宇宙アサガオ

少し前ですが、大変お世話になっている知人(子供達に夢を届ける仕事をされている方)から、大変貴重な宇宙アサガオの種を頂きました。宇宙アサガオとは、2010年に山崎宇宙飛行士とともにスペースシャトル機内の無重力環境で保管したアサガオの種のことで、通常の種と放射線照射環境の種を比較することが目的の実験でした。

http://edu.jaxa.jp/seeds/

観察実験は、普通の小学校などの生徒さん達ボランティアによって実施されたのが特徴的で、子供達に夢を与えることが私は最大の成果だと思っています。

現在手元にあるのは、その2世代目のアサガオで、地元の保育園などにお分けさせていただいた後に余った1つを、当方事務所でHさんが育てています。

連日、将来が暗くなるような話題ばかりで、レディーガガしか世を救えない状態です。それでも、一歩一歩前に進めたい。少なくとも、子供達の世代には、夢や希望を与えたい、そう思っています。

経験に対する敬意。そして政党政治の行方。

神聖ローマ帝国の流れをくむドイツ帝国の初代宰相ビスマルクは、愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ、という有名な言葉を残しています。愚者の経験とは自分の経験であり、賢者の歴史とは社会の経験、つまり、人類の経験であり、組織の経験です。そして今の日本の政治は、明らかに後者の経験に対する敬意が失われています。

政治評論家の田勢康弘さん曰く、今の民主党は国連に似ている、と。大国も小国も一票。若手議員が経験豊かなベテラン政治家を老害と切り捨て、地位に対する畏れもなく、地位獲得への打算ばかりだと。打算ばかりだとは思いませんが、経験に対する敬意については同感です。

なおもこのことは、派閥を崩壊に導いた小泉首相以降の自民党にも見られる光景で、民主党だけを批判するつもりはありません。政治全般が政治経験に対する敬意に欠けているという印象を持っています。

それもそのはず、政治を為すためには、背反する利害を調整し、関係者を口説き説得し、酒を飲み交わし、議論し、罵倒され、嫌味を言われてあしらわれ、手を回したり回されたりしながら、苦労に苦労を重ね、それでも国のため地域のため、努力しなければならないものです。私のような下級武士付き人(秘書)でも、寝れない日々を送ることもあります。

しかし、こうした苦労は間違いなく政治交渉に役立つものです。だからこそ、そうした苦労は、経験として社会なり組織として蓄積する必要があります。そして社会や組織に蓄積された経験を学ばなければなりません。

もちろん、学んだからと言ってそのまま実行する必要はありません。若さは、事を前に進めるエネルギーに必要なものです。ただ、その「前」と思っていた方向が正しいのかどうかまさに歴史に学ぶ姿勢を大事にしなければなりません。

そうした意味では、執行部は若い人が就き、経験豊な相談役を必ず配すことが組織運営には大切であると思っています。

もうひとつ。派閥政治について。

派閥政治には、悪い点が2あります。小泉政治後の現在は機能していませんが、それはポスト争いと権力闘争です。ポスト争いとは、派閥に入って親分に気に入られなければ仕事ができるポストを貰えない。猫なで声で親分に近づく人がポストを得られる。適材適所とは程遠い人選が行われる。どこの世界でも同じだと思います。金。私腹を肥やそうと思わなくても残念ながら金はある程度かかる。苦労して献金を募る。政治活動するために議員になったのに、若手は集金力がないため、活動資金集めで苦労する。何のために議員になったかわからない。しかし、派閥に入れば、派閥の言うことを聞けば、融通してくれるとしたら、なびいてしまう。これが悲しい自民党の昔の派閥政治の実態で、小泉政権はこれを是正しようとし、現在では派閥はほとんど機能していません。

しかし、以上のことを裏を返して読み直してみたいと思います。塩野七生さんがおっしゃっていたことですが、昔の自民党の時代には、派閥の領袖クラスの話し合い(闘争)で、総理が決まっていた。その闘争の過程では、総理にしてあげる条件として、主要な政策課題が領袖クラス(政党)から提示されていました。つまり、これこれこうした問題を解決するのであれば、総理にしたげますよ、しかし、成し遂げたら総理を辞めなさい、と。竹下総理の消費税。大平総理の日中関係。個人に理念や哲学があろうとかなろうと、器だろうがなかろうが、少なくとも政党としての理念があれば、国家のための課題をこうした形で一つ一つ実現できていました。平時の場合に限って言えば、合理的な運営になっていたと言えます。

そして金。若手の頬を札束で叩くようなやり方という表現は、裏を返せば若手の育成ともとれる。若手は不要な金策に時間を取られなくてすみ、政治運営と政策課題を派閥の勉強会で会得していく。人材育成と人材プールを政党として行っているということにもなります。

