国連改革は必要だ

ウクライナ戦争が始まって半年が過ぎようとしています。国際社会の一員として停戦に向けた努力の必要は論をまちませんし、我が国自身の抑止力と対処力を質と量の両面で抜本的に向上させていく必要は当然ですが、そもそも国際秩序の安定を目的の一つとする国連が機能不全に陥っているのは明白で、今こそ再び力強く改革を進めるべきです。国連は発足時から理想と現実の妥協の産物であったのだから、変わるために生まれたと言っても過言ではないはずです。

グロティウスと国際秩序

今回のロシアのように、国連安保理の常任理事国が紛争当事国の場合、拒否権によって安保理は何の機能も果たさなくなります。これは憲章27条に基づくものですが、実はこの条項には但し書きがあって、「紛争当事国は、投票を棄権しなければならない」とあります。ではなぜ拒否権を行使し得るのか、まずはこの辺りから触れたいと思います。

安保理は常任理事国5か国と非常任理事国10か国で成り立っています。で、いわゆる「手続事項」は9か国の賛成を要する単純多数決なのですが、「実質事項」は常任理事国を含む9か国の制限多数決によります。つまり後者は常任理事国が賛成しないと決定されない(欠席の場合は慣行上無効となることが確立されている)。これが拒否権です。

では何が手続事項で何が実質事項なのか。実は明確な境目が示されているわけではありません。手続事項は、理事会の開催の時期と場所、補助機関の設置、議長の選任方法、手続規則の採択、利害関係国の参加と紛争当事国の参加の勧誘、紛争又は事態についての理事会の審議の開始の決定などとされ(*1)、実質事項は手続事項以外の全てですので、国際平和と安全の維持の他、国連加盟、権利停止、除名処分、事務総長の選任など安保理の勧告に基づく手続きは含まれ得るとされ、実質的には非常に広範囲にわたっています。

安全保障ど真ん中に関わることで強制力を議題とするものであれば間違いなく実質事項になりますが、その他はグレーな議題も存在し、安全保障に関わると言われたら関わってしまうことになる。少なくともここはルールをより明確にするか、事後の評価の仕組みを整備するとかは必要なはずです。更に言えば、手続事項か実質事項かは議長が裁定することになるのですが、その決定に拒否権を行使して実質事項に持ち込み、再度拒否権を行使して議題を葬ることも過去にあり(二重拒否権問題)、濫用を制限するための運用が現在は行われてはいるものの、緊急動議の処理手続きを援用した慣習的に確立された運用なので、明文化する必要はあるはずです。

(*1)Doumens of the Uned Nations Confeence on International Organization San Francisco.1945, Vol.11. New York : United Nations Information Organization, 1945, pp.711-714.

因みに冒頭に触れた棄権ですが、答えを言えば残念ながらこれは国際紛争の平和的解決(6章、52条3)というソフト路線の場合のことなので、ハード路線である加盟国の権利停止や除名、強力的解決(5条、6条、7章)の場合は、紛争当事国であっても棄権する必要はないとされています。

いずれにせよ拒否権は強大なわけで、多岐にわたる分野に拒否権を行使することが可能となっています。拒否権は表向きは迅速な解決のためとされていますが、やはり発足当時から問題視されていて、歴史上何度も改革の提案がなされてきました。

例えば理事国数を増やす、拒否権対象を7章の安全保障に限定する、拒否権は2か国以上の場合とする、拒否権が行使された場合は再決議するなどです。ただ、常任理事国にとっては絶大な権限の制限につながるこれらの議論は受け入れやすいものではなく、また18章で示されているように、憲章の改正には総会の3分の2の賛成を要し、常任理事国含む3分の2の批准が必要になるため、抜本的な改革は非常に困難です。

ただ、国連改革だけに限りませんが、制度改正が不可能だからと言って何もできないわけではなく、運用で改善していくことは十分に可能なはずです。そして運用改善がなされ、安定してきたときに制度改正を検討すればいいのだと思います。

少なくとも国連総会は、10条や11条にあるように、制限はあるにせよ憲章上のあらゆる事項を審議し加盟国や安保理に勧告する権限をもっているので、こうした総会の権限を有効利用することも考えられます。実質的効果がないにしても、国際世論への喚起は後々の拒否権運用改善にも大きなインパクトとなるはずです。

77回目の終戦記念日にあたって

夏になると毎年、先祖が眠る宗林寺にお墓参りを致しますが、田舎であるが故か、水汲み用のバケツや雑巾を見たりすると、どうしても時期的に戦前の光景を想像でしかありませんが思い浮かべたりします。

本日、77回目の終戦記念日を迎えるにあたり、戦禍に倒れた300万柱を超える英霊に、心から謹んで深甚なる哀悼の誠を捧げ、恒久平和への弛まぬ努力をお誓い申し上げる次第です。

私が初めての選挙を迎える直前の11年前の終戦記念日に書いたブログを読み返しました。30年前の大学生であった自分の心境、そして11年前の東日本大震災直後の政治の混乱ぶりを見た自分の心境を、淡々と綴っていることを発見し、今の日本の現状が、英霊の御霊を前にしたときに誇れるものになったのかを紋々と自問し、改めて国政を委ねられた身として、この国の未来を背負っていく覚悟を新たに致しているところです。

11年前は、隣国の中国の勃興が目覚ましく、間違いなく経済力は追い抜かれ、10%を超える伸びを示す軍事費に、著しい危機感を覚えていた時代でした。国際秩序の混乱は、興隆する国が既存の国際システムに挑戦し、自らに有利なシステムを構築し始めるときに起こるもので、とある歴史家曰く、興隆する国は驕り、追い抜かれる国は焦る、この驕りと焦りのギャップのエネルギーが極度に高まったときに紛争は起きるものだ、と指摘していたことを思い出します。

翻って今年、ロシアがウクライナを侵攻し、未だに停戦が実現できない国際システムの脆弱性を目の当たりにし、また中国が台湾海峡周辺での軍事演習を活発化させ、先日初めて日本の排他的経済水域にもミサイルを撃ち込むという暴挙に及びました。中国は、ペロシ米下院議長の台湾訪問を口実にすべきではありません。そもそも要人訪問とミサイルは国際法上の均衡も取れません。

国際秩序の劣化が極まりない現状にあり、焦らずに粛々と必要な抑止力を十二分に確保する必要があるのは当然です。声高に台湾有事危機を煽る向きもありますが、政治がなすべきは、有事となろうが十分な対処力を我が国と同志国が有するということを内外に分からしめ、以て抑止力を最大限に提示することこそが、紛争を予防することであって、国内の分断を生みかねないような先鋭的言動は現に慎み、事態を管理することにあるのだと思います。

外交が先だとする間の抜けた言説を主張する向きもありますが、それは当たり前の話であって、その外交力を最大限に高めるものこそが同志国とともに果たす抑止力の向上であることは犬養毅でなくても分かる話です。先に触れた国際システムの脆弱性を解消し、すなわち国連やWTOなどといったこれまでのシステムを改革し、これ以上の国際秩序劣化を食い止めることは焦眉の急を継ぐ課題です。

