海上日出

横山大観の海上日出という絵があります。絵画には全くの門外漢ですが、ありえないほどの力強い太陽が荒波から立ち上がるその絵に、しばし眺め入ったことがあります。

その横山大観の目を海外に広げたのは東京芸大の創設者である岡倉天心でした。急激に西洋化する時代に生れた岡倉天心は、西洋化が進んでも日本古来の伝統美術は素晴らしいんだ、と、海外に訴えるために諸外国を飛び回ります。そして、意識は日本に収まらずアジア全域の精神構造の素晴らしさを説き、東洋は無意識的に西洋にひざまずく必要はないとして、アジアの覚醒を呼びかけました。

もちろん、現代的に言えばそれほど事を荒立てて洋の東西を敵対関係視することは全く必要ありませんし、近現代の軍国主義化していく際において”asia is one”という言葉が大東亜共栄圏構想にうまく政治利用されたりしていますので、岡倉天心の思想は曲解される可能性は多々ありますが、それでも伝統文化を大切にし誇りを持って事に当たる姿勢は絶対に忘れてはなりません。

そして現在、岡倉天心の一時の居住地であった茨城県五浦海岸にあった六角堂、テレビで見たことしかありませんが、災害で消失してしまっているとのこと。日本の文化芸術に誇りを感じ、日本やアジアの興隆を夢見、横山大観に力強い太陽を画かせた岡倉天心の精神は少なくとも消失しないように努力していかなければなりません。

いよいよ劇薬の投入か

 
おカネがないなら、刷ってしまえばいいじゃないか。

震災以降、この手の主張が国会でも本気で議論されています。いわゆる、政府が発行する国債を日銀に強制的に引き受けさせるもので、結果的にじゃんじゃんおカネを刷ってばら撒くのと同じです。経済の常識的に言えば、こんな馬鹿な話がまかり通っては世も末だということになるのですが、今一度この話を考えてみたいと思います。

おカネを刷ればいい派のことをリフレ派と呼ぶことにします。リフレーションの略だそうです。メリット。今、経済界から見れば、円高、デフレ(=買い控え)、電力の三重苦に政府が真剣に取り組んでくれないと産業空洞化どころの騒ぎではなくなる、ということだと思いますが、リフレ派のメリットは、おカネを刷るわけですから、まず信用力が落ちて円が売られ円安に誘導できる。そして、物に対して通貨が増えるわけですから、物価が上昇しデフレが解消される。調達した資金を電力をはじめ災害復興に十分当てられる。めでたしめでたし。

このリフレ派に対しての反論は、おカネをするわけですから、物価がどんどん上がるだけで実情が伴わず、また信用力が低下するので将来的に国債の引き受け手がなくなる可能性があるから、金利は上昇し、また延々日銀に国債を引き受けていただかなければならなくなる。なぜかと言えば、現在国債の9割以上は国民に買っていただいているが、国民側も持っている財産以上に国債を引き受けることはできず、将来的に、外国人に引き受けてもらわざるを得なくなる。しかし信用の低下したリスク債には相当のリスクプレミアムを上乗せせざるを得ず、そうなると調達コストは馬鹿高くなり、結局日銀さんにお願いせざるを得なくなる。つまり、一度手を付けると止められなくなる劇薬麻薬の類に似ているのでしょうか。

リフレ派がよく引用するのが、高橋是清が打ち出した政策。反対を押し切り、高橋蔵相が日銀に国債を引き受けさせ、結果経済成長率が上昇し、懸念されたインフレも発生しなかった。ただ、高橋蔵相は日銀に引き受けさせた直後に市場に売りさばいているので、日銀保証の形はとったものの、結果的に日銀引き受けではありませんでした。ですから激しいインフレは避けられたものと考えられます。

私は今のところリフレ派には反対です。制御できない不安定な手法にならざるを得ません。そもそも日銀に引き受けていただくのであれば、市場にも出せるはず。今ならまだ税控除付き無利子国債で調達できるはずです。

