エネルギ政策について

マリー・アントワネットの生まれた前日の1755年11月1日(小生の誕生日)、ポルトガル・リスボンで大地震が発生し(M9)、津波だけで1万、全体で5万とも6万とも言われる方が亡くなられたとも言われています。王と宰相は、町の秩序を完璧に守ると宣言し、リスボンの町の中央には、略奪者に対する見せしめとして絞首台が置かれたと伝わっています。そして1年後には町中を建設現場にし、広い広場と広い道路の土台を築いたと伝わっています。

しかし、大航海時代のスペインかポルトガルか、という時代は、この大震災から大きく変り、現在に至ってもポルトガルは、世界の1・2を争う国ではない。

当時で言えば、ポルトガルは、今のアメリカ合衆国と言える国。そして、日本と同じように、面積が狭く加工貿易国であることを考えると、今の日本の現状を見れば、政治は日本の将来を100年くらいのロングスパンで考えなければならないと考えます。

福島原発問題を受けて、巷でエネルギ政策の議論が活発に行われています。小生の考えは以下の通りです。

・原発は当面絶対に必要で、すぐに全面停止は論外。
-理由。資源を持たない国で加工貿易として成り立つためには電力の安定供給は必要不可欠である。火力・石炭は資源に限界(環境・埋蔵量)。水力は少発電量。太陽は非安定供給&コスト。全面的に原子力に頼ることは避けなければならないが、2〜30%は維持すべき。
-であるならば、一段と安全の敷居を上げ、コストがかかっても防災設備を設計するべし。
-そして防災の観点で浜岡原発が停止になったのは理解。
-しかし、停止に至ったプロセスは極めて問題(極秘案件ではない)。
・一方で代替エネルギの研究は原発継続よりもさらに必要。
-日本近海の埋蔵資源であるメタンハイドレートの実用化研究を更に推進すべし。

-原発はしばらく継続するとしても、徐々に代替エネルギに転換していくべき。

いろいろ書きましたが、一言で言えば、今は原発は絶対に必要ですが、大体エネルギの研究を一所懸命して、原発依存比率を数十年スパンで低下させていくべきだと思っています。

先ほど触れたリスボンでは、地震を受け、宰相が、当時から見れば不必要に広い広場と、不必要に広い道路を作りました。当時の市民から馬鹿にされたとも伝わっていますが、それが今の町のベースになっています。不要ではないかと問われた宰相は、「いずれこれでも狭くなる」と言ったのだそうです。

現在の日本の宰相には、周りの意見を気にせずに、論理的に整合性のある、考えれば納得のいく、国民から冷たく言われても、「いずれこれでも」とおっしゃれるぐらいの哲学と理念で、長期スパンのエネルギ政策を推進していただければと思っています。

ムンクやらゴヤやら将来不安やら

「叫び」で有名なムンクの作品に「マラーの死」というのがあるのを何とはなしに思い出しました。「マラーの死」といえば、ダビッドの代表作で、どちらも強烈なインパクトがある絵画ですが、このムンクの作品には将来不安をほのめかすような気持ち悪さがあります。


(ムンク「マラーの死」:出典wikimedia)


(ダビッド「マラーの死」:出典wikimedia)

題材にあるマラーとは、フランス革命時代、急進的に革命を推し進めた革命家のリーダであり、これらの絵画は、マラーが対立する派閥の熱烈な支持者であるコルデ(女性)に、入浴中のところを殺害された事実を題材にしたものです。

で何を申し上げたいかと言えば、大原美術館の館長をされている高階さんによれば、もともと政治的な意味合いの強い題材なのにも関わらず、ムンクは、個人的な男女の愛憎劇としてマラーの死を題材に選んでおり、それが当時の世相を如実に現しているとのことです。

というのも、1900年前後の欧州というムンクの時代は、経済的には成長を遂げはしたものの、欧州列強同士の激しいせめぎ合いと、人類初となる戦争と言う大量殺戮の狭間のなか、漠然とした将来不安に包まれている時代でした。

そしてついでに思い出すのが、ゴヤという日和見主義の画家の「我が子を喰らうサトゥルヌス」という作品。


(ゴヤ「我が子を喰らうサトゥルヌス」:出典wikimedia)

サトゥルヌスとはローマ神話上の神のひとつですが(サターン)、将来自分の子に殺されるという予言に恐れ、錯乱し、子を食い殺すという残忍な神話を題材にしたもので、将来不安に打ちひしがれて狂気に陥るということだと思いますが、実に気持ち悪い。

そんな作品が思い浮かべる必要がないような時代に是非していかなければなりません。

普天間の行方

普天間の議論は、2005年合意と続く2006年合意によって、ほぼ地元と米側との刷り合わせができていました。移設先は辺野古沖であり2014年までに移設完了を目指すという内容でした。ところが、皆様ご存知の通り政権交代によって議論が迷走し、紆余曲折の結果、アメリカとは、移設先は元通りの2006年合意と同じ辺野古崎にしましょうという合意が為されました。無駄に地元の期待値だけを上げた結果、地元の合意を得るのはほぼ不可能になっております。

