お知らせ(訃報)

各位

去る7月16日、父、大野功統が亡くなりました。満87才でした。先月中旬頃、急に体調を崩し、母が心配して病院に連れて行ったところ入院を勧められ、爾来、療養中でしたが、それからたった約1か月後のことでした。

生前、父が皆様から賜りましたご厚情に、遺族を代表して心から厚く御礼を申し上げます。また、早々にご弔意をお寄せいただきました全ての皆様に、改めて感謝申し上げます。父は常に真心というものを大切にしていました。現職であった頃、皆様から頂いた多くの笑顔が、父にとっては何よりであったし、全ての活動の原動力でもあり、一生の宝物としていました。

後日、ささやかながら地元及び東京にてお別れ会を執り行いたいと思います。改めて皆様に感謝と御礼を申し上げ、ここに謹んでお知らせいたします。

マイナンバーカード

マイナンバーカード(MNC)を巡るトラブルが全国で相次ぎ報告されていますが、批判の方向に疑問を感じるものがあり、それは誤解や認識不足によるものもあり、結局それが世間に喧伝されて不安だけが残るという、日本のお家芸に陥るのもよろしくないと思っています。そこで、マイナンバーカードのトラブルを私なりに解説し、正しい批判の方向になる一助となればと思い、ここで取り上げることにしました。

■一連の問題の現象を整理すると以下の通り。(括弧は5月末NHK報道から)
A)マイナ健康保険につき他人のデータが登録された。(約7,300件)
B)コンビニで公的証明書発行したら他人の書類が出てきた。(27件)
C)公金受取口座に他人の口座が登録された。(11件)
※その他のケースもありますが、現象は概ねこの3パターン。
※令和5年7月2日現在で8,787万枚取得のうち約0.008%に相当。

■原因を整理すると以下の通り。
1)データ入力
 ・医療機関や保険団体等の窓口での本人確認方法の誤り(A)(※)。
 ・認識不足による申請者本人の誤入力(子のに親の公金口座を登録等)(C)。
2)システム不具合
 ・システムベンダーのシステム不具合(B)。
 ・誤入力防止の措置が不十分(A,C)。

■認識(データ入力)
・窓口でルールに基づかない方法で誤登録されたのは遺憾。(※)
・ルールの徹底は必要。一方で、誤登録は防げない。
・作業現場では再チェックもしていなかった。
・政府も再チェックを現場に要求していなかった。
・誤登録も問題だが誤登録のリスク管理も問題。

・一方で、MNC導入による窓口負担の批判がある。
・そもそも既存方法でも本人確認ミスやなりすましが多発。
・これらは巡り巡って国民負担になっている。
・MNC導入はミスやなりすましを防ぐため。
・MNC導入で窓口機関の負担軽減にもなる。
・既存方法でのミスやなりすましに関する報道は皆無。
・報道されたら問題で、されなければ問題にならないのは問題。

・MNC制度の信頼性が揺らいでいるが、制度自体の問題ではない。
・返納ケースを見受けるが全く関係ないし逆効果。
・デジタル移行が完了すれば手作業問題は収束。

・紐づけ作業の指針徹底と再発防止に全力を尽くす必要。
・利用者が自ら紐づけ結果を一度チェックすることが望ましい。
・マイナ保険証に関するお問合せは0120-95-0178

(※)窓口で、マイナンバーという番号(カード取得の有無に関わらず全国民に附番)が分からない場合、氏名・生年月日・性別・住所が一致することをもって本人確認することになっていますが、名前だけなど一部の一致のみで登録した医療機関や保険団体がありました。この感覚を私は疑います。

例えば名前だけだと、全国民の中には同姓同名が絶対にいるはずで、名前だけから本人を特定するのは不可能であるのは明らかにもかかわらず、そして国が繰り返しマイナンバーが分からない場合は、氏名・生年月日・性別・住所を確認するよう通知しているにもかかわらず(されてなくても分かるだろうと思うのですが)、医療機関や保険団体の窓口担当の中に国の方針を無視して例えば名前だけから登録したということでした。

■認識(システム不具合)
・ベンダーによる不具合発生は遺憾。いわゆるバグと推測。
・マイナンバー制度に固有の問題とは言えない。(システム開発に付き物)
・システムベンダーにおいて、早急な障害復旧と再発防止が必要。
・発注者の行政側も発注仕様見直し等を通じた再発防止策が必要。
・本質は、データ入力に掲げたものと同様、リスク管理。

■概括
一言でいえば急ぎすぎたのだ、という意見が太宗を占めていますが、私はミスを前提としたリスク管理の問題だと認識しています。実は手作業もありながら、99.992%で正しく登録されているということは、驚くほど移行作業の精度が高いとも言えます。しかし間違われた人はたまったものではないので、絶対にあってはならないのは確かです。徹底究明と再発防止は論を待ちません。一方で、移行を乗り切れば本人確認の精度が現在より遥かに高くなることは共有すべきで、移行期のミスだけを鬼の首を取ったかのように指摘し、制度移行自体を否定するべきではないはずです。

マイナンバーカードの健康保険証利用について マイナンバー(個人番号)制度・マイナンバーカード

政治と正義

(写真:大正時代の内閣総理大臣原敬-国立国会図書館)

安倍総理が凶弾に倒れてもう少しで1年になります。未だにふとした瞬間に、ご薫陶を頂いた場面を思い出し、複雑な思いをすることがあります。国際社会で信頼を勝ち取った真の国家的リーダーと、直接ご薫陶を頂いた大先輩を同時に亡くしたというだけで、既に言いようのない阻喪でしたが、非道な犯行によって倒れた故人に対して追い打ちをかけるような心無いコメントを浴びせる一部のメディア出演者、そしてそれに反論を許さないかのような当時の世相に、到底言葉にならない複雑な思いであったことを今でもはっきり覚えています。政治家としてその思いを完全に消化するには時間がかかるように思います。

ただ世相というものが幾分かの変化の可能性を持っているのだとすれば、この複雑なる思いを解きほぐせることもあるのだろうことも信じていたりします。歴史家の筒井清忠先生は、明治以来の政治家暗殺について、当時の世相も併せて広範かつ詳細な研究成果を発表していますが(月刊VOICE)、その歴史的視座の中で、政治に対する日本特有の世相に警笛を鳴らしているように感じます。

そうした特殊に湿った感覚の事柄を、未だ生々しい感覚が残っている中で、自信をもって振り返る勇気を私は到底持ちあわせていませんし、暗い話題を持ち出すことが適当かどうか迷いもあります。それでも世相というものが、日本を正しい方向にけん引するようになればと願い、筒井清忠先生という稀有な歴史学者の著作に勇気を貰い、あえて振り返ることで、政治に対する日本の世相が世界の中でどのような立ち位置にあって、歴史と言う時間軸の中でどこにあり、更に言えば、政治と密接に関係があるはずの正義とは日本人にとって何を意味しているのか、一度立ち止まって考えることも必要だと改めて思いなおすに至りました。従って、本稿は、ただ雑感を書き残したものに過ぎず、何かを提言するものではないことを予めお断りしておきます。

(歴史)

筒井先生によれば、明治新政府成立後の平時における初めての政治家暗殺は、未遂も含めれば岩倉具視であったらしい。そして明治期と大正期では、動機や目的にそれぞれの特徴があると言います。明治期は、公憤を原動力とした専ら政治的な目的であった一方で、大正期になると、政治目的は散逸し、自らを社会弱者の代表と擬し、権力者を勧善懲悪的に狙うものとなり、更には公憤とは懸け離れた個人的怨恨でも、対象が誰であれ、公人のように言動に批判が伴う職にある者であれば特に、メディアを通じて世間を驚かせ、時には同情を伴って世論を巻き込むことで、社会に復讐することを目的とした、極めて歪んだ卑劣な犯罪構造を形成していきました。