先日、安住財務大臣が、日銀引き受けは考えていない旨、国会で答弁されていました。それはよしとして、次に無利子国債も、無利子による償還分よりも税の控除による税収が減って国の収入は経るかもしれないので慎重だ、とする答弁をされていました。何たる役所的な答弁であろうと思います。政治主導をここで発揮できないのなら、役所に政治を任せてもいいのではないか、何かをしないと何もできない、という時期にさしかかっているのに、と考えると残念でなりません。

ただ、ここでの主張は何かといえば、いよいよ本当に困り果てて出すものも出せなくなって、それでもじりじりと日本が沈没している状況が続くのであれば、座して死を待つよりも、ではありませんが、この劇薬、使うことになるのかもしれません。そうならないために、役所に任せるのではなく、積極的に種々の政策を前に向けて推し進めるべきだと考えます。

パレスチナの夜空に舞う桜の花

国会の事務所に勤務していた際、いろいろな国の大使館員に誘い誘われ、いろいろな考え方や意見などを拝聴することができ、私にとって世界観が少し広がった時期でした。どの場面も刺激的な会話を楽しんだのを記憶しております。

親父がイスラエル友好議連をしている都合、イスラエル大使や大使館スタッフと仕事のやり取りを重ねていた時期のこと。それが大使館の誰かの記憶に残っていたのでしょう。ある日、イスラエル本国から将来有望な若手国会議員(リクード党のNo3くらいの要職との外務省の説明)が来日し、英語で直接会話のできる日本の議会スタッフ何人かとフランクな話がしたい、とのことで、外務省から私に電話がかかってきました。5人くらい揃えたいがちょっと足りないから来て頂戴、とおっしゃるので、英語・韓国語のできるS氏という秘書仲間を誘って、参加することにしました。

リクード党といえばかなり強硬派が多いという印象があったので、どんな人かと思ったら、同世代の気さくな兄ちゃん。やわらかい話をしたあと、私からずばり聞いてみたいことを聞いてみました。「日本の靖国神社の問題をどう思いますか?」。すると、「アジアの平和と安定を築くためには日中韓の連携は必要だから注意深く見守っているが、その神社のことはよく知りません」と。大使館公使公邸での気さくな、しかもたかが秘書相手の”会話”なので、逃げたとは考えづらく、本当に知らなかったのかと、大変残念に思いました。つまり、それだけ中東から見た日本の近隣諸国の政治問題というのは、遠い国のよく分からない話なのだという肌感覚。

さらに続けて、小泉首相が提唱し、麻生外相が本格始動した、日本が直接関与を試みた中東の4者会議(日本・ヨルダン・パレスチナ・イスラエル)について訪ねても、良いことだと最大の賛意を示しながら、あまり関心もなさそうでした。この4者会談の枠組みは当時は画期的で日本のプレゼンスも高められる意義深いものと思っていましたが、現地の議員からはその程度の認識かと少しがっかりしました。

少し脱線しますが、そのヨルダンもお付き合いがあり、レセプションには必ず参加をしておりましたが、親父が参加すると必ずスピーチはジョークから切り込むらしく、私が初めて大使館のレセプションに伺ったとき、息子だから、と、いかにも何かジョークを言えとばかりに、中東他国の大使に紹介いただいて閉口した記憶があります。余談ついでに、昔から私は英語でスピーチする際に、よく「私の名前はOh!No!ですが、今から喋ることは良いことです」などとジョークを言っていましたが、親父と一緒に仕事をするようになって、親父が私と全く同じことを言っているのを聞いて、やはりDNAは恐ろしいと本当に気持ち悪くなった記憶があります。

本題にもどります。国連が少しHOTになりつつあります。パレスチナがなかなか進まない和平プロセスに業を煮やして、少しでも交渉を有利に進めるべく、国連に国家としての加盟申請をするしないで、国連が大騒ぎになっています。アメリカが拒否権を行使してでも加盟に反対の立場を鮮明にしましたが、アラブの春問題を抱えている英仏は困り果てて国連で緊張が走っています。日本は原子力政策をメインに持っていかざるを得ないのですが、国際世論を引っ張るだけの材料は全く持ち合わせていません。