もちろん、悪い点を正当化するつもりは全くありません。政治の浄化のためには、裏面の趣旨である政治理念の実行と人材育成を伸ばしつつ、表面である悪い点を払拭する制度を創造しなければなりません。今だ良いアイディアはありませんが、この裏面の2つを無くしては、政党政治に未来はありません。いっそのこと、大連立をしたほうがましだと考えます。

地域若者サポートステーション

小生の地元丸亀市の駅前で、若者の就職支援のための、ITスキルアップ無料講座をされている団体があります。NPOさぬき若者サポートステーションです。IT関係だけではなく、若年層に就業の相談や支援を行ってもいます(厚労省支援事業)。

雇用環境は非常に厳しいものがありますが、今回、完全失業者の固定化とその対策について触れてみたいと思います。香川では、若者に働く楽しさをお届けするため、結構手厚い事業を行っており、香川モデルとして改めてここにご紹介するものです。

総務省の1〜3月期の労働力調査が発表されました。大災害があり一概に言えないかもしれませんが、日本の雇用環境の現状が明確に現れているような気がします。

まず、正規雇用者は4904万人で53万人も減少。非正規は1739万人と103万人増加。そのうちパート・アルバイトが1189万人と84万人増加しています。一方で注目すべきは、完全失業者。全体295万人で21万人減少していますが、3ヶ月以上の失業者は15万人増加しているのにたいして、そのうち1年以上の完全失業者は逆に9万人増加しています。

つまり。いろいろ読み取れますが、一言で言えば、働きたくても働けない人が固定化しつつある、ということです。そして、それは若年層と高齢層に多い。

ちなみに、少子高齢化=労働力人口減少による経済力の衰退を避けるために、海外から労働力を調達しなければならない、という議論がありますが、そうした議論の前に、この完全失業者の議論をしなければなりません。300万人近くの労働力があるのです。そして、固定化しているのは、何らかの原因があるはずです。何とか個人のスキルアップは図らなければならなりません。

政治や行政でこの問題に取り組むにあたり、最大の問題は、必要とされている人まで手が届かないことです。幸い、ハローワークという絶好の機関があるので、サポートするためにはそこを通じた事業が考えられます。先の仕分けで廃止になったが復活したジョブカード制がこの典型です。

そのほかとして、まさに冒頭ご紹介申し上げた「地域若者サポートステーション事業」(通称サポステ)(厚労省支援事業)が挙げられます。NPOなどの事業者に国が依頼し、専門家に就職に向けた支援をしてもらうものです。度重なる仕分けにも関わらず何とか生き延びてきた事業の一つです。

固定化している若年層に、相談・指導・支援の場を提供するものですが、丸亀の団体は、今般新たに同じく厚労省支援事業で、そうした若者にきてもらうのではなく、出向いていって相談・指導・支援を行う、アウトリーチ事業にも取り組まれています。

こうした活動は本当に大変な労力を要しますが、固定化をさけるには絶対に必要な努力です。今後、香川県独自の成果のでるモデルを推進していき、全国発信できればと密かに思っています。

エネルギ政策について

マリー・アントワネットの生まれた前日の1755年11月1日(小生の誕生日)、ポルトガル・リスボンで大地震が発生し(M9)、津波だけで1万、全体で5万とも6万とも言われる方が亡くなられたとも言われています。王と宰相は、町の秩序を完璧に守ると宣言し、リスボンの町の中央には、略奪者に対する見せしめとして絞首台が置かれたと伝わっています。そして1年後には町中を建設現場にし、広い広場と広い道路の土台を築いたと伝わっています。

しかし、大航海時代のスペインかポルトガルか、という時代は、この大震災から大きく変り、現在に至ってもポルトガルは、世界の1・2を争う国ではない。

当時で言えば、ポルトガルは、今のアメリカ合衆国と言える国。そして、日本と同じように、面積が狭く加工貿易国であることを考えると、今の日本の現状を見れば、政治は日本の将来を100年くらいのロングスパンで考えなければならないと考えます。

福島原発問題を受けて、巷でエネルギ政策の議論が活発に行われています。小生の考えは以下の通りです。

・原発は当面絶対に必要で、すぐに全面停止は論外。
-理由。資源を持たない国で加工貿易として成り立つためには電力の安定供給は必要不可欠である。火力・石炭は資源に限界(環境・埋蔵量)。水力は少発電量。太陽は非安定供給&コスト。全面的に原子力に頼ることは避けなければならないが、2〜30%は維持すべき。
-であるならば、一段と安全の敷居を上げ、コストがかかっても防災設備を設計するべし。
-そして防災の観点で浜岡原発が停止になったのは理解。
-しかし、停止に至ったプロセスは極めて問題(極秘案件ではない)。
・一方で代替エネルギの研究は原発継続よりもさらに必要。
-日本近海の埋蔵資源であるメタンハイドレートの実用化研究を更に推進すべし。