焦らず奢らず淡々と、抑止力を必要なだけ高め、更には同じ予算を使うのであれば、我が国に十二分に裨益する産業構造を作り、二度と苛烈な紛争を経験することのないよう、引き続き国政に邁進してまいりたいと思います。

改めて、戦禍に倒れた300万柱の御霊に最大の感謝の意を表したいと思います。安らかにお眠りください。

激動の10か月~感謝を込めて

第一次と第二次の岸田政権で内閣府副大臣を務めましたが、本日を以ちまして、その任を解かれることとなりました。与えられた任務を全うするにあたって、お支え頂いた全ての皆様に感謝申し上げたいと思います。総裁選を経た岸田内閣の発足、ウクライナ戦争、SWIFTオペレーション、サハリン2オペレーション、携帯接続障害、コロナ、燃油物価高、参議院選挙、と特に激動の時期であったと感じています。特に安倍総理が凶弾に倒れるという痛ましい事件があり、政治家人生のなかで一つの節目を迎えたと自ら感じる期間でもありました。

まずは地元の皆さま、後援会の皆さまに対する感謝です。任期中は帰郷することが通常の半分程度になっていたのだと思います。就任とほぼ同時に行われた総選挙では、前回同様に変わらぬご厚情を賜りましたことは、誠に身に余ることだと思っています。また、全力で地元を守ってくれた地元のスタッフにも感謝したいと思います。

政策作りで共に汗をかいた内閣府や内閣官房をはじめ関係省庁の皆さまにも感謝を申し上げたいと思います。内閣府というと国民の皆様には分かり難い役所かもしれません。実際に、地元の支援者から、え?どこ?なに?と聞かれたものです。単独省庁では対処できない内閣の重要政策を所掌している役所で、その中で私が所掌する分野は、経済安全保障、科学技術イノベーション、宇宙、日本学術会議、健康医療(ワクチンや医薬品の研究開発)、防災、国土強靭化、領土、海洋、有人国境離島、重要土地、国際的マネーロンダリング防止対策と非常に多岐にわたります。しかしそれでも内閣府全体が所掌する分野の1/3程度でしかありません。どれも非常に重要な政策分野で、職員の皆さまには頭が下がる思いです。

経済安全保障では内閣官房の職員とそれこそ膝詰め議論をしたことは記憶に残るものとなりました。論理構成としての立案が困難な政策もありましたが、諦めることなく日本の為に深夜まで議論を頂きました。防災関係の職員の皆さまは、いつ起こるとも分からない災害に対して緊張感を途切れさせることもなく、人知れず世のため人のために汗をかいているのが、とても印象的でした。私はこうした裏方業務に心からの敬意を持っています。健康医療分野では、研究現場の様々な厳しい意見にも関わらず、ワクチン開発を前に進めるために辣腕をふるって頂きました。すべての分野を挙げればきり在りませんが、皆様を本当に誇りに感じます。

日頃の面倒を見て頂いた副大臣室スタッフの皆さまにも最大の感謝をしたいと思います。アレンジが困難な会議や日程をうまく調整頂き、政策面でも全力のサポートをいただきました。当室着任前までは全く異なる政策分野で活躍していたにもかかわらず、1週間も経つと政策面での話が合うようになったのは大変な驚きでした。また、防災の任で、災害発生時に(なぜか休日の夜中が多かった)急遽役所に駆け付けなくてはいけない場面が多かったにもかかわらず、不平不満の一言もなく全力で支えて頂きました。本当にありがとうございます。

社会と言うのは、偉い人がいて強いリーダーシップを発揮して回っている、というのもあるのかもしれませんが、私はそれよりも一人一人がビジョンを共有しそれぞれが司司で最大の力を発揮した時に、全体として強い力を発揮するものだと思っています。ただ、役所に入ると良くわかるのですが、ものすごく仕事が多い。そして批判も多い。それでも目を輝かせて前進できるのは、未来の日本に役に立つと確信しているときです。そういう時は、多分どれだけ働いても苦痛ではないのだろうと思います、と言うと前時代的なので、あくまで印象論です。

悩ましいのは、未来の政策作りをやるだけで事足りるわけではない事です。役所というものは、国民や社会との関係で透明性が必要で、国会やマスコミがその媒介を果たします。しかし国会との関係は是正すべきところが多いと感じています。例えば、役人には極めて不評な質問主意書というのがあります。国会会期中なら議員は議長を通じて行政に対して文書で質問できる制度です。民主主義を支える重要な制度ですが、民主主義のコストが意識されることが殆どありません。諸外国を参考に、コストを開示してもいいのではないかと思っています。

最後に、一番重要なところですが、小林鷹之大臣という真の同志とともに働けたのは、最高の喜びです。これはまた個人的にお礼を言うことにして、今後とも共に汗をかいて参りたいと僭越ながら思っています。また、二之湯大臣とは、災害対処を休日や深夜も含めて共にしたことは永遠に記憶に残るものとなりました。二之湯大臣は任期満了をもって政界を引退されるとのことですが、これからもご指導頂きたいと思います。

皆様、本当にありがとうございました。

日本人はもっと自信を持っていい

先日、とあるところで15~6才の子供たちの前で講演をしてくれないかと頼まれ、事前にその講演メモを作っていたので、そのメモをもとに、話したであろう内容を文字に起こしたものを掲載することにしました。少し違うかもしれませんが、概ね言いたかったことは入っていると思います。

「はじめに」
みなさん、おはようございます。
本日は、歴史と品格ある場所にお招きを頂きました。こころより感謝申し上げます。

「偉い人?」
昔の人間は子供に、偉くなれ、ってよく言いました。余談ですが、私の親父は全く自由放任主義でした。ただ、自由にしていいけれど、全部自分で責任を持て、そうやって育てられました。ただ、周りには偉くなれと言う人がいました。その時にこれを聞いて、偉いってなんだよと思っていました。偉いって、肩書とか社長とか医者とか。そういうもんではないだろうと思っていました。そういうのではなくて、現在進行形の、何か人のために努力している、動いている、行動している、そういう動的なこと、偉いというのは、そういうことなんだと私は思っていました。そして今でも思っています。

当たり前ですが、社長は経営はできても職人にはなれない。逆に職人は世界最高のものは作れても、経営はできないかもしれない。私は政治家で、税金の議論はできても、赤ん坊のご飯は得意ではないし、大手前の教員にもなれない。現場に行けば現場の人が偉いんだと思うんですよね。司、司と言いますが、全員が協力して社会が成り立っています。

子供の頃、とある人が、とある建物を指さして、あの建物は、あの政治家が作ったんだ、と言ったことがありましたが、何か大きな違和感を覚えました。予算をとってきたのはそうかもしれませんが、現場で作業する人がいなければ、作れない。そして、その現場で働く人を陰で支える仲間がいなければ作れない、そう思っていました。そして、そうした関係者の全員が、同じ意識を共有できたときに初めて、素晴らしい結果を生むんだろうと思います。