日本は安保理常任理事国ではないものの、こういうタイミングでは、中東問題にも多少関与していくべきだと私は思っています。もう15年以上も、少数ではあるけれどゴラン高原に自衛隊をPKO派遣している国でもあるのだから、無関係でもないはずです。中東の平和は日本の安定に直結しています。アラブの春の支持、対米関係、そしてエネルギとしての原油の安定供給。前向きな国際的関与、貢献が、国際的評価につながり、国益につながってくるのだと思っています。

写真は駐日イスラエル大使と(当時)

背番号制度のゆくえ

 
アメリカの大学に移籍したときのこと。上陸直後に大学や役場で事務手続きをしているとソーシャルセキュリティーカード(SSN・社会保険カード)なる、青い単なる紙切れを渡されたのですが、作りが貧弱なことこの上なく、子どものおもちゃのカードだってもっと最近はまともだと思い、しからば大して重要ではなかろうと財布にしまったのですが、後から後から何とこのカード(番号)が重要かを思い知らされることに相成りました。これがいわゆるアメリカ版の背番号制度で、銀行口座から免許から何から何までSSNプリーズと訪ねられ、税金の申告などもこの番号に基づいて行われます。社会保障制度の恩恵もこの番号で受けられるとのことでした。

そして日本でも共通番号制が本格的に検討されています。いわゆる税と社会保障の一体改革の大綱のなかで本格的に盛り込まれたものですが、大賛成です。プライバシーの問題を解決できれば導入は是非行うべきです。

遡れば最初に国会で議論されたのは佐藤内閣のときというからかなり古い。結局、国家権力による国民個人の個人情報の一元管理やプライバシーが問題とされて頓挫。爾来、何十年もどうようの議論をしている間に、年金が中に浮いたりというとんでもないことが起きています。

民主党はもともと国民総背番号制にはかなり慎重で、自民政権下では特に民主中の旧社会党勢力が反対をされていましたが、国民総背番号制度までいかずとも、納税者番号制度には前向き、というのが結党以来のスタンスのようです。

いまだ具体的な方向性は全くでていませんが、やるなら国民総背番号制に近いハード&ソフトの整備を行って欲しいと思っています。納税者番号制度だけだと何が起こるのか。例えば役所の発行する番号は所管省庁で独自のものを導入しています。当たり前ですが、運転免許証、旅券番号、基礎年金番号などなどです。共通管理したほうが効率化はもとより、運用上可能性が広がります。きめ細かな行政サービスも可能になります。納税者番号だけにするのはもったいないと思います。

一方でプライバシーの問題。まず法整備を進めるべきです。今、個人情報が云々とうるさい、世知
辛い世の中になりましたが、役所の人が仮に悪さをしたら、今のところの罰則規定は2年以下の懲役か100万円以下の罰金です(行政機関個人情報保護法53条)。こんなんですよ。罰則が低すぎる。こういうところから整備していかなければならないと思います。

その上で、共通番号制の導入はハード面はいいとしても、どのように運用するのか、何ができるようになるのか、プラス思考でしっかりと議論しなければなりません。情報把握を十分していれば、災害時に義援金で生活保護が打ち切られたりといったことがないよう、きめ細かなサービスが可能になるはずです。あるいは、将来的に必然となる消費税増税の際に負担が増える低所得者層の捕捉と給付による補償というサービスをきめ細かにするなどといった話です。

国民総背番号制度の導入に際して、うがった見方として、税の捕捉率の話をされる方がいらっしゃいます。つまり、お金持ちの節税や脱税が同制度の導入によってやりにくくなるから、そういう方々と政治の癒着が導入を遅らせていた、という説のようです。事実とすれば全く憤懣やるかたなしと言えますが、昔はトーゴーサン(10・5・3)やクロヨン(9・6・4)といわれていたサラリーマン・自営業者・1次産業従事者の所得捕捉率の格差は、今では相当改善されているとのこと。あまり考え難い話ですが、導入を促進する話ではあります。

