悪い円安論

先月末、日経平均株価がスパイク的に下落しました。オミクロン起因もあると思いますが、実質的には、アメリカの利上げ観測に基づく余波であったのだと思います。コロナ禍のインフレ圧力に悩まされている米国経済では、金融引き締めの論調が多く、オミクロンの急拡大で一瞬下火にはなったものの、基本的にはインフレ圧力との闘いモードに入っていて、まさに株価下落した先日の27日は、FRBパウエル議長が3月のFRB会合で利上げを決める見通しを明らかにしたタイミングでした。これまでも、今年度中に少なくとも3~4回の利上げやバランスシート縮小を行う可能性を示唆していました。

実はヨーロッパでも過熱感から利上げ方向に向かっているようです。一方で日本最大の貿易相手国(約2割強)となった中国では、コロナ禍でも金融緩和を実施してきませんでしたが、昨年の不動産市場の規制強化とリスク管理政策によって景気が急減速、それを受けて利下げを断行しています。では日本はというと、欧米の状況をうけて長期金利はじわじわと上がっているとは言え、ご存じの通り利上げを行う状況には全くありません。もちろん、うまい棒の値上げショックなど、物価上昇は観測されていますが、食品やエネルギー関係以外のトータルの物価は比較的安定しており、過熱感はありません。

すなわち、金利水準は中国>アメリカ>日本の順ですが、米中間の金利差が縮小し、日米間の金利差が拡大していることを意味します。必然的に、今後日本はしばらくは為替下落の圧力を受けることになります。実はコロナが蔓延し始めて以降、主要国の中で日本は最大の為替下落を経験しています。中国は大幅プラス、米英もプラス。マイナスなのはユーロや韓国もそうですが、突出して下落したのが日本でした。この最大の理由は、金融緩和というのもあるでしょうが、国力というファンダメンタルズが低下したためではないのか。そこで思い出すのが、悪い円安論です。

昨年あたりから、悪い円安論というのが跋扈しました。これまで為替について経済への影響として語るときは、好悪つけ難い、とするのがスマートなやりかたでした。それは、例えば円安だと輸出産業は好調になるけど輸入物価上昇を通じた負の影響があるという意味です。ただ、実際にそうなのかというと、産業構造を考えれば当然なのですが、生産拠点を既に海外に移している企業が多く、売るものが少なくなっているのが現状です。そうなると、円安は、高い原材料を買ってきて、安い製品を少量だけ売る、ということでしかない。

では財でなくサービスはどうかというと、10年以上前の観光収支は赤字で私もこれを何とか黒字にできれば日本の豊かさにプラスだ、などと考えていましたが、何のことはない、10年たった現在、コロナがなければ恐らく過去最高の黒字をたたき出していたのだと思います。ビザ要件緩和が最大の要因ですが、円安も大きな要因です。問題は、この観光収支黒字と円安が日本人の名目の豊かさに繋がっているのかということです。特に直近を考えれば、円安で最大のメリットを享受するはずの観光資源がコロナで痛んでいるのであれば円安のメリットは皆無に近く、輸入物価の上昇で企業の収益が分配に回らず、賃金を押し下げているのであれば、デメリットでしかない。

アベノミクスは間違いなく日本の復活路線に導いた政策であったと断言できますが、アベノミクスが実行された当初、2%の物価上昇が目標とされましたが殆ど変わらず、変わらないので海外との物価差は広がり、普通であれば物価差を為替が円高に振れることで吸収するはずが更に円が下落するという現象が現れています。コロナの影響で評価は困難ですが、つまるところ海外から見た日本の相対的価値は下がっているのではないかということになります。また金融緩和の断行でキャピタルフライトが懸念されていましたが、実際には観測されませんでした。しかし、日本企業が得た海外収益は海外子会社で内部留保として積まれており、日本に還流されていません。

今後も海外から見れば、安い日本が旅行先としては魅力的であり続けるかもしれませんが、ビジネスとして魅力的であり続ける条件とはなりません。緩和策を続けている結果として円安になっているというよりは国力が低下しているシグナルとして円安になっているのであれば、本質的に国力を向上させなければ為替論は意味がありません。昨年当初に議論した創薬力強化のプロジェクトチームでも、製薬メーカにとっての日本市場は、様々な理由はあるにせよ、魅力的ではなくなっているとの証言が多数寄せられました。結果的に投資を呼び込むことができず、これが更に円安を助長するのだとすれば、悪循環になります。