1960年代、アメリカで人類を月に送るアポロ計画が進行しているときの話ですが、ジョンソン大統領がNASAのケネディー宇宙センターに訪れた時、ビルメンテナンスの作業員に、「元気かい、何やってるんだい」、と挨拶したところ、その作業員は、「人類を月に届ける仕事をしています」と答えたそうです。職員全員の間で、完全にビジョンや意識が共有されている。だからあれだけの偉業が達成できたのだと思います。その時は、NASAの長官がそうしたNASA関係者全員の意識と雰囲気を作ったのだと思います。

「医者になりたい理由」
今、理系の道に進もうとする生徒さんで、お医者さん希望というのが多いって聞きます。いいですよね。本当に人を救いたい、助けたい、その気持ちは本当に大切だと思います。ただ、とあるアンケート結果を見て愕然としたことがあります。医者希望の高校生にアンケートを取ったら、その理由の1番目は、収入が安定しているから、2番目が親が薦めるから、3番目が学力を試したいから。動機はある程度何だっていいのかもしれません。生業(仕事)というのは、もちろん生きていくためにもやらなければいけない。でも、社会と言うのは、司司の話をしましたように、一人では生きていけないし、お互いの助け合いが必要です。そしてその原動力は、頼られたい、頼りにしてほしい、という気持ちであって、それを通じて関係者が全員満足し、頑張れる、というものだと思っています。そしてそういう雰囲気や意識を共有できるのが最高なのだと思います。病院であれば、関係者全員がそうした意識を作れるようになればと思います。

「世のため人のため」
子供の時、実は政治家なんて嫌いでした。だいたいイメージが良くない。ドラマに出てきても、大抵は政治家は悪役ばかりですよね。更に、息子はとんでもない息子ばかり。私はむしろ、コツコツとモノづくりをする方が好きでした。だから、理系を選択して、大学も理系の大学に行きました。ただ、何か人の役に立つようなことがしたかったのは今でも覚えています。そして、高校の時、宇宙開発のドキュメンタリーを見て、衛星を作ろう、そう思い立ちました。

「湾岸戦争」
ところが大学4年生のとき、湾岸戦争というのが起きるんですよね。1991年。イラクが突然クウェートに侵攻しました。今、ロシアがウクライナに突然、侵攻しましたが、同じように突然やってきました。その当日、私は大学の研究室で実験に明け暮れていましたが、休憩時間に部屋に置いてあったテレビを付けたら、夜空にせんこう弾が飛んでいた。当時は世界で初めてのリアルタイムでの紛争地帯の中継でした。クウェートのお母さんが、赤ん坊を小脇に抱えながら逃げ惑っている姿。皆さんは、どう思いますか?皆さんは、今はもう大きいですが、仮にもっと子供だった時に、皆さんのお父さんやお母さん、あるいは親戚の方が、皆さんを両脇に抱える姿を想像できますか。当時は、今、まさに地球の裏側で起きていること、でした。本当に強い衝撃を受けました。

「国は何をしてくれるのか、国民は何をすべきなのか」
国と言うものは、国民にとって何をしてくれるのか、国民にとって何ができるのか、とても真剣に考え始めました。意識しはじめたんですね。就職は、当然、自分の夢である衛星を作る仕事に熱中していました。朝起きれば懸命に働きました。昼間は、微分積分を解くのに苦戦していました。衛星の軌道を計算し、適正な温度に保つための仕組みを模索しました。打ち上げの振動で精密機械が壊れない仕組みを模索しました。ただ、夜中は、憲法、国際法、歴史、経済、そういった社会の仕組みを知れる本を読み漁っていました。国が国民に何をしてくれるのか、国民は何をすべきなのか、裏で模索しつづけました。

「政治の世界に飛び込む」
転機が訪れたのは、親父が防衛庁長官になったときでした。国と言うものはどういうものであるべきなのかという私の長い問いの答えが見つけられるかもしれない、そう思い、自ら申し出て、その政治の世界に飛び込みました。防衛庁長官ってどんな仕事だか分かりますか?一言で言えば、国を守ることですが、人の役に立つ、という意味で究極の仕事だったんですね。そして、仕事を実際にやっているうちに、政治と言うものの本質が、先ほど触れたジョンソン大統領ではないですが、社会全体のあるべき方向を示す仕事なんだということが分かってきました。国とは何かということですね。本当のやりがいを感じました。私の心に新しい夢が芽生え、政治家を目指すことにしたんです。

「国会議員の仕事」
国会議員の仕事は、主に法律を作って、社会の課題を解決することです。学校の先生の人数は何人が適切なのか、道路の整備は十分なのか、病院に行ったときの患者負担は適切なのか。皆さんは、今、親御さんの扶養のもとで暮らしています。社会との接点は、すべて扶養者である親御さんを通じたものになるため、ピンとこないかもしれません。しかし、社会に出た時に、大学に行く人は学費はどの程度が適切なのか、ガソリン価格は今高すぎないのか、バイト料の最低賃金は適切なのか、社会人になったら給料をもらうことになりますが、税金は適切なのか、そうした様々な課題があります。それらは、誰かが決めているわけで、それは皆さんの代表として我々政治が決めています。だから、無関心ではいれますが、無関係ではありえません。このことは、今日のお話の最後に触れたいと思います。

「コロナ」
今、皆さんは、コロナによって、それまでとは違った学校生活を余儀なくされているのだと思います。コロナが発生した最初の年。私は日本がおかしくなったと感じました。気遣いじゃなくて、いがみ合い。大変残念に思いました。しかし、今は当時と比べればはるかに落ち着いたように思います。そして、今は、コロナで困っている人に、自転車で食べ物をボランティアで届ける活動をしている学生さんがいるという話を聞きました。そうなんです。日本人の本来の力が蘇ってきたのだと思います。東日本大震災の時、多くの若者がボランティアを申し出てくれた。何か自分でできることはないか。そういう思いが日本を包んだ。そしてその日本人の力強さは、世界から賞賛されたんですね。ECONOMISTというイギリスの雑誌の表紙を飾ったこともあります。

「ソーシャルベンチャー」
日本の素晴らしいところは、昔から社会の役に立ちたいという人が多いことです。そして、昔は国の役所、財務省や厚生労働省に努めたいとか、そうでなくても、県庁や市役所、あるいは百十四銀行や四国電力みたいに、公的な役割を担っているところに就職するのが、優秀だとされました。しかし、今は、そういう公的機関でなくても、社会課題の解決を目指す会社が増えてきました。やり方が変わってきました。社会に役に立ちたいと言う思いを実現するのに、必ずしもそういう大きな会社や組織でなくても、実現できるようになってきました。ソーシャルビジネスという部類の会社ですが、私はこれは世界から賞賛される日本人の気質だと思います。皆さんも、自信をもっていいと思います。

「安倍晋三」
最近、私にとって、表現もしようのない、心に穴が開くような、そういうショッキングな出来事がありました。安倍晋三元総理大臣が凶弾に倒れました。無念でなりません。心からご冥福をお祈り申し上げます。意外かもしれませんが、映画好きだったんですよ。星野源を聞いたり、YOASOBIを知っていたり。NETFLIXマニアと言ってもいいと思います。だから話題も豊富でした。