いずれにせよ、国民の情報を知らずして、より良いサービスなどできるわけなく、国民を守ろうという政治もできません。特に危機の時には本領を発揮するはずです。プライバシーを必要以上に声高に叫ぶのは異常に思えます。既に省庁別には種々の個人情報が収集されています。携帯などは個人情報の塊のような装置ですが、ダン・ブラウンでなくても、キャリア会社に情報が吸い取られているのは業界人であれば誰でも知っている話です。

サービスの向上のためです。

秋の夜話〜フランダースの犬と地方分権

 
フランダースの犬という漫画は日本では浦島太郎と同じ程度の社会的地位を築いていますが、物語が画かれたフランドル地方のベルギー、アントワープでは殆ど知られていないのが不思議だ、と、司馬遼太郎のオランダ紀行というエッセー集に収められていたのを、地方分権を考えていて思い出しました。

そのエッセーの主題は、大正時代に日本に渡ってきた物語が日本では語り継がれ、作家本国のイギリスやベルギーでは全く忘れ去られた理由を司馬遼太郎らしく、深く深く掘り下げて述べていらっしゃいました。

物語は、ネロ少年と祖父、そして飼い犬のパトラッシュが、貧しく不幸な境遇のなか、慰めつつ懸命に生き、しかし結局は疎外にうちひしがれ、息を引き取るというものです。

何故ヨーロッパで忘れられたのか。司馬遼太郎曰く、16世紀から起こった個人の自立と独立を説き続けた英国のプロテスタンティズムが、ネロの世界の19世紀にはヨーロッパに広まっており、15才にもなってなぜ雄々しく自由の世界に飛び込んで自らの道を切り開かなかったのかという点で、ヨーロッパでは不満に思われたことが、想像できる最大の理由だとのこと。

では何故日本でしか語り継がれないのか。司馬は忠誠心について触れていますが、個人的には、不幸な境遇にも関わらず諦めないで頑張る姿に共感するのだと思います。頑張ったけど結果ダメだった。それが「フランダース」。一方で、最後まで頑張った結果這い上がれたのが「おしん」。フランダースに「おしん」的要素を感じ取れるかどうかが境目になるだけであろうと思います(日本人にはできる)。だから、仮にネロの息を引き取るシーンがなければ「おしん」に通ずる世界中の大ヒットになったかもしれません。

地方分権が頓挫しています。野田首相は所信表明演説で地方分権については一瞬しか触れませんでした。地方の自主性独立性により、地方を活性化させることが日本を活性化させることだ、という方向性と目的は、自民も民主も変わらないはずです。プロセスはかなり違いますが、推進していかなければなりません。

ちなみに〜この物語を簡単に振り返ると、主役は、ネロ少年・祖父・パトラッシュという犬。ネロは、小さな小屋で祖父と牛乳運びをして生計を辛うじて立てている貧しい少年で、画家になることが唯一の夢と希望。祖父が提供する仕事を手伝って祖父を懸命に助けようとする。一方パトラッシュは、金儲け主義の権化に飼われ酷使され捨てられたところをネロと祖父に拾われ、祖父・ネロを牛乳運びの手伝いをすることで助けるという設定。この3者が、助け助けられのもたれあい関係で、訪れるいろいろな不幸を潜りぬけていくという物語ですが、祖父がなくなり、牛乳運びの仕事を失い、小屋を追い出され、最後の夢と希望であった絵画展への応募も落選となり、打ち破れて最後に教会に掲げられたルーベンスのキリストの絵の前で精根尽き果てて、パトラッシュに見守られながら息を引き取るという話です。

ヒュースケンと伊藤博文とケビンメアと

 
ヒュースケン。幕末から明治期のころの話。初代の米国駐日公使になったハリスの秘書兼通訳として日本に渡ってきた青年の名前で、好奇心旺盛で自由奔放な性格。それでいて、当時としては当然視されていた植民地支配に対する反対の論文を本国に送るなど、青年らしく勧善懲悪思想の持ち主でした。