明治初期には、武士道精神が色濃く残る時代にあって、天下国家を論じることを生きがいとした志士が多かった一方で、時代が下り明治後期から大正期になると、富国強兵という国家目標が達成されたと受け止められたことから、むしろ個人的精神や人道的精神が重んじられる時代に変化していき、徐々に内向きの精神修養による人間形成を説く修養主義文化が育っていったと指摘しています。こうした世相が政治家暗殺の様相をも変えたと言えます。

ただ、そうした政治家暗殺をメディアがどう報じたのかという一点においては、時代を通じて共通の側面があり、犯罪者に対して同情的なものが大なり小なり入り、それに呼応するかのように世論が形成されています。ごく一部でも同情的な意見がメディアを通じて世論に積極的に反映されれば、世論として構造化され、新しい世相を生むことになります。このことは、法治国家と民主主義を考える上で、重要な示唆を含んでいるように思います。特に、その後に続く昭和の軍国主義を形成するに至るポピュリズムとの関連を想起させるものがあります。以下、筒井先生の文献から何例かを先生の論考とともに紹介します。

(明治期)

先に触れた岩倉具視の事件では未遂に終わったために政治的にも世論的にもそれほど大きなインパクトではなかったらしい。しかし、その直後の紀尾井坂の変や伊勢神宮不敬事件では、実際に対象者の命が奪われたために大きく報道されました。

〇紀尾井坂の変(1878)
―公憤を原動力にした専ら政治目的の事件

紀尾井坂の変は、大久保利通が、島田一郎という暴漢に襲われた事件ですが、当時は西南戦争まで続く不平士族による反乱事件の敗北者達の怨恨が、溜まりにたまって大久保利通に集中していたため、島田一郎らによる斬奸状まで持った襲撃は、不平を持つ層からは賞賛されるほどでした。事実、島田一郎は藩閥政治に抵抗し政党政治の先駆けとなったとして、東京浅草本願寺の憲政碑に、伊藤博文・大隈重信とともに合祀されているといいます。

〇伊勢神宮不敬事件(1887)
―公憤を原動力とするもメディアとの関係が指摘される事件

伊勢神宮不敬事件は、初代文部大臣森有礼が、山口県萩生まれの国粋主義者、西野文太郎に刺殺された事件で、今でも報道被害が疑われています。その報道とは、事件直前に新聞に掲載された「とある大臣が伊勢の神宮を訪れた時、土足禁止の拝殿に靴を脱がずに上がり、目隠しの御簾(みす、すだれ)をステッキで払いあげ」た、というもので、皇室に対する不敬だとして世論が激昂しました。当時から森有礼は急進的な欧化主義者であったとされていたため、「とある大臣」は森有礼とされ、伊勢神宮の造園係であった西野に暗殺されます。

事件後もメディアは殊更に急進的欧化主義者であることを強調したため、西野に同情が集まった。当時、日本にいたアメリカ人天文学者のパーシバル・ローエルという人も、さすがに日本のメディアが西野を称えることを批判したという記録が残っているそうです。また、西野のことを丁寧に調べて書籍にした者もあって、さすがに発禁となったそうですが、墓石が願掛けの対象になったらしく、高村光太郎は子供の時に墓石を砕いて持つと宝くじによく当たったと回想しています。

(大正期)

〇安田善次郎暗殺事件(1921)
―明治的武士道精神と大正的個人主義精神が融合した独善的社会正義

安田善次郎暗殺事件は、安田財閥創設メンバーで東大安田講堂を寄贈した安田善次郎を、朝日平吾が刺殺した事件です。被害者は政治家ではなく財界人ですが、当時安田は世間から「自己一身の私利を願う他を顧みない残忍な有害餓鬼」として扱われており、世相を色濃く反映した事件だと言えます。

朝日平吾の経歴を辿ると、北一輝を理想としながら柔軟な着想で公益を追及しようとする信念が伝わってきます。裕福な家庭に育ちながら二十歳で従軍も、劣悪な部隊規律に嫌気がさして脱退。その後、通信社で言論活動を展開し実践に及ぶも、突如帰郷して旅行具店を始める。しかし、近代史上最大のストライキ争議に全財産をつぎ込み破産。憲政会に入り皇室中心の民本思想に立脚した政治にのめり込んでいき、平民青年組織立上げに奔走。ところが限界を感じたのか突如として政治から離れ、一旦は宗教活動に加わるも飽き足らず、最終的には弱者の為の社会的事業だとして「労働ホテル」建設に着手。安田を刺殺するに及んだのはその頃でした。

朝日は、明治から大正に漂う世相の全てを体現し、社会正義のためとして商売から宗教までのあらゆる手段を尽くし、最後に事に及んだと言えます。吉野作造は、鋭くこの事件の本質を突いています。要すれば、社会の不義に自らの命を賭す武士道精神がまだ残り、富の配分に関する新しい思想も動いていた時代。金の為なら何でもありという事業家がいるのであれば、武士道精神と新時代の理想の混血児たるこの青年が、公憤に激して何をしでかすかわからない、ということを我々はよく理解しなくてはならない、という言論でした。

〇原敬暗殺事件(1921)
―個人的憤懣を社会に転嫁しようとする日本初の劇場型犯罪

原敬暗殺事件は、当時の内閣総理大臣原敬が中岡良一という暴漢に暗殺された事件です。その背景から様々な憶測や陰謀説が流布されていますが、現在では個人的事情によるものだとされ、政治的な動機は皆無であったとされています。原敬は、平民宰相として現在では比較的好意的に評価されることが多いのですが、満鉄疑獄やアヘン疑獄などのスキャンダルに関連して報じられるなど、当時の評価は大変厳しい。そうした事情で、原敬自身も暗殺される可能性を認識しており、戦後になっても多くの陰謀説が出回ったのは、そうした背景によるものだと思います。

結局のところ暗殺の動機は、鬱憤晴らしとでも言うような個人的事情、即ち恋愛感情であったことが分かっています。中岡には、そもそも政治的な言論活動で物事を解決しようとする意識は希薄だったらしい。どうしてそれが暗殺に結び付いたのか。

中岡は縫子(ぬいこ)という初恋相手に人間愛的な深い恋愛感情を抱いていますが、その背後にあるのは、中岡が置かれた境遇からくる憂鬱でした。若かりし頃の中岡は早くから父親を亡くして生活に苦労した一方で、白樺を好んで読んでいたことから、武士道精神への反発と、個人主義・人道主義・生命主義への傾倒がみられます。一見すると、社会正義からくる暗殺とは全く相いれませんが、前者が拒絶されれば、その反動として後者が復讐的に浮上し肥大化すると言うことは起こり得ると筒井先生は指摘します。

取り調べ尋問の中で中岡は、「原首相を暗殺しなかったら縫子と一緒になれぬということを考えたか」という質問に、「両立せぬから片方を断念しました」、と答えています。自分を映画のヒーローに擬し、メディアを通じて事件が世の中を驚かせ、それが自分の恋を否定した社会への復讐となることを最初から予期して、メディアでの名声を追い求めたという、典型的な劇場型暗殺事件だとも指摘しています。

(民主主義の礎とメディアリテラシー)

安倍総理が凶弾に倒れた際、党内では激しい感情の揺れとともに、犯人の動機や事件の背景に注目が集まりましたが、原敬暗殺事件同様、残虐な行為でメディアの注目を浴び、それを利用して社会を変えようとした誠に非道な試みであり、明治時代のような政治目的は皆無でした。そして事件に対して党内では、政治目的ではない以上あくまで犯罪だとする認識もありましたが、民主主義への挑戦だという認識が広がっていました。

しかしそうした政治的な認識を確立したところで、報道は予期せぬ方向に向かう。あまりに衝撃的な事件に、当初は個人の業績や各国からの追悼コメント、更には犯行の分析が詳細に報じられていましたが、犯人の動機と背景が紹介されるに従って、徐々にその置かれた境遇に同情が寄せられ、次いで自民党と宗教団体との関係に焦点が当てられ、原敬暗殺事件と同様に在りもしない憶測に基づく陰謀論まで横行し、それぞれに対する批判が展開されていきました。報道の焦点は故人から外れていき、全体として巻き起こる政治批判が、故人の功績に霞をかけるように消し去っていく様を感じ、無機質な画面の冷酷さを恨んだことを忘れはしません。