以上は中長期懸念ですが、直近の懸念もありあす。為替下落を通じた輸入物価の高騰とそれに伴うインフレ懸念というものも絶対にないとは言えない。日本はご存じの通り累積債務残高が極端に高く、これまでは低位安定していた金利と総合国力(例えば国民金融資産)で経済が不安定化することもありませんでしたが、為替の国際バランス変化によって、米国のように日本も急激にインフレ懸念が現実的になったとしたら、金利を上げるという選択肢を検討しなければならなくなります。累積債務を考えれば、金利政策の有効幅はそれほど大きくないわけで、基軸通貨国アメリカと比べればインフレ耐性は低いはずです。

為替。されど為替。政策論としての為替の議論に終始しては本質を見誤るような気がします。あくまで本質論は成長力やイノベーション力です。しかし為替というバロメータを通じて日本の抱える課題を見つめなおすべきなのだと思います。

ビッグデータ傾向分析(感染状況)

猛威を振るうオミクロン感染拡大ですが、2月上旬にはピークを迎えるという観測が多くなってきました。以下は、政府見解とは全く関係なく、専門家でもない私個人の見解ですので、その点はご留意頂ければと思いますが、これまでも何度か触れています通り、政府分科会という日本の知を代表する専門家集団の分析手法とは全く異なる方法で、社会経済の分析を福田達夫代議士のイニシアティブで同志を募って試みて参りましたところ、目標としているところにはまだ到達していませんが、ビッグデータ利活用による将来傾向分析の第一歩目ができるようになりました。ここでも2月上旬にピークを迎えるであろうことが示されています。

https://moneyworld.jp/news/05_00069460_news

念のためですが、ビッグデータを利用したデータサイエンティストによる分析であって、疫学などの感染症の専門家によるモデルベースの分析ではありません。従って、合っているとか間違っているということよりも、「動的」に日次で傾向分析をすることで、実社会や政治現場での将来動向をイメージで把握できることに、最大の特徴があります。当該データサイエンティストによると、天気予報のようなもの、とのことです。現時点での専門家による予測は、実データとの乖離分析に終始して、実社会での意思決定に直接役に立っているとまでは言い難い状況が続いています。このことは後程触れたいと思います。

いずれにせよ、この予測は現時点では東京のデータのみを使ったものであって、全国に一般化できるかどうかは全く別の話になりますが、このイメージだけを見ると、過去と同じ公衆衛生学的介入を断行する積極的理由は見当たりません。やってもやらなくても感染状況が改善する可能性が高いからです。ついでに言えば、介入の目的は医療提供体制確保ですが、介入したとしても人流抑制には限界があることが既に知られており、仮に人流抑制できたとしても感染拡大防止への高い効果は見込めません(※)。また感染拡大起点はもはや飲食起因ではなく家庭であったり職場であったりしますので、介入により実行すべき具体的で実効性の見込める政策に乏しい。さらに言えばリモート率も極端に下げられる余裕がありません。つまり、介入の効果は、仮に同じことをするならば、極めて限定的と言わざるを得ない状況になっているのだと思います。従って、結果的に介入は飲食宿泊等対面サービス業等に集中的に悪影響がでるだけになります。もちろん現在、検査陽性率が高いために陽性者を正しく捕捉できていない可能性があり、収束期には感染者数がなだらかに減少する可能性があります。そうなると医療提供体制に負荷が残ることになります。しかし人流で抑制できる問題でもありません。本質的にはこの感染減少期の体制確保のための政策を今実行すべきで、実際に手は打たれています。

このシステムの背景について少し触れたいと思います。コロナが世界を襲った一昨年春から長らく言われているのが、感染拡大防止と経済のバランスです。このブログでも何度か触れました。しかし、感染に関するデータも、経済に関するデータも、山ほどあるにもかかわらず、それをマッシュアップ(複合的に重ねて)して分析して政策を立案するということが、積極的に行われてきてはいないと感じていました。つまり、感染データだけを見て必要最小限の介入を行うことで経済インパクトを最小化するという方針であったように見えます。そして傾向分析(予測)の不足。様々な学者が予測を立てるのですが、意思決定者として確信をもってそのデータでもって国民とコミュニケーションを図れる、というレベルではなかったように思います。傾向分析は先手先手の政策には欠かせないインテリジェンス機能です。