ハリス同様日本びいきで、日米間の諸問題の解決に日本の立場を尊重しつつ尽力するわけですが、結局、生麦事件同様に攘夷思想に突き進んでいた志士によって殺害されてしまいます。この事件は事実上の不問になっていますし、歴史が動くほどの影響を全く与えてはいませんが、当時の日本にとって敵を知り己を知ること、とくに攘夷であればなおさらで、ヒュースケンを良く調べうまく使うこと、のほうが得策ではなかったのかということです。

歴史上、誤解や曲解で、本来葬るどころか助けなければ成らないのにもかかわらず、逆の動きをしてしまっている場合が多々あります。日本の伊藤博文は、外国語の能力が決めてとなって44歳の若さで初代内閣総理大臣になった人ですが、征韓論に猛反発し、戦争観は迫害あって一利なしとするものであったし、そもそも国際協調を重んじた発言が多い。それが、初代の韓国総督府総監になったものだから、韓国人から見れば悪の権化。案の定、ハルビンで安重根によって暗殺され(現在でも韓国では安重根は英雄視されています)、結果的に伊藤博文がいなくなったことで日本による韓国併合が早まったとさえ言われています。

東日本大震災の前日、ケビン・メアさんという在日米大使館で日本部長をされていた方(当時は沖縄総領事、現在は国務省退官)が沖縄に関しての失言で辞任に追い込まれました。当時、ブログでも触れましたが、日本人の奥さんがいらっしゃって沖縄に長く住み、国務省でも知日派として知られる人でした。最近、決断できない日本というタイトルの本を出版され、メディアにもよく登場されているので思い出しました。日本政府の震災対応について大きく考えさせられるご意見を述べられていらっしゃいます。

いずれにせよ、失言であぁなった以上、辞任は当然だとしても、辞任は当然である以上に残念であり、またそれ以上に、辞任に追い込んだ当時の報道のあり方やリークしたとされる学生と担当記者の関係など、残念なことは多い。さらに言えば、ケビンメア氏はどういう人物なのか、ろくに調べもせず、感情論でヒュースケン同様に政治的に抹殺してしまったことは、日本人は反省しなければならないと思います。

敬老

 
敬老の日が近づいております。子どものころから敬老の日には語感的に親近感が沸きます。敬太郎v.s.敬老。単純な話ですが、こうしたことでも人間嬉しいものです。今日も、前倒し実施されたとある団体の敬老会にお邪魔してまいりました。

私が生まれたときは、75歳以上のお年寄りは200万人程度。それが高々40年程度で、1200万人。驚くべき変化です。これは年金や介護、医療などの制度設計上の構造的問題であり、また就労人口の減少を通じた産業等活力の衰退もあります。そうした考え方に立てば、少子高齢化は明らかにネガティブなイメージです。

しかし、逆に考えれば、私が生まれたときには200万人しかいなかった経験豊かな方、知恵のある方が、1200万人に増えているということになり、それは大変喜ばしいことであると思っています。私の母が祖母に、種々の慣わしや決まり事について、こまごまとえんえんと、聞いていたのを子どもながらに良く覚えていますが、そうした知恵は年の功です。

ただ、政治として、こうした賢者を温かい環境の下、安心して暮らしていただけるように制度を抜本的に変えていかねばなりません。

社会保障については、大きな課題ですので、近日中に詳細について触れて見たいと思っています。

月と祖父とアメリカのお婆ちゃん

 
中秋の名月。落ち着いて月でも見ながら団子を食して秋を感じたい気分なのですが、今日はいたるところでお月見の会があり、そうもいかず、結局右往左往して文化的雰囲気に浸る余裕はありませんでした。毎年の事ながら、私の住んでいるコミュニティーのお月見会には、がんばったものの間に合いませんでした。これが毎年の悔いの一つなのですが、地元の毎年恒例のお月見会一つに金子正則知事を偲ぶ月見の会というのがあります。私にとって月と言えば金子知事であり、金子知事と言えばアメリカを思い出させます。