いずれにせよ党内は世論に沿って霊感商法の被害者救済に関する法的措置の議論に向かいます。私は当初、議論の方向の是非は別としても被害そのものが顕在化しにくい性質のものであるとの認識のもと、まずは実態調査を徹底し、その上で個別被害は消費者契約法等に基づいて司法で争うべきとの視点に立っていました。そもそも4年前に霊感商法による契約取り消し(返金)を法的に可能にしたのは安倍政権で、法律等に不備不足がある場合は、改正して被害者救済を行うべきと考えていました。

特に実態調査の法的基盤と運用基準の明確化は必要だと考えていました。透明性の観点で、被害情報が多い場合は躊躇なく調査するか、定期的な報告を求める方向の話ですが、もし事件前にそうしていれば、この事件も生じなかったのではないかと悔やまれてなりません。いずれにせよ、その後の被害者救済のための法改正の動きはご承知の通りで割愛しますが、法改正の意義は当然あるとしても、犯人の蛮行が既に全く報じられなくなった中での改正で、しかもそれは結果的に犯人が望むであろうことでもあり、テロ対処の国際的常道に照らしても感覚のねじれを感じざるを得ませんでした。その上、故人を追悼する静かな一時も許されなかったことは、感情の整理を困難にしたように思います。

結局のところ、政治がメディアによって消費されたと感じる部分がありました。それはもしかすると政治家という存在が、世間からは生身の人間であることが忘れられ、ある種の抽象的な概念と見做され、どれだけ非難し痛めつけても構わないと受け止められているからかもしれません。コロナが蔓延し始めた際の心無いSNSの書き込みに、人間の恐ろしさを感じたりもしました。もちろん政治家である以上、どのような政治批判であっても甘んじて受けるべきと認識してはいます。なぜならば権力は監視下に置く必要があるからで、その意味ではメディアの独立性と報道の自由は民主主義の礎であることは基本的に絶対視すべきです。

ただ、メディアの本質的機能が権力監視なので、その前提として政治は悪であることに置かざるを得ず、それが時には世論を巻き込んで必要以上に糾弾し政治を消費する構造は、時代が下っても変わらないということを思い知らされた今、権力の監視を受ける側の政治家として、民主主義の礎と言うだけでは受け止めきれない不条理を感じざるを得ません。伊勢神宮で不敬に及んだのが森有礼であった証拠はなく、側近はむしろ否定しており、結果的に印象が操作され暗殺されたのだとすれば、権力の監視や報道の自由が民主主義の礎だとしても、必ずしも受け止めきれないものがあります。

もちろんこれは、既存のメディアのビジネスモデルでは避けられない構造的問題です。印象操作ぎりぎりの切れ味の鋭いコメンテーター登用で視聴率も広告収入も上がる構造で、最近ではネット媒体に押されて更なる鋭さを求めるようになっています。一方で、メディアが権力監視の報道を続けても、結果的に視聴者から飽きられて報道を中断すると、野党などの反権力サイドから報道は腰抜けだと突き上げられることもあるのだと思います。結局メディアがいけないというよりもビジネス構造の問題である以上、翻弄されるのは国民や政治であるという認識を視聴者や読者がリテラシーとして持つべき大きな課題です。このことは、横行する偽情報への備えともなるはずです。

(政治家と有権者の距離)

先ほど、政治という存在が、巷からは極度に抽象化されているのではないかという指摘をしましたが、これは政治と有権者の距離感の問題でもあると思っています。すなわち、自分らが選んだ代表が暗殺された、と思うのか、世間で批判もあった有名人が暗殺された、と思うのかは、政治と有権者の距離感に大きく影響をうけるのだと思います。

林芳正外務大臣に最近お聞きしたところによりますと、アメリカでは政治学を学ぶ学生に、社会統計を調査するよう指導するとのことです。統計の内容は何でもいいそうですが、条件を1つだけ付すらしい。その条件とは、必ず国会議員の事務所にアクセスして調査すること、の一点だそうで、学生に対して国家へのアクセスを実体験してもらうことが目的なのだとか。思えば殆どの国民は、あえて政治家との接点を持とうと考える人は少ないのだと思います。

アメリカがそういうプログラムを実践しているのは、アメリカでも国民にとって国会議員は遠い存在だからだと思います。しかし、そうした国家へのアクセスの意味合いを学生に積極的に教えていることが理由かどうかは別として、国家運営への関与意識、参政権としての国家への自由、という意識は、日米で決定的に違っているように思います。当該プログラムに参加したアメリカの学生は、国会議員事務所へのアクセスは想像より遥かに容易だったとの感想を持つそうで、距離感は近くなるのだろうと想像できます。

結局、政治家に限らず人間というのは外見だけでは分かりにくい。外見というのは準備されたものですから、準備された演説やテレビでの解説も含まれます。逆に言えば、準備を全くしていない自然体の時の雑談や普段の行動などでしか分からないものだと思います。従って、どれだけ努力を重ねたところで、人間性まで含めて良きにつけ悪しきにつけ評価頂けるのは、直接接することができる地元有権者か仕事仲間である同僚議員や官僚達に限られてしまいます。国家的リーダーの場合、その生身の人間性をメディアが等身大に伝えない限り、等身大の評価を全国民から頂けるわけがありません。

(正義の裁定者)

独善的社会正義(という言葉にも自己矛盾がありますが)による政治家暗殺の歴史を見るにつけ、社会正義とは何かを考えさせられます。人間生きていれば、社会正義に照らして考えるべき課題に出くわし苦悩することがありますが、恐らくマイケル・サンデルの白熱教室を100回受講しても、社会のルールがなければ直ちに解決策を見出すのは困難なはずです。そして個人の価値観で社会正義を定義づけ行動することは正義と言えないのは自明の理です。正義の絶対座標を個人で確立することは困難だからです。

例えば他人に迷惑をかけなければ何してもよい、とはリバタリアン的な自由の尊重ですが、それだけではベンサム的幸福の最大化は達成されないし道徳も無視されます。しかしベンサム的な幸福の最大化だけでは個人が無視されます。それでは道徳の尊重なのかというと価値観の多様性が無視されることは明らかです。正義は恐らくこの3つの座標軸のバランスをとって、社会で形成されている道徳的価値観を元に形成されていくもの、すなわち正義は社会に紐づいているものですから、必ず相対座標のなかで変化する可能性があるものです。だから政治が必要になる。

国際秩序の歴史を考える際、正戦論と無差別戦争観という概念があります。戦争に正しい戦争があるのかという論争は、古代からの問題提起ですが、神聖ローマ帝国が支配していた中世の欧州では、ローマ皇帝が正義の絶対裁定者として君臨していたため、皇帝が正しいとする戦争は正義の戦争とされました。これが正戦論ですが、時代が下りルターの宗教改革によって皇帝権威が失墜してから正義の裁定者が不在となり、戦争というものは法的には平等だとされ(無差別戦争観)、更に第一次大戦で莫大な被害を被ったことで、戦争は国際世論の中で民主的に違法化されました。斯様、正義の裁定者がいなければ無秩序に被害が拡大するのが人間社会であり、政治の役割は民主的裁定で秩序を安定化させることです。

もちろん正義に基づく民主的裁定以外にも、学術的な絶対的正しさにも基づく必要があります。すなわち政治は、相対的な価値軸である正義と、絶対的な価値軸である学術を、民意を通じて民主的に裁定する機能であると言えます。そしておそらくその裁定結果というものは、先ほど触れた功利主義と自由主義と道徳主義のバランスから外れるものを、規制か誘導かの政策で規律することに結果的になっているのだと思います。また、逆に政治によるルール形成が正義というものを新たな方向に時間をかけて醸成していくこともあるのだと思います。

