うものは、時には恐ろしいものであり、ドライなものです。しかし、上に立つもの、結果に責任をとらなければなりません。そして責任をとれるよう、部下には責任をもって仕事をしてもらわなければなりません。

政治の役割は、究極的に言えば責任をとることだと言えます。随分前にも書きましたが、塩野七生さんの言葉を借りれば、自分の魂を悪魔に売ってでも国民を天国に送り届けるだけの気概を持たなければなりません。

https://keitaro-ohno.com/?p=129

公務員制度改革や秘密保全法の審議に際しての私の哲学です。

秘密保護法の政府原案、党内部会承認

本日、秘密保護法案の政府案が自民党のインテリジェンス秘密保全等検討PT、法務・外交・国防・内閣の合同会議に提出され、私も議論に参加しました。結論から言えば原案は部会レベルで承認されました。

秘密保護法に関する私の意見は、すでに述べました。

https://keitaro-ohno.com/?p=1849

つまり、国家秘密というのは強烈な権力であるので、必ず情報公開とセットになっていなければならない。情報公開が強ければ秘密も強力に保護できる、そう考えなければなりません。

政府原案は原則5年で公開。ただし延長可能で、最長30年。ただしそれでも不足であれば内閣の承認を得る必要があるということです。

私は5年と30年はいいとしても内閣の承認を得るというだけでは不足しているような気がしています。もう少し厳格なルール作りが必要なのではないかということです。内閣と言えば閣議なのか、クリアランスは閣僚全員にかけるのかなどです。

もう一つ。これは部会でも発言させていただきましたが、よくある機密漏えいのケースは、国家機密を知りえる人が、故意に情報を改変し、漏洩するケースです。つまり同一性の問題ですが、少し変えとけば本物の機密ではないので罰せられないであろうということです。

この場合、改変して機密でなくなったとしても、その機密に類する事項を政府が関与していることが公知されたときに、国際的に不利な立場におかれる、などの問題が生じます。

例えば何ヶ月か前、尖閣事変を想定した日米共同軍事対処の具体的マニュアルが整備検討されているという報道がありました。事実とは異なるらしいのですが、それでも何らかの検討が政府間で行われていると考えるのが妥当です。この場合、仮にそれが日本からの漏洩であれば、アメリカ政府からみれば、日本は情報がすぐ漏洩する国だからまともに交渉できないという不信感が広がります。

さらに問題なのが、当該案件を秘密の漏洩ということで調査したら、この情報は秘密保護法に該当する本物の情報だと政府が認定してしまうことになりはしないのか、であれば、調査に慎重にならざるを得なくならないのか、ということです。

個別対応になるとは思いますが、ルール作りは、公開もしかりですが、しっかりとやらなければなりません。

今後は特別委員会で審議されます。注目していかなければなりません。

消費税と景気と産業競争力と研究開発力と

いよいよ総理が消費税について決断し表明いたしました。これから本当の勝負が始まります。いくつかある舵を切ったわけですから絶対に景気の波を確実なものにし、それを全国各地津々浦々に届けなければなりません。ごめんなさいだめでしたでは済まされない問題です。日本人全員が一致団結して日本と言う大きな船を修理し最新鋭で誇らしい船にしていかなければなりません。

産業競争力強化法によって種々の経済対策の制度が創設されます。臨時国会で審議することになります。税制は来年の通常国会でだされることになります。

そして研究開発力強化法案の原案作りにも携わっています。ここも日本の底力を引揚げるものです。臨時国会に何とか間に合わせたいと思っています。この部分、また報告させていただきます。

中国訪問

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先週の話になりますが、24日から27日にかけて若手議員6名で中国北京を訪問しました。中国共産党中央委員会直属の中央対外連絡部(略称中連部で自民党国際局に相等)の楊燕怡・部長補佐(次官級)、唐家璇・中日友好協会会長(元外務大臣)、武大偉・朝鮮半島特別代表、劉江永・精華大学国際関係研究所副院長、中央政策研究室経済局などの大物幹部のほか、趙世通・中連部二局副局長、沈建国・日本処処長といった若手幹部の方々と会談をこなして参りました。ハードなスケジュールでしたが有意義な訪問となりました。

中国との種々の困難な課題について、当然理論武装は済ませて訪問するわけですが、理論をぶつけているだけでは解決しないのは当初から分かっているわけで、もちろん言いたいことは言って参りましたが、一方で若手であることを武器に、未来志向の関係を築かなければならないことを訴えて参りました。

会談内容の詳細はこの場では触れませんが、概して言えば、中国も未来永劫このまま突っ走ることは考えていないことは肌で感じました。

 

