国産ワクチン遅れとインテリジェンス

コロナでなぜ国産開発に遅れたのか、もそうなのですが、結局、自省も込めて言えば、ワクチン開発は早くて2~3年かかる、というのが常識とされていて、他国の状況を把握することなく、開発着手も極めてのんびりとした雰囲気のなかで進んでいったのが本当のところだと思います。もちろん、ワクチンや治療薬の開発は政治の議題に上るのですが、国際社会にどれだけお金を拠出している、という話が政府の回答の中心的なものでしたし(例えば国際的官民連携パートナーシップCEPI)、国内開発支援についても、その額から見ても気合の入ったものではなかったのだと思います。すべて自省を込めた話です。

そしてその後のファイザーによるワクチン開発成功は大きな喜びであると同時に衝撃でした。1年経っていないのですから。ふたを開けてみれば、mRNAという日本では全く主流ではない最先端の開発方法。私も専門家ではないので正確ではないかもしれませんが、コロナウイルスを遺伝子解析してデータ化し、悪影響を及ぼす部分を改変して伝送、データから試験製造する。本当のウイルスを加工するわけではなく、データ上で加工するため、開発も早く、安全だといいます。政府も議会もそういうやり方があることが話題になることはありませんでした。

ワクチン敗戦と言いますが、恐らく情報収集能力の欠如によるところがかなり大きいのだと思います。創薬力世界最先端のアメリカの動向を収集できなかったのか、mRNAとは言いませんが、不活化ワクチンなど日本がやってきたやり方以外の方法に目を向ける情報は取れなかったのか。悔やまれて仕方ありません。そしてこの反省を骨の髄まで自らに沁み込ませなければならないのだと思います。つまり、ワクチンに限らず、全ての危機管理は、情報収集能力の強さで勝負が決まっていくことが多いはずです。すなわち、見える化への努力です。

戦時中、日本は情報を軽視したことが敗戦の原因の一つだと言われます。戦後生まれの私らは、ミッドウェー海戦敗北は南雲中将の判断ミスであったと思わされていますが、戦後の米軍資料からは戦力で言えば米側が勝ったのは奇跡に近いことが分かります。すなわち、情報戦で負けたことはほぼ間違いない事実です(解読されていた)。結局、過信か諦めがあると情報は軽視される、ということにつきます。ワクチンで言えば、日本は研究開発力を過信していたのではないとすると、2~3年という諦めであったのではないか。

もちろん経験済の事がらに対する備えは日本は強い。災害であれば、日本は幾多の困難を乗り越え、その情報収集能力と対処能力は、恐らく世界一になっているのだと思います。事実、政府内で働いていた際に、緊急参集として発災後1時間で会議をやると、既にきれいに整理されたアリトアラユル情報が提示されていることに驚かされました。電力や水道や地方自治体機能に始まり、コンビニや携帯サービスの状況などです。問題は、経験してないことに日本は滅法弱いことです。東日本大震災の際の原発事故もしかりです。議会に身を置いて痛感するのは、起きていない事柄に対して全力を傾注して備えを図っているのは、安全保障分野のみであることです。

いずれにせよ、国家の情報収集機能の強化は、今後の多難な時代を乗り切るためには、避けて通れません。インテリジェンス機能の強化を叫ぶと、少し前の時代ならば、旧軍時代の復活だとイデオロギーを振りかざす方々が出てきますが、これは大きな間違いです。戦前、と言っても2つの時代に分けなければなりませんが、特にその後半の戦争に突入していく雰囲気を作った時代では、国家のための国民という発想であった。当然ですが、今は国民のための国家です。そして国民と国家はそもそも不可分の存在ですから、必要な機関は同じになります。ただ、根底に流れる哲学は真反対であって決定的に異なる。従って、意識も運用も制度も異なってきます。結果的に、情報機関は戦前とは全く異なるものになります。

現在、日本政府は、外務・防衛や警察・公安のほか、経産・金融・財務・海保など、様々な情報を内閣官房内閣情報調査室(通称内調)に集約し、総合分析を行った上で、内閣情報会議や合同情報会議などの会議体に集約し、官邸首脳に伝達する仕組みになっています。しかし十分とは言い難い。常に危機に直面している国家は情報収集に一番力を注ぐのは世界共通ですが、日本は戦後日米同盟に胡坐をかいてきたため危機意識が欠如しているのだとも言えます。こうした事情で、これまで何度かインテリジェンス機能の議論が与野党を超えて議論される機会が何度かありましたが、結局実現には至っていません。令和の時代は尚更です。米国とタメを張るくらいの力をもった国が国際秩序の挑戦者として実在することを我々人類は経験したことがない。少なくとも、現状の機能強化は図るべきなのです。

そして情報収集は情報保全にも必要な機能です。例えば、多額の国民の血税を投入して大学等で最先端の研究が行われていますが、簡単に他国に情報が渡されていると疑われても仕方がないケースが多い。情報保全とはきわめて厄介なもので、情報コミュニティ―やサークルにいる人間か若しくはその存在意義を理解している人間は別として、それ以外の人間は保全すべき情報か否かを区別すること自体にも疎いのが普通です。

インスタントコーヒーで使われるフリーズドライ製法がバイオ兵器製造に使われるとか、カーボンシャフトのゴルフクラブの製法がロケット技術に使われるとか、はたまた潜水艦火災事故が最高度の機密であったりすることを、直観的に理解する人は多くはありません。一番厄介なのが、意図せず最高レベルの情報を意識せずに扱っている人たちであったりします。

こうしたことにまで目くばせしなければならない時代になったことを残念に思いつつ、しかしながらそれだからこそ、本格的にインテリジェンス機能強化の議論を進めていかねばならないのだと思っています。

国産ワクチンと日本の創薬力強化

凡そ4か月に亘り、医薬品産業の在り方議論を、党の創薬力PT(プロジェクトチーム)で行ってきたのですが、先日ようやく提言書を取りまとめてご了承を頂き、過日、大臣に申し入れに参りました。コロナによって昨夏あたりから厚生関係に関与する機会が増えておりましたが、創薬力に関しては改めてワクチン敗戦と言われる中で自身の関心も高く、事務局長として全力で取り組んで参りました。関与頂いた行政や業界や有識者の皆様には心から感謝申し上げます。

議論の入口の視点は2つ。1つは、創薬力が危機的な状況にあり、その国際競争力も含めて強化していかなければならないという認識のもと、政府の医薬品産業ビジョンの改訂を含め、党の考えを示す運びとなったこと。もう1つが、先に触れたワクチン敗戦。この2つを軸に、議論を始めたものです。そして提言の出口の視点も2つ。すなわち、1つは医薬品産業エコシステム(資金等の好循環)を確立することと、もう1つは医薬安全保障(いつ何時どんな感染症や災害がやってきても必要な医薬品を供給できる体制の構築)です。

入口の第1の視点について。国内市場規模凡そ10兆円と言われる医薬品産業ですが、創薬力が失われつつあり危機的な状況にあるということが関係者の間で共有されつつあります。もちろん、殊更危機感をあおるつもりはなく、現在でも世界有数の創薬可能国の一角を占めていますが、ここ最近の社会保障費抑制政策により、製薬業界にとって死活問題となる研究開発に充当する資金が国際比較すると相対的に低下、それに伴って創薬力と国際競争力も低下傾向が鮮明になってきています。

当然、国がとってきた方針が問題になります。薬は言うまでもなく、国民にとっては安価で良質なものが安定供給され、必要な時に手に入る状況にあることが望ましい。しかしそれは産業がなりたってこその話であって、産業は適正な利益があってこそ初めて新しい良質な薬を研究開発できる。なければ医療機関も良質な医療を提供できないはずです。しかし、こうした産業の本質を軽視した政策運用が行われており、創薬力が低下していることになります。従って、産業政策を主要政策として位置付ける運用する必要が本質的課題の一つです。

一方で業界側も覚悟が求められることになるのだと思います。コロナ後に海外の製薬メーカー幹部が、私に語った言葉が忘れられません。趣旨は、コロナという社会課題に対峙するために無条件で全力を尽くす、我々がやらなければ誰がやる、支援があるかないかは関係ないというもの。もちろん、資本力も市場も技術力も巨大で実際に国家支援体制もあるため言えることだと思いますが、相当な気迫を感じました。これが言える産業と市場と国家体制を構築しなければなりません。産業界も一つになって、目指すべき方向を示していくべきです。

もちろん、産業界だけが良くなっても、国や医療機関、そして当然国民も十分なメリットを享受できなければうまくいきません。そうしたステークホルダー間の好循環、いわばエコシステムとも言うべき構図が確立してなければうまくいきません。解決には、横たわる多岐にわたる課題を見える化し共有し、相互理解と譲歩により改善していかなければなりません。医薬品産業エコシステムの構築は最大の課題となります。

入口の第2の視点について。危機においては国は主導的な役割を担わなければならないはずです。が、コロナ対処においては残念ながら、平時と変わらぬ待ち姿勢であった。申請主義と言いますが、平時においては企業が申請をしてきてから国は動き始めるのが普通です。コロナという緊急時でも同じであったことは何よりも悔やまれます。そもそも、ワクチンを含む医薬品に関して、医薬安全保障とも言うべき危機管理政策が整備されていなかったことが最大の問題です。

そういう状況下で、提言では、何よりも、上に述べた医薬品産業エコシステム構築と、医薬安全保障の確立と、その実効性担保のため、政府に司令塔設置を求めています。健康医療戦略推進本部の主任務である研究開発を拡張し、産業政策や危機管理政策も主任務とするような組織をイメージしています。当然、危機管理上の対処のための司令塔も求めています。これは具体的に現在ワクチンTFとして機能しはじめました。また、AMEDも産業政策や危機管理政策に立脚した形で機能強化を図るべきだとしています。