斯様、正義は政治やメディアなどで構成される社会によって相対化される可能性のあるものですが、昭和初期のポピュリズムを見るまでもなく、歴史的視座から見れば必ずしも社会は正しい方向に向かうとは限りません。従って、正しい方向に向かうメカニズムを国家統治機構として確立することが重要です。そのためには政治が自らの権力に対して謙虚でなければならないのですが、一方で、メディアもJ.S.ミルが指摘したように世論を変え得る第四の権力として重要な役割をもっているわけで、自らの権力に対して謙虚さが必要なのは言うまでもありません。そして何よりも正義は相対化される可能性があるものだということを、社会が認識する必要があるのだと思います。

(参考文献)
本文中の歴史的考察は、本文中でも触れています通り、月刊VOICE上に発表されている筒井清忠先生の論考(2023年4月号~8月号連載「近代日本暗殺史」)によるものを参考にさせていただきました。

地元党支部大会開催のご報告

去る6月11日、党よりお預かりしております自由民主党香川県第三選挙区支部の党支部大会を開催させていただきましたところ、大変お忙しい中、党員代議員の皆様にはわざわざ足をお運び頂きましたこと、心より感謝申し上げます。ありがとうございました。過去3年間はコロナにより役員会をもって総会に代えさせていただいたり、規模縮小を余儀なくされたこともありました。久しぶりに通常運営での支部大会とすることができました。これもひとえに党員各位のご理解とご協力の賜物と改めて感謝申し上げます。

今回は、党本部より、大変ご多忙のところ加藤勝信衆議院議員(厚生労働大臣)にお越しいただき、ご講話を頂きました。日頃より加藤大臣には様々な場面で大変お世話になっておりますが(直近では、民間データ利活用による社会状況把握と意思決定支援のプロジェクトや、有識者を交えた外交勉強会、更には創薬力強化プロジェクトなど)、不躾ながら無理を承知で掲題の大会でご講話賜りたい旨お願いいたしましたところ、快くお引き受けいただきました。全くもって感謝に堪えません。当日は、大変貴重なご講話を賜り、私自身も大変勉強になりました。

今国会も残り僅かですが、最後まで誠心誠意努めて参りたいと思いますので、引き続きご指導ご鞭撻を賜りますよう、よろしくお願いします。

大野敬太郎

中小企業政策と地域社会課題解決

(写真は党中小企業調査会PTの様子)

急激な輸入物価高騰による資材燃油高騰が続いており、事業者にとっても、消費者にとっても、非常に厳しい状況になっています。激変対策として、燃油や電気代の補助事業を行っていますが、持続可能ではないので、当面は続けるとしても、あくまでこれは臨時措置として認識しています。では政治は何をやっているのか。

今回は、昨年末から今月までの党中小企業政策調査会での17回にわたる議論と、経済財政の基本方針文書である骨太方針に向けた提言について、報告したいと思いますが、その前提となっている経済認識から触れたいと思います。(私は、伊藤達也調査会長、福田達夫事務局長のもとで社会課題解決PT座長として関与して参りました)。

〇経済の基本認識

連日のように食材の値段が上がったという報道に接して感じるように、消費者目線では、物価高を乗り越えるため、企業には給料を上げしてほしいと願うのは当然です。政府も産業界に賃上げを求めています。しかし企業としてみれば、資材や燃油高騰でただでさえ苦しいなかで、人件費に回す余力は到底ないと感じるはずです。だから政府の賃上げメッセージも地方の中小企業では冷めた目線で見られる。

ただ、よくよく考えると、30年間にも及ぶデフレと低成長で、値段というものは上がってはいけないということが日本人の骨の髄まで沁みついてしまっているのではないか。ここが本質的な問いになります。

結論から書けば、資材や燃油高騰があっても、売値に転嫁できれば経営は安定化するはず。ただ、転嫁をすると最終消費財の価格は当然上がるので、経済全体で考えれば消費者は困り、消費が減退し、経済が回らなくなる。ではどうするのか。企業には、資材や燃油の上昇に加え、人件費の上昇分も加味して、転嫁いただくことが必要という結論になります。

一方でこうした転嫁構造が進んでも対応できない業種が、政府調達を仕事としている業種です。公共事業受注比率の高い建設業などですが、そこは資材価格が上昇して転嫁しようにも転嫁先が行政なので、行政が転嫁に応じないとどうしようもない。行政の価格設定は、まず市況価格を調査して、無駄遣いをしないように予定価格を決めてから、競争入札をかけます。業者にとってみれば、落札したのはいいものの、仕事を始めたら既に資材が上がっているということもあります。現在、スライド制度で市況価格の調査頻度を上げて対処していますが、私はそもそも目標物価と目標賃金上昇を定めて、先んじて転嫁を受け入れるべきであると考えています。

一方で政府の本質的役割は、そういう構造的転嫁が可能になるよう、経済状況をマクロ政策でしっかりと支えていくことです。金利政策で雇用環境を維持し、財政政策で総需要を確保しておくこと、の2つが柱です。そのうえで、転嫁を進めるための元請けに対する「下請けからの転嫁依頼は積極的に受け入れて!」というメッセージを発出すること、それでも非協力的な元請けは社名公表を含めた措置を講じること、などです。更に細かく言えば、産業の川上から川下までで転嫁に差があり、一番弱い立場の下請けは転嫁に苦しむので、調査をしっかりとすることも重要になります。

考えてみれば、かつてバブルのころまでは、日本は世界経済をけん引できる勢いがありました。しかしそれ以降、成長はストップ。一方で海外は、少しずつ成長し、今ではアメリカの平均所得は日本の2倍近くだと言われます。海外が伸びるのは、海外では賃金が上がっているということで、それは売り上げが伸びるからですが、それはとりもなおさず売値が上がってきているということです。日銀がよく言う2%の物価上昇が望ましいという状況です。ところが日本は値段は上げてはいけないと思い込んでいる。

大手企業の内部留保が膨らんでいることが話題になることがありますが、大まかにいえば、これは海外で稼ぎ貯めている。国内市場の魅力がなくなっていると企業が感じるから海外がメインになっていますが、厳しい言い方をすれば魅力がない市場にしているのは産業界側なのだという認識があまりない。適切な値段で売って従業員にも給料をしっかりと出すことで消費も強くなり、経済は回るようになるはずです。

2012年に安倍政権が発足した当初から、こうした状況を作ろう政策を断行してきましたが、誤算があったのが雇用構造とコロナの2つ。働こうとする人が増えてきたのは良かったのですが、非正規の女性と高齢者が増えた。そこにきて、本格的に強気になれない企業が、調整しやすいからと、こうした新しい人材を非正規として採用していきました。そして正規も非正規も賃金はあがったものの、正規より比較的賃金の安い非正規の人数が増えたので、全体的な賃金は上がらなかった、という第一の誤算がありました。その後、こうした雇用市場の構造問題は2020年ごろには一巡するであろうと思っていたところに、コロナという第二の誤算があり、完全にとん挫してしまったとの認識が共有されているのだと思います。

本質的には、物価高を産業のなかで吸収する構造を作り出すことが必要で、転嫁を兎に角進めることです。転嫁構造が進んで賃金も上がれば、本格的なデフレマインド脱却のきっかけになると思っています。そしてその後に、コストプッシュインフレが収束するであろう来年に照準を合わせて、新たなブーストフェーズの政策をしっかりと用意しておく必要もあると思っています。

〇社会課題解決事業ー自民党中小企業調査会提言

自民党中小企業調査会提言

提言の基本認識は、人口減少下で人不足と後継者不足という構造的問題のなかで、1.物価高を乗り越えるための方策(上記の認識と共通)、資金繰り支援、事業再構築や生産性向上の支援という基本的かつ対処的、帰納的な視点での政策ツールの提言とともに、2.地域経済の好循環をどのように生み出せるのかという演繹的視点の政策提言です。