-原発はしばらく継続するとしても、徐々に代替エネルギに転換していくべき。

いろいろ書きましたが、一言で言えば、今は原発は絶対に必要ですが、大体エネルギの研究を一所懸命して、原発依存比率を数十年スパンで低下させていくべきだと思っています。

先ほど触れたリスボンでは、地震を受け、宰相が、当時から見れば不必要に広い広場と、不必要に広い道路を作りました。当時の市民から馬鹿にされたとも伝わっていますが、それが今の町のベースになっています。不要ではないかと問われた宰相は、「いずれこれでも狭くなる」と言ったのだそうです。

現在の日本の宰相には、周りの意見を気にせずに、論理的に整合性のある、考えれば納得のいく、国民から冷たく言われても、「いずれこれでも」とおっしゃれるぐらいの哲学と理念で、長期スパンのエネルギ政策を推進していただければと思っています。

ムンクやらゴヤやら将来不安やら

「叫び」で有名なムンクの作品に「マラーの死」というのがあるのを何とはなしに思い出しました。「マラーの死」といえば、ダビッドの代表作で、どちらも強烈なインパクトがある絵画ですが、このムンクの作品には将来不安をほのめかすような気持ち悪さがあります。


(ムンク「マラーの死」:出典wikimedia)


(ダビッド「マラーの死」:出典wikimedia)

題材にあるマラーとは、フランス革命時代、急進的に革命を推し進めた革命家のリーダであり、これらの絵画は、マラーが対立する派閥の熱烈な支持者であるコルデ(女性)に、入浴中のところを殺害された事実を題材にしたものです。

で何を申し上げたいかと言えば、大原美術館の館長をされている高階さんによれば、もともと政治的な意味合いの強い題材なのにも関わらず、ムンクは、個人的な男女の愛憎劇としてマラーの死を題材に選んでおり、それが当時の世相を如実に現しているとのことです。

というのも、1900年前後の欧州というムンクの時代は、経済的には成長を遂げはしたものの、欧州列強同士の激しいせめぎ合いと、人類初となる戦争と言う大量殺戮の狭間のなか、漠然とした将来不安に包まれている時代でした。

そしてついでに思い出すのが、ゴヤという日和見主義の画家の「我が子を喰らうサトゥルヌス」という作品。


(ゴヤ「我が子を喰らうサトゥルヌス」:出典wikimedia)

サトゥルヌスとはローマ神話上の神のひとつですが(サターン)、将来自分の子に殺されるという予言に恐れ、錯乱し、子を食い殺すという残忍な神話を題材にしたもので、将来不安に打ちひしがれて狂気に陥るということだと思いますが、実に気持ち悪い。

そんな作品が思い浮かべる必要がないような時代に是非していかなければなりません。

普天間の行方

普天間の議論は、2005年合意と続く2006年合意によって、ほぼ地元と米側との刷り合わせができていました。移設先は辺野古沖であり2014年までに移設完了を目指すという内容でした。ところが、皆様ご存知の通り政権交代によって議論が迷走し、紆余曲折の結果、アメリカとは、移設先は元通りの2006年合意と同じ辺野古崎にしましょうという合意が為されました。無駄に地元の期待値だけを上げた結果、地元の合意を得るのはほぼ不可能になっております。

小生は、2005年合意に立ち会っておりますし、実際に沖縄に何度か足を運び問題点を自分の目で見てきた者としては、非常に残念に思いながら、事の進行を見守っています。

そして、議論が暗礁に乗り上げた結果、最近、日米政府間では、普天間で固定化しようとするような流れがでてきています。具体的には、近くに開かれる日米の外務防衛両閣僚による会議(通称2+2)にて、先に申し上げた移設完了予定時期である2014年というのを断念することを正式に発表する段取りになっているとのことです。しかもこれは米側からの提案だそうです(5月7日読売新聞)。

なんという責任感のなさ。そんなことはないだろうと思いながら、本質的な問題を理解していないのではないかと思うと、残念で成りません。あるいは、沖縄問題、普天間問題は、政権にとってどうでもよいことになっているのかもしれません。

災害に全面協力してくれている米側に配慮した内容だということなのかもしれませんが、それはそれでこれはこれだと考えます。(写真は普天間飛行場を上空から視察しているところ)