国民の皆様になるほどと思っていただけるような環境にしていくべく、今後さらにフォローアップを実施していきたいと思います。参考まで、以下に政府に申し入れた提言書を添付いたします。

社会保障制度調査会「創薬力の強化育成に関するPT」提言「医薬品産業エコシステムと医薬安全保障の確立」令和3年5月13日

イスラエルとハマス

中東でのイスラエルとイスラム原理主義組織ハマスの武力衝突が激化、近年で最も深刻な武力衝突にいたっており、大きな懸念をもっています。即時の武力の停止を求めたいと思います。

直接の端緒は、東エルサレムでのパレスチナ人とイスラエル警察の衝突。4月中旬から始まったラマダンの集会を治安維持の理由で阻止するためにイスラエル警察がバリケードを設置して封鎖。緊張が高まっていた中で、東エルサレムで暮らすパレスチナ人の立ち退きを求めるユダヤ人の民事訴訟の勝訴判決で、旧市街各地で散発的に衝突が拡大。この状況に、イスラム武装組織ハマスが、ロケット弾による攻撃を示唆して警告しはじめ、実際に実行。それに対する自衛措置として、イスラエル側がハマスの拠点をピンポイント攻撃を開始し、範囲を拡大。この事態によって、イスラエル国内でも住民同士の衝突が激化しています。

東エルサレムはご存じの通り宗教上の困難を内包するイスラエルが実効支配する地域で、国際法上はイスラエルによって違法に占拠された地とされています。パレスチナから見れば、名目上首都と位置付けているものの不法に奪取され、民事訴訟を起こされ、退去を命じられたことになります。日本で言えば浅野内匠頭だったのかもしれません。極めて複雑な地域で、軽々に断罪することは困難ですが、しかしそうだとしても、少なくとも平和裏に解決することが望まれますし、対抗措置としての民衆に向けたロケット弾攻撃というのは、事前警告の有無にかかわらず、日本人には全く理解できない事です。即時停止を求めたいと思います。

ロイター通信社は、ハマスのロケット弾攻撃は、イスラエル国内政局の混乱に乗じ、アッバス議長を窮地に追いやるためであった可能性を指摘しています。パレスチナ自治政府は、ファタハ(政党)のアッバスを大統領としておりますが、議会はガザ地区を実効支配する勢力であるハマスが過半を占めており、連立しつつも緊張関係にあります。こうした背景から、民事訴訟をきっかけにロケット弾攻撃という過激な行動に至ったという可能性は否定できないのだと思います。しかし一方で、そうだとしても均衡性を大きく逸脱する反撃には同意できるものではありません。イスラエルにも攻撃の停止を求めたいと思います。

周辺地区に暮らす日本人から状況を知らせるメッセージが届いています。住民目線でみた目の前で起きていることと報道がかなり異なると。いちいちはここでは挙げませんが、遠い国で起きている関係ないこととして見過ごすべきではなく、少なくともちまたに拡散される情報をうのみにすることなく、歴史的背景や政治関係を十分に把握し理解することが重要なのだと思います。一刻も早い事態収束を願いつつ、邦人の安全確保を最優先事項とし、秩序の安定に向けてもできることを模索していきたいと思います。

土地の利用制限

安全保障上重要な施設や国境離島など、その機能を阻害するような土地利用を制限するための法律、重要土地等調査法案の法案審議に入りました。思えば5~6年前に党に設置されていた「安全保障と土地法制に関する特命委員会」で立法化を目指して議論していた時代とは隔世の感があります。当時は政府に賛同者が殆どなく、行政からはできない理由が並べられ、その後に辛うじて重要施設周辺の調査は行われるようになったものの、規制に至ることはありませんでした。今回の法案は、思った以上の内容で大きな前進であると認識しています。

ただもちろん、この法案が成立したからといって直ちにバラ色になるということはありません。投資促進とのバランスや抜け穴突破抑止もこれから運用で注視していかなければなりません。少しでも正しい方向に進むことが大切だと思っています。

(背景)
私が議員になる前、日本はスパイ天国だ、と言っていた知人がいました。曰く、通常他国には安全保障条項という例外規定が様々な法律にあって、安全保障上の理由によって権利が制限されることがあるのが普通なのに日本には殆どないのだと。土地もそうで、基地の真横であっても堂々と状況観察ができる。一時はこの問題が大きく報道された時期もありました。これも性善説をとっている憲法の平和主義の産物で、私権制限を極めて嫌う日本独特のものです。しかし悪意にはしかるべき手立てを講じておくのが国家というものです。(土地だけではなく考え得る必要な措置は講じておくべきだとも思います)。

(立法議論の歴史)
もともと2010年、自民党が下野していた時代、高市早苗代議士や新藤義孝代議士など複数の閣僚経験代議士をコアメンバーとする有志の先輩方が発起したもので(そう考えると私が参加したのはごく一部)、当初から10年以上に及ぶ長期にわたって主張を続けてこられた佐藤正久先生や山下貴司代議士など関係幹部の先生方には心から感謝とご慰労を申し上げたく思います。

当初の困難は、専らと言っていいほど立法事実がない、ということでした。つまり、なぜその法律が必要なのか、に答えられる客観的な社会的・経済的・科学的事実が必要だということであって、単に○○の恐れがある、というだけでは法律は作れないとされています。

(立法事実との闘い)
しかしですよ。一般論はそれでいいのですが、全ての事柄が事後対処的でいいのか、というのは甚だ疑問なのです。大きな事故や災害などが起きて初めて法律が強化されたりします。皆さんもそうした報道に接したことがあると思います。起きてしまってから行動するという政治には耐えられない。何も災害や事故などのリスクだけではありません。イノベーションなども、新しいテクノロジーが生まれて事業化しようとしても扱う法律がない場合、会社がないから困ってる人もいない、だから立法事実がないとされてしまいます。まさに鶏と卵の話です。今回、本法律案が議題に上ったのは国際環境の変化と共に経済安全保障の必要性の高まりがあるのだと思います。しかし、立法事実という考え方をこの際、整理しておくべきなのだと思います。

(基本的な考え方)
念のためですが、法案審議はこれからですので、以下の記載内容は審議過程で変わることもあります。また審議に影響が出ない範囲での記述ということもご理解賜ればと思います。その上で、この法案の基本的考え方ですが、重要なことは、いたずらに規制することが正しいわけではなく、健全な投資を呼び込むことはむしろ歓迎すべきであって、邪な考えの土地取得こそが厳しく規制されるべきだということです。今回の法案も、根柢の流れる哲学がそこにあります。

(対象区域など)
その上で、安全保障上の観点から、日本人だろうが外国人だろうが、重要施設や国境離島などの機能を阻害するような土地などの利用を制限しようとするものです。ただ、具体的にどの土地が対象になるのか予見性をある程度確保しておかなければ民間活動に影響がでますので、対象区域を事前に2種類指定しておきます。注視区域と特別注視区域です。

前者は例えば自衛隊の施設や海上保安庁施設または重要インフラ、後者はそのうち司令部機能など特に重要性の高いものです。重要インフラというのは例えば発電や鉄道や放送や空港など国民保護法で想定されるような生活関連施設が考え得るのだと思います。今後政令で具体化されることになるのだと思います。そして区域とは具体的にはそうした重要施設から概ね1km以内というのが目安になります。もちろん、これは十羽一絡げに決まるものではなく経済活動とのバランスに配慮して適切に決められるべきところです。

また以前メディアでも話題になった水源地や領事館などはそれ自体が対象施設とはされていませんので対象区域になっている場合に対象となる可能性があるということです。それらは別の法律で担保されることになります。

(調査)
対象地区の土地の所有状況や利用状況の把握をしてないと何も始まりませんので、まずは国による調査です。どんな人がどこにどういう目的でどのくらいの期間所有していて普段何をやっているのかなどです。ここもどこまで調査するのかなど様々な論点があるので今後注視していきたいと思います。少なくとも土地だけに限らず調査能力の向上は必須なのだと思います。

その上で、今、実は国は個人個人を管理把握することはまったくしていませんので、不動産登記簿や住民基本台帳など、それぞれの省庁が所管しそれぞれ別々の目的で存在している公簿も使いながら状況調査を行います。場合によっては報告徴収を罰則付きで求めます。罰則は例えば国土調査法並びのものになろうかと思います。一方で国に立ち入り調査権限は付与されていません。この部分は要件を厳格化しつつ一部権限を付与することを今後検討していくべきだと思います。なお、調査は当然ですが必要に応じて複数回でも行われることが予定されています。

(利用制限)
調査も重要ですが利用制限をどのようにするのかがミソになります。調査に基づいて機能阻害になると判断されたもの、若しくは明らかにその恐れがあると判断されたものについては、まずは他の関連法に基づいて制限できないか検討します。例えば低潮線保全法違反や農地法違反などです。関連法規制がなければ、利用中止の勧告を出し、応諾がない場合は罰則付きの命令となります。罰則は消防法の構造違反並びになろうかと思います。例えば電波妨害とかライフライン供給の阻害、あるいはそもそも施設機能に支障をきたす構造物が設置されていることも要因になるのだと思います。

ただ、利用制限というと私権制限ですから、国への買い入れ請求ができるなど、補償的措置も講じられています。なお、国の介入について、本来事柄の重要性に鑑みて応諾義務も検討すべきとは思いますが、現在は盛り込まれていません。応諾義務を課すと強制収用という極めて強い規制になりますが、現在の日本の強制収用は公共工事の例で明らかなように途轍もない時間を要することになります。従ってまずは根本的に収用の考え方を整理しておく必要があるのだと思います。