そこで中小企業・小規模事業者を4つの類型に分けて、それぞれに合致した支援策を講じ、これらの相乗効果で地域全体の価値向上に誘導することを提言しています。具体的には、①グローバル型(海外展開で外需を獲得し中堅企業に成長する群)、②サプライチェーン型(品質でサプライチェーンの中核企業に成長する群)、③地域資源型(地域資源を活用し付加価値の高いモノ・サービスを提供する群)、④地域コミュニティ型(地域の生活や社会を支え地域の課題解決に貢献する群)です。

その中で、地域経済の好循環を生み出し拡大するための政策として、3つの柱を立てています。第一は、①や②のように地域でスケールアップを目指す中堅企業に対して、M&A等の経営戦略支援や輸出・海外展開、イノベーション、人材・資金面の支援を重点的に投入する「100億円企業」支援。第二は、社会課題解決を新たな市場として見立てた新しいタイプのビジネスに積極的に挑戦する企業に対して、インパクト投資の拡大を中心とした支援を講じる「ゼブラ企業」支援。第三は、③や④のように地域では不可欠な企業に対して、切れ目ない継続的な事業再構築や生産性向上の支援。

どの柱も重要なのですが、その中で特に第二の柱について注力しておりましたので、触れておきたいと思います。

1.基本指針・行動指針策定

社会課題を事業として解決しよとする企業(ソーシャルビジネス)の重要性は、5~6年前から指摘をし、党内でも議論を続け、政策提言もして参りましたが、ここ1~2年で急激に脚光を浴びています。そこで、この期に、しっかりとステークホルダーの役割を明示するべく、基本指針と行動指針を策定することを政府に求めています。(実はここ数年温めていたアイディアです)。

主要なステークホルダーは、もちろん住民ですが、その他、社会課題解決企業自身と共に、自治体、地域金融機関、投資家、大企業、中間支援団体などですが、それぞれの果たすべき役割を、対象となる地域や分野、規模等の違いも踏まえて整理することが必要です。

2.中間支援団体を中核としたインパクト投資も見据えたモデル事業実施

社会課題解決事業の実施は、言うは易し行うは難し、なのですが、まずはモデル事業を実施し、そののちに横展開を図ることを求めています。当然、インパクト投資の仕組みを積極的に利活用することを念頭に置いています。

3.認証制度の仕組みの検討

社会課題解決事業の最大の難しさは、地域社会の合意形成にあります。怪しいと思われたら終わり。であれば、怪しくない健全な社会課題解決事業者を認証する仕組みを検討すべきです。基本的には行政が評価する絶対座標の認証と、関係者の間で評価する総体座標の認証が必要と思っています。ここは長らく議論をしてきたもので、難しい課題ではありますが、やり遂げたいと思っています。

4.事業拡大に向けた中小企業補助金の活用

原則として、社会課題解決事業には補助金は入れないのが基本ポリシーです。なぜならば、補助金を入れれば入れるほどダメになっていくからで、そのことは以前から指摘して参りました。ただ、そうは言っても、イニシャルコストとしてどうしてもかかる費用を支援することは検討すべきということで、既存の施策に社会課題解決事業者の枠を設けることを考えました。

5.インパクト投資・融資の普及促進

何よりも社会課題解決のビジネスは、資金調達をどうするかが最初の課題になります。通常のモノやサービスのビジネスであれば、収益を得るまでにそれほど長い時間はかかりませんが、社会課題自体が市場であるので、息の長い資金調達が必要になり、通常の融資や投資は合致しないことが殆どです。そこで、社会課題解決事業に合致した資金供給の在り方自体を創設すべきだとの結論です。

6.コーポレートガバナンスコード活用のための取組

世界のESG資金を大企業が呼び込み、大企業が地域の社会課題解決事業の支援に繋げていくメカニズムを念頭に、大企業がメリットを享受できるようにするためにコーポレートガバナンスコードを活用することを提言しています。しばらく改定は行わないことになっていますが、既存のものを活用するメカニズムの構築を提言しています。また当然、改訂されることになったら、しっかりと反映していくことも求めています。

7.企業版ふるさと納税制度や地域活性化企業人制度等の活用

最後に、社会課題解決事業に対する大企業の資金面や人材面の投資を促していく有効なツールとして、企業版ふるさと納税(人材派遣型を含む)や、地域活性化起業人制度等の一層の活用を図ることを求めました。また、休眠預金制度の更なる活用を、本年予定されている 5 年見直しの機会を捉えて推進することも求めています。

【善然庵閑話】インパール

インド北東部マニプール州、と聞いてもピンと来る日本人は少ないと思いますが、その州都であるインパールという名前は、おそらく未来永劫日本人の心に焼き付いて離れないのだと思います。その地は今、インドのモディ政権にとって国内統治の意味で最重要地域になっています。

なぜこの話題なのかというと、実は今夏にインパールでの記念式典に参加するためにインド訪問を計画していたのですが、暴動が発生したとのことで中止になったため、思いだけが取り残されたので書き記しておくことにしたものです。従って、何かを皆さんにお伝えしたいというものでもないので、久しぶりに「善然庵閑話」シリーズとしました。

(多民族多言語国家インドとグローバルサウス)

インドは多民族多言語国家であることは有名ですが、東北部ほどこの傾向は強く、マニプール州も、中心部のメイテイ族のほか、山間部のクキ族やナガ族など、多くの民族を擁しています。ただ、この辺りはモンゴロイド系が多いため、日本人と見た目はそれほど違わず、インドらしくないインドなどとも言われているらしい。

多民族国家を統治するのはどの国でも大変で、インド政府もいわゆるアファーマティブ・アクションの一環で、指定部族に対して就職や税制や土地占有などの優遇政策を講じていますが、何をするにしても政治的にセンシティブな問題です。今回のインド北東部の暴動騒ぎも少数民族を巡る争いで、具体的には、中心部のメイテイ族が指定部族に入っていない(優遇されていない)のは違憲だとするマニプール高等裁判所の判決があり、これをきっかけに、周辺少数民族からの大反発とデモが始まり、内乱に発展したとされています。

参考)時事通信)部族衝突で54人死亡 インド、デモ隊が暴徒化(5月7日)

現在は、当局が強力な法的措置を講じて、発砲許可を与えた上で1万人規模の軍や機動隊からなる治安部隊を派遣し、デモを鎮圧しているために徐々に混乱は収束傾向にあるようですが、17日の時点で73名の死亡者、243名の負傷者、4万人規模の避難民が発生ということですから、暴動規模は決して小さいものではありません。現在も、ネットや物流の遮断、小規模衝突は継続していると言います。

政治的には、クキ族選出の州議会議員がメイテイ族中心の州政府運営を厳しく批判してクキ地区の自治権を求める運動を展開、また州住民は暴動処理で中央政権の積極関与が見えないとの批判があり、さらに言えば、そもそも暴動の背景にミャンマーからの避難民増加によるクキ族人口増加、ミャンマー国境の麻薬栽培、地政学的観点など、様々な憶測があることが、混乱を強めているように見えます。

実はこうした混乱は過去にも何度も発生しています。それだけ、多民族国家の統治は日本では考えられないくらい大変だということです。そして、そのためのインドの統治機構は極めて特徴的なものになっています。その典型例が、全インド公務職と言われるもので、地方州政府の課長級以上のポストは全員中央政府から派遣されるというもの。優秀で意識の高い人材を中央で一括採用して地方に配する代わりに、強大な権限を州政府に移譲しているとも言えます。

いずれにせよ、インドは、いわゆるグローバルサウスと呼ばれる新興国や開発途上国側のリーダーだと自ら自認しており、国際場裏ではその存在意義と発言力が益々高まっていますが、そのインドの政権が抱える決して小さくはない課題が、国内の統治システムと民族間対立であることは、しっかりと認識しなければなりません。

(インパールと日本)

インパールが日本で有名なのは、旧帝国陸軍が大東亜戦争で最も無謀と言われた作戦の攻略目標地点だったからに他なりません。この作戦の戦略目的は、インドを英国から独立させること、そのためにビルマ防衛、そして補給路である援蒋ルートの遮断でした。援蒋ルートは正確に言うと4つのルートがあったようですが、インパール作戦は最後に残っていたビルマルートの遮断を狙ったものでした。そして、最も無謀との汚名通り、この作戦で7万人近くが戦死しています。そして、もっと悲惨なことに、作戦失敗後から敗戦までの約一年間で、更にこの地で10万人の将兵が命を失ったと言われています。