護国神社春季例大祭

今年も善通寺の護国神社にて、春季例大祭が厳粛に滞りなく執り行われました。今年の大祭委員長は、参議院議員の磯崎よしひこ先生です。祭祀は非常に共感するもので、日本人の美徳としてきた道徳心、絆や和、協調など、失われた伝統ある心を取り戻すことを、英霊の前にお誓い申し上げるというものでした。

以前にも申し上げたかもしれませんが、私もそう強く思います。ローマ人は自らを律するものを法律に求めました。ギリシャ人は哲学くに、ユダヤ人は宗教に。であるとすれば、日本人も、自らを律するものを何かに求めるべきではないか。それは、まさしく磯崎先生のがおっしゃられた心をであると信じて疑いません。具体的には教科書など教育くだと思っていますが、また長くなるのとしかられますので、今日はこのへんで。

東日本に届け香川のエネルギー

どろんこクラブというNPOに参加しています。

http://doronko.ashita-sanuki.jp/

一言で言えば3世代地域交流拠点の提供です。そのどろんこクラブの1周年記念行事に先日参加してまいりました。種々のイベントがありましたが、被災地に元気を届けようと、「がんばろう東日本」の掛け声とともに、餅投げ(実際にはスナック菓子)をやぐらの上から行いました。

小生が投げさせていただきましたが、掛け声を掛けているうちに、本当に届いてくれそうな気になるものです。

自粛ムードはそれほど酷くはないですが、もっともっと西日本が元気になって、東にエネルギーを遅れればと思います。

また、丸亀お城まつりの巨大人文字プロジェクト「がんばろう日本」。大成功だったそうです。実行委員の皆様大変お疲れ様でした。これも、かならず東日本にエネルギーが届くと信じています。

憲法制定65年に際して(一日遅れですが)

 
憲法制定から65年目を迎えました。と昨日書こうかと思いながら寝てしまいましたので、本日触れてみたいと思います。

大震災が発生した現時点で改めて憲法を考えると、国家の危機に際する日本の政体が、極めて無力であると思わざるを得ません。

一つ目は、一言で言えば、国家の危機を想定した憲法条項を新設することを検討しなければならない、ということです。主要国には、こうした条項が存在します。もちろん、危機状態に陥った際の、当局の必要以上な超法規的措置によって権利が過剰に侵害されることを防止する目的もあると聞きます。しかし、危機と認定された場合には、必要な措置はリーダが講じるべきであり、それには憲法上の根拠が必要になると思います。

古代ローマ時代、国家の危機に際して種々のアイディアをローマ人は出しています。共和制時代、破竹の勢いで版図拡大に成功したローマは、共和制の限界を感じ始める。

共和制では、2人の共同執政官(2人体制も斬新・互いに独走しないよう牽制しあう)が陣頭指揮をとり(総理大臣みたいなもの)、執政官は貴族集団である元老院が推薦するとともに市民の選挙で選ばれ、そして貴族が暴走しないように、市民から護民官という全ての政策に拒否権をもつ存在がありました。意外かもしれませんが、極めて日本的な合議制、和を以って尊しとなす的な政体でした。しかし、国家が危機に陥った際には、独裁官という任期半年の官職を用意し、独裁官の決定は、護民官の拒否権や元老院の決議よりも優先するという政体でした。

もちろん今では信じられないような政体ですが、アイディアではあります。

そして憲法のからみで言えば、二つ目は、小選挙区と政党政治の問題と、二院制の問題を指摘しておきたいと思います。

小選挙区制度は、政党による政治を強化するべく導入されたもので、現在、確かに二大政党になっています。しかし、内情は、もちろん政策論議も活発ですが、結局つきつめていけば、政局論争ばかり。これではどちらかの政党が圧倒的多数を長年続けなければ、政治の安定なんて夢幻で終わります。例えば、選挙毎に、自民になったり民主になったりすれば、本来長期スパンで考えなければならない社会保障制度などが、選挙毎に変る。これほど壮大な無駄遣いはありません。

なぜこうなるのか。基本的には、ねじれ国会になったときに、優先権が定められていないことです。野党はがんばれば、国会を止める事ができる。そうなれば、いかなる手段を駆使してでも、空転させようとする。つまり、良識の府が、政争の府になってしまう。

であれば、憲法上、そのような虚しい状態にならないよう、何らかしか規定すべきではないか。憲法でなくとも、少なくとも再可決要件を2/3から1/2にすべきであると考えます。

ちょっと長かったですが・・・すいません。

ちなみに、憲法については、ほかに多くのことを感じます。それはまた後日改めて。