(事前届出)
重要注視区域の場合、特に重要なので、一定の面積以上の土地の売買については、売買双方に事前届け出の義務を罰則付きで求めることになります。罰則は国土利用計画法並びになろうかと思います。一定の面積は後日決まりますが概ね200㎡が想定されています。届け出内容は、氏名住所土地所在や面積と利用の目的などになると思います。その届け出に基づき必要であれば国は追加調査を行って、更に必要であれば売買契約の間に割って入ることもあります。その際、国が直接買い取ることも想定されます。なお、事前届け出ということですので、土地取引の事業者にとって事務手続きが煩雑にならないよう配慮すべきところです。

(その他取得制限は?)
安全保障上重要ならば取得制限をかけるべきではないのかとも思いますが、要件明記が困難であることから運用で注視し必要ならば今後措置を講じることになります。重要なことは、何が起きているかをまずは炙り出すことです。

(その他機能阻害とは?)
機能阻害という行為の中身ですが、ここは特に今後注視していくべきところです。現在の法案条文上は下記のとおりですが、具体的行為のあてはめをどのようにするのか、運用の問題を注視していきたいと思います。特に国境離島の機能とは何かなども含め具体的にしていくべきなのだと思います。

8条1「内閣総理大臣は、注視区域内にある土地等の利用者が当該土地等を重要施設の施設機能又は国境離島等の離島機能を阻害する行為の用に供し、又は供する明らかなおそれがあると認めるときは、土地等利用状況審議会の意見を聴いて、当該土地等の利用者に対し、当該土地等の当該行為の用に供しないことその他必要な措置をとるべき旨を勧告することができる」

8条2「内閣総理大臣は、前項の規定による勧告を受けた者が、正当な理由がなく、当該勧告に係る措置をとらなかったときは、当該者に対して、当該措置をとるべきことを命ずることができる」。

(おわりに)
長い議論の歴史の結果に生み出された法案です。以前はWTO内外無差別原則に反するなどの反論も聞かれたのですが(この法案は日本人だろうが外国人だろうが行為を対象としているので無差別原則準拠)、今思えば何だったのかと忸怩たる思いはあります。経済行為を阻害するようなことでは全くないので、早期に成立することを祈ります。一方で、上で述べた通り運用面で今後明らかにしていくべきことが多々ありますので、注視していきたいと思います。

フリードマンとサステナブルファイナンス

■はじめにーミルトン・フリードマンとROE経営

今では本当だったのかどうかも確かめようもないのですが、2001年ごろ米カリフォルニア大学バークレー校の研究機関に在籍していた折、たまたま通りがかったキャンパス内の建物の入り口に「ミルトン・フリードマン講演」の看板があり、入り口に立っていたオジサンに「フリードマンってあの有名なフリードマンか」と尋ねたら、なんと「彼がそうだ」と隣の老人を指さし、大興奮したことを未だによく覚えています。

今考えると、2001年頃だと90歳近くであったはずで、果たして大学なんかで講演などしてたのか甚だ疑問に思うのですが、マクロ経済に興味を持ち始めた工学系研究者であった当時の私にとって、フリードマンというのは偉大な名前であり、ケイジアンから経済学パラダイムを変えた男として記憶していました。今思えば単に「ジョージワシントン記念講座」的な看板だったのでしょう。単なる笑い話にしてますが(否、未だに半分くらいは信じている)、おかげでIS-LM分析などを懸命に勉強しました。

さてこのフリードマン。ご存じの通りマネタリズムの巨匠で、それまで支配的であったケイジアンによる有効需要の原理を徹底的に批判し、経済政策は通貨供給量だけ管理すればよいとしました。つまり新自由主義で、20世紀終盤に一世を風靡します。私が門外漢のマクロ経済学に興味を持ったのもこうしたダイナミックな歴史事情があったからに他なりません。もちろん世界的構造不況を経験した現代の我々としては、両方、つまり有効需要の原理とフリードマン的な要素の一部を引き継いでいるのだと思います。

■ROE経営からSDGs経営へ

ただ、そうした従来の経済学の流れとは異なる変化が社会にもたらされています。いわゆるサステナビリティ経営、社会の持続可能性を中心的に考える経営のことです。SDGsやESG投資がもてはやされていますが、日本では近江商人の三方良しの精神に通じるものがあります。このサステナビリティの考えは、コロナ禍によって爆発的に加速しています。

私としてはこの流れは隔世の感があります。というのも5年ほど前から、地方創生の一環として、ソーシャルベンチャーなどの民間による社会課題解決の取り組みこそが地方を救うとの思いで政策立案に励んできたからです。すなわち、地方創生という看板政策はあるものの、財政制約のなかで山積する社会課題を行政のみが解決に乗り出しても土台限界はあるわけで、むしろ民間が社会課題解決を事業として率先して目指していける社会を作るべきだと思い始めていました。そしてそのためには、ソーシャルベンチャーが資金を獲得して運営できなければならず、そのためにこそ行政は理解されうる環境を作るべきですし、そうしたソーシャルベンチャーは他の企業よりもガバナンスやビジネスモデルの透明性をより明確に示すべきだと考え始めていました。まさに、今の言葉で言えばサステナブルファイナンスによるSDGs経営です。

つまり、コロナ禍が炙り出したのは、行き過ぎた新自由主義やROE経営の修正であって、歴史的転換時期なのだと思います。例えば前出フリードマンは、企業にとっての公益とは利潤を最大化することだと喝破していますが、現在世界最大の資産運用会社であるブロックロックのCEOは、会社の目的は利益より社会貢献だと喝破しています。ROE経営からSDGs経営への転換であって、いわば資本主義の変容です。特にコロナ禍にあって人類の前に立ちふさがる巨大な社会課題を前に、もはや税のみに頼るよりも社会全体として立ち向かうべきときが来ているのだと実感します。

■サステナブル経営の基本軸-情報開示

20世紀後半と異なり現代の投資は、企業にとっての価値創造のための資金調達ではなく、株主にとっての企業利益を回収する手段だ、との趣旨の話を聞いたことがあります。成熟社会における企業の在り方を問う話で、イノベーションを信望している私としては簡単に許容できる考えではありませんが、少なくとも行き過ぎた株主還元を修正していくには、サステナビリティ経営は好循環を生む可能性のある手段だと思います。株主と労働組合から挟み撃ちにされるような経営から脱却すべきです。

ではどうするのか。例えば危機管理会社法制という考え方があるのだそうです。コロナなどあらゆる危機に対処し従業員などステークホルダーを守るために企業は内部留保を一定程度持つべきだとの考え方の下、法的義務化も含めて検討した時代があったのだとか。金融セクターの自己資本比率規制のようなものでしょうか。確かにコロナ禍以前は、大企業に積みあがった内部留保が特に共産党から大批判に晒されましたが、結果的には積みあがっていたために耐性が高かったと言われています。しかし、さすがに内部留保の法的義務化はやりすぎなのだと思います。

むしろ情報開示による投資家インセンティブの醸成が正しい方向なのだと思います。行政がムーブメントを起こすという意味で言えば、企業がとるべき行動指針、あるべき情報開示の方向性だけを示す、という方向です。先の例で言えば、内部留保が不透明で無目的に積みあがっていることも健全ではありませんが、積みあがっていることだけをもって不健全だと見做すのはもっと不健全です。であれば何をしようとしているのか社会や株主が理解できるように開示が進められるべきなのだと思います。投資の流れを直接規制する方向は、資本主義のもつエネルギーを削ぐ議論になってしまいます。

重要なことは、利潤を最大化し超過利益を全てを株主に還元するという流れを、社会の持続可能性に徐々に転換していくことです。そのサステナビリティのために、企業がどのような体制で、何を目的に、どのようなやり方で、どういう時間軸の戦略で行動しているのかを透明化し、投資が健全な形で集まることです。開示分類は、ソーシャルベンチャーの議論の経験から言えば、間違いなくガバナンス、ビジネスモデル、リスク、経営戦略の4点の開示です(GBRS)。

■何をもってサステナブルなのか-非財務情報

ただ問題は開示内容で、何がサステナブルなのか、何が持続可能性なのか、何が社会課題解決型なのか、の定義付けであって投資判断にあたって最も困難な非財務情報です。同じことを地方創生の社会的事業・ソーシャルベンチャー支援策でも議論をしていました。持続可能性を高める活動は千差万別で統一基準を作りにくい。しかし諸外国は先行しています。EUでは、EUタクソノミーというサステナブル活動の分類基準をまとめましたし、G20も金融安定理事会(FSB)に同趣旨の企業向け情報開示ルールの策定を要請し、TCFDというタクソノミーが公表されています。いずれも当初のターゲットは脱炭素です。中身は、基本的には前出のとおりガバナンス、ビジネスモデル、リスク、経営戦略などについて、短期から中長期までの評価指標や進捗の開示を企業に求めています。

■開示ルールの絶対評価と相対評価

タクソノミーは企業にとっても投資家にとっても大変大きなインパクトになります。日本でも早晩導入すべきものです。ただ、これらは一部の関係者が集まって決めたものであって、こうした絶対評価基準というのは、不断の努力による修正作業が必要になってくるはずです。なぜならば社会課題は複雑多様であって、絶対評価基準が未来永劫不変なはずはありません。