私が非常にシュールだと感じるのは、敵の補給路を断つという作戦で、自らの補給を考えていない、ということです。全てが現地調達を前提としているのですが、そのための情報収集もなければ細部計画もなく、従って各フェーズの実行可能性も検討されていないという有様でした。実はこの作戦は俄か作りのものではなく、開戦当初から大本営陸軍部によって企画されましたが、当時も非現実劇であるとして多くの参謀から否定されていました。実際の作戦指導をしたのは、牟田口第15軍司令官ですが、牟田口が大本営に参謀として勤務していた時は、この作戦には否定的であったと言う記録が残っています。

なぜ牟田口が転向したのかは分かりませんが、ミッドウェイ海戦で海軍が壊滅的打撃を喰らった以降、徐々に敗戦色が強くなっていく中で戦争指導部の意識も暗くなっていたものを、何とか起死回生の一撃で立て直しを図ろうとしていたのではないかとの解釈が一応は共有されているように思います。だとしても、全く成功する見込みのない作戦は、当然起死回生にもならないのは明らかです。

一方で、日本目線のインパール検証が多い中、笠井亮平先生は、英印目線のインパールの戦いを書いています。イギリスでは、開戦直後から日本軍の快進撃で撤退を繰り返し、インドがアジアの最後の砦になっていたこと、反転攻勢の機会を常に狙っていたこと、そのために緻密な情報収集と細部の作戦計画を立てていたこと、全体としてはイギリス優位で進んだ戦いだったものの、戦局を左右しかねない局地戦では辛うじてイギリスが勝っていること、などから、イギリスでは、「東のスターリングラード」ともいわれ、ノルマンディーやワーテルローを押さえて歴史上で最も重大な戦闘であったとしています。

いずれにせよ、名著「失敗の本質」だけではなく、多くの著作で細部にわたって検証されているインパール作戦。大きな組織が犯す失敗をしっかり学び、そうしたことに陥らないよう、体制・制度・運用・意識の各面から常に検証する必要が議会にはあります。

(参考:インパールに関する過去の投稿

経済的威圧と国際秩序の行方

笹川平和財団が主催する統合安全保障と題されたプログラムの一環で、4月29日から5日間の日程で、米国ワシントンを訪問、政府関係者、シンクタンクとの議論に参加をして参りましたが、その際に強烈に感じたのが、国際社会の経済的威圧に関する関心の高さです。日本では、昨年末に改定された国家安全保障戦略でも明記され、党内では経済安全保障推進本部で議論を進めていますし、また政府内でも検討が進んでいるものと思いますが、経済的威圧に対する対策の重要性を改めて実感しました。

経済的威圧とは、経済力を背景として、相手国に対する貿易投資制限、企業活動制限、個人身分制限、情報戦など不透明な影響力行使など、経済的もしくは非経済的手段によって、自国に有利な環境を作ろうとする行動で、全てとは言いませんが基本的には国際ルールを微妙に無視したものです。有名な事例が、中国が2010年に日本に対して行使したレアアースの禁輸です。レアアースはバッテリーやモーターなど現代を生きる我々にとっては必要不可欠な製品の基礎的な材料ですが、埋蔵量や精錬量で圧倒的に強みを握る中国が禁輸と言う手段で日本に揺さぶりをかけた事例です。

こうしたサプライチェーンのチョークポイントを狙い撃ちする供給網型(売らない圧力)のほか、圧倒的な市場力(購買力)を背景とした市場力型(買わない圧力)もありますが、例えば、ノルウェーはサーモンの輸入制限、フィリピンはバナナの輸入制限をかけられたことがありました。また、韓国は中国内にある韓国系スーパーの営業制限をかけられたり、モンゴルは、貨物の国境関税手続きの恣意的遅延を受けたりしたことがあったとされます。

いずれにせよ、多種多様な手段を用いた経済的威圧を、国際社会と連携して抑止していくことは極めて重要です。かつて、イギリスの前首相トラス氏が、経済的威圧への抑止策として、経済版NATOを創設すべきだと主張したことがありましたが、集団的対抗措置は必要なのだと思います。G7等で議論が加速されると思いますが、私自身も党の議論を加速していきたいと思います。

ただ、よく考えておかなければならないのが、国際秩序の構造です。以下、そのことについて触れたいと思います。最近、新興国や開発途上国を意味するグローバルサウス(以下、新興国)という言葉が頻繁にメディアを賑わせるようになりました。新しい言葉ではありませんが、新しく注目されるに至った言葉です。この言葉には、現在の国際秩序を強烈に表す意味が込められています。

国際秩序という意味で、世界には3つの視点があると言えます。1つはG7を中心とした世界観。もう1つは中国の世界観。最後は新興国の世界観です。現在、国際社会はこの3つの世界観を適切に管理(マネージ)できるかが問われています。G7も中国も、新興国の支持を最重要視していますが、新興国はG7か中国かという二分論を迫られることを嫌っています。

G7の世界観は、自由、民主主義、人権、法の支配といった基本的な価値観を最重視する世界観です。日本の国家安全保障戦略の第一章でも描かれていますが、既存の民主的秩序に対する挑戦者である権威主義国家群とどう向き合うのかを問うています。すなわち、民主的国家群VS権威主義国家群の世界観です。ロシアによるウクライナ侵略、特に核兵器の使用を示唆したことは、到底受け入れられるものではありませんし、また、中国の台湾に対する平和原則を無視した言及や、南シナ海での国際法を無視した活動、貿易取引ルールを無視した経済活動などは、到底受け入れられるものではありません。

一方で中国の世界観ですが、中国はこれまでアメリカによる安全保障秩序に正面から反対してきました。アメリカによる先進国を中心とした力による秩序ではなく、国連を中心とした秩序が重要なのであって、民主的秩序よりもむしろ経済による秩序がこれから重要なのだと主張しています。すなわち、中国を含めた開発途上国や新興国VS先進国の世界観です。国連中心の秩序観なので同盟国を作ることはせず(北朝鮮だけが例外)、自主独立の外交方針を貫いています。また軍事行動は経済秩序を守るためのものであって、武力による秩序を作ろうとしているわけではないと主張しています。例えば一帯一路構想というのは、自国内の秩序作りでもありますがそうした世界観の表れでもあり、双循環に基づく発展戦略(※)もその表れです。そして、こうした中国の国際秩序観を、中華民族の偉大なる復興の夢という国家観とともに、建国100周年にあたる2049年までに実現するとしています。(※外国からの技術移転を通じた自国の産業レベルの強化、自己完結型サプライチェーン構築、他国の対中依存の強化。)

また新興国の世界観は、と言っても新興国が組織化されているわけでもなく、それぞれの国にそれぞれの事情がありますから統一された世界観があるわけではなく、十把一絡げには決してできませんが、大雑把に言えばG7の世界観や中国の世界観に完全に属することを嫌う傾向にあると言えるのではないかと思います。

では、そうした新興国に対して中国はどのようなアプローチをとっているのか。中国による新興国政策は、G20や上海協力機構(SCO)、中央アジア諸国、太平洋島嶼国、BRICS、AIIBと言った枠組みを活用し、経済力を背景にG7等の先進国を牽制しながら、地域の特徴を踏まえた援助や協力を個別的に行っていると言えます。東京大学の川島真享受によると、ASEAN諸国に対しては、アジアの一員を強調して自主を促し、アメリカに追随しないように求めています。また、中央アジア諸国に対しては、そもそも先進国に追従する環境にそれほどないこともあり革新的利益を含む共同宣言を採択するなど、踏み込んだ対応をしています。また、太平洋諸国に対しては、寛容な態度を見せて援助を申し出て協力を得ようとしています。また、上智大学の渡辺柴乃教授の調べによると、二国間関係も交換文書のレベルでみると濃淡があって、戦略的な協力関係にあるのは当然ロシア。それにパキスタン、カザフスタンが続き、中央アジア、ASEAN、太平洋諸国、EU諸国などが続きます。このことは、機会があればまた触れたいと思います。