今、YouTube上で、安倍総理の近畿大学卒業式でのスピーチが注目されているらしいんです。若者に対して、チャレンジする大切さを語った5分くらいのスピーチなのですが、これを見たら分かるのですが、安倍総理がどういう人だったのかというのが歴史上評価されるとしたら、私は、日本人に自信をもっていいんだ、ということを伝えたかった総理大臣だったんではないかと思っています。

「政治への関心―ウクライナ大臣」
最後に、政治への関心について、お話します。正直、政治に関心を持たなくても、生きていける、それが日本です。海外の、国の骨格もが脅かされているような国では、政治に無関心な住民はほとんどいません。台湾でもアメリカでも、若者がものすごい大きな政治的関心を持っています。政情不安定な国も皆政治に強い関心をもっています。政治に関心が薄いというのは、日本が平和だということでもあり、結果として絶対悪いわけではありませんが、関心が薄いのが続くと、国の行方が危ぶまれるのだと思います。民主主義自体を守るためとも言えるんだと思います。

先ほど、ウクライナの話を少ししましたが、先月、ウクライナ人とリモートで話す機会がありました。ウクライナの教育大臣です。メモをとったので、紹介させて頂いて、最後の締めくくりとしたいと思います。

「数百万人の国民が避難しています。この状況に慣れてはいけないと思っています。この国の戦後に希望をもたらさなければならないと思っています。多くの国から支援を頂いて感謝もしています。戦争が始まって110日が経ちましたが、ロシアの一方的な侵略で多くのウクライナ人が故郷を追われました。多くの教育研究機関が破壊され、その数は2000以上、全体の15%にあたります。多くの子供たちから教育が奪われています。とてつもない国力の喪失です。世界食糧危機や環境にも深刻な影響をもたらしています。教育研究機関は国力の源泉です。危機的状況ですが、我々は前進し続けます。戦争が終わったら教育インフラを回復していきたいと思っています。戦中であっても回復の努力を続けます。今でも学校で授業は続けています。ただ、例えばスクールバスや教科書など不足しているものがあります。ウクライナを追われ海外に逃れた人々にも支援の手を差し伸べたい。国の将来の為、産業やイノベーションにも力を入れたいと思っています。国が再度立ち上がるためには教育機関は不可欠です。どんな支援でも構いません。どうか支援をお願いします。改めてウクライナの大臣として、一市民として、そして子供を持つ親として、各国の支援に感謝しております。私はもともと田舎の教員でした。世界の支援があるから今があります。教育インフラを立て直せなければ、戦いの意味もありません。」

国の未来を考えるこのウクライナの教育大臣に心からの敬意を表し、終わりたいと思います。ご清聴ありがとうございました。

安倍晋三先生を偲んで

(写真は平成24年、首班指名される直前の安倍総理)

政治は現実を直視して課題を解決していくものです。その解決のための意思決定は、我が国の場合は民主的に行われます。民主的というと多数決と捉えられがちですが、私は全く異なるものだと思っています。この違いが分からなければ、恐らく包摂性も分からないことになります。

偉大な政治家、安倍晋三元総理が凶弾に倒れました。無念でなりません。第一報は地元での参議院選挙応援活動を行っている最中、参議院候補である磯崎仁彦官房副長官とともに受け取りました。直ちに活動を中断し、磯崎先生はそのまま急遽上京。その後、厳しい状況だとの連絡が入るにつれ、怒りと悲しみが交錯した複雑な思いのまま、手を合わせて回復を祈るしか為す術がなく、遂に午後5時3分に息を引き取ったとの報に接しました。茫然自失。政治家としての魂に、ぽっかりと空白ができるような感覚で、言葉にならない複雑な思いでした。恐らく同僚も同じ思いだと思いますし、あるいは当然私よりも濃い関係の諸先輩方はもっとそうかもしれません。


(米国ホワイトハウスに隣接する迎賓施設ブレアハウスにて)

先の国会の終盤、国会議員会館で声をかけて頂き(部屋が隣)、防衛予算に関する立ち話を1~2分したのが最後の会話であったと思います。安倍先生は、普段から威張るようなことは皆無で(事実、私はこの10年間で一度も見たことがない)、むしろ常に明るく陽気で、人を和ます天才でした。そして、リーダーとしては1つの理想形でした。政策のビジョンや方向性を明確に示して政策の本質を細部まで理解しながら細かいことには口をあまり挟まない(極端に概念的なビジョンだと部下は政策が作り難い)、部下の言動は自ら責任を取り責任転嫁をしない(逃げないから付いて行きやすい)、決断した際の並外れた精神力と瞬発力、更には情があった。政界でも支持する議員が多かったのは、権力ではなくビジョンに共感したからだと思います。どう考えても利益誘導や私利私欲に走る人間ではなかった。


(若手議員との懇談会で誰にでも気さくに話をする安倍総理)

官邸で支えるスタッフは安倍総理を心底支える覚悟であったように見えました。それが過度の忖度を招いたのではないかとの指摘もなされました。批判をうけないような統治機構改革の必要は論を俟ちませんが、逆に言えばそれほど支えようとするスタッフの意志が強かったということでもあって、それも権力にもとづくものではなく人間力に基づくものであったのだと思います。


(陸自習志野駐屯地を視察する豪首相と安倍総理)

これほど外国政府要人からのお悔やみのメッセージが届く日本人は過去にもいなかったのだと思います。私の手元にもお付き合いのある外国人から多くのメッセージが届いています。それほど、内外問わず直接付き合いのある人間の心を掴んでいたということなのだと思います。でなければ、これほどまでに外交上の成果を生み出せてはいないのだと感じています。


(安倍総理の上下両院議会演説会場への入場許可書)

2015年、日本の立ち位置を大きく変える転機となった安倍総理のアメリカ上下両院議会での歴史的な演説。私もたまたま同席していましたが、日本人の演説を前にした大勢のアメリカの国会議員の心の震えを肌で感じたことを未だに忘れることができません。スタンディングオベーションは外交儀礼として見慣れていますが、退席する際に握手やサインを求める方が大勢いたのはあまり見ない光景でした。私自身、歴史の節目を噛み締めると同時に日本人として誇らしい気持ちでした。


(キャピトルヒルでの日米政府関係者の集い)

演説原稿は香川が生んだ谷口智彦さんによるものですが、総理自ら何度も原稿に手を入れたそうです。そして、何度も何度も口に出して練習され、家でも練習していたので奥様に苦情を言われた、と総理自ら聞きました。思えば日本の議会でも、議会開会などで単に原稿を読み上げる機会は沢山あるのですが、そうした時にでも議場で待機している際に口を動かして練習しているさまを何度も目撃しました。饒舌であってもこれほど真剣になるものかと思っていました。


(首相公邸での記念撮影に応じる安倍総理)

