検察庁法改正案は何だったのか

反対運動が沸き起こった検察官定年延長を巡る検察庁法改正案。今国会では見送られ廃案も検討されているという報道もありました。奇しくも政界疑惑が続いてきたなかで、政権が検察庁による捜査を阻止するために人事に介入したのではないか、との疑惑が広がり、特にコロナ対策が最重要課題であったため、批判が拡大しました。さらに渦中の黒川検事長は、まったく情けないことに緊急事態宣言下令下でかつ同法案大揉めの真っ最中に賭けマージャンを行っていたことが発覚し辞任。処分内容や退職金を巡って更に情けない尾ひれがついています。

今回は、この騒動で思うことを書き残しておきたいと思います。そもそもこの法案、どのような背景で、何の話で、政権は何を目指し、何に反対があり、私がどのように感じているのか、について触れていきたいと思います。

1.はじめに

まず初めに、簡単に、どのような制度改正が目的でどこに批判が集まったのかに触れます。制度改正の内容は、細かいことは後に述べるとして、検察官の定年を現在の63歳から65歳にすること、そして、65歳を超えても定年を延長できる特例制度(勤務延長制度)を導入すること、が目的でした。つまり、定年を延長することと、その定年を更に延長できる制度を導入する、ことが主な目的でした。批判が集まったのは後者の方です。

今回の騒動で問題になったことは大きく分けて2つに整理することができます。1つは政権に近いと言われた黒川検事長を政権が都合よく検察トップに据えるために無理やり勤務延長制度を導入して定年延長したのではないか、ということと、そもそも定年延長制度が検察の独立性を脅かすことになるのではないか、ということです。前者を黒川問題、後者を定年延長制度問題と称することにします。

問題を複雑にしているのは何かというと、定年延長の議論は以前から真っ当なプロセスでなされてきたものの延長線上にあるものなのですが、政権が今年1月に法案を通す前であったにもかかわらず、解釈の変更で定年延長制度導入を唐突に行ったから、いよいよ黒川検事長の続投を無理に通して政界疑惑追及回避を狙ったのではないか、との疑念が生じたことにありました。その結果、法案にもミソが付くことになります。いずれにせよ、この2つは絡み合っておりますので、以降、整理していきたいと思います。

2.検察と民主主義について考える

詳細に入る前に、内閣の独断により政界疑惑をも捜査立件できる検察の独立性が脅かされるのではないか、つまり政権の悪事を捜査立件する機関がなくなるのではないか、という、そもそもの国家構造の問題、検察と民主主義の問題が提起されていましたので、まずはこの問題について考え方を整理しておきたいと思います。

強大な権限をもつ検察と内閣の2つの組織は、常に権力構造の緊張関係が重要になります。本質的には検察の独立性と国民による監視をどう両立させるかという問題です。現在は緊張関係が法律と慣例、制度と運用によって保たれています。ですから、誤解を恐れずに言えば、法律に規定したから構造上問題ないという性質のものではなく、常に不断の努力で緊張関係を維持していくことが重要なのだと思います。

例えば現行法でも、法律だけ読むと、検察トップ層の任命権は内閣にあります。なので今でも内閣の独断で検察トップ人事を決められるように見えます。でも実際にはそうならない。言うまでもありませんが検察には公正な捜査が必要とされるので独立性が重要です。内閣が暴走して検察に政治介入したら大変なことになります。ですから政治介入は慣例上運用上制限されてきました。一方で制度と言う意味では、検察の独立性を人事面で構造上担保しているのは、非常に厳格な罷免制度です。普通の国家公務員にはない特別の身分保障がされているということです。つまり、一旦任命されれば、検察が政治家の汚職を追求しようが総理大臣を逮捕しようが、辞める必要はないので幾らでも追及できるという構図になっています。

では独立性が重要なのになぜ政治である内閣に任命権があるのかというと、絶大な権力を有する検察の暴走も心配だからで、検察も国民による監視の下に置く必要があるということです。思えば検察も時々暴走してきました。例えば以前、厚生労働省の元幹部職員が検察に逮捕起訴され無罪となった事件がありましたが、なんと担当検事の証拠改竄が発覚するに至り、国民の批判が集まりました。検察も暴走する可能性があることを世間に晒した事件ですが、こうしたことはときどき起きています。

検察庁というのは、もともと戦前は大審院(最高裁)の下に置かれていました。司法の一部であって、自分で捕まえて、自分で裁く、という絶大な権限があった。ところが占領軍から見たら極めて不完全な三権分立と映り、現在の行政組織の一部となり、国民監視の下に置くため選挙で選ばれる政治で構成される内閣の監視下に置かれ、それが内閣の任命権に繋がっています。

今回の反対運動は、内閣の恣意的判断で人事が行われれば検察の独立が脅かされる、との理解だと思いますが、以上に述べた理由で、検察と内閣の権力関係の構造は、定年延長制度を導入しても直ちに変わるわけではありません。現行ルールでも、やりようによっては、独立が脅かされる、政界疑惑追及ができなくなる、ということは起こり得る話です。一方で、構造的には定年延長制度が導入されると延長対象者が一般化され内閣の影響が強まると考えることもできるし、極めて限られた場合だけに適用されるのだと考えれば、影響力はほとんど変わりません。

つまり、誤解を恐れず言えば、定年ルール変更で検察と内閣の本質的な権力構造が決定的に変わることはないのですが、制度が変化したときに生じる緊張関係のバランス変化は、不断の努力によって保たなければならない、ということです。ここが重要なのです。定年延長制度導入で大変なことが起こるという批判が相次ぎましたが、そういう性質のものではそもそも全くないのだと思います。

検察官OBが法改正反対の意見書を提出しました。詳細は後述するとして、権力の緊張関係を適正にとるための意見だと見れば極めて意義のある意見書ですが、検察は内閣を通じた国民の監視下に置かれる必要はないとも読める内容であって、そうだとすれば現行法をも否定する検察独立至上主義の考え方にも見え、それこそ三権分立を脅かす意見書だとも言えます。検察OBはそこを指摘したかったわけではないはずで、恐らくその主張は、黒川問題に対するものであったはずです。

ですから、繰り返しになりますが、権力の緊張関係をどのように保つのかが一番本質的な課題なのだと思います。今回の騒動で、世の中の単純な非難合戦を見るにつけ、野党がそういう構造を分かっていながら(どう見ても分かっていない方もいましたが)政権追及をするのは分からなくもないのですが、国民の皆さまを違った方向に誘導するのではないかと懸念しております。つまり、検察の独立は絶対だと思う人が多くなった時にこそ、三権分立が脅かされるのだという部分です。

多少余談になりますが、以前、戦時中の政治史について学んだ際に、当時の政治機能が現代のそれと、それほど大きく変わらない本質を有していたことに驚かされました。当時、様々な政界疑獄事件が相次いで発生し、国民意識は政治=悪であって、唯一信頼できるのが日本を懸命に守ってく下さる軍隊というものでした。法構造上、当時の政治は今より遥かに強い権限を持っていたにもかかわらず、軍隊を全くコントロールできなかったのは様々な理由がありますが、少なくとも政治が軍隊に反対すると国民の反発が避けられないという構図もあった。すなわち信頼を失った政治はどのように民主主義を制度で担保しようが崩壊していく運命にあるという、とてもナイーブな構造にあるのだと思います。ですから、信頼を獲得していくことが如何に大切か、そして政治は手前勝手な正義で政策を実行していくのではなく、国民との健全なコミュニケーションを保って正義の健全なアップデートとフィードバックを図らなければ、結果的にトンデモ行政組織ができていくのだと思います。