予測については当然かもしれません。私も以前は研究者の端くれ。理論シミュレーションは複雑なモデルであれば当たらない。人間の行動を含む社会全体のモデルですから当たり前です。正確性を求めること自体が適当ではない。相当な実験を重ねてモデルを修正しないと当たらない。そして当たらない理屈を議論するから時間がかかる。それも確証が得られない。そして多くの専門家がモデルを提示するから、どれがいいのか意思決定者としても判断に迷う。迷うだろうから学術界の代表者が多くのモデルを総合的に俯瞰して意思決定者に伝える。でも丸まった結果なので、政治っぽい発言になる。データとしては出てこない。出てこないので、タイムラグを伴って発現する感染症の影響に対して先手先手の意思決定ができない。これは個人個人の能力とかでは全くなくて仕組みの問題なのだと感じます。そうなのであれば、最初から専門的な論理的正しさよりも、過去の経験から、傾向を見る手法の方が意思決定者として分かりやすいのではないのか。

そういう意識から、民間ビッグデータとデータサイエンティストの力を借りて、徐々に感染に関する傾向分析ができるようになっておりましたのが、冒頭のリンク先データです。繰り返しになりますが、ビッグデータ傾向分析なので疫学的に正しさは求められませんし、経済データもまだです。しかし大体あたるし体感的にも納得できる。こうした分析を長らくしていると気付くのが、傾向分析を見れば無意味な政策でも、政治的には実行せざるを得ない状況、というのがあるということです。先に触れた公衆衛生学的介入の要不要も同じです。例えば感染拡大傾向にあるときに本来やるべきは、必ず迎えるであろう感染停滞期に積極的経済政策を打つことですが、例えばGoToキャンペーンなどは準備に時間がかかる。しかし、かかるからと言って、感染拡大期にGoToの準備を打つなどと発表したら袋叩きに合うでしょう。政治は耐えられない。

もし傾向分析の手法と結果を国民の皆様にお示しし、専門家の意見も併せた上で感染防止対策や経済対策の中身と背景や意味も解説できたとしたら、政府が抱える制約や前提条件と立ちはだかる状況を国民の皆様に共有いただけるのではないか。もう少し言えば、こうしたリアルタイム社会分析システムは、感染症だけではなく経済安全保障や金融危機などでも、ある種役に立つのではないか。社会構造や社会課題が複雑化する中で、政治という民主的手法だけでは解決手段を提供できそうもないときは、日本の英知の結集である科学コミュニティーの存在が無くてはならない存在となりますが、そうした民主的手法と科学的手法の両者が互いの立ち位置と目的を常に確認しあいながら、新たな解決手段を提供するためにビッグデータを使う、ビッグデータをアジャイルにデザインする、という概念を持つことが極めて重要なのではないかと思っています。そもそもビッグデータの結果を意思決定に利活用すること自体、民主的手法と科学的手法の結節点であるとも言えます。実はアメリカではオサマビンラディンを発見するのにビッグデータ分析の手法を使ったと言われています。そういう思いを持ちながら、このビッグデータ分析手法を温めて行きたいと思っています。

https://moneyworld.jp/news/05_00069460_news

※)都会に限った分析ですが、人流分析をすると、介入しても社会生活を維持するのに必要最低限の人流は必ず残り、一方で感染停滞期ではコロナ前に比べた人流はそもそも少なくなっているという指摘があります。すなわち、介入しても人流は第1波で経験した7割減というようなことには到底ならないということです。

土地改良法の改正

圃場整備(農道や用水路なども含めた農業耕作地の整備)の対象範囲拡大など、土地改良法が改正される運びとなり、先般、自民党農林部会でその骨子案が議論され、了承されました(私は参加できていませんが)。あくまで骨子段階のものであって、しかも提出予定だという段階なので、状況次第では変更される可能性もありますが、取り急ぎご報告いたします。