であれば絶対評価基準とともに市場で決まる相対評価基準も併せて必要になってくるはずです。また、現在様々な団体が様々なタクソノミーを公表しており、人によっては統一を求めています。統一するのは一見合理的に見えますが、硬直化の恐れもあるのだと思います。私自身は、様々なタクソノミーや企業独自の情報開示があって、それらを含めてマーケットが判断し、その結果を様々なタクソノミーが吸収し、全体評価も市場で決まっていくような、ある種有機的で動的な柔軟な、絶対評価と相対評価のコンビネーションの仕組みが望ましいのだと思います。

■今後やるべきこと

いずれにせよ、まずは整えるべきは、カーボンプライシングを始めとしたサステナブル規制、サステナブル企業や金融機関の行動指針やタクソノミー、そしてサステナブルファイナンスの環境整備であることは間違いありません。特に非財務情報の開示をどのように行うのか、絶対基準であるタクソノミーを制定すべきなのか、金融政策ツールとしての可能性はどのようなものか、またサステナブルファイナンスのリスク把握やモニタリングや規制はどのように行うべきか、検討すべき課題は盛沢山です。少なくとも今までのように環境問題は大切だと声高に叫ぶだけでは、世の中は1mmも動きません。

現在、党内の財務金融部会でサステナブルファイナンスの議論が始まり、本日3回目の会議に出席しました。第一回は、1月28日「サステナブルファイナンスに関する国際的動向」として日本総合研究所理事の足立英一郎様から、第二回は2月5日「サステナブルファイナンスの諸課題」として国際金融情報センター理事長の玉木林太郎様より(約20年ぶりにお目にかかりました)、第三回目は、2月15日「サステナビリティ課題に関する投資家の期待、企業の非財務情報開示について」としてニッセイアセットマネジメントの井口譲二様とブロックロックの江良明嗣様よりご講和を頂きました。

私自身、特にこのファイナンス部門で議論に参加して参りたいと思っております。

役所目線と政治目線ーコロナワクチン提言を終えて

(写真:PT座長と共に提言内容を下村政調会長に報告)

■ビジョンの共有が最大のポイント
-役所目線と政治目線(コロナワクチン提言を終えて)-

少し前の話になりますが、コロナワクチンのオペレーションに関する提言書を、党コロナ対策本部情報戦略システムPT(以下情報PT)で1月29日に取りまとめました。そこに至った経緯と雑感を書き記しておきたいと思います。本稿の本題は最後に記しています。

なお、当提言はワクチンに関するものなので、一見1月19日に設置されたコロナ対策本部ワクチンPT(鴨下一郎座長)で議論されるべきものと映ると思いますが、当提言は当初システム追加を求める内容で1月中旬には整えてあり、ワクチンPTの設置はその後であったこと、また政府から同趣旨の新システム構想が公表され提言は急を要したことから、ワクチンPT幹部に相談し、政府新システムを前提としたものに書き換えた上で、当PTのみで了承を頂き、直ちに政府に提出、その後にワクチンPTに報告することとされました。この間、政府側では河野太郎規制改革担当大臣がコロナワクチン担当大臣に任命され(18日)、同僚小林史明代議士が大臣補佐官に任命されました(20日)。

情報PTは、橋本岳前厚労副大臣が座長を務めるコロナ関係の情報戦略やシステムの議論を行うPT(プロジェクトチーム)で、昨年菅政権発足と同時に発足したものです。恐らくそれまで私が上川陽子現法相を座長とするコロナ再流行コンティンジェンシープランPT(以下再流行対処PT)の事務局長を務めていたため、事務局長として座長からお声がけ頂いたのだと思います(再流行対処PTの提言については下記をご参照ください)。

keitaro-ohno.com/7658/
keitaro-ohno.com/8201/

■PT発足時の動き
情報PT初会合は昨年10月30日。当時は実は私もPTの明確な提言の出口が見えておらず(設立当初から出口が見えているPTは殆どありませんが)、システムが社会のニーズに合っているのか、合理的に運用できるシステムが構築できているのか、現場目線で合理的か、などをチェックすることから始めようと思っていた程度でした。しかし、その後、焦点がワクチン供給に向かうことになり、足らずのものが見えてきます。いずれにせよ初会合では、前出の再流行対処PT提言の政府進捗状況と、当時のコロナ関係情報システムの説明が政府よりなされました。

■コロナ関係情報システム(参考)
コロナ関係の情報システムはいずれも全国民を対象とする極めて大規模なもので、政府から見たシステムの目的は、現場医療機関の状況把握と不足品の調達供給、患者の人数や状況の把握、ワクチンの配布供給管理が主だったところです。具体的には、新規フルスクラッチものは、医療機関の稼働状況やサプライ品供給を担うG-MIS、コロナ患者の健康状態を管理するHER-SYS、当時開発初期であったワクチン供給システムのV-SYSのほか、既存システムを利用するのは、帰国者のフォローアップのための空港検疫業務支援システム、医療機関への人材支援を行うKEY-NET、ワクチン副反応把握システム、などで、機能を切り口にすれば、2つの系統に分けることができます。すなわちサプライチェーン管理系(Supply Chain Management: SCM)と利用者管理系(Customer Relation Management: CRM)で、前者はG-MIS, V-SYSなど、後者はCRM: HER-SYSなどです。

■昨年12月時点でのPTの動き
第二回目は、12月10日、訪日外国人対策PTとの合同開催でした。当時、党は水際対策を強化するよう政府に求めており、訪日外国人対策PTとしても政府に対処を求めることとなって開催されたものでしたので、情報PTよりも当該PTがメインの会議でした。政治目線の中心であったのが当時入国していた外国人の状況管理。一方で役所側はオリパラに向けたシステム開発状況の説明が多く、殆ど噛み合わない議論となりました。ただ、私にとっては大きな成果がありました。それは後述します。

■ワクチン供給に向けた党内雰囲気(1月〜)
今年1月に入ると本格的にワクチン円滑供給が本格的に議論されるようになります。党内では、現行のワクチンシステムV-SYSだけでは国民は安心できないという雰囲気に包まれます。理由は簡単で、国民が安心して接種するためには政府が日次単位程度で接種の状況を把握している必要があるのに、当時政府は把握しない方針であったというもの。状況というのは、日本各地で地域毎に接種者が何人いるとか副反応がどの程度で何人くらいなのか、という接種状況の把握ですが、政府としてはワクチンの円滑供給には関係のないものとして、扱われないこととされていました。もちろん、全く把握するつもりがなかったわけではなく、旧来のシステムに頼るのが政府の方針でした。

■当初の政府ワクチン供給システム
当初の政府の方針を簡単に説明します。国民には市町村から予診券(クーポン)が送られてきます。国民はそれを持って医療機関(接種会場)に行く。医療機関はその半券を市町村に回送することで費用請求する。市町村は受け取った半券を一枚一枚既存の接種台帳に入力し、そこで初めて市町村は市民の接種状況を把握、国はその市町村に問い合わせることで状況を把握できるとされていました。一方、会場で副反応が生じた場合は、医師が診察をし、必要であれば国に直接報告することが法律上義務付けられています。従って、国は副反応をそこで把握できるとされていました。

■情報PTの中心的問題意識
ただ、問題は接種者の把握は医療機関から市町村へ半券が回送された後になるため、理屈上は3か月かかってもおかしくない。実際はもっとかかる可能性もあった。一方で、副反応把握は電子システムも整備されていたにもかかわらず、現場負担軽減という理由でFAX等も許容していた。問題は主に2つ。1つは政権や政治の説明責任の問題。例えば担当大臣は、ワクチン接種が始まっても、日本で起こっていることを把握できないという状況が想定されていたということになります。国民から見て、大臣から3か月前のことを報告されても、全く無意味なことです。2つ目は危機管理です。不測の事態が生じた場合(と単純ではありませんが)、一番必要なのは状況把握です。つまり、不測の事態に対処できないことが想定されていたという他ありません。

■提言案作成
そこで情報PTとして急遽政府に提言を行うべきということになりました。1月初旬から会議での同僚議員の中身の濃い議論をまとめ、急ピッチで役所との打ち合わせを重ね、橋本座長と骨子を作ったのが1月中旬。この作業中に、冒頭で触れたように同趣旨の新システムが政府から公表されたり、ワクチンPT設置を党が決めたりで、取り回しの仕方に不安もあったのですが、同僚議員の思いもあったのでそのまま進めることに致しました。提言の内容は下記の通りです。

情報戦略システムから見たワクチンオペレーション提言

■本題:役所目線と政治目線

政治側と行政側の意見が合致しないことはよくあることです。大臣など政府に入った政治家の言葉は実権があるので別ですが、一議員としての提言ではよくあることです。その場合にこそ、一議員としてではなく、党の正式な会議でオーソライズすることで提言の正統性を担保するのが一番近道になります。ただ、それだけでも足りない。え?政治の言うことを聞かない行政というのがあるのか、とお思いになる方もいらっしゃるかもしれませんが、主にギャップが生まれるのは以下の4つの場合になるのだと思います。

一つ目は、ビジョンの共有です。目標と言ってもいいかもしれません。政治が行政に求めることは多岐にわたります。役所から見たら利益誘導や選挙目的と思われることもあるはずです。ビジョンは党内会議でしっかり発言いただける先生方がいらっしゃるときにはじめて共有されるものです。逆に言えば、このビジョン、つまり何のために、ということが明確にならなければ、役所は簡単には動いてくれません。更に言えば、一議員でもビジョンの共有ができれば動いてくれたりします。

二つ目は、実行可能性の問題。政治には行政の抱える前提とか制約(人的・財政的・法的など)が必ずしも見えていない場合があり、過大な要求を突き付けていて実行可能性が乏しいことです。例えば昨年、日本学術会議は、メディアによって存在意義を疑問視された際、政府への提言を沢山だしていると反論していましたが、行政と頻繁に情報交換する議会人であっても必ずしも制約を共有できていないので、明らかに言いっぱなしの提言であるはずです。党内では、この問題については事務局長がすり合わせる役割を担う場合が多いのだと思います。