小生は、2005年合意に立ち会っておりますし、実際に沖縄に何度か足を運び問題点を自分の目で見てきた者としては、非常に残念に思いながら、事の進行を見守っています。

そして、議論が暗礁に乗り上げた結果、最近、日米政府間では、普天間で固定化しようとするような流れがでてきています。具体的には、近くに開かれる日米の外務防衛両閣僚による会議(通称2+2)にて、先に申し上げた移設完了予定時期である2014年というのを断念することを正式に発表する段取りになっているとのことです。しかもこれは米側からの提案だそうです(5月7日読売新聞)。

なんという責任感のなさ。そんなことはないだろうと思いながら、本質的な問題を理解していないのではないかと思うと、残念で成りません。あるいは、沖縄問題、普天間問題は、政権にとってどうでもよいことになっているのかもしれません。

災害に全面協力してくれている米側に配慮した内容だということなのかもしれませんが、それはそれでこれはこれだと考えます。(写真は普天間飛行場を上空から視察しているところ)

護国神社春季例大祭

今年も善通寺の護国神社にて、春季例大祭が厳粛に滞りなく執り行われました。今年の大祭委員長は、参議院議員の磯崎よしひこ先生です。祭祀は非常に共感するもので、日本人の美徳としてきた道徳心、絆や和、協調など、失われた伝統ある心を取り戻すことを、英霊の前にお誓い申し上げるというものでした。

以前にも申し上げたかもしれませんが、私もそう強く思います。ローマ人は自らを律するものを法律に求めました。ギリシャ人は哲学くに、ユダヤ人は宗教に。であるとすれば、日本人も、自らを律するものを何かに求めるべきではないか。それは、まさしく磯崎先生のがおっしゃられた心をであると信じて疑いません。具体的には教科書など教育くだと思っていますが、また長くなるのとしかられますので、今日はこのへんで。

東日本に届け香川のエネルギー

どろんこクラブというNPOに参加しています。

http://doronko.ashita-sanuki.jp/

一言で言えば3世代地域交流拠点の提供です。そのどろんこクラブの1周年記念行事に先日参加してまいりました。種々のイベントがありましたが、被災地に元気を届けようと、「がんばろう東日本」の掛け声とともに、餅投げ(実際にはスナック菓子)をやぐらの上から行いました。

小生が投げさせていただきましたが、掛け声を掛けているうちに、本当に届いてくれそうな気になるものです。

自粛ムードはそれほど酷くはないですが、もっともっと西日本が元気になって、東にエネルギーを遅れればと思います。

また、丸亀お城まつりの巨大人文字プロジェクト「がんばろう日本」。大成功だったそうです。実行委員の皆様大変お疲れ様でした。これも、かならず東日本にエネルギーが届くと信じています。

憲法制定65年に際して(一日遅れですが)

 
憲法制定から65年目を迎えました。と昨日書こうかと思いながら寝てしまいましたので、本日触れてみたいと思います。

大震災が発生した現時点で改めて憲法を考えると、国家の危機に際する日本の政体が、極めて無力であると思わざるを得ません。

一つ目は、一言で言えば、国家の危機を想定した憲法条項を新設することを検討しなければならない、ということです。主要国には、こうした条項が存在します。もちろん、危機状態に陥った際の、当局の必要以上な超法規的措置によって権利が過剰に侵害されることを防止する目的もあると聞きます。しかし、危機と認定された場合には、必要な措置はリーダが講じるべきであり、それには憲法上の根拠が必要になると思います。

古代ローマ時代、国家の危機に際して種々のアイディアをローマ人は出しています。共和制時代、破竹の勢いで版図拡大に成功したローマは、共和制の限界を感じ始める。

共和制では、2人の共同執政官(2人体制も斬新・互いに独走しないよう牽制しあう)が陣頭指揮をとり(総理大臣みたいなもの)、執政官は貴族集団である元老院が推薦するとともに市民の選挙で選ばれ、そして貴族が暴走しないように、市民から護民官という全ての政策に拒否権をもつ存在がありました。意外かもしれませんが、極めて日本的な合議制、和を以って尊しとなす的な政体でした。しかし、国家が危機に陥った際には、独裁官という任期半年の官職を用意し、独裁官の決定は、護民官の拒否権や元老院の決議よりも優先するという政体でした。

もちろん今では信じられないような政体ですが、アイディアではあります。

そして憲法のからみで言えば、二つ目は、小選挙区と政党政治の問題と、二院制の問題を指摘しておきたいと思います。

小選挙区制度は、政党による政治を強化するべく導入されたもので、現在、確かに二大政党になっています。しかし、内情は、もちろん政策論議も活発ですが、結局つきつめていけば、政局論争ばかり。これではどちらかの政党が圧倒的多数を長年続けなければ、政治の安定なんて夢幻で終わります。例えば、選挙毎に、自民になったり民主になったりすれば、本来長期スパンで考えなければならない社会保障制度などが、選挙毎に変る。これほど壮大な無駄遣いはありません。