一つは防災の観点。震災被害については、迅速に土地改良事業の対策を打てるよう既に実施権限を国や地方自治体に付与していますが、豪雨災害についても同様の措置を講じるものです。つまり、地震が来ようが豪雨が来ようが、農家の申し出がなくても国や県が直ぐに対策に乗り出すことになるということです。

二つ目は圃場整備です。農地バンクは、農地の集約化を加速するため、預かった農地の圃場整備を実施する権限を持っていますが(正確には都道府県)、農地に接続されているような面的にまとまった区画整理や農地造成のみが対象でした。改正案では、農道や用水路など面に接続されている線的要素も一定の要件で対象とされることになります。(農家負担なし)。

三つめは土地改良事業団体連合会(土連)の資金繰りです。話を単純化すれば、事業を機動的で効果的かつ適正に実施できるようにするため、5か年計画で硬直化していた運用方針を改善するための改正です。具体的に言えば、財投資金を活用するため、債券発行権限を付与することが主な内容です。これで会員である各土地改良区の要望に柔軟に対応できるようになるはずです。

四つ目は書類の簡素化です。担い手不足で解散を余儀なくされている土地改良区は、通常、認可地縁団体や一般社団に組織変更することになりますが、その場合、一旦解散し、その上で新規に設立しなければならなかったのを、ワンストップで組織変更できるようにする改正案です。もちろん、推奨するものではありませんが、現場で本当に困っている方には必要なのだと思います。

繰り返しますが、あくまで案であってそのままの内容や日程で改正されるとは限りませんが、個人的には必要な改正であると思います。

治療薬とワクチン

オミクロン株の感染拡大がいよいよ深刻になってきました。重症化しにくいという傾向は明らかで、感染症法上の取り扱いも総理が発表したように、オミクロン株にマッチするような方向に転換していけるのか議論するべきタイミングが来ていますが、重症化する人がいないわけでは決してないので、少なくとも感染拡大防止に向けて一人ひとりが引き続き努力することは必要になるのだと思います。再び人流抑制や営業自粛などといった公衆衛生学的抑制政策を打たなくても済むようにしなければなりません。

その上で、第一には医療機関等の関係機関の負荷を抑制すべきは論を俟ちません。様々な方向が考えられますが、そのうちの一つである、治療薬やワクチン開発の現状について今日は触れておきたいと思います。

中和抗体カクテル療法と言う言葉が一世を風靡しましたが、現在ではどうなっているのか。またエボラ出血熱の治療薬として開発されていたレムデシビルはどうなったのか。寄生虫薬として開発されていたイベルメクチンはどうか。アビガンはどうなったのか。また、国産ワクチンはまだなのか。様々な問いかけを私も地元で受けます。テレビニュースの影響で、皆さんがとても詳しく、それだけ関心の高さを実感します。

私は専門家でもないので不用意なコメントは控え、政府がまとめた現在開発中の主な新型コロナウイルス治療薬とワクチンの一覧をもって紹介とします。

ワクチン開発状況
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000121431_00223.html

治療薬開発状況
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/covid-19tiryouyaku_vaccine.html

昨年末に注目されたファイザーのニルマトレルビルと塩野義製薬のS-217622は、経口剤であることと共に、第III相試験(臨床最終段階)に入っていること、特に前者は統計的優位差が示されていることが読み取れます。期待された中和抗体カクテル(カシリビマブ・イムデビマブ)は、オミクロン株の場合は推奨されないとあります。一方でソトロビマブという中和抗体剤は変異株にも効果を持つことが期待されるとあります。アビガンは海外試験で優位差が示されなかったとあります。その他、表をご参照ください。
ワクチンは、アンジェスが話題になりましたが、報道にあった通り、期待された効果が得られなかったとあります。一方で、塩野義製薬の組み換えワクチンや第一三共のmRNAは臨床試験に入っているとあります。その他、表をご参照ください。

全力で支えて行きたいと思います。

新しい資本主義について

年初のご挨拶で、新しい資本主義の事について触れました。私個人として思っているのは、新しい資本主義とは、民間出資による社会課題解決を後押しし、行政だけに頼らない社会課題解決の新しい資金循環を作り、富を生み出す環境を社会全体で作ることです。

別の言い方をしますと、「成長と分配の好循環」というのであれば、その分配とは何で、誰が何の目的で行うのかということを考えなければならないということです。仮に分配を国が国費で行うのだとすれば、確実に成長に資する社会課題解決のための政府投資であるべきで、単に国が国民に社会保障給付的にばら撒くことであってはなりません。