三つめは、政治内での対立構造の問題です。党内でも意見は様々。第一第二の問題が解消されていたとしても、政治内で意見対立がある場合は決定的に動きません。また対立が無くても正しいプロセスで意思決定を行わなければうまくいきません。問題は何が正しいのかということです。平たく言えば社会的常識をもって行うということになるのだと思います。いずれにせよ、ここは政治家同士で意見集約を行わなければなりません。この部分を役所任せにしていた某党がありましたが、それでは全く機能しているとは言えません。また、党内の正式な会議で了承いただいたとしても、別の正式な会議で全く正反対の結論が出される場合もあります。ここは会議の委員長や座長の出番になることが多いのだと思います。

四つ目は、役所の慣性の問題です。急に方向は変えられない。例えば今回のワクチンオペレーションでは、当初から予診券にQRコードなどを印刷しV-SYSに接続などしてくれていれば何ら問題はなかった。でもそうはなっていなかった。当初の役所側のビジョンがワクチンの円滑供給であったためです。後から政治のビジョンを押し付けても急には変わらない。そもそも現場状況把握の必要性というものは国民に頻繁に接する我々政治家でしか考えつかないビジョンなのかもしれません。いずれにせよ、すでに進んでいて慣性が働いてるものは急には変えられない。こんな時は、もう少し早く政治側と方向性の議論をしてくれていれば、と悔むことになるのですが、役所側もある程度進めた状況でないと政治側に報告できないと思うのかもしれません。

■コロナワクチンオペレーションではどうだったのか

ワクチンについては決定的に1番と4番だったのだと思います。しかし、ビジョンを共有できない部局がある一方で、そもそも提言を出す前から同じビジョンを訴えて出てくる部局もありました。後者の流れを作ったのはもしかして官邸主導だったのかもしれませんし党幹部主導だったのかもしれません。いずれにせよ最終的には河野太郎大臣とともに、同期の小林史明大臣補佐官が政府側で役割を担ってくれることになりました。ビジョンを共有すること。これこそが、政治家にとって最も重要なポイントなのだと思います。

■提言書本体


ワクチンオペレーション提言


(写真:情報戦略システムPTで提言を説明する筆者)

謹賀新年ーイソップ物語に学ぶ丑年の教訓

丑年の新しい年を迎えました。謹んで新春のお慶びを申し上げます。皆様方には、公私にわたり一方ならぬご厚情を賜り、心から感謝申し上げる次第です。

さて、昨年は、中国武漢で発生した新型コロナウイルス感染症に翻弄された一年でした。瞬く間に全世界に広がり、社会経済活動の縮減から、消費・生産・労働というあらゆる側面で経済的に深刻な打撃となり、世界を苦難の底に突き落としました。今年こそは有効なワクチン配布による終息を願いますが、現時点では未だに感染に対する漠然とした不安が蔓延しています。

コロナ禍で抱えた不安という要素は、社会に深刻な傷跡を残しました。一時は、ウソやデマも拡散されました。自粛警察という、社会正義を掲げて世をただす運動も盛んになりました。マスク警察や休業警察などです。しかしこれらは独善的正義であったように思います。主観的正義や独善的正義ではなく、社会の知恵として対処するためには、全員が正しい情報を持たなければならないはずです。

丑年で思い出すのが、イソップ物語の「3頭のウシとライオン」です。仲良く草を食べている3頭のウシを1頭のライオンが狙う寓話ですが、3頭同時に狙うのは困難と見たライオンが、ウソやデマを流してウシを分断させることに成功し、順番に餌食にした話です。ライオンの餌食になったのは、ライオンが狡猾であったからに他なりませんが、ウソやデマを簡単に信じてしまったこと、仲間を信じなかったこと、も教訓として現代に伝えているのだと思います。

社会不安というものは、社会分断を増長し、批判と混乱を招くものです。国内だけではありません。各国で格差から生じたポピュリズムにより自国主義傾向が強まっていた中で、コロナ禍の移動制限やサプライチェーンの自国回帰がそれを加速したように見えます。

そうした時代だからこそ、仁を大切にし、協調を尊び、それでも敢えて一人で進まざるを得ない時には、あらん限りの力を尽くして状況を分析し、果敢に挑戦する、という態度が大切なのだと思います。コロナ禍で目指す社会像から離れていく様相を目の当たりにし、改めてイソップ物語の「ウシ」の教訓をかみしめて、理想を着実に実現していく努力を続けたいと思います。

最後になりましたが、皆様方には今後とも引き続きご指導ご鞭撻を賜りますよう心からお願い申し上げます。

必要最小限度の自衛力/グレーゾーン事態対処の問題点

先日、安全保障と国際法を専門にしている東京の某大学の博士課程の学生さんから、インタビューをしたいとのお申し出があり、リモートミーティングとしてお引き受けすることにしたのですが、これまでの私の発言記録なども入念に調査のうえ、ものすごく丁寧な質問内容を事前にお送り頂いたので、それに感動して、改めて、議論したことに基づいて、私の考え方を整理しておきたいと思い立ちました。

内容は、保持できる必要最小限の自衛力の意味と憲法について、そしてグレーゾーン事態についてでした。すこし長くなりますが、お許しいただければと思います。

1.必要最小限度の自衛力とは

人類は19世紀から20世紀にかけて国益を争い幾多の困難を乗り越えてきました。そして現在は当時より遥かに平和を享受できる世の中になりました。その過程で、国際社会は、紛争を回避するための努力を重ねてきました。第一次大戦後、紛争を回避するため、ケロッグ=ブリアン条約(パリ不戦条約)が締結され、戦争が違法化されましたが、戦争の定義も不明確であり、また19世紀から発達した概念であった自衛権の行使は留保されました。その結果として自衛権の拡大解釈が横行し、第二次大戦が勃発。これの反省として、第二次世界大戦後に、国連憲章にて明確に武力行使自体が違法化・禁止され、違反国には経済制裁や国交断絶を課しました。そしてその武力攻撃を受けた際の対抗手段として、国連安保理が紛争処理をするまでの間について、加盟国に自衛権が認められました。

(国際法上の自衛権)
当然自衛権が正当化される条件というのも国際社会は判例という形で紡いできました。その歴史は意外なほど深く短いものですが、代表的な判例は、武力攻撃の定義や集団的自衛権の正当化要件を示した「ニカラグア事件」(1985)、核兵器による自衛権行使の合法性に関する勧告的意見を示した「核兵器使用合法性事件」(1986)、個別的自衛権の合法性を示した「イラン油井事件」(2003)などです。

ニカラグア事件とは、ニカラグアが周辺国への武力攻撃を行ったことに対して、米国が集団的自衛権を援用してニカラグアの反政府組織コントラを支援し軍事介入した事件のことですが、ニカラグア政府は米国の介入は違法だとして国際司法裁判所ICJに訴えます。このことをきっかけに武力攻撃と自衛権の解釈が定着していくことになります。

ICJは、武力行使を「最も重大な諸形態(武力攻撃)」と「他のより重大でない諸形態」の2つに分けるべき、つまり「武力攻撃」と「そうでないもの」に分けるべきこと、武力攻撃であるかどうかは「規模と効果」によって区別されるべきこと、更には集団的自衛権が正当化されうる要件として、武力攻撃が存在し、反撃の要請が存在し、反撃行為に「必要性」が存在し、武力攻撃と反撃行為の間に「均衡性」が存在すること、が示されました。これはあくまで集団的自衛権に関する解釈でしたが、その後、イラン油井事件で個別的自衛権についても「必要性」と「均衡性」の2つの要件が確認されました。

つまり整理すると、自衛権の行使要件は国際法上は「必要性」と「均衡性」だということが定着しているということです。そして武力攻撃は規模と効果で区別されるということです。

(日本での自衛権)
一方で日本はどうか。広く知られている通り、自衛権は憲法上明記はされていませんが、独立国家である以上、主権国家として当然の固有の権利とされています。ただ、憲法上保持できる自衛力は、自衛のための必要最小限度のものでなければならないとされています。

必要最小限度というのは憲法が要請する解釈だというのが定説で、一般的な言葉としては受け入れやすい。しかしながら、実際の政治の現場に立つと、その定義の曖昧さから、様々な議論を呼んできたのは事実です。つまり、必要最小限度とはなんぞや、ということです。

(必要最小限の意味するところ)
なぜあいまいなのかというと、それは絶対的尺度に基づくものだからです。当たり前ですが、必要最小限というのは相手や状況によって変わってきます。目には目を、刃には刃をですから、相手や状況が決まらなければ何が必要最小限化は決まらない。従って、当然相対的尺度で解釈すべきものです。しかし、反対のための反対論者は、絶対的尺度で解釈しようとする。この観点からすると、国際法上の必要均衡というのは相対的尺度になっていて合理的です。もちろん、必要最小限という言葉を、さらに解釈を加えて必要均衡とすることもできますが、そもそも国際法とは違う表現をする必要性もないわけですので、必要最小限は必要均衡とすべきものなはずです。

(憲法改正論議と必要最小限)
18年の自民党憲法改正論議では、戦争放棄と戦力不保持を定める9条について、自衛隊を明記することが検討されたのですが、焦点は戦力不保持と交戦権否認を定める2項にありました。政府は旧来より一貫して、自衛隊は日本を防衛するための必要最小限度の実力組織として2項が禁止する戦力ではないとの立場を貫いてきましたので、自衛隊の法的地位を追記しても内容は変わらないというのが主軸の主張でした。