 

原発の行方〜柏崎刈羽原発視察

新潟県の柏崎刈羽原発にお邪魔しました。世界最大の発電能力をもつこの原発も中越地震から一部が止まり、東日本大震災後に全炉停止となっています。原発問題を考える上で、一度は現地に赴いて地元の皆様のご意見を伺わなければ議論もできまいと思い、10時間かけて参りました。

驚いたのが地元のご意見。原発再稼動について、地元の経済状況や放射能漏れの恐怖など、肯定否定種々の思いが交錯しているのであろうと想像しておりましたが、もちろんそれもあるけど、そもそも日本国家としてのエネルギー政策のあり方を真剣に考えているんだ、とおっしゃった方がいらっしゃったことに、驚きさえ感じました。

さて、原発施設内は、時間の制約がありながら東電から真摯な態度で細部まで見せて頂きご説明賜りました。例えば防潮堤。高さ15mに設定したそうですが、考えてみれば何を根拠に15mというのは難しい。通常日本海側では5m程度と言われているそうですが、それを施設のエンジニアリングジャッジとして15mとしたとのこと。積極的であると感じました。防潮堤だけで200億円とのこと。

防潮堤内部の施設では、給排気口にもわざわざ浸水防止壁を設けて二重三重の対策を講じ、福島で話題になったベント装置は通常電磁弁による開閉が行われていますがそれを手動でも開閉できるように工夫がなされていたり、また、電源喪失に対しては電源車を20台規模、一部はガスタービン発電車まで用意し、その燃料である経由は高台の地下タンクに貯蔵するという念の入れよう。冷却水も高台に貯水タンクを設け、更に海水から冷却水を製造する特殊車両も設置し、ここも幾重にも安全対策がとられていることをこの目で見ました。これらはごく一部ですが、福島の問題がフィードバックされている箇所が随所に現れています。この柏崎刈羽ではこれまで3200億円の対策となっているようで、それに留まらずこれからも考えられることは行っていくそうです。

問題は1つ。このブログでも以前から指摘をしておりましたが、パッシブセーフティの概念。シビアアクシデント発生時にはどうしても、起きてしまった際の対策をとらなければなりません。工学的にはどんなことでも完璧はありえない。起きてしまったときの安全確保をもって、トータルで完璧に仕上げなければなりません。

その一つが関連自治体との避難誘導や情報伝達方法などの具体策の協議。細部は分かりませんでしたが、東電側の説明と柏崎市長、刈羽村長両者のご意見を伺って思ったのは、この部分、未だ未完成ではないかということです。詳細を良く拝聴できませんでしたので、厳密に言えば既に整っているのかもしれませんが、精査して、不備があるなら早急に整備する必要があると思っています。

柏崎刈羽視察

台湾出張

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青年局の活動の一環で、我が党ホープの小泉進次郎団長の下、台湾に出張して参りました。実は社会人になって欧米への出張ばかりであったので、政治家としての1期目はアジア圏の人脈を築きたいという思いと、我が祖父は台湾総督府に勤務、親父も台湾育ちという意味で特別な思いがあるということ、、そしてまた近隣諸国との困難な外交課題がある中で台湾は重要だという思いなどが織り交ざって、新人の厳しい懐事情もありましたが、思い切って行って参りました。

私にとって短期間に二度の訪台となります。今回は、李登輝元総統講演会(リーダシップのあり方と日本が向うべき方向性などご意見拝聴)、馬英九総統との会談(大震災支援に対する謝意伝達と今後の新しい日台関係についての議論)、立法院議員との議論(漁業協定など)、外務次官との懇親、プロ野球始球式(台湾一般人への謝意伝達のため)、1999年に台中地区で発生した大地震の被災地訪問(青年局のチーム11としての活動の側面と311大震災を忘れないために日本がするべき課題を考えるため)、忠烈祠国立墓地献花(表敬)、李鴻源内務大臣陪席のもと東日本被災者救助隊の皆様との面談(謝意伝達)、八田興一記念館・烏山頭ダム視察など、短時間で相当過密なスケジュールでした。

台湾の歴史を考えた時に蒋介石という人物は欠かせませんが、その蒋介石を考えた時に欠かせないのが鄭成功(ていせいいこう)です。時に17世紀。明が清に駆逐されつつあった時代です。

鄭成功は福建省出身の父と長崎県平戸市出身の日本人母をもつ、平戸生まれので、清の勢力に徹底交戦し、止む無く勢力挽回のために当時オランダが支配していた台湾にオランダ人を駆逐して逃れ移った人。特に台湾人からは英雄視される逸話の多い人物で、父が清に投降した際に成功は泣いて止め今生の別を告げたとか、日本式の甲冑をつけた鉄砲隊を配備したとかなどが残っています。