一方で人の心を掴むユーモアのセンスも最高でした。議会演説の後、総理ご一行はホワイトハウスに向かわれましたが、我々にもたらされたホワイトハウスでの様子の第一報も記憶に残るものでした。曰く、大爆笑に包まれたと。映画好きでしられる安倍総理ですが、当時アメリカで流行っていたハウスオブカードを引用し、特大級のジョークで会議を盛り上げた。このドラマは、副大統領が権謀術数の限りを尽くして大統領を追い出すというストーリーですが、それになぞらえて、このドラマを麻生副総理には絶対に見せないようにしている、など。あくまでも一例で、普段の議員だけで集まるような会でも、人を和ませるジョークを聞かないときはなかったように思います。

私が安倍政権の防衛大臣政務官であったときのこと。財務金融委員会にてF-35戦闘機の運用に関する総理宛ての質問が野党からありました。総理向けですので私がでる幕でもないのですが、防衛省として総理をお支えする立場から、割って入って答弁に立ったことがありました。当然、その野党議員からは「私は総理に聞いているんだ。お前に聞いてない。お前は総理か」と鋭く責められました。その時、後ろから、「未来の総理だ、がんばって」と小さな声で総理から激励を頂き、更にその後の本会議場でひな壇からわざわざ、その日の私の答弁についてお褒めの言葉を頂いたことは、もちろんリップサービスであることは分かっていながら、その気配りに大変恐縮をした覚えがあります。


(衆議院財務金融委員会にて)

情というのは政治を執り行う上で極めて重要な要素です。冒頭、意思決定における民主主義と多数決の違いについて触れました。思想家の千葉雅也さんが現代思想入門でデリダやフーコーを解説していて、それはマジョリティとマイノリティの2項対立をいかに脱構築するか(区別しなくてすむ思想)だとしていますが、その中で現実を扱う政治について、決断するにしてもマイノリティに重きを置き、如何にその決断に未練が伴っているかが重要で、それが他者への配慮になるという趣旨のことを書いています。メディアの多くは政治決断を排除だと指摘してきましたが、安倍総理が断行した改革の多くは、特に社会保障はこうした包摂思想を具体化したものだと理解しています。


(総裁選があった平成24年の春、親父主催の地元後援会で)

振り返ると最初に安倍総理を意識したのは、私が政界に入って間もなく行われた総裁選でした。若く颯爽としていて凛とした主張に強く共感したことを今でもはっきり覚えています。その後の平成24年のこと。民主党政権になって3年目、私の地元で親父の去就が囁かれていた時でした。地元の事務所で後援会の会合の企画会議をしていた際、講師として誰にお願いするかという話になった。私は安倍総理の話が聞きたいと強く主張しました。その理由を親父から尋ねられましたが、私はとにかく話が聞きたいと言った記憶があります。


(党所属議員が取りまとめた提言を受け取る安倍総理)

その後に親父が直接安倍総理にお願いに行ったところ、たまたま総理自身が部屋にいらっしゃり、その場で快諾を頂いたらしく、地元の会合にお越しいただきました。その会合で私は司会を務めましたが、安倍総理の話はとにかくウィットに富んでおり、また外交や特に日米同盟の本質に迫るお話を賜りました。食い入るように聞き入った覚えがあります。最後に思わず、時代は安倍先生を必要としている、総裁選に挑んで欲しい、皆さんどう思いますか、と聴衆に向かって聞いてしまいました。親父の意向も聞かずにでしたから、今思えば政治家の秘書としては最悪だったなと思います。ただ私には思いがありました。

後日談ですが、私が議員になった後に安倍総理にこのご来県頂いた感謝を伝えたところ、親父が訪ねて行ったことについて、大変珍しい人が訪ねてきたと思ったそうで、嬉しかったと語っておられました。嬉しかった、というのは意味があって、実はその後に安倍総理が出馬することになった総裁選では、選対委員長に親父が推され、その際の総裁選の取り計らいについて、安倍総理は親父に想うことがあったとのこと。

更にその後、2017年、トランプ大統領と初めての首脳会談に臨んだ直後、国会の花形である予算委員会でテレビ入り質疑の機会を頂くことになった私は、平和安全法制を成立させた安倍総理に日米同盟の本質の話を再度伺いました。なんらブレのないお考えをご披露いただきました。


(トランプ大統領との初めての首脳会談直後の予算委員会)

一番直近での印象に残る思い出は、夕食にお誘い頂いたこと。同僚議員と元官邸スタッフとともに4人での会食でしたが、首脳外交の現場での裏話は永遠に記憶に残るであろうものとなりました。また、議員会館の事務所が隣であるということで、単なる近所づきあいであったのでしょう、派閥のメンバーでもない私を何度か部屋に招き入れて頂きました。雑談を通じて知り得た官邸での総理としての振る舞い方は大変勉強になるもので、今思えば、恐らくそうやって中堅若手に将来の日本を託そうとしていたのではないかと思います。


(首相官邸での政務官会議にて)

日本はとてつもなく大きな存在を失いました。日本の歴史上、世界の中でこれほどまでに日本の存在価値を高めた日本人は誰一人いませんでした。批判があっても屈することなく、私利私欲なく公に尽くす姿は、胸を打つものがありました。優しい人でもありました。明るい人でもありました。テレビを通じたイメージとは全く異なる一面を持つ政治家でありました。間違いなく最高のリーダーであったと思います。頂いたご薫陶を大切にしていきたいと思います。ご家族の皆様に心からお悔やみを申し上げ、心からご冥福をお祈りいたします。


(いわゆる敵基地攻撃能力の党提言を受け取る安倍総理)


(トランプ大統領との初めての首脳会談直後の予算委員会)


(総裁選があった平成24年の春、親父主催の地元後援会で)

燃油高騰対策

ガソリン高騰が続いています。現時点でレギュラーが170円程度ですが、現在、政府はリッターあたり40円程度の補助金を出していますので、単純計算すれば補助がなければ210円程度ということになります。経産省が燃油高騰対策の特設サイトを設置していますが、分かりやすいデータを掲載しているので紹介します。

(当該ページは閉鎖されました)

では、世界で比べるとどうなるのか。地図でみると。
https://www.statista.com/chart/5316/petrol-prices-around-the-world-visualised/

この地図のデータソースは下記です。
https://www.globalpetrolprices.com/gasoline_prices/

では税負担はどうなのか。
https://www.mof.go.jp/tax_policy/summary/consumption/133.pdf

価格でみると現状で日本は世界の中で下位5分の2程度に位置し、ヨーロッパが特に酷く日本の2倍。安いイメージのあるアメリカも日本を超えています。税負担もアメリカとメキシコを除き、極端に税負担が高いというものではありません。車関係の雑誌であるモーターファンが特集をしていますので紹介しておきます。
https://motor-fan.jp/mf/article/64541/

以上の前提を共有した上で、高騰対策はどうあるべきなのかを考えてみたいと思います。結論から言えば、今回の市場混乱に対応するには、補助額を機動的に段階を踏んで上げていく現在のやり方が正解と思っています。

主な理由は、更なる市場への混乱を招かないからです。トリガー条項という言葉が話題になっています。凍結解除を完全に否定するものではありませんが、そもそも現行の補助金40円(今後も機動的に変化可能性あり)の方が補助率が高い上、解除には法律の改正と施行時期の設定が必要で、そうすると〇月〇日から急に25円安くなる。解除前には恐らく買い控えや駆け込みもあり安定供給にも影響を及ぼしかねず、その対策が必要です。また、灯油や重油など直接対象とはならない燃料を別途手当する必要もある。