いずれにせよ、こうみると日本がとってきた方針は実に先見の明があったように思えます。それは新興国の重要性が注目されるようになる遥か前から、アメリカと強力な同盟関係にありながら、包摂的な世界観をもって外交方針を定めてきたからです。かつて安倍総理が提唱し現在でもG7各国の基本的考え方となっている「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」構想というのは、自由や法の支配という世界観を基本的には推進するものですが、提唱した当初から、中国も含めて全ての国に開かれている、ということが強調されていました。新興国へのアプローチという意味では、今年に入ってから提案されているFOIPの新しいプランは、結果的に新興国各国の目線に併せて寄り添う姿勢を示したものになっています。

いずれにせよ、先進国も中国も新興国をかなり意識した外交を展開していますが、援助によって支持を得ると言うことは一つの切っ掛けにはなりますが本質的な支持には繋がらず、むしろ本質的に新興国諸国とともに生きる道を示すことの方が重要なのだと思います。

ちなみに、日本で新興国の認識が強く意識され始めたのは、ロシアのウクライナ侵略後を巡った国連でのロシアに対する決議における各国の投票行動の結果からだと思います。以前にも触れましたが、決議の内容によっては賛成票より反対+棄権+無投票が多い場合もありました。中国やロシアによる影響力行使が背後にあったのではないかとの指摘も識者からなされていますが、冒頭触れた経済的威圧に関する対抗手段については、こうした国際社会の構図を十分理解しながら、スマートな設計をすべきだと考えています。

デジタルデータの取り扱いに関する国際ルールについて

先月、中国のとある企業が提供している世界中で人気の動画アプリTIKTOKを巡り、先進国各国が国家安全保障上を理由に利用制限することを相次いで発表したことが話題になりました。このアプリについて、私自身は使ったことがないのですが、恐らく一般の利用者にとってみれば、個人情報の漏洩を少しは心配しながら、利用の楽しさと利便性の方が遥かに勝るので、これだけ広がっているのだと思います。

当該企業は、その運営を巡って従来から様々な問題が指摘されておりました。私自身は、それほど深く当該企業の内情を知り得る立場にないので、軽々に判断することはできませんが、それぞれの問題について一応は対処し改善策を公表しているので、見ようによっては急成長する企業が社会のルールやマナーをそれほど意識することなく勢いで運営し、様々な問題が生じてしまったので、そうした課題に対処しようとしている、とも言えます。

しかし、我々が問題にしているのは、当該企業というより、当該企業が立地する中国の法的基盤の脆弱性です。何度か触れていますが、中国は2017年に国家情報法という法律を策定しましたが、内容は、カウンターインテリジェンスだけだとしながら、安全保障上の理由で私企業に保有する情報の全てを提供する義務を課すことができる法律です。即ち、日本人を対象にデータを収集することで成り立つ中国プラットフォーム事業者は、中国政府の命令で全てのデータを提供しなければならないことになります。

実は先進国でも政府が情報提供を求めるルールを定めている国はありますし、日本も現時点では殆どありませんが将来的には厳しい安保環境に官民で対処するために、情報共有を求める必要があると思います。ただ、民主国家では、その運用はどのような形にせよ必ず民主統制されていて、一応は説明責任を果たすガバナンス体制が整備されています。ただ、覇権主義国家の場合は、そもそも政府の運用は民主統制ではなく統治者に一任されているところが問題です。従って、究極的には、民主国家と覇権主義国家の国家体制の問題に帰着します。

それぞれの陣営が完全に分離して社会を形成しているのであれば、国際問題とはなりませんが、日本もアメリカも、中国との貿易は伸び続けているわけで、摩擦が生じるのは必然となります。

こうした相克問題を解消するためには、国際ルール整備が何よりも重要で、2つの方向性が考えられます。一つは、データの越境移転を制限する方向(ローカライゼーションと言います)。もう一つが、そもそも政府がデータにアクセスする一般原則を定める方向です。

実は国際的にはどちらもそれほど議論は醸成されていません。ただ、注目すべきは、昨年12月末にOECDが、政府が民間個人情報にアクセスする際の制限の在り方に関する一般原則を定めた宣言を取りまとめたことです。(専門的には、ガバメントアクセスと言います。)

https://www.ppc.go.jp/enforcement/cooperation/international_conference/OECD_0412/

先進各国のデジタルデータの取り扱いに関するルールは発展途上にあり、この宣言は各国制度を最小公倍数的にまとめたものではありますが、国際的に初めて一般原則を定めたものとして注目されました。一部報道では、中国に対するけん制とされました。

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA153IP0V11C22A2000000/

ただ、この議論の流れは必ずしも安全保障ではなく、主に個人情報保護とデータ保護にあり、そのルーツは実は安倍総理が2019年に提唱したDFFTにあります。DFFTについては後程触れますが、DFFTが提唱された背景は、GAFA(Goolge Apple Facebook Amazon等)と呼ばれるデジタルプラットフォーム事業者の個人情報の取り扱いに関してルールを整備すべきだというところから始まっています。

というのも、欧州はそもそも日本よりも規制大国で、何から何までルールを定める国家群で、GDPRという個人情報とデータ保護に関する厳しい規制を定めたのが発端です。日本から見るとGAFA排除とも映りました。先進国で過去にデジタルプラットフォーマに対する課税ルールを定めたのも、GAFAだけが独り勝ちしているのを修正するためでした。つまり、米欧間の相克問題発端だったとも言えます。

DFFTは、そうした米欧相克を解決するために2019年のG20大阪サミットで生み出されたものです。Data Free Flow with Trust の頭文字をとったもので、極めて的を射た指摘だと今では国際社会の中で注目を集めている概念です。字義通り、信頼あるデータの自由流通のことで、目的はプライバシー、データ保護、セキュリティー、知的財産の取り扱いが柱となっており、具体的実装の方向は、通商ルールか、規制ルールか、技術ルールか、が考えられています。

ただ、通商ルールの整備には各国の利害が直接絡む話になり、直ちにはまとまりそうもないので、日本としては規制ルールと技術ルールについて議論を進めていこうという話になっています。

今年のG7広島サミットで、このデジタル国際ルールに一定の方向がでてくるのだと思います。日本が提案しているのが、IAP( Institutional Arrangement for Partnership)と呼ばれる国際官民連携基盤です。国家間だけではなく、民間も含めて、信頼ある自由なデータ流通をどのように確保すべきかを議論することができる座組を提供しようとするものです。

そこで議論されうるものは、細かい話になるので深掘りはしませんが、例えば技術ルールではTrusted Webなど、規制ルールについてはデータの越境移転や国内保存に関する規制のベースレジストリの作成やPETsと呼ばれる個人情報保護強化技術などです。

私自身は、中国の法的脆弱性、即ち運用の不透明性について、IAPの関係者が十分意識しつつ、信頼あるデータの自由流通について、それぞれの専門家が議論して頂けることを期待していますし、また、先ほど触れましたOECDのガバメントアクセスに関する宣言が、各国で具体化され、更に発展することを期待しています。将来的には、国際的な合意形成を進めていくために、CPTPPやFOIPと絡めて議論を加速する必要があるのだと思います。

経済安全保障上の重要政策について(提言)

経済安全保障上の重点課題として、セキュリティー・クリアランス、サイバー・セキュリティー、経済インテリジェンスの3点をセットを、党経済安全保障推進本部で提言として取りまとめ、安全保障調査会、サイバーセキュリティ戦略本部、デジタル社会推進本部との連名で、政府に申し入れを行いました。小林鷹之前経済安保担当大臣が事務局長を務めていたときからの党としての重要政策です。