清の時代には中国本土から大勢の人が台湾に移住しますが、清にとって台湾はそれほど重要な位置づけではなく統治も厳密ではなかったそうです。そしてそののちに日清戦争が起こり、下関条約を経て、台湾は日本に割譲されることになります。

そこから半世紀に渡る日本の統治が行われますが、終焉はご存知の通りサンフランシスコ平和条約。そして直後に日本は台湾と日華平和条約を締結、そして72年の日中平和友好条約によって断交となります。この間に蒋介石率いる国民党は、奇しくも鄭成功と同じような運命を辿ることになります。

この二人に共通することは本土から来たということです。そしてその後の台湾は、蒋介石の息子の蒋経国(しょうけいこく)(「民主化しなければ国際社会の中では生きられない」として国民選挙によって総統になった人)により民主化され、さらに「私は台湾人であり台湾人の台湾を築かなければならない」として台湾のメンタリティを的確に掴み選挙で総統になり、台湾成長の礎となった李登輝先生(今回の訪問で会談に立ち会う栄に浴しました)、独立を唱えた民進党の陳水扁を経て、現在は国民党の馬英九が総統になっています。

つまり、台湾は台湾であるべきだという考え方から、徐々に独立だということになって、今のままでいいじゃないのという変遷を経ていることになります。そして最近では、台湾は中国本土とECFAという貿易協定を結び、サービスや商品の貿易協定を結ぼうとしており、過去にない台中関係を作り上げています。ついでに言えば、馬相当は、日本統治時代の呼称を日治から日拠にすることを表明しています。明らかなる中国シフトに見えます。

こうした歴史を踏まえたうえで、忠烈祠国立墓地(辛亥革命や抗日戦争などで戦没した英霊を祭る施設)での献花に陪席し、李登輝元総統や馬英九総統との会談を終え、最近の台湾の動向が北東アジアの安全保障にどのように影響するのか、特に日本として今後どのように中国と向き合っていくべきなのか、また、冷え込んでいる日韓関係を考えたときに、同じ日本統治時代を経た台湾となぜ全く違う事態に陥っているのかも、非常に考えさせられました。

また与野党立法委員(国会議員)との意見交換会を終えたのちには、先に締結した日台漁業協定について、確かに尖閣をめぐる領有権の主張のぶつかり合いに新しい一石を投じましたが、一方で沖縄などの漁業者の間で新たな問題を提起してしまっていることを今後どのように収拾していくのかも考えさせられました。

それ以外にも、今回の訪台ではここで書ききれないくらいの多くのことを考えさせられました。

いずれにせよ日台関係は非常に重要ですが、特に今回の自民党青年局の訪問は過去最大規模の訪台事業であり、新しい日台関係を築いていくきっかけにしなければならないと強く感じています。

秘密保全と情報公開について

新聞紙上などで政府が検討を進めている秘密保全法の是非をめぐって時々議論が起きています。国家秘密の取り扱いについては、何回か取り上げてきましたが、私もその必要性を実感していますし、党内の会議で何度か必要性について発言をさせていただきました。議員初めての国会質問でも予算委員会で質問させていただきました(リンク)

まず第一に、反論があるのは政治に対する不信感であろうかと認識しております。かねがねお訴え申し上げていますが、政治が何かをするにあたって信頼が無ければ何もできません。であるならば、政治は謙虚さ真摯さを失ってはなりません。ここは絶対に自らの肝に銘じておかなければならないと思っています。

第二に、テクニカルな問題としては、国家秘密とは何か、その定義です。たとえば原発をめぐる情報を国家機密指定されてしまったら、国に都合の悪い情報が隠される可能性があるなどの危惧です。

第三に、しかし考えなければならないのは、国際間の信用です。例えば、外国が日本に対して機密事項を提供し、それが日本国内で公知されたとします。いったい次は情報提供をしてもらえるのか、日本という国は信用してもらえるのか、そういう問題です。

第一の問題はさておき、第二の問題は基本的には情報公開とセットで進めるべき課題であると認識しています。米国にはFOIA(Freedom of Information Act)という情報公開法の中で情報保全を謳っています。つまり、秘密にするけど、それは何年程度秘密にする事項であって、その期間が過ぎたら、こういうルールで公開しますよ。そして秘密指定に問題があれば歴史が断罪しますよ、という立て付けになっています。