従って、市場の動向に合わせて柔軟で機動的に対応できる補助金の方が望ましいと考えています。もちろん、これは全権を政府に委ねることになりますので、議会の特に野党としては嬉しくないはずです。しかし、市場という生ものを見る限り、現行制度の方が優れた手法であると言えます。

一方で、以上のように考えれば、そもそもトリガー条項という制度自体、どのような市場動向になっていたら発動し得るのか、中長期的に考えておかなければならない問題です。同条項は、私が初当選する前の2010年、民主党政権時に導入された制度ですが、東日本大震災をうけて制度が凍結されていました。ただ、解除すると市場に大きな混乱を当然及ぼすものですから、そもそもこのトリガー条項は非常に使い勝手が悪い制度になっています。

G7閣僚会合で感じた世界の現状

戦時下にあってこれほどの時間軸でものごとを考えられるものなのか、私にとりましては初めての閣僚級国際会議でしたが、G7閣僚会合の冒頭のウクライナ教育研究大臣の言葉が未だに頭から離れません。今回は、そのことに触れた上で、ドイツ・チェコ出張の報告をしたいと思います。

なお、ドイツ出張の目的はG7科学大臣会合ですが、そのミッションは、国際的な研究環境をどのように整備していくのかをG7諸国で協議し声明として結果を残すこと。具体的にはロシアの取り扱い、技術研究開発の健全性(技術流出や乱用対処)、気候変動やコロナの研究開発の進め方に関するものです。

また、チェコ出張の目的は来月からEU議長国となるチェコ主催のEUとインド太平洋諸国との協力に関するインド太平洋ハイレベル会議ですが、具体的には日本の経済安保の考え方を示し国際的な環境醸成を図ることです。

いずれも本来は小林大臣が企図した出張でしたが、どうしても国会の都合で叶わず敢え無く私が代理を務めたものです。(余談ながら、この点では国会の在り方についても、我が国は大きな問題を抱えており、このことは最後に触れたいと思います。)

●G7)ウクライナ教育担当大臣

G7担当閣僚会議の冒頭、議長国ドイツのシュタク・ヴァツィンガー教育研究大臣のお取り計らいで、ウクライナのシュカーレット教育科学イノベーション大臣からリモートでしたが現状報告がありました。記憶に残っている限りでお伝えすれば、趣旨は次のようなものでした。(誤りもあるかと思いますがその場で書いた手書きメモを頼りに誠実に記憶をたどりました)

「数百万の国民が避難しているが、この状況に慣れてはいけない。この国の戦後に希望をもたらしたいと考えている。多くの国から支援を頂いている。各国の支援に感謝したい。戦争が始まって110日以上経ったが、ロシアによる一方的な侵略で、多くのウクライナ人研究者が故郷を追われている。多くの教育研究機関が破壊され、その数は2000以上、全体の15%にあたる。多くの子供たちから教育が奪われている。とてつもない国力の喪失だ。世界食糧危機や環境にも深刻な影響をもたらしている。教育研究機関は国力の源泉だ。

それでも我々は前進する。戦争が終わったら教育インフラを回復していきたい。戦中であっても回復の努力を続ける。今でも授業は続けている。G7の支援のお陰であり感謝する。ただ、例えばスクールバスや教科書など不足しているものがある。ウクライナを追われ海外に逃れた人々にも支援の手を差し伸べたい。国の将来の為、産業やイノベーションに力を入れている。EUの支援によりスタートアップ支援が可能となった。国が再度立ち上がるためには教育研究は不可欠だ。どんな支援でも構わない。支援をお願いしたい。

改めてウクライナの大臣として、一市民として、そして子供を持つ親として、G7各国の支援に感謝する。私はもともと田舎の教員だった。世界の支援があるから今がある。教育インフラを立て直せなければ、戦いの意味もない。侵略者に対峙していく。」

戦禍の中に立ち国の未来を見据えている大臣の言葉に政治家の在り方としての刺激を受けました。冒頭発言後、私からも日本としての支援を申し上げましたが、各国からも改めて支援の申し出がありました。共同コミュニケでは、G7各国が「ロシア政府が関与する政府支出の研究プロジェクトとプログラムを必要に応じて制限する」ことが確認されました。

●G7)その他のアジェンダについて

昨年、英国で開かれたG7会合で、技術研究開発の健全性(技術流出や乱用対処に関する方針のことで研究インテグリティ・セキュリティと言います)に関する基本的方針が示されました。世界的に経済安全保障の重要性が叫ばれる中で技術流出や乱用に要る負の影響にも大きな関心が寄せられていたためで、閣僚級会合として基本方針を示すのは初めてのことでした。ただ、中身は「可能な限りオープンで、必要に応じてクローズ」という大原則だけでした。今回のG7会合では、ウクライナ事案を受けて改めて最優先事項に指定され、その具体的な中身を協議。その他、気候変動については、二酸化炭素除去技術の開発の進め方、気候変動に深く関係する海洋状況の観測研究の進め方が協議された他、コロナについては新たな感染症に対峙するための研究情報の共有やそのプラットフォーム開発について協議。いずれもコミュニケとして発出することができました。

●インド太平洋ハイレベル会議

ラウンドテーブル形式で開かれた会議の冒頭、15分ほど時間を頂き、自由で開かれたインド太平洋を念頭に、日本の経済安全保障の取組と展望をお話ししました。参加したパネリストは主催国のチェコ担当大臣の他、IORA(環インド洋連合)事務局長、EUやインド太平洋諸国から大使や局長、またその他は各国外交関係者、アカデミア、産業界など100人程度でした。つたない英語にも関わらず熱心にメモを取られる各国代表の姿に、各国の経済安全保障への関心の高さを感じました。

特にコロナやウクライナ問題もあってサプライチェーン強靭化は共通する課題ですが、それを超える共通認識を共有するには至っておらず、各国がおかれた事情や環境によって様々な認識があります。重要なポイントは、価値観を共有する国での強調した取り組みであって、その重要性を強調しました。日本の経済安全保障の取組は、世界の中でも際立って進んでいることを改めて認識しましたが、そもそも我々が企図したとおり、国際社会のルール作りが極めて重要なため、包摂的なアプローチで環境醸成に努めていきたいと考えています。

なお、チェコはドイツの後背国としての産業が盛んで、自動車産業が特に有名ですが、日本からも200社を超える企業が進出しています。そうした日本企業の代表者数名と意見交換を行う機会を頂きました。物価上昇と供給不足により大変厳しい状況に置かれているが、可能な範囲でウクライナ難民を受け入れていることなど、世界の厳しい現状を目の当たりにしました。

量子技術

(写真:首相官邸で開催された科学技術イノベーション戦略会議で量子未来社会ビジョン等に関する議論の様子)