本質的には私が望ましいと考える最終形態として憲法は、国際標準です(ここの議論は話が長くなるのでまた別途したいと思います)。しかし、いきなり2項に手を付けることは国民の理解を得られないだろうとも思います。従って、2項は残したうえで自衛隊の法的地位を追記する主軸案を私は消極的に支持していました。さらに言えば、その追記される自衛隊の立場については、従来の政府見解である「必要最小限度」を踏襲するべきか議論がありましたが、上記の国際法上の相対的尺度が望ましいと考えていますので、当時の最終案であった「必要な自衛を目的として、自衛隊を保持する」との文言については、均衡性の概念が入っていないことは極めて残念と思いながら、これも消極的支持をしていました。

ただ、憲法草案の議論は今後も続きますので、努力していきたいと思います。

2.グレーゾーン事態

初当選以来、関心を持ち続けていることがこのグレーゾーン事態です。明白な武力攻撃が発生しているわけではないので有事とは言えないが、かといって明確な平時とも言えない事態のことを、グレーゾーン事態としています。例えば他国が大量の偽装漁船を島嶼部に送り込んできたとしましょう。その漁船群を少し離れたところから公船が援護、更に少し離れたところから軍艦が護衛している。その状態で上陸を試みてきた場合、法律上はまずは警察権を根拠として日本の警察や海保が対処しますが、現場では十分な抑止は効くはずがない。こうした異常事態に対して、国際法の言う規模と効果という観点では、明確に武力攻撃の事態を認定することはできないはずです。そこで、日本は自衛隊に警察権に基づく海上警備行動を発令することになりますが(場合によっては海上保安官を自衛艦に乗艦させる)、自衛権行使は直ちに認められないので現場対処は困難であることに変わりはないはずです。これは結構有名なシナリオですが、他にも国際社会では武力攻撃とは見なせない紛争が多々存在します。こうしたグレーゾーン事態への対処がどの国にとっても困難なのは、主に二つの理由があるのだと思います。

(様態の多様性という困難)
第一には、様態の多様性によります。様々な様相を呈することが想定され、新旧様々なオプションが考えられます。烈度の弱いものから並べれば、様々な媒体による心理戦や世論戦、一方的な法律戦や情報戦、係争地域やEEZでの民間船舶妨害や締め出し、邦人不法逮捕、観光制限や輸出入制限、不法上陸や係争地での違法操業、係争地公船侵入、軍事演習や軍艦回航、他国軍艦追従、外交官追放や民間人拘束、銀行口座凍結、航行の自由の妨害や大規模演習などで、挙げればきりがありません。特に最近では、フェイクニュースも含むサイバー攻撃、電磁波やレーザーによる衛星の無力化など、対象領域が広がっているため、宇宙・サイバー・電磁波と言った新領域と旧来の陸海空の従来領域を横断する能力が必要になってきています(クロスドメイン)。

グレーゾーン事態もしくはクロスドメイン対処の具体的な典型例として特に注目を集めたのが2014年のクリミア危機でした。ロシアはサイバー攻撃によって、ウクライナのネットや放送や行政を混乱させ、クリミアを奪取、世界各国の安全保障関係者を覚醒させたと言われています。米国がこうした文脈でグレーゾーン事態という言葉を使い始めたのはこの頃からですが、実は安全保障上のグレーゾーン事態という言葉を初めて使ったのは2005年前後の日本だと言われています。折しもその前年には、石垣島近傍の領海で中国の潜水艦による潜没航行事件がありました。

(国による認識の多様性という困難)
第二には、国によって認識の差があることです。例えば上記の例でグレーゾーン事態と言い始めたのに日米間で10年ものギャップがあったのも自然なことかもしれません。日本は自衛権行使を極めて厳格に運用していますが、先の「必要最小限」議論で示したニカラグア事件でアメリカがICJ判決を受け入れていないことから明らかなように、アメリカは自衛権行使について極めて緩やかな運用を行っています。従ってグレーゾーンでも手足を縛られないアメリカと縛られる日本で危機意識がかなり違ったと言えます。

また、クリミア危機でもグレーゾーン侵攻を受けたウクライナはロシアによる明白な武力攻撃(黒)だと言い、ロシアは単にグレーと言い、アメリカは白に近いグレーとしました。アメリカが白に近いグレーと言ったのは意外かもしれませんが、自国の行動を制限するような他国の武力攻撃認定には否定的であったのではないかと思います。従って、まず基本的な認識として、グレーゾーン事態については、その様態の多様性が問題になることは当然として、各国の認識が違うのだ、ということを前提にしなければならないのだと思います。

(グレーゾーン事態でも自衛権は有するか)
次にグレーゾーン事態の場合でも、つまり武力攻撃がなくても、日本は自衛権を有しているのか、が問題になります。国連51条は武力攻撃を違法化・禁止した上でその対抗措置として自衛権の行使を各国に認めていることは既に申し上げましたが、これは武力攻撃があった場合の話であって、武力攻撃以外の規定ではありません。一般国際法上は、グレーゾーンの自衛権行使は認めうるとされています。そして日本でも政府は一貫としてグレーゾーン事態でも自衛権は有しているとしています。

(現在はグレーゾーン事態は警察権で対処している)
ところが自衛権発動要件は極めて厳格に運用されています。具体的には現行要件では「武力攻撃が発生し」となっています。従って、権利は有するが行使はしないことになります。では、どうやって対処しているのか、ということですが、それは警察権の行使ということになります。例えば尖閣諸島周辺で、連日のように中国公船が侵入してきますが、これに対して警察権を根拠とする海上保安庁が対処しています。しかし、海上保安庁だけで対処できる事態であり続けるのかについて、長らく疑問が呈されています。

(グレーゾーン事態対処に関する過去の議論)
そこで、14年前後のことですが、こうしたグレーゾーン事態については、新しい概念を導入しようとする動きがありました。いわゆるマイナー自衛権というものですが、私自身は、日本特有の概念は望ましくない、事態対処の根拠が3つになりオペレーションが複雑になるうえ、新たなグレーゾーンが増える、との理由で消極的でした。現在ではこの論は完全に下火になっています。

(過去に政府が行ったグレーゾーン事態に備えた施策)
従って、答えは2つしかなく、自衛権発動要件を緩和するか、若しくは警察権の対処能力を向上させるか、のどちらかということになります。その後、政府はグレーゾーン事態については2つのことを行い現在に至っています。1つは、15年の平和安全法制が制定される際に、無害通航でない外国軍艦について自衛隊による警察権行使を迅速に行えるよう要件緩和の閣議決定をしました。もう一つが、海上保安庁による対処能力の向上です。15年以降、予算人員装備を大幅に拡充し現在に至っています。

(今後の議論の方向性)
しかしそれでも問題が本質的に解消されているわけではありません。そしてグレーゾーンの領域は海上に限られるものではなく、領域や様態が複雑多様化する一方なので、対処が必要と考えています。まずは直ぐにできることから言えば、警察権の対処能力の更なる向上を続けていくことは論を待ちません。しかし、それ以外の事態に関して正面から対処できる法律体系を整えるべきです。

(再び武力攻撃とは何か)
先ほど自衛権発動要件の緩和と書きました。実はこれは乱暴な書き方なので少し深掘りします。自衛権の発動要件に、「我が国に対する武力攻撃が発生し」とあります。これは国際法からの要請にも合致していますので緩和などはできません。一方で、武力攻撃の定義は何かというと、「我が国に対する外部からの武力攻撃」(武力攻撃事態対処法)という狐につままれたような定義です。例えば鉄砲1発撃たれても武力攻撃と言う人はいません。ゲリラが若干名、着上陸侵攻した場合はどうでしょう。過去にイスラエルはこれを武力攻撃と認定し自衛権を行使しましたが国際社会から非難されました。先のニカラグア事件もそうです。偽装漁船やフェイクニュースなど多層的な敵対行為の累積は武力攻撃と見做されるのでしょうか。実は、何をもって武力攻撃なのかは、国会でも殆ど議論されてきませんでした。国際社会でも様々な意見があり断続的に議論されています。国際社会に支持されうる武力攻撃の類型整理はしておく必要があるのだと思います。少なくとも国際法に準拠して武力攻撃は規模と効果で判断することくらいは閣議で決めておくべきなのだと思います。

(グレーゾーン事態における日米同盟の脆弱性)
直近の最大の課題は、冒頭示したように、グレーゾーン事態の認識が各国で違うため、混乱が生じる可能性があることです。具体的には自衛隊の活動は日米同盟と密接に関係していることがグレーゾーン事態で課題になります。例えばトランプ政権も、次期バイデン政権も、尖閣を日米安保条約適用対象にすると明言しました。これはこれで有難いことですが、抑止力にはなるけれど、グレーゾーンの対処力には必ずしもならない、という問題があります。なぜならば、日本とアメリカで武力攻撃認定にギャップが生じる可能性があるためです。つまり日本は武力攻撃ではない(白)、アメリカは武力攻撃だ(黒)とした場合どうなるのか、そしてその逆のパターンはどうなるのかを真剣に考えなければなりません。また、日米双方で事態認定における政治判断に遅れが生じた場合はどうなるのかなども実際に即した形で検討を重ね、日米で共有しておく必要があるのだろうと思います。

コロナ対策ー何をもって経済(生活)と感染のバランスなのか

(経済とのバランスより感染拡大防止を求める声が多くなっている)
経済対策と感染拡大防止のバランスが大切だ、というのは様々な場面で言われることですが、巷では感染拡大防止を図らなければ経済への悪影響は避けられないので感染拡大防止に全力を傾注すべきではないのか、ということがよく言われます。飲食宿泊業などを中心としたコロナ禍の直撃をうける事業者には、政府が直接補償すればいいではないか、なぜ感染拡大防止を徹底しないのか、との不満の声です。めちゃめちゃ分かります。

(緊急事態宣言か?)
まず、感染拡大の徹底的な防止を図るべきは論を待ちません。状況次第では緊急事態宣言を発出することも躊躇してはなりません。政権にはその覚悟はあるのだと思います。ただ、問題は、状況次第といったその状況がどんなものなのか、そして出したらどうなるのか、あるいは地域限定で出したらどう違うのか、生活困窮者はどのくらい増えるのか、エッセンシャルワーカーにどう影響するのか、医療機関にどのようなインパクトがあるのか、そのために事前に何をすべきなのか、国民とどのようなリスクコミュニケーションを図るのか、などが徹底的に分析されていないことの方が遥かに問題なのだと思います。つまり緊急事態宣言を出すと全てが解決されるかのようなお花畑思想は徹底的に排除し、インパクト評価を徹底して最大の効果を出すことが必要です。

(影響を受ける企業の補償?)
その上で、補償というのは主に要請に対する協力金であったり雇用維持のための助成金が中心となり、これは現在も継続しているものもあり、またその他の施策も全力で打っていますが、雇用にはネガティブな影響がでています。有効求人倍率も1付近まで低下、解雇された従業員も新しい職場を見つけづらい状況です。小規模事業者を考えれば、経済は生活に直結したものです。失業率が1%上がると自殺者は2500人程度増えると言われています。有効求人倍率が1以上の状況と以下の場合では、想像以上の違いが表れることになるはずです。
http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2010/05/pdf/058-066.pdf
www3.nhk.or.jp/news/html/20201121/k10012724931000.html

(個人に特別定額給付か?)
事業者ではなくて個人に特別定額給付金を複数回打てばいいとのお考えの方もいらっしゃるのだと思います。幸い世界は未だに低金利状態が続いており、直ちに財政再建を急ぐ必要があるわけではありませんので、短期的に言えば世界各国が同規模の財政政策をとるならば可能だとは思いますが(現在では世界各国GDP2割で横並び)、持続可能な債務水準を意識しながら、経済と生活の下支えをしなければなりません。
http://www.imf.org/ja/News/Articles/2020/07/10/blog-fiscal-policies-for-a-transformed-world

(経済と感染のバランス指標)
現在、そのバランスは何を指標に図っているのかというと、医療提供体制の確保、監視体制、感染の状況です。具体的には、①医療提供体制ー病床逼迫具合(全入院者確保病床使用率、全入院者確保想定病床使用率、重症者確保病床使用率、重症者確保想定病床使用率)、②医療提供体制ー療養者数、③監視体制(陽性者数/PCR検査件数)、④感染状況ー直近1週間の陽性者数、⑤感染状況ー直近1週間とその全週1週間の比、⑥感染状況ー経路不明なものの割合、の6指標によって、感染拡大ステージを総合的に判断するということになっています。問題は、経済関連指標がないこと。つまり、経済を回すため、ということもありますが、経済に対する抑制的政策によってどの程度耐えうるかを見ることができないところに大きな問題があるのだと思います。昨年後半から困難な課題ですがこの指標の開発を進めています。
http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/newpage_00035.html

(ダッシュボード)
もっとも重要なことは、バランスよりも、何をもってバランスと言っているのかということを政府と国民の間で共有することであり、いわばリスクコミュニケーションなのだと思います。現在は、先に触れた医療や感染の状況を表す6指標を中心とした目安ですが、これも総合的評価とされていて、しかも経済状況が伴っていないことから、不安と不満が高まる傾向にあるのだと言えます。業種ごとに地域ごとに詳細に状況を提示できるシステム、いわば車のダッシュボードのようなものを提示できればと思っています。それによって、より緻密な経済対策が打てるのだと思います。

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以上申し上げたうえで、今後の経済見通しについて触れたうえで、最後に先日閣議決定された政府の経済対策を紹介したいと思います。

(日本/世界の経済見通し)
2021年の経済見通しが民間シンクタンクから相次いで報告されています。今年の実質GDP成長率が▲5%であったものに対して、ワクチンが同年後半から普及するノミナルシナリオの場合は+2〜5%前後、感染拡大が数度発生するリスクシナリオでは若干のマイナス成長、そして2022年には本格的な回復基調になるとなる報告が多いのだと思います。また世界経済は、2020年で▲3〜▲4%、21年は+2〜+5%、コロナ前の実質GDPに回復するのは21年後半から22年前半にかけてとの予測が多いのだと思います。

(リスク要因)
ただ不確実性は高い。リスクとしては、感染拡大、金融市場の調整(過熱感のある株価や不動産の調整)、債務拡大による投資減退、米中デカップリングを中心とした自由貿易の停滞、の4つが主だったもの(例えば下記の三菱総研)。一方、企業のアンケートによると、感染拡大、雇用、所得が懸念材料とされています(帝国データバンク)。
http://www.mri.co.jp/knowledge/insight/ecooutlook/2020/20201117.html
prtimes.jp/main/html/rd/p/000000211.000043465.html

(好感材料)
景気回復を後押しする材料としては、緩和的財政金融政策(後述の経済対策と金融政策)、デジタル需要、米国自由貿易回帰、在庫調整進展、そしてオリパラなどです。これにワクチン普及による個人消費回復が加わります。
http://www.dir.co.jp/report/research/economics/outlook/20201217_021969.pdf

(ワクチン供給)
ワクチンの接種状況見通しについては、例えばみずほ総研(下記)がまとめていますが、接種開始は先進国で21年1月〜3月、後進国で4〜6月、それぞれ普及完了までに1年かかるとの予測ですが、主要全メーカー足しても37.5億人分の供給となり、全世界人口の50%にとどまります。
http://www.mizuho-ri.co.jp/publication/research/pdf/forecast/outlook_201210.pdf

(産業構造の変化要因と傾向)
経済の開腹ペースは、国別、あるいは産業構造別、輸出構造別でも、異なってくることが予想できますが、それらは主に、モビリティ変化(リモートワークや巣篭り)に起因するものと、エネルギー需要トレンド変化(グリーン)の2つの要因に分解できます。そしてそれらが以下の産業構造に影響を与えるのだと思います。まずは、産業構造別に言えば、元々拡大傾向にあった産業でコロナ禍の影響が少ない業種には更なる追い風が吹く事、元々縮小傾向にあった産業でもコロナ禍の影響が少ない業種には期間限定の特需があること、一方で、元々拡大傾向にあったもののコロナ禍の影響が大きいところは逆風となり、縮小傾向にあった上でコロナ禍の影響が大きい業種は苦しい状況になる傾向にある。
http://www.mizuho-ri.co.jp/publication/research/pdf/forecast/outlook_201210.pdf

(世界の状況)
世界各国の中央銀行が金融緩和を実施し財政支出を増やしています。金利はほぼゼロに張り付いていますので、各国とも直ちに財政再建に着手せざるを得ない状況にあるわけではありませんが、新興国では国債発行が直ちに金利上昇や為替暴落につながってしまうものもあります。また、石油価格の低下により資源国にとっても苦しい時期が続くことが予想されています。

具体的な国別に見れば、中国の回復が顕著で自立化政策のためハイテク投資が今後も加速するとの見通し。アメリカは、2007年以来の高い起業件数となっているようです。また歴史的低金利も相まって持ち家需要が極めて高くなっている。アメリカらしく将来のドリームに向けた社会の変容の胎動が聞こえてきます。欧州は回復ペースは緩慢の見通しですが、政府主導のグリーン・デジタル対応が進み関連産業が牽引力になる可能性はあります。新興国は、産業構造や輸出構造によって全く異なる様相を呈する見通しで、ロシア、オーストラリア、インドネシアはグリーンシフトで逆風、またブラジルなどは財政の持続可能性や金利上昇リスクなど直近の金融財政運営危機に直面、タイなどサービス輸出減退での逆風、フィリピンやベトナムなど海外労働者送金減少での逆風、一方で、メキシコや台湾はデジタル需要拡大で恩恵を受けるとの見通しです。
http://www.mizuho-ri.co.jp/publication/research/pdf/forecast/outlook_201210.pdf

(日本の見通し「国民の命と暮らしを守る安心と希望のための総合経済対策)
政府は12月上旬に次年度予算を中心とした総合経済対策を発表しました。事業規模73.6兆円、財政支出40兆円で実質GDP下支え効果3.6%、雇用60万人を見込んでいるとのこと。3つの柱で構成されています。

第一は、医療提供体制の更なる整備やそのための地方創生臨時交付金(国から地方自治体)、またワクチン接種体制整備を含む「感染症拡大防止策」。

第二は、老朽化が進むインフラの減災防災対策・国土強靭化(事業規模15兆円/5か年)や自衛隊・海上保安体制の構築を含む「国土強靭化・国民の安心安全」です。

第三は、ー治体システム標準化、マイナンバー、学校ICT化、ポスト5G等などを含む「デジタル改革」と、2050カーボンニュートラル研究開発、再エネや電気自動車普及、住宅断熱リフォームグリーン住宅ポイント、企業脱炭素税制などを含む「グリーン改革」、中小企業事業再構築支援とサプライチェーン多元化などを含む「産業構造の転換」と、大学ファンドや宇宙等領域の研究加速などの「イノベーション促進」、GoToとともにテレワークや地方企業経営人材マッチングなどを含む「地方への人の流れの促進」と、雇用調整助成金とともに出向助成金の創設やリカレント教育を含む「成長分野への労働移動など雇用対策パッケージ」、そして2030年5兆円を目指した「農林水産業輸出拡大」、更には「家計の暮らしと民需の下支え」です。

(概要)https://www5.cao.go.jp/keizai1/keizaitaisaku/2020-2/20201208_taisaku_gaiyo.pdf
(本文)https://www5.cao.go.jp/keizai1/keizaitaisaku/2020-2/20201208_taisaku.pdf
(試算)https://www5.cao.go.jp/keizai1/keizaitaisaku/2020-2/20201208_taisaku_kouka.pdf
(施策例1)https://www5.cao.go.jp/keizai1/keizaitaisaku/2020-2/20201208_sesaku1.pdf
(施策例2)https://www5.cao.go.jp/keizai1/keizaitaisaku/2020-2/20201208_sesaku2.pdf

私自身は、コロナ対応としての医療体制確保(コロナ対策PT事務局長)、国土強靭化としてのため池整備や地元インフラ対策(ため池小委員会事務局長)、安心安全の担保(安全保障調査会事務局次長)、未来投資(科学技術イノベーション戦略調査会事務局次長、宇宙海洋開発特別委員会事務局長、量子議員連盟事務局長)、経済安全保障戦略(新国際秩序創造戦略本部事務局次長)、に携わって参りましたが、昨秋から経済成長戦略本部事務局次長も仰せつかっておりますので、全体の味付けにもう少し関与できるよう努力したいと思っています。

持続可能な社会実現と経済安保

持続可能な社会に向けて、などというと、まだまだ絵空事と思う方が多いのだと思います。実際、私も5年前に聞かれたら、大切だよね、くらいで済ませていたのかもしれません。しかし、3年前には、ビジネスと両立する仕組みづくりを地方創生の文脈で考えていたし、現在では世界的な流れをはっきりと感じるようになっています。つまり、SDGs的な価値観が浸透してきているということです。今後、企業はSDGsに取り組まなければ資金調達にも困難を伴うようになるのだと思います。

持続可能な社会に向けた取り組みは、これまで余力のある企業がCSRの一環として取り組んでいたイメージがありますが、ビジネス上、必要な価値軸になりつつあるということです。おいおい説明していきたいと思います。

(地方創生とソーシャルベンチャー)
5年前くらいから地方創生の柱の一つとして取り組んできたのが、ソーシャルベンチャー支援です。党の社会的事業推進特別委員会で事務局長(今は事務総長なる大仰なタイトルになっていますが)を仰せつかっておりますが、まさにビジネスとして社会課題を解決していこうとする事業者を応援することで、地方の持続可能性を高める取り組みでした。現在でも進行中ですが、取り組んでいて気づくのが、資本主義の質が徐々に変わることでした。国が社会の持続可能性を高める地方の会社を支援するわけですから、必然的に資本主義の在り方が変わる時代がくるであろうということです。

取り組み始めてすぐに、国連が発表したのがSDGsです。貧困の軽減、民主的ガバナンスと平和構築、気候変動と災害リスク、経済的不平等という主要分野に重点を置いたこの取り組みは、瞬く間に世界に広がり、現在では各国政府のみならず民間や市民といったパートナーを得ています。この流れは、まさに地方創生の文脈で取り組んできたソーシャルビジネスと完全にマッチする価値軸でした。

(コロナ禍での加速)
こうした流れを加速したのがコロナ禍でした。今年はコロナに始まりコロナに終わるというコロナに翻弄された1年となりましたが、社会の持続可能性を考えるきっかけともなり、SDGsの流れが大いに加速したように見えます。例えば、国際コーポレートガバナンスネットワークを始めとしたESG投資家が揃って、配当よりも雇用維持を優先すべきだ表明したことは、間違いなくSDGs的な価値観が浸透していることを実感した瞬間でした。

ただ、日本でそれを聞くと、当たり前に感じるほど日本的価値観でもあります。日本では、昔から商いには近江商人の三方よしと言って、売り手と買い手と社会がよくなることがよい商いとされていましたから、昔から地でいっていたのだと思います。つまり、商いを通じて社会をよくするという考え方に最もマッチするはずなのです。

(ステークホルダー資本主義の世界的広がり)
株主だけではないステークホルダー資本主義の考え方は、例えばWEF(世界経済フォーラム)、ハーバードビジネススクール、BRT(ビジネスラウンドテーブル)でも大いに議論されています。ダボス会議のシュワブ会長は、日本の経営者にインスパイア(影響)されたと言っています。

ただ、日本と違うのはルールに落とし込もうとしていること。日本は、どちらかというと、何となくやっている。文化としてやっている。欧米は、まさにこれからルールにしようとしているのだということを感じます。それもそのはずで、例えばESG投資は世界で4000兆円を超えるようになっており、融資、債券、不動産にまで広がりを見せるようになってきました。コロナ下で株価が不思議な上昇基調にあり、もちろんアナリスト的には金融緩和による影響と言えますが、ESG投資も後押しをしているはずで、資本主義の流れが徐々に変わりつつあるのを見逃すわけにはいきません。(日経は29年ぶりの2万5千円超え、S&Pは過去最高値更新)。

(DXとSXとテスラモーターの衝撃)
DXとはデジタルトランスフォーメーションのことで、SXとはサステーナビリティトランスフォーメーション。前者は手段であって後者は目標だと言えますが、DXによりターゲットをSXに振り出した際に、今後の世界の勝者になるのだと思います。実際、電気自動車メーカーのテスラモーターはたった十数年でトヨタの時価総額を抜き、現在はその2倍。車の販売台数は20分の1ですから驚きの数字です。

仮にテスラがグループのCo2排出量を削減するために、サプライチェーン企業に排出抑制義務を課したら、グリーンに取り組まない企業はテスラと取引できなくなる。仮にどうしても達成できそうもないと判断した経営者がいたとしたら、撤退するか排出権取引に動かざるを得なくなる。当然、損益分岐を超えられるのかと普通の経営者は考えるわけですが、これが超えるようになってきたということなのだと思います。斯様、グリーンを意識した経営が必要になってくるわけです。

実際、サプライチェーンでは全くありませんが、ホンダがテスラと排出権購入で基本合意したとの報道もあります。そしてこうした社会を実現しているコアは、ビジネスモデルではなく、テクノロジーだということは忘れるべきではありません。

(金融市場の動き)
金融市場の方はどうなのかというと、例えば今年6月、ドイツで初めて66億ユーロのグリーン国債が発行され、330憶ユーロの注文があったたと話題になりました。欧州の中央銀行はグリーンQE(量的緩和)の流れがこれまでもあったようですが、アメリカでも否定的なトランプから肯定的なバイデンに大統領が変わることで、流れが加速すると予想されています。
http://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2020-09-02/QG0XO0T0AFB401

因みに世界のSDGs債市場は、グリーン債・ソーシャル債・サステナビリティ債というのがあって、そのうち5〜10年程度のグリーン債が圧倒的と言われています。発行は、フランス・国際機関・オランダのほか、意外なことに中国も多いとされています。日本もグリーンが多く59%。ほとんどが政府系機関による発行だそうですが、それはGPIFによるものです。そして日本の特徴は、ソーシャルとサステナビリティが世界に比べて一定のボリュームを維持していることです。そして、それほど頻繁に売買されず比較的安定しているのだそうです。ソーシャルは、例えば政府系でいえば学生支援機構や日本政策投資銀行も関与しています。

(必要なのは指標づくり)
ソーシャルベンチャー支援でも議論の中心でしたが、こうしたESG拡大の流れに合わせた持続可能な社会を気づくために絶対に必要なのが指標づくりです。何をもってソーシャルなのか、何をもってグリーンなのか、資金を動かしていくわけですから、当然求められるのが透明性であって、やはりルールが必要になってきます。この点、先ほども述べましたように、何となく文化としてやってきた日本は弱い。EUは既にサステナブルファイナンスのための指標づくりで先行しています。
about.bloomberg.co.jp/blog/need-know-european-commissions-new-sustainable-finance-taxonomy/

つまり、ESG投資を行おうとする投資家にとって、金融市場や投資対象、あるいは社会と言ってもいいかもしれませんが、共通言語が必要になってきます。やってますよ、という掛け声だけでは、他企業と比較できません。そして、その共通言語を作るためのベースとして、EUではタクソノミー(分類)を提示しています。そしてタクソノミーをベースに細部が決められていきます。

実はこの標準化こそが、ビジネス上非常に重要な部分であるのは、既存の知的財産戦略としての標準化とまったく変わりません。この取り方次第では、サプライチェーンに入れもしない場合もでてくるわけです。

(経済安全保障とコバルトやネオジウムなど)
こうした世界的な流れをビジネスとして捉えた上で、持続可能社会を見据えなければなりません。それは、もちろん電気自動車とかエネルギー政策という現実の課題に直結するものですが、裏側では、激しい国際競争も出てくることも予想できます。

例えば、電気自動車のキモの部分は、モーターとバッテリーですが、高性能モーターにはネオジウム、高性能バッテリーにはコバルトという希少金属が必要です。もちろん、コバルトはアフリカが主要産出国、ネオジウムはもっぱら中国が産出国です。必然的に、各国メーカは、そうした材料を使わずに済む技術開発を懸命に進めているのだと思いますが、各国の思惑も交錯してくるのは必然なのだと思います。

(今後の政策)
従って、あらゆる方向から必要な政策を総動員して推進すべきなのが、カーボンニュートラルという政策で、決してバラ色な、お花畑な政策ではありません。排出権取引の導入も、今後推進していかなければ、益々業種間の不公平は拡大し、中国に有利な世界が展開されるとの指摘もなされています。心してかかりたいとおもいます。