2010年の当ブログの記事「『密約に想う』に想う」でも触れましたが、FOIAにならって尚一段と情報公開のルール作りを議論する必要があると思います。

第三の問題については一例を挙げたいと思います。以前、外国籍潜水艦が日本近海で火災を起こして浮上し、母港に帰還したという事実と言われる記事が新聞に掲載されました。当時、戦後初の防衛機密の漏洩と言われましたが、なぜそうなるのか。

もう一度前出の文章をお読み頂ければと思います。ぴんと来た人は鋭い。普通は、へー日本近海に潜水艦がきているのねぇ、怖いわねぇ程度だと思いますが、ポイントは、なぜ火災と分かったのか、という問題です。もしかしたら、暗号通信傍受であったかもしれませんし、もしかしたら、米国からの情報提供であったかもしれませんし、いずれにせよ、平然と公知されてしまったら、今まで脈々と築いてきた情報収集手段をその外国に知られ、もはやその手段は使えなくなっているのかもしれません。これはあくまで勝手な想像ですが、可能性は否定できません。これこそ国家予算の壮大な無駄遣いではないかと思います。

憲法改正の議論でも、単独の法律案の議論でも、これからしっかりと議論していきたいと思います。

日台関係の重要性

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先週の話ですので少し旧聞に属する話になってしまいますが、台湾に出張に行ってま
いりました。使った英文名刺は100枚近くと、非常に大勢の台湾の皆様にお会いす
ることができ、貴重かつ有意義な意見交換ができたと思っています。また台湾の皆様
の日本に対する友情というものを非常に感じた出張となりました。

第一に、東日本大震災の際には、台湾は1か月で100億円(もちろんトップで米国
を抜く)、最終的には200億円以上となりましたが、その謝意を台湾の皆様に直接
お伝えできました。

第二に、経済産業省事務次官に相当する梁国新政務次長、台湾銀行の李紀珠総裁、亜
東関係協会の李嘉進会長をはじめ、主要なポリシーメイカーと経済に関する意見交換
をしましたが、具体的に日本の経済政策や原発問題をどのように感じていらっしゃる
のかを直接知る貴重な機会となりました。

第三に、亜東関係協会科技交流委員会主催で日台関係について講演をさせて頂きまし
た。と言っても、実は先方がお付けになったタイトルは日本の経済政策であったので
すが、アベノミクスの金融財政政策については山本幸三先生や木原誠二先生がお述べ
になると思いましたので(実際にそう)、私からは日台関係、として科学技術政策に
ついて、特に科学技術外交について、私見愚見をご披露申し上げてまいりました。

台湾は日本にとって非常に重要です。とくに現状の馬英九相当の外交方針はともする
と日本離反に映るかもしれませんが、逆に日本にとってはこれ以上進まなければ丁度
良い頃合いではなかろうかと思っています。

少し与太話、善然庵閑話シリーズ

ちなみに、私の祖父は台湾に努めており、その関係で我が親父も子供のころは台湾で
育っています。子供のころは食べ物に苦労したそうで、片言の中国語をフレーズで覚
え、空腹を補ったそうです。例えば、「これとあれはどっちが良い?」「これを一個
頂戴!」「これあげる!」などです。実に物々交換に適する言葉ばかりですが、文法
は全く知りませんので、多少のアレンジしか効かない。

しかし、忘れたくないのかセンチメンタルなのか、私が子供のころに親父は家で何度
もその台湾で覚えた言葉を口ずさむので、私もそのまま覚えてしまいました。

ただ、不思議なことがあるのです。それは、なぜ幼少の頃の親父がそんな言葉を覚え
なければならなかったのか?

「に〜たいたいほいらいら」。

これを言えばほとんどの方が笑って下さる。意味は?「貴方の奥さん帰ってきた
か?」だそうな。なので、会議や演説の冒頭のIceBreakには重宝しています。いずれ
にせよ台湾にはそういった特別な思いもあったりします。

善然庵閑話:太宰治と眉山

眉山。私の知人で私より年下ですが私の文学の師から、数年前にお勧め頂いたのが太宰治でした。私は文学の素養は皆無なのですが、手に取ったその短編集に収録されていたのが眉山。掛け合い漫才のような形で始まるその物語も、最後のくだりには、頭を強く揺さぶられるような、そんな衝撃を受けたのを今でもよく覚えています。

「そうですか。・・・いい子でしたがね」

この言葉が脳裏に焼きついて離れません。人間わがままな存在です。だから人間くさいのかもしれません。しかしそれに気付いていたい。そしてこの短編はぜひ趣旨を変えずに書き直して子供達に読ませてあげたい。