成長に資する分配であれば、国が国費を使って民間投資も促すものとすべきです(余談ですが私は比率は1対3だと思っています)。だとすると、分配とは社会課題解決に他ならず、誰がというのは国と民間という社会全体であって、その目的は成長。その結果として既存の概念の分配(社会保障)を厚くしていくということになるはずです。

1年間で社会保障給付が数千億も伸びていますが、歳出削減に注力するのは給付事務の合理化の文脈であれば理解しますが、もう限界に達しつつある。それを賄う富の創出を考えなければ、誰が考えても回らない。であれば、社会の好循環には今までとは違う歯車も考えなければならない。それが、冒頭に申し上げたものです。

具体的に言えばESG資金です。世界にはブラックロックという運用資産1000兆円を超える資産運用会社があり、ESG市場に注力していると言われます。何もこのブラックロックでなくてもいいのですが、とにかくこうしたESGや担い手と共に成長の足かせとなっている社会の課題に”分配”していく必要があります。既存の資本主義の概念の分配に直接注力する方向であってはならない。これをやれば単に社会主義国家になるだけです。

https://www.blackrock.com/jp/individual/ja/about-us/our-commitment-to-social-impact

では社会課題とは何か。例えば、税財政の議論では、賃金が上がらない、国際競争力が低下している、円の力と購買力がなくなっている、経済産業やイノベーション政策の議論では、富を生み出す力が弱くなっている、または富が流出している、そうした産業構造上の課題がある、そもそも人を育てる教育システムに課題がある、農業政策の議論では、農業生産基盤が弱体化している、なので輸出して富を稼がないといけない、コロナ政策では、国産ワクチンを作る力が弱い、防災では国土強靭化が必要だ、など挙げればきりがないほど、社会課題は山積しています。

昭和の成長期には既存の古いタイプの分配で解決したでしょう。否、解決するだけの成長があった。今は成長がないのであれば、新しいタイプの解決を見出さないといけない。上に挙げたような課題を各分野でしっかりと議論して税金を費やし適切に解決していくことは重要です。しかしそれと同時に、社会と共に解決する大枠の仕組みも必要なのではないか。各分野で、民間との協調解決路線を具体的政策として提示する努力が必要なのだと思います。

約10年前、強烈に感じた日本経済の窒息状態は、安倍政権による大胆な経済政策で脱しつつあったのは確かです。しかしここにきて頓挫しています。コロナ禍により問題が複雑化し半ば諦めの気持ちでコロナのせいにできなくもないのですが、本質的な構造的課題は確実に残っています。安倍政権の政策が日本復活の第一段階だとすると、歴史的に見ても、今こそ第二段階の方策が必要で、新しい資本主義という打ち出しは、非常に重要だと考えています。

新年のご挨拶

寅年の新しい年を迎えました。謹んで新春のお慶びを申し上げます。旧年中は皆様方には、一方ならぬご厚情を賜りましたこと、改めて心から感謝申し上げる次第です。今年の干支は寅。含意が豊富で引用に苦労することなく、安心して迎えられる年となりました。

しかし安心できるのは干支に因んだ引用くらいで、日本を覆う空気感は未だに晴れやかなものではありません。中国武漢に端を発した新型コロナウイルス感染症による影響は甚大で、何よりも人々の心に大きな影響を与えました。虎口を脱すべく引き続き国がしっかりとした対策を講じていくべき状況が続いています。一方で、国際協調とは言え、補正予算も含め過去に類を見ない大規模な財政をコロナ対策に投じているため、特に若い世代からは将来負担の不安の声を耳にします。

現時点では財政は引き続き拡張すべきです。しかし、これも虎の子の税金で、同じ使うなら今までと異なる価値を生むものに誘導していくべきです。昨秋就任した岸田文雄総理は、成長と分配の好循環を生む新しい資本主義を訴えました。いわば、サステナブル資本主義を目指すものだと理解できます。