アメリカの大学に研究者として籍を置いていたときのこと。その大学はベトナム戦争後の反戦運動やリベラル思想の中心地であり、ヒッピームーブメントの発祥の地であることは、政治とは当時無関係な世界にいた私でも知っていました。であればこそ、とにかくそうした思想の源流がどこにあるのか、肌で感じてみたくなるのは人間の性であり、渡米直後の2〜3ヶ月は地元の人が出没するところには良く顔をだしていました。

そして、ひょんなことで知り合ったお婆ちゃん。お招きいただいたのがきっかけでしたが、こちらも先ほどの源流に触れられるのではという下心もあり、おばあちゃんとしても話相手ができて嬉しいだろうと独りよがりのWinWinケースだと勝手に思い込んで、毎週訪ねては30分くらいのおしゃべりをしに行くようになりました。

このお婆ちゃん、驚いたことに、戦後の混乱期に香川県にご主人と共に暫く滞在され、金子知事のもとでアメリカ文化を日本に広める活動をしておられたとのことでした(日本で言えば国際交流基金の活動でしょうか)。当然、私の祖父の大野乾も良くご存知とのこと。祖父の大野は、当時としては珍しく外国語専門の大学に行くほどに海外に興味があったのか、恐らく、副知事としてこうしたお婆ちゃんの仕事にも大きな関心を示したに違いありません。

私自身、この祖父が他界してからこの世に生を授かったので、祖父と直接接することはありませんでしたが、中秋の満月は、祖父やアメリカのお婆ちゃんという素敵な思い出を毎年プレゼントしてくれます。

危機の政治

 
え〜やんか。第一印象です。民主党代表選と本会議を経て野田新首相が誕生しました。2日に正式に野田政権が発足します。国民の生活が第一、コンクリートから人へ、真の政治主導、子供手当て・・・。矢継ぎ早にキャッチーな政策を打ち立ててきた民主党がまずやらなければならないのは、政治に対する信頼の回復です。であれば、党の都合で、野党と組んだり離れたりは、特に今の危機の時には絶対に避けるべきです。

危機の時には、何をどうやるか、よりもまず、何をどうやり続けるか、の方がはるかに重要なはずです。

であるならば、野党は、政策でこそ与党の批判をすべきは論を俟ちませんが、政策的に本質的でないことで批判をすべきではありません。逆の真なり。今やるべきは、政治に対する信頼の回復であり、そのためには、パフォーマンスや選挙目的ではなく、粛々と、目立ちはしないけれど、日本のためにやるべきことを前に進めることであると確信しています。

舵取り役・・・

 
もうすこしで一国のリーダが決まりそうですが、政策の切り口を重視して各陣営を論じているマスコミは一社もありません。どこの社も、誰が誰にお願いをして・・・。自民党政権時代にも感じましたが、本質があるのに本質じゃないところばかりマスコミが追いかけるので、結局本質なんかないのではないか、と国民が思ってしまう。

これから任期一杯までの役割りとは、円高や電力や税制などを如何に切り盛りして日本の経済を世界から零れ落ちないようにするのか、と同時に、日米関係の修復をしっかりして世界の中の日本を再構築するか、しかないと思っています。そしてマスコミを通じて見る各陣営は、それらの方向性が微妙に違う。ですから、日本の方向性もこれで違うのです。そして今は非常に大切な時期でもあります。

もちろんマスコミさんはボードなどを使って各陣営のコメントを紹介したりしていますが、やるべきは、それぞれのコメントで日本は転がり始める方向性の利点と欠点を分かりやすく国民に示すことではないでしょうか。「こうしたら、これがこう良くなります」とは各陣営は言いますが、「でも、こっちがこう悪くなります」とは言うはずがありません。まとめ役を是非マスコミに担っていただきたいものだと思います。自民党政権時代にマスコミさんが行った誘導ではなく、本当の日本のための政策論議番組を作って欲しいと切に願うものです。