3.黒川検事長定年延長と法律案の事の発端と疑念について

具体的な話に入ります。事の発端から話を始めたいと思います。事の発端は2つ。1つは黒川検事長の定年延長がどのように決まったのか、もう1つがこの法律案がどのような目的でどのような経緯で俎上に載ったのかです。

3-1.黒川検事長と閣議決定

今年一月、内閣は検察官の定年に関する閣議決定を行いました。内容は定年を迎える検察官の勤務延長です。勤務延長制度は一般の国家公務員に認められた制度で、内閣が認めれば3回まで1回につき1年以内定年を延長することができるという制度ですが、検察官にはないとされていました(検察官の定年は検察庁法で、一般の国家公務員の定年は国家公務員法で規定)。内閣は検察官の定年制度の解釈を突如変更し、検察官にも他の国家公務員同様の勤務延長制度が適用されるとしました。そして適用の第一号となったのが政権に近いと言われている黒川検事長でした。

氏は本来であれば今年2月に63歳を迎えそのまま定年を迎えるはずだったのですが(法律上検察官の定年は63歳、検事総長のみ65歳)、上記の勤務延長制度の援用で8月まで延長されました。理由はカルロス・ゴーン事件等やIR事件を含む遂行中の事件捜査に対応するには同氏の指揮監督が必要不可欠というものでした。政界疑惑で検察の活動が注目されることが多かった時期に重なりますので、様々な憶測を呼び、批判されることになります。結局、端的に申し上げれば、この閣議決定が黒川検事長を検事総長にするためであったのかどうか、勤務延長制度の導入で内閣の影響力が強まらないのか、について検証を進めたいと思います。

3-2.検察庁法改正案

法改正が遡上に載ったのは、数年前からの議論の延長線上にあったことであって、直接疑惑とは関係ありません。ご存知の通り公務員の定年延長の議論は随分前からありました。昨今の労働力不足から民間には65歳までの定年延長を促しており、年金も一元化され受給開始年齢を段階的に65歳にしています。そこで公務員も同趣旨で現在の60歳定年を延長すべきだという議論がありました。そして平成30年に、人事院が内閣に意見申出を提出したことで、議論が進展し、定年を65歳まで段階的に延長し60歳以上は役職定年として人件費を削減する国家公務員法改正案に繋がっています。

http://www.jinji.go.jp/iken/moushide.html

前述の通り検察官は別の法律で規定されていますので検察庁法改正の議論もでてきます。同法では検察官の定年は63歳(検事総長のみ65歳)となっていました。そこで国家公務員法改正に合わせて65歳にすることが議論されました。ところが単純にはいかないのが前述の勤務延長制度です(定年を3回までに限り1回1年まで延長できる制度)。もともと検察官には勤務延長制度がないため、当初の改正案は単純に定年を65歳にするとされていましたが、後に一般国家公務員と全く同じように勤務延長制度が追加されました。疑問が呈されたのが、追加された部分が先に述べた閣議決定を正当化するためだったのではないか、というものです。

いずれにせよ、問題は勤務延長制度のところだけで、それが果たして黒川検事長を定年延長するためだったのか、つまり前者の閣議決定を合わせて考えた時、黒川検事長のための閣議決定とそのための法律案追加だったのかということ、そして、そもそも検察官の勤務延長制度が本質的に妥当なのか、に集約されます。

4.黒川問題

4-1.黒川検事長を検事総長にするための法改正案だったのか?

すでに述べましたが、この法律が成立しようがしまいが、黒川検事長が検事総長になるかならないかとは全く関係ありません。黒川検事長が検事総長になるためには定年延長が必要でしたが、定年延長は、既にその前に閣議で決まっていました。ここは社会的な批判の大きな誤解だったと思います。ただ、そもそも法律案に追加的に埋め込まれた定年延長制度が閣議による黒川検事長の定年延長を正当化するためのものであったのかどうかは未だに解明されていません。そして、法律改正が先送りになった今、法改正を前提とした閣議決定だけが残り、不備のある状態になっているのだと思います。閣議による検察官定年に関する運用解釈変更は直ちに違法ということでは決してありません。しかし法改正を前提として閣議で見直すまではいいとしても、運用を開始するのは法改正を待つべきであったのだと思います。

4-2.黒川検事長を検事総長にするための閣議決定だったのか?

閣議決定で黒川検事長の定年が延長されているからといって、直ちに黒川検事長が検事総長になることはありませんでした。それは、明々白々に、現職の検事総長が辞任しなければ就任できないからです。そして検察官は独立性を担保するために厳格な罷免制度が適用されるなど特別の身分保障がされていますので、普通の人事で罷免されることはありません。そこで、現職検事総長がいつどのような形で退官する可能性があるのかがポイントになります。

現職検事総長は今年8月13日で64歳。自ら辞任しない限り65歳になる2021年8月13日まで勤務可能です。なので、世間の批判がない静かな状態で内閣が黒川検事長の検事総長就任をもくろんだとしても、黒川検事長が”確実”に検事総長になれる資格を得るのは、2021年8月13日からです。そしてその時までには少なくとも3回の勤務延長を黒川検事長に対して行わなければなりません。3回も「退職により公務の運営に著しい支障が生ずると認められる十分な理由」を内閣が示し続けることは端から困難です。

一方で、現職検事総長は慣例通り今夏辞任すると政権が考えたのではないか、という疑念もでてきます(検事総長は2年で後任指名し辞任するのが慣例だそうです)。こうなれば議論してきた疑惑が完全に吹っ飛ぶくらい検察自体の信頼が失墜します。いわば黒川検事長の信頼どころか検察庁全体がそもそも腐っているということになります。

なぜならば、黒川検事長がもし正義より政権忖度を優先する人物ならば、その上司である検事総長はそれを知っていたと考えるのが自然で、慣例とは言えど辞任すれば黒川検事長が検事総長になる可能性があり、それを許すような検事総長であれば自らも政権忖度したことになる。そうなれば組織全体がそもそも政権に忖度するような組織であったということになります。これには私は少し無理があると思います。現職検事長は慣例を無視してでも検事総長を辞さないことで正義を守ることになると考えるのが自然です。検事総長が政権に忖度する理由も見つかりませんし、そもそも検察庁の信頼を失墜させてまで忖度する理由もないからです。

そして検察人事制度を変更するというおよそ慎重にも慎重を重ねなければならない決定を黒川検事長の勤務延長のために法律案の修正と閣議決定をしてまで行う、しかも行っても確実に検事総長になるとは限らない、というのは、検察沙汰になっている政界疑惑があるなかではありましたが、ロッキードのような官邸がからむ政界疑惑の大事件の立件を検察が抱えている事実はなく、検察に断念させるためではなかったのかと考えたところで、政権が命運を賭ける対象としてはバランスに欠ける着想としか言えません。

しかし論理としての可能性は排除できず断定はできません。一見どう見ても政権が黒川検事長を検事総長にしたくて定年延長制度を導入したように見えますが、黒川検事長を検事総長にするために法律案まで変えて閣議決定までした、というのは自然ではないと思います。であれば、内閣にはより明確な説明責任があるはずです。しかし一方で、以上は黒川=政権のいいなりを前提とした導出であって、仮にそうでもないのだとしたら、政府にとっては悪魔の証明になり、怪しさだけが残る後味の悪いものになりました。

5.勤務延長制度は検察官の人事制度に馴染むのか

本質的な問題に入りたいと思います。それは今回導入された勤務延長制度が検察官の人事制度に馴染むのかどうか、妥当なのかどうかです。導入された勤務延長制度は国家公務員制度を援用したことは既に申し上げました。しかし違いもあります。一般国家公務員の勤務延長制度は、人事院というこれも内閣から独立した組織が妥当性をチェックするしくみになっています。しかし、人事院は検察官の独立性を尊重する観点からこれまでも検察官人事には介入しないことになっていました。従って、今回の検察官勤務延長制度では、他のチェックが入らない仕組みになっています。

そこで構造的に何が変わるのかを考えたいと思います。まず、仮に全ての検察官について勤務延長が前提になる制度だと考えると、内閣が認めなければ退職する、ということになり、罷免の考え方の範疇に入ってしまいます。これは、先にも述べてきた特別の身分保障である非常に厳格な罷免制度に関わることになり、内閣の影響力が従前より大きくなると考えられます。しかし実際には基本原則は65歳です。現行制度上の一般国家公務員の勤務延長制度で、延長を目指して幹部職員全員が官邸忖度を強めているのかという視点でみれば、この見方は自然ではありません。それは、一般国家公務員のケースでの実体がそうなっていないことからも明らかです(実態上勤務延長ルールが適用される公務員は極めて限定されています)。

従って繰り返しになりますが権力の緊張関係をいかに保つのかに努力を傾注する方が健全です。一層の事、検察の人事権は内閣関与の元、人事院に移してもいいのかもしれません。いずれにせよ継続審議するのであれば更に深い議論が必要なのだと思います。

5-1.検察官OBも法律に反対しているではないか。

反対意見書では、「これまで政界と検察との両者間には検察官の人事に政治は介入しないという確立した慣例があり、その慣例がきちんと守られてきた。」とし、「今回の法改正は、検察の人事に政治権力が介入することを正当化」するものだと反対しています。

現行の検察庁法第十五条に「検事総長、次長検事及び各検事長は一級とし、その任免は、内閣が行い、天皇が、これを認証する」とあります。冒頭にも触れましたが、これだけ読めば、これまでも内閣が恣意的人事を行えることになります。しかし実際には反対する検察官OBも指摘しているように「慣例」としてされてこなかった。検察と政治の緊張関係を維持するための「知恵」(同意見書)としてです。

つまりこの法律の条文は、「内閣は検察人事に介入しない」ことが慣例ではなっているけど検察にとっては内閣に「介入されるかもしれない」という緊張関係を生んでいるということになります。そして介入されたと感じれば「介入はオカシイ」と意義を唱えることで緊張関係のバランスを保とうとすることは大変意義があります。しかし本質論として「介入はオカシイ」としているのであれば、条文の趣旨を無視した意見だということになります。

なぜこんなややこしい条文があるのかは冒頭に触れましたが、独立性が重んじられる検察官でも暴走を止めるために国民による監視が必要で、国民に選挙で選ばれる政治が構成する内閣に一義的にそれを担わせる、という構図にするためです。

検察OBの意見書にも同じことが言えます。緊張関係を保つための意見書だと理解すれば極めて妥当なものです。一方で、内閣の任免権が及んでこなかったような指摘があり、字義通り捉えるとこれは法律自体の否定であって、それこそ準司法とよばれる行政権の越権的解釈であって、本質的に三権分立に対抗する検察至上主義の考え方になってしまいます。検察官は不当な政治介入を受けないんだ、というのは絶対に正しいですし当然ですが、検察官は民主主義の根本である国民の統治を受けないんだ、とも受け取れかねない記述になっています。

反対意見書の視点は「内閣は同法改正の手続きを経ずに閣議決定のみで黒川氏の定年延長を決定した」ことへの猛烈な批判です。決して統治制度や三権分立に対抗しようとしたことではないことは明白なのだと思います(元検察官ですから)。そういう意味で、むしろ意見書は、賛否はあれど、この位の勢いで反対することで、適正な緊張関係をこれからも維持する上で重要な歴史的指摘になるのではないかと思います。従って、反対意見書は黒川問題の文脈で読み取るべきものであって定年延長制度問題の文脈で読み取ると混乱することになります。

かかる観点で改めて定年延長制度という新しい人事制度を見てみると、「内閣が定める事由があると認めるときは」は定年延長が可能とされています。これだけ読めば、従前の任免権同様、内閣が恣意的人事を行えることになります。しかし実際には「慣例」として行われてきた検察と政治の緊張関係が維持されるべきもので、これまで国民統治を受けてきた制度と決定的な齟齬があるとは思えません。注目すべきなのは、変化に伴う緊張関係の変化です。当然そうした恐れは生まれますし正しい恐れだと理解します。この緊張関係は繰り返しますが不断の努力によって保たれるべきものだと思います。

5-2.その他

ここまでお読みいただければご理解いただけたのではないかと思いますが、ついでながらその他の指摘についても触れておきます。三権分立を揺るがす事態だという指摘については完全に間違いです。司法に犯罪容疑者を送る唯一の役割ですから準司法官と呼ばれますし、一般行政組織よりは高い独立性が求められるのは当然ですが、検察庁は司法ではありません。そして、そもそも検事総長は内閣が任命することに変わりありません。最高裁判所長官も内閣が指名しますし他の裁判官も内閣が任命します。三権分立の分立は、それぞれが完全に独立しているという意味ではなく、相互にチェックするところにポイントがあります。上の例で言えば、内閣が検察官の任免権を持つけど検察官は内閣の一存で罷免されず内閣を立件できるという緊張関係です。誤解を恐れずに言えば、延長ごときで揺らぐことは全くありません。

http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_annai.nsf/html/statics/kokkai/kokkai_sankenbunritsu.htm

また検察官の独立性は担保されるのかという指摘もありました。政界疑惑追及を避けるために検察人事に介入するのはけしからん、という指摘も、人事介入というところに違和感があります。繰り返しになりますが、これまででも、これからも、検察トップ層の任命権は内閣にありますので、今回の改正で変わることはありません。出世を狙って政権にすり寄って判断が変わるようなことがあるかもしれない、という指摘は、論理的には法改正後でも制度上の根本部分は変わりません。そもそも検察官の独立性は、何で担保されているかというと、繰り返しですが、厳格な罷免制度であって検察官の身分保障です。政権に逆らったって身分は保証されます。

6.雑感

黒川検事長の勤務延長という個別問題は後味の悪い結果となっています。少なくとも政治は透明性をもっと高めていくべきなのであって私自身も努力を続けていかねばならないのだと強く思っています。一方で制度自体については明白な問題というものではなく、少なくとも時代の変化に併せた65歳への引き上げと段階的給与削減は必要だとは思います。ただ今後、廃案ではなく審議するということになるのであれば、勤務延長制度を政治サイドから企図する積極的理由は今のところ見当たらず、であれば今回の批判を十分に反省しつつ改めて法務省内部でよくよく吟味し、制度を導入しなければならない実務上の積極的理由も明確にした上で、議会に送ってもらう他ありません。

雇用を守る

今、もっとも大切なのは、当たり前ですが感染拡大を防止することであって、その為に緊急事態宣言が出され、外出自粛・休業要請が続いています。しかし、一方で世界的な景気の鈍化の中で、もっとも重要なのは雇用を守ることです。

昨日、政府は3月の雇用統計を発表しました。求人が求職を圧倒的に上回っている現状に未だ変わりはありませんが、コロナの影響で、有効求人倍率が昨年末の1.57から1.39に急速に悪化してきています。

求人から見ていくと、コロナの影響で休業を余儀なくされている企業が新規の求人を控えている実態が明らかに見えています。前年同月比の12.1%マイナス。3か月連続で10ポイント超えの悪化です。最も影響を受けているのが、製造業の▲22.8%。次いで宿泊飲食サービスの▲19.9%。次いで生活関連サービスの▲16.6%などとなっています。

一方、完全失業率は2.5%(▲0.1%)。現時点では大きな変化は見えていません。これは企業が政府の雇用調整助成金を使って休業手当を従業員に支給し、また借入等で何とか凌いでいるためで、このことは、就業時間が1時間未満であった就業者数が、前月から29万人も増加していることからも伺えます。

しかし今後の状況は注意深く見ていく必要があります。コロナの影響を甘く見て、下手に緊急事態宣言を解除すれば、感染被害から国民を救えないばかりか、最悪の経済状況を招きかねない。長期化すれば、借り入れの返済を見通せず雇用を維持できなくなる企業が増える可能性を否定することはできません。この傾向はリニアなものではなくて、加速を伴って悪化する可能性があります。

現在の失業者数が160〜170万人で推移しており、また求人は238万人ですから、休業者と見られる29万人という数がかなり多いことに気づかされます。そして実際に雇用を維持できなくなったら、連鎖的に業績が悪化、更に雇用上の悲しい数字が増える可能性があります。また、29万人のうち主に非正規雇用者で23万人となっています。最近の働き方改革の取り組みで(良い働き方改革と悪い働き方改革がありますがそれは別として)、結果的に、正規雇用者が増え、非正規雇用者が減っていたため、コロナによる雇用調整の構造問題化が早めに訪れる可能性もあります。

従って、兎にも角にも、短期決戦。緊急事態宣言の下で感染拡大を徹底的に早期に収束させ、同時に雇用を全力で守るための方策を今後も矢継ぎ早に打っていく必要があります。

本日、衆議院で補正予算が通過し、明日、参議院で可決成立する見込みです。既に実施中のものも含めれば、税や社会保障、公共料金などの支払い猶予、無利子無担保無保証の融資実施、給付金による固定費を含めた企業支援、雇用維持支援などが実施されます。ただ、重要なのは、借り入れで先行きが見通せない不安を、それこそ解消することはできませんが、軽減することはできるはずです。大きいところでは、地方創生特別交付金と、企業にとっての固定費の緩和措置。数か月固まっていたけど、また動き出すぞ、と思える環境を作ることが必要です。

地方創生特別交付金は、補正予算では1兆円が措置されました。ただリーマンの時と同額なのです。リーマンは金融危機。コロナは需要供給所得のトリプル危機に今後の金融不安がある(このことは別途)。だとしたら、同額ではマインドとして足りない。特に、国と言う図体が大きい組織できめ細かな対策ができない部分を、自治体というきめ細かな対応ができる組織に、大きな方針を定めた上で、思い切って任せるところは任せるべきです。

また、固定費は現在、家賃補償が議論されています。融資と助成金のハイブリッドタイプが主要軸として議論されますが、何よりも重要なのは、また融資かよ不安だよ、と思うものではなくて、このくらい補助してくれるんだから融資もちょっとはしないとな、と思えるものにしていくことだと思います。つまり、政策実効性というより、この際、事業者のマインドを主軸に置いたものにすべきだと思います。(10万円の特別給付金以来、特に若年層から将来世代の負担増の心配の声が聞かれますが、このことについても別途触れたいと思います。)

なお、ここからは余談ですが、コロナ後に新卒の就職意識が大きく変化しているという報道(NHK)に接しました。楽しく働きたい(37%→31%)、個人と仕事を両立させたい(25%→23%)、人のためになる(13%→18%)。そして大企業志向(56%→52%)、中小ベンチャー志向(40%→45%)。人のためというのが劇的に増加していると言います。私が思う官民の在り方の将来像、資本主義の将来像、に繋がる社会を支える担い手です。彼らを全力で応援したいと思います。

コロナを生き抜くーカミューが生きた時代

(アルベール・カミュー。写真出展:wikimedia)

コロナ感染症が蔓延しているなか、カミューのペストが過去にないほど売れているのだそうです。異邦人もシーシュポスも読みましたが結局あまり好きになれない作家でした。しかし、何か人間の本性を抉り出すような静かな迫力を感じる作家だという印象は強く残っています。

カミューが生きたのは20世紀前半。アルジェリアの地でした。アルジェリアはフランス領でしたが、植民地ではなく本国扱い。なので、アルジェリアでフランス市民権を有する入植者も多くその数100万人とも言われ、カミューが生まれた海岸都市オランでは人口の8割が入植者であったと言われます。

彼らはコロンと呼ばれていたそうですが、コロンは自らをアルジェリア人と呼び独立を声高に叫んだ。そしてそのコロンと現地人の争いがあったり、その現地人の間でもコロンに協力するか否かで争いがあったり、またコロンとフランス本国との争いもあったり、更にはフランス本国内でもコロンを擁護するものと反対するものの争いもあったり、とにかく内部の言い争いが非常に多かった時代として現代に伝わっています。

そうした中でアルジェリア独立運動が起きたのが1954年から始まるアルジェリア戦争です。カミューがペストを発表してから数年の経過したころです。結局フランスはこの戦争で9万人以上、アルジェリアはなんと100万人とも言われる犠牲を強いられることになります。これ以降、民族自決運動の流れでフランスはアフリカの植民地の独立を次々と容認していきます。第二次世界大戦で強硬な姿勢で臨んだシャルル・ド・ゴールが戦後再度政権に就いたときに方針転換した結果だと言われています。

そのコロンをフランス本国政府はどう見ていたかというと、隣国エジプトの支援を受けていたと見ていました。従ってフランスはエジプトを忌々しく思っていた筈です。

一方そのころのエジプトは中東戦争真っただ中でした。1948年にイスラエルが誕生するとアラブ諸国はこれに反発しイスラエルを攻撃、第一次中東戦争が勃発します。そしてそれに対抗するためイスラエルはエジプトを侵攻します。エジプトは米英に支援を要請しますが断られ、結局ソ連に近づきます。この決断は後に、スエズ運河やアスワンハイダムを巡って、中東を冷戦構造の最前線に立たせることになります。

エジプトは当時イギリスの保護国でした(*)。イギリスにとってスエズ運河は世界覇権を維持する中心のアセットであったからです。しかしエジプトのナセルはそうしたイギリス支配構造に反発、クーデターを起こして親英の王政を打倒し、スエズ運河の国有化しチラン海峡を封鎖するという強硬手段にでます。

ここに、エジプトのアルジェ介入阻止というフランスの思惑と、エジプトからスエズ権益の奪還というイギリスの思惑と、チラン解放というイスラエルの思惑が一致し、ウィルソン平和原則があるにも関わらず秘密外交で3か国による忌まわしい対エジプト攻撃が実施されます。第二次中東戦争ともスエズ危機とも称される戦争です。

そしてこのスエズ危機は、国際秩序構造に大きな変化をもたらした事件となりました。変化とは何かと言えば、結論だけ書けば派遣国家としてのイギリスの地位が名実ともに決定的に低下、同盟国のアメリカにとどめを刺される事件でした。考えてみれば、この米英間の覇権をめぐる攻防は、国際秩序安定化のために第二次大戦真っただ中から議論されていた国際金融秩序構築のための議論に既に見ることができたわけで(後のブレトンウッズ体制に繋がる)、アメリカはイギリスの覇権をはく奪する為にアラユル手を尽くしていた感があります。

ペストを読んだのはもう30年も前。とても響いた言葉が今でも心に残っています。ペストに勝つには人間は誠実でなければならない。確か主人公の言葉です。誠実。生きることに誠実。結局、万人が自らできることを誠実に尽くす、自分の為でもあり、人の為でもあり、という理解を私はしています。

今、巷で多くの言い争いが起きていると言います。生活を支える宅配便配達人に暴言を吐く人、医療関係者をばい菌扱いする人、家庭内でのDV、フェイクニュースの愉快犯、必要以上にマスクを買い占める者、懸命に働く役人をSNSで滅多切り。目に見えるもの全てに悪態をつく。そんな忌まわしい社会の入り口に立たされている予感がします。カミューが生きた時代ほど国際社会の混乱はないはずですが、結局、人間の本質はあまり変わらないのかもしれません。だったとしたら、少しでも誠実でいたい、そして社会がそうあって欲しい。私はそう思います。

(*参考)

スエズ運河が完成したのは、徳川幕府が大政奉還した直後の1869年。スエズ危機に先立つ半世紀前ということになります。その直後に派遣された岩倉使節団も、完成したばかりのスエズ運河を通って帰国したという記録が残っています。

建設を企図したのはフランスの元外交官であるレセップスという人。自国政府の全面協力を獲得するも、アレクサンドロス=スエズ間の鉄道権益を持っていたイギリスの妨害で進捗芳しくなかった。転機となったのが、エジプトの国王交代で、当時極度の財政悪化にあったエジプトは、イスマイルの英断でスエズ運河株式会社の株式を放出。実業家のロスチャイルドは、イギリスのディスレイリー首相に、スエズ運河は中東海洋覇権の要衝であるから、株式を取得し管理権を獲得すべきであると説き、スエズ管理の実権をフランスと共に握ることになります。

スエズ運河の航行の自由が関係国によって訳されたのは随分後、1888年のコンスタンティノープル条約によってですが、イギリスはこの時点でこの条約に締結こそしたものの、アフリカや東南アジアで権益を争うフランスの中東での版図拡大を恐れ、批准はしていませんでした。しかしボーア戦争で財政的負担が増大し国際的地位は低下、ファショダ事件での英仏の大激突による両国の疲弊、さらにドイツの興隆によるドイツ脅威論の高まりもあり、またフランスもビスマルクの戦略に嵌り国際社会から孤立していたため、英仏はタッグを組むことになり、1904年という日露戦争開戦の年に英仏協商が成立します。この協商で、英仏は対立していた植民地の分割統治を約し、エジプトは全面的にイギリスの手に落ち、イギリスはスエズ運河に関するコンスタンティノープル条約に批准しました。

木戸幸一と非常事態

(写真出典:wikipedia)

昨年あたりから近現代史について筒井清忠先生に学ぶ機会を頂き、大変幸運だと思いながらも知識の少なさから歯ぎしりをする場合が多いのですが、改めて別の機会で先生のお話を伺う機会がありました。題して近代日本の政治的非常事態。話は二・二六事件についてです。

大変多くの示唆に富む話で結論だけ掻い摘むことも難しいのですが、敢えて冒頭に本旨だけ言えば、事件はご存知のように、皇道派青年将校がクーデターを起こすものですが、目的であった皇道派政権樹立を達成するためには天皇のご聖断(裁可)が必要であった。一方で暗殺された内大臣の秘書官長であった木戸幸一が早々に暫定内閣樹立阻止のために天皇の方針を叛乱鎮圧一本に絞ることを打ち立てたため、事後に多くの皇道派重鎮が参内して暫定内閣樹立を天皇に上奏しても、首相臨時代理が閣僚の辞表を纏めて天皇に提出しても、天皇が拒否し続けたため、反乱軍の成功に帰すことはなかった。つまり、木戸幸一の洞察力と行動力によって属人的にクーデターが回避された、というもの。なるほど。

更に言えば、事態収拾にあたった陸軍中央の動き。一言で言えば動きが早い。その理由には少し歴史があるそうな。もともとの統制派中堅幕僚による初期の研究テーマは高度国防国家建設。その流れで後に片倉衷大尉らが、政治的非常事変が勃発した時の当面の対策と中長期的国策の検討を行って報告書にしたのが1935年の「政治的非常事変勃発に処する対策要綱」。政治的非常事変とはまさにクーデターのことで、統制派と皇道派の対立が深刻になっていたからこそ予見していたのかもしれません。

この報告書が事後の陸軍中枢の行動の参考にされた可能性は高いといいます。確かに事変後ほぼ丸1日で歴史上3回しか発出されなかった行政戒厳令の天皇裁可までこぎつけ、戒厳令が発出されたころには、彼の有名な奉勅命令(反乱軍の原隊復帰命令)の準備が始まっていたというのですから、まるで周到に用意されていた行動に見えます。当時の軍隊が実戦経験が豊富だったというのも大きいかもしれませんが、天皇と政治が絡む行動なので単純なオペレーションではなかったのだと思います。いずれにせよ、周到な準備による対処のシステム化が為されていたとも言えます。

危機の対処には、指導者層の属人的能力、平時からの想像力と対処ルール整備、が必要だということを、たとえは悪いのですが、物語っているのだと思います。もちろんそれだけではなく、更に言えば、迅速な行動、情報や意識の共有、様々な事柄が求められます。しかし今回のコロナ感染症対策で思うのが、やはり平時の想像力と対処要綱策定。日本人はこの手の問題が不得意と言われます。なぜならば、起こってもいないことを、起こった時にどうするという議論を進めるのは、なんと骨の折れることなのか。私自身も経験があります。起こらないよ、そんなことは、という白い目で周囲から見られるのを横目に、事を運ばなければならないからです。

しかし、これまでも、結局起こったじゃないの、と言う羽目になったことが多い。もちろん、平時に立案した計画がうまく行くとは限りませんが、検討しておくことは重要なのだと思います。平時からプランB研究が必要です。

ため池の管理保全について

司馬遼太郎の空海の風景という小説をご存知の方は多いと思いますが、まさにため池を中心とした讃岐の田園風景が見事に描かれています。空海は、水不足にあえぐ讃岐の地に多くのため池を残してくれました。もちろん、香川県だけではありません。全国に10万を超えるため池があり、その7割は江戸時代より以前に築造されたものか、築造年不明のものだそうです。そして構造不明のまま老朽化が進行しています。

ため池が一番多いのは兵庫県。広島、香川、岡山などと続きます。管理しているのは、個人であったり水利組合であったりとマチマチ。また、高齢化で管理の担い手が不足しており、管理が行き届いていない場合が多い。場合によっては、所有者や管理者が不明であるため池も多く見受けられます。ある種の公共施設であるにも関わらず、直接的に公共管理されているものは多くありません。

一方で、ここ10年を振り返ってみると地震や豪雨災害が多かったことが記憶に鮮明に残っていると思います。私が議員になって直後から、ため池管理保全に関する要望を多くいただいておりました。実際に、過去10年で被災したため池は1万か所、決壊したのは400か所。つまり、年間平均1000か所が被災し、40か所が決壊していることになります。驚きの数字ではありませんか。

そういう事情もあり、初当選直後に自民党の農業農村基盤整備議員連盟にため池小委員会を設置していただき、事務局長として活動をしてまいりました。恐らくため池に特化した議員連盟の会議体はこれが唯一なのだと思います。その後、先輩議員の力強い後押しでため池対策を拡充してきた自負はあります。ただ問題はまだまだ多い。それは人的災害が生じかねない防災の観点が主だったものです。

数年前に、まずは見える化しようということになり制度化した防災重点ため池。約1万超の防災対策が必要なため池を洗い出したものの、平成30年7月豪雨の際に32か所が決壊。なんとそのうち防災重点ため池指定はたった3か所でした。そして実際に一番心配していた人的被害がでてしまいました。正直甘かった。では済まされないくやしさを感じました。新聞紙面の一面に「ため池」という文字が何度も踊っていたのを鮮明に覚えています。

この7月豪雨災害を受けて政府は立法化に動き出します。ため池管理強化を目的に、ため池所有者に都道府県への登録を義務付けると共に、所有者に管理の努力義務を課し、さらに防災上重要なため池を指定して必要な防災工事の施行を命ずることができることを柱とした、農業用ため池管理保全法が閣法として制定され、令和元年6月に施行されました。

これと並行して、7月豪雨の反省として、防災重点ため池の新しい基準を策定し、再点検を実施したところ、法律成立後の令和元年6月になって64000件が防災重点ため池に再選定されることになります。従来の約1万強を大幅に上回るため池が対象となったわけです。さらにこの再点検で、ため池の管理状況が改めて明らかになりました。維持管理体制が極めて脆弱で権利関係が不明確であるなど、ため池の抱える問題が浮き彫りになりました。また、使われることもないのに整備するのは愚の骨頂です。昭和の政治でもあるまいし、それは全力で避けねばなりません。従って廃止も全力で取り組まなければなりません。

人的被害の発生を二度と見たくない。これだけ多くの対策が必要なため池を前に多少途方に暮れたときもありましたが、ざっくりと計算すると全く不可能ではないことが分かりました。そしてやらねばならぬことも明らかになりつつあります。それは大量の要詳細調査・要改修ため池の計画的かつ早急な実施のためには、既存のため池管理保全法では不可能だということ。つまり、平たく言えば同法はそもそも6万超を想定していたわけではなく、所有者に管理義務を課していたものの、それは努力義務であって、最も必要な人的支援・技術支援、そして財政的支援を明示的に示しておらず、集中的にため池をアップデートしていくには不十分だということです。同法では規制は定めているものの、必要な対策を迅速に実施するための制度、つまり国と地方公共団体の計画や役割分担の明確化や技術的支援体制、また財政措置等を安定的・明示的に担保するスキームが必要だということです。総合的な対策を計画的かつ強力に推進するためには新法が必要ということになります。

これらは、農業基盤整備の専門家でもある同僚議員と同志諸先輩の熱意で明らかになってきたものです。自分に専門知識がないことを恥じながら、それでも熱量だけは同じレベルで取り組んで行きます。またこの場で報告します。

地銀はメガと連携して社会的課題事業に取り組むべき

(写真は党本部の会議の様子)

本日朝8時、党の地方創生実行統合本部(河村建夫本部長)と金融調査会(山本幸三会長)の合同会議が開かれ、地域金融経営力強化について議論を行いました。

地銀の地域経済における役割は言うまでもなく極めて重要で、それは地域経済を唯一面で見れる立場だから。さらに言えば、日本の経済を支える中小企業と直接向き合っているのが地銀であって、その中小企業が人不足と事業承継に悩んでいるとすれば、地銀こそが出番なはずです。

ところが金融政策によって金利が極めて低い水準にあるので、銀行は本来の金融仲介機能の役割をしっかり担う状況にない。つまり、本業の金貸し業以外でも経営基盤を安定させ、本業でしっかりと資金を供給することが必要なはずなのに、地銀はビジネスモデルの転換を行えておらず、旧来の収益モデルから脱していません。

全国平均のデータを見ると、地銀の経費率は比較的高く手数料収益率が低い。そこで先般、法律を改正して合併を可能としたのですが(独占が疑われるため)、合併しても経費削減にはなるけど、収益はほとんど変わっていないがの現状です。

一方で、メガは地方をよく見ています。ただ、メガが地方でリテールにのりだすのはほとんど不可能だし不得意なはず。それでも、地方の中小企業は重要なので、オープンイノベーション促進のためのイベントを地方各地で行っているようです。考えてみれば、金融や事業承継コンサルはメガも得意なはずです。ここは重要で、後程述べます。

地銀の中にも地域の面での活性化を目指して新しい分野に積極的に取り組むものもあります。本日の本題の話です。例えば滋賀銀行は、地域の社会課題解決ビジネスに乗り出す戦略を発表しています(私は今日知りました)。銀行のビジョンと計画を策定し、従来の発想にとらわれず、社会課題をビジネスで解決することで、新しい事業環境を銀行自ら創造していこうとしています。そうなんです!そこなんです!ここが重要です。

社会課題解決に関心をもっている若者はめちゃくちゃ多い。東京で定年を迎えて地元に帰ってきた優秀なアクティブシニアそうも同じです。問題は、どんな社会課題が地域にあって、どういうステークホルダがいて、どんなファイナンスツールがあって、地域にどんな使えるアセットがあるのか、把握は容易ではない。しかし、地銀って全部知っているんです。

ファイナンスセクターとしての地銀に期待しているわけでは全くありません。金融コンサルもできるマッチング機関としての役割を担って頂くことが重要なのだと思っています。なぜならば、スタートアップの社会的事業者に間接金融を提供しても大きな意味はないからです。むしろ、地銀にはメガと協力して、大手企業を巻き込んだオープンイノベーションやマッチング機能を果たしてくれればと思うのです。

コロナー経済対策

コロナウイルス感染症に関し、まだまだ予断を許しませんが、1日の新規感染者が指数関数的に増加する深刻な状況は免れています。全員で歯を食いしばって耐えている結果なのだと思います。

一方、経済状況が心配でなりません。昨年から指摘しております通り、コロナウイルス感染症の影響がなかったとしても、今年の世界経済動向はそれほど明るいものではありませんでした。そこにきてコロナです。財政政策、金融政策を中心に、総動員して対処していかなければなりません。規模も重要です。

先週末の6日、麻生財務大臣は記者会見で、コロナウイルス感染症の影響による事業者の資金繰り支援として、民間金融機関に対して、踏み込んだ要請をしたと発表しました。一言で言えば事業者支援を迅速・適切・丁寧に実施することなのですが、現場の営業担当まで徹底すること、不必要な書類を事業者から求めないこと、そして貸付条件変更の申請数や変更実施数、謝絶数の報告も求めました。

また日本政策金融公庫等に貸付資金5000億円規模を確保、経済対策第二弾を速やかに策定する旨公表しました。

ついで10日、政府は0.4兆円の財政措置に加え、総額1.6兆円規模の金融措置を発表しました。後者の中身は、日本政策金融公庫に5000億円規模の無利子・無担保の資金繰り支援となるコロナ特別貸付制度を新設(対象はコロナで5%以上売上高が減少した事業者で、中小は3億円、国民事業は6千万)、政投銀や商工中金の危機対応業務を発動、サプラチェーン再編支援として2040億円、またJBICで日本法人の海外事業の資金繰りやサプライチェーン対策として2500億円などです。当面は十分だと思います。

支援枠はできました。問題は迅速な実施体制が組めるか、そして財政政策も含め、今後も矢継ぎ早で適切な規模の対応が必要です。本日出席した金融調査会では、そうした意見が相次ぎ、政府からしっかり取り組むという発言がありました。

一方で、地方銀行も含めて金融機関の疲弊も気になります。これだけの対策なので、現場では結構大変なことになっているのだと思います。が、最大の関心毎は将来展望です。政府の後ろ盾はあるとしても、金利水準が上振れる傾向はまったく見えず、コロナ対策で更に厳しい状況になるのだと思います。

また、これも本日の金融調査会で指摘があったのが、企業にとっては決算開示の時期と重なること。コロナ対応で支障が生じる可能性があることから、基本的には政府は、法務省も金融庁も、そして東証も、開示できる時期に開示することで差し支えないとの見解を示しています。一方、米国のSECは、米国で上場している中国企業と長らく情報公開を巡ってバトルをしてきておりましたので、コロナだろうが開示せよ、とのスタンスであったようですが、ここにきて、開示延長を認める方針に変化してきています。私は、開示できなければ理由を示す、開示する段階で開示し、その時に開示できなかった理由の正当性をチェックすることで担保できるのではないか、と思います。

いずれにせよ、経済的インパクトの影響を抑えるために、金融面でも産業面でも、対応していきたいと思います。

デマにはご注意を

(予算委員会分科会でのフェイクニュース対策の議論)

かつて寺田寅彦は、災害は忘れたころにやってくる、と言ったと言われていますが、別のいいことも言っています。何かのエッセー集に収録された文章で、正確には思い出せませんが、「災害は恐れすぎてはいけないが、恐れなさすぎてもいけない」という趣旨のもの。何事も、適切に恐れて適切に対処することが重要だとの教えです。

デマ・偽情報・フェイクニュースが蔓延しています。これも適切に恐れて対処することが肝要です。

デマでトイレットペーパがないことが話題になりました。フェイクニュース対策の難しさを感じた報道でした。嘘だったと報道するために嘘じゃない本当の映像を放送する羽目になるという現実。スーパーの棚から丸ごとトイレットペーパがなくなっている様子を、これはデマで発生したと報道されても、それを見た人は、デマだろうがなんだろうが、トイレットペーパがない現実を目の当たりにすることになります。結局、余計になくなる。

他にコロナ問題では、コロナウイルスは熱に弱く27度くらいで死滅するからお湯を飲めばいい、というデマがネット上で蔓延していたそうです。体温って何度でしたっけと普通は思うと思うのですが、不思議なことに、政府やメディアが取り上げない情報ほど、あっという間に広がる。特に、普段から体制に批判的な層ほど、体制が発表する情報を信じないので、デマに流される傾向があるそうです。また、専門家と言われるものにも弱い。専門家って何の、とはみんな思わないもので、コロナに2回感染したら死ぬ、というデマがあったそうですが、これも現役医師という「専門家」の投稿動画がきっかけで拡散したそうです。

何もコロナ関係だけではありません。その内容は、愉快犯的なものからビジネス目的まで、内容も陰謀論的なものから政治扇動的なものまで、様々なフェイクニュースがあります。例えば、最近、立憲民主党がTwitterで「内閣支持率続落26%」をシェアしたところ、読者層から誤りを指摘され(昔のデータだった)、削除。恐らく同党の担当が反射的に喜び勇んでリツイートしたのでしょう。目くじら立てる必要は全くないのですが、意外とこういうつまらないミスが本当らしく伝搬してしまうものなのだと思います。

http://www.nhk.or.jp/gendai/digest/fakenews.html

なお、独立民間団体で、日本で唯一のファイクトチェック機関(偽情報のチェックを行っている団体)は、コロナ関係の偽情報についても積極的にファクトチェックを実施しています。ご参考ください。

https://fij.info/

フェイクニュース対策は、表現の自由、報道の自由を全力で守りながら、偽情報は偽だと分かってもらうことが重要です。そのためには、中長期的にはリテラシー教育が非常に重要です。情報の受け手としての情報リテラシー向上の第一歩は、違和感を持ったら鵜呑みにしない、見出しの過激さに注意する、記事の内容を吟味する、他メディアと比較する、当該メディアの一般評価を確認する、など、当たり前と言えば当たり前のことです。

ただ、そうしたリテラシー教育に即効性はない。ので、既存のクオリティーメディアに、偽情報が偽と分かる質の高い報道を行ってもらうことが重要です。つまりメディアは極めて重要なのです。ところが、新聞協会の調査によると、最近ではクオリティーメディアの質が劣化している(偏っている)と思う国民が増加しています。

念のためですが、報道に政治が口を挟もうとしているのではなくて、主要メディアが質を維持しないとメディアも信頼を失い、その結果、偽情報が蔓延し、偽情報で民主主義自体が棄損するほど苦しんでいる他国のようになりますよ、と言いたいのです。

例えば先日、政府とメディアのやり取りで違和感を覚えることがありました。コロナウイルス感染症を巡って、特定の報道番組が報じた内容について、政府がツイッターで直接反論したことが話題になった件です。正直、国民不在になってはいなかったのか、国民にとって未知の感染症に対する不安が先行しているなか、国民から見たら単にメディアと政府の喧嘩にしか見えなくないですか、と思っています。

しかし、それはそれとして、この場で指摘しておきたいのは、報道というのは何をどう報道してもいいのですが、その裏側で報道に違和感を持っている国民がいることを敏感に感じ取れない構造的問題があることを報道側が認識していないことにこそ問題があるのではないか。典型例は専門家と称するコメンテータ。社としての責任や義務が不在で、番組として斬新で分かりやすい意見を言ってくれる人を出す。出る人も分かっているので目立つことを言う。結果、どういう角度から社に批判があっても、これは社の意見ではなくコメンテータの発言ですと逃れられる。

とある地元の方で、俺は自民党が嫌いだ、と言って応援してくれている方が、最近の報道姿勢について、「昔はなるほどぉ〜と思う論評が多かったけど、最近では批判したいのね〜としか思えなくなった」とおっしゃっていたことが頭から離れません。

フェイクニュースに対して強靭な国家を作るにはメディアに対する国民の信頼は欠かせません。

新型コロナウイルス感染症対策ー事業者

(党役員連絡会議の様子)

先に感染拡大防止の観点で現在の状況をお伝えいたしました。現時点でも感染拡大に向けて全力の取り組みが行われています。一方で拡大防止集中対策期間が終われば、経済的インパクトも徐々に視野に入ります。従って、主に小規模事業者、中小企業事業者向けに、先手の支援措置が必要です。先般党内で議論を行い、R2予算を通じた切れ目ない対応を政府に求めています。

また経済産業省や厚生労働省を中心に、事業者向けの現時点での支援策が用意されることになっています。皆様はご一読いただければと思います。

https://www.meti.go.jp/covid-19/pdf/pamphlet.pdf

この概要を添付します。

・雇用調整助成金の特例措置

小学校等の休校措置で、お勤めの親御さんに、通常の有給休暇とは別の休暇制度(賃金全額支給)を設けた企業に対して助成する事業を新設することになりました。

・下請け取引

親会社から不当な発注を受けた場合は、下記の下請かけこみ寺にご相談ください。政府から1239の業界団体に対して、下請けとの取引に関して、コロナ感染症の影響によるサプライチェーンの棄損などを理由とした通常より厳しい条件(代金や納期など)の設定を行わないことを要請しています。

・その他

その他ですが重要なポイントです。資金繰りで困難に直面する場合に備えて5000億円規模で徹底的に支援、サプライチェーン棄損に対応、経営環境の整備も行うことになっています。

具体的には、信用保証協会のセーフティーネット保証では、一般保証とは別枠の資金繰り支援制度を、またコロナ関係を踏まえた特例措置を、日本政策金融公庫の衛生環境激変大作特別貸付制度では影響を受けている旅館業や飲食店などを支援、一般金融機関にも適宜適切な貸出を政府から要望、中小機構の生産性革命推進事業でコロナのサプライチェーン棄損に備えた投資を行う企業を優先的に支援、官公需は契約条件の柔軟化と速やかな支払いを行うこと、経産省では輸出入手続きの緩和などです。

宇宙ビジネス市場と宇宙基本計画

(自民党宇宙海洋開発特別委員会での作業の様子)

数年前から株式市場で急速に注目されているのが宇宙ビジネスです。四半世紀前に宇宙に携わったときには、全く想像もつかなかった事態です。想像もつかなかった理由はたった一つ。宇宙にモノを持っていって出来ることがコスト的に割に合わないから。しかし、とうとうその損益分岐点を超える時代になったのだということを、株式市場の動きから実感しています。

東京海上アセットマネジメントやニッセイアセットマネジメントという株式運用会社が数年前から宇宙関連株式ファンドを運用しています。例えば前者は2018年9月のスタートで、当時の純資産総額が10億円。それから現在まで取引ボリュームの拡大で資産ピークは320億円に達しています。政策投資銀行もそうした宇宙ビジネス市場の動向に注目しレポートも出しています。

主だった動きはアメリカ。でも日本も負けていません。日本の宇宙ベンチャーで月面開発産業を計画しているispaceという会社がありますが、100億円を超える資金の調達に成功しています。人口流れ星を計画しているALEというベンチャーも単発で数十億を調達しています。宇宙空間で問題が顕在化しつつある宇宙デブリ(宇宙ゴミ)除去を計画しているAstroScaleも100億円以上調達しています。

まだまだ他に沢山ありますが、これら成功した例では、シリーズC以上のラウンドを回して、国内外多くの投資家から調達に成功しています。

こうした宇宙ベンチャーが多く育ち、宇宙ビジネス市場のすそ野を拡大していけば、当然調達コストも安くできるため、激変する安全保障環境や気候変動などの地球規模課題や科学技術ニーズに対処するための政府によるアセット調達の自由度が増します。

問題は、ほっとけば市場が拡大し続けるのか、ということです。今は日本の宇宙ビジネス市場が拡大するのかしないのかの瀬戸際に立たされているのだと認識しています。であれば、政治としても全力で市場のすそ野を拡大する努力を今行わない手はありません。政府だけでコトを成し遂げることも困難です。官民力を合わせて裾野拡大に邁進しなければなりません。

今年は丁度、政府の宇宙基本計画改定時期にあたります。この計画は、宇宙基本法の理念を具体的な戦略的政策に落とし込むことが目的です。そして現在、その作業が佳境に入りつつあります。

自民党でも、宇宙海洋開発特別委員会(河村建夫委員長)で議論を進めており、政府への提言をまとめる時期に差し掛かっています。私自身は、まさに宇宙利用産業のすそ野を拡大し、安全保障、産業、科学技術の3つの政策軸の相乗効果が表れるような、宇宙産業エコシステムを構築していくことが、この基本計画改定の最重要課題であると認識しています。

宇宙ベンチャーが市場から資金を調達しやすい環境を整えること。そこではシリーズシードレベルから全力で政府調達支援(アンカテナンシー)を行っていくこと。同時に、国際市場マーケティングで並走すること。また、標準化やオープンクローズ戦略といった知的財産戦略の立案で伴奏すること。もちろん政府的には輸出管理やクリアランスといった環境整備を行って、富と人材流出に備えることも重要です。

政府の調達では、宇宙基盤にしっかりと予算を充当すること。同時に、各省庁ニーズしか見ずに作りたいものを作って、成功したら海外に売ろうという負けパターンの発想は止めて、当初から国際市場をマーケットインの発想で睨んでおくこと。また、産業競争力強化のためにも、オープンイノベーション促進の工夫をすること。FFRDCやXPRIZEといったスキームが大いに参考になるのではないかと思っています。

そして何よりも、宇宙ビッグデータにしっかりとスポットを当てていくことで宇宙利用産業を拡大することだと思います。日本は課題先進国だと言われていますが、ビッグデータが解決の糸口となる可能性は大です。問題は、課題に直面している担い手の発掘、そしてそうした宇宙とは恐らく関係がない担い手に宇宙ビッグデータのポテンシャルをマッチングしていくこと。その為に、政府は全力で保有するデータアセットを解放すること。

これらはもちろん地方の課題解決に結びつく可能性の高い事業です。既にそうした取り組みに積極的な自治体もあります。

書き尽くせぬ思いはありますが、少なくとも、何事でも未来を明るくするのは人間だ、ということだけは申し上げておきたいと思います。