例えば温室効果ガス排出削減という社会課題解決を経営目標に積極的に掲げる企業が増えていますが、日本の企業はそもそも旧来より公益精神に富んだ三方良し経営の精神論型企業が比較的多い一方で、GAFAやテスラに代表される欧米新興巨大資本は急成長するESG投資を虎視眈々と取り込み資金調達する新自由主義の延長線上にあるものです。日本はまさに、竜虎相搏つが如く、日本型の公益精神論を、日本に馴染むような形で、社会課題解決と資本主義の資金循環メカニズムに再構造化するべきで、これが結果的に成長と分配の好循環を生み出すはずで、目指すべき新しい資本主義なのだと思います。

課題も残ります。国際秩序や経済安全保障です。岸田内閣で担当の内閣府副大臣を拝命いたしました。全力で任務を全うして参りたいと存じます。最後になりましたが、今後とも引き続きご指導ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げつつ、皆様の益々のご隆盛とご活躍を心からご祈念申し上げます。

歯科検診について

(写真:2020年7月「厚生の指標」のデータを国民歯科問題議連事務局長山田宏先生がお纏めになったグラフ)

歯医者さんに行きました、という話ではありません。歯科検診に行けば行くほど健康寿命が延びるという話です。

以前から着目している課題ですし、政府も歯科検診の重要性を認識して、数年前から毎年の基本方針に掲げていますが、その認識が必ずしも社会全体に十分浸透しているとまでは言えないのが現状です。改めて本日、国民歯科問題議員連盟の総会に出席し認識を新たにしました。

昨年、「厚生の指標」という専門誌に健康寿命や平均寿命と、歯科通院割合の相関に関する研究結果が発表されました。それを前出の議連事務局次長をお務めの山田宏先生がお纏めになったものが冒頭の写真資料です。老人クラブや外出しているというだけよりも遥かに高い相関をもっています。

医療機関への通院割合と健康寿命が負の相関なのは、通院すると不健康になるということでは当然なくて不健康だから通院するためですが、歯科の場合、健康だから歯科に通院するということは凡そ不自然なので、やはりエビデンスとしては、歯科に通院すれば健康になるというのは確からしいと明確に言えるのだと思います。すなわち予防医療です。

日本の総医療費は44兆円。歯科は3兆円。社会保障制度のエコシステム(好循環)を考えたときに、歯科検診は欠かすことができない重要な要素なのだと認識しています。

もちろん歯科だけではありません。予防医療に資する政策は喫緊の課題であると認識しています。誰しも健康でありたいと思うわけですが、健康な人は健康になろうとするインセンティブ(動機)が低い。なぜならば健康な人は健康であることを意識しないからです。これが予防医療が進まない最大の要因です。

であれば、例えば体を動かす活動をすると何らかのクーポンがもらえるなど、健康維持のインセンティブを高める政策を積極的に実行すべきで、結果的に医療費は本当に必要とされる方に集中できるはずで、削減された財源の一部をインセンティブ政策費に回せば、医療エコシステムが回るはずだと思います。

歯科検診がそうした捉え方で積極的に進むことを願っています。

ロシアの衛星破壊実験

去る11月15日、ロシアがミサイルによる衛星破壊実験を行い、多数のスペースデブリが発生しました。ただでさえ無数のデブリを前に国際社会が対応に苦慮しているなかで、更に多くのデブリをしかも意図的に発生させることは、宇宙空間の持続的かつ安定的な利用という観点で、極めて深刻な懸念と言わざるを得ません。

特に現在は軌道上で国際宇宙ステーションが活動をしておりますが、そこに宇宙飛行士もいるわけで、大変な危険にさらしたことになります。実際、7人の宇宙飛行士たちには、衝突に備えて船内に退避するよう地上から指示がだされました。そもそも、今回の衛星破壊実験は、スペースデブリを軌道上に長期残留させる意図的な破壊を行ったという点で、ロシア自身も賛成した2007年採択の国連スペースデブリ低減ガイドラインに反するものです。ロシアには強く抗議したいと思いますし、あらゆる国に今後このような実験を行わないよう強く求めて参りたいと思います。

第49回衆議院総選挙

私にとりまして4回目の挑戦となった第49回衆議院総選挙。地元有権者の皆様から審判を頂き、過日、再度皆様の代表として国会で活動する場をお与えいただきました。

選挙期間中、お支え頂きました全ての皆さまに、心より厚く御礼申し上げます。本当にありがとうございました。同志の県議会議員、市議会議員、町議会議員、党支部党員の皆さま、後援会の皆さま、遊説の皆さま、設営の皆さま、ご来賓の皆さま。そしてご声援を沿道から頂いた全ての皆さま。勇気と力を頂きました。