林芳正外務大臣が、以前文科大臣をお勤めになった直後に、量子技術の可能性と推進の必要性を訴えて設立されたのが量子技術推進議員連盟。2019年のことで、私は事務局長として参画することになったのですが、当初は研究開発費の拡充を目指した運動に留まっていました。

これまでの技術政策を振り返ると、研究はそこそこの成果を生むものの、産業化や社会実装が明らかに弱かった。そこで、早期から市場創造を目指して、量子技術に取り組むベンダー企業や機関と、将来のユーザとなりうる企業の対話の場を設置し、その議論を通じた課題を政治と官庁で吸い上げて、社会実装と産業化を早期に実現しようと考え、議員連盟のもとに設置したのが、Q-SUMMIT。さらに、昨年の2021年には産業界のイニシアティブで同趣旨のQ-STARという団体が設置され、今年には一般社団法人として再スタートを切りました。Q-SUMMITとQ-STARが両輪となって研究開発から社会実装まで確実に支援する体制が組まれました。

一方で、政府としては、議員連盟立ち上げに呼応する形で2019年には量子技術イノベーション戦略策定を企図、翌年に正式に発表しました。シーズプッシュの技術開発をベースとした戦略で明確に産業戦略を意識したものになっています。具体的には研究開発戦略、産業イノベーション戦略、人材開発戦略、国際連携戦略、知的財産戦略の5つの柱をしたもので、量子技術イノベーション拠点の設置を謳ったところが目玉となりました。

技術領域は3つ。量子コンピュータと関連ソフトウェア、量子通信、そしてセンシングとマテリアルです。量子技術イノベーション拠点は、それぞれの分野をリードする8つの機関が指定されました。(理化学研究所(HQ、量子コンピュータ)、NICT(量子通信)、阪大(量子ソフト)、産総研(量子デバイス)、東大(量子コンピュータ)、東工大(量子センサ)、NIMS(量子マテリアル)、QST(量子生命))。

更に、今年、政府として量子未来社会ビジョンを発表。これは、量子技術イノベーション戦略が、シーズプッシュ型で帰納的視点の戦略であったところ、未来社会のビジョンを描いてバックキャストして必要な政策を実行していくビジョンプル、ニーズプルの演繹的視点の戦略も同時に必要なことから策定したものです。量子技術イノベーション拠点もそれに合わせて2か所追加することになりました。東北大(シーズ・ニーズマッチング)とOIST(人材開発)です。即ち、産業実装、社会実装のための拠点や人材開発のための拠点が誕生することになり、より明確に市場創造による人類への裨益と社会課題解決の実現を意識したものになっています。そして、2030年に目指すべき状況として、量子技術利用者を1000万人に、生産額を50兆円に、またユニコーンベンチャー創出を謳っています。

https://www8.cao.go.jp/cstp/ryoshigijutsu/ryoshi_gaiyo_print.pdf

産業応用の例を挙げれば、量子コンピュータを使った例で言えば、アドテック(WEBブラウザ等で見る広告枠の最適化)、スマートファクトリ(工場等での製造プロセス、人員配置・シフト・搬出・物流等の最適化)、金融(ポートフォリオ最適化)、交通物流(多様なニーズを満たす物流最適化)、スマートグリッド(リアルタイム電力供給最適化)。デバイス分野で言えば、電気自動車用バッテリー(電流等高精度センシング)、次世代環境材料開発(二酸化炭素吸収材料やエネルギー効率の高い電池材料等)、ブレインマシンインタフェース(脳磁計測)、がんや認知症の早期診断治療(高感度MRIやバイオマーカなどによる細胞レベルでの異常検出)、量子通信では金融界などでの期待が高い量子暗号通信などです。

また政府の研究開発プログラムとしては、社会実装を明確に意識したSIPやPRISM、更には飛躍的破壊的イノベーションを目指したムーンショットで量子技術をリードしているほか、量子に特化したQ-LEAPを文部科学省が主体となって実行しています。その中で、次期SIPの量子分野ではプログラムディレクター候補の選定が終了し、新たなプログラムの再設定を急いでいます。その中で、産総研を中心にテストベッドとして具体的な課題解決を実験的に実施することで産業化や社会実装を加速化させることを検討しています。また、人材開発は特に急がれるテーマで、今年を量子ネイティブの育成元年になるよう取り組んでいます。

既に量子暗号通信の分野では東芝が実用化と商用化を果たしていますし、今年中には、中核拠点の理研が国産初のゲート型量子コンピュータの開発を完了する予定になっています(完了の定義にもよりますが)。また、デバイス分野でも研究レベルではありますが、かなりの成果を生んでいます。まさに日進月歩。今後とも、技術開発から社会実装まで加速していきたいと思います。

経済安全保障と新しい資本主義

ロシアによるウクライナ侵略など、国際秩序が著しく劣化しています。欧州委員会のフォンデライエン氏は、ウクライナ問題を法の秩序と銃の秩序の衝突と表現しましたが、まさにロシアの侵略は既存の国際秩序への重大な挑戦です。NATO側としては、関与を薄めれば、これまでの普遍的価値を根底から覆すことに繋がりかねず、次の紛争を連続して起こしやすくするだけです。日本も防衛費を増額すべきです。軍事拡大は紛争に繋がるから外交をすべきだとの論も一部にはありますが、外交を続けるのは当然であって、本質は抑止力向上です。ヨカラヌことを考える輩がいるのであれば、ヨカラヌことをするなと言葉で言っているだけでは空しく、ヨカラヌことをしようと思わなくする実質的な環境を整えなければなりません。

一方で、多くの識者や関係者も指摘していますが、紛争の中身も、2つの点で随分変わってきました。1つは紛争の態様の変化です。技術力の圧倒的向上によって、戦い方が随分変わったということです。SNSを使った情報戦や心理戦、ドローンやサイバー攻撃もその一つだと思います。遥かに複雑な紛争態様を人類は経験していることになります。もう1つは紛争の背景です。昔は、自由貿易による国家間貿易拡大が、国際紛争抑止にもつながるというのが定説でしたが、経済的手段を安全保障ツールとして行使するような権威主義国家が出現すれば、当然、自由貿易が秩序安定化に資するとは限らず、経済面の安全保障を確保する必要がでてくるのは当然です。

従来も、エネルギーや食糧、戦略物資などの分野で、安全保障上の管理をされてきたものはあります。しかし、グローバル化がさらに進展し、サプライチェーンが複雑に入り組んだ状態では、それ以外にも、国民の生命を脅かし経済社会活動に重大な影響を与える重要物資はあるはずです。そうした重要物資に対して、最も簡単に供給リスクを回避しようと思えば、生産設備投資支援や備蓄などによりリショアリング(国内回帰)政策をとれば足りるのですが、経済合理性を完全に無視することはできません。したがって、それに加え、フレンドショアリング(同志国連携)の考えや、そもそも生産合理化、代替物質開発、物資使用合理化などの方策を取るべきです。ただ、これらは自律性を確保するためのものであって、そもそも世界にとっての日本の不可欠性を向上させて、他国の戦略意図を削ぐための努力をする必要もあります。すなわち重要先端技術の開発です。