なぜこうなるのか。基本的には、ねじれ国会になったときに、優先権が定められていないことです。野党はがんばれば、国会を止める事ができる。そうなれば、いかなる手段を駆使してでも、空転させようとする。つまり、良識の府が、政争の府になってしまう。

であれば、憲法上、そのような虚しい状態にならないよう、何らかしか規定すべきではないか。憲法でなくとも、少なくとも再可決要件を2/3から1/2にすべきであると考えます。

ちょっと長かったですが・・・すいません。

ちなみに、憲法については、ほかに多くのことを感じます。それはまた後日改めて。

桜とお茶と日本人

桜の季節も終わり、少し暑く感じる日も多くなりました。

 桜。この、日本の象徴とも言うべき存在。日本人の精神を表すような素敵な存在。短く儚い存在。あと、何回見れるのかなと感傷的になったりもします。そして必ず毎年咲くという力強さも感じ入ったりします。

今年は震災の影響で花見を自粛するところも多くありました。自粛するのも道。しないも道。実施されたところでは必ず募金運動をされていました。これも心を感じます。

ところで、今年は小生にとってはじめてのお茶会デビューとなりました。申年で何事にでも結構興味関心をもつ方で、作法は知ねどプロセスは大体は存じ上げてはいましたが、玉砕です(お正客でもないのに喋ってしまったり、茶碗を拝見するに空高く持ち上げてみたり、と、知らなかったとはいえ、後で赤面の無作法ぶり)。

しかし、参加すれば意外と楽しいお茶会でした。

ちなみに、昨年聞いてきた話ですが、「桜の花びらを、お茶に煎じて飲むと、動悸に効くというのは、皆様ご存知でしょうか?同期の桜と言いますから。

世界の眼

およそ10年前に小生が衝撃というか悔しさというか、そうした感情をもって一文字一文字読んだ海外雑誌がある。英国のThe Economist誌です。

(The drift in Japan)

滝に飲み込まれようとしている危機的状況にある屋形船(日本)の上で、のんびりと釣り糸を垂れている船頭さん(政治)。沈むなら世界に迷惑を掛けずに静かに沈みたまえ、という内容でした。

それから10年。

日本は少子高齢化とデフレに喘ぎ、痛んでいます(JAPAiN)。

そして、けな気に負担に耐えています(Japan’s Burden)。

そして、日本を変えた政権交代があり(The vote that changed Japan)。

そして、リーダ不在と言われ(Leaderless Japan)。

そして、今、災害のあと、落ちようとしている日の丸を必至で支える現場従事者が画かれています(The fallout)。

なにか侘しさを禁じえません。

そういえば、地方主権?

  

民主党がいよいよ目玉の地方「主権」の文字を使わないようにする方針を固めたそうです。野党に配慮した結果とのこと。と言っても何のことか分からないと思いますので少し説明します。

自民党政権時代、政府は道州制を視野に入れた地方分権改革をすすめてきました。「分権」です。しかし、民主党は、分権ではあくまで国があって権利を地方に分け与えてやっているようなイメージがあるので、地域中心だから地方「主権」とした。

民主党の言葉の使い方は選挙的にはキャッチーで素敵です。"Change"とか言われると、私もホロホロしてしまいますが、政治や外交を少しかじれば、主権、と言う言葉の定義はなんだっけ?と思ってしまいます。

たかだか言葉と思われるかもしれませんが、言葉によって思わぬ方向に議論が持っていかれることもあることを考えれば、不用意にあらぬ方向に走りかねない言葉を使うのは問題だと思っています。

主権とは(政治学入門、山岡龍一)、「一定領域内における最高権力であり、あらゆる権力のなかで究極的なものである」。

で、何が言いたいかと申し上げますと、地方「主権」と言う言葉だと、目指す意気込みとかは伝わるのですが、では最終的に、ぶっとんだ県知事が現れて、県の軍隊を作る、とか言っても阻止できない枠組みになる可能性がある。少し大げさですが、要するに、アメリカ合衆国よりも更にばらばらな日本となり、もはや日本ではなくなる、ということも考えられます。

ということで、ずぅ〜と主張してきましたが、こういう状態で主権の文字がなくなるのは少し寂しい気がします。

中小企業支援スキーム

  
震災関係で間接的にせよ被害を受けている中小企業向けに支援スキームが発表されています。下記の中小企業庁のページを一読いただければと思います。

http://www.chusho.meti.go.jp/earthquake2011/index.html

なお、香川県のスキームもありますので、適宜参考ください。

http://www.pref.kagawa.lg.jp/seisaku/keizai_koyou/index.html