一方で、すべての皆様に信任を頂いた訳ではないことを肝に銘じなければなりません。様々な理由で投票を辞退した人もいらっしゃるかもしれません。意思を示すために白紙投票をした方もいらっしゃるかもしれません。

重要なことは、まだ我々政治家が、必ずしも信頼されていないということを、政治家自らがしっかりと認識し、そのことを有権者の皆様にお伝えし、信頼を得られるためにすべきことをしっかりと伝える事なのだと思います。私は、昭和的な透明性とか襟を正すとかだけでは信頼を頂けるとは思えませんので、信頼を頂ける仕組みを築く努力をしていきたいと思います。

その上で、まずやるべきことは、第一に、コロナで疲弊した経済社会をてこ入れしないといけないと思います。大胆な景気対策、業種経済対策が必要です。

第二には、今後のコロナ第6波の可能性も含め、感染症だけでなく、災害や事故や海外からの経済的外交圧力など、あらゆる事態に備えた危機管理を万全にしなければなりません。

第三に、日本の国力向上です。日本の強みを伸ばし、弱みを解消し、産業構造を世界の潮流であるSDGs経営型に変えることで、成長か無駄撲滅かという二元論でしか得られないとされてきた分配の在り方に、新しい資金循環の構造を創っていかねばなりません。

4期目。全力で挑んでいきます。今後ともご指導賜りますよう、よろしくお願いします。

核兵器禁止条約

今回は核兵器禁止条約について書いてみたいと思います。なお念のためですが、私は核兵器廃絶を目指しており、核兵器を持つなどと言うことは理論的にも感情的にも思想的にもすべきではないと思っていますし、議論すらも必要ないとも思っています。その上で、核兵器禁止条約に参加しない政府の方針とその理由に賛成しています。その理由を述べたいと思います。

かつて日本の国際的立ち位置は、経済一流、政治三流、などと言われた時代がありました。しかしこの10年の安倍政権の外交努力によって、日本の国際政治力は劇的に向上しました。すなわち、日本は現実の国際秩序形成をけん引すべき立場になっているということです。ただ、国際政治ベテラン組はまだ沢山いる。そういう状態で、日本は何をすべきなのかを現実的に考えなければなりません。

まず何が起こっているのかを解説します。大量破壊兵器は国際法上管理されていますが、ものによって手法がかなり違います。例えば化学兵器などは国際法上明確に違法とされていますが、核兵器は国際法上明確に違法とされたものはありません。ただ、核兵器の拡散を防止するための条約はあって、それがNPTという核拡散防止条約というものです。人類の知恵なのですが、中身は、核兵器保有国だけは核兵器をもってもよろしい、しかし非保有国はもってはならぬ、という条約です。一見不平等ですが、拡散防止には役に立っており、核兵器に関する基盤ルールとなっています。そしてこの条約は、保有国に削減義務を課しています。

問題は削減努力がちんたらしていること。そこで最近、一部の非保有国が結束して、核兵器そのものを違法化しようじゃないかという話になった。それが核兵器禁止条約です。至極真っ当な話であってこれで全ての国が納得して廃絶することができれば、とてもいい話です。しかし、核戦略論という現実対処のための理屈を打ち出している核保有国が大反対し、その結果、保有国と非保有国で大激論になり、溝は広がる一方になりました。今、この溝を埋めようとする国はほとんどおらず、冷え切った関係で二分しています。

日本政府がなぜ核兵器禁止条約に参加しないのか。まさにこの溝を埋める努力をするためです。すなわち、核保有国が参加していない条約に参加しても核兵器廃絶に向けた具体的な解決策を見いだせないからです。逆に素直に参加すれば目先は気持ちいい。参加しないと無用な詮索をされる。日本の核兵器廃絶に向けた意思も単純明快に示せる。選挙にも有利でしょう。しかし現実的な核兵器削減に向けた議論は、むしろ当たり前ですが保有国を巻き込んでいくほかありません。かつてエドワード・ギボンは、改革は内部から実行されるものであると言いました。溝を埋める役割を担う国が必要なのが現実の国際社会です。そしてそれが日本なのです。