いずれにせよ、同志国との綿密なすり合わせが必要不可欠になりますが、各国の思惑も入り乱れるために、それほど簡単ではありません。しかし、紛争を未然に防止するという抑止力という観点では、間違いなく避けては通れない課題です。

先日、日本で日米会談に続き、QUAD(日米豪印)のほか、IPEF(インド太平洋経済枠組み)が設立されました。日米では、IPEF立上げが宣言されたほか、国連強化、競争力と強靭性のための研究開発協力、半導体などの経済安全保障分野での協力と経済版2+2も合意されました。QUADでは、自由で開かれたインド太平洋の実現に向けてコミットしていること、そして地域に具体的な利益をもたらすことにコミットすることが確認されました。IPEFでは、市場アクセス以外の、貿易、サプライチェーン強靭化、クリーンエネルギー・脱炭素化・インフラ、税・腐敗防止という4つの柱で、将来の交渉に向けた議論を開始することが確認されました。これらを含め、国際枠組みで具体化していくことになります。

一方で、経済安全保障は、見方によっては単なるコストになります。そうならないために、日米会談でも確認されたように、日本が取り組む新しい資本主義をベースに、世界でもサプライチェーンの脆弱性解消などを社会課題ととらえ、それをマネタイズしキャピタライズしていく方向を考えるべきなのだと思います。

沖縄復帰50周年

本日は、沖縄の本土復帰から丁度50周年となり、報道にもありました通り、天皇皇后両陛下のご臨席のもと、沖縄と東京の利用会場をリモートで結ぶ形で記念式典が開催されました。岸田総理や閣僚、沖縄県知事、アメリカ大使や衆参両議長、最高裁判所裁判長など、多くの関係者とともに、内閣府副大臣として参加を致しましたが、沖縄の苦難の歴史に思いを致しつつ、今日の式典の様子も含めて書き残しておきたいと思います。

今から丁度50年前の1972年5月15日に、沖縄は27年ぶりに米国統治から解放され、日米両国の友好と信頼に基づき、日本に返還されました。沖縄が占領されたのは、戦争に負けたからに他なりませんが、一次大戦後の戦後処理方法とベルサイユ体制の反省から、連合国は苛烈な賠償を敗戦国に求めることなど一切なく、極めて国家主権と民主主義プロセスを重んじた、歴史上希にみる外交的な返還でした。

本日のエマニュエル大使の言葉にもあったように、アメリカにとっては、世界の民主主義国家が共産主義のまん延を防ぐために結束した中での返還であったのだと思います。もちろん、反共政策という一言だけで片付けるほどに国際政治や人間の感情というものは単純ではなく、終戦から返還までの27年間には、この反共と言う戦略目的を達成するための様々な外交的手段や主張が様々入り乱れていたのだと思います。しかし、アメリカと言う国が、あれだけ多大な犠牲と負担を負って勝ち取ったものは何かと言えば、それは自由という価値観と原則なのだということしか言えず、これからもその自由は守っていかねばならず無償ではないのだ、という今日の大使の言葉と頭の中で繋がり、繰り返し頭の中で反響し続けています。

一方で沖縄戦は、非合理な作戦指導のために住民が苛烈な犠牲を強いられた地です。沖縄から見た返還は国際政治とは別物なのだと思います。沖縄県民代表の高良政勝さんは、今世界で多くの子供が亡くなっているということを目の当たりにし、命こそ一番大切なのだ(ぬちどぅたから)、この戦争の教訓は忘れてはならず、世界で今も子供たちが犠牲になっているなかで、沖縄が世界平和の発信地にならなければいけない、と訴えていました。高良さんは、公益社団法人対馬丸記念館の代表理事。対馬丸というのは、終戦直前に学童疎開の用に供された民間船舶で、米潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没、1500人以上の多くの子供たちが犠牲になった事件です。生き残った高良さんは、今も苛烈な戦争の教訓を現代に伝える努力をしているのだとか。

また沖縄県民若者代表の、青年団協議会代表の普天間真也さんと、学生ボランティア団体VONS代表の平敷雅さんは、戦争体験談を聞く機会は減ったように感じるが、世界で起こっている状況を見て戦争の悲惨さを感じる、先輩方が沖縄の平和と権利を取り戻す努力をしてくれたおかげで今がある、その思いを未来に繋いでいきたい、スマホで便利な時代になったが子供の貧困などの課題がある、立ち向かっていきたい、そしてより良い沖縄の未来に繋げていきたい、との趣旨のことを熱く語っていました。

在日米軍基地が集中する沖縄では、毎回基地負担軽減が大きな争点になります。岸田総理も、基地負担軽減に向けて努力していく旨を本日の式典で宣言しましたし、その思いは我々政治家に共通する認識なのだと思います。一方で世界の秩序維持のために安全保障を確保することは極めて重要です。その点、近年の沖縄での選挙を見るにつけ、これまでのような単に基地に賛成か反対かだけが争点であったものから、より未来志向になっているように感じていました。そのことを再び実感させられる話でした。

悲惨な戦争体験を伝え残し、二度と戦争の惨禍に見舞われることの無いよう普段の努力を積み重ね、未来志向で豊かさを追い求める必要があるのだと思います。天皇陛下からは、「今後、若い世代を含め、広く国民の沖縄に対する理解が更に深まることを希望するとともに、今後とも、これまでの人々の思いと努力が確実に受け継がれ、豊かな未来が沖縄に築かれることを心から願っています」とのお言葉を賜りました。エマニュエル大使も、歴史上の熾烈な敵同士であった日米が、現在は最も親密な同盟になったこと、そしてその中での沖縄の意味合いに触れ、「同盟は単なる条約ではなく、人と人との友情である」として沖縄の未来のために「沖縄の高校生を対象とした2年間の英語学習奨学金プログラムを本年設立することをここに発表いたします」としました。

返還交渉当時の佐藤栄作首相は、1965年に沖縄を初めて訪れ、「私たち国民は沖縄九十万のみなさんのことを片時たりとも忘れたことはありません。本土一億国民は、みなさんの長い間の御苦労に対し、深い尊敬と感謝の念をささげるものであります。私は沖縄の祖国復帰が実現しない限り、我が国にとって戦後が終わっていないことをよく承知しております。これはまた日本国民すべての気持ちでもあります」と演説しました。

途轍もない努力が途轍もなく多くの関係者により成し遂げられた沖縄返還。しかし、それ以上に表現しようもないほど多大な犠牲を強いられた沖縄の地。沖縄に奇跡の1マイルという繁華街に面する通りがありますが、戦後直後に奇跡のように復興を成し遂げたから付けられた俗称なのだとか。当時の沖縄の人々がどのような感覚で奇跡の1マイルと言う言葉を使うようになったのか。また、730運動という、米施政下の自動車右側通行を返還後の6年間で左側通行にするために行われた事前周知のためのキャンペーンも、沖縄の当時の人々の間では複雑な思いが入り乱れていたように思います。

沖縄の熾烈な戦争の歴史だけではなく復帰後の歴史も、しっかり心で感じて思いを致していく態度が何よりも重要なのだと思います。

(参考)