(セキュリティー・クリアランス)
既に昨年から国会で議論されるようになったため、聞いたことがあるかもしれませんが、重要な情報を保全し、その情報を取り扱う者の適性を評価し認証を与える制度です。日本は先進諸外国と比べて遥かに劣っているため、例えば政府から認証を貰えないために海外事業や研究に参画できない場合があり、早急に整備すべき課題で、国会では与野党から早期整備を求める意見が相次ぎました。提言では、遅くとも来年の通常国会での成立を求めています。

大まかな内容ですが、政府保有の情報については、秘匿性と分野に応じて情報区分を詳細設計し、それに応じた適正評価の調査深度と適格性認証を属人的(場合によっては施設に)に付与する制度を求めています。民間保有の情報については、重要インフラを念頭に事業者と協議のうえで国際的に均衡のとれる必要な範囲で適用し、それ以外についてはガイドラインを念頭に置くことを求めています。念のためですが、この制度は、認証を得ようとする人に対する制度ですので、政府が勝手に適正評価をこそこそやるなどというものではありません。本人同意が前提です。

(サイバー・セキュリティー)
アクティブ・サイバー・ディフェンス(能動的サイバー防御・ACD)も、ずいぶん前から必要性が指摘されておりましたので、お聞きになったことがあるかもしれません。サイバー攻撃は、様々なサーバーを経由して行われるため、少なくともどこからの攻撃かを特定しない限り、受動的に防御するのは困難とされています。ところが日本はこれまで受動的なサイバー防御しか行えないとされてきました。パソコンにウイルスソフトを入れるのは受動的防御です。しかし、ウクライナの例を挙げるまでもなく、日に日に国際社会のサイバー攻撃の烈度が高くなっており、先進諸外国からも日本の脆弱性を厳しく指摘する声が大きくなっていました。

提言では、内閣官房に運用機能を新たに設置し、そこでACDを実施する組織を置き、加えて民間とのインシデント共有や対処調整を行う機能、他の行政組織のサイバー防御の対処調整を行う機能、インテリジェンス機能、国際調整機能のほかに官房機能を置き、サイバー防御の一元的司令塔機能とすることを求めています。ACDは、実施権限や関連法令との関係整理も必要です。来年の通常国会を念頭に1年を目途に法改正と体制整備を行うことを求めています。

(経済インテリジェンス)
横文字が多くて恐縮ながら、インテリジェンスとは意思決定に資するよう様々な情報を分析して得られる知見のことで、単なる情報とは異なるものです。現在は、内閣官房に設置された内閣情報調査室が政府の一元的情報集約組織となっていますが、経済安全保障上の情報はこれまで主な対象ではありませんでした。例えば、他国から経済的威圧を受けた場合、あるいはサプライチェーン分断が生じた場合、起こり得るインパクトの評価と対処方針を示すためには、何よりも経済インテリジェンスが重要になります。提言では、インテリジェンスの収集・集約・分析が正しく機能するための諸施策を実行することを求めています。

いずれにせよ、政府の検討が進捗した段階で、再提言を行うことを前提としたものです。

(参考)
・NHK:自民“「能動的サイバー防御」導入へ法整備検討を”首相に提言

自由で開かれたインド太平洋~新たなプラン

先日、岸田総理が電撃的にウクライナを訪問し、後日、国会にて総理からの報告がありました。それはそれとして、実はそれに先立って訪問したインドで発表した外交戦略の方こそ、本当に重要な意味があるのだと思います。タイトルの通り、発表されたのは「自由で開かれたインド太平洋のための新たなプラン」です。

先月の2月24日で、ロシアがウクライナ侵略を開始してから丁度1年であったこと既に書きました。
https://keitaro-ohno.com/11875/

その時にも触れたとおり、G7をはじめとした先進国とグローバルサウスと言われる新興国の間で、微妙な隙間風が吹いており、国際秩序の安定化のためには、その隙間を何としてでも埋めないといけないのが今の世界の現状です。

ロシアのウクライナ侵略から現在までに行われた国連総会決議の結果を以下に示します。

国連総会決議の投票結果(賛成以外=反対・棄権・無投票)
決議内容(日付)賛成反対賛成以外
非難決議(2022.3.3)141552
人権委除名(2022.4.7)9324100
併合反対(2022.10.12)143550
賠償要求(2022.11.14)941399
即時撤退(2023.2.23)141752

侵攻当初の非難決議では141か国の賛成票が得られた一方で、続く国連人権委員会での除名採決での賛成票は93か国に留まりました。この時、棄権や無投票も合わせた反対は100か国に上りました。続く併合反対決議では、143か国の賛成が得られたものの、賠償要求は94か国となりました。

すなわち、ロシア権益に直接影響するような強い決議であれば賛成国が減り、賛成よりも反対+棄権+無投票が多くなる傾向にあるということです。特に米国が主導した人権委除名決議は、採択こそされたものの、影を落とす結果となっています。

ロシアは経済力はそれほど大きくないものの、更にボストークと呼ばれる軍事演習や武器供給、豊富な資源の供給、更には食料供給という構造を利用して、多くの国に影響力を行使しているはずですし、中国も中ロ関係を通じて経済的影響力を行使しているのではないか、と言われています。

いずれにせよ、国際世論を形成できなければ秩序は維持できません。先のブログ記事での拙文はそうした課題認識を示したものでしたが、「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)~新たなプラン」は、まさに具体的な取り組みの方向性を打ち出したものになっています。

https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/100477659.pdf

FOIPは価値を含む国際政治ビジョンですが、その中核的な理念は、開放性・多様性・包摂性であって、グローバルサウスとの連携強化にはとても相性がいいはず。新たなプランでは平和と地球規模課題に対処することを明示的に目的としました。具体的な取り組みは資料をお読み頂ければと思いますが、新たなアプローチとして、JBIC等を中核としてODAを戦略に使い、民間資金動員型の無償資金協力枠組みやスタートアップ出資に対応することとなっています。以下、取り組み内容をざっくりと紹介します。

1.平和の原則と繁栄のルール
弱者が力によってねじ伏せられない環境を醸成するための取り組み。具体的には一方的な現状変更への反対と対話を通じた紛争解決。さらにはWTOを基礎としつつCPTPPなどEPAやIPEFを通じた連携強化。そして不透明・不公正な観光を防ぐためのQII(質高インフラ)に関するG20原則や透明な開発金融。

2.インド太平洋流の課題対処
国際公共財(5点)の強靭性・持続可能性の向上。具体的には「アジアゼロエミッション共同体」や「ブルーオーシャンビジョン」などの国際枠組みを通じた気候・環境やエネルギー安全保障。食料安全保障としての新興国支援。ユニバーサルヘルスカバレッジやアセアン感染症対策センターなどの国際保健。防災・災害対処協力。偽情報やサイバー犯罪などを含むサイバー協力。

3.多層的な連結性
FOIPの中核的な取り組み、域内の連結性を強化し脆弱性を克服。具体的には、東南アジア(JAIF)、南アジア(産業バリューチェーン構想等)、太平洋島しょ地域(パラオ国際空港・海底ケーブル・能力構築支援など)などさらなる連結性強化の取り組み。知識と経験の繋ぐ筑波大学マレーシア分校等、研究室と現場をつなぐ遠隔ICUサービス提供等、起業家と投資家をつなぐスタートアップ支援等、人の視点で知の連結性を強化する取り組み。Open-RANなど高信頼デジタル技術推進と海底ケーブルなど情報通信インフラ整備などデジタルコネクティビティ。

4.海から空へ広がる安全保障・安全利用の取り組み
従来の海洋のみならず空域を含めた公域全体の安全・安定を確保。具体的には、海洋における法の支配三原則の徹底。巡視船・機材提供・輸送インフラの支援や、人材育成IUU漁業対策など海洋法執行能力の強化。能力構築支援・共同訓練・法的基盤整理(RAA/ACSA含む)、新たな支援枠組み(資金)、海洋状況把握の強化などによる海洋安全保障の強化。そして空の状況把握能力向上、ドローン等新技術の協力など空の安全利用の推進。