核兵器は、核戦略論で言えば必要悪ですが、人道論としては私は絶対悪だと思っています。そして政府も核戦略論には直接触れていませんし唯一の被爆国の立場を訴えているので人道論としての絶対悪の考え方に近いのだと思います。ただ、現実問題として人道論は正義観なので保有国には通用しないのは事実です。それは核保有国は核抑止論を前面に出して必要性を訴えるからに他なりません。なにせ別の保有国がいるわけですから。

正義観の話をすると、例えば警官が所持する拳銃も治安維持の文脈では必要悪ですが、正義観では絶対悪なのでしょうか。人を殺傷するものが絶対悪だとするなら警官の拳銃も絶対悪です。大量殺戮が可能なものと考えればそうではない。しかし拳銃を乱射して100人が亡くなれば絶対悪になるのか。もしそうなら、人を殺傷するものは全て禁止されるべきとの結論も導き出される可能性もあります。正義観というのは、正義の裁定者が誰なのか、という話になります。(核戦略論などの現実対処は相対的均衡の話になります。)

かつて正戦論(正義観)が主流であった頃の中世ヨーロッパのように、ローマ皇帝という正義の裁定者がいる場合には、正義観の絶対座標が決まりますので、絶対悪の領域がはっきりする。しかし宗教改革以降、唯一無二の正義の裁定者がいなくなり、国際社会は無差別戦争観に突入して未曽有の大戦を経験。その反省から戦後に戦争禁止に至り、現実に対処するために必要性と均衡性を要件とする自衛権が認められた。云わば戦争禁止という正義観に基づいた前提を置きつつ、現実対処のための自衛権を認めたというバランスをとった形になります。

少なくとも現実論として自衛権を排除して正義観を振り回すことは不可能です。すなわち結論として言えば、NPTを諦めて核兵器禁止条約をとると世界は正義観と戦略論がぶつかり絶対に習合しない。NPTは戦略論がベースの条約で、核兵器禁止条約は正義観や人道がベースの条約です。本来、2つの価値軸のバランスのいいところを打ち出す条約が核兵器の場合は現実的なはずです。(否、保有国が納得すれば後者だけでもいい)。

我々は現実の人間世界に生きています。究極的には理想に死すか現実に生きるかの選択です。当然前者の方がかっこいい。一方で、マキャベリは愛されるよりも恐れられる方がよほど安全だと喝破しましたが、そう考える国があるのは脅かす国があるからです。そして相互に恐れられる方を選択するばかりだと決して両者は愛される存在にはならず、良い世界が築けません。

であれば、自らは決して恐れられる選択はせず、愛されることを求めてそのことを決して忘れず、今は脅かす人がいる限り恐れられる存在になりたいと思う人がいるのを理解しつつも関与して巻き込み、世界が愛される存在になりうる現実のプロセスを追い求めていくことがベストな選択だと思います。若泉敬ではありませんが、まさに他策ナカリシヲ信ジント欲ッスの心境です。

1945年のアメリカによる広島・長崎への原爆投下について、これまで多くのアメリカ人は戦争の早期終結に必要であったと理解していました。早期終結によって多くの日米将兵の命を救ったと理解していた。しかし最近多くの歴史学者が、皇室維持を条件にすれば日本が降伏する可能性が極めて高いことをトルーマンは十分知っており、必ずしも原爆を投下しなくても早期終結は実現できたはずだということ、一方で早期の原爆投下によってソ連の対日参戦を防ぐとともにその後のソ連の影響力を削ぐことがアメリカの当時の主要な課題であったこと、を指摘しています。そしてアメリカ人の意識も徐々に変わってきています。

昨年のNHKの調査によると7割のアメリカ人が核兵器は必要ないと考えているそうです(日本人は85%)。そして1945年のアメリカによる原爆投下については、41.6%が許されないと考え、31.3%の必要だったを上回っています。ここ10年で大きく変わっています。可能性を信じて実質的に核兵器のない世界を模索することが必要なのだと思います。

■核兵器禁止条約交渉第1回会議ハイレベル・セグメントにおける高見澤軍縮代表部大使によるステートメント(平成29年3月27日)